佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその14

2015年04月13日 04時36分39秒 | 佐渡相川祭り

4月の佐渡は島祭の最盛期であるが、延々2か月に渡って続いて来た平成26年度の佐渡相川祭りのレポートも本日がいよいよ最終日である。年に一度のお祭りの日は、地元集落の人々だけではなくそれを見物する観衆達も血が騒ぐ。年に一度だけ庶民が神になる日、それが祭りであるが、相川祭りの神々のパワーは相川の底力を見せ付けるのに充分であった。

夕白町大神宮の御旅所を出立した神輿は、境内で右回転をした後、路上に出た。路上に出たら今度は左回転をしてから進む。この時棒組の頭は神輿にシキを踏ませた。この神社ではシキを踏むしきたりになってはいたが、それ以外にも多分神輿の担ぎ手の士気を上げ、狭い路上で互いの足が絡まないようにとの安全上の配慮もあったのだろう。提灯行列の先導で神輿は相川病院及び佐渡奉行所のある地点を目指して降りて行く。神輿と時鐘楼のツーショット撮影の機会を逃した筆者は、代わりにと神輿とライトアップされた奉行所のツーショットを狙った。奉行所前の道路は時鐘楼前のそれよりも広いため、夜陰に乗じながら道路の中央部に陣取り、下からのアングルで迫り来る神輿を捉える事が出来た。以下に迫力たっぷりのショットの数々を掲載するが、素敵な被写体役を務めてくれた、華岡君を初めとした神輿軍団の男性氏達に一言感謝の弁を申し上げたい。更に神輿の道中安全管理に努めてくれた、お祭り実行委員会の方々にもこの場を借りて厚く御礼申し上げたい。そして筆を置くにあたり、長期間ご愛読頂いた読者諸姉諸兄の皆さんにもお礼申し上げたいと思う。










































































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マルクト広場からクベトリンブルク駅までその2  投稿者:佐渡の翼

2015年04月12日 02時09分01秒 | 佐渡相川祭り

ハイリゲガイス通りにあった銅像

ハイリゲガイス通りの標識

左手はカフェ

左折するとペルケン通りで右折すると駅へと至るバーンホーフ通り

バーンホーフ通りへ向かった

こちらはターン通り

バーンホーフ通り

この建物は郵便局

間もなく

郵便局の入り口が見えて来る

この建物は個人のお宅のようである

ここを左折するとアデルハイト通りへ行く

真っ直ぐ先にクベトリンブルクの駅舎が見える

ボーデ川に架かる橋を渡る

橋から見たマルクト広場地区。左手に見える尖塔はニコライ教会で、右手はブラジイ教会の尖塔と思われる


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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその13

2015年04月06日 04時21分44秒 | 佐渡相川祭り

夕白町大神宮の御旅所では、宮司によるお祓い式が行われ、次いで巫女さんによる奉納神楽が演じられた。両津の湊祭りの前夜祭で若宮八幡宮で演じられた巫女さんの神楽舞を既にEOS-1DXで撮影済みであったが、野外の夜神楽の撮影は初めてであった。だがEOS-1DXの力で難なく撮影が終了した。

ちなみに、昨年度に使用された神輿の重さは4本の担ぎ棒を合わせて1トン近くあり、その重さ故に動きも優雅に見える。一昨年まで使用されていた神輿は先代神輿の前に使っていたもので、先代神輿が重すぎるという事で古い神輿を改造したものだそうだ。 この改造神輿自体の重さは約350kgで、担ぎ棒が2本で300kgとされている。当時の総代さんが重い方の先代神輿を京都へ注文しに行った時、前日におもてなしを受けてかなり酔った。そして二日酔いの状態のまま、牛車が引く神輿を見て、「これを買おう」と即座に決めたとの逸話が残っている。

巫女さんや宮司を激写する

華岡清史郎君

この神輿の重さは1トン近くもある

道中の無事を祈願し、宮司さんからお祓いを受ける

そのお祓い式を

激写する

ご存じ華岡清史郎君

社務所に戻る華岡君

お祓いの真っ最中

かしこみ

かしこみ

かしこく

巫女さんの登場

神輿に向かいて一礼

それを激写する華岡君

巫女さんの舞が始まった

向かって右手の巫女さん

向かって左手の巫女さん

奉納の舞が終了した



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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその12

2015年03月30日 05時03分40秒 | 佐渡相川祭り

筆者は神輿を送り出した後、ホテル大佐渡に戻りチェックインを済ませ、午後4時17分にお部屋に入った。シャワーを浴び、着替えた後にセーブオンで購入したおにぎり2個を食べて夜の祭り撮影のためのエネルギーを補給した。そして午後6時にホテルを出て、相川の街へと向かった。時鐘楼の坂を登って来るお神輿と夜の鐘楼のツーショットを狙おうと版画村美術館へ行ってみた。時刻は6時43分頃であったが、人っこ一人いないし、神輿独特の「チョーサヤ」と言う掛け声も聞こえて来ない。相川博物館前の坂を上がって来る途中なのだろうか?いや時間的には佐渡奉行所前を通過した頃だ。しまった、神輿は既に時鐘楼を通り越し、大工町の北野天満宮か夕白町大神宮あたりに行っているのかもしれない。そう思いながら、京町通りを北上し、通りがかったおばさんに「神輿は今どの辺りでしょうか?」と尋ねたらば、「そこそこ、その路地の突き当りを右へ曲がった所で休んでいます」と答えた、どうやら神輿は夕白町大神宮の御旅所で休憩しているようであった。路地を右へ曲がったら、善知鳥神社の提灯を乗せた台車があり、その向こうに休憩中の神輿軍団の姿を見つけた。皆さん長旅と暑さで疲労困憊の御様子で、酒を飲む者、足首をさする者、タバコを吸う者、屈伸運動をする者と皆さんそれぞれの休憩方法で次の神輿担ぎのための英気を養っていた。

神輿の「ちょーさや、ちょーさや」の掛け声は
・千代に栄 ⇒ ちよにさかえ
・町 栄  ⇒ ちょうさかえ
と諸説有るが、定かではないそうだ。 関西に同じ掛け声の神輿が存在すると言う話もある。ちょー(左足)と、さや(右足)と、担ぎ手が躓かないように、掛け声で足を揃えているのだと言う。

善知鳥神社の提灯

この神社の別名は神明神社である

休憩する神輿の担ぎ手達

一服する人

やビールを飲む人

屈伸運動をする人

総代のおばさん

社務所で休憩する担ぎ手集団

腹が減っては戦は出来ぬと

新しい草鞋を抱えた祭りのスタッフのおじさん

談笑する地元のおばさんと説明役のおじさん

切れた草鞋

何となく哀愁が漂う


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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその11

2015年03月23日 06時47分49秒 | 佐渡相川祭り

相川祭りの日には、神輿渡御のルート沿いに建つほぼ全戸が、神輿が宮入する午後10時頃まで室内を明るく照らしている。神輿や提灯行列に参加する人々を安全に通過させるためである。年に一度この日だけは相川の街は不夜城になる。5月の連休時に訪問した時は真っ暗だった下戸地区や相川病院前も明るかったし、佐渡奉行所も綺麗にライトアップされていた。奉行所などは時鐘楼同様通年でライトアップすればいいと思う。夜の明かりは人々の心を温める希望のともしびだ。今年の10月19日は平日だが、祭りは夜が更ければ更けるほど華やかさを増す。仕事の都合で昼間の祭りを見学出来ない人も、業務終了後に訪ねてみてはいかがであろう。善知鳥神社の隣にある春日神社までライトアップされているので、夜の神社撮影をご希望の方は是非10月19日の夜の相川を訪ねて欲しい。

宿泊したホテル大佐渡

春日神社の能舞台

同本殿

炭屋町辺りの民家

下戸町辺りの民家

夜の太鼓組

弥平さん辺り

私も祭りに参加してまちゅ

私もよ

ちょいと休憩

二町目辺りにある格子戸を潜り抜ける玄関のある家

夜の喫茶店「カトレア」

羽田町周辺

ライトアップされた佐渡奉行所

相川祭りの日の相川病院。普段は真っ暗です

奉行所

正門

3月21日の春分の日に一泊二日で、ライトアップされた夜の熊本城(九州熊本県)を見に行って来た

そしたら鹿児島に次いで二番桜が咲いていたよ。満開の夜桜見物が出来て超ラッキー!

夜桜越しに見た熊本城の飯田丸五階櫓。桜の花びらが緑色に写っており、ホワイトバランスの調整が上手くいかなかった失敗写真だが雰囲気は伝わると思う。以上の三枚はニコンD810で撮影した。


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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその10

2015年03月16日 05時47分50秒 | 佐渡相川祭り
注連縄が切られると、いの一番に獅子が境内の階段を駆け下りる。そして、太鼓組の面々が続き、下り羽会の方々が降りていく。最後にいよいよ神輿の出立となるが、神輿は本殿前でまるで逡巡するかのように5回ほど行ったり来たりを繰り返す。これは神輿が相手に対し礼をつくす所作で「シキ」と呼ばれている。「シキ踏み」は神輿の道中、「松栄家、相川支所前、博物館前、大工町天満宮、夕白町お旅所、下相川元宮入り口、柴町お旅所」で行われると決まっている。更に、大工町太鼓組、下戸下り羽会と出会った場所でもお互いの道中の無事を祈願してシキを踏むがそれ以外は棒組頭の判断で行う。個人宅である松栄家でシキを行うのは、過去に松栄家は多大な寄付を行い善知鳥神社へ大きな貢献をしたため、松栄家の末代までの繁栄を願うためとされている。下り羽会が善知鳥神社の鳥居を潜り終えた神輿を笛・太鼓で送り出し、神輿は鹿伏へと向かう。そして一旦鹿伏でUターンした後に相川の街中へと歩を進める。筆者が神輿を見送り終えたのは午後3時10分であったが、これから約7時間に渡り、途中休憩を挟みながら延々と神輿渡御が続く。





























































































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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその8

2015年03月05日 02時45分41秒 | 佐渡相川祭り

翁面を付けた人の事を豆と言い、その舞を「豆撒き」と称している。豆撒き神事の由来に関してはケンパ様のブログをお読み頂くとして、筆者は太鼓、豆撒き、そして獅子舞は相川の町人文化の名残ではないかと思っている。そして下り羽は公家文化で、注連縄切り侍は武家文化の名残だと思っている。「金山で栄えた相川には、全国から参集した町人、侍、御公家集の三者の文化が融合して祭りが発展して来た」と筆者は考察している。

1601年、一寒村だった相川に金鉱脈が発見されると佐渡島は丸ごと天領となり、政治の中枢としての佐渡奉行所が置かれた。そしてそれこそ一攫千金を夢見て江戸や京都を初め全国から多くの技術者、労働者、商人などが相川に移り住んだ。隆盛期の相川の人口は約4万人に達したとされ、当時九州一の大都市だった長崎の人口が5万人であったから、いかに相川が大都市だったかが分かろう。そして相川はあらゆる地域のモノ、人、情報、文化風習の坩堝と化し、自由な気風で新陳代謝の激しい謂わばニューヨークのような街へと変貌した。その街で生まれ育まれた伝統ある祭りそれが相川祭りであり、佐渡の他の集落のそれとは一線を画した壮麗なる祭りである。あと一ヶ月の冬を我慢すれば、佐渡は祭り一色の季節を迎えるが、それらは程度や様式の差こそあれ、鬼太鼓と獅子舞と神輿の組み合わせがほとんどである。だからどの集落の祭りを訪ねてもどれも似たり寄ったりの印象だが、佐渡の祭りのフイナーレを飾る謂わば祭りの「おおとり」とも言える相川祭りは、迫力、規模、被写体の美しさ珍しさに於いては群を抜いている。それは、筆者が供覧して来たこれまでの画像の数々をご覧になれば自ずとご理解頂けるであろう。猶、下がり羽、獅子舞、豆撒きなどは、相川大浦集落の祭りでも披露されるとの事なので、こちらのお祭りも見物して頂ければと思う。

本日は、善知鳥神社前での豆撒き(三度撒き)の連写写真のハイライト部分だけを抜粋して供覧する。お楽しみ頂ければ幸いである。猶、画面の右端にボカシが入っているが、これは拝殿前の木の葉が邪魔したためである。最後の方にボカシが入らない翁の正面写真を加えておいた。























柿smash、この技はテニスか野球で鍛えないと出来ない技なので、conventionalな踊りの型を守るけんぱさんはやらないようである。









武者とけんぱさん

けんぱさんの前で豆を撒く翁

同じく、少し横を向いた豆













最後の二枚は豆とけんぱさんの両者にピントを合わせてくれたEOS-1DX


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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその9

2015年03月02日 07時53分17秒 | 佐渡相川祭り

豆は本殿の前で三度撒きを行う。次いで、お神輿の前で五度撒きを行い最後に参道において七度撒きを行う。この一連の動きを「七五三の舞」と言う。一番時間がかかるのが七度撒きであり、撒き終えて注連縄切の武者がスタートを切るまで11分ほど参道の階段下の部分で待たされた。七度撒きが終わり薙刀武者が注連縄を切り終えたら、獅子が勢いよく階段を駆け下りる。こうして善知鳥神社での神事は終わり、各行事組は門付けに戻る。武者の注連縄切の瞬間を捕えた静止画像をウエブ上に掲載した人間は佐渡関連では筆者だけである。その場面を動画撮影したものなら掃いて捨てるほどあるが、これだけ高画質のstart→take off→jump→cut→landingの一連の動作を完璧に撮影出来た人は皆無だった。勿論撮影を試みた人は多くいたであろうが、撮影機材の性能がpoorなために成功しなかっただけである。筆者が撮影したような好位置をキープし、EOS-1DXを用いれば誰にでもこんな画像は切り撮れる。もっとも何度でも言うが、誰でもEOS-1DXを手に入れられる訳ではないが。

豆が神輿の前で五度撒きをしている

出発準備完了!

注連縄を見つめる太鼓組のおじさん

「ここを切るんだぜ」と指示するおじさん

「ちょっと高さを確認して来るよ」「ああ、その方がいいな、失敗したら神輿が出られなくなっちまうからな」

参道前での七度撒きが始まった

参道下で待ち構える太鼓組の皆さん

武者のジャンプの瞬間を撮影しようと今や遅しと待ち構える観衆達

武者は、向かって左から右の方へと飛んでいく

豆が後ろを向いて豆を撒き始めたのでそろそろ豆撒きが終了する

push backを完了し、いよいよ武者は滑走路へ

それを見つめるけんぱさんの表情にご注目

充分にエネルギーを貯めておいて、

滑走開始!

右足がtake off

エンジン全開で上昇中

間もなくcut

cutの瞬間

注連縄の切れ端が写っている。

間もなくlanding

無事に着地

けんぱさんがポカーンと口を開けながら「やったあ~」と言う表情を見せている

今度は「うわあ~成功!」と言った表情








今年も注連縄は無事に切れた!!猶蛇足だが、このEOS-1DXは秒間9-13コマの連写性能で上掲の画像群を切り撮り、AFの食い付きは他のカメラの追随を一切許さない凄さだった。


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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその7

2015年02月28日 05時04分10秒 | 佐渡相川祭り

相川大工町の太鼓組の由来と祭りでの活躍については中川けんぱ様がご自身のブログで事細かに述べられているので、ここでは御託を並べるつもりはない。筆者の印象に残った未公開の画像だけを供覧したいと思う。ただ、一言だけ言わせて頂きたい事がある。午後8時から9時頃に、神輿が天領通りを通過する際、神輿と太鼓組が対峙する場面がある。その際祭りを盛り上げようと、「神輿を通せ通さない」と、けんかのようなもみあいパフォーマンスが行われる。これを見た不勉強な地元の佐渡テレビなどが、「神輿を通すまいとして太鼓組がその前に立ちはだかる、この祭りの最大のクライマックスです」などと言う大袈裟なナレーションを流して放映する。太鼓組の名誉のために言っておくが、けんかパフォーマンスは祭り本来の趣旨からは外れている。太鼓組はあくまでも、長い道中を耐え抜いて来た神輿を担ぐ棒組の皆さんに対し、その労をねぎらい無事に神輿を運んでくれた事に感謝し、礼を尽くして太鼓を叩き豆を撒いているのであり、決して神輿の邪魔をしている訳ではない。このけんかパフォーマンスがいつの頃から始まったのか筆者は寡聞にして知らぬが、この光景を見た人々の間に「相川祭りはけんか祭りなのか」と言う誤解が蔓延している。佐渡テレビの制作部の人間もその中の一人であろう。けんぱさんは「誤解を招くような報道は慎んで欲しい」と佐渡テレビ側に抗議したそうだが、けんぱさんの力では佐渡テレビは動かせぬ。だが、天下の佐渡の翼がブログで一声吠えればたちまち今年の秋の放映からはそんな無様な真似はしないであろう。佐渡テレビは地元のテレビ局だけに佐渡島民に与える影響力は大きい。それゆえ、佐渡テレビに於かれては相川祭りの歴史をよく知った上で正確な報道に努めて頂きたいと思う。

太鼓組が拝殿前でお祓いを受ける

後ろ姿はけんぱ様。豆さんは柴町での豆さんの介添え役だったこの方だそうです

同一人物でも光の当たり具合と変装でこうも印象の違った顔写真になると言う好例

太鼓組の少年太鼓

皆ないい顔してるなあ~

こちら白鳥さん

さあ~行くぞ!と気合の入った一瞬

大人の太鼓が始まった

炭屋町の提灯がまぶしい

迫力のある太鼓

それを見つめる太鼓組の女性陣

注連縄切りに備える武者、けんぱさんと豆さん

「よお~しい行けえ~!、そら行け~え!」の声がかかり、祭り太鼓の音が境内に響き渡ると嫌でも血が騒ぐ!


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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその6

2015年02月26日 04時57分08秒 | 佐渡相川祭り

書いていて楽しいブログネタとは、祭りと海外旅行記である。この二つを交互に出しているので、2月から6月にかけては面白いブログネタが途切れる事がない。元気のいい「動」の獅子舞が終了すると、次は下戸下り羽会による太鼓・鼓・笛の「静」の神事である。「下り羽」とは、能楽に使われるお囃子の一つの名称で、特に天女が現れるときなどに演奏されることが多い。天女の羽が天から地上に下がって来る時に謡われる能楽と言う意味であろう。

10月18日は宵の夜で、午後6時に門前から上町に向かい、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛を祈りつつ、笛・鼓・小太鼓で一軒一軒を回り、午後10時頃に帰る。10月19日の本祭りでは午前7時に出発し午後2時に善知鳥神社でお祓いを受けてから神輿に行事を行い、神輿の後に付いて鹿伏へ向かう。 下り羽の大事な行事の一つに、午後8時半頃柴町お旅所から神輿御帰りの先導がある。筆者は夜の下り羽を見そびれたが、佐渡島民に於かれては今年の相川祭りでは是非とも神輿の先導役となる夜の下り羽の演舞をお見逃しなくと申し上げたい。

神輿の前での下り羽の演舞が始まった

小太鼓・鼓・笛を演奏するのは主に小中学生だ

背丈の低い子を一番前に据えるので全体がV字型になる

鼓を打つ男の子のこの緊張した表情が印象的

下り羽保存会全員の姿を写真に納めた

この真剣な表情!

鼓に手がかかった!

縦アングルで

笛も縦アングルで。演奏が終了した頃かな

ほぼ終焉

大役を果たし終えたと言う感じの安堵顔と満足げな顔

提灯行列の面々も揃った

さあ~、次はいよいよ大工町の太鼓と豆撒きである


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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその5

2015年02月12日 05時27分40秒 | 佐渡相川祭り

善知鳥神社での神事は、獅子舞、下り羽の笛・鼓・太鼓、そして豆撒き(本殿前での七度撒き、神輿前での五度撒き、注連縄前での三度撒き)の順に行われる。注連縄前での三度撒きが終了すると、薙刀を持った武者がジャンプしながら注連縄を切る。これに寄り祭りの火ぶたが切って落とされ、神輿が出て行くが、ここまではおおよそ50分ほどの行程である。神事の初回は獅子組による獅子舞である。最近まで使われていた獅子は、大正時代に沢根で製作された一刀彫で、見た目よりも大変な重量がある。石扣町の雄獅子で7kg、小六町の雌獅子で5kgあると言う。それ故祭礼の際には体力のある中学生達がこの重たい獅子頭を持って「わー、わー」と大きな声を皆で出し合いながら、厄払いの為に一軒一軒を廻る。また、神輿渡御の先に進み、厄落とし、無事・安全を祈願し、道中を清める大切な役割もある。獅子は三人が一組となり、神輿の周りを5周ほどする。連続画像をご覧になればお分かりのように物凄いエネルギーを消費する舞である。地元のおじさんは「これを大人がやったら確実に腱鞘炎になる」と言った。獅子舞のこれだけ迫力ある綺麗な画像を撮影したのは筆者が初めてであろう。

13時53分にお神輿の前で、担ぎ手達が全員集合し記念写真を撮った。プロのおじさんが、全員の顔が見えるように、「君はもう少し右へ、あんたはもうちょい左へ」などと指示を出していた。この中にあの華岡清史郎君も写っているだろう。やがて下り羽保存会や太鼓組の面々も集い、これで役者は全て揃った。

下り羽保存会の皆さんのご到着

獅子組の面々が見つめる中、

神輿の担ぎ手集団の記念写真撮影が

始まった

これで全員かと思う

下り羽さんが本殿前へ移動

下り羽の女の子

下り羽の女性

そこいらへん佐渡子さんもいた

小六町の獅子組のおにいちゃんが「よお~し」と言った表情で気を引き締める

まず、青獅子が行ったあ~

続いて緑獅子

中学生がやってるから後姿が可愛い!

緑の立ち獅子

迫力あるなあ~

「もういっちょ行けえ~」とおじさん達が囃したてるので

中学生だから調子に乗って頑張る。獅子舞の写真はこの一枚だけトリミングしました

迫力十分の一枚

青と緑の競演

どうです見応え十分でしょ。


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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその4

2015年02月10日 05時45分12秒 | 佐渡相川祭り

午後1時10分、神馬に乗った天狗様がご帰還になった。善知鳥神社にいたおじさんが示した予定帰社時刻よりも40分遅い。馬の手綱を引く係りは毎年同じ人がやっている。佐渡の他の集落のお祭りでは、鬼太鼓、獅子舞、花笠踊り、神輿くらいしか出て来ないので、ま、ある意味ワンパターンでマンネリ化しており、一回見ればそれで充分だが、相川祭りは、金山で栄えた街が発祥の祭りゆえ、町人文化、公家文化、侍文化が融合したような独特の祭りで、島の祭りとしては異色で異彩を放っており、佐渡島民ならば一度は見物しておくべきお祭りである。天狗は両津の湊祭りでも出て来るが、馬には乗らない。神輿の頂上部に鳳凰を取り付ける儀式は午前10時30分から午後1時の間に行われたようで、筆者は食事中のためその場面を撮り逃がしてしまった。従って、その場面は善知鳥神社の公式HPからの画像を引用させて頂く。

これがその画像です

天狗のご帰還

拝殿前に到着

ここで馬から降りる

介添え役に

助けてもらいながら

降りた

拝殿へ向かう

拝殿前に座り

脱いだ草鞋を

床に置いてから拝殿へと入った

神馬を見守る親子

馬のお尻

神馬の全景

お鼻部分

総代さんが提灯を吊り下げている

出番を前ににこやかに談笑する神輿の担ぎ手達

何とも楽しそう

今度は獅子組の面々である

今年の獅子組は気合の入れようが違う!

カメラ目線できりりとした表情

これは青獅子だ

緑獅子

の面々

青獅子

緑獅子


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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその3

2015年02月08日 06時49分36秒 | 佐渡相川祭り

つるやさんで食事を終了したのが午後12時30分。それからふらふら海岸通りを神社の方に向けて歩いてみた。筆者は、丁度神社の裏手にある護岸部分に座り、神社の境内の様子を窺いつつ海を眺める事にした。神社での祭り行事の開始は午後2時だが、早くも午後12時50分頃から神輿を担ぐ若者達が三々五々集まり始めた。そして拝殿の右手にある社務所内で白装束に着替え始めていた。筆者もだんだん血が騒いで来たので、待ちきれずに午後1時に神社の境内に入った。するとEOS-1DXとEOS5DMark3を首からぶら提げた、いかにもプロカメラマンと言った感じのおじさんがいた。さすがにプロだ、単なる風景写真(静止画)は画素数の多いEOS5DMark3で撮影し、高速連写時と夜間撮影時はEOS-1DXと使い分けている。これが正しい姿だ!一瞬そう思ったが、後でそれらを写した画像を解析した結果これがとんだ間違いで、EOS5Dや7Dシリーズにバッテリーグリップを装着すると外観はEOS-1DXそっくりになるので筆者の勘違いと判明した。従って、EOS-1DXのようなプロユースのカメラで相川祭りを撮影した人物は後にも先にも筆者だけである。従って、これらの画像の数々は佐渡に取っては実に貴重な宝となるので、どうぞこの素材を自由にご利用下さい。筆者は、昨秋の海外旅行の際に、ヨーロッパの古い建築物や美術品の撮影には、もう少し画素数の多いカメラが必要だと感じていた。今秋の欧州旅行ではバルセロナを訪問する予定になっており、華麗なるガウデイの建築物の数々を撮影せねばならない。EOS-1DXだけではちと物足りない写真集になるので、昼間撮影には今年の6月に発売予定の、画素数がニコンD810を上回る5060万画素を達成したキャノンEOS5Ds(実勢価格が約46万8000円)を用い、夜間撮影時にはEOS-1DXを用いる予定である。EOS5Dsの作例報告の詳細は、発売開始後の6月にブログ上で発表予定であり、それまで楽しみにお待ち頂ければと思う。どちらもキャノン製だからレンズを共有出来るため、本体重量が約980grmのEOS5Dsと言う荷物が増えるだけに過ぎない。総額約130万のカメラ機材を携えながらファーストクラスに搭乗しスイートルームに宿泊しての欧州旅行となれば、どんな写真が仕上がるのか今から本当に楽しみである。

同じくキャノンのEOS7Dのユーザーであられる、広島出身者の「佐渡発 写真便り」(佐渡なびにはまだ未リンクの新興ブログ)さんに於かれては、ただ指をくわえて眺めるだけしか出来ないのだが、風景撮影に於いては撮影テクニックよりも画素数の多さが命であり、キャノンやニコンのハイエンドマシーンを使いこなす左度の翼君は彼らの憧れかもしれない。

そして多分、相川祭りの実行委員会が雇ったのではないかと思われる、EOSのカメラを三脚に据え付けて神輿の担ぎ手達の集合写真や祭り風景を撮影するプロカメラマンのおじさんもいた。そのレンズを見たら、筆者の24-70F2.8の最新レンズよりも価格の安いレンズだったので、「機材だけはプロに勝てたな」と思いながら、妙な優越感を味わった。

神輿の担ぎ手達の集合写真撮影が終了すると、獅子組、下り羽、太鼓組、豆などの面々が続々と神社に終結し始めた。境内では、BSN放送が地元の歴史研究家にインタービューする場面を撮影したり、BSN放送の女性アナウンサー達が佐渡最大規模の相川祭りの由来を神社関係者に取材したりしていた。昔は、境内に入りきれないほどの観衆が集まったそうだが、現在では筆者が写真撮影のために自由に境内を移動出来るくらいの混み様だから、地元のおじさんが「相川祭りも観衆が減って寂しくなった」と嘆くのが良く理解出来た。だが、祭りと言う物は自然に血が滾る。この日ばかりは庶民が神になる、その神々を見ているとこちらも血潮が逆流し、テンションが上がる!この不思議な高揚感こそが祭りを見物する醍醐味である。

おにぎりを頬張りながら談笑する神輿の担ぎ手達

陰から担ぎ手を支える奥さんとそのお子さん

BSNテレビのインタービュー場面。

インタービューを受ける地元の歴史研究家

ビールを飲みながら景気付けをする若者達

お神輿を撮影するおじさんやお兄ちゃん

そしておばさんもコンデジで撮影

二人のプロカメラマン

缶ビールで喉を癒してと

祭りの進行状況を確認する総代のおじさん

二台のEOSカメラを持ったおじさん

石灯籠の前にいた2歳くらいの可愛い女の子

子供二人を抱えたおじさん

「お、それいいね」と言った表情の若者

神輿の前に担ぎ手を集めて集合写真を撮る準備だ


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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその2

2015年02月06日 04時39分10秒 | 佐渡相川祭り

柴町での豆撒きを見終えて時計を見たら午前10時20分だった。天狗さんが馬に乗ってお祓いをしながら街を練り歩く、所謂「猿田彦の尊」が善知鳥神社を出るのが午前10時30分の予定と聞いていたので、筆者は大急ぎで善知鳥神社へ向った。猿田彦は天孫降臨の際に道案内をしたという説から、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視された。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られている。つまり天狗は猿田彦のお使いと言う訳なのだろう。この馬乗り天狗は昔は紙屋町と炭屋町が出していたが、現在は善知鳥神社が出している。午前10時32分に神社に到着したが、神社内にはお神輿とおじさん達が数名いただけ。何だかおかしいと思い、おじさんに「天狗と馬はもう出ましたでしょうか」と問うと「30分前に出たっちゃ」とのお返事。すかさず筆者は「神社に戻るのは何時頃でしょうか?」と問い返したら、「午後12時頃には戻ると思う」とのお返事であった。ところが実際の帰社時刻は午後1時10分であり、相川祭りに於いては(相川に限らずどこでもそうだろうが)、祭りの進行状況は出たとこ勝負で、その日の天候や観衆の規模、道路の交通事情などで予定はくるくる変わる。従って、予定時刻よりも早目に目的の場所に到着しないと撮影のタイミングを逃すし、いい撮影場所もキープできなくなる。善知鳥神社での祭りの行事開始予定時刻は午後2時との事で、確かに獅子組の獅子踊りは午後2時丁度に始まった。だが祭りの前哨戦は既に午後1時02分には始まっていたのだ。

筆者は、あまりの予想外の暑さのため、着用していたベストをホテルに預けるために一旦ホテル大佐渡へ戻った。そして再び相川の街へ行き、まずは腹ごしらえとばかりに、タクシーのおじさんが美味しいよと勧めてくれた初寿司さんを訪ねてみた。だが、「生憎今日は祭り関係者の食事を作るために一般客の利用は出来ません」とのお返事だった。止む無く、西警察署前にあるスパゲッテイー屋の「つるや」さんにお邪魔した。午前11時57分にお店に入り、「海老スパ(700円)」を単品で注文した。このお店には、パスタ単品(海老、肉、ミートの三種がある)、パスタ&ライス、パスタ&ライス&カレーの組み合わせのメニューラインナップがあり、腹を空かせた子供連れや祭りのために帰省した若者達で賑わっていた。海老スパとは、要するに喫茶店で良く出されるナポリタンスパの事で、ケチャップをふんだんに使っている。具剤は、茹でた小さな芝海老、玉ねぎ、ピーマンの三種で、非常に美味しかったものの、繊細な高級イタリアンのトマトソース味のパスタに慣れ切っている筆者の舌にはちと重すぎる味わいだった。

まだ、街は祭りと言う雰囲気ではない

神輿を縦方向から見るとこんな感じ

提灯行列を先導する提灯櫓

善知鳥神社総代のおじさん達

拝殿前

拝殿内では神事が執り行われていた

巫女さん達も準備完了

昨年のお神輿と神輿の上に装着する鳳凰

神輿越しに撮ったおじさん達

この注連縄が切られると神輿が出て行く

ご奉納下さった方々のお名前

元気な獅子組のお兄ちゃん達

初寿司さん

祭り提灯

「つるや」さん

メニュー

ウインナーソーセージが一皿300円

何故かいまだにロンドンオリンピックのイラストが飾られていた

店内の様子

海老パスタ




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佐渡相川祭り(2014年:平成26年度)ドキュメントその1

2015年02月02日 05時13分33秒 | 佐渡相川祭り

筆者は佐渡相川柴町のお旅所へ、午前10時頃に到着した。2014年の相川祭りは400回目の記念例大祭に当たるため、昨年までの軽い神輿に代わり、昭和44年に作成された1トン弱の重さがある重厚な神輿が日の目を見た。そうなると当然ながら担ぎ手を増員する必要があり、善知鳥神社では公式HPを立ち上げ担ぎ手を募集した。華岡君に於かれてはさぞかし担ぎ甲斐のある神輿になった事と思うが、これを休憩を挟みながらとは言え延々7時間近くも担ぐのだから大した根性と体力である。「担ぎ手は20~40代の健全な男子に限る」と、神社側が担ぎ手に厳しい条件を付けたのもむべなるかなである。下手に50代のおじさんに担がせて、途中で心筋梗塞で倒れられたりしたら祭りはぶちこわしになる。いや、若者集団と言えども、この長丁場無事に神社に戻って来られる保証はない。文字通り命懸けの祭り、それが相川祭りなのだ。この壮麗なる祭りを、佐渡に住んでいる人でさえ相川以外に居住していると、見る機会はほとんどないと言うのだから、灯台下暗しである。

さて、神輿渡御の休憩時に神輿を鎮座させる台をしつらえてある場所をお旅所と呼んでいるが、柴町のそれは、祭りの最終局面で使用される。そしてこの場所から長い提灯行列の集団が神輿の後を追いながら善知鳥神社まで付いて行く。善知鳥神社のHPには、午前10時頃にここで豆まきと注連縄切が行われる予定と記載されていたので、予定時刻にお旅所へ行った。だがそこには人っ子一人おらず、しかも注連縄がないのでおかしいなと思った。街は普段どおりに静まり返っており、本当に今日は祭りなのか?と思うくらいの静けさだ。すると、大間寄りの方向から威勢のいい太鼓の音が聞こえて来た。筆者は慌ててその方向に向かって走り始めた。相川祭りの太鼓は大工町の太鼓組が叩くと毎年決まっている。太鼓のリズムは、両津湊祭りの鬼太鼓の際の太鼓の如く力強いものの、テンポがやや遅い印象だ。従って、叩き手が疲れて来ると、やや冗漫な音色になる。

豆まきは鬼太鼓の門付けと同様、一軒一軒回りながら行う。これを午前10時から午後10時近くまで、三人の豆が交代で12時間ぶっ通しでやる。途中休憩はあるものの、最後はへとへとになり、踊ると言うよりもただ手足をぶらぶらさせるだけの緩慢な動きになってしまう。従って迫力ある翁(豆と言う)の踊り(豆まき)を撮影したければ、彼らが体力を温存している午前中か、午後2時前後の善知鳥神社前で待機する事をお勧めしたい。

豆さんが升に手をかけた瞬間

豆まきの最後はこのようにジャンプする

撒き終えて一礼する直前

礼!!有難うございました

この写真の中に、ケンパさんの御子息も写っておられるのではないかと思う

太鼓叩きはこの1枚だけがピントが合っていた

薙刀を持った注連縄切のお兄さんで、別名「離島侍」さん。トリミングしたのでやや画像が粗い。

緩んだ草履の紐をおじさんに結びなおしてもらっている

やや、ふてくされた感じの表情で写っている男の子

これは、ケンパさんのブログから引用させて頂いた2013年の相川祭りの際の記念写真。上の写真はケンパさんの三男坊様ではないかなと思っていますが、違っていればご指摘下さい

太鼓櫓を乗せたリヤカーを引くのはおじさんの役目

豆さんの翁面の紐を緩め始めたところ

緩め終わった

「ああ、暑かった」とでも言いたげな表情で次の家へ向かう豆さんとその介添え役

凛々しい太鼓叩きのお姿

提灯持ちは女性陣の役回りのようだ

このおじさんから「柴町での注連縄は既に切られた後だった」と聞かされた。文字通り後の祭りだった。


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