真田庵から次なる参拝地の丹生都比売神社へ。
ここはどうしてもあの楼門が見ておきたかったので、
以前から訪れたかった神社です。
13号線から109号線を走る。
この109号線がくねくねとした狭い山道で結構しんどい。
480号線から4号線に入るルートの方が楽かと思われます。
所在地:和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
主祭神:丹生都比売大神、高野御子大神、大食津比売大神、市杵島比売大神
創建:不明
社格:式内社、紀伊国一宮、旧官幣大社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道
【由緒】
紀ノ川より紀伊山地の盆地天野に当社が創建されたのは古く、
今から千七百年前のことと伝えられます。
また、播磨国風土記によれば神功皇后の出兵の折、丹生都比売大神の託宣により、
衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝することが出来た為、
これに感謝し応神天皇が社殿と広大な土地を神領として寄進されたとあります。
祭神のお名前の「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、
魏志倭人伝には既に古代邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載され、
その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。
丹生都比売大神はこの地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。
丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、
黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。
弘法大師は丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、
山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。
中世、当社の周囲には数多くの堂塔が建てられ、
明治の神仏分離まで当社は五十六人の神主と僧侶で守られてきました。
鎌倉時代には、行勝上人により気比神宮から大食都比売大神、
厳島神社から市杵島比売大神が勧請され、社殿が北条政子により寄進され、
本殿が四殿となり、このころから舞楽法会が明治のはじめまで盛んに行われます。
平成十六年七月紀伊山地の霊場と参詣道の丹生都比売神社境内として世界遺産へ登録されました。
【第一鳥居】
【太鼓橋】
足の悪い老人が太鼓橋を歩いていたので、
ヒヤヒヤしながら見てましたが、何とか無事に太鼓橋を渡りきっておりました。(^^
【境内社】
太鼓橋から見た境内社。
恐らく弁財天であろうが詳細不明。
【境内】
【太鼓橋】
【第二鳥居】
楼門が見えてきました。
【楼門】
お~、めっちゃ立派。
実に素晴らしい。
こんな田舎の山奥にある神社にも関わらず、
これほどの楼門があるとは驚きです。
参拝した時にちょうど結婚式をあげられていました。
本当におめでとうございます♪
斜め横から見てもいいっすね。
第一殿、第二殿は絶賛工事中でした。
【本殿】
第三殿、第四殿。
【狛犬】
【佐波神社】
【神宝収蔵庫】
国宝の銀銅蛭巻太刀や重文の芦手絵兵庫鎖太刀(いずれも東京国立博物館出陳)、
重文の木造鍍金装御輿や狛犬等が納められているそうです。
【太鼓橋】
無料駐車場から見た太鼓橋です。
ここから見ると住吉大社の太鼓橋を思い出すが、
住吉大社の方が反りがきついですね。
【御朱印】
ここはどうしてもあの楼門が見ておきたかったので、
以前から訪れたかった神社です。
13号線から109号線を走る。
この109号線がくねくねとした狭い山道で結構しんどい。
480号線から4号線に入るルートの方が楽かと思われます。
所在地:和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
主祭神:丹生都比売大神、高野御子大神、大食津比売大神、市杵島比売大神
創建:不明
社格:式内社、紀伊国一宮、旧官幣大社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道
【由緒】
紀ノ川より紀伊山地の盆地天野に当社が創建されたのは古く、
今から千七百年前のことと伝えられます。
また、播磨国風土記によれば神功皇后の出兵の折、丹生都比売大神の託宣により、
衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝することが出来た為、
これに感謝し応神天皇が社殿と広大な土地を神領として寄進されたとあります。
祭神のお名前の「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、
魏志倭人伝には既に古代邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載され、
その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。
丹生都比売大神はこの地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。
丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、
黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。
弘法大師は丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、
山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。
中世、当社の周囲には数多くの堂塔が建てられ、
明治の神仏分離まで当社は五十六人の神主と僧侶で守られてきました。
鎌倉時代には、行勝上人により気比神宮から大食都比売大神、
厳島神社から市杵島比売大神が勧請され、社殿が北条政子により寄進され、
本殿が四殿となり、このころから舞楽法会が明治のはじめまで盛んに行われます。
平成十六年七月紀伊山地の霊場と参詣道の丹生都比売神社境内として世界遺産へ登録されました。
【第一鳥居】
【太鼓橋】
足の悪い老人が太鼓橋を歩いていたので、
ヒヤヒヤしながら見てましたが、何とか無事に太鼓橋を渡りきっておりました。(^^
【境内社】
太鼓橋から見た境内社。
恐らく弁財天であろうが詳細不明。
【境内】
【太鼓橋】
【第二鳥居】
楼門が見えてきました。
【楼門】
お~、めっちゃ立派。
実に素晴らしい。
こんな田舎の山奥にある神社にも関わらず、
これほどの楼門があるとは驚きです。
参拝した時にちょうど結婚式をあげられていました。
本当におめでとうございます♪
斜め横から見てもいいっすね。
第一殿、第二殿は絶賛工事中でした。
【本殿】
第三殿、第四殿。
【狛犬】
【佐波神社】
【神宝収蔵庫】
国宝の銀銅蛭巻太刀や重文の芦手絵兵庫鎖太刀(いずれも東京国立博物館出陳)、
重文の木造鍍金装御輿や狛犬等が納められているそうです。
【太鼓橋】
無料駐車場から見た太鼓橋です。
ここから見ると住吉大社の太鼓橋を思い出すが、
住吉大社の方が反りがきついですね。
【御朱印】