佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

i8ロードスターPR動画

https://twitter.com/i/status/988688999794409472

今年を振り返る    投稿者:佐渡の翼管理人

2011年12月31日 00時02分02秒 | その他

今日で2011年が終わる。個人的には良い事が多い1年だったが嫌なことも又多かった。未曾有の大地震の傷跡が生々しく、いまだにそのトラウマが人々の心を蝕んでいるし、原発事故の完全処理は越年となった。当ブログでは調査スタッフがお店や宿泊施設で体験した事をありのままに、率直に素直に記述している。公序良俗に反する事あるいは誹謗中傷以外の事ならば何をどう書こうとも自由である。それは憲法で保障された表現の自由であり、どこからも文句を言われる筋合いはない。「好き勝手な事を書いている」と陰口をたたく輩がいるが、このブログは検閲ブログでもなければ国家統制ブログでもない。さればこそ自由に遠慮なく物が言えるのだ。佐渡在住のブロガー達は、島民からの評判を気にするあまり、自分を飾り過ぎ、良い子ぶった記事しか書けないから面白みに欠ける。匿名コメントの採用を中止し、メールアドレスを付しての討論型の意見送付形式に変えてからは、自分勝手な屁理屈をこねまわした支離滅裂な反論・批判の類は一切来なくなった。「当ブログの表現の仕方がおかしい」などという苦情メッセージはたとえ来たとしても一切相手にしない事にしている。新聞社宛に「紙面の表現の仕方がおかしい」などと苦情を申し立てても、いちいち取り上げていたらきりが無いので相手にされないのと同じだ。更には、送信停止処置、発信者情報開示などという軽率な行動に出る飲食店主も消滅した。本当に繁盛している店ならば、あの程度の記事などは痛くも痒くもなかろう。現に、あれと似たような記事を書いても、東京の一流店などは歯牙にもかけなかった。本当の一流店と言うものは懐が深いのだ。そしてお客様からの御意見と言う物は、すべからく大切にし、それらを経営内容改善に役立てねばならぬ。客からのご意見が気に食わないからと言って、それを潰しにかかるのは経営者としては失格であろう。あれから2年と10ヶ月近くが経過した、ま、せいぜいのご奮闘を期待したい。この店主、佐渡観光協会に頼み込んでパンフレットへの自店料理の掲載や佐渡ワンダー動画への投稿などで必死に宣伝に努めているようだが、そんなものの宣伝効果などは当ブログのネット社会に与える影響度に比べれば取るに足らないものでしかない。だが、これも両津の居酒屋同様、恩讐の彼方にであり、今後のご発展に期待したいと思う。数年経ったらまたぞろ酷評記事を書かれるかもしれないからだ。ただし、その日までお店が存続していればの話だが。。。

 

更に、佐渡ブログアクセスランキング不正疑惑及び著作権法違反容疑店主にとっても今年は散々な一年であったであろう。ランキング不正疑惑を持たれるきっかけになったのは今年1月の突如としての「佐渡の洋書屋店長の挑戦」ブログがランキングの第一位に躍り出た現象だ。当ブログは、当初、これは一過性の現象だろうと大目に見ていたが、8月から9月にかけての異常なまでのアクセス数増加は、子供にでも分かるくらいの急激な変化だったので、さすがに腹に据えかねた。これに気付かない島民はいるはずもないのに、皆さん、身内をかばう独特の島国根性を発揮して誰も何も騒がずにいた。当ブログの盗用問題の時はあれほど上を下への大騒ぎをした島民のくせに、おかしいではないか?案の定、佐渡の洋書屋店長は知らぬ存ぜずの黙秘権行使でほとぼりが冷めるのを待つ戦略に出たし、「ぽ」なるHNで某情報掲示板に頻繁に書き込んでは島民の反応を繰り返し探り続けた。哀れとしか言いようがない。佐渡観光協会はとっくにこの人物に三下り半を突き付けているが、いまだにこの店長は未練たらたらのようである。佐渡観光振興などは貴殿に頼まなくとも十分可能だ。幾らでも人材はいるからだ。貴殿は自身の店と旅館の経営に専念すればそれでいい。「佐渡観光PR行為などには金輪際首を突っ込まず、本業に専念しろ」と言いたい。更に、スナックのママともあろう者が客と喧嘩しているような品の無いスナックなどは早晩潰れるだろう。ブログランキングの順位がじりじり下がっているのは商売が傾く予兆かもしれない。低価格路線の飲み屋が主流の佐渡で高価格帯のキャバクラがいつまで踏ん張れるか?手広く商売を拡大させたツケがじわりじわりと回ってきている気がしてならない。「身の丈に合った商売」「決して背伸びしない商売」これが長く生き残れる唯一の方策だ。ちんぴらやくざまがいの恫喝はったり店主が経営するお店も当ブログとのやり取りが公になったため、あまり良いイメージは残らなかったであろう。次いでに追加すれば、当ブログ所属の調査員の風貌を「眼鏡をかけたハゲ」と中傷する内容の書き込みを行った佐和田の某居酒屋の従業員や中傷の火付け役となった両津の居酒屋の店主などの存在も明らかになった。ブログ発足から4年足らずの間に問題のある飲食店主や従業員が6人も炙り出されたのだ。今後この種の手合いは増えるかも知れぬし、中には反社会的行動がエスカレートし犯罪行為に手を染める連中だって出かねまい。更には当ブログの記事内容を肴にしてツイッターでつぶやくこうるさい外野集団まで現れた。島外の人々はこの現実をどう見ているだろうか?

 

当ブログでは過去に当ブログのスタッフ達とトラブルを起こした飲食店や宿泊施設には絶対にスタッフを再訪させないようにしている。又、特定のお店や組織に肩入れする事を防ぐため、再訪回数は4回までと上限を定めている。当ブログでは全てのお店や宿泊施設を平等に評価している。評価するために必要な経費(東京からの交通費や宿泊費など)は全て自腹を切っている。どこからも補助金などは出ていない。多くの読者諸姉諸兄は「評価結果をブログ上で公表する真の狙いは何なのだろう?」という素朴な疑問をお持ちだろう。私はその質問に答える必要はないと思っている。

 

はっきり言うが、佐渡の飲食店の料理の味のレベルは本土に比較すると総じて恐ろしく低い。無論幾つかの例外はあるにせよ、大抵は観光客を落胆させるものばかりだ。味のレベルの低さは島民の味覚のレベルの低さに起因すると言っても過言ではあるまい。長期間狭い島の中にとどまり、本土の本当に美味い物に接する機会が少なかったから、そのような飲食店しか育たなかったのだろう。それゆえ、食通を自認する都会からやってきた調査員の記述するお料理の味に関する感想に多くの島民や飲食店関係者達は驚愕したのだろう。ブログ発足当初の島民の猛反発は如実にそれを物語っていた。4年もの間、「味が落ちたら酷評されて客足に影響しかねない」、そんな恐怖に晒され続ければ、さすがの太平の眠りを貪る飲食店関係者達もきっと目が覚めたに違いない。来年こそは、美味しいお料理を提供するお店が一軒でも増える事を願っている。佐渡の飲食店店主を含めた佐渡島民並びに当ブログの愛読者の皆様、どうか良いお年をお迎え下さい。


ロイヤルホテル万長(佐渡市相川)    投稿者:佐渡の翼

2011年12月30日 03時13分08秒 | 佐渡のお宿評価

昨年の10月30日、筆者は一年ぶりにこのホテルに逗留した。今回は6階の10畳間を用意してくれていた。ここからは、相川の街並み、道遊の割戸、ワイドブルー相川などがよく見えた。銀寿司から戻り、2階の大浴場に行ってみた。露天風呂は温泉だが、内風呂は温泉ではない旨の記載があった。このホテルでは、飲酒後の事故防止のため、午前0時以後の一人での入浴を禁止している。確かにそうだ、泥酔した状態で入浴すると血圧が下がり過ぎたり、湯船で溺れる可能性もあるからだ。万長さんの気配りはこれだけではない、相川やまき同様、部屋に仲居が挨拶に来て客の邪魔をするような事もしない。万長の起源は相川の豪商「萬屋長蔵」である。その名前から二文字を取り、「万長」と名付けたのだそうだ。農地改革後の昭和25年に、母家をそのまま利用して旅館業を開始し現在に至っている。この万長ブランドの信頼性と信用の高さは島内随一で、島内での就職を希望する娘さんをお持ちの親御さんの中には、まず万長さんで仲居の経験を積ませてから、とお思いの方は多いのかもしれない。

 

翌朝、荷物を車に積み込むため6時50分頃エレベーターに乗ったら、5階から、朝食開始時間までまだ10分もあると言うのに、2階の朝食会場へと向かうおばさん集団が乗り込んで来た。そのうちの誰かが、エレベーターの壁に貼られた「スナック万長」の文字を見て、「スナック ばんちょう」だと言った。巨人の元番長「清原」の出身が関西ゆえ、多分、この冗談を言った客は関西からの観光客であろう。朝食会場には80人ほどの人がビュッフェコーナーにひしめいていた。ホテルの駐車場には筆者を含め4台の車しか停まっていなかったので、そのほとんどは観光バスでやってきた団体客なのであろう。朝食は昨年度と同様、烏賊刺身、湯豆腐、がんも煮、板長特製の卵焼き、焼き鯖、いごねり、わらびの煮物、切り干し大根煮、これらにご飯2杯とお味噌汁。もう少し食べたかったが我慢した。一泊朝食付きのお代は、6870円の安さ!部屋のドアの閉まり具合がやや調子悪かったくらいで、その他のサービスは文句なしの万長さんだった。


銀寿司(佐渡市相川)     投稿者:佐渡の翼

2011年12月29日 04時30分00秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記

相川で、このブログの読者にお勧めできるお寿司屋さんは、りき寿司と銀寿司の2軒だけだそうだ。筆者は10月30日の夕刻にこのお店を訪ねてみた。午後5時丁度にお店にお邪魔した。筆者は2,200円也の特上寿司を注文し、飲み物は生ビールをお願いした。突き出しとして白子のポン酢かけが出てきたが、クリームチーズのような味わいで生臭さなどまるでなく、実に美味い珍味であった。10分ほどで握りが出来上がった。鮪の中トロと大トロ、そしてそれに挟まれたアワビ、そして雲丹といくら、白身は石鯛で、これの隣が鰤、そして甘エビの全8貫だ。いずれもネタの鮮度は抜群で、ネタとシャりの一体感も申し分なしの美味さ!ただ、アワビはこりこりし過ぎており、ちと硬いかなと。この辺は佐和田のりき寿司には及ばない。そして、ここのおやじ、握り終わるとツケ場の隅にうずくまり、タバコを吸いだした。その煙がたなびいて来たので興ざめである。寿司は美味かったが、これはいただけない。禁煙せよとは言わぬが、タバコは厨房の奥へ移動して吸うべきであろう。誰しも気づかないところで見られているもの、油断は禁物である。とは言え、寿司だけではやや物足りなかったので、烏賊の一夜干しをお願いした。これは女将さんが焼いてくれた。「烏賊の一夜干しは相川に限る」が筆者の持論だが、やっぱり新穂の「ありんこ」の方が美味かったよ。お代の3800円を支払い、このお店を後にしたが、食べ終わるまでの小一時間の間、客は誰も来なかった。ただ、週4日しか営業しない、相川天領通りにある手打ち蕎麦の「たておか」のご主人が「出前の寿司はまだか」と催促に来ただけだった。


潟上古城跡(佐渡市新穂)    佐渡の知恵袋解答シリーズ

2011年12月28日 02時58分49秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

次いで、当方は、この専門家おにいさんに対し、「潟上古城跡とはどこでしょう?潟上城跡なら知ってるんです。そんなものはいらないと、そうじゃなくて、潟上古城跡を探して来いって言われたんですよお~」と「全く困ったもんだ」と言うような表情で言うと、しばらく考え込んでいたおにいさんは奥へと消えていき、どこかへ電話をし始めた。ほどなくして戻ってきたおにいさんは、「牛尾神社の手前に長安寺へと抜ける道がある。ここを右折し、しばらく行くと、左手に緑色のタンクが見える。そこを右折すると、道が右へとカーブしており、そのカーブの突き当たり付近に堤のような物が見えますが、それが潟上古城跡だそうです。今、センター長に電話して確認しましたので間違いありません」と言った。

 

早速現場へと向かった。くだんのタンクは緑色ではなく水色だったが、おにいさんの言うとおり、カーブの向こうに、竹やぶと堤のような構造物を発見した。表面に所々緑色の苔が生えていて、年月の長さを物語っており、潟上古城跡に間違いないと思った。この城跡の周辺をカメラに収めてから、車へと戻った。このあたりは田野沢と言うのだそうだ。ちなみに、佐渡なびの管理人さんのお話では、この潟上古城跡は世界遺産推進課文化財室の遺跡等の一覧には掲載されていないとの事で、貴重な発見とのコメントを頂いている。そして久知河内にある城跡が、何故潟上古城と呼ばれるのか?依然として謎は残されたままだ。

http://www.digibook.net/d/4455c17ba05eae942b452847b4302e36/?viewerMode=fullWindow


日吉神社「御旅所」        佐渡の知恵袋解答シリーズ

2011年12月27日 05時04分12秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

この場所を特定するためにはどこで尋ねるのが適当か?観光協会のスタッフが頼りにならないのは相川の黒澤金太郎の窯跡を探した時に実感していたので、史跡に詳しい専門家集団のいる所へ行こうと思案を巡らしてみた。そこで、かつて合併前は新穂村役場で、現在は新穂行政相談センター兼新穂公民館になっている建物へと足を向けてみた。役所ゆえ不親切な対応は覚悟の上で窓口のガラス扉を恐る恐る開けてみると、ジャージ姿のおばちゃんとパソコン画面を見つめるおじさんとがいた。当方が、日吉神社の「御旅所」の場所を尋ねたら、おばさんは、「御旅所ねえ~、さあ~」と言いながら、奥の方へ助けを求めに消えて行った。程なくして専門家の眼鏡お兄ちゃんがご登場!新穂の地図をパラパラとめくりながら、清水寺へと向かう道を指差しながら、「ここを南下するとすぐに三角形状の場所に出る、そこを右折してすぐの所に「御旅所」があります。石が積んであるのですぐに分かる」とすらすらと答えた。意外にも対応は適切かつ迅速かつ丁寧であった。

 

早速、教えられた通りの場所に赴いた。あったあ~。確かに石が積んであり、その上がビニールシートで覆われている。「御旅所」とは日吉神社の山王祭りの神輿渡御の際に途中で休んだ所とされているが、神輿が納まる程度のスペースを備えた掘っ立て小屋のような感じである。中を覗いたら農作業用の道具が納まっていただけ。だが、この小屋の前には石仏、石碑(芭蕉句碑(唐崎塚)か?)、石燈籠、城の石垣の名残、木製の鳥居などがバランスよく配置されていて、何だか、昔、この地に神社やお城が存在した事を想像させるような光景であった。

http://www.digibook.net/d/da548bdb80dc8494bb872247d433ef70/?viewerMode=fullWindow


下新穂観音(佐渡市新穂)    佐渡の知恵袋解答シリーズ

2011年12月26日 04時18分54秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

下新穂観音は、下新穂集落へ行けば何とかなるだろうと思い、楽観した気持ちで現地へ向かった。こうした気持ちを持つ事が功を奏していると思う。何故なら、発見できればめっけもの、発見できなくて当たり前と言う気分でいられるからだ。下新穂のバス停付近に車を停め、近辺の民家に入って道案内を請うた。出てきたおじさんは、新穂城跡の茶色の標柱を指差し、「あそこを右に入る、すると両脇が、はす池になっている昔のお堀跡に当たる場所に出ます。そこを左折してすぐ右手にありますよ」と教えてくれた。何だ下新穂観音は新穂城跡の近くにあるのか。意外と簡単に見つかった。佐渡の知恵袋解答シリーズの樹木部門は解答作業にかなりの時間を割かれるし、天候不良の際は、作業を断念せざるを得ない。しかるに観音堂シリーズは、集落の人に尋ねさえすれば、必ず発見できるし、その自信がついた。今回で、観音堂シリーズは全問正解となったが、場所が明らかになっている佐渡西国三十三観音を訪ねる旅も面白そうだ。この企画は「佐渡遍路巡り(佐渡八十八箇所霊場案内)」の次の企画として佐渡テレビがやるかもしれない。

http://www.digibook.net/d/9fc5e9fba0daacdd2360aac538216f64/?viewerMode=fullWindow


田切須の大ツバキ(佐渡市田切須)     佐渡の知恵袋解答シリーズ

2011年12月25日 03時30分07秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

これは難問の上に「超」が5つくらい付くほどのスーパー難問であった。自分でもよく見つけたなと感心しながらその過程を思い返している。田切須と冠している以上、田切須集落に行けば何とかなるだろうと思い、国道沿いの「田切須バス亭」の真向かいの空き地に車を停めた。このバス亭の背後に立派そうな外観のおうちがあったので、そこで案内を請うた。おばさんが出てきたので「田切須の大ツバキの場所」を問うてみた。おばさんは「ああ~、あの「うえむら」さんのお宅のツバキね。ちょっとおとうさん、うえむらさんへの行き方を教えてやって」と奥の方へ呼びかけた。するとおじさんが現れ「あのねえ~、その国道をしばらく行くと、左手に入る道がある。そこをしばらく行くと十字路に出る。そこを左折する、左折すると右手にデイサービスの建物がある。そこを過ぎたら果樹の出荷場があるのでそこを右折する。すると道が二手に分かれていて、右が平らな道、左が登りになっている。登る道へと入り、2軒目のうちにある。あそこには家は4軒しかないのですぐに分かるよ」と事もなげに言った。そして去り際におばさんが「大ツバキは隠すようにして立っている」と妙な事を言った。隠さなければいけないほど貴重な樹木なのだろうと、その時は思った。そして、おじさんに教えられたとおりに進むと、やがて道路工事の場所にぶつかった。前進するのを中断し、一旦車を道路脇に停めた後、ふと左手を見たら、「天然記念物指定 田切須のヤブツバキ林」と言う標柱が見えた。こんな所にくだんの大木があるわけがないので、近くの民家に立ち寄って確認したら、もう少し先に行くと十字路があるのでそこを左折しろと言われた。再び車を発進させて前進を開始。右手に「朱鷺の餌付けの場所記念碑」なるものを見つつ進むと十字路が見えた。左折してしばらく行くと右手に保育園、左手に小布施神社が見えた。何だ、佐渡百選の小布施神社の近くにあるのか。そう思い、この神社の駐車場に車を停め、徒歩で向かった。

 

すると、おじさんの言うとおり、果物の出荷場があり、ここを右折したら道が二つに分かれていた。教えられたとおり、左手の上り坂を登ってみた。そして2軒ほど家屋を過ぎたが一向にツバキの大木らしきものは見えて来ない。不安に駆られていたら、これぞ天佑とばかりに、左手に「いずみ農園」の看板が見えた。人の気配がしたので、迷わず飛び込むと農園経営のご夫婦がいた。HP上の田切須の大ツバキをカラー印刷した物を見せると、おじさんは「あなたはどこから来たの?そして何の目的でそこへ行きたいの?」と問うてきた。おばさんがすかさず「この家の大ツバキには最初案内看板があったのですが、皆さん、ツバキの花を盗みにくるので、大家さんがたまりかねて、看板を取り払ってしまったんです」と言った。なるほど、これで、最初に案内を請うたおばさんが「隠すように立っている」と言った意味がようやく分かった。当方が「東京からやって来ました。佐渡の銘木・巨木を訪ね歩いているのです。今日はツバキの花を取りに来たのではなく、写真を撮りに来たのです」とウイットに富んだ返事をしたら、おじさんは大笑いをしながら、「言葉で説明しても場所は分からないと思うので、私が車でご案内しましょう」と親切に申し出てくれた。りんごの収穫で一番忙しい時期なのに、本当に申し訳ないなと思いながらもおじさんのご好意に甘える事にした。おじさんは車でものの数分もしない所で車を停め、右手の藪の中へと入っていった。本当に素人では絶対に分からない場所である。おじさんの後を追うと、暗がりの藪の向こうにほんのりとした明かりが見えた。すると田切須の大ツバキの全貌が姿を現した。あったあ~、HPの写真と寸分違わぬ大木だ。まごうかたなき田切須の大ツバキである。藪の外に出て、真正面からこの大木を写真に収めた。おじさんが「樹齢どれくらいですかねえ~?」と問うたので「700年です」とHP記載の文言をそのまま伝えた。おじさんは「どうぞゆっくりと撮影していって下さい。じゃ、私はこれで失礼します」と言い残して立ち去った。当方は「お忙しい中、本当に有難うございました」とおじさんの背中に向かって何度も頭を下げ礼を述べた。世の中にはこんな親切な人がいる。佐渡観光まだまだ捨てたもんじゃないですよ。

http://www.digibook.net/d/7ac5c71380dd8edc3ba33a7558332e22/?viewerMode=fullWindow


カーフェリーが着岸不能なのは     投稿者:佐渡の翼

2011年12月24日 03時36分58秒 | 佐渡汽船

しばしば、強風の際に、カーフェリーが両津港に着岸できず、湾内で風が収まるのを待ち続け、到着が大幅に遅れる事がある。筆者は幸いにしてそのような災難に遭遇した事はいまだかつてないが、何故着岸できないのだろう?いつも不思議に思い、是非共そのような場面に遭遇し、その時の船内の様子をつぶさに取材した記事を書きたいと思い続けている。

 

以下はあくまでも筆者の予測に基づく記事である。筆者は、昨年の11月3日の午前8時半頃に、おけさ丸が両津港に着岸する様子をつぶさに観察してみた。カーフェリーは通常、港の岸壁の手前、数十メートルの所あたりからエンジンを切り、慣性の法則に従い、惰性で航行する。そして、岸壁先端から1メートルほどの地点に近づいた所で、船上の乗り組み員が3本のロープの先端部分を岸壁に向かって投げ下ろす。地上部隊がこのロープを5人がかりで引っ張り、逆L字型の船つなぎ用構造物にひっかける。カーフェリーがこれをウインチで巻き上げて、自身の船体を岸壁に引き寄せて接岸させる。ところが強風時には、惰性での航行が不可能になる。風で船体が押し戻されるからだ。ならば前進スクリューを回して船を前進させればいいのではと思うだろうが、それをやると、今度は船体が岸壁に激突して岸壁に食い込みかねず、にっちもさっちもいかなくなる。だから着岸できないのではないだろうか?あの巨体だ、船首が岸壁に激突したら、それこそひとたまりもあるまい。船には車のフレーキに相当するものがない。船体を後退させるための逆噴射スクリューはあるが、ブレーキのような細かな調節ができないのだろう。かくて着岸は風任せで、風さえ収まれば嘘のようにスムーズに着岸できる。

 

両津港ターミナルは眼の前に見えているのに、風が収まるまで、湾内待機を余儀なくされるつらさともどかしさは経験した乗客以外には分かるまい。逆に新潟港は、船尾部分を岸壁に接岸させるので、強風による着岸不能は生じないのであろう。


フレンチ「アビアント」(山の上ホテル内)       投稿者:佐渡の翼

2011年12月23日 04時29分48秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記

佐渡には当ブログに支配されているも同然の二人の人物がいる。彼らは当ブログにどのような記事が掲載されるのかが気になってしょうがないので毎日当ブログを覗かざるを得ない状況下に置かれているからだ。一人は当ブログの不倶戴天の敵である、佐渡ブログランキングアクセス不正疑惑輩である。当ブログの管理人氏は著作権法違反容疑での告訴を断念したわけではない。何故なら、彼は、このブログランキング史上に汚点を残したからだ。もう一人は佐渡観光関連ツイッターでぶつぶつこそこそつぶやく小心者のへらへらうすら笑い輩(hira2400のHN)である。しかも「いい店だけを紹介しろ、駄目な店の記事は掲載するな」と暴君的つぶやきをし、当ブログと関わり合いを持ちたくないと言いながら、しょっちゅうちょっかいを出したがる、軽率おやじまで引き連れている。この輩、ずうたいはでかそうだが言う事はそれに似合わず小粒だ。そして盛んに、当ブログと仲良くしたいと秋波を送ってくるが、冗談ではない、筆者にはそんな人物を相手にする趣味などはない。そしてこの大言壮語な輩は、当ブログの記事内容を妄信する読者がけっこう多いとつぶやき、その読者の読み書き能力を疑うとまで馬鹿にし、侮辱している。信じる信じないは個人の自由であり、文章読解力とは何の関係もないことで、筆者はむしろ、この輩のリテラシーそのものを疑いたい。それに、実際に食べに行ってみて筆者と同じ感想を抱いた人は当ブログの記事内容を信じるだろうから、当ブログの信者が増えるのは別に不思議でも何でもない。ツイッターの操作方法などはいとも簡単だが、ツイッターはリアルタイムな情報発信には適しているが、字数制限があり、デベートのツールとしては役立たない。だからツイッターなどの小手先のツールは相手にしないのだ。この輩、年末年始は心穏やかに過ごせまい。年明けには驚愕する内容の東京地裁からの召喚状の到着が待っているからだ。はったりだと思って笑ってつぶやいていられるのも今のうちだ。この輩は毎日びくびくしながら郵便受けを覗かなければならないし、出張していても自宅から出先に電話があるたびに、どきどきしなければならないだろう。気軽につぶやいた代償は高くついたし、とんだクリスマスプレゼントになっただろう。

 

当方はきちんと取材した上で記事を書いているのに「取材していない」と事実に反した事を言い、そして事実を述べているのに「事実じゃない」と繰り返しつぶやいて当方を中傷している卑劣な輩だ。誠にもって許しがたく、腹に据えかねた。ふざけるのが度を越しており、節度あるつぶやきをすべきなのに調子に乗りすぎて不用意である。そして当方の事を「ネットちんぴら、三文記事記者、便所の落書き者」などと言い、侮辱までした。その言葉は貴殿にこそふさわしかろう。貴殿の主張はツイッターなどではなく法廷の場で明らかにすべきだ。「当ブログの記事内容が事実に反する、正確ではない」と主張したいのなら、堂々とメールアドレスを付して当ブログ宛にメッセージを送信すればいいではないか。それをせずに、ツイッターでこそこそつぶやくのは、某情報掲示板にこそこそ書き込む連中よりも更に卑怯で卑劣である。それとも貴殿はツイッターはできるがメールの送信方法は知らないとでも言うつもりか?ツイッターは口でしゃべるのとは訳が違う。記録に残るし、削除してもログは残る。一端つぶやいたら最後取り返しがつかないのだ。気軽に、からかってやれなどとゆめゆめ思わぬ事だ。当ブログはこの輩に「無責任につぶやいてもらっては困る」と苦情を言ったが「気にし過ぎ」と無視されたので、当方のプライドはいたく傷ついた。それゆえ強硬手段に打って出る事にした。自身はそう感じなくても、言われた相手はその言葉を誹謗中傷と感じ、傷つく事はいくらでもある。だからネットでの発言と言うものは怖いし、その発言には責任を持たなければならぬ。それは匿名であろうが実名であろうが同じ事だ。当方は、この輩の他人に対する配慮を欠いた軽率な社会的行動を許す事はできない。法廷闘争となれば、そのうち、「佐渡観光のイメージが悪化するだけなので、あのブログに関してはつぶやかないでくれ」と佐渡観光協会からこの輩に圧力がかかるかもしれない。いやかけるべきだろう、何せ懲りない輩だからだ。ひょっとしたら現在の職の任も解かれるかもしれない。触らなければたたりは無かっただろうに。。夕刊フジ流に言えば、当ブログがこの輩に二度ほど抗議をしただけで、“らしくない”沈黙を守っていたのは、まさに裁判に備え真っ向勝負の戦闘準備を整えていたからだ。案の定、この輩、毎日びくびくしながら当ブログを覗きにやってきた。このつぶやき輩、意図しなかったとは言え、結果的に他人の心を傷つけていたのだ、まずは、ブログの管理人氏宛に謝罪文を送付するのが常識ある一般社会人として取るべき行動だろう。ゆめゆめ、「あれで名誉毀損?(爆笑)、勉強不足」などとふざけたつぶやきを繰り返さない事だ。

 

取材とは、新聞記者などが記事を書くための、情報収集を意味する。その情報の中には、取材対象を見たり、それに関する関係者の話を聞いたりして得られる情報の他に、ネット検索や文献を渉猟して収集した情報も含まれる。それらを基にして、記者の推測や意見、主張を取り混ぜて記事を仕上げていく。筆者の記事は全てそれらの段階を踏まえた上でのものばかりだ。管理人氏が中傷により名誉を毀損されたとして、意見論評型基礎事実に基づく民事名誉毀損の告訴手続き対象としている「つぶやき輩」は、2011年11月11日の「佐渡汽船の一等料金で特等に乗る裏技」の記事に対し、「また取材していない」とつぶやいた。この記事は、何十回となく佐渡汽船のカーフェリーの特等に乗船した体験から編み出した筆者のアイデアを披露し、不正防止を狙って書いたものである。この場合の取材対象は佐渡汽船の特等室である。特等に乗船し、乗組員が一度も検札に来なかったと言う実態を経験した者でなければこのような記事は書けない。つまり「取材していない」どころか丹念な取材があったからこそ、このような不正手口の発見とその防止策に関する提言記事に繋がったのだ。告訴状には、こうしたつぶやき輩の不用意なそして事実に反するつぶやきで名誉を棄損された事、及びそのつぶやき内容に対する反証を全て記載する予定だ。たとえ名誉毀損には問えなくとも、侮辱罪相当には問える。「相手の意に沿わぬ事を言えば直ちにそれを抹殺しようとする、まるでどこかの国の独裁者のようだ」と某情報掲示板に陰口を書き込む輩が出て来るだろうが、一切構わぬ。管理人氏は実名開示の上での訴訟に腹を固めたようである。

 

更に、つぶやき専門おやじも的外れなつぶやきを繰り返している。筆者は、隠れた佐渡の史跡を発掘する事に於いて、佐渡観光発信に協力しているつもりだが、佐渡の飲食店評価などは佐渡観光振興とは何の関係もない。佐渡の飲食店のレベルが向上したところで直ちに観光客が増える訳ではないからだ。それに筆者は何らかの目標を達成するためにこのブログ記事を書いている訳ではない。あくまでも個人の一道楽にしか過ぎないのに、つぶやきおやじは甚だしい勘違いをしている。貴殿も痛い目に合わないうちに大人しくした方が身のためだ。へらへら輩に付和雷同してつぶやけば、貴殿とて地獄を見るだろう。

 

さて、そんな輩のつぶやくざれ事などはさておくが、こんな輩が佐渡観光の旗振り役を努めているのだ、観光客数が年々減少するのは当然だろう。そしてこんな輩を放置する佐渡観光協会の組織自体の常識性や、引いてはそこへ補助金を注ぎ込む佐渡市観光課の監督責任だって問われかねまい。筆者は、11月中旬のとある日、お茶の水にある山の上ホテルに向かった。山の上ホテルと言えば天麩羅の名店「山の上」で有名だが、私大の名門明治大学の近くにある。この明治大学、今でこそ偏差値が上がり合格しにくい大学になっているが、筆者が受験生の頃はさほど偏差値の高くない合格し易い大学だった。

 

筆者は、山の上ホテル別館1階にある、ワイン&レストラン「アビアント」を訪ねてみた。午前11時15分丁度にお店にお邪魔した。筆者は前菜(ツブ貝のソテー)、メイン(金目鯛のポアレ、サフラン風味)、デザート、紅茶から成るプレフイックスAコース(3150円)を注文した。10分ほどで前菜が運ばれてきた。ツブ貝の旨みを上手く閉じ込めてあり大変に美味しい。サラダのお野菜は質のいい物を使用しているため、軽くドレッシングで合えるだけでいい。メインの金目鯛のポアレ(画像)はサフラン風味のバターソースが抜群の引き立て役になった極上の一品!かぼちゃパンで皿のソースを全て拭って食べ終えた。デザートはマーブルシフォンケーキと柿・梨・パイナップル。ケーキには生クリームがたっぷり塗られていたが、全部食べてしまった。サービス料込みのお代は3465円。天麩羅だけではなくフレンチも期待に違わぬ、名門山の上ホテルだった。


紋兵衛坂(佐渡市相川)    投稿者:佐渡の翼

2011年12月22日 02時55分43秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

紋兵衛坂とは有名な山師、関原紋兵衛の住まいがあったところから名付けられたそうだ。すっかり寂れた羽田商店街に坂の案内看板がある。丁度閉館した佐州館の右隣が坂の登り口になっている。この佐州館、作家の太宰治が逗留した宿として有名だが、これを歴史的建造物として保存するために、その改修工事が佐渡市の発注で行われていた。受注業者は近藤建設で、近藤島の面目躍如であった。坂の石段は比較的新しく、往時の面影をとどめる物と言えば、坂の両脇にそそり立つ樹木群であろうか?巨木のような物もあり、樹木好きにはけっこう面白い坂である。風が吹くと、一斉にこれらの樹木の木の葉が揺れて、さわさわとした音を立てる。いろんな鳥がさえずり、遠くからは清水がちろちろと流れる静かな音が聞こえてくる。相川の他の坂同様、ゆったりとした時間が流れている。坂の脇に空き屋が目立つのは相川特有だが、地蔵や無縁仏の墓などは見当たらなかった。この坂を登りきって左手へと向かうと京町通りへと到る。

http://www.digibook.net/d/5e04c75fa09ba491b74028d130216e60/?viewerMode=fullWindow


カフェテラス「四季」のグラタンのお味    投稿者:佐渡の翼

2011年12月21日 05時28分42秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記

佐渡の翼の目の前で「佐渡の翼ってブログ読んだ事ある?」などと言う会話が交わされたらどうしようと思いながら、おばさん達の会話を聞くのに夢中になっていたら、10分程でグラタンが出来上がった。グラタンが出来上がるまでの間、マスター氏はカウンターの内側と外側を行ったり来たりしていたので、このグラタンはママさんが調理したのかもしれない。グラタン、パン、サラダ、ヨーグルトのセットである。まずパンを一口齧ってみた。ふわふわで柔らかくしかも焼き立ての暖かさ、思わず美味しいなあ~と、唸ってしまった。次いでグラタンを食べてみた。マカロニ、きのこ、芝海老が入ったチーズグラタンだ。ホテルオークラのグラタンを食べつけた舌の尺度でちょっぴり嫌味を言わせてもらうと、少お~し、チーズの濃厚さと言おうかコクが足りなく、やや水っぽい感じがしないでもないが、ま、島内のグルメ女性達の舌を満足させるのに十分な味である。ヨーグルトはプレーンだがストロベリーソースと混ぜて食べるとイチゴヨーグルトのような感じで美味しくてこれも全部食べてしまった。結局何だかんだ言いながらも完食してしまった。つまり美味しかったと言う無言の証拠なのだ。

 

食後の歯磨きにとトイレに入って行くときに、右手の厨房の中でマスター氏がパスタを仕上げている姿が見えた。そうかあ~、パスタ系はマスター、グラタン・ピザ系はママさんと言う役割分担があるのかもしれない。トイレに入ってびっくりしたのは、トイレの個室の中に手洗い場が併設されていた事。これはなかなかポイント高いです。便座除菌クリーナーまで設置してあり、衛生面の配慮はバッチリであった。このサンモールショッピングタウンの敷地内にある飲食店街、回転寿司の実力のほどは知らないが、ファンタオ、アルコーイリス、そして四季さんの3軒は観光客や地元の人を満足させるのに十分なほどの味のレベルを維持していた。筆者の評価は★★。久し振りの星付きレストランの登場である。さすがは腐っても鯛、両津であった。


カフェテラス「四季」(佐渡市両津)    投稿者:佐渡の翼

2011年12月20日 03時35分53秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記

両津のサンモールショッピングタウンの右隣に回転寿司の「大八」さんがあり、その二階にカフェテラス「四季」がある。「四季」さんのお隣はジェリービーンズなる美容室である。筆者は、カーフェリーから降り立った10月30日の午後12時10分頃にこのお店にお邪魔した。店内はこ綺麗で、タバコをふかす地元の腹出りおじさんさえいなければ、田舎臭くない洒落たカフェと言う感じであった。その雰囲気と洋風メニューの多さから地元の中年女性には大人気のお店らしく、おじさんを除いた先客は全員中年おばさん達であった。布製の4人掛けのテーブル席が4卓と6人掛けのそれがL字型に置かれ、入り口付近には6人掛けのテーブル席が2卓置かれ、6席からなるカウンター席、そしてカウンター席とネット接続のパソコンが置かれたテーブルの間に4人掛けのテーブル席が2卓ほどあり、広々とした感じのカフェ兼洋食屋と言った趣であった。筆者はパソコンの隣のテーブル席に座り、メニューを広げようとするこのお店のママさんの手を制し、このお店のお勧めメニューである「グラタンセット(1200円)」を注文した。このママさん、上品で気品のある端正な顔立ちをしていらっしゃる。マスター氏は、「そいのん」に掲載された写真と同じ格好をした細見の男性であった。そして若おにいちゃんの3人でお店を切り盛りしていた。家族3人で経営してらっしゃるのだろうか?1階に置かれたメニューボードには「グラタン、パスタ、ピザ、ピラフ、ハンバーグ」などの文字が並んでいたので、洋食中心のカフェなのであろう。

 

注文後、グラタンが出来上がるまでの間、筆者の右斜め前方にいた40代後半とおぼしきおばさんと、後姿はどうみても60代のおばさん二人組の会話を聞くとはなしにではなく、耳をそばだててよお~く聞いてみた。両津で評判の二つの飲食店の話題に関する会話だったからだ。一つは今一番勢いのある両津漁協近くの「ヘブンズキッチン」さん。このおばさん、「店内はそんなに広くはなく、カウンターもこのお店の半分くらいかしらねえ~、三つのテーブル席があり、ランチは二種類から選べて、どちらもベーグルが付いてくるのよ。女性一人で切り盛りしているんだけれど、なかなかこだわりがあるらしくって」と言い、「でもパスタは美味しいのよ」と続けた。どうやら「ヘブンズキッチン」さん、両津の佐渡市民の女性達の間での評判は上々のようだ。だが、「おばさあ~ん、「サルバトーレクオモ」や「マキャベリ」の繊細なる高級パスタを一度味わって御覧よ、パスタ感が180度変わるから」と、筆者は心の中でつぶやいてみた。40代後半のグルメおばさんは更に、「潟端にねえ~、完全予約制のフレンチレストランがあるの、民家のような所でね、30代の夫婦がやっているらしいんだけど、一皿、一皿、ゆっくり時間をかけてお料理が出てくるの。1時間くらいかけて食べるわけよ。結婚記念日とか何かのお祝い事の時に予約するといいのよねえ~」と言ったが、「でもあたし、行った事がないので場所がよく分からないの」と続けた。「講釈師見てきたような嘘を言い」と言う川柳があるが、このおばさん、行った事もないくせに、口コミで、これだけの内容を見事におばさん相手に披露に及んでいた。かくして佐渡の大人の隠れ家レストラン「清助」の名声は佐渡じゅうに拡散していくのであろう。佐渡なびにリンクされたデジブックを見れば、道案内や地図などは一発でわかるのだが。。。どうやらこのおばさん達、当ブログを愛読する人々ではなさそうであった。


筆者の佐渡訪問の頻度     投稿者:佐渡の翼

2011年12月19日 04時31分23秒 | 佐渡の翼の独り言

既にお気づきの読者は多いと思うが、筆者の職場は土曜日もall day longの営業である。従って、宿泊を伴う遠出ができるのは日祝日に限られる。年次有給休暇は10日ほど取れる規則にはなっているが、取得できるのはせいぜい4日が限度である。これ以上休むと、片付けなければならない仕事が貯まり過ぎてにっちもさっちもいかなくなるからだ。それゆえ、佐渡での滞在日数は年間で30日ほどにしかならない計算になる。この30日間で佐渡のマイナーな観光資源の発掘を中心とした作業をこなさねばならないのでスケジュールは分刻みと言っては大げさだが、そのくらいの過密さである。佐渡の知恵袋に解答するためには、綿密な下調べが必要だ。特に地図も情報も何もないような難解な設問の解法テクニックは、尋ねるべき地元の人を選択する眼力である。これは現地に赴き、その場の直感で選ぶ以外にはない。そして限られた時間内で島内を効率よく回る算段をせねばならないので、けっこう手間隙のかかる作業でもある。更には登山道まで歩かないと解答できない問題まであるので、トレッキングシューズなどの装備を整える必要があり、金もかかる。

 

しかしま、そうした努力の成果の集大成がこのブログである。佐渡には関係のないネタ記事の時でもかなりのアクセス数があるのは、膨大なそうした過去記事の蓄積ゆえであろう。閲覧を有料制にしてもアクセスしたくなるような情報が含まれたブログだと自負している。営業目的ではないのに何故こんなに頑張るのか?「それが趣味だからさ」と答えておこう。


吉田松陰詩碑(佐渡市真野)   投稿者:佐渡の翼

2011年12月18日 02時10分06秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

真野御陵入り口の右手前に吉田松陰の詩碑がある。東宮家の石碑の右隣にあるが、大抵の観光客は知らずに通り過ごしてしまう佐渡の隠れた史跡である。吉田松陰とは勤皇の志士の一人である。グーグルで「勤皇の志士」をキーワードにして検索すると、以下のような趣旨の文章にヒットする。それを分かりやすく改変し引用してみた。

 

「勤皇の志士とは、要するに、「天皇を封建的身分制度の頂点に置く尊皇思想」を持つ武士の事である、更に、幕末になり、社会が混乱する原因となった、 ペリーなど外国船の来航による国政の混乱、十二代将軍家慶の急死、続く十三代家定も三十四歳で病没し、世継ぎがなかったために、 将軍継承問題が表面化した。これに、補佐役の老中たちの無能さ、 天保の大飢饉などによる社会の興廃が重なり、政情は極度に不安定となった。さすれば現状への不満が噴き出すのは世の常である。こうした時代を憂いた志のある武士たちは、 従来からあった尊皇思想に、 外圧を排除しようとする攘夷論を結びつけ、 尊皇攘夷論を唱え始めた。各地から脱藩した志士たちが京に集まり、 各地の志士と交わっては政局を論じ、藩という垣根をとりはらって政治理念を拡大していった」

 

以上は、日本史の教科書ならどこにでも書かれている近代史に於ける歴史的事実であり、まずは歴史内容を一通りおさらいしておこう。

 

さて、この吉田松陰と宮部ていぞう(ていは難しい字を書く)が、1852年2月に真野御陵を参拝した際に詠んだ悲憤慷慨の詩を彫った石碑が真野御陵前にある。ところが「隠れた佐渡の史跡」と言う本をいくら読み下してもこの漢詩の意味する事がよく分からないのだ。そして勤皇の志士と佐渡とがどのような関連があるのか?何の関連もなく、ただ、尊皇思想を持つ勤皇の志士達が旅の途中に佐渡島に立ち寄り、尊崇する天皇家に連なる順徳上皇の史跡の前で足を止め、漢詩をしたためただけの接点でしかないのか?だが、飲食店に対する外部からの批判を避けようとする島人の性格は、勤皇の志士達の攘夷論と相通ずる物があるのかもしれまい。

http://www.digibook.net/d/d34585fb915c8e91b3c0a0d12c3aee64/?viewerMode=fullWindow


喫茶「トレイン」(佐渡市河原田)     投稿者:佐渡の翼

2011年12月17日 04時24分47秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記

以前、中華料理の「潤采」さんがあった場所を居ぬきで借り上げ、この喫茶店を開業したようだ。喫茶店とは言え、ランチ時には軽食や定食物なども提供しているし、今年の夏には夜間に岩牡蠣を使用したオイスターバーを運営し、喫茶&レストランといった感じである。午後2時を過ぎた頃に、筆者は休憩がてらこのお店に入ってみた。店内は、「潤采」時代の内装をそのまま活用している。椅子や席の間取りはほぼ同じで、潤采」時代に8人掛けの大テーブルが置かれた場所には、4人掛けのテーブル席が二つ置かれていた。筆者は、このテーブルに座り、400円のアイスコーヒーを注文した。カウンターの内側には、調理担当の黒いTシャツを着た若いおにいちゃんと、お運び担当の眼鏡をかけた若いおねーさんとがいた。ご夫婦で経営なさってらっしゃるのだろうか?先客は、ジャージを着た地元の女子中学生4人組、子連れの母親二人組、おばさん二人組であった。遅れて、地元の若いカップルが現れてカウンター席に座った。

 

入り口前の掲示ボードには、牛丼、アジ及びブリフライ定食、牛すじ丼、牛すじカレーなどの文言が並んでおり、この他に、クレープ、ケーキ、パスタ、ピザなどもあるようだった。要するに、洋食屋と喫茶店を合体させたような代物だ!お味の方は佐渡の都さんに任せるとして、客層といい、内装といい、昔の中華料理屋のイメージが払拭できないため、お洒落とはいいがたく、昼下がりに子連れのママ達が遅めのランチを楽しむ、そんな庶民的なお店のようであった。このお店の経営者はサーフインがお好きらしく、その手のフリーペーパーなどが置かれていた。おねーさんに聞いたらば、冬こそ牡蠣のシーズンなのに、冬のオイスターバーを営業する予定はないそうである。   


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「佐渡の翼」の記事内容は、調査スタッフ個人の、お店や宿泊施設に対する感想や意見を記述したものです。これらは、すべての読者が感じる内容とは必ずしも一致しません。「佐渡の翼」に掲載された記事を参照した後、読者ご自身の判断で行動した結果、生じた損害・損失について、当ブログは一切責任を負いかねますのでご注意下さい。更に、お店の外観写真やメニューはあくまでも取材時点でのものであり、最新情報とは必ずしも合致しておりません、重ねてご注意下さい。佐渡島内の焼肉屋と焼き鳥屋は調査の対象外です。これらのお店に関する情報をお求めの方は「佐渡なび」(http://www.sadonavi.net/)にアクセスしてお調べ下さい。なお、当ブログで紹介後に営業を休止したり廃業した飲食店は、宿根木の日本料理の名店「菜の花」(2013年4月に東京上野桜木で再オープン。電話番号:03-3827-3511)、小木の新保屋食堂」、佐和田の居酒屋「侍」、佐和田の中華料理「潤采」と「洛陽」、佐和田のラーメン大学「かねふく」、佐和田のラーメン店「燕人」、佐和田の喫茶店「トムキャット」、佐和田のイタリアン「バール・フェリチータ」、佐和田の「石川食堂」、佐和田のラーメン屋「げんき家」、佐和田のキャバクラ「パレス」、八幡のスナック「メンソーレ」(カラオケ、ココルに変身)、二見のラーメン屋「二見食堂」、真野の「寿司正」(後継は洋風のお店になる模様)、相川の「りき寿司」、相川ののら犬カフェ、金井の蟹料理専門店「かにっこ」、金井の食堂「ランチ@さとにわ」(佐和田へ移転)、金井のスナック「花音」(スナックyy'78に変身)とスナック「リバーサイド」(居酒屋兼食堂:クッチーナに変身)、畑野の食堂「菜花村」、両津の喫茶&レストラン「アン」、両津のファーストフードの店「マックス」、両津の「彩花停」(海結に変身)です。なお、紹介後に閉館したホテルは小木の「ニュー喜八屋」、佐和田の「シルバービレッジ」(改装され、ホテル浦島東館として再スタート)、相川のホテル「さどや」、えにしの宿「新ふじ」、相川やまきホテル。廃業した旅館は、小木の「ごんざや旅館」と相川の「中山旅館」です。 2018年8月10日現在の情報に基づいています。

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