無意識日記
宇多田光 word:i_
 



従来のヒカルの曲はベース・サウンドを全く重視していなかった、という話を以前した。音色上は重視していただろうが、編曲上は"最も突然無くなっても構わない楽器"第1位であり続けてきた。

結果論だがそのサウンドは「ベースを重視しない日本人の耳」に非常にフィットしたものとなった。ヒカルは別に「日本人はベース聴かないから抜いちゃえ」と意図してサウンドを作ってきた訳ではない。以前から指摘しているように、作曲のプロセスにおいてベースの出る幕が無かったからだ。

とすると、まず気になるのは『Forevermore』の曲作りのプロセスだ。なにゆえベースがこんなに強い楽曲となったのか。

『桜流し』もまた"珍しくベースの強い曲"だがこちらは明らかな推理が可能だ。共作者であるポール・カーターのインプットがあの特徴的なベースラインだったと解釈すれば、それ以外のパートはまさに"宇多田ヒカル"であった。今のところ、『Forevermore』の楽曲に関しては共作者が在ったという情報はない。ヒカル単独の作曲である。

これには、正直違和感が拭えないのだ。前に触れた通り『Forevermore』はバンドで作ったような曲構成で、ジャム・セッションから生まれたような自然さを感じる。特にギターは"作曲"というより聞こえてきたフレーズにフィーリングで反応して弾いているようにみえる。

こういった楽曲は、例えば作曲は単独名義でも編曲がバンド名義だったり、或いは真逆に作曲をバンド名義にし編曲を責任者が、という例もある。そういったクレジットが後出しで出てくるかどうかだ。まぁ、わからんわな。

勿論あのベースラインもギターのオブリガードもヒカルが楽譜に書いて演奏者に渡した可能性はある。ならばクレジットも単独で何ら問題はないのだ。がしかし、ベースラインばかりいつも聴いている身としては「初めて本格的にベースラインを書いた割にサマになりすぎている」のが気にかかる…いや、気に入らない(笑)。こんなにうまくていいものか。ベーシストでもないのにさ。

何より、リスキーなのだ。ベース中心の曲は日本人にウケにくい。そんな歌を、よりによって地上波テレビドラマの主題歌という"最も日本人に聴かれる"場所に使ってきた。番組の視聴率からすると、毎週一千万人がこの歌を聴いている。そこにここまでチャレンジングな楽曲を持ってくる。有り体に言って「考えられない」。

しかし評判は上々のようで、またもドラマの後にはiTunes Storeチャートで3位にまで返り咲いている。瞬間風速の順位にどこまで意味があるかわからないが、徐々にこの曲のよさが浸透しているのは間違いない。もっとも、長年のファンからすればドラマの視聴率・ダウンロード数ともども「もっとスケールの大きい話」になって欲しいと、思ってしまうのかもしれないが。視聴率30%のミリオン・セラー&年間総合1位だもんねぇ…。

兎にも角にも『Forevermore』はチャレンジングだ。次回は更にその"日本人には伝わりにくい魅力"についてもうちょっと触れてみたい。



独り言:命日を【今日は何の日】に組み入れる否か、悩んだまま四年が過ぎたのか…来年もきっと悩んでる。

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