佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

i8ロードスターPR動画

https://twitter.com/i/status/988688999794409472

両津やまきホテル      投稿者:佐渡の翼

2012年03月31日 04時17分28秒 | 佐渡のお宿評価

1月8日、筆者は両津やまきホテルに投宿した。大晦日は相川やまきに、そして年明けの最初の連休は、姉妹ホテルの両津やまきに宿泊するのが年中行事化した。1月の両津は雪が積もりやすい。そのため、車のフロント及びリアに張り付いた雪の除雪が迅速に行える宿泊施設として筆者は毎年両津やまきホテルを選んでいる。その理由は、豊富な秋津温泉の湯を融雪に利用できるからだ。ホテルの駐車場には、ホースを通じて温泉から24時間湯が流れ出しているため、駐車場へと通ずる道路には積雪がない。このホースからの水を利用して車の窓ガラスの除雪が瞬時に出来るのが、筆者が1月に両津やまきホテルを選択する最大の理由である。この日も終日雪が降ったりやんだりのお天気だった。それに両津やまきには(両津の他の宿泊施設もそうだが)、両津と言う地の利を活かし、新聞が日本海内航汽船を利用して佐渡汽船よりも早く、午前7時頃には到着する。ロビーには4台のパソコンがあるが、高速である。つまりビジネス客にはもってこいのホテルなのだ。

 

午後3時半丁度にチェックインしたら、お部屋にはエアコンが稼働し、既にお布団が敷かれていた。部屋はいつも2階の一室を用意してくれている。このホテル、秋津の高台にあるので、部屋からは加茂湖と両津港ターミナルがよく見える。シャワーを浴びようと浴室に入ってみたら、シャンプーが無いのに気付いた。以前ならば、室内の備品の欠品を見つけようものなら、まるで鬼の首でも取ったかのように書き立てていたが、最近では、気にも留めない寛大な自分自身がいる事に気付いた。ボデイソープで仮洗髪をしておき、次いで大浴場でシャンプーし直せばいいやと思えるようになってきたので随分と成長したものだ。以前は、散らかしっ放しで部屋を出たものだが、今ではできるだけ綺麗にお部屋を使おうと、片付けのような殊勝な事までするようになった。大浴場は、いつものように温泉地熱利用の床暖房が利いており、広々とした湯船では水泳ができるくらいだった。セーブオンで購入した酎ハイだけでは足りずに、ホテルの2階の自販機で酎ハイを買い足してしまった。いい気分で床に就き、瞬く間に眠りに落ちた。

 

翌日は午前6時50分頃にホテルの外に出てみた。風さえなければ佐渡の冬の朝は結構暖かいから不思議だ。朝食は午前7時に1階ロビー奥の宴会場に用意されていた。今回は椅子席で、宿泊客は筆者を含めて11人。焼き立ての鯖、金平牛蒡、枝豆のひじき煮、ポテトサラダ、卵焼き・金時豆・たらこ、湯豆腐。いつものように完食し、記念写真を撮影して終了!一泊朝食付きのお代はたったの7150円。これまたいつものさすがの両津やまきさんだった。

完食写真

 


石川食堂(佐渡市諏訪町)     投稿者:佐渡の翼

2012年03月30日 05時31分28秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記

1月8日、筆者は佐和田の諏訪町にある手打ち蕎麦・うどんのお店、「石川食堂」を訪ねてみた。11時半にお店にお邪魔したら、当日は出初式とあって、佐渡市消防本部の職員10人によって店が占拠されていた。見ると半数近くの職員がタバコを吸っている。空腹時のタバコは胃によくないし、タバコだけで満腹になる。体が資本の消防団員なのに体によくない事をやっているのはどうかと思う。しかも連中ときた日には、立て続けに二本もタバコを吸うものだから、店内は火事場のようにタバコの煙でいぶされた状態となった。石川食堂は年老いた夫婦が二人だけで切り盛りしているお店だ。このお店を隠れた名店と言う人がいるようだが、手打ち蕎麦のお店ならば、相川の「たておか」、真野の「とんとん坂」、小木の「七衛門」、羽茂の「ちょぼくり」と幾らでもある。だから、知る人ぞ知る、佐和田の名店と言う意味なのであろう。筆者が厨房内に入ると、消防団員のお蕎麦を作成するのに忙しいご夫婦お二人がいた。筆者が、「なべやきうどんをお願いします」と言うと、おばさんは「少し時間がかかりますがよろしいですか」と言った。筆者は「ええ、構いませんよ」と答えて席へと戻った。筆者は露骨にタバコは大嫌いと言うような表情を見せてやったが、連中はそんなものはどこ吹く風とばかりに相変わらず、ブカスカ吸いまくっていた。15分ほど経過したところで、消防団様用の生そばと肉蕎麦が出来上がった。生そば一杯だけで済ませる団員もいれば、生そばと肉蕎麦の両方や生そばを2杯食べる団員もいて様々だったが、これだけでは肉体労働者のカロリー源としては不足ぎみかなと思われたが、タバコで胃を膨らませているので、これで十分なのかもしれない。すると誰かが、テレビのNHKの番組が面白くないので、チャンネルを変えろと言い出した。すると、生そばと肉蕎麦を頬張る団員が携帯を取り出し、「このアプリと言うのを使うと携帯がリモコン代わりになるんだ」と言いつつ、携帯を操作し始めた。そして携帯をテレビ画面に向け、見事にチャンネルを民放に変更してみせた。すると誰かが「へえ~、携帯でそんな事ができるのかあ~」と驚いたような声を上げた。ま、今時の携帯はネットショッピング、切符予約、お財布代わりに、ナビ機能、メール送信と、何でもできるし、おまけに電話までかけられるのだ。

 

15分ほどで、ようやくこのタバコ集団は蕎麦を食べ終え、本来のケムリ消しと言う職務へと戻った。そして丁度連中と入れ替わるように筆者のなべやきうどんが出来上がった。筆者はなべやきの蓋を開けながら、「全くう~、佐渡市の消防団もねえ~」と、あきれたような声を上げると、おばさんは「今日は出初式だから」と、大目に見てやってくれとでも言いたげな表情をした。「あの連中の傍若無人なタバコブカスカ態度を大目に見る訳にはいかぬ」、筆者はタバコの煙で汚されたナラカミーチェの白のジップアップニットをなでながら、そう心の中でつぶやいた。

 

さて、肝心のなべやきうどんのお味はと言えば、うどんの太さがまちまちだったので、これは手打ちに間違いなく、お出しもほんのりアゴダシが効いていて実に美味しい!乗っかっている蟹天麩羅は両津の「天国」さんと同じだ。これに蒲鉾、椎茸、ネギが入っていた。これで550円と言う安さ!予想通りの美味さだったが、個人的には両津の天国さんの方が更に美味しいなと感じた石川食堂のなべやきうどんだった。猶、この石川食堂さんは残念ながら閉店しました。


安養寺(佐渡市相川大浦)    投稿者:佐渡の翼

2012年03月29日 04時46分23秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

お寺ネタ、これを書くときはどうやって読者を楽しませようかといつも苦労する。単純に、お寺の開基、由来、宗派、外観や本堂内部の様子などを克明に描写しても、お寺好きな読者には受けるが、キャバネタや食べ物ネタが好きなミーハー族には無味乾燥な話題としか映らないからだ。だが、ここに地元の人や住職が登場すると俄然話が面白くなってくる。佐渡島内には安養寺と名のつくお寺は幾つかあるが、七浦海岸沿いのこのお寺には山門や境内が全く無い!集落内のほぼ真ん中にお寺がある感じで、元旦にはここを出発点にしたマラソンなどが企画されていたようである。

 

型どおり、幾つか写真を撮影し、さて車に戻ろうとしたところ、このお寺の前方に、佐渡西国三十三観音の番外編としての大浦観音堂があるのに気付いた。おや、こんな所にと言う感じでお堂があった。松の内を過ぎていたのに、佐渡ではまだ榊を飾る風習があるらしく、観音堂の看板を覆い隠すようにして榊が飾られていた。それをよけて看板の文字を見ていたら、たまたま通りがかったおばさんが、「看板の名前を写したいのんかあ~」と言いながら近寄ってきて、榊を外し、撮影し易くしてくれた。いつもながら、「佐渡の地元の人々は親切だなあ~」と思いながら車に戻った。

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稲鯨の権現清水(佐渡市相川)    佐渡の知恵袋既解答検証シリーズ

2012年03月28日 05時13分12秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

七浦海岸沿いを相川へと車を走らせると、米郷(よなごう)の集落が見えると、その次が稲鯨集落である。民宿の「敷島荘」や「一福」などがある集落だ。やがて右手に寿司角さんが見えてきた、これを過ぎた辺りに清水があると言う事だったので、徐行しながら右手を探したら、ガードレールの手前あたりに、祠らしき物が見えた。階段を降りて行くと、「清水権現」の額が確認でき、その袂に、ちょろちょろとした清水の湧き出る音がした。間違いなく権現清水である。

 

当ブログの人気の高さの秘訣は、歴史的事実や言い伝えを分かり易く解説している事だ。清水権現の由来について説明しておこう。能登の石動山の天平寺の修験者が来島した折、稲鯨の高野家が一晩の宿を提供した。そのお礼にと、修験者が湧き出る清水の場所を教えたと言うのだ。霊験あらたかなる清水ゆえ、いつしか眼病に効くと言う話になり、この水で目薬を製造したこともあったそうだ。先に紹介した橘の権現清水と稲鯨の権現清水とは地下で繋がっていると言い伝えられている。そんな事は検証不可能なので、大風呂敷を広げたような壮大な作り話をでっちあげるのはいとも簡単である。外海府の岩谷口の洞窟と小木の宿根木の洞窟が繋がっていると言う言い伝えもこの類であろう。この二つの清水は、田畑の灌漑用水、生活用水、信仰の対象などに利用され、現在も細々と湧き続けている。

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小泊城跡(羽茂小泊)    佐渡の知恵袋はてな?シリーズ

2012年03月27日 05時08分31秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

佐渡学センターホームページの佐渡市の文化財一覧表にも記載されていない「小泊城跡」を探して来いとの問題である。まずは小泊集落へ行き、国道脇に建つ神社のような所の境内に車を停め、真向かいの民家に入って尋ねてみた。出て来たおじさんは「このあたりには城跡などはないなあ~、待てよ、公民館長を務めている市川さんのお宅に行けば教えてもらえるかもしれんなあ~」と答えた。国道から須恵器窯跡の標柱がある道へと左折し、4軒目が市川さんのおうちとの事で、この家を訪ねてみた。するとおばさんがいて、東京の親戚宅に送る米の配送準備の真っ最中だったが、生憎と市川さんご自身は外出中だった。当方が「観光客なのでございますが、小泊城跡の写真を撮ってこいと言われて、わざわざこの時化の中はるばる東京からやって来たんですよお~」と恩着せがましく言うと、おばさんは、「それはそれは」と言いながら携帯を取出し、市川さんの出先に電話で問い合わせてくれた。すると電話の向こうから「小泊集落には城跡などはない」と断言する声が聞こえてきた。おばさんが「ではどこへ行って聞けばいいのか、それを教えて」と問うと、市川さんは「佐渡観光協会」の名を挙げた。当方がすかさず「佐渡観光協会に問い合わせたら、現地へ行って尋ねて欲しいの一点張りで話にならないんですよお~」と言いながら、「佐渡観光協会なんて頼りになる訳がないじゃないか」と言いたげな表情を作って見せた。当方が「羽茂城の当主本間家の家臣、岡崎氏が作った城」だそうですと言うと、おばさんは「この辺りに岡崎姓の家は多数ありますけどねえ~、残念ながら城跡はないとの事です」と申し訳なさそうに言った。地元で史跡に詳しい人が知らないのだ、多分この問題に解答できる人は未来永劫出てこないだろう。

 

ツイッター上で他人を中傷しながら謝罪もせずに平気で笑ってつぶやき続ける非常識極まりない輩に、いまだに観光情報発信役を任せている佐渡観光協会だ、信用できる訳がなかろう。


新穂武井熊野神社      投稿者:佐渡の翼

2012年03月26日 05時00分51秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

県道南線を真野方向に向けて走行し、根本寺を過ぎたあたりで、右手に教育委員会設置の茶色の標柱が見えて来る。「新潟県指定 熊野神社能舞台」と書いてある。その独特な構造で「かえるまた」と呼ばれる屋根を持った能舞台で知られる神社であり、佐渡百選にも選ばれている。「かえるまた」とは、「寺社建築物や能舞台等の梁の上に置いた受け木で、カエルのまたを開いた様な形で、装飾的に彫刻されている」と言う意味だそうだ。確かに蛙の股を広げた格好によく似ていて興味深い。そこには彫刻が施されてあったが、どのような物なのかはよく分からなかった。境内に入ってみたら、参道には草が生い茂り、さほど手入れされてはいないようだった。だが圧倒的な杉木立が神々しく、その微笑ましい形状の瓦屋根を持つ能舞台とは妙に不釣り合いだ。島内には熊野神社と名の付く神社は数々あれど、この可愛い能舞台がある新穂の神社が一番面白かった。

http://www.digibook.net/d/c984c193a059a6dd37a5a0e34838ef60/?viewerMode=fullWindow

 


2012年1月8日の日記(佐渡汽船)   投稿者:佐渡の翼

2012年03月25日 04時21分21秒 | 佐渡の翼の独り言

昨日は、ANAクラウンプラザホテル13階にあるバーラウンジ「リオンドール」で、マンハッタン、ダイキュリー、ジントニックの三杯を楽しんでしまった。これらのカクテルのお値段の合計は、3630円で、河竹寿司の極み寿司よりも高かった。ホテルを出た後、徒歩で佐渡汽船新潟港ターミナルへ向かい、20分で到着した。ターミナル内には佐渡の風景を撮影した写真パネルの掲示板があるが、その前にテレビの液晶モニターが置いてある。以前は、このモニターの右側に佐渡観光関連ツイッターのつぶやきが流れていた。だが昨年、平原某の個人的及び他人のブログに関する問題のあるつぶやきが頻発し、今年はそれが裁判沙汰になりそうなため、佐渡汽船は急遽、人畜無害な、「佐渡ワンダーチャンネル」と題し、「佐渡LIVEカメラDE動画」の副題で、佐渡市及び、佐渡地域振興局が島内八か所に設置したライブカメラからの映像などを流し始めたようだ。

 

それにしても、新潟、両津の両ターミナルで、「ご乗船の際は15名以上の団体様を除き、お一人様一枚の旅客名簿が必要です。必要事項をお書きの上、切符と共に改札係員にお渡し下さい」と言うアナウンスはそろそろ止めたらどうだろう。船舶法(船員法)の改正により、旅客名簿の提出はとっくの昔に任意となっている。よく、改札の向こう側に、書き忘れた旅客名簿を書かされている乗客の後姿を目にする事がある。「船舶法(船員法)により、旅客名簿を提出しなくとも乗船可能なのだから乗せろ」と旅客名簿の提出を拒否して改札係員に詰め寄る豪の者にはまだ出会った事はないが、法的には、改札係員の「旅客名簿を記入せよ」との指示に従う必要はない。それに旅客名簿には、観光やビジネスなどといった旅行目的を記入する欄が削除されているため、旅客名簿の回収で島内への観光客入り込み数を正確に数える事はできないはずだ。従って、新潟県が毎月発表していた観光客入り込み数とは、ビジネス客も含んだ水増し数であろう、少なくとも理論的には。。。両ターミナルでは既に自動改札の工事が始まっているが、これが完成すれば、旅客名簿の提出などは不要になるだろう。筆者はいつも、この旅客名簿に、ひらがなの小学生文字で、大きく「かんこう」と記載して提出している。


河竹鮨(新潟市)    投稿者:佐渡の翼

2012年03月24日 05時01分09秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記

1月上旬のとある日、筆者は、新潟駅前にある佐渡前鮨のお店「河竹鮨」を訪ねてみた。新潟東急インの右脇の道を万代橋方向に歩いて行くとやがて右手に看板が見えてくる。店内には四人掛けのテーブル席が3卓と、10席ほどのカウンター席があるだけの小体なお店であった。割烹「丸井」や港寿司のような高級感はなく、新潟のどこにでもあるようなお寿司屋さんだ。つけ場には店主が暇そうに両手を広げてまな板の上に突き、客の注文を待っていた。先客はおばさん二人組だけだったが、午後8時半を過ぎた頃なので、こんなものかもしれない。飲み物の注文を聞かれたので「越後の景虎」をお願いしておいた。店内にはお品書きが壁一面に貼られており、これが田舎寿司屋っぽい風情を思いっきり醸し出していた。店主以外には、女将さんと若いおねーさん二人とがいた。筆者は「極み寿司」(3000)を注文した。おやじは冷蔵ショウケースからネタを取り出すと、手早くそれらを切り捌いた後、直ちに握りに取りかかった。

 

やがて、おねーさんが、南蛮海老から作成した魚醤を皿に乗せて運んできて、これは海老以外のネタにも良く合うと言った。極み寿司は、わずか5分で出来上がった。どうかなあ~と一瞬思ったが、意外にもシャリの温度は人肌で合格である。だが、烏賊は硬くて噛み切れない。鰤はネタが大きすぎてややアンバランスだ。トロの味は、超高級鮨屋の「さいとう」でのトロの味が残る舌での感想を言わせてもらえば、熟成度が足らない!されど、真鯛、甘エビ、黒ムツ、ずわい蟹、つぶ貝、鉄火巻などは申し分がなかった。メニューには1.5人前と書かれていたが、ぺろりと平らげてしまった。生酒を含めたお代は4260円。佐渡沖で獲れた新鮮な魚介類を握ってくれるこの河竹鮨さん、新潟駅から歩いて3分ほどの至近距離にあるので、駅前でお寿司をと思ったら、お勧めのお店である。

 


蔵人(くろうど)坂(佐渡市相川)     投稿者:佐渡の翼

2012年03月23日 05時54分05秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

佐渡金山へと向かう道路が、鉱石を運搬するトロッコ列車のレール跡(現在は柵が設けられ立ち入り禁止になっている)にさしかかる頃に、右手にこの坂がある。車で通ると必ず見過ごすほど小さな坂である。名称の蔵人(くろうど)とは天皇家の秘書を司るお役人を意味する言葉である。江戸時代の金山と天皇家とは無関係であるからして、金山が明治時代に皇室の財産となり、御料局の佐渡支所が設けられた際に出来た坂ではないだろうかと推測している。この坂は、京町通りの簡易郵便局の近辺に通じており、丁度、蓮長寺へと向かう道へと道路を挟んで繋がっている。坂の道幅は相川の他の坂よりも狭く、長さも短い。坂の周囲には民家があるだけで、これと言った特徴はなく、わずかに、石垣の存在が昔の坂だった事を連想させる。さして珍しくもない坂だが、その高貴な名称だけが印象に残った坂であった。相川の坂には、これまで紹介してきた以外にも幾つかある。水金遊郭付近に巡礼坂と言うのがあるし、更に岩坂と言うのもある。けんぱさんのお話では、法然寺から妙円寺方向へと下る坂を岩坂と呼んでいるのだそうだ。http://www.digibook.net/d/5984ad5fa09aa4913dae2a45b6392f36/?viewerMode=fullWindow


金刀毘羅神社(佐渡市相川)    投稿者:佐渡の翼

2012年03月22日 06時00分28秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

「こんぴら」とパソコンで入力すると、「金毘羅」と変換されるが、相川のこの神社は「金刀毘羅神社」と言うのが正式名称である。何故「刀」と言う文字がくっつくのか?その昔、五郎左衛門と言う豪商が、金山が衰退した時にこの神社に願掛けを行ったところ、見事に新しい鉱脈が発見されたため、社殿が改築された。それ以来、この辺り一帯は五郎左衛門町と呼ばれるようになった。こんぴらとは「こんぴら船船、お池に帆かけてしゅらしゅしゅしゅ~」の歌があるように、航海の安全を祈願する神社としてつとに有名であるが、金山繁栄の守り神でもあるようだ。拝殿の扉にはこれ見よがしに〇金の張り紙がべたべたと貼られており、成金神社さながらである。ここをお参りすると金持ちになれるのかもしれないし、金持ちにぴったりの神社である。拝殿のひさしの部分の彫刻が素晴らしく、いかにも金がかかっていそうである。筆者は見逃したが、境内には日露戦争戦勝祈願碑なるものまであるそうで、まるで戦利品が所蔵されているかのようだ。拝殿内部には各地から奉納された絵馬が多数飾られていた。金に困ったらお参りするとご利益が期待できるのかもしれない。

http://www.digibook.net/d/341487df9199a6d4316f2ac194296f76/?viewerMode=fullWindow


2012年1月7日の日記(食べログのやらせ)           投稿者:佐渡の翼

2012年03月21日 05時54分42秒 | 佐渡の翼の独り言

食べログのやらせ投稿が発覚した。そのお店に行って実際に食べた事もないようなライターがそのお店に好意的な内容の投稿をする、架空投稿、即ちでっちあげ投稿を請け負う業者が跋扈していたと言うのだから、その業者にそうした事を依頼した飲食店も同罪であろう。科学論文の世界でも、結論に都合の良いデーターだけをでっちあげる捏造論文が後を絶たないのと同じである。ある飲食店のお料理を褒め上げる、所謂ヨイショ記事よりも、それを批判する記事の方が実は何倍も貴重なのだが、誰しも耳の痛い話は聞きたくないのが人情でもある。筆者は、自分が訪ねたお店の評判を探るために時々このサイトをチェックしているが、自身の感想に合致した意見もあれば正反対の意見もあって玉石混合である。ま、そうしたサイトに投稿される記事の過信は禁物で、最後は自身の舌だけが頼りである事を肝に銘ずべきだろう。そしてそのようなサイトに投稿する人の食べ歩き履歴を見ると、ろくな店を訪ねてはいないのが実情だ。信頼できる人が評価してこそ、そのお店の真の良さが明らかになるのだが、他人の評価や言動を常に気にする日本人はランキング好きで、それを逆手にとられたのが今回のやらせ問題だ。佐渡ブログアクセスランキングの順位を不正に操作して自店への利益誘導を企んだ疑惑事件は、業者ではなく、飲食店主そのものが犯人らしいのだから更に悪質性が高い。

 

佐渡島内の主だった飲食店の評価作業はほぼ一巡し、これからは、筆者が本当に美味しいと思うお店の再訪記事掲載が中心になってくる。東京の一流料亭や高級ホテルのレストランを食べ歩いた舌の尺度で評価するので、厳しい意見が多くなると思うが、これも大切なお客様からのご意見として真摯に受け止めて頂きたいと思う。

 

この日は、午後4時半で仕事を終了し、6時12分発の新幹線に乗車するために東京駅へと向かった。東京駅ではいつものように、新丸ビル1階のパサージュにあるチョコレート専門店の「パレ ド オール」に行き、ショコラショー(早い話がホットココア)(画像)を注文して飲んだ。だがこのココアは1365円もする。ま、混み混みのスタバで飲むよりはゆったりと飲めるので、もっぱらこのお店を愛用している。この日の新幹線のグリーン車の乗客は筆者を含めわずかに4人だけだった。

 

 


油坂(佐渡市相川)     投稿者:佐渡の翼

2012年03月20日 06時00分20秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

相川を始めとしたお寺事情と公園事情に至極詳しい、No31さんによると、彼が御幼少の頃は油坂辺りを"ゾグラ"と呼んでいたそうだ。雑蔵(ぞぐら)とは山師が利用した倉庫で、四軒ほど在った。その中に油を保管した倉庫が有ったので、油坂=雑蔵坂と呼ばれていたそうだ。その後、雑倉は京町に移されたとのお話である。広源寺の左脇にこの坂の入り口がある。ここを登ると、やがて右手に一軒の家が見えてくる。随分立派な家である。そして左側は竹やぶ林になっていて、そこには五輪の塔などの石塔が垣間見えた。そして坂は、やがて、紋兵衛坂へと到る道に合流して終わった。坂の途中には特段、これはと目を引くような物は無かった。その昔、油は照明用あるいは暖房用に貴重な生活物資として珍重された。かの、美濃の斉藤道三も、「山崎屋」と言う油売りの商人から身を起こしたと言うではないか。道三は若かりし頃、庄九郎と名乗り、京の油屋の娘「おまあ」を垂らし込み、婿入りしてその身代を奪い美濃への足掛かりとした。「とうたら、とうたら、とうたらりい~」と言いながら、滴り落ちる油のしずくを五円玉の穴の中に通す大道芸で通行人の興味を引いた庄九郎の一場面を思い起こした。かように油とは金銭にも優る莫大な財産としての価値があった。油坂と聞いた時、当初は豪奢な坂かと想像したが実際は質素な坂だった。道路に油が撒かれて滑りやすいので油いから(あぶないから)、油坂と名付けたのかと冗談を飛ばしたくらいだ。

 

佐渡テレビの解説者の話によれば、佐渡には新潟県指定の有形無形の文化財の約65%が存在するそうで、佐渡は誠に文化財の宝庫である。島民はその有り難味をさほど感じてはいないようだが、専門家に言わせれば、佐渡ほど貴重な文化財が埋没している島はないそうである。古い物は大切にし、残していく努力を怠ってはならぬ。佐渡の集落には昔ながらの古い物がそのままの形で残されているのは開発されていない証拠である。なまじ集落起こしなどはしない方がいいと思う。そんな事をすれば、観光客が大挙して押し駆け、それらが破壊されかねないからだ。http://www.digibook.net/d/fb95cf9bb11ba6d8b1efa241d4312f24/?viewerMode=fullWindow


法泉寺(佐渡市相川)    投稿者:佐渡の翼

2012年03月19日 04時35分14秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

厳常寺坂の途中の左手にこのお寺へと至る階段がある。このお寺の開基は寛永元年で、「佐渡名勝志」を著述した、地役人「須田富守」の墓がある事で有名だ。山門へと到る参道の右手には古い墓石や五輪塔や古木群があり、左手には新しい感じの五輪塔があった。山門を入って右の所に、石段を登って到達するお堂のようなものと、裏山門とがあった。本堂はシンプルそのもので、一見、廃寺かと勘違いするくらい、装飾物などがほとんど無かった。境内にもさして印象深い物はなかったので、裏山門の方へと向かってみた。すると石段があり、相川高校へと向かう道へと通じていた。この道の沿線に、まるでショウウインドウの如く、季節に合わせた置物などのdisplayで、道行く人を楽しませるおうちがある。「中村美津江」と言う表札が掲げられたおうちの左隣にある家で、階段で続いているようにも見えるので、中村さんのおうちかもしれない。小物選びのセンスが非常によろしくて、この道を通る時には、必ず筆者はこの家のショウウインドウをチェックすることにしている。http://www.digibook.net/d/6355addb91db8cd9b5a92ac1f421ae76/?viewerMode=fullWindow


西坂(佐渡相川)   投稿者:佐渡の翼

2012年03月18日 02時17分31秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

相川の塩屋町から始まる坂が丁度、旧相川税務署の真向かいで二手に分かれている。真っ直ぐ進むと急峻な長坂に至り、左へ曲がり小橋を渡って登る坂が西坂である。この分岐点にはその昔、犯罪人を収容する牢屋と処刑場があった。説明看板を読んでいて、「処刑場の事を土壇場」と言うのを初めて知った。よく、スポーツ中継で「土壇場で試合をひっくり返す」などと使われるが、最後の最後と言う意味なのであろう。処刑者を弔うために、人々はここで手を合わせて通ったと言う事から、西坂への入り口の小橋部分を合掌坂と呼んでいる。

 

さて、この西坂、改修されて随分と近代的な坂に生まれ変わった。坂の周囲には榎の古木が多く、合戦の際の防御を考え、坂は屈曲しながら続いている。西坂は佐渡奉行所へと通じているが、その手前で左へと下る坂がある、ここを新西坂と称しているが、案内標柱には「地獄坂」と書かれてあった。地獄へと到る坂なのか?坂を下ると左手には廃墟となった「ホテルおもだか」があった。以前は、肝試しスポットとして見学者が絶えなかったが、ホテル屋上部分から屋根建材の一部が落下する危険性があるとの事で、ホテル周辺を黒板で囲み、ホテル入り口へと通ずる道路は立ち入り禁止になっていた。ホテルおもだかは伝統的建築物ではないので、改修対象にはならないし、さりとて解体費用が多額なため解体もままならずで、雨ざらし状態が続いている。斜陽となった佐渡観光の負の遺産の最たるものであろう。http://www.digibook.net/d/ad95a95f801ca4dc3dcfa25582206e66/?viewerMode=fullWindow


ジランドール(パークハイアット東京内)   投稿者:佐渡の翼

2012年03月17日 04時11分43秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記

「すっかり清盛気取り」だと陰口を叩かれかねないので、断っておくが、NHK大河ドラマの清盛像はあくまでも視聴者向けに脚本家が脚色したものに過ぎない。史実の上での平家並びに清盛は、平家物語の一節同様、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす、おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし、たけき者もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ」である。ブログランキングとて同じ事、永遠に一位を保ち続けられる訳が無い!当ブログもそうなのだが、必ず後を襲う人は出てくるし、襲われる運命にある。それが盛者必衰の理である。これからの10年、島内ブログアクセスランキングの上位10位までの順位変動はどのような変化を見せるのであろうか?既に島内人気ブログの書き手には年齢的な衰えがみられる。「佐渡では女性は早く老ける傾向にある」と、個人的には思っている。それゆえ、40を過ぎると己の老後を心配する高齢者の境地に入ってしまうのかもしれない。

 

さて、そういうのとは無縁の筆者は、1月3日、パークハイアット東京内のオールデイダイニング「ジランドール」を訪ねてみた。午前11時半丁度にお店に到着した。予約しておいたので、いつもの、窓際から少し離れた4人掛けのテーブル席へと案内された。窓際席には遅めの和朝食を食べる米国人夫婦がいた。メニューを渡すと、客に充分に吟味させるため、5分ほど待たせてからウエイター氏がやってきた。筆者は、前菜、スープ、メイン、デザートから成るコース料理(3500)を注文した。デザート抜きの同様のコース内容の帝国ホテルよりも安かったのだから驚いた。ま、安くて美味いのだから、何だか新年早々得したような気分になった。前菜は、ノルウエー産スモークサーモンのリゼット(早い話がパテだ)。周囲には酸味のあるシトラスフルーツのソースが添えられており、シーザーサラダ仕立てになっていた。細かく刻んだスモークサーモンに何かのつなぎを混ぜてパテにしたようだったが、極上の味わいである。スープはひよどり豆を使用したクリームスープ。濃厚な生クリームとお豆の甘さがからみあったスープで抜群の美味さだ。このホテル、一皿を仕上げるのにきっちり15分かけている。それを5分ほどで食べ終えるのだから、ゆっくりとお料理の美味さの余韻に浸れる。メインは、真鯛と帆立のポアレ(画像)で、根セロリのピューレソースが添えられていた。このソース、口に含むとほんのりとした香草の香りが漂い、絶妙な焼き加減の鯛の身とばっちりの相性となる。これに茹でた青梗菜と南仏のお野菜のバルサミコソース仕立ての付け合せである。いつもの事だが、このホテルの魚料理は本当に手間暇がかかっていて非常に美味しい!最後はデザートの盛り合わせ、マンゴーシャーベット、チョコタルト、フロマージュブラン(早い話がチーズケーキだ)の三種である。最後にアッサムティーを飲んで終了。サービス料込みのお代は3850円。結局、1月2日、3日はライスを全く食べずに過ごしたので、何だか外国に出かけたような食生活だった。

デザート盛り合わせ


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