無意識日記
宇多田光 word:i_
 



んじゃ『Gold ~また逢う日まで~』のMVの話をちょこっとだけ。

舞台は新宿西口ヨドバシカメラ前とコンビニ。クレーンで上げた場面はやや大久保(新宿駅の隣の駅)寄りなんだそうだが私ゃまだ確認してません。

登場人物は青い衣装を着てクレーンに吊られるHikkiと赤い衣装を着てコンビニ店員をやってるHikki。これが一人二役なのか、それとも同一人物なのかというのがたぶんこのMVの解釈がいちばん分かれる所だよね。

クレーンゲームで景品をゲットするのと、本物のクレーンで吊られるHikkiとの対比もまたこのMVの要点なんだろうな。なお景品が金魚なのは英語で『goldfish』だからだそうな。ほぉ。直訳なんだね金魚って。

景品といったけど、カプセルに入った金魚と、雨漏りを受けてたカップに入ってる金魚の関係性も判然としない。全体的に、夜の風景なこともあって夢の中に迷い込んだみたいな映像だよね。

最後のシーンがコンビニのレジで眠りこける赤Hikkiの場面なので、総ては赤Hikkiの夢だった、というのがオーソドックスな解釈になるのかなぁ。バックヤードで溜息ついてないで、自分も華やかに大空に舞い上がりたいなと。でも大空を駆けてる青Hikkiも結局はクレーンで吊られている存在なので、クレーンゲームの景品と変わりないのだよと。そうなると、衣装からしても青Hikkiは「華やかな業界に生きる人」のイメージかな。水商売とか芸能界とか。赤Hikkiは「地味な世界に生きる人」になるか。現実のコンビニ店員さんはピンキリで、物凄いマルチスキル持ちだったりするけれどそういう現実は置いといて、ステロタイプなものの見方をするとやっぱコンビニ店員は地味な職業よね、ってことで。

青Hikkiと赤Hikkiの関係性としては、「赤Hikkiが青Hikkiの夢を見てる」という解釈の他にもうひとつ、「赤Hikkiのもうひとつの世界線が青Hikkiだったら」というやつも有り得る? 「ifの世界」ってやつだね。それがクレーンと金魚を通して二つの世界が錯綜するというストーリー。最後に赤Hikkiが金魚を見失うのはその二つの世界の繋がりが途切れたからで…って、別世界線も夢寝見も、それじゃあ大して変わらんな…。まぁそんなとこか。

テーマとしては、ヒカルさんが最初に言った「今の私が思う幸福とは何かの歌」に沿ったものだと言えそう。つまり、幸せは追い掛けてもすり抜けていく、消えていくもので、ふと立ち止まって足元を見つめてみようよっていう。青Hikkiは華やかで幸せそうに見えるけどそれは儚くすぐ消えてしまうものでね。んでそれが言いたいが為に一旦足元を空中に浮かせたんだと思うよ。…いやマジで。

ただ、ラストに赤Hikkiがクレーンゲームに埋まってるのはよくわからない。もしかして、青と赤が互いにクレーンゲームの景品なのかしらん。そんな無限階段みたいなことをされてるのだろうか。


…という感じでかなり歯切れが悪いけど、あたしの解釈はそんな感じなのでした。実を言うと何度観てもクレーンで吊られるヒカルさんにヒヤヒヤしっぱなしでこの映像を落ち着いて観られた試しがないのよね私。どれくらいの金額の保険を掛けたんだろうかとか、安全装置は何重だったのだろうかとか、いやもう今元気に過ごしてるんだから実際はかすり傷一つ負ってないんだろうけど、それでも観ていて全く落ち着かないのでありましたとさ。なので多分、どちらかといえば「あんまり観ないMV」に落ち着きそうですわ。クレーンの場面は飛ばして静止画で寝顔を眺めてみたりとか、そんな楽しみ方がメインになっていきそうです。

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コメント
 
 
 
Unknown (プータロー)
2024-03-03 09:28:37
こちらから感想失礼します。このMVって宇多田さんが構図とかに関わってるんですかねー?

私の個人的考えは考えすぎかもしれないですが。

Twitterではその理由は過激なのでこちらで書かせてもらいます。不快だったら消しちゃってください。

理由は何故お母さんが亡くなった新宿西口を選んで、飛び降りたお母さんと対比のように自分は吊り上がってて。(寝ながら宙に浮いてる感じとか)

さすがにこれらの演出をスタッフから宇多田さんに言うのかなーって。
 
 
 
PVと呼ばれてた時代から (i_@BGM:water is wide)
2024-03-03 09:43:54
昔からビジュアル面、フォトセッションとMV撮影ですね、そこら辺りに関してヒカルは「おまかせ」が基本です。被写体として、出演者のひとりとして参加する姿勢ですね。(例外として監督を務めた『Goodbye Happiness』PVなどがありますが)

なので、今回も基本的な構想は監督さんに任せており、よほどのことがないかぎり撮影コンセプトなどには口を出していないと思います。実際に見たわけじゃないけど、現場では単に指示に従っただけだろうなと。

ただ、吊り上げるとなると流石に事前の打ち合わせで確認を取っているものと思われますので(本文にも書いてる通り保険を掛ける場合もあるでしょうからね)、その時点でヒカル本人がイヤだと言えばこのアイデアは採用されていなかったでしょう。なので、通常の解釈であれば「本人了承のもとの演出だった」というところに落ち着くかとは思います。

寧ろ、本人としては、トラウマの克服の為のチャレンジだったという捉え方をしているかもしれません。長らく母の遺影を飾れなかったエピソードも『嫉妬されるべき人生』では歌詞に昇華していましたし。なので、またいつかこのGoldMVの撮影に関して言及してくれる機会があることを祈りましょう。真相はまだ闇の中ですね。
 
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