佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

i8ロードスターPR動画

https://twitter.com/i/status/988688999794409472

ホテル吾妻再び   投稿者:佐渡の翼

2011年09月30日 04時33分31秒 | 佐渡のお宿評価

8月3日、筆者は夏休みの最後の締めくくりとして七浦海岸にそびえ建つホテル吾妻に宿泊した。午後5時頃にお宿に到着した。愛車を駐車場の一角に停めると、お荷物運び担当のおばさんが車に近づいてきた。筆者は白のマリンバッグとセルジオロッシの紙袋をおばさんに持ってもらいお部屋へと向かった。予約時に1泊朝食付き22,000円の部屋だと言う事を聞かされていたので多分gradeの高いお部屋だろうなと思っていたら、予想通り4階に12畳のお部屋が用意されていた。しかも角部屋の460号室(月光の間)を手配してくれていた。「佐渡の翼は、流行らないがいいお店や開店間もないお店に現れてはそのお店を応援する記事を掲載して弱きを助け、観光案内本で褒めそやされて殿様商売を続けるお店に出没してはその天狗の鼻をへし折り強きをくじく、そして不正・不条理を正す正義の味方、まるで月光仮面のようだ」と巷間言われているようだが、何やら意味深な部屋名であった。部屋の中にはいい香りの香の残り香が漂っていた。香のselectionは女将さんがしているのであろうか、大変いいセンスである。シャワーを浴び、ほどよくエアコンが効いた室内で寛いでいると外へ出掛ける気が全くしなくなった。実は佐和田の春日寿司に行く予定だったがその意欲は急速にしぼんだ。そうだ、ロビーのお土産売り場に酒のつまみが並んでいたな、それを購入して部屋で一杯やって終わりにしよう、そう思ってお土産売り場を物色してみた。そこには荷物を運んでくれたおばさんがいた。筆者はバリポリ小魚ミックスと元祖柿の種、真野鶴の大吟醸180mlを購入し部屋へと戻った。小魚ミックスは子供のおやつ代わりで甘ったるいのでほどほどにしておいた。

 


佐渡フイッシャーズホテルの朝食   投稿者:佐渡の翼

2011年09月29日 05時13分04秒 | 佐渡のお宿評価

夕食時に給仕をしてくれた一年前のちょっといかしたおねーさんが「一人旅ですか?」と分かりきった事を聞いてきたので「そうです」と答えた。すると「佐渡では何泊されるんですか?」と尋ねてきたので、本当は4泊だが「3泊です」と嘘をついた。おねーさんは「え~、今日から3泊ですかあ~?」と驚いたような声で尋ねてきたので「今日で3泊目です」と今度は正直に答えた。おねーさんと筆者との間の会話はこれだけである。もしこの会話のsituationがクラブやスナックだったら、「お客さん2回目ですよねえ~、お久しぶりです」などと話しかけられ、お世辞の一つや二つも出てくるところだが、このおねーさんはクラブやスナックのホステスさんではなく、あくまでもホテルの女性従業員の一人である。おねーさんが当方を佐渡の翼と気づいていたのかどうか知る由はないし、例え気付いていたとしても知らないふりをしていたのかもしれまい。だが、筆者が将来このおねーさんと出会う事は二度とないであろう。何故なら、筆者は今日でこのホテルでの宿泊を最後にしようと心に決めたからだ。そう決めた理由は、同じ料理が出てくる可能性に加え、このホテルの場所が佐和田や両津の街中から遠い点だ。

前回宿泊時はフェリーの乗船時間が迫っていたため朝食を食べるのを断念せざるを得なかったが今回は日程に一日の余裕があったので朝食を楽しめた。朝食は午前7時半に同じレストランに用意されていた。給仕役の中に昨晩のおねーさんの姿は無かった。まず、かれいの一夜干しを食べてみた。美味いなあ~、酒のつまみに抜群の一品である。若芽の田舎煮は甘からく煮てあってとても美味しい、銀葉草のぬた合え、蕗味噌、板さん手作りの玉子焼き、サラダに漬物、全て地の物を使用した朝食である。これにご飯と長藻のお味噌汁。ああ~小さな幸せが一杯!1泊2食と生ビール1ジョッキを含めたお代は22,730円、朝食抜きの昨夏よりは高かったが、数々の思い出を残してくれた佐渡フイッシャーズホテルだった。

 

 

 


佐渡フイッシャーズホテル再び   投稿者:佐渡の翼

2011年09月28日 04時48分41秒 | 佐渡のお宿評価

8月2日の午後2時、筆者は石名の集落に辿り着いた。今年の5月に遊歩道が整備された天然杉を見学しに行こうと思い、そこへの到達ルートを尋ねるべく、ある雑貨屋のドアを開けた。するとおばさん曰く「この県道を真っ直ぐ東に向けて進むと橋がある、そこを渡りきったら右手に林道が見える。その道を北上すると天然杉に至る」との事であった。何でも車で30分、そこから歩いて20~30分でようやく天然杉に辿り着くそうで、見学時間を含めると往復の所要時間は約3時間。しかも林道は狭く車のすれ違いに難渋するとの事で、筆者のばかでかいBMが乗り込めるような道ではないなと直感し、今回は見学を諦める事にして今夜の宿泊先である佐渡フイッシャーズホテルへと向かった。鷲崎の中京屋さんでレモンチューハイを買い求め、隣のJA鷲崎店で佐渡牛乳の可愛い200mlパックを4個買った後ホテルへと向かった。午後3時丁度にホテルに到着した。フロントへ向かおうとしたら右手から「チェックインですかあ~?」の声が聞こえてきた。見ると、1年前に宿泊した時に「海へ行ってきたんですかあ~?」と声をかけてきたあのちょっといかしたおねーさんの可愛い笑顔があった。お部屋は昨年同様定員4人のロフトの201号室(ホテルでは特別室と称している)。シャワーを浴びた後、暮れ行く二つ亀を見ながらテレビのスイッチを入れてみたら地デジの受信状況はバッチリであった。昨年と違う点と言えば可愛い裁縫セットがアメニティーグッヅに加わっていた事だ。海岸付近の山野をトレッキングすると草木にひっかけたりして衣服が破れる事はままある話。そんな時のお助けグッヅとして重宝するだろうと従業員の誰かが提案して置かれたものかもしれない。筆者も、都心に出てから衣服のボタンがはずれるアクシデントに見舞われた事が何度かあったのでリペア用の裁縫セットを車の中に常備している。

夕食は午後6時からレストランサンセットに用意されていた。1卓を除いた全席が宿泊客で埋まっていたのでほぼ満室の御盛況であった。テーブルの上に並べられたお料理を見たら、何と昨年とほぼ同じ献立である。違う点と言えば、先付けの海老いくら乗せ、御造りの鯵・石鯛、握りの鯖くらいで他は昨年12月の記事写真と見比べてみればお分かりのように寸分違わぬ料理内容である。宿泊する季節は同じでも日にちが違えば獲れる魚種は違ってくるだろうに、これだけぴったり同じ料理を再現できるのはある意味、いや逆の意味で凄い芸当としか言いようがない!観光客の中にはデジブックのお料理の写真を見、そのお料理と同じ物を食べたいと思ってこのホテルを選ぶ人がいるかもしれない。そうしたお客に配慮した演出かもと推察するのは少々穿ち過ぎかもしれないが。。。同じような料理を二度食べさせられた筆者にとっては新鮮味が少なかったが、美味しい物は何度食べても美味しいのには変わりがない。


居酒屋「ありんこ」(佐渡市新穂)  投稿者:佐渡の翼

2011年09月27日 05時06分24秒 | 佐渡の居酒屋

県道南線を真野から新穂に向けて走行し、日吉神社があるT字路に至る手前にJA経営の葬儀場がある。その手前に左へと入る小道があり、その道路を進んだ右手に居酒屋「ありんこ」がある。筆者は8月1日の午後6時頃にこのお店にお邪魔した。7席ほどのカウター席以外はお座敷席で、そこには6人が座れるテーブル席が2卓あり、その間に二人掛けのテーブル席があった。午後6時だと言うのに先客は皆無だった。筆者はこの席に座り、まずウーロン茶を注文した。中年の女将さんが一人でお店を切り盛りしていた。そのせいかメニューの品数はかなり絞ってあり、佐渡の他の居酒屋でよく見られるような、何でもかんでもありと言うような感じではなかった。佐渡食べ歩きグルメガイドではこのお店のハート型の玉子焼きがおすすめメニューのようであったが、筆者は、冷奴と烏賊の一夜干しを注文してみた。この日の朝は、ホテル大佐渡でお豆腐を食べたばかりだが、朝も夜も筆者の主食は大豆なのさ。ほどなくして冷奴が出来上がった。豆腐の上には鰹節、生姜、葱が乗せられていた。冷奴などどこで食べてもさほど味は変わらないだろうとお思いの読者は多かろうが、どっこい、豆腐の種類や薬味の選び方でかなり味わいは異なってくる。この居酒屋の冷奴は、家庭料理のそれに近く、大変に美味しかった。

次いで烏賊の一夜干し(画像)が焼き上がった。「目黒の秋刀魚ならぬ、烏賊の一夜干しは相川に限る」と言うのが筆者の信条だが、この居酒屋の烏賊の一夜干しはそれらを遥かに凌駕するくらいの美味さだった。「烏賊の一夜干しなんて、焼いてマヨネーズを添えるだけだろう、どこで食ったってさほど違いがあるまい」とお思いの読者は多かろうが、美味しい烏賊の一夜干しを提供するためにはまず烏賊の仕入先を吟味せねばならないし、焼き加減も中途半端ではだめだ。この居酒屋の烏賊の一夜干しがいままで佐渡で食べたものの中で一番美味しかったように思う。食べ終わるまでの間、女将さんは当方に話しかける事はなく、黙々と予約客用の付き出しの下準備に余念がなかった。筆者が食べ終わる頃にようやく地元客が姿を見せた。おじさんはまず生ビールを注文した。どうしておじさんと言う者はとりあえずビールなのだろうか?このおじさんは烏賊の丸干しと枝豆を注文したが、女将さんは「今日は枝豆はありません」と言ってその注文を断った。8月だからそろそろ露地物の枝豆が出回る頃だが、この女将さん、地元からの入荷がなければ冷凍枝豆でお茶を濁すような安易な商売はやらない主義のようだった。厳選された地元の旬の素材で調理したお料理で美味しく酒を飲ませるお店、それが居酒屋「ありんこ」なのだろう。お代は1200円、30分ほどの滞在だったが、玄関のほのかな明かりが手招きするような、そんな心休まる居酒屋だった。


カスケイドカフェ(ANAインターコンチネンタルホテル内)   投稿者:佐渡の翼

2011年09月26日 06時23分57秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記

9月23日から始まった3連休の最終日も東京地方は絶好の秋晴れに恵まれた。筆者は、ホテルのブッフェ部門で第一位を獲得した評判のカスケイドカフェを予約した上で訪ねてみた。地下鉄大江戸線の六本木駅で降り、六本木ロアビル方面へと歩くと麻薬の密売人風の得体の知れないイラン人やらトルコ人らがたむろし、そしてキャッチガール風のいかにも薬をやっていそうな外国人女性数人がたむろし、「本当にここは日本なのか?」と錯覚しそうであった。スペイン坂から桜坂を経由してANAインターコンチネンタルホテルに到着し、2階のカスケイドカフェに午前11時半丁度に到着した。並べられたお料理を見渡してみたら和風と言える物は無く、中華と洋食が中心のブッフェであった。

 

洋食と言えば、またぞろ、あの洋食屋店長の話になるのが理の当然。この店主、「佐渡なびのブログアクセスランキングの機能を利用しただけで不正とは言えないだろう」と強弁しているようだが、それで佐渡市観光課や佐渡観光協会の関係者は納得するとでも思っているのだろうか?だとするとかなり幼稚な頭脳構造でしかない。佐渡なびのブログアクセスランキングの機能を悪用した誰の目にも明らかな不正だからだ。その昔、犯人の自白を引き出す名人と言われた人情刑事がいた。この刑事の自白誘導の手法は、被疑者の家族の話をする事だそうだ。家族の話になると、それまで黙秘を貫いてきた被疑者は思わずホロリとなり、ついに自白せざるを得なくなると言うのだ。告訴と言うものは忘れた頃にやってくる。その不正が一年以上を経てから突然告発されることはままある事。この店主、電話が鳴るたびに、警察からでは?とびくびくしながら息の詰まる毎日を過ごさねばならないのだから仕事など手には付かないだろう。この店主、家族にその累が及んで初めて告白する気になるのかもしれまい。その累とは、店主は色々と思い巡らせ、当ブログ宛に尋ねたくてうずうずしているのかもしれまいが教えてはやらぬ。いい年をこいた大人だ、自分の頭で考えよ。

 

この店主が第三者を装ってスレッドを立ち上げた時は誰もが騙された。こそこそ不正を働く狡猾な店主だ、そのくらいはやりかねまい。そして必死に「不正ではない」と言い張り、自らを擁護する書き込みを続けた。このまま不正疑惑の店主と言うマイナスイメージを引きずり続ければ店の売り上げにも影響しかねまい。フイッツの時は店主が正直に告白し謝罪をしたので雨降って地固まったのかもしれぬが、知らぬ存ぜぬを押し通し続けるこの店主の場合、液状化が進行するだけだろう。

 

前菜(画像)は、ハム、ソフトサラミ、パテドカンパーニュ、プチサンドイッチ、ムール貝、めかじき鮪、鮭のスモーク、そしてお野菜だ。メインはシーフードピザを二切れ、カルボナーラパスタとパエリアを少々、そして海老ニラ饅頭を1個だけ。デザートはヨークシャプデイングにミニサイズのケーキを5個皿に盛った。お代は3740円。いずれも文句無く美味しかったが、ビュッフェレストランとしては京王プラザホテルのグラスコートの方が上だなと感じた。

 

甘味は1週間に一度という自らが決めた掟を破ってしまったが、別に罪悪感は感じなかった。真野の店主は「ランキング不正は犯罪行為」と言う認識はお持ちのようで、さぞかし毎日罪悪感にさいなまれていよう。顔の美容整形手術を受けてまで死に物狂いで逃亡生活を続けた、あの市橋容疑者ですら、黙秘と拒食は1ヶ月で途切れた。これだけ騒がれているのに無傷でいられるはずが無い。店主はどこまで耐え切れるのか?恐らく限度は1ヶ月だろう、まず周囲の人々に真実を告白するに違いない。管理人さんの2回目の告発記事を「酷い」と言って弱音を吐いた店主だ、自白陥落はもはや時間の問題だろう。そして、これだけ言われれば、誰かが同情してくれるだろうと淡い期待を抱きつつこの店主は現場にちょくちょく戻っているようだが、佐渡島民はそしらぬ顔である。自身のブログの不正行為は中止したようだが、その不正手口の標的に他人のブログを選ぶなどと言う逆恨み行為だけはしないだろう。店主よ、化けの皮は剥がれている。いい加減観念したらどうだ。


ヴィクターズ(ウエスチンホテル東京内)   投稿者:佐渡の翼

2011年09月25日 05時54分55秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記

台風一過でよく晴れた9月23日、筆者は恵比寿のウエスチンホテル東京の22階にある、フレンチレストラン「ヴィクターズ」を訪ねてみた。午前11時半丁度にお店に到着した。受付のおねーさんに「予約の無い一人客」である旨を告げると、数分待たされた後に、窓際ではない席へと案内された。筆者が一番乗りで、遅れて予約客とおぼしき50代のおばさん3人組が窓際席へと案内された。おばさんだってたまには弾けたい。次いで40代後半とおぼしきおばさん二人連れが筆者の隣の席に腰掛けた。最近のおばさんはお洒落でけっこう若作りをしていて年の割には妖艶である。おばさんばっかりだが、ま、いいや、筆者は前菜、スープ、メイン、デザートからなるエレガントコース(4000円)を注文した。前菜は、「戻りカツオの炙りと秋ナスと生姜のマリネ、枝豆のディップ添え」である。旬の戻りカツオは脂がよく乗っていて本当に美味しいな。スープは「ラングスティーヌ(赤座海老)と秋茸のコンソメ、生姜のアクセント」をチョイス。ミニトマトときぬさやも入っていてこのスープも美味だ!メインディッシュには1500円増しで「和牛ヒレ肉のグリル、じゃがいもと小さな野菜のタルティーヌ添え、葱風味のソース」(画像)を選んだ。この美味いステーキを味わったら、佐渡の某レストランのステーキなどはちゃんちゃらおかしくて食う気にならないだろう。ブログアクセスランキングの不正疑惑の渦中にある人物が経営するお店だ、トレーサビリテイを証明する文書を掲示しているのかどうか知らぬが、そうしない限り、そこで出される和牛は国産黒毛和牛を佐渡牛と偽って出しているのでは?と言う疑惑の目をむけられてもしょうがあるまい。不正を働いたと言う疑惑をもたれた店主が経営するお店も又、何らかの不正を働いているのでは?と十把一からげで見られてしまうのが世の常だからだ。店主が疑惑を晴らさない限り、いつまでたっても折に触れてこの点をしつこく追求されるだろう。不正を働いた者にとって、沈黙は「金」ではなく、「有害な黒い石」なのだ。この店主は沈黙を守る限り、「今度は何を書かれるのだろう?あのブログが何かを言うたびに災難が降りかかりそうだ」と一生涯びくびくしながら毎日このブログをチェックせざるを得まい。「俺は不正疑惑と言う十字架を背負ったまま一生涯を過ごさねばならぬのか?厄介な事になった」とさぞかし悔いているだろう。天網恢恢疎にして漏らさずと言う言葉どおり、天罰はいずれ下ると思った方が賢明だろう。そして、だんまりを決め込んだツケはじわりじわりとボデイブロウのように効いてくる。店主一人が責めを受け解決されるべき問題なのに、言いたくはないが、影響は店主一人だけに留まる訳ではなく、その家族にも累が及ぶ可能性が無きにしもあらずだからだ。この事は店主にとって最も辛い事だろう。彼らには何の罪もない。にも関わらず、店主の不始末が彼らに影響を及ぼす可能性が無い訳ではないからだ。「犯人は必ず現場に戻る」と言う刑事の捜査鉄則がある。同様に、不正を犯した者は、自分が他人からどう思われているのかが非常に気になるものだ。だから現場にちょくちょく戻っては尻尾を捕まれてしまった。自身の不正は棚に上げ、某情報掲示板に自作自演のスレッドを立ち上げ、ハンドルネームをころころ変えながら、せっせと自らを擁護する書き込みを行っている様は滑稽を通り越し哀れとしか言い様が無いし、開いた口が塞がらない。少なくともそのふしがある。もし違うと言うのなら管理人宛に堂々と反論するがよかろう。不正を働いているとすれば反論などできっこあるまい。そしてこの店主、自身を擁護する人間が自身しかいないと言う四面楚歌の現状を思い知ったであろう。鉄面皮もここまでくるともうご立派というしかあるまい。「厚顔無恥」とはこの店主のためにあるような言葉だ。今後は、従業員その他この店主を支える何人かの人々の心情を慮った上で慎重に行動すべきだろう。店主よ、もう逃げられないのだ。もがけばもがくほど深みにはまり溺れるのがおちだ。悪あがきはそろそろ止めにした方がいい。断っておくが、店主よ、フリーメールアドレスを取得し、第三者を装ってメッセージを送信しようなどと考えない事だ。何故ならそんな事をしようものなら直ちに発信元が特定され墓穴を掘るだけだからだ。 

 

デザートには「アイスクリームとシャーベット、フレッシュフルーツ添え」を選んだ。フランボアーズのシャーベット、キャラメルとバニラのアイスクリームにラズベリー、苺、ブルーベリーの組み合わせだ。一週間に一度の甘味は禁断の美味さだな。お代は5500円。管理人さんの二度に渡る告発記事は、あの店主に心理的な圧力をかけ、不正行為を中止させる狙いがあったのだなと思いながらこのレストランを後にした。実際、この店主は不正を中止したようで、今週から佐渡のブログアクセスランキングの秩序は正常に戻っている。 


逢田観音(佐渡市多田)    佐渡の知恵袋解答シリーズ

2011年09月24日 04時26分00秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

三助とお菊がこの地で出会った事が逢田の地名の由来とされている。その「おおだ」へ行けば逢田観音ぐらい分かるだろうとたかをくくって出かけてみた。多田と言えば海洋深層水の工場がある所で有名だが、この工場を過ぎたあたりで右手に佐渡市役所松ヶ崎連絡所を見つけた。お役所の人に尋ねて分かるのだろうかと思ったが物は試しとばかりに入ってみた。午後12時半頃だったので丁度役所の昼休み時だった。窓口を開けるとおばさんが机の上に突っ伏してお昼寝中であった。起こして申し訳なかったが、休憩時間外に来いとは言われなかった。おばさんは親切にも逢田観音までの地図を描いてくれた。おばさんは「多田橋を渡ったら右に曲がれ」と言った。おばさんは一本目のつもりで言ったらしいのだが、当方は二本目と勘違いしてしまい結局遠回りをする羽目になった。何のことはない、松ヶ崎連絡所から歩いて行ける距離にあったのだが、おばさんは「車で行け」と言った。佐渡で道案内を請うと皆さん例外なく車で行くという前提で話し始める。この逢田観音の案内標柱は、赤泊方面から車で来た場合、小倉や長谷寺方面へと抜ける道へと左折し、橋を渡ったすぐ右手に入る道へ向かえば目の前に現れる。ここを左折して真っ直ぐ進むと右手に諏訪神社があり、その真向かいが多田の集会所になっている。この集会所の左隣が観音堂であった。確かに初めての人には分かりにくい場所だが、多田橋付近を歩いていたら多分容易に気付くほど県道近くにある観音堂であった。


浜田遺跡(佐渡市真野豊田)   佐渡の知恵袋解答シリーズ

2011年09月23日 04時29分44秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

国道を真野から小木方向へと向かい。マルゴ味噌の建物を過ぎたあたりの左手に大光寺がある。この大光寺とマツモト魚網店との間の道を山側に入った所に浜田遺跡があるとの佐渡なびの管理人さんのご託宣だ。確かにそれらしき道が一本あり、その先は林になっていたので遺跡がありそうな予感がした。浜風を受けながら休憩中のおばあさんに浜田遺跡の場所を尋ねてみたが知らないと言った。マツモト魚網店に入り、店番のおばさんにも聞いたが、やはり知らないとのお返事。地元の人でも知らないようなマイナーな遺跡なのか?そう訝りながらこの道を登ってみた。道はこんもりとした一画を囲むようにカーブしていた。草木の合間を覗くと石を積み重ねたようなものが見えたのでここが遺跡だと確信した。場所は佐渡なびの管理人さん提供の地図とほぼ一致していた。

 

追記:佐渡なびの管理人さんより、浜田遺跡の位置の訂正に関するお知らせがありました。

No.744の浜田遺跡ここにあります。

佐渡の知恵袋解答シリーズでの位置はNo.867の諏訪平遺跡のようです。


法輪寺(佐渡市相川)    投稿者:佐渡の翼

2011年09月22日 06時50分20秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

法然寺の隣には慶長九年の開基である法輪寺がある。このお寺の住職さんは女性だそうで、どうりでベンチシートや、高原のリゾートホテルのテラス席などによくある白い椅子やテーブルなどが巧みに配置され、細やかな女性らしい気配りが感じられるお寺であった。山門を入ってすぐの右側に大きな石燈籠がある。表面には「江戸小屋場中世話人 八蔵」と書かれていたが、これは水替え無宿人達が寄進したもので、その立派さを見ると、地獄の底を見ながら日夜働かされた無宿人達のせつなさが伝わってきて万感胸に迫るものがある。一方左手には五輪塔がたくさん並んでいるが、これらは山師(金山経営者)、味方与次右衛門一族の墓である。更に興味深かったのは、真野の妙宣寺の五重塔を建築した棟梁の墓がその五重塔の大きさに似つかわしくないくらいちっぽけな墓だった事だ。更に、鉱山の溶鉱技術者である「山西敏や」の墓や我が国初の洋式帆船建造に関与した人物の墓など、比較的歴史上マイナーな人物の墓などもあった。本堂内には入らなかったが、所蔵する「金掘り絵馬」は市の民族文化財に指定されているそうだ。


晴れぬ疑惑      投稿者:佐渡の翼管理人

2011年09月21日 05時41分32秒 | その他

9月15日、いや正確には9月14日の午後12時40分から、「佐渡のブログアクセスランキング疑惑」の記事が当ブログに掲載された。それからおよそ約1週間が経過したが、こさど氏側からは何の反応もない。ネット上の様々な観光情報を掻き集めて編集した「佐渡ツイッター新聞」なるものを独自に発行しているこさど氏の事だ、当ブログを1週間も閲覧しないなどと言う事はあり得ないと思う。更に当ブログは、当ブログの記事を読むようにこさど氏に促した後、1週間の弁明期間を設けておいた。にも関わらず何も反論しないと言う事は、「記事中の佐渡なびの管理人氏の推察どおりの手口、あるいはそれ以外の何らかの手口で不正を働いた」と言う事を暗に認めたと思われてもいたしかたあるまい。まともな人間ならば事実に反する邪推記事を書かれたら、即座に反論するであろうからだ。だんまりを決め込めば、やましい事をしているから反論できぬと思われて当然である。それとも、「元々不正などはしていないのだからいちいち弁明する必要はない」として無視しているのだろうか?そうだとすれば相当におめでたいと言うしかあるまい。あるいは、この御仁には不正を働いたと言う意識そのものがないのかもしれぬ。だとしたら相当な鈍感か鉄面皮である。だが、さすがにこさど氏もまずいと思ったのだろう、9月12日の週から佐渡のブログアクセスランキングへのアクセス数は漸減している。ひたすらだんまりを決め込んでほとぼりが冷めるのを待ち、その間にネット上に仕組んだ細工を解体して何食わぬ顔をする、ひたすら黙秘を貫いて嵐の過ぎ去るのを待つ、その戦略のようであるが、いずれその企みはばれるかもしれまい。こさど氏の心中は多分穏やかではないだろう。何故なら、つきあいのある観光関連業者と会うたびに、「おまえ不正を働いたのか?」と詰問されはしないかと毎日びくびくしながら過ごさねばならないからだ。既に問い合わせの電話やメールがひっきりなしに届いているであろうがどのように取り繕っているのだろう?ひょっとしたらこの人物、証拠が無いことを逆手にとり、「私は不正を働いてはいません」とひたすら容疑を否認し続ける被疑者さながらにあくまでもしらを切り通すお積りかもしれない。自白はできぬ、さりとて「不正に手を染めていない」と言う証拠も示せないと言う、身動きがとれない状態に陥っているのだろう。もし彼が軽い気持ちで自店のHPにアクセスさせようとして不正を働いていたとしたら、その代償はあまりにも大きかったと言わざるを得ない。既に、facebookにウイルスを仕込ませて、佐渡なびのランキングサイトに自動誘導させ、こさど氏と同様の現象を再現する手口を公開解説して見せるブログまで現れている。1月の時点では佐渡なびの管理人氏に要領を得ない回答を送付して何とか言い逃れたが、今回はそうはいかない。理論上の矛盾点を突かれて追求されたら巧妙な数字操作のからくりが白日の下に晒されかねない。それを恐れてだんまりを決め込んでいたのだとしたら実に情けない限りである。かつて私は、こさど氏が自身のブログで、そのアクセス数を上げるために「ある事」をしなければと語っていた事を思い出した。今から思えば、その「ある事」とは今回の一件だったのだろうか?

 

今後、こさど氏は「いかさま師、IT知識を悪用して不正を働く輩」の疑惑を抱えたまま佐渡で活動していかねばならぬのであろうか?今までちやほやしてくれた人々は「何だそういう人間だったのか」と彼に対する見方を変え、もし、その信用が失墜すれば、周囲から潮が引いたように人が去っていくのかもしれない。そしてU-ストリームや佐渡ワンダー動画の紹介作業を通じてこさど氏と接点のあった佐渡観光協会や佐渡市観光課も同類と思われかねないので彼とは疎遠になるかもしれまい。この両者がこさど氏に観光PRのために不正を働くように示唆ないしは強要したと受け取られかねないからだ。役人とは冷たいものだ。それに、不正行為を行った者は、それがエスカレートして違法行為を起こしかねないと言う懸念だって生じうる。ブログランキング不正操作疑惑は決して小さな問題ではなかったのだ。佐渡なびの管理人氏の出方いかんに寄っては、正常なランキングサイト運営を阻害されたとして、偽計業務妨害罪で刑事告発される可能性だって残されている。ま、佐渡人同士である、佐渡なびの管理人さんもそこまではやるまいと、こさど氏はたかをくくっているのかもしれないが、ランキングの秩序が乱され続ければ「佐渡の洋食屋店長の挑戦」ブログを佐渡のブログアクセスランキングから外す事が検討されるかもしれない。こさど氏は、佐渡なびの管理人氏に、ランキングの秩序混乱で彼を悩ませ迷惑をかけた事に対しその点を謝罪すべきであろう。それが一般社会の常識である。そして管理人氏に事の経緯を正直に告白すれば、こさど氏の名誉を傷つけない形で事を穏便に収める道が開けるのかもしれない。無論、当ブログは捜査機関ではないゆえ、彼が不正を働いたと言う証拠も、そうでないと言う証拠も当ブログでは示しえないのでこれ以上の追求は不可能である。不正を働いたかどうかは本人しか知りえない永遠の秘密であり、彼の自白が無い限り真相はいつまでたっても闇の中だ。色々な人がそして様々なブロガー達がこの件に関し、勝手な推論、仮説をネット上で書き散らしているが、いずれも推測の域を出ないもので決定的な証拠と言えるにはほど遠いものばかりだ。確たる証拠が無いのに、こさど氏が不正を働いたと断じる事はできないし、そうした論調はこさど氏の人権侵害につながりかねないので厳に慎むべきであろう。彼は早晩良心の呵責に耐えかねて自白してくるだろうと私は予測している。その際は温かく迎えてやろうと思っている。

 

こさど氏は当ブログがこの問題を糾弾してくるとは予想していなかったと思う。何故なら当ブログとこさど氏とは当初は良好な関係にあったからだ。ところが、こさど氏は「佐渡には二つもの動画サイトは不要、佐渡ワンダー動画などはけちな携帯サイト」とこきおろしていたにも関わらず、佐渡ワンダー動画が開設されると、これにたびたび投稿してはそのお先棒を担ぎはじめるようになった。その頃から当ブログは、こさど氏に対し不信感を抱くようになり、この人物と距離を置き始め、彼からのメールアドレスには受信拒否設定をしておいた。今年の1月に突如として「佐渡の洋食屋店長の挑戦」ブログがブログランキングのトップに躍り出たのを見た時は、何かやっているなと、一種のきな臭さを感じたものだ。それから半年が経過して同様の事象の再発を見た時は、案の定と思った。不正を働いていた疑いが濃厚になったからだ。不正に手を染めた者は、誰であれ何らかの社会的制裁を受けねばならぬ。当ブログも過去にはそうした辛酸をなめてきた。「当ブログで不正を働いたスタッフが制裁を受けたから今度は不正を働く者にやり返すのか」と言う陰口が聞こえてきそうだが、疑惑の晴れないこさど氏に対する一定のけじめは付けねばならぬ。その意味で、こさど氏がその経営に関与する飲食店並びに宿泊施設に関する記事を当ブログから削除する事にした。ランキング順位の不正操作は他の飲食店主ブロガー達に間接的に不利益を及ぼす行為と言えなくもないし、刑事事件に発展する可能性すら残されている。こさど氏はランキング数字の不正操作を軽い気持ちで遊び心でやったのかもしれぬ。しかし、もし本当に軽い気持ちでやったとすれば、こさど氏には道徳倫理規範が欠如していたと思われてもしかたあるまい。何故なら一度ならずも最低二度はやっていたからだ。これがもし犯罪事案ならば再犯性が高く常習性ありと判断され量刑はより重くなるだろう。「1月の時は実験的に試してみた、そうしたらうまくいって、どこからも文句が来なかった。それに味をしめて8月もやってみた」、そう思われてもしょうがあるまい。もし、こさど氏の不正が事実であれば直ちにそれを止めるべきだし、こさど氏が素直にその非を認めて謝罪していたら彼の名誉は傷付かずに済んだであろう。つくづく残念であるし、これだけITに精通した有為な人材が策に溺れたばかりに社会的に葬り去られるかもしれない将来を見るのは非常につらい。佐渡観光の光と影、その影の部分がまた一つ増えてしまったランキング疑惑の一件であった。このブログを読んだ島外の人々が、佐渡には脅しをかけるちんぴらまがいの飲食店主や不正を働いたと言う疑惑を持たれた飲食店主がいて、更には情報掲示板で下品な発言をする輩が跋扈していると言う印象しか抱かないとすれば、まじめに観光振興に取り組んでいる人々は悔やんでも悔やみきれないであろう。


法然寺(佐渡市相川)    投稿者:佐渡の翼

2011年09月20日 04時53分58秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

黒坂を登りきると、そこは寺町、大小無数の寺があり、お彼岸時にはお墓参りの人が絶えないが普段は人影などは全くない静かな町である。本典寺、観音寺の次にあるお寺が法然寺だ。鮮やかな朱塗りの本殿は真新しい感じである。山門を入って右手の石仏が目に留まる。これが千日念仏地蔵だろうか?慶長年間に河原田から移ってきた寺で、末寺七カ寺を持つ名刹だそうだ。境内には釉陶器の元祖たる黒沢金太郎の墓と大熊善太郎奉行の墓があった。大熊奉行は佐渡に赴任し、わずか1年で病死したが海岸防備と武芸奨励に治績があったとされる。更には佐渡奉行所詰の漢方医「瀧浪玄伯」家の墓もあった。

 

伊丹奉行を供養する五輪塔はそのあまりの重さに耐えかねてか、五輪塔の先端部分と二番目が地震の揺れや強風などに煽られたせいなのか分からぬが、見事に首折れて地面に転がっていた。奉行の治世18年を供養するために家臣団が建立したそうで相川最大の五輪塔である。その他、佐渡奉行留守居役の墓や江戸末期の学者の墓など、歴史上の著名人の墓が目白押しのお寺である。


黒坂(佐渡市相川)   投稿者:佐渡の翼

2011年09月19日 04時10分12秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

旧新潟交通の相川営業所は、現在では天領通りなどにある商店街の駐車場になっている。ここに車を停め、磯の家さんの隣の路地を登る。真っ直ぐ行くと大安寺で、右へ曲がり、そして左へ曲がると川沿いの道になり、右手に相川保育所が見えてくる。右手の橋を渡ると、そこが下寺町へと到る黒坂(通称は寺坂)の出発点である。ここに来ると爽やかな落ち水の音が聞こえてくる。海からの浜風がさあ~っと吹き上げて来るので夏でも涼しいし、冬は逆に周りの樹木が風を遮ってくれるのでさほど寒くは感じない。かつては風韻の地として知られ、円山瞑北の漢詩「黒坂」に詠われた地でもある。坂は二つに分かれており、右側の坂を登ると総源寺に統合されて既に廃寺となった高安寺に到り、左側の坂を登ると観音寺と本典寺に突き当たる。坂の両脇には幾つもの無縁墓が建ち並び、特異な形の地蔵などもあって興味が尽きない。この坂の石段には安山岩の石塁が敷き詰められているそうだ。高安寺跡には長年の風雪に晒されて頭部が消失した地蔵や、石仏と共に並んだ五輪塔などがあり、歴史の長さを感じさせた。余談だが、山本修巳著の「佐渡の隠れた史跡」という本には、この寺町へと到る坂を黒坂と称しているが、観光協会が発行する佐渡金山周辺史跡散策マップでは、京町通りから蓮光寺を経て南沢町に到る坂を「くろ坂」と記載している。どちらが正しいのかは知らない。あるいは「黒坂」と「くろ坂」は別物なのかもしれない。

 


三宮観音(佐渡市真野)   佐渡の知恵袋解答シリーズ

2011年09月18日 03時56分13秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

野崎城の発見に気を良くし、足取りも軽く県道から中興へと抜ける道に入り順徳上皇第三皇子の墓のある所へ向かった。この墓がある所ゆえこの近辺を三宮と言うのだろう。道路脇に車を停め、佐渡なびの管理人さんのお示しになった地図どおり、この墓に向かって右側にある路地に入り真っ直ぐ進んだ、やがてT字路になっているのでここを右折する。そしてしばらく歩くと左手に三宮神社があり、その真向かいに三宮観音堂があった。ここのお堂は随分と大きくそして境内はかなり広い!御堂の吊鐘が可愛くて印象的!だが、相当朽ち果てていて、真向かいの三宮神社がよく整備されているのに比べればその差は歴然である。観音堂が神社に隣接して存在するのは両津の火伏観音以来であった。


野崎城(佐渡市畑野三宮)   佐渡の知恵袋解答シリーズ

2011年09月17日 04時22分38秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

この問題は超難問であった。まず、後山小学校の駐車場に車を停め、佐渡なびの管理人さんが指示した場所へと向かった。サンアロー化成の本社工場へと向かう道に入り、二本目の道を右手に入った中央あたりが城の存在場所との事だった。ところが当該の場所にはどこにも城跡らしきこんもりとした所がない。おかしいなと思い、この近くの民家を訪ねて道案内を請うた。長島さんと言うおうちに入ってみた。「こんにちわあ~、すみませえ~ん」と言うと、ややあってから2階からおじさんが降りてきた。野崎城の場所を尋ねたら、おじさんは「あっちの方だと思うけどなあ~」と北側を手で指し示した。おじさんが地図を広げてあちこち探し始めたので、「あのお~、広田さんというおうちの近くにあるらしいんですが」と言うと、「おお、広田か、だったらこの辺だなと、国仲平野の中央部に数軒の家が固まって存在する区画の中の広田と記載された箇所を指差した」。佐渡なびさんの地図の位置とは180度逆の方向である。そしておじさんは「そこまで俺が送ってやるよ」と親切に申し出てくれたが、「車で来たので自力で行ってみますよ」とその申し出を丁重に断り、このおうちを辞した。

 

今来た道を戻り、一旦県道に出てから右折し、しばらく行ってから左折する、この一本道を国仲平野に向けて北上すれば野崎城に到達するはずだ。ところがそれらしき場所には何の目印もない。まずは、この辺で道案内を請うのが無難と判断し、目に留まった民家を訪ねてみた。農作業をしていたおじさんに尋ねると、「ああ、野崎城かい、ほらここから見えるよ、あのこんもりした所がそうさ」とそこを指差した。万が一にも到達できなかった時のためにと、一応その場所をカメラに収めておいた。あの程度の距離なら徒歩でも充分到達可能だ、そう踏んだ後日傘をさしてスタスタと歩き始めた。ところが佐渡なびの管理人さんが指摘したように、当初思ったよりもけっこう距離がある、しまったな軽自動車を借りてから行くべきだったかなと後悔し始めたところで、背後から軽トラが近づいてきた。日傘をさしてはいるものの、この炎天下に歩いて行こうという当方の姿を見て不憫に思ったのかもしれない。見るとそこには、野崎城が見えると教えてくれたおじさんがいて、城まで送ってくれると言うではないか。これぞ天佑かと救われた思いがし、おじさんのご好意に甘える事にした。おじさんは狭い道を器用に車を運転しながら、広田さんのおうちの門前に車を停めてくれた。やったあ~、野崎城の標柱が見えた。ここが野崎城があった場所かあ~と感動しつつこの地の緯度経度を記録し、おじさんの軽トラに戻った。帰りの道すがら、おじさんが「野崎城の跡なんて訪ねる人はよっぽどの人だよ、何か歴史でも研究しているんですか?」と尋ねてきたので「ええ、そうなんですよ」と答えておいた。この広田さんは、既に退職されたが高校の教諭を勤めてらしたそうである。車を駐車した、「後山小学校」まで送ってくれたおじさんに感謝をしつつ、最敬礼でこのおじさんの軽トラを見送りながら、佐渡にはこういう親切な人がいるからこそ又来ようかなと思う気持ちが湧いてくるのだなと思った私だった。


宿根木体験学習館のラーメン    投稿者:佐渡の翼

2011年09月16日 04時21分17秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記(ラーメン編)

8月1日の午後12時15分、筆者はこの施設の目の前の駐車場に愛車を乗り付けた。中は観光休憩所になっており、ラーメン、蕎麦、うどんなどの麺類の他、簡単な一品料理を食べる事が出来た。奥が広い座敷席になっていて、フロア部分には二人掛けと4人掛けのテーブル席とがあった。古民家を改造したような造りで天井には、昔、田植えの時に用いた「だったん」と呼ばれる農耕機具に和紙を巻き付け、和風の照明器具にしつらえたようなインテリアが複数本ぶら下がっていた。そしてほんのりとした明かりが心和む空間に花を添えていた。更に花を添えていたのが、厨房内での洗い物やお運び担当を引き受ける三人の若い女性達である。中学生っぽい子、高校生っぽい子、女子大生っぽい子のthree generationsの三人で、多分夏休み中の三姉妹がお店を手伝っているのだろうと思った。そしてお店の中央にはたらい船があり、それをひっくり返した底部分に「いももち」や竹細工などのお土産品が並べられていた。筆者はサザエ入りの冷やし中華を食べたかったが、ここのラーメン(600円)は美味しい宿根木ラーメンとして有名らしかったのでこれを注文する事にした。メニューを見ると「コラーゲンたっぷりの海鮮風味です」と書いてある。どんなラーメンなのか?高校生っぽい可愛いおねーさんから「醤油味と塩味の2種類ありますがどちらになさいますか?」と問われたので「醤油味をお願いします」と笑顔で答えた。待つ事9分ほどでラーメンが出来上がった。今度は中学生っぽい女の子がラーメンを運んできた。ゆで卵、チャーシュー、葱、しなちく、若布がトッピングされている。まずスープを一口啜ってみた。さっぱりとした味わいだ。今はやりのコラーゲンドリンクと魚介系のスープを混ぜたような感じの不思議な味わい!しつこくないのでいくらでも飲める。化学調味料などは一切使用していないそうだ。麺は細いちじれ麺。しなちくは「げんき家」の時とは違い冷えてはおらず、チャーシューは部厚くて食べ応えのある味だ。だいまるラーメンやおおぼらラーメンなどのこだわり系のラーメンが好みな人々には向かないラーメンだが、「食べて痩せる」などと言う安直なダイエットを目論む女性達には受ける味である。首都圏からやってきたOL観光客のグループが宿根木観光に疲れ、休憩にとこのお店にふらっと立ち寄り、メニューの「コラーゲン」の文字を見たら、「ねえねえ、コラーゲンだってよ、美容に良さそうね、このラーメンを食べたらお肌がつるっつるっになりそう!」「そうよね、それに海鮮風味で佐渡バージョンだし」などと言う会話が交わされそうだ。お店側もそうしたミーハー観光客狙いでこうしたメニューを開発したのかもしれない。メニューの中にあった「1週間に一度しか作らない、佐渡産大豆100%使用の石臼豆腐」を追加注文したら、高校生っぽいおねーさんは「1週間に一度しか作りませんので、昨日で終わってしまいました」と残念そうに言った。

 

この美味しいラーメンを食べ終えてお店を出た後、車に乗り込み、エアコン始動前の喚起目的にと、四つの窓とサンルーフを全開にし、歯磨きのために一旦車の外に出てお店の隣の洗面所へと向かった。歯磨きを終えて車に戻ると、お店の厨房内に篭って姿を見せなかった女子大生っぽいお手伝いおねーさんが店外に出ているのに気付いた。そして後方から筆者の車を眺め回し、「う~ん、すっげえでかい車に乗ってるじゃん」とでも言いたげな表情で二三度頷き、次いで室内を覗き込み、「上品なグッチのバッグね、後席の白のマリンバッグも夏らしくて洒落てるわね」とでもいいたげな表情を見せた、ように思えた。筆者がこのおねーさんに「このお店の名前は何と言うのですか?」と尋ねたら、「ここは宿根木体験学習館と言い、二階では蕎麦打ち体験が出来ます。もし又機会がありましたら是非お寄り下さい」と小首を傾けながら可愛い笑顔で答えた後、お店の中へと消えていった。筆者が車をバックさせ、県道方面へと左へ舵を切った時、お店の中にいる高校生っぽい可愛いおねーさんと目が合った。筆者が笑顔で右手を振ったら、おねーさんは微笑み返しをしながら手を振り返してくれた。女子高校生にもててどうするんだよ、あんた。

 


i8ロードスター動画1

i8ロードスター動画2

i8ロードスター動画その3

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「佐渡の翼」の記事内容は、調査スタッフ個人の、お店や宿泊施設に対する感想や意見を記述したものです。これらは、すべての読者が感じる内容とは必ずしも一致しません。「佐渡の翼」に掲載された記事を参照した後、読者ご自身の判断で行動した結果、生じた損害・損失について、当ブログは一切責任を負いかねますのでご注意下さい。更に、お店の外観写真やメニューはあくまでも取材時点でのものであり、最新情報とは必ずしも合致しておりません、重ねてご注意下さい。佐渡島内の焼肉屋と焼き鳥屋は調査の対象外です。これらのお店に関する情報をお求めの方は「佐渡なび」(http://www.sadonavi.net/)にアクセスしてお調べ下さい。なお、当ブログで紹介後に営業を休止したり廃業した飲食店は、宿根木の日本料理の名店「菜の花」(2013年4月に東京上野桜木で再オープン。電話番号:03-3827-3511)、小木の新保屋食堂」、佐和田の居酒屋「侍」、佐和田の中華料理「潤采」と「洛陽」、佐和田のラーメン大学「かねふく」、佐和田のラーメン店「燕人」、佐和田の喫茶店「トムキャット」、佐和田のイタリアン「バール・フェリチータ」、佐和田の「石川食堂」、佐和田のラーメン屋「げんき家」、佐和田のキャバクラ「パレス」、八幡のスナック「メンソーレ」(カラオケ、ココルに変身)、二見のラーメン屋「二見食堂」、真野の「寿司正」(後継は洋風のお店になる模様)、相川の「りき寿司」、相川ののら犬カフェ、金井の蟹料理専門店「かにっこ」、金井の食堂「ランチ@さとにわ」(佐和田へ移転)、金井のスナック「花音」(スナックyy'78に変身)とスナック「リバーサイド」(居酒屋兼食堂:クッチーナに変身)、畑野の食堂「菜花村」、両津の喫茶&レストラン「アン」、両津のファーストフードの店「マックス」、両津の「彩花停」(海結に変身)です。なお、紹介後に閉館したホテルは小木の「ニュー喜八屋」、佐和田の「シルバービレッジ」(改装され、ホテル浦島東館として再スタート)、相川のホテル「さどや」、えにしの宿「新ふじ」、相川やまきホテル。廃業した旅館は、小木の「ごんざや旅館」と相川の「中山旅館」です。 2018年8月10日現在の情報に基づいています。

佐渡の翼管理人

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