おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

旧横浜港駅プラットホーム。旧税関事務所遺構。・・・。横浜その23。

2014-03-21 22:58:38 | 鉄道遺跡
 通りを越えると、再びレール道が復活。複線になっています。その先には、「プラットホーム」がありました。「赤れんがパーク」の一角。


1970年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。当時の「横浜港駅」付近。上に駅。線路脇の広場が「荷さばき場」(旧税関事務所があったところ)。下に赤れんが倉庫群。下方が大桟橋、さらに山下公園方向となる。

たくさんお店のある「赤れんが倉庫」の裏手にあたるせいか、バスの乗降客以外は人通りは少ない。


かつてここにあった「横浜港」駅を再現したもの。
「説明板」。
当時のようす。

 旧横浜港プラットホーム(旅客乗降場)
 「横浜港駅」は明示44年(1911)、横浜税関構内の荷扱所としてつくられ、大正9年(1920)7月23日「横浜港駅」となり、東京駅から初の汽船連絡列車が乗り入れました。列車はその後「岸壁列車」などと呼ばれて親しまれました。
 関東大震災の復興期、昭和3年(1928)当時の花形外航ターミナルにそって旧「横浜港駅」のプラットホームが設けられ華やかな海外航路時代の最盛期をむかえました。
 「赤れんがパーク」の休憩所として保存再利用にあたり、悼んでいた上屋は新材料で復元しています。

「汽車道」方向を望む。

海岸寄りには「海上保安庁」の建物。

「プラットホームから「赤れんが倉庫」を望む。

赤れんがの土台が広がる「旧税関事務所遺構」(事務所正面)。


足を止める人がほとんどいなかったのは、残念。独特の興趣があった。
説明板。
 
旧税関事務所遺構(右突堤中央事務所)

 これは、大正3年(1914)5月に建設された税関の事務所遺構です。レンガ造りスレートぶき、3階建てのゴシック様式の建物でしたが、大正12年(1923)9月1日関東大震災により床や屋根が焼失したため、復旧されないまま埋めもどされ、荷さばき用地となっていました。「赤れんがパーク整備」のための工事の際に発見され、現在、花壇として利用しています。・・・



現在の「横浜税関」の建物。
この建物もなかなか立派。
屋上部分の緑色の「尖塔」が特徴的。「クイーンの塔」として親しまれ、神奈川県庁本庁舎(キングの塔)、横浜開港記念会館(ジャックの塔)とともに「横浜三塔」の一つ。横浜市認定歴史的建造物(2001年度認定)。

大桟橋には、「飛鳥Ⅱ」が停泊中。左奥の橋は、「横浜ベイ・ブリッジ」。「赤れんがパーク」から。
 「飛鳥Ⅱ」は、外航クルーズ客船。2014年3月時点で、日本籍では最大の客船だ、そうだ。(ところで、17日の夜には、「クイーンエリザベス二世号」が着岸した、とか。)



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