佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

i8ロードスターPR動画

https://twitter.com/i/status/988688999794409472

葉山ホテル音羽の森の朝その1    投稿者:佐渡の翼

2023年08月31日 06時00分58秒 | 国内旅行記

2018年10月5日は、午前5時に目が覚めた。そして部屋に備え付けのネスカフェのエスプレッソコーヒーを飲んでみた。無料のコーヒーなので、幾つか試してみたが、どれもほろ苦い味がした。朝食は、8時にルームサービスの担当者が来訪し、バルコニーに用意してくれる手筈になっている。スイートルームの宿泊者に対してはルームサービス料は無料だが、それ以外のグレードの客室の宿泊者は250円の追加料金でルームサービスが受けられる。

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葉山ホテル音羽の森での夕食    投稿者:佐渡の翼

2023年08月30日 06時00分36秒 | 国内旅行記

2018年10月4日の夕食は、午後5時から、レストラン「潮騒」でのフレンチフルコースが用意されていた。レストランに入ると、相模湾を見渡す窓際の特等席へと案内された。この日の宿泊者は、筆者の他には一組のカップルがいただけ。食事の開始から終了まで、客は筆者だけであった。

着席した筆者はジントニックを注文した。そして、まずは地蛸のバルサミコソース掛けが出て来た。余ったソースはパンの上に乗せて食せとのご指示であった。次いで、アミューズとして、トーストの上に豚肉とサーモンのリエットを乗せた物が出て来た。前菜は、季節野菜のエチュベ、地サザエのポッシェ サザエの肝ソース。スープは、三浦産バターナッツカボチャの冷製スープ ウニとコンソメジュレを浮かべて。魚料理は、黒ムツのポアレ、青柚子ソース。肉料理は、湘南ポークのローストと野菜の付け合わせ。デザートは、柿のタルトレットと無花果のソルベ添え。魚と肉料理の間にもう一本ジントニックを飲み干し、最後に紅茶をストレートで頂いて夜の宴は終了した。お料理は、どれも季節の湘南産の食材を使用した物ばかりで、味付けも盛り付けも繊細であり、フレンチレストランとしては極上のコース料理が味わえた。

メニュー

お席

蛸のマリネ

店内の様子

窓外の景色

椅子

キャンドル

厨房方向

一杯目のジントニック

豚肉とサーモンのリエット

秋野菜のエチュベと栄螺

スープ

二杯目のジントニック

魚料理

湘南ポークのロースト

中休みのソルベ

無花果のソルベ

柿のタルト

デザート全景

小菓子

紅茶


大間港(佐渡市相川)    投稿者:佐渡の翼

2023年08月22日 06時00分53秒 | 佐渡金銀山世界遺産候補関連史跡

昨今の、日本政府が推薦する世界遺産登録候補地の決定過程を見ていると、登録勧告をするイコモスは、「登録内容に近代遺産群が含まれる」点を重視する傾向があるように思える。これは、今までの世界遺産が、主として欧州の教会や城に偏っていた事に対する反省からと見られている。従って、大間港、北沢浮遊選鉱場、大立堅坑、上相川古道内の火薬庫跡などの多くの近代遺産群を保持する佐渡金山は世界遺産登録レースに於いてはかなりのアドバンテージを握っていると言えよう。

大間港は、相川の市街地を流れる濁川河口と水金川河口の中間付近に位置する埋め立てられた人工港湾である。製鉱所の敷地を造成する際に切り出された土砂を運搬し、それで湾を埋め立てたとされており、金銀の搬出やそれの生産に必要な物資、特に溶鉱炉の燃料等に用いる石炭の搬入用として築かれた。 大間港の敷地内に入ると、南東から北西方向に架けられた鉄骨造のトラス橋が見えて来る。ここにトロッコを乗りつけてトラス橋の下に停泊させた船に鉱石を落下させて積載した。海側の防波堤近くに見えるのはローダー橋脚である。これは、大間港へ搬入・搬出される貨物(石炭・鉱石)を陸揚・船積・運搬するための橋(軌道)を支える構造物で、昭和13年頃に建設された。現存するローダー橋脚は、南西(海)側の2基を円錐台形の柱による構造物とし、北東(陸)側の1基を矩形の柱による構造物としている。ローダー橋脚の手前には、貨物の荷揚げに用いたクレーン台座がある。北側に2基、南西部に1基が現存する。北側の2基は円錐台形の構造物で、下部は石積、上部は鉄筋コンクリート造。2基は約24mの間隔を置いて配置されている。北東部の台座は船渠壁面と一体化した構造で、北西部の台座は停泊場上に独立して立地している。南西部の台座は鉄筋コンクリート造である。文献中に記載されたこれらの構造の描写内容についてはデジブックの写真を見れば容易に理解できよう。筆者は子供でも分かるようにと、大間港の細部に至るまで写真撮影を繰り返しておいた。それにしても学者と言う者は、何故にかくも分かりにくくかつ面白くない書き方で文献を書くのだろうか?

大間港の護岸形状は、波の影響を受けやすい西面護岸や防波堤は勾配を緩くして緩衝作用を持たせ、波の影響を受け難い北面・南面護岸は勾配が急で直壁に近い形状にした。大間港の建設は、招聘した人造石工法の開発者である服部長七が主導し、明治23年から明治24年にかけて始まり、明治25年に完成した。築港以後、部分的な補修・改修は行われたが、現状の護岸・副堤等は、築港当初の埋め立て範囲とほぼ一致するもので、築港当初の骨格を良好に保っているそうだ。煉瓦倉庫は、大間港の南東部に立地しており、煉瓦造2階建の瀟洒な建物である。外壁は煉瓦化粧積とイギリス積で構成され、要所に自然石を用いてアクセントにすると言うこだわりようだ。

参考引用文献:にいがた土木構造物巡り

鉄橋

錆びたトロッコ

鉄橋部分

クレーン台座

クレーン台座とトロッコの線路

ローダー橋脚

巨大なコンクリート製の球形の構造物。当時のままに保存されているところが凄い!

休憩用の椅子とテーブル、世界遺産に認定されたらここは立錐の余地がなくなるくらい混雑するだろう

http://www.digibook.net/d/a9c5c55790de2039e8cd3d02d821764a/?viewerMode=fullWindow


施願観音(佐渡市両津願)    投稿者:佐渡の翼

2023年08月21日 06時00分48秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

願集落から賽の河原に至る途中にこの観音堂がある。「祈願すれば願いが施される」と言う意味の観音堂なのだろう。岩場を登って下ったところに屋根が青銅色の祠があり、その中に観音像が一体ある。ただそれだけで、余分な付属物などは一切ない。海が荒れる冬場は危険でお参りしにくい場所にあるが、集落の人々の手に寄りきちんと整備された祠であった。賽の河原を訪ねる折りには是非立ち寄って頂きたい祠である。

案内標柱

観音像



風車


賽の河原(佐渡市両津願集落)   投稿者:佐渡の翼

2023年08月20日 06時00分59秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

願集落の端っこから海沿いに集落と二つ亀を結ぶ遊歩道が続いている。そこが賽の河原へと続く道である。途中右手に施願観音がある。ここを過ぎると、崩落を防ぐために金網を巻いた断崖が続き、やがて、多くの石地蔵が並ぶ高さ約5mほどの洞窟に辿り着く。ここは海食洞穴で、大小様々な立像地蔵が安置されており、洞穴内の左奥のくぼみは「血の池」と伝えられている。地元では石と呼ばれており、賽の河原からは二ツ亀が間近に見えるが、二ツ亀からは賽の河原を見ることはできない。賽の河原は、上からも左右からも死角になった実に絶妙な場所にある。民俗学者の柳田國男が佐渡を訪れた大正期には、ここに地蔵堂があった。真更川の村人は三崎遍路(小木・赤泊方面への遍路)から帰ると海府遍路も回る習慣があり、その一泊目がこの地蔵堂であったという。賽の河原は寺院ではないため、遍路の正式な札所ではないが、ここも併せて巡拝されていた。賽の河原は、幼くして亡くなった子供たちが、「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため・・・」と、先立つ不幸を親に詫びるために、石を積む場所といわれている。積む先から鬼がやって来てそれを破壊してしまうが、翌朝には元通りになっていると言われ、最後は地蔵がやって来て子供達を救うのだと言う。子供をなくした親たちが、ここへ来れば自分の子と同じ顔の地蔵に逢うことができ、その泣声も聞くことが出来ると信じられている。ここにある物を持ち帰ると不幸になるとされており、どんな物でも決して持ち帰ってはならないとされている。 src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/6b/649378275dc9e260086ede4442d10682.jpg" border="0width="600" height="450">

願集落の海岸

岩場に

打ち寄せる



集落から見た大野亀

こんな小さな地蔵が

いくつも

こんな風に並んでいた

賽の河原

このように石が

幾つも

積み上げられている

石越しに見た日本海

こんな感じで並んでいる

折れた標柱を修理し張り合わせてあった

子供地蔵

377体目だ

382体目

子抱き観音

子供のおもちゃ

地蔵と風車

二つ亀ビューホテルのレストランにいたカップル

不動明王像

仏像

賽の河原から見た二つ亀

http://www.digibook.net/d/64548153809f0074ec06bf36843bf71e/?viewerMode=fullWindow


村雨の松(Rehash) 投稿者:佐渡の翼

2023年08月17日 06時00分25秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

佐渡海上保安署の隣に大きな松の木がある。佐渡最大のクロマツの大木で村雨の松と呼ばれている。これだけの大木古木となると、北小浦の与六郎桜のようにその保存作業がさぞかし大変であろう。「村雨の松の名の由来は、明治34年にこの地を訪れた尾崎紅葉が、マツが波のしぶきに濡れるありさまを「村雨に濡れる風情あり」として命名したことによるものである」と、物の本には書いてある。ただそれだけなのだろうか?この松の木の陰には、お松と言う女性にまつわる哀話が言い伝えられているが、その事は意外と知られていない。

その昔、このお松は、両津橋のたもとで、夜な夜な男達を惑わしていたが、ついぞ肌を許すことはなかったと言う。そのため、お松の体には何か欠陥でもあるのではないかと村人達は噂し、ある夜、番小屋の若い男がお松に言い寄り、その事を確かめようとした。すると、お松は「そんなに私のことを思ってくれているのなら、私を背負って川を渡ってほしい」と言ったという。見事に川を渡りきれば、肌を許してあげようという取引なのだろう。ところが翌日、この哀れな男は、川端に死体となって浮かんでいた。男の死はお松の仕業と思い込み、恨みを感じた村の男衆は、お盆の夜にお松をかつぎあげ、まるで十日町の奇祭「婿投げ」のように、お松を川の中に放り込んで水死させた。村雨の松の中には、そのお松の怨念が篭っているのだという。昔の島人の恨みつらみの根深さを象徴するかのような観光スポットだが、ほとんどの観光客は立ち止まることなくここを通り過ぎていく。



佐渡海上保安署


i8ロードスター動画1

i8ロードスター動画2

i8ロードスター動画その3

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佐渡の翼管理人

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