Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

慈尊院(2014年5月3日参拝)

2014-05-26 | 仏塔古寺十八尊
先日、真田幸村所縁の神社に行ったので、
今日は和歌山の九度山へ行くことにした。

その後は丹生官省符神社、丹生都比売神社、高野山と、
盛りだくさんの内容となっております。(笑)


所在地:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
宗派:高野山真言宗
御本尊:弥勒仏
創建:(伝)弘仁7年(816年)
開基:(伝)空海
札所:仏塔古寺十八尊、神仏霊場巡拝の道


【歴史】
平成16年7月世界遺産に登録された慈尊院は、弘法大師が高野山開創に際し、
高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、
一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。

当時の慈尊院は今の場所より北側にあり、方6丁の広さがあったと伝えられていますが、
天文9年(1540)紀の川の大洪水にて流失しました。

しかし弥勒堂だけは天文6年(1474)に今の場所に移してあったので、流失を免れました。

ある時、「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が、
香川県の善通寺より訪ねてこられました。

しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、
弘法大師の元には行くことが出来ず、この慈尊院で暮らしておられた地であります。


【山門】


こちらには無料駐車場がありますが、
大型バス専用もあり、普通車の台数が限られています。

いっぱいの場合は上にある勝利寺の駐車場に停めていいそうです。

ただし、丹生官省符神社のみの参拝ですと、
駐車料金が取られますのでご注意ください。


【境内】



【宝篋印塔】



【弘法大師堂】


弘法大師が祀られていました。


【訶梨帝母尊堂】


訶梨帝母尊(鬼子母神)が祀られています。


【観音像】



【多宝塔】






寛永年間(1624-1643)に再建されたもので、
大日如来が祀られているので大日塔とも呼ばれています。

なかなか優美な塔でしたが、
さすがに重文や国宝の雰囲気は無かったですね。

それもそのはず、2年前に解体修理、彩色されたからです。


【弥勒堂】




重文。

弘法大師は亡くなったお母様が篤く崇拝していらっしゃった
弥勒菩薩座像と御母公像を安置する為、建立したそうです。

このお堂は全体が見えずらいのですが、
屋根がとても渋いです。

21年毎の秘仏ですが平成27年4月2日から平成27年5月21日まで、
高野山開創1200年を記念して弥勒堂が御開帳されます。

ということは秘仏の国宝弥勒菩薩が見れるのか。

これは絶対に行かねば。(^^

でも調べてみると弥勒堂の外から暗い堂内を覗くだけで、
肝心の弥勒仏はよく見えないとか。(^^;


【乳房形絵馬】




弥勒堂前にこんな絵馬がありました。

これがテレビで見たことがある絵馬か~。

ハァハァ…。

ってするわけがねー。(^^;

どうやら乳がんや母乳の出が良くなるように奉納されているようだ。


【みろく石】



【拝堂】






神社でいう拝殿ですね。

弥勒堂の反対側から中に入ると多くの灯篭が吊るされていて、
かなり良い雰囲気の堂内です。

堂内は撮影不可でした。


【弥勒仏】



【石碑】


世界文化遺産登録を記念して造られたもの。


【弁財天、稲荷大明神】







【鐘楼堂】



【弘法大師像】



【御朱印】




大きなお寺ではありませんでしたが、
弘法大師所縁の歴史あるお寺で、かなりお勧めです。

興徳寺(2014年5月2日参拝)

2014-05-25 | 仏閣
たまたま通りかかった道から大きな像が見えたので、
気になって寄ってみた。

よくある拝観拒絶のお寺ではなくて良かった。


所在地:大阪府大阪市天王寺区餌差町2-17
宗派:高野山真言宗 
御本尊:薬師瑠璃光如来
創建:天平年間(729-749)
開基:行基
札所:摂津国八十八箇所、大坂三十三観音霊場


【歴史】
聖徳太子が在世中に法円坂に薬師院として草創と伝えられるが詳細は不明。
行基菩薩によって再建された畿内49ヶ院の一つである。

行基菩薩が原野を拓かんとして、この地で薬師如来を発掘して、
別に木造を刻しこれを本尊として一宇を創建し薬師院とした。

天文年間(1532-1555)の兵火にあったが、
天正年間(1573-1592)に復興したという歴史がある。

大阪夏の陣後、松平忠明が大阪の町の発展と城の防衛線の再整備の為、
市内に分散していた寺院を当時の小橋村、高津村、天満村の3ヶ所に集めた時、
小橋村の現在地に「興徳寺」と寺号を改め再建した。

大正元年(1912)失火により本堂を焼失し、その後復興するも、
太平洋戦争の空襲で山門以外の諸堂を焼失した。
現在の堂宇は戦後の再建になるものである。


【山門】



【お砂踏み石】



【境内】


奥に見えるのが本堂です。

行基菩薩によって発掘されたと言われる御本尊は秘仏で、
50年に一度御開帳され、次の御開帳は平成44年の予定とか。


【小僧】


なんとも可愛らしくないオッサンのような小僧でした。(苦笑)


【融通地蔵尊】



【六体地蔵】



【三宝荒神】


弘法大師が高野山を開創するにあたり伽藍安穏、密教守護の為に、
板に三宝荒神を描いて荒神岳山頂に祀り、壇上の鬼門にも勧請して高野山の大伽藍を完成。
その荒神社「立里荒神」の分社したもの。


【弁天社】



【不動明王】



【ドラえもん】


こ、これは?

なんか似てるような似てないような、
まるで中国で造られたとしか思えないクオリティ。(苦笑)

間違いなく無許可でしょうね。


【准胝観世音菩薩】




偽ドラえもんは無かったことにして、
巨大な菩薩像に御挨拶。

これは子供に恵まれなかった御夫婦が、
自分達が生きた証としてお寺に多額の寄付をされ、建立したもの。


准胝観音は日本では准胝仏母、准胝観音菩薩、准胝観世音菩薩、天人丈夫観音等、
さまざまな呼称があり、無数の仏を生んだ母であることから、
また古来インドで密教の女神であることから仏母といわれています。


【御朱印】


対応していただいた奥様が前ページの鎌八幡の御朱印を見て、
「鎌八幡さんに行かれたんですね。」と言われたので、
思わず「怖かったです~。遊びで行ってはいけないお寺でした。」と言いながら、
しばし談笑させていただきました。(^^

天然寺(2014年5月2日参拝)

2014-05-25 | 仏閣
続きましては菅原道真公の遺跡があるという天然寺へ。

この界隈も寺町で小さなお寺が並んでいました。


所在地:大阪府大阪市天王寺区城南寺町4-5
宗派:浄土宗知恩院派
御本尊:阿弥陀如来
創建:天正16年(1588)
開基:天然上人



【縁起】


潮待山天然寺は後陽成天皇の天正16年4月8日天然上人の開基で、
時恰も豊臣秀吉大坂城築城の天正11年の後に辺り、城の南、堀の外の高台に寺地を給せられ、
此処に堂宇を興し浄土宗法然上人念仏の道場として永く法灯を伝えて来た。

天然寺境内地は潮待天満宮と関係深く豊臣氏の時代に、
地子免除の特典を受けていたここは古くより天神の叢祠があり、潮待天満宮と申していた。

伝うるところ延喜元年(901)右大臣菅原道真公が筑紫の大宰府に流され給う時、
浪速津にて乗船の潮時をこの地で待ち給ひ、その間、御自作の木像を造られ、
里人その跡を慕いて、小社を営み菅公御自作の像を祭ったと伝えられる。

社殿は大阪築城の時城内にありしが豊臣秀吉これを城の外に遷し祭りました。
これ即ち今の地である。
天然寺はもと正覚院とも云い潮待天満宮と共に浪速の一古跡として有名で、
諸誌にも載せられ摂津名所図会大成に世俗おちつき寺と云うとあり、
右大臣菅原道真公が潮待ちの為におちつかれたのでおちつき天神と云う。

又この辺を塩汐町と号するは即ち潮待の由縁なり。
天然寺おちつき天神共に昭和20年6月1日の大阪空襲により一屋余すところなく廃燼となりしが
今茲に神仏の加護並に十方檀那の恵福により再建成就した。
菅丞相が西辺に黜居せられし蹟に鑑み至心と合掌とを餝えおし以って、
これを萬劫の時に貽さんとする。


【山門】



【本堂】



【おちつき地蔵尊】



【天満宮】





【菅原道真公お坐りの石】




遺跡ってこれかぁ。

まぁ、座ったことにしておきましょう。(笑)


御朱印はされていないとのことです。

三光神社(2014年5月2日参拝)

2014-05-24 | 神社
戦国時代好きが天王寺に来たからには、
三光神社は無視するわけにはいくまい。



所在地:大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90
御祭神:天照大神、月読尊、素戔嗚尊
創建:不明
札所:大阪七福神


【由緒】
反正天皇(約1600年前)の時代の創建と伝えられ、天照大神・月読命・素盞鳴命を祭神とし、
境内末社に仁徳天皇・武内宿彌・野見宿彌・主守稲荷を祀る。

明治15年の大阪名所独案内に三光宮を勧請した旨が書かれており、
勧請はそれ以前ということになる。
    
真田山は大坂市中と小橋村の境の小高い山で、元来狐が多かった。
摂陽奇観によると宝永3年(1706)年御利益があるとして参詣者が多く、
稲荷社の源流が作られたという。
    
明治41年(1908)姫山神社に境内社・三光宮を合祀し、社名を三光神社とした。
    
3柱の神を祀ることから三柱神社とも、日月山神社ともいう。
    
鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。
かつては大坂城の出城が置かれ、大坂冬の陣の時には、
真田幸村が大坂城から当地までの抜け穴を掘った。
その跡が社殿の下に残っている。


【北鳥居】



【参道】



【相殿】




野見宿禰社・武内宿禰社・主守稲荷社が祀られています。


【狛犬】



【第二鳥居】



【手水舎】



【拝殿】



【寿老神】



【真田幸村銅像】


真田幸村は戦国BASARAに代表されるように、
ビジュアル系をイメージされる方も多いだろう。

しかし、実際はこの銅像のような小太りの小男なのである。

決して2016年の大河「真田丸」の主演と言われる堺雅人のように、
飄々とした男前ではないのである。(笑)

それにしても三谷幸喜が2016年の大河で戦国ものをやるとか最悪。
またしょうもない笑いを取りにいくんだろうなぁ。

そして無駄に豪華な役者陣も同じメンバーばかり出過ぎで飽きた。
主役ばっかりのドラマはドラマとして成立しない。

ファンタジー大河は願い下げだ。

おっと、話がそれた。(^^;


史実がどこまで正しいかはともかく、
銅像を変にカッコ良く造っていないところに好感が持てます。(笑)


【真田の抜穴跡】




大阪冬の陣当時に真田の出丸が大坂城との連絡の為に設けた
抜け穴の出入口だという伝説が残っている。

しかしこの地は宰相山という名が示す通り、
加賀宰相と呼ばれた徳川方の前田利常の陣屋が置かれた場所であり、
技術的にも困難であったことから、後世の創作であるのは間違いない。




内部はこんな感じ。
すぐに行き止まりとなっているようです。


【遙拝所】



【主守稲荷社】



【御朱印】


書き手の方の癖でしょうけど、
真ん中にキュッと詰められて書かれます。(^^;

東高津宮(2014年5月2日参拝)

2014-05-24 | 神社
鎌八幡参拝後の何ともいえぬ心のざわつきを落ち着かせる為に、
ちょっと神社でも行くとしよう。



所在地:大阪府大阪市天王寺区東高津町4-8
御祭神:仁徳天皇
配祀神:磐之姫命
創建:不明
社格:村社


【由緒】
当宮の創建沿革等は古文書が散逸せらるため現在では詳らかではありませんが、
大阪発祥の元を築かれ又弊衣破楼の上から炊煙の立つをご覧になり
「朕富めり」と仰せられた歴代天皇中随一の御慈愛と御仁政を以て知られる、
仁徳天皇を主神として奉斎したのは非常に古い時代のことで、
往古より仁徳天皇社と号し平野社と称しました。

俗に元高津と呼ばれ堀河天皇時代(1097年)の浪速古図に
「仁徳天皇皇居大宮跡平野社」と記されています。

明治維新後、現在の社名に改め、明治5年村社に列せられ、
大正二年十月、神饌幣帛料供進社に指定せられた。


【鳥居】



【拝殿】


ふぅ、ちょっと落ち着いてきたわ~。


【狛犬】



【御神木】





【白豊稲荷神社】





【王仁神社】


御祭神:王仁博士

王仁博士とは4世紀末に朝鮮百済から渡来し、
日本国に漢字と儒教を伝えたとされている人物。

大阪府枚方市に王仁博士の墓があります。


【御朱印】