春の特別拝観で観智院が拝観出来るので帰宅の途中に寄りました。
目的は東寺のオリジナル御朱印帳を買うのと五大虚空菩薩を拝む為です。
観智院は学僧杲宝を1世として延文4年(1359)に子院として創建。
別格本山の観智院は真言宗全体の勧学院と位置づけられ、
多くの学僧を排出している。
【東寺北大門】
重要文化財。
【山門】
佐々木蔵之介の母校・洛南高校が目の前にあります。
【五大の庭】
客殿南にある枯山水の庭園があります。
弘法大師が唐の都・長安から帰国の途の船旅において海上で難に遭われた時に、
密教法具である独鈷杵を投げると海神が現れ海は鎮まったといわれ、
庭はその様子を描いているそうです。
庭の大きな石は遣唐使船は海神を表わしています。
また築山の石に五大虚空蔵菩薩像それぞれの梵字が刻まれています。
【四方正面の庭】
個人的にはこちらの庭の方が好みです。
重文の五大虚空蔵菩薩像は唐の長安の青龍寺の御本尊であったものを、
874年空海の孫弟子にあたる恵運が唐から請来したものです。
その他、宮本武蔵が描いたとされる「鷲の図」と「竹林の図」も拝見。
墨がかなり薄くなっておりました。
何故宮本武蔵が?と思われる方もいるでしょう。
それはバカボンドでもお馴染み吉岡一門と決闘し吉岡清十郎を倒した後、
報復を恐れた武蔵が身を匿ったのがこの観智院だそうです。
もっとも清十郎は想像上の人物だという説もあります。
武蔵と決闘があったかどうか、
信じるのはあなた次第!
【御朱印】
こちらは東寺の食堂でいただきました。
【食堂】
じきどうと読みますが、
文字通り僧達が揃って食事をするところ。
こちらには千手観音菩薩、文殊菩薩が祀られているが、
その他に一際目に映るのは昭和5年の火事の際に炭化した四天王像でした。
黒く炭化したその姿は本当につらい。
人間のミスでこのような貴重な四天王像が無残な姿になるとは。
本当に残念でならない。
【御朱印】
こちらは十八本山の御朱印帳に書いていただきました。
左は南無八幡大菩薩、右は弘法大師の御朱印になります。
【御朱印帳】
実に渋い御朱印帳です。
思わず衝動買い。
【五重塔】
やはりこちらの五重塔は素晴らしい。
目的は東寺のオリジナル御朱印帳を買うのと五大虚空菩薩を拝む為です。
観智院は学僧杲宝を1世として延文4年(1359)に子院として創建。
別格本山の観智院は真言宗全体の勧学院と位置づけられ、
多くの学僧を排出している。
【東寺北大門】
重要文化財。
【山門】
佐々木蔵之介の母校・洛南高校が目の前にあります。
【五大の庭】
客殿南にある枯山水の庭園があります。
弘法大師が唐の都・長安から帰国の途の船旅において海上で難に遭われた時に、
密教法具である独鈷杵を投げると海神が現れ海は鎮まったといわれ、
庭はその様子を描いているそうです。
庭の大きな石は遣唐使船は海神を表わしています。
また築山の石に五大虚空蔵菩薩像それぞれの梵字が刻まれています。
【四方正面の庭】
個人的にはこちらの庭の方が好みです。
重文の五大虚空蔵菩薩像は唐の長安の青龍寺の御本尊であったものを、
874年空海の孫弟子にあたる恵運が唐から請来したものです。
その他、宮本武蔵が描いたとされる「鷲の図」と「竹林の図」も拝見。
墨がかなり薄くなっておりました。
何故宮本武蔵が?と思われる方もいるでしょう。
それはバカボンドでもお馴染み吉岡一門と決闘し吉岡清十郎を倒した後、
報復を恐れた武蔵が身を匿ったのがこの観智院だそうです。
もっとも清十郎は想像上の人物だという説もあります。
武蔵と決闘があったかどうか、
信じるのはあなた次第!
【御朱印】
こちらは東寺の食堂でいただきました。
【食堂】
じきどうと読みますが、
文字通り僧達が揃って食事をするところ。
こちらには千手観音菩薩、文殊菩薩が祀られているが、
その他に一際目に映るのは昭和5年の火事の際に炭化した四天王像でした。
黒く炭化したその姿は本当につらい。
人間のミスでこのような貴重な四天王像が無残な姿になるとは。
本当に残念でならない。
【御朱印】
こちらは十八本山の御朱印帳に書いていただきました。
左は南無八幡大菩薩、右は弘法大師の御朱印になります。
【御朱印帳】
実に渋い御朱印帳です。
思わず衝動買い。
【五重塔】
やはりこちらの五重塔は素晴らしい。
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