今日は醍醐寺で西国さんの御朱印をいただきに京都の山科方面に。
道中、勧修寺の看板を見たので先に寄ってみることに。
宗派:真言宗山階派
御本尊:千手観音
創建:900年(昌泰3年)
開基:醍醐天皇、承俊(開山)
札所:真言宗十八本山10番
【由緒】
昌泰3年(900年)醍醐天皇が若くして死去した生母藤原胤子の追善の為、
胤子の祖父にあたる宮道弥益の邸宅跡を寺に改めたもので、
胤子の同母兄弟である右大臣藤原定方に命じて造立させたという。
胤子の父(醍醐の外祖父)藤原高藤の諡号(しごう)をとって勧修寺と号した。
開山は東大寺出身の法相宗の僧である承俊律師。
代々法親王が入寺する宮門跡寺院として栄えたが、
1470年(文明2年)兵火で焼失して衰退し、
江戸時代に入って徳川氏と皇室の援助により復興された。
車を無料の駐車場に停めていざ参る。
【築地塀】
【山門】
【宸殿】
元禄10年(1697年)に明正天皇の旧殿を下賜されたもの。
【観音堂】
昭和初期の建立。
観音菩薩が祀られています。
【氷室池】
【弘法大師像】
【本堂】
寛文12年(1672年)に霊元天皇の仮内侍所を下賜されたもので、
元は近衛家の建物であったという。
本尊千手観音立像は醍醐天皇の等身像と伝えるが、
現存の像は室町時代頃の作である。
【五大堂】
【石灯籠】
徳川光圀公寄進と伝えられています。
【臥竜の老梅】
京都御所から移つされた白梅で現在は枯れ木になっていますが、
すぐ横に孫木が育っています。
【山桃の老木】
樹齢350年で雷で真っ二つに割れてもなお生きている
生命力の強い老木です。
【紅葉】
【仏光院】
勧修寺の塔頭で御朱印はこちらでいただきます。
【御朱印】
真言宗十八本山専用の御朱印帳を忘れてきたので、
また涼しくなったら訪れたいと思います。
道中、勧修寺の看板を見たので先に寄ってみることに。
宗派:真言宗山階派
御本尊:千手観音
創建:900年(昌泰3年)
開基:醍醐天皇、承俊(開山)
札所:真言宗十八本山10番
【由緒】
昌泰3年(900年)醍醐天皇が若くして死去した生母藤原胤子の追善の為、
胤子の祖父にあたる宮道弥益の邸宅跡を寺に改めたもので、
胤子の同母兄弟である右大臣藤原定方に命じて造立させたという。
胤子の父(醍醐の外祖父)藤原高藤の諡号(しごう)をとって勧修寺と号した。
開山は東大寺出身の法相宗の僧である承俊律師。
代々法親王が入寺する宮門跡寺院として栄えたが、
1470年(文明2年)兵火で焼失して衰退し、
江戸時代に入って徳川氏と皇室の援助により復興された。
車を無料の駐車場に停めていざ参る。
【築地塀】
【山門】
【宸殿】
元禄10年(1697年)に明正天皇の旧殿を下賜されたもの。
【観音堂】
昭和初期の建立。
観音菩薩が祀られています。
【氷室池】
【弘法大師像】
【本堂】
寛文12年(1672年)に霊元天皇の仮内侍所を下賜されたもので、
元は近衛家の建物であったという。
本尊千手観音立像は醍醐天皇の等身像と伝えるが、
現存の像は室町時代頃の作である。
【五大堂】
【石灯籠】
徳川光圀公寄進と伝えられています。
【臥竜の老梅】
京都御所から移つされた白梅で現在は枯れ木になっていますが、
すぐ横に孫木が育っています。
【山桃の老木】
樹齢350年で雷で真っ二つに割れてもなお生きている
生命力の強い老木です。
【紅葉】
【仏光院】
勧修寺の塔頭で御朱印はこちらでいただきます。
【御朱印】
真言宗十八本山専用の御朱印帳を忘れてきたので、
また涼しくなったら訪れたいと思います。
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