浄瑠璃寺を堪能した後は、神社の為だけに造られたという
全国的にも珍しい跨線橋がある岡田国神社へ。
所在地:京都府木津川市木津大谷105
主祭神:生国魂命、菅原道真公
創建:白雉5年(654)
社格:式内社、郷社
【由緒】
岡田国神社の創祀は遠く飛鳥時代、斉明天皇の白雉5年(654)に
生国魂尊を祀ったのが始まりと伝えられています。
奈良・平安時代に編纂された六つの官撰国史の一つ「三代実録」によれば、
清和天皇の貞観元年(859)、岡田鴨神社(従五位下)、
岡田国神社(従五位上)奉授とあります。
また平安時代、醍醐天皇の勅命により編纂された「延喜式」では、
月次新嘗大社に列せられています。
明治6年5月、郷社に列せられ、同11年3月には「延喜式」内岡田国神社として確定されました。
応仁天皇を祀った八幡宮の創始は天慶元年(938)丁酉十一月と伝えられています。
平安時代に入り天神信仰が高まりつつあるのに従って菅原道真公を合祀。
以後は天神宮と称され、木津郷五カ村の氏神として信仰を集めながら今日に至っています。
明治9年には四十一番地よりそれぞれ遷宮され、現在の当神社の姿が出来上がりました。
【鳥居】
祭りが行われるようでテキ屋が準備をしていた。
無料駐車場は跨線橋手前にありました。
【狛犬】
【跨線橋】
これが神社参拝専用の跨線橋かぁ。
車でも行けるようだが、せっかくだから歩いて渡りました。
【線路】
下はJR線が走っているようです。
【拝殿】
昭和49年11月、日本住宅公団の求めに応じて社有地の一部、
2万5千坪を売却し旧本殿の老巧化と立地条件などを考慮した上で、
新社殿を従来の相殿を合わせて新御本殿とし、昭和58年に完成したもの。
【本殿】
【社務所】
【氏子詰所】
【境内社】
下に降りて行くと境内社がありました。
こちらの境内社は結構歴史があるようでした。
【南・北氏子詰所】
新しい社殿と以前の社殿が両方存在する神社も珍しい。
これはいいものを見せていただいた。
【舞台】
【旧拝殿】
【旧本殿】
【御朱印】
全国的にも珍しい跨線橋がある岡田国神社へ。
所在地:京都府木津川市木津大谷105
主祭神:生国魂命、菅原道真公
創建:白雉5年(654)
社格:式内社、郷社
【由緒】
岡田国神社の創祀は遠く飛鳥時代、斉明天皇の白雉5年(654)に
生国魂尊を祀ったのが始まりと伝えられています。
奈良・平安時代に編纂された六つの官撰国史の一つ「三代実録」によれば、
清和天皇の貞観元年(859)、岡田鴨神社(従五位下)、
岡田国神社(従五位上)奉授とあります。
また平安時代、醍醐天皇の勅命により編纂された「延喜式」では、
月次新嘗大社に列せられています。
明治6年5月、郷社に列せられ、同11年3月には「延喜式」内岡田国神社として確定されました。
応仁天皇を祀った八幡宮の創始は天慶元年(938)丁酉十一月と伝えられています。
平安時代に入り天神信仰が高まりつつあるのに従って菅原道真公を合祀。
以後は天神宮と称され、木津郷五カ村の氏神として信仰を集めながら今日に至っています。
明治9年には四十一番地よりそれぞれ遷宮され、現在の当神社の姿が出来上がりました。
【鳥居】
祭りが行われるようでテキ屋が準備をしていた。
無料駐車場は跨線橋手前にありました。
【狛犬】
【跨線橋】
これが神社参拝専用の跨線橋かぁ。
車でも行けるようだが、せっかくだから歩いて渡りました。
【線路】
下はJR線が走っているようです。
【拝殿】
昭和49年11月、日本住宅公団の求めに応じて社有地の一部、
2万5千坪を売却し旧本殿の老巧化と立地条件などを考慮した上で、
新社殿を従来の相殿を合わせて新御本殿とし、昭和58年に完成したもの。
【本殿】
【社務所】
【氏子詰所】
【境内社】
下に降りて行くと境内社がありました。
こちらの境内社は結構歴史があるようでした。
【南・北氏子詰所】
新しい社殿と以前の社殿が両方存在する神社も珍しい。
これはいいものを見せていただいた。
【舞台】
【旧拝殿】
【旧本殿】
【御朱印】
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