筆者の出身大学は、年齢、職業、出自同様永遠の秘密である。ペルーのナスカの地上絵やマチュピチュの天空都市がどのようにして作られたのか、千年を経た現在まで謎のままと同じく、それらは永遠の秘密である。
ところで、早稲田、慶応の両大学は、私学の雄として並び称される名門校である。現在では両大学の入試の偏差値はかなり高く、難関校としての地位を確立しているし、その卒業生は多くの有名企業の経営者として名を馳せている。佐渡で早慶上智の出身者だと言えば多分尊敬の念で迎えられるだろうし、そのご威光は、特に市役所に於いて顕著かもしれない。何せ、前佐渡市長が慶応出身だし、その後釜を狙おうとした県議は早稲田出身である。かように佐渡では早慶ブランドは水戸黄門の印籠の如き威力を持っている。だが、筆者が受験生の頃は、早稲田、慶応などはそれこそ、目をつぶってでも受かる程度の大学でしか無かった。こんな事を言うと、前佐渡市長は勿論の事、佐渡の翼中毒症患者達は一斉に目を剥いて怒り出すだろうが、それらは筆者の眼中には無かった大学である。早稲田慶応を馬鹿にできる記事を書けるブログは佐渡広しと言えども当ブログだけであろう。慶応大学は、医学部こそ難関で知られていたが、他の学部は似たり寄ったりの難易度と言うのが当時の筆者らの共通認識であった。ある日の新宿からの帰り道、愛車の横に、ラッピング広告バスが横付けした。ふと見たら、東進スクールと言う名の予備校の合格実績が記載されていた。大学進学予備校はピンキリで、有名大学への合格実績のある大手予備校は、駿台、河合塾、代々木ゼミナールなどで、東進スクールなる予備校のそれらの中での立ち位置は不詳だが、この際、そんな事はどうでもよい。広告には、「旧制七帝大及び4大学連合(東京医科歯科、東工大、一ツ橋、東外大)の合格実績」と書かれていた。そうなのだ、この辺の大学こそが、難関校として認識されていたのが筆者の時代であるが、今でもそれは変らないようである。こんな事を書くと、「翼君は、上記の11大学の出身者なのか?」と思う読者はいるかもしれないし、「いや、翼君は実は三流私大の出身で、高学歴に対する憧れから嘘を書きまくっているのだろう」と思う読者もいるだろう。何度も言うが、読者の想像、妄想は勝手であるし、それぞれにお任せしたいと思う。社長の出身大学で最も多いのは日本大学、次いで慶応早稲田と続くので、今日の記事は全国の社長さんを敵に回すかもしれない。
その昔、ソニーなどの一流企業は、大卒者の採用に際し、出身大学で差別していた時代があった。それが受験戦争を過熱化させ、引いては、二流三流の大学出身ながら優秀な人材の採用漏れと言う弊害を招いた反省から、今でこそ、民間企業では学閥主義は撤廃されたようだが、新潟県庁などでは中央省庁と同じく、いまだに学閥主義が幅を利かせているようである。だからこそ、我が子を一流大学に入れて一流企業や官公庁に就職させようと、親は必死になるのであろう。しかし、筆者の職場にも、早稲田や学習院の卒業生がいるが、この大学を出たのにこの程度なのかと首を傾げたくなるような事例がたびたびある。一方で泡沫大学出身なのに相当な切れ者もいた。どこの大学を出たかではなく、卒業してから何をやったかで評価されるべきだと過去に書いたのはそうした事例を嫌と言うほど見てきたからだ。