佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

i8ロードスターPR動画

https://twitter.com/i/status/988688999794409472

「はってん」食堂(西日暮里)    投稿者:メシュラン覆面調査員

2009年08月31日 06時00分20秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記

6月上旬のとある日、僕は、JR西日暮里駅横にある大衆食堂で朝食を食べてみた。一軒置いて右隣に吉野屋があった。店内はセルフサービスで、ラップに包まれた惣菜を自由に選ぶ形式だった。しかしどのお料理も冷えており、電子レンジで温めてから食べてくれとの表示があった。厨房内にはおにいちゃんとおねーさんがいるだけ。どうやら韓国人が経営しているお店のようだった。好みのおかずをトレーに乗せてからカウンターでご飯と味噌汁を受け取るシステムになっており、おかず台には煮魚、コロッケ、干物、スクランブルエッグなどが並んでいたが、どれもさほど美味しそうには見えなかった。

僕は、冷蔵庫に陳列してあった、河岸玉の玉子焼き、納豆、キムチを選んだ。韓国人の経営ゆえ、キムチは美味しいだろうなと思ったら、やはり選んで正解であった。玉子焼きや納豆はごく普通のお味。ご飯は営業米にしては意外にも美味しかったが、味噌汁の味は労務者向けなのかやけに塩辛かった。たらこか明太子でもあればよかったのだが、ま、550円でお腹一杯になったので大衆食堂としては合格かなと思った。

佐渡市赤泊の街並み     投稿者:とある旅人

2009年08月30日 06時03分37秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

県道佐渡一周線から家一軒分奥に入ったところに赤泊集落を南北に分けるメインストリートのような路地がある。メインストリートと言っても、車がかろうじてすれ違える程度の広さしかないのだが。。。ここをそぞろ歩くと、道路沿いに建つ建物の中に、大正時代を想起させるような玄関構えの家がちらほらと混じっているのに気づく。画像はその中の一軒で、ひさしの部分が台形の形になった家である。無人なのか留守なのか分からないが、ひっそりと静まり返り、人の気配などは全くなかった。まるで文化財に指定したいくらいの古きよき時代をしのばせる建物である。この家は、佐渡汽船の赤泊港からすぐの所にある。

このストリートは端から端まで歩くとけっこう時間がかかる。400年の歴史を有する老舗の旅籠屋「二階屋」さんや田辺邸の望楼などを眺めながら夕闇迫る夏の頃にこの通りを歩くとそこはかとない旅情を感ずるだろう。一方、海岸沿いの道路には、中華料理の名店「優遊」、スナック「こさど」、カラオケハウス「ドンタコス」、カフェ「カサブランカ」、ファーストフードのお店などが軒を連ねており、港町にふさわしいちょっとした賑やかさである。ここから少し離れた、県道がカーブする地点の海側に一軒屋が建っていた。その家の1階は物置になっているようだったが、入り口のガラス戸が、車が通過するたびにその風圧で「ガタガタ」と音を立てて揺れていた。

光明仏寺(佐渡市両津)    投稿者:古跡巡り

2009年08月29日 06時02分08秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

初夏のとある日、真更川から山居道に入り、北小浦へ向けて車を走らせた。よく整備された林道を登って下る頃に、右手に「山居の池」の看板が見えてくる。そこに県外ナンバーの車が一台停まっていた。「山居の池」を過ぎて数分車を走らせるとやがて左手に「光明仏寺」の看板が見えた。路上に車を停め、この看板の指し示す方向に向けて歩いてみた。このお寺は既に廃寺となっているそうだ。しかし、それでも時折誰かがやってくるのであろう、比較的最近付けられたとおぼしき車の轍の跡があり、そこに水溜まりができて乾かないままの状態で残っていた。まるで、「まだ寺を訪れる人がいること」を無言で語っているかのように。

数分も歩くと寺に辿り着いた。荒れ果てた境内には車が方向転換した跡が残されていた。本殿のひさしの部分の彫刻の見事さだけが印象に残っている。寺の扉には鍵はかかっておらず、内部を覗くことができた。いたる所に落書きがしてある。扉の表面も落書きだらけである。ご本尊は取り払われていたので廃寺になったことだけは間違いなさそうだった。寺には水道はおろか電気さえ通じていない。この寺を開基した人はどうやってこの山中で暮したのだろうか?ろうそくと雪明かりだけで経本を読み、薪を焚いて暖をとり、山中で採れる山菜などを食べて生きながらえていたのであろうか?この寺はかなり標高の高い位置にある。急激に高低差の激しい山岳道路を登り下りしたため、薄い酸素濃度に体が慣れないせいなのかよく理由は分からなかったが、だんだん頭痛を感じてきた。

帰り際、物好きな県外の観光客らしき中年ご夫婦とすれ違った。


弾崎灯台の一般公開    投稿者:佐渡の翼

2009年08月28日 06時09分15秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

弾崎は佐渡の北端にある岬だ。その背後は弾野と呼ばれているが、風害や水利の悪さから移住の試みは成功せず、現在も弾野には集落がない。弾崎沖合では船の難破が度重なったため、1919年に弾埼灯台が設置された。昭和32年(1957年)には、灯台守夫婦の苦難の生き様を描いた映画の撮影が、この地を舞台に行われた。流行歌にもなった「喜びも悲しみも幾年月」の主人公(有沢夫婦)をモデルにした銅像が、灯台わきの展望台にある(以上は佐渡市のホームページから改変引用した)。

とまあ、これだけ有名な弾崎灯台の内部が、かんぞう祭りが開催された6月12日の午前10時から午後2時までの間、その日一日だけに限り一般公開された。灯台の頂上に至るまでの階段数は64段。灯台を所管する海上保安庁の職員が「ライトは4灯式」だと教えてくれた。頂上に登ると、左手に二つ亀、右手にはじきのフイールドパークのログハウスなどが見えた。頂上は風当たりが物凄く、怖いくらいだった。しかし、灯台内部を見学できる機会は年に一回しかないので、じっくりとその内部を写真撮影しデジブックにアップしておいた。筆者の後からツアーコンダクターに引率された団体観光客がやってきて、「今日しか見られないからね」などと話し合っていた。

「灯台下暗し」と言う諺がある。「灯台は遠くをよく照らすものの、足下は暗い」、転じて「手近な事がかえって分からない、良い物が身近にたくさんあるのに気づかない」事を意味するのはご存知のとおりだ。佐渡が島そのものがその典型例なのだが。。。


はじきのフイールドパーク(佐渡市弾野)      投稿者:メシュラン覆面調査員

2009年08月27日 11時40分54秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記
6月のとある日、僕は、鷲崎港に程近い「はじきのフイールドパーク」を訪ねてみた。ここには観光客用のレストランとバーベキューハウスが併設されていて、親子連れや観光客らでかなり賑わっていた。レストランの名称は「漁師の船小屋」。鷲崎港直送の新鮮な海の幸が味わえる。5月から8月までの観光シーズン限定の季節営業だが、ここの名物は、メデイアでもたびたび紹介された「いかながも丼」だ。本まぐろ丼などもあったが、やはり佐渡へ来たら何と言っても「いかながも丼」を食べねばなるまい。店内に入ると、まず食券を購入し、次いで番号札が手渡され、できあがると番号を呼ばれるシステムになっていた。僕は迷うことなく「いかながも丼」を注文した。

丼は5分ほどで出来上がった。ながもには塩味が付いておりご飯に実によく合う。ほんのり山葵の香りがしたような気がした。そのズルネバ感は、まるでとろろご飯を食べているような食感だった。いかながもの量に比し、ご飯の量がやや少ないかなという感じがした。でも若布の味噌汁は量がたっぷりだ。付け合わせとしての銀葉草の漬物はちと塩辛かったが、たちまち完食してしまった。お代は800円。安くて美味しいなあ~。佐渡汽船関連が経営するレストランでは予想通りだが、はずれのお料理に出会うことはなかった。僕の評価は勿論★★★だ。

この「いかながも丼」、佐渡へ来たら是非味わって頂きたい逸品である。なお、4月から9月までは佐渡汽船前の食道楽「海賊」でも、いかながもが味わえるそうだ。


石臼塚(佐渡市羽茂小泊)    投稿者:とある旅人

2009年08月26日 06時00分59秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

羽茂の小泊集落には椿尾同様、石仏、石臼などを作る石工職人が多数暮らしていたという。国道を真野から小木に向かうと左手に白山神社の看板が見えてくる。この神社の境内に、全国的にも珍しい石臼を積み上げた塚があった。塚という言葉は土を小高く盛り上げた構造物を意味するが、土を小高く盛り上げた墓の意味で使用することもある。石臼塚とは、時代の流れと共に各家庭で使われなくなった石臼を集めて積み上げ、石臼を供養する目的で作った墓のような意味合いなのだろうか?

小泊の石工職人の腕は確かで、彼らが作成した石製品は全国に流通したという。江戸時代末期には、それらは日本海沿岸に広く出荷され、明治から大正にかけては、北海道にも出荷されていたそうだ。なお、佐渡観光協会のホームページによれば、「白山神社の創建は不詳だが、屋島で敗れた平宗清が尾張の岡崎に住んだ後、佐渡に渡り祠を建てて鎮守としたのがこの神社の起源といわれている」そうだ。白山神社とは平家ゆかりの神社だったのか。


ブログを携帯電話で閲覧すると     投稿者:佐渡の翼管理人

2009年08月25日 09時35分59秒 | その他
最近、初めて自身のブログを携帯電話を使用して閲覧してみた。え?今頃携帯電話で?と驚く人も多かろう。恐らくどこのブログでもそうだと思うが、gooブログでは、携帯電話からブログの管理者ページにログインし、画像を添付した上で新規記事を投稿したり記事編集を行う事は可能だし、コメントチェックやコメント返信なども自在にできるからだ。以前、同じgooブログである「地理の部屋と佐渡島」(http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/)の管理人氏が、「週末佐渡を離れて新潟本土に出張するが、その間ネットに接続する環境下に無いためコメント返信ができません」などとブログに書いていたように記憶しているが、彼は多分携帯電話からネット接続をしていなかったのではないだろうか?携帯電話のネット接続サービスに加入してさえいれば、24時間、ブログの編集作業やコメントチェックなどは容易に行えるからだ。筆者は自宅でも職場でも24時間ネットに接続できる環境下にあるし、遠出をする時は、小型軽量タイプのモバイルPCを持ち歩き無線WAN経由でネットに接続しているので、過去、携帯電話を操作する必要性は全く無かった。携帯からのブログ閲覧には様々な制約があるし、当然PC版と同じようにと言う訳にはいかないのがその理由の一つだった。携帯使用の一般読者は記事本文、記事のカテゴリー分類、バックナンバー、コメント及び1Mバイトまでの画像程度しか閲覧できない。トップ、ボトム及びサイドのバーに張られた掲示内容は閲覧できないし、デジブックのようなサイズの大きいブログパーツも当然閲覧不能だ。従って、携帯経由の読者は、当ブログの毎日のアクセス状況、管理人からのお知らせ、佐渡グルメリポートの次回予告などは閲覧できないままでいる。無論、携帯でチェックして面白そうな記事であれば、改めて自宅に帰ってから自宅のパソコンでゆっくり閲覧し直すという人もおられよう。しかしそのような恵まれた環境にある人はそう多くはないのではないだろうか。

当ブログの閲覧ブラウザーを解析してみたら、約60%もの人が携帯経由で閲覧している。勿論、この数字の中にはパソコンからの閲覧者も重複していると思われるが、それにしても読者の6割近い人が携帯のみの閲覧で終始していると仮定したら、かなりの人が情報量不足に陥るように思う。しかし、携帯は確かに便利である。主として文字情報だけをダウンロードするので画面表示にそれほど時間がかからないからだ。それに比べてパソコンは特にモバイルPCなどは起動に時間がかかり過ぎるので、ついいらついてしまう。ただ、携帯からの閲覧だと、当該個所をクリックするといちいちデータのSendingとReceiving作業を繰り返すので、ひとたび起動が完了すればパソコンの方が遥かにspeedyに閲覧できるのは言うまでもない。

六本木の高級キャバクラ      投稿者:佐渡の翼

2009年08月24日 10時20分24秒 | その他
8月のとある日に、六本木の某高級キャバクラに潜入してみた。いつもなら店名を明らかにするのだが、今回はあえて店名を伏せて記事にしてみた。このお店は基本料金が15,000円だが、Royal VIP roomを使用すると更に5,000円の別チャージがかかる。これに25%のサービス料と5%の消費税が追加になるので、黙って座るだけで26,000円が吹っ飛んでいく計算だ。更に料理だなんだかんだと追加注文すれば、もうバブリー過ぎてバカバカしくなってくるので、値段の事はあえて言わない事にした。

Royal VIP roomの内部のゴージャスさを事細かに描写しても怨嗟や羨望の的になるだけなので、これもあえてカットした。筆者は「リナ」(画像2)という24歳のキャストを指名した。彼女は金髪巻き上げでくびれたウエストのキャピキャピギャルで、胸元を大きくVカットにした深紅のドレスを身に纏い、クロエの香水のほのかな香りを振りまきながらVIP roomの個室に入ってきた。入るなり「あら、お客さん、お一人?普通こういう部屋は接待か、もしくは4-5人のグループで使う場合が多いんだけど」と言った。彼女はウイスキーの水割りを作りながら、港区の麻布十番の住人だと言い、当方も東京在住だと言うと、急にため口調になった。何でも飼い犬のチワワが超お~可愛くて、原宿で購入したミッキーの絵柄のボデイカバーをワンちゃんに着せてお散歩に連れ出すと、みんなが寄ってきて「わあ~可愛い~!写真撮ってもいいですか?」と言われ、ワンちゃんを通じてお友達がたくさんできるのだそうだ。

筆者が、彼女の香水をクロエだと見破ったら、ひとしきりブランド品の話に切り替わり、「私のような20代の女の子がシャネルやエルメス何かのバッグを持ち歩いたら、似合わないでしょ、第一、ぱちもんと思われるじゃん。ああいうバッグは30代の素敵なおねーさんが持ってこそさまになるのよ」とため口で続けた。ちなみに日本俗語辞書によると、「パチモンとは「パチモノ」が音的に崩れた言葉で、パチモノ同様に偽物を意味する。主にバッグや財布、時計など高級ブランド品の偽物をさす」のだそうだ。そして、「私の元彼があ~、ボッテガベネタ狂いで、私も責められて、一時期財布からバッグまで全てボッテガで揃えたんだけど、今じゃあ~全部友達にあげちゃったわよ」と一気にまくしたてた。

更に、「お客さん、キャンデイーいかが」と飴玉を差し出したので、筆者が「いや、キャンデイーは太るからいらないよ」と言うと、「何言ってんのよお~、これしきい~、だからガリガリじゃん」と小娘風の悪戯っぽい瞳をくりくりさせながらそう言った。そして「私最近3キロ太ったの。でもジムに通っているから筋肉太りよ」と、平らな下腹をさすりながら、「花音」ののぞみママのような事を言い「私の二の腕触ってご覧よ、分かるから」と彼女の肘関節の部分を触るように促した。言われるままに彼女の腕を握ってみたら、ゴムまりがはじけるような弾力だった。画像は帰り際彼女が渡してくれた「完璧なる小学生文字で書いた名刺の裏書」である。「何色のハートマークがいい?」と聞かれたので「ピンク」と答えたらその色のシールを取り出して名刺に張り付けてくれた。これでも24歳の女性が一生懸命書いたメッセージである。噴き出さないで読んで頂きたい。以下に正しい日本語のメッセージを記しておこう。「Rina 今日はリナと遊んでくれて有難う(ハートマーク)。一緒に過ごせて嬉しかったよ(ハートマーク)。リナは8月30日までと、9月24~27日まではお店にいるので、良かったら(「か」が抜けている)遊びにきて下さい」。

キリシタン塚(佐渡相川)   投稿者:とある旅人

2009年08月24日 06時16分23秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット
中山トンネルを抜け、佐渡金山へと到る道の手前の右側にやや登り坂になった道がある。ここに「キリシタン塚」と書かれた案内看板を見つけた。この道を登ると、右手に更に細い道があった。軽自動車が一台やっと通れるほどの道幅だ。よほど車で行こうかとも思ったが、対向車が来たらやばいと思い、徒歩で行くことにした。夏のとある日に、この、所々草薮が覆いかぶさり行く手を遮るかのような小道を汗をかきかき、ひたすら歩き続けた。一キロほど歩いたであろうか、途端に視界がぱっと広がり、広場のような所に出た。ここがキリシタン塚であった。

江戸時代の寛永4年に、島原でキリスト教徒たちが反乱を起した。これをきっかけに、幕府転覆につながりかねないと案じた、時の為政者達がキリスト教徒の弾圧に乗り出した。キリストの絵を踏ませ、信徒かどうかを見分けるための所謂「踏絵」が行われたのもこの頃であろう。世に言う島原の乱である。佐渡にも信徒は120人ほどいたようで、ここで処刑されたのだという。その処刑跡(塚)がこの広場にたくさん並んでいたとのことだが、わずかな盛り土を残した以外、現在では跡形も無くなっているように思えた。沢根からこの塚に到る小道は「中山街道」と呼ばれ、その昔、金山に通じていたため、佐渡奉行所の役人、金山で過酷な労働を強いられる無宿人、商売人など多くの人がこの街道を行き来し、彼らは茶屋のある頂上で一休みし、汚れた着衣を着替えたのだという。甘酒を飲み束の間の休息を喜んでいた無宿人達は、「ここを下れば地獄の金山が待っている」と聞かされた途端、その喜びが吹っ飛び、甘酒をお代わりするものは誰もいなくなったと言う。

天狗塚(佐渡赤泊)   投稿者:民話の里

2009年08月23日 06時13分22秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

真野から赤泊へ抜ける県道は、非常によく整備された山岳道路で、特に梨の木峠付近から見る真野湾は絶景であり、私は密かにこの道路を小佐渡スカイラインと称している。この県道は赤泊の徳和地区に通じているが、禅達ムジナで有名な東光寺の手前に、天狗塚公園なる看板を見つけた。佐渡市が設置した看板には、「この天狗塚は、群馬からやってきた大天狗が佐渡島内の小天狗を集めて、この地で修行を積ませたという。空を飛ぶ術をマスターした天狗達は、金北山へと飛んでいった。いまでも、天狗達が休んだ天狗岩が大佐度山脈のあちこちに残っている」という趣旨の文言が書かれていた。

以上は全て民話であろう。この標高400メートル近い山中に、天狗達の修行場跡としての塚が残り、公園となっている。ここからは赤泊の街と港がよく見渡せる。いまにも赤い面をかぶった天狗が舞い降りてきそうである。己の力を過信して慢心し鼻高々となることを天狗になるという。この公園の天狗の像が「何事も控えめに、天狗になるな」と教えているような気がした。

東光寺(佐渡市赤泊)    投稿者:とある旅人

2009年08月22日 06時11分17秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

赤泊の東光寺と言えば、禅達むじなで有名なお寺である。初夏のとある日に訪ねてみた。境内の周囲には名残桜が何本か咲いていた。水田の横のあぜの部分には野焼きが施されていたのが印象深かった。田んぼではかじか蛙が鳴き、森の奥からはうぐいすの声が聞こえてきて、何とものどかな自然の合唱風景であった。

両側から田んぼに挟まれた、山門に到る道幅の狭い非舗装の道路を歩いて行った。すると「ようこそお参り」にの看板がお出迎え。東光寺の禅達むじなは、相川の二つ岩団三郎配下の四天王の一人で、赤泊のむじな達をたばねている。寺の住職に禅問答をしかける頭の良いむじなだそうだ。それゆえこの寺は学問の神としての信仰が厚いという。「禅達大権現」と書かれた石碑の隣に赤い鳥居に囲まれた「禅達岩谷口」と書かれたお堂があり、更にその中にも小さな鳥居があった。ここが禅達むじなの住家だったのだろうか?「稲荷山」や「熊野山」を示す看板などもあった。何を意味するのかよく分らなかったが。。。

岩首の養老の滝     投稿者:佐渡観光リピーター

2009年08月21日 06時18分49秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

岩首の養老の滝は、いくつかのブログで繰り返し取り上げられているので今更という感じがしないわけでもないが、この滝は外観が非常に綺麗なのが特徴だ。華厳の滝のような雄大さはないが、かと言って、ちょろちょろと流れるようなひ弱な滝でもない。滝幅と高さがほどよい比率に収まった写真映えのする滝で、落差は30メートルで女性的な線の細い滝だ。「養老の滝」と言うと居酒屋チェーンと同じ名称だが、ここの「養老の滝」の命名の由来は、当時岩首小学校に奉職していた大石萬蔵氏が岐阜県養老町にちなんで名付けたのだという。不動尊信仰の象徴だとも言われている。

県道脇に滝の存在を示す看板があるので場所は容易に分かる。しかし滝に到る道幅はかなり狭く、軽自動車でなければすれ違うのが困難なほどだ。けっこうな距離を登りつめた所に軽自動車3台分程度の駐車場兼回転場が見えた。ここから徒歩で歩いていくと、ぱあーっと視界が開け、赤い滝見橋とその向こうに目的の滝が見える。滝に近づき、清冽な滝音に耳を傾けていると思わず身が研ぎ澄まされてくるような気がしてくる。この滝に打たれて修行をつむ若い信者もいるとの話だ。

小木家     投稿者:佐ガット覆面調査員

2009年08月20日 06時16分12秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記
5月のとある日、筆者は、小木港佐渡汽船ターミナルに隣接した「小木家」さんを訪ねてみた。「小木家」さんは、1階が土産物売り場で2階が団体客用のレストラン、3階が一般客用のレストランになっており、2階と3階部分が佐渡汽船ターミナルと通路で直結した構造になっていた。午前11時丁度にお邪魔した。こんなに早い時間帯なのに既に先客の家族連れがいた。「予約席」と書かれた立て札が置かれた席もあり、地元の人達も利用しているようであった。一人客や二人連れ程度の観光客は三角形状の相席コーナーへと誘導されていた。係りのおねーさんが「本日は釜飯とカレーだけになります」と言っていたら、観光客の誰かが「何だ、それじゃあ、メニューなど見る必要はないじゃん」と叫んでいた。筆者はこのお店の一押しメニューである、「烏賊釜飯セット(1200円)」を注文した。すると「15分ほどお時間を頂戴しますがよろしいでしょうか?」と尋ねてきたので「いいですよ」と答えておいた。佐渡産こしひかりを使用し、特製のダシを使用して米から炊き上げるのでそのくらいの時間が必要なのだそうだ。

注文してからぴったり15分後に烏賊釜飯が出来上がった。烏賊の他に、海老、帆立なども乗っている。釜飯の中には鮭のほぐし身が入っており、いやもう美味いのなんのって、たちまち完食してしまった。おダシがほどよく効いた実に美味しい釜飯であった。評価は文句なしの★★★だ。

これまでのところ、佐渡汽船関連会社が経営するお店もしくは佐渡汽船の乗客を相手に商売をするお店で、はずれに出会ったことは一度もなかった。こういうお店は佐渡観光の最前線にある、そのくらいのレベルは維持して当たり前であろう。佐渡観光の足を引っ張っているのはむしろ、観光案内本で絶賛されながらその実態は大したことのない数軒のお店であろうと思っている。




宿根木の船つなぎ石   投稿者:とある旅人

2009年08月19日 06時17分08秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

ラーメンで有名な「味処 宿根木」さんの前にある宿根木の公共駐車場に車を停めて、海岸の方に向かって歩いていくと、地元の人達が「シロボウズ」と称している、その昔、千石船を係留するのに用いた御影石でできた棒状の石がいくつかあるのに気づくと思う。この御影石は、佐渡から遥か遠くに離れた瀬戸内海の尾道から運ばれてきたものだという。大阪で荷物を降ろし、身軽になった千石船は、関門海峡を通り、日本海を北上して、小木の港に寄港した。その間、船を安定させて航海する目的で、重し代わりに御影石を船に積み込み、小木で降ろしたのだという。その石を使用して作った船つなぎ石が都合7本残っている。その後享和2年の地震で海岸が隆起し海底が浅くなったため、この湾内に千石船は入港できなくなり、船つなぎ石の役目は終わった。しかし往時をしのばせる貴重なモニュメントとして、今もその輝きを保ち続けている。

江戸時代以後の宿根木の詳しい歴史をここで開陳するつもりはない。このブログは日本史の授業では無いからだ。早い話が金山が栄えた頃には、この小木や宿根木にも金持ちがいて、更に全国から船大工、回船問屋、船乗りなどが集まり、街は多いに賑わっていたそうだ。宿根木の街には豪農、豪商達の栄耀栄華をしのばせる建造物がいくつか残っていて大変興味深い。昔栄えた港町には船乗り達の三大欲望である、「飲む、打つ、買う」を満足させる史跡があるものだが、ここ宿根木近辺には、飲み屋や料理屋はあるものの、賭博場や遊郭の跡は無い。この船つなぎ石のある穏やかな海岸から後方を眺めると、朽ちかけた壁が実に物悲しさを誘う、うら寂れた漁村の船小屋がいくつか見えた。この風景こそが佐渡の佐渡たるゆえんであろうと思った。

公開民家「金子屋」(小木宿根木)    投稿者:とある旅人

2009年08月18日 06時10分47秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット
3月の下旬に、宿根木にある公開民家「金子屋」を訪ねてみた。200円を支払い、家の中へ。1階には囲炉裏と仏壇があった。仏壇が置かれた居間には、コタツがあり、その上には食べかけのスナック菓子やらみかんなどが散乱していたので、この家を管理する人のものなのだろうか?と思った。2階はだだっぴろく、隅の方に船箪笥が置かれていた。後で知ったが、この家にはいろいろなしかけがあるのだそうだ。小木中学校の生徒が作製したホームページによると、船箪笥には小判を隠す秘密の引き出しがあると言うし、土間から1階の居間に上がる、かまち部分が物入れになっているそうだ。2階の窓は縄を引いて開ける構造になっており、まるで忍者屋敷のようだ。家の中の屋根は、囲炉裏の火で燻られ黒光りがしていた。もう一つの公開民家の「清九朗」は3月一杯は休館中とのことだった。


i8ロードスター動画1

i8ロードスター動画2

i8ロードスター動画その3

ブログの記事内容について

「佐渡の翼」の記事内容は、調査スタッフ個人の、お店や宿泊施設に対する感想や意見を記述したものです。これらは、すべての読者が感じる内容とは必ずしも一致しません。「佐渡の翼」に掲載された記事を参照した後、読者ご自身の判断で行動した結果、生じた損害・損失について、当ブログは一切責任を負いかねますのでご注意下さい。更に、お店の外観写真やメニューはあくまでも取材時点でのものであり、最新情報とは必ずしも合致しておりません、重ねてご注意下さい。佐渡島内の焼肉屋と焼き鳥屋は調査の対象外です。これらのお店に関する情報をお求めの方は「佐渡なび」(http://www.sadonavi.net/)にアクセスしてお調べ下さい。なお、当ブログで紹介後に営業を休止したり廃業した飲食店は、宿根木の日本料理の名店「菜の花」(2013年4月に東京上野桜木で再オープン。電話番号:03-3827-3511)、小木の新保屋食堂」、佐和田の居酒屋「侍」、佐和田の中華料理「潤采」と「洛陽」、佐和田のラーメン大学「かねふく」、佐和田のラーメン店「燕人」、佐和田の喫茶店「トムキャット」、佐和田のイタリアン「バール・フェリチータ」、佐和田の「石川食堂」、佐和田のラーメン屋「げんき家」、佐和田のキャバクラ「パレス」、八幡のスナック「メンソーレ」(カラオケ、ココルに変身)、二見のラーメン屋「二見食堂」、真野の「寿司正」(後継は洋風のお店になる模様)、相川の「りき寿司」、相川ののら犬カフェ、金井の蟹料理専門店「かにっこ」、金井の食堂「ランチ@さとにわ」(佐和田へ移転)、金井のスナック「花音」(スナックyy'78に変身)とスナック「リバーサイド」(居酒屋兼食堂:クッチーナに変身)、畑野の食堂「菜花村」、両津の喫茶&レストラン「アン」、両津のファーストフードの店「マックス」、両津の「彩花停」(海結に変身)です。なお、紹介後に閉館したホテルは小木の「ニュー喜八屋」、佐和田の「シルバービレッジ」(改装され、ホテル浦島東館として再スタート)、相川のホテル「さどや」、えにしの宿「新ふじ」、相川やまきホテル。廃業した旅館は、小木の「ごんざや旅館」と相川の「中山旅館」です。 2018年8月10日現在の情報に基づいています。

佐渡の翼管理人

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