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日本一のニート。

2016年09月24日 | 千伝。
この頃・・体調良しとは言えず。

さて、高速増殖炉「もんじゅ」の先駆けとなる実験炉「常陽」の炉内にも入ると、その足元の床には円形に、ラテン語で古代ローマ時代の詩人であり哲学者セネカの詩の一節が書かれているとのこと。

「かくも明白な事実を、我々が今やっと体験したということに、子孫たちが驚くときが来るであろう。」

大学卒業後、一年間ほど、アテネ・フランセのラテン語講座に通っていましたが、どんな文章なのかイメージも湧いてきません。

ただ、セネカのラテン語の詩を引用は、当時の原子力エネルギーに賭けた夢や希望や熱気が伝わってきます。

当時・・いや、ほんの22年前の日本の原子力政策は、夢のエネルギー源としての熱気を感じたのは事実です。

1994年(平成6年)4月、福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」が、臨界達成。

世界のマスメディアが、福井に集結。

この出来事は、世界のトップニュースになったほどの「夢のエネルギー物語」の始まりでした。

福井で暮らし始めていた僕にとっても、どれほど誇り高いニュースであったことか!

我が家にも、その時の「もんじゅ 祝・臨界達成記念」の置き時計があるはずです。

あれから、22年・・実質的に稼働したのは、四か月。

その後、相次ぐ不祥事、エラー、ミス、事故の連続の不信続き・・ほんとうに夢のエネルギー源達成は可能なのか?

そして、決定的なのは、東日本大震災での福島第一原発の崩壊による原子力政策への恐怖感。

そして、とうとう廃炉とすべき「もんじゅ」への政府方針。

これに対して、昨日は、福井県知事が苦言を呈す。

しかし、これまでに、1兆円を超える莫大な資金を投入して、年間200億円の管理費、毎日5500万円の維持費・・。

その殆どが電気代出費という笑えないような皮肉。

とあるマスメディアは、日本一のニート「もんじゅ君」と評しています。

昔は、ニートという言葉は、存在していませんでした。

お金(予算)という使い方ならば、国家も個人も、その使い方で、その国家の品格、個人の品格・人生観を垣間見ることが出来ます。

国家百年の計に基づいてのエネルギー政策・・地球の限りある資源を考えれば、原子力エネルギーは、優先順位の上位に位置します。

高度な文明というのは、エネルギーの活用量が基準となるとのこと。

太陽のような恒星の全円周を人工物のようなもので包み込み、それをエネルギー源として宇宙漂流をする地球外の惑星文明もあり得るとか?

さらには、ブラックホールのような銀河系の中心部を人工的に包み込み、それには光速以上のスピードでワープ移動できる文明も存在するのではないか?

・・というSFの世界のような仮説も昨今、科学的見地から紹介されています。

そういうことを想像すれば、「もんじゅ」の廃炉は、余りにも大きい地球文明の躓きとなるかもしれません。

世界は、どこに向かおうとしているのか?

日本は、どこに向かおうとしているのか?

そのビジョン、目標が無いから、失敗するのでは?

向かい風も、追い風もない・・そんな社会なのでは?

昔・・北陸を評して「越中乞食、加賀強盗、越前詐欺」という言葉がありました。

越中の人間は、いざとなると乞食になる。

加賀の人間は、いざとなると強盗になる。

越前の人間は、いざとなると詐欺になる。

現在ならば、いざとなると「ニート」になりたくなるかもしれません。

越中富山の市会議員連続辞職問題・・乞食になるより、詐欺を選んだようです。

Accipere quam facere injuriam praestat.
アッキペレ・クァム・ファケレ・インユーリアム・プラエスタト。

(不正を行うより、不正を受けるほうがよい。)

古代ローマ帝国の哲学者キケロのラテン語の言葉です。

お金も時間も、限りある人生のエネルギー源です。

どういう使い方をするかによって、その社会性、人間性が見えてきます。

セネカが、暴君ネロの家庭教師だっただけに「もんじゅ」も暴走したかもしれません。

否、高速増殖炉「もんじゅ」に、罪はありません。

智恵の菩薩「文殊様」から、日本一のニート「もんじゅ君」にしたのは、誰なのでしょうか?


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