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非合法の暴力と言葉。

2020年03月24日 | 千伝。
映画「三島由紀夫vs. 東大全共闘 ~50年目の真実~」観て参りました。

昭和44(1969)年5月13日、場所は東京大学駒場校舎900番教室。

右派の三島由紀夫氏と左派の全共闘が、 形而上学、倫理学、意識、認識、自意識、文学、哲学、政治学、歴史学、その存在論を論じます。

右派と左派、認識と行動、知性と反知性、合法の暴力と非合法の暴力肯定、エロとか野次とか自然とか、日本人やら天皇やら盛り沢山、非常に満喫できる討論会に参加した面持ちです。

翌年、昭和45年11月25日、三島由紀夫氏、割腹自殺。



あの日のことは、まだ中学1年生でしたが、暴力を振るった一日で憂鬱気分。

帰宅後、三島由紀夫氏の自決ニュースは、かなりショックな出来事でよく覚えています。

5年後、昭和50年に東京に出た頃は、下宿屋の同じ浪人生に誘われて民青のデモ隊に参加したり、未だに革マル派と中核派の内ゲバが盛んで、大隈講堂の前で起こった実際の乱闘も目にしました。

新宿の歌舞伎町界隈では、シンナーを吸ってフラフラしていた若者も多くいた時代です。

あの時代は元気がありましたが、地方から出た僕には、東京は集団暴力が蔓延る危険な都会に映りました。

大学に入れば、当時の東京の大学勢力は、左派よりも幅を効かせていたのは、国士舘大学をトップにした右派でした。

それでも、嫌がらせやイジメ集団相手に対しての喧嘩やら暴力は、「サシで勝負せいや❗」と言えば? 殴れば?・・・まだ通用した時代でした。

三島由紀夫氏の言う非合法の暴力、個人的な肯定に繋がります。

全共闘の学生リーダーが、「野次を飛ばすならば壇上の舞台に上がって、三島を殴れ。」と言っていたのも、格差階級が見え隠れします。

「金持ちが戦争を起こし、貧乏人が死ぬ」 (神はいないと叫んだサルトルの言葉)

気違い、気狂い、キチガイ、その集団とは、何だろうか?

言葉の暴力もない、言霊(こだま)が響くようなドキュメンタリー映画でした。


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