おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

明正小。越前堀児童公園。(震災復興52小公園。その25。)

2013-12-31 18:11:25 | 震災復興小公園
⑧越前堀公園。明正小。

 「震災復興52小公園」の一つ、越前堀公園は、現在は、「児童」と付されているように、遊水池があって夏には水遊びができます。
「ECHIZEN LINE」と名付けられた豪華客船も浮かんでいる。真冬でも象が水浴び、ラッコも泳いでいる。脇には、ささやかだが恒例の藤棚も。
四阿風。史跡・記念碑などや緑も濃く大人もゆっくりと楽しめそう。

「明正通り」。
 道路を挟んで南側にあるのが「明正小」。公園との一体感はあまりなさそう。
「明正小」は旧校舎(震災復興校舎)を取り壊し、新築中。全面シートに覆われている。公園側から。
工事中の明正小から公園を望む。

新校舎は、2014年に完成予定。
校舎の印象が旧校舎の雰囲気を残しつつ、モダンな印象。
1927年に完成した「旧校舎」。保存・維持運動もあったようだが。
円形の部分はそのまま生かすようす。
かつての3階建てからみると、けっこうな高さ。

 取り壊す前の校舎の写真がコメントとともに「関根要太郎研究室@はこだて・fkaidofudo.exblog.jp/10731739
2009/04/07」に掲載されています(このblogにはすでにない震災復興校舎の「鉄砲洲小(現中央小)」「明石小」なども掲載されていて、貴重な写真となっています)。

 中央区内で、震災復興校舎当時から今も現役なのは、「泰明小」「常盤小」「城東小」「阪本小」などわずかになりました。また、当時の校舎を生かして他のものに転用・活用されているのが「十思スクエア」(すでに紹介済み)


と「京華スクエア」。
 そこで、次に八丁堀方向に向かい、「京華スクエア」へ移動します。

亀島川・高橋から隅田川方向を望む。
 奥の橋が「南高橋」(関東大震災で損害を受けた旧「両国橋」の鉄骨橋梁を再利用した。都内で車が通行できる橋として一番古い橋)。遠くの高層ビル街は隅田川河口の月島地区。


1980年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。赤丸が越前堀公園と明正小。矢印の橋が「高橋」。下に見えるのが「南高橋」。亀島川に合流する堀(左下)がまだ健在のころ。
 この堀は、古くから「八丁堀」と呼ばれていた。現在の首都高・京橋インター付近から鍛冶橋通りを東へ進み、亀島川に至るまでの区間に存在した水路。別名は「桜川」。
 京橋川・楓川より亀島川を連絡する運河として、江戸時代初期に開削されたといわれる。戦後もしばらくは水運として活躍していたが、昭和40年代以降、順次埋立てられ、水路としての「八丁堀(桜川)」は完全に姿を消し、下流は「桜川公園」などになっている。

 この続きは、年明けに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする