佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

i8ロードスターPR動画

https://twitter.com/i/status/988688999794409472

かにっこ(佐渡市金井)   投稿者:メシュラン覆面調査員

2010年03月31日 06時00分08秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記

昨年の11月下旬のとある日の夕刻、僕は金井にある蟹料理専門店「かにっこ」を訪ねてみた。場所は、丸泰さんや扇寿司がある通りの左手に位置している。交差点の信号に程近い所にあるのでお店はすぐに分かる。午後6時丁度にお邪魔した。店内は4席ほどのカウンター席以外は全て座敷席だ。僕は、2畳ほどの座敷席に座り、メニューを眺めた。焼き蟹を食べたいと思い、それを注文したところ、「蟹の俸禄焼き」と言うのがそれに当たると女将さんが言った。僕はこれに蟹飯と蟹味噌汁を注文した。

全てが出来上がるまでに15分ほどを要した。このお店の蟹は安っぽい紅ずわい蟹などではなく、本ずわい、即ち松葉蟹を使用していた。何故なら茹で上がった蟹の足の表側は赤いが、裏側は肌色を呈していたからだ。べにずわい蟹ならば表も裏も真紅であり、茹でる前から色が赤い。「蟹の俸禄焼き」は蟹を直火で炙ったものではなく、蒸し焼きのような感じであった。本当に美味い物を食べるときは人は寡黙になるというが、僕は無言で黙々とこの蟹を食べた。いや実に美味い!佐渡の蟹は水津産が極上品と言われているそうだが、この時期佐渡のどこの港に揚がった蟹でも美味いに決まっている。次いで蟹飯を味わってみたが、これがいやまた実に美味かったのだ。蟹のエキスがほどよくご飯に滲みこんでおり、こんな美味い蟹飯を食べたのは始めてだった。僕の評価は文句なしの★★★だ。お代は1500円。このお店は開業以来30年が経過した金井の老舗だそうだ。僕は2000円を差し出し、「美味かったからお釣りはいらないよ」と言い残し、このお店を去った。

追記:このお店は既に閉店しております(2012年6月3日、管理人)。


両津やまきホテル        投稿者:佐渡の翼

2010年03月30日 06時00分28秒 | 佐渡のお宿評価
昨年の11月下旬のとある日に、秋津の高台にある両津やまきホテルに宿泊した。午後5時にホテルに到着した。フロントのおねーさんは、筆者が宿帳を書き終わらないうちに、「明日の朝食は1階の「菊の間」に午前7時にご用意させて頂いております」と告げた。そして2階の1室を指定されルームキーを手渡された。お部屋には10畳の和室に4畳ほどの応接間が付属しており、和室の畳は真新しくいい香りがした。エアコンがばっちりと効いており、トイレもウオシュレット付きと満点のできばえであった。部屋からは加茂湖そしてその向こうに両津湾がよく見えた。ロビーにはクリスマスツリーが飾られ、早くも師走気分を演出していた。ロビーの片隅にはインターネットに繋がったパソコンが3台設置されており、言語バーの入力方法が中国語に切り替わっていた事から中国からの観光客が多いのかなと思った。モバイルPCを持ち歩くようになってからは、ホテルに設置してあるパソコンにはさほどの有り難味を感じなくなっていたが、海外からの観光客には格好のサービスであろう。秋津温泉を引いた大浴場は2階にあり、午前0時頃まで入浴が可能だった。ホテルの快適度は勿論

朝食は午前7時に1階の菊の間に用意されていた。400人近くを収容できる大型ホテルだが、この日の宿泊客はおおよそ43名ほどであったように記憶している。このホテルではビュッフェ形式ではなく、人数分の朝食がお盆の上に用意されていた。定番の烏賊刺身はなかったが、お豆腐、いごねり、大根に柚子味噌をかけたもの、温泉卵、サラダ、漬物といたってシンプルな献立であった。焼き鮭は焼きたてではないものの美味しかったし、ご飯が何と言っても美味しい!筆者の評価は★★。一泊朝食付きのお代は8150円。夏の繁忙期ならば軽く1万円を越えるだろう。実に快適な両津やまきホテルであった。



涅槃図巡り     投稿者:とある旅人

2010年03月29日 06時54分48秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

今年の佐渡国相川雛祭りでは、特別企画として、相川の各寺院が所蔵する涅槃図が各所で公開された。涅槃図とは御釈迦様が御隠れになる時の様子を描いたものである。涅槃図は通常、御釈迦様の遺体とそれを取り囲む僧侶と十二支の動物達などで構成されている。御釈迦様は、クシナガラのキレン河のほとり、沙羅双樹の間で入滅したとされている。

さて、涅槃図巡りの最初は、相川下寺町の浄土真宗のお寺「法然寺」である。このお寺は庭園が美しく、境内には佐渡の陶芸の祖とでも言うべき「黒沢金太郎」の墓がある。更に、佐渡奉行を勤め、佐渡近海に異国船が来襲した折り、海岸防衛と武芸奨励に治績があったとされる大熊善太郎の墓もある。そして、鉱山開発に治績があった、佐渡奉行「伊丹康勝」を供養する五輪塔もある。この五輪塔は相川では最大だそうだ。鮮やかな朱塗りの柱が見事な本堂に入ると右手に涅槃図があった。初めて目にする涅槃図だが、色彩といい、絵の構図といい神々しいまでのまばゆさだ。

涅槃図巡りの二番目は日蓮宗のお寺「妙円寺」である。この寺は、山師の味方孫太夫により建立されたとされる。鉱山坑夫の鈴木部屋親方の墓などがある。本堂に至る長い石段と赤い山門が綺麗な静かな寺院だ。このお寺の涅槃図は本堂に入って左手に掲示されていた。地元の人か観光客かは分からぬが、御夫婦らしき方がこの涅槃図の前に座り静かに鑑賞していた。

涅槃図巡りの最後は、中寺町にある「瑞仙寺」である。山師味方但馬家次が父の菩提寺として建立したとされる。仁王門は元禄時代の造りだそうだ。本堂の中に入ると右手に涅槃図があった。やがて地元の母娘連れがやってきた。母親は「この涅槃図にはネズミは描かれていないんだよ。ネズミを入れると猫が邪魔しに来るからさ。おらちゃあ~そう聞いたじゃあ~」と言った、するとすかさず娘が「ほら、ここにネズミがおるよ」と言いいながら涅槃図に描かれたネズミを指差した。すると母親は「でも、猫はおらんだろ」と続けた。だが、この母親の発言は全て正しくはなかった。確かに他の寺院の涅槃図には猫は描かれていない。何故なら猫は十二支には含まれていないからだ。ところが瑞仙寺の涅槃図にはその猫が描かれている。そのため、非常に珍しくて貴重なものなのだそうだ。デジブックをフルスクリーンでご覧になり、当該涅槃図の写真を注意深く見ると猫の存在にお気付きになると思う。後から調べて知ったのだが、実相寺の涅槃図も猫が描かれた十三支涅槃図だそうだ。




彩花亭のピラフ    投稿者:佐ガット覆面調査員

2010年03月28日 06時01分11秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記
筆者は、牡蠣料理が食べたいと思ったが、牡蠣料理は夜だけのメニューとのことで断念せざるを得なかった。それではということで、ピラフを注文した。店内は相変わらずの混みようだったが、どちらかと言えば女性客の比率の方が高かった。厨房では、女将さん以外に、一番年上のおねーさん、高校生っぽい女の子、そして小学生っぽい女の子もお手伝いをしていたように記憶している。注文後8分ほどでピラフが出来上がった。ピラフというのは洋風焼き飯だが、バターを使うので、ややもすればべとついた仕上がりになることが多い。しかしこのお店のピラフは、ほどよいバターのからまり具合であった。ピラフの具には野菜を細かく切ったものが入っていたが、営業用のサイコロ野菜を用いてはおらず、全て手作り感があふれるものであった。ご飯の量は女性客を意識してか、男性の大食漢にはやや少な目めとも思えるほどの分量だが、筆者には丁度よい分量である。付属のサラダやスープも文句なく美味しい。食後にコーヒーが出された、このコーヒーが、これまた美味しいのだ。このお店のお料理の美味しいわけは、まず女将さんの調理技術の基本がしっかりしていること。そして、素材をよく吟味し、佐渡の食堂にありがちな安かろう量が多かろうの路線とは一線を画していることだ。何よりも女将さんの万事控えめで謙虚な姿勢に好感を覚える。福山雅治が来店したおりに贈られたサイン入り色紙を、他の店ならばここぞとばかりにこれみよがしに店内に飾るところだが、赤いすだれの裏側に焼酎のボトルと共にひっそりと飾っていたからだ。

本当に美味しいお店再訪シリーズ(両津彩花亭)   投稿者:佐ガット覆面調査員

2010年03月27日 06時00分58秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記
この再訪シリーズには、筆者が自身の心に嘘をつかずに心底美味しいと感じ、読者に自信を持って推奨しうる佐渡の美味しいお店だけを選んである。こんな事を言えば、「じゃあ、今までの三ツ星店の中には意図的に過大に評価したお店もあるのか?」と聞かれそうだが、「確かに島民への配慮からそのように評価したお店もある」と答えざるをえない。何故なら、佐渡という島は、島内の飲食店に関する厳しい評価に対し決して寛容な島とは言えないと思うからだ。筆者の厳しい評価に対し、ネット上で不満をぶつける人々は島民の極一部なのかもしれない。しかしそれは、島という閉鎖された空間の中で生きる人々が一蓮托生の運命共同体あるいは護送船団方式へと傾斜せざるを得ないという、一種の宿命なのかもしれぬ。それゆえ、そういう人々に対する一定の配慮も必要と感じたので、心ならずもそのように方針転換をした。何の権威もない一市井の人間のブログ記事に対しあまりにも過敏に反応するこの奇妙な島に対する筆者の見解は決して偏見などではなく、2年間実地に島のあらゆる飲食店を取材し、取材結果のブログでの反応や反響をつぶさに観察した結果得られた結論なのだ。

それほど美味しいとは感じないのに、その意に反し非常に美味しいと書かざるを得ないのは実は非常に心苦しく、それを続けていてはfrustrationが溜まるだけである。ならば記事にしなければよいではないかと反論する人が出てくるのは充分承知している。しかし「評価というものは、全ての飲食店に対し公平に行うべきものだ」と言うのが筆者の信念だ。残念ながら一部の人々の圧力に負けてその信念を曲げざるを得なかったが、彼らと敵対しても何も得るものはないし、敵対するほどの価値のある相手でもない。ただの徒労でしかなく、精神衛生上もよろしくはないので、今年からは、心底楽しくブログが書けるお店の紹介だけに留める事に決めた。しかし、「負けるが勝ち」だという事を某ブログライター氏などは思い知ったであろう。筆者は今でも不本意ながら記事削除に追い込まれた、いくつかのお店に対する評価記事は正しかったと思っているし、遠からぬ将来、その正しさが社会的に認められる日が来ると堅く信じている。

さて前置きが長くなったが、この再訪シリーズの第一弾に選んだのは、両津の佐渡汽船前にある洋食の「彩花亭」さんだ。筆者は昨年の11月下旬のとある日のお昼にこのお店を訪ねてみた。筆者は実はこのお店に来るのは3回目なのだが、お客さんが入ってきた時の女将さんの挨拶が全く変わっていないのに感心した。女将さんは例え一見客であっても「いらっしゃいませ、いつも有難うございます」と挨拶している。そして女の子がお客さんから注文を受け、それを女将さんに伝えると、それを復唱しながら「有難うございます」と言う。この女将さんの「奢らず、飾らず、さりげなく」の接客態度が、繁盛店になってもそれを維持し続ける秘訣なのだろうと思った。

とんかつの王ろじ(新宿)    投稿者:佐ガット覆面調査員

2010年03月26日 06時00分51秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記
10月下旬のとある日、筆者は新宿伊勢丹駐車場前にあるとんかつの名店「王ろじ」さんを訪ねてみた。このお店、大正10年創業というのだからかなりの老舗だ。午前11時、開店直後に入店したら案の定先客は皆無!店内には4人掛けのテーブル席が4卓と二人掛けが1卓、そして4つのカウンター席があった。厨房内にはご主人と眼鏡をかけた若い職人さんの二人がいた。ここの名物は何と言っても所謂カツカレーである「とん丼」だ。店の玄関前には、このお店が紹介された「大人の週末」の当該ページが張り出されており、それによると、「とん丼のカツはロース肉の脂身をそぎ落としそれらをロール状に丸くして揚げたもの」だそうだ。筆者はこのとん丼(950円)を注文した。メニューには「出来上がるまでに12分程度のお時間を頂戴いたします」と書かれてあった。先に運ばれた漬け物(王ろじ漬)をつまんで待つことにしたが、この漬け物はけっこう美味しかった。

筆者の後には全員がタバコを吸う4人の高齢者グループと女性の一人客、男性二人連れなどが次々にお店に入ってきた。いずれもメタボ体型だ!そうであろう、カツ丼を食べるのが大好きにも関わらず標準体型を維持できる人はそうはいまい。注文後12分でとん丼が出来上がった。春巻き状に揚げられたカツを三等分し、それらを三角錐状にしてご飯の上に盛り付け、更に黄色いカレールーがかけられていた。筆者はまずカツを一口味わってみた。確かにカリっと揚げられたカツの外側の衣は「大人の週末」が言うようにクリスピー状でさくさくだ!しかし、中身のカツは、ロース肉の脂身を削ぎ剥いでからそれらをブツ切りにした後、細切れ状の豚肉をすのこで丸めてまとめてから衣をつけて揚げたような感じだった。豚肉の脂の旨みが無い分、ややパサついた食感になっていてさほど肉の旨みというものを感じなかったのだ。カレールーはと言えば、辛くも甘くもなく極普通の所謂おうちのカレーの味付けで、大塚のボンカレーの方が遥かに美味いと感じたほどの代物でしかなかった。大変申し訳ないが、とてもじゃないが私の口に合うカツカレーではない。カツを1個だけ食べ、ご飯は半分ほど食べて後は残した。残念ながら「大人の週末」や食べログのB級グルメさん達が絶賛するほどのカツカレーではなかったというのが正直な感想だ。同じカツカレーでも羽茂サウンドハウスのそれの方が遥かに美味しいと思った、「王ろじ」さんだった。

手打ち蕎麦の徳平(佐渡市稲鯨)    投稿者:メシュラン覆面調査員

2010年03月25日 06時00分50秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記
11月上旬のとある日、僕は七浦海岸沿いの稲鯨という集落にある、手打ち蕎麦の名店「徳平」さんを訪ねてみた。金井にも同名のお店があるが姉妹店なのだろうか?地元の人の話では両店のメニューは全然違う内容だそうだ。この徳平さん、看板に「陶器と飲む」と書いているので、多分ご主人がぐい飲みなどの陶器に凝っているのかなと思った。店内に入ると、大阪ナンバーの車でやってきたおじさん4人組の先客連中が昼間っからビールを煽り、天ざる蕎麦に舌鼓を打っていた。店内にはカウンターに5席、小上がりに5人掛けのテーブル席が4卓ほどあり、そしてフロアーに4人掛けのテーブル席が一つあった。小上がりの奥の方の棚に、陶器、小物入れ、作務衣などが陳列されてあり、婦人用の作務衣っぽい仕事着が衣文掛けに洒落ものめかしく飾られていた。お客さんは、僕の後に、祖母に付き添われた小学校低学年とおぼしき女の子とその弟、そして中年のカップルも二組ほどやってきたが、皆さん「天ざる蕎麦」を注文していた。女の子が「ラーメンはないの?」と尋ねたら、「御免ね、ラーメンは夜だけで昼間はやっていないの」とおばちゃんが答えていた。

メニューには、蕎麦、天ぷら、うどんの他に、その日の焼き魚が何種類か記載されていた。僕は「手打ち鍋焼きうどん(850円)」というのを注文した。厨房内には、眼鏡をかけた中年のおばさんと眼鏡をかけないおばねーさん風の女性、白髪白髭を蓄えたおじいさん、そしてタバコを吸うおやじの合計4人がいた。注文後14分ほど経過したところで待望の鍋焼きうどんが出来上がった。麺は名古屋きしめんのような平たい麺だが部厚くて確かに手打ちの味がした。しこしこと腰がありもっちりとしている。麺の幅が微妙に異なるのが手打ちの証であろうか。ダシはあごだしがよく効いていて薄い醤油味。具は葱、まいたけ、蒲鉾、ほうれん草、ゆで卵、海老フライである。僕はセブンイレブンのきつねうどんをよく買って食べているのだが、あれは醤油味がちと濃い。ところが徳平さんのそれはやや薄めで丁度よい塩梅なのだ。うわあ~美味しいなあ~!たちどころに完食してしまった。海老天麩羅の海老はフライ用によく使用される普通の海老のようだったが、これはまあ~ご愛嬌だ。僕の評価は勿論★★★です。季節によっては牡蠣の天麩羅などが出る事もあるそうだから、冬に七浦海岸をドライブがてら昼食に立ち寄るのに丁度よいお店であろう。



カフェ一葉(佐和田)       投稿者:佐渡の翼

2010年03月24日 06時00分17秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記
2月10日の午後4時頃、筆者は喉が渇いたので、休憩にと、このカフェを訪ねてみた。金井方面から佐和田のバイパスに入り、労金のある交差点を右折する。すると、「あんとん」「スナックローズ」「お好み焼きこうめ」などが建ち並ぶ通りが右手に見えてくる。この通りの一番奥にこの喫茶店がある。何でも、真野のレストランこさどの店長さんの行きつけのお店だそうだ。店内に入ると、5席ほどのテーブル席とカウンター席とがあった。中年女性と若い女性の二人のスタッフがいた。店内にはリズミカルなジャズミュージックが流れており、先客としておじさん二人組みと若い女性の二人連れがいた。メニューはごく普通の喫茶店のそれで、自家製ケーキセットなどというのもあった。

筆者が注目したのは、無線LAN使用のマックのパソコンが二台置いてあったこと。一台はデスクトップタイプで今ひとつはノートパソコンだった。おねーさんの話ではノートパソコンの方が性能が高いとのことで、筆者は紅茶を注文しながらこのノートパソコンを起動してみた。いや驚いたの何の、恐ろしく速度が遅いのだ!筆者が業務用に使用しているパソコンはベストエフォート100Mbpsの光に接続されており、インテルの高速CPU(2.93GHz)とかなりの量(8Mb)のメモリーを搭載している。従ってワンクリックで瞬時に画面が切り替わる。これを使いなれていると、この無線LAN使用のパソコンの処理速度は体感的に百分の一程度に感じられた。佐渡テレビが提供するインターネットサービスはNTTが提供するフレッツ光と違い独自の光ファイバーを使用した光もどきらしく速度は15Mbps程度しか出ない。NTTのフレッツ光は速いが、サービスエリアは現在のところ、佐和田、相川、金井、両津地区などに限られているようだ。筆者所有のバイオのモバイルPCのデータ通信端末はドコモ製で7Mbpsを確保しているが、これでも速度の遅さにいらいらしてついストレスが溜まるというのに、無線LANは5Mbps程度しか出ない。試しに当ブログにアクセスしてみたら、全画面が表示されるまでに何と10分近くを要した。これではほとんど実用にはならない!同様にカーフェリー船内に無線WAN経由のパソコンを設置しても多分実用にはなるまい。諦めて、お代の350円を支払ってお店を出た。レシートを要求したら、「レシートは出ないんです」とおねーさんが言ったが、レシートは出すべきだと思います。ちなみに、佐渡汽船両津港ターミナル2階のお土産ロードの西端に、インターネットが無料で利用できるエリアが設置されていた。速度はこちらの方が遥かに速かった。ところがこのエリアは3月22日に覗いたところ既に閉鎖されていた。ジェットフォイル船内には、新幹線同様、窓際席の壁のところにコンセントを設置して欲しいと思う。こうすればバッテリーの残量を気にすることなくモバイルPCがストレス無く使えるからだ。ただし、越佐海峡の中間点あたりで通信端末に接続できない事をしばしば経験したので、出航後30分を経過したあたりでのブログ記事アップ作業はしない方が無難だと思う。



スナック「京」(佐渡市小木)再び     投稿者:佐渡の翼

2010年03月23日 05時33分26秒 | 佐渡のスナック・キャバクラ
3月21日の午後8時、筆者はごんざや旅館で旅装を解くと、肌寒い西風が吹きつける小木の海辺を東へと歩いていった。やがて懐かしい、スナック「京」さんのネオン看板が見えてきた。4ヶ月半ぶりにお店の中に入ると、カウンター席では、ママさんを挟んで二人の地元の男性氏がご機嫌な様子で焼酎を煽っていた。ママさんは、筆者の顔を見ると、まるで初めて出会った客を迎えるかのような表情をし、素早くカウンターの中へと移動した。そこには数ヶ月前と全く変わらない顔のママさんがいた。筆者がウイスキーの水割りを注文すると、「単品でよろしいですか?」とこれまた淡々とした表情で尋ねてきた。おや、筆者の顔を忘れる事ができるスナックのママさんに初めて出会えたのかな?と一瞬思いきや、ママさんは、水割りの入ったグラスを差し出しながら「お久しぶりです」と微笑みながら声をかけてきた。やはり私の顔を覚えていた。そしてママさんは、昨年の11月にスナック「京」さんの記事がブログにアップされた後、友達から携帯メールでそのことを知らされ、「ああ~、あの人がそうだったのか」と納得しましたと語ってくれた。その後、ある居酒屋を経営する当ブログの愛読者さんがやってきて、「佐渡市民」のボトルを飲み始めたのを境に、何人かが次々に飲みにやってきて、ボトルは瞬く間に空になったと明かしてくれた。そしてママさんはその空になったボトルを律儀にも保存していたのだ。普通、空になったボトルなどは即座に廃棄してしまうものだが、このママさんは、筆者が様子を窺いに店に舞い戻る事を予見したかのように、あるいはその予感がしたのだろうか、くだんのボトルを大事に保存していた。トップ画像はその記念すべき空ボトルの写真である。そしてママさんは筆者に向かい、「有名なんですね」と言った。現実の社会では決して正体を明かさない筆者だが、ブログの愛読者さん達の間ではちょっとした有名人になりつつあるようであった。筆者は勿論、新たにサントリーロイヤルのボトルを一本キープした。

やがてマスター氏が姿を見せた。このマスターは釣りが御趣味なようで、14人乗りのクルーザーを所有していると言った。そして「羽茂漁港に係留してあるクルーザーの中で一番でかいのを見たら俺の船だと思ってくれ。俺の船は嵐に強いんだ。カーフェリーがピッチングするような高波の時でも、波はかぶるものの、つう~っと真っ直ぐ進むんだぜ」と啖呵をきった。マスター氏は海釣りは勿論のこと、佐和田の「友」のマスター氏同様、渓流釣りもお得意とかで、釣果としての大小三匹のやまめを見せてくれた。一番でかいのはゆうに20センチはある。マスター氏は「これを焼いてあげましょうか」と言ったが、あまりにも大き過ぎるので、代わりに10センチほどの小さなやまめを三匹焼いてもらうことにした。やまめの塩焼きはかすかに苔の香りが鼻へと抜けていくような感じで、非常に美味しかった。先客のおじさんのうちの一人はカラオケに熱中し、もう一人のおじさんは「佐渡で良い所はありましたか?あったら東京に帰ってから宣伝しておいて下さいね」と筆者に向かって言った。お代は9800円。当ブログを御愛読の佐渡市民の皆様、じゃんじゃん小木のスナック「京」さんに行って、サントリーロイヤルを飲みまくって下さい。

午後10時に店の外に出ると、なごり雪がはらはらと落ちてきた。私は、ヘルノのローズピンクのスプリングコートの襟を立て、コートに降りかかる雪を払おうともせず、ひたすらごんざや旅館への家路を急いだ。

オーベルジュ古町のコース料理の後半           投稿者:佐渡の翼

2010年03月22日 06時00分10秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記
コースが中盤戦に入ると、スープのご登場。カリフラワーベースのスープだが、いろんなお野菜と加茂湖産の小さな牡蠣が2個入っていた。このスープがとても美味しかった。ウエイトレスのおねーさんは、筆者がフォアグラを残したのを見るや、「お客様は普段は小食なのでしょうか?それともたくさん召し上がるほうですか?ちょっと気になったものですから」と筆者の気持ちを忖度したかのような雰囲気で尋ねてきた。筆者は「小食なのでお料理のポーションは少なめにお願いします」と答えた。メインの魚料理は「すずきのポワレ、プロバンス風」。ポワレの焼き加減は、ホテルオークラ並みのできばえである。筆者の前の席にいる中年の男女5人組は、主に海外旅行の話に花を咲かせていたが、タバコを吸うおやじ二人が、喫煙のためにたびたび席を中座して店外に出ていくので、落ち着かないことおびただしかった。佐渡のスナックの美人ママさん達と密会するのには不向きのレストランだったが、20代のギャルホステスさんを連れて行くのならば格好のレストランのように思えた。魚料理を食べ終えたら、お口直しにと、レモンのシャーベットが出された。

最後のメインデイッシュは、「村上牛のフイレ肉のグリエ、マスタードソース、ポトフを添えて」であった(画像)。お肉は実に柔らかく、そして旨みが濃縮されていて、さすがは新潟のブランド牛の味わいであった。デザートは和梨のジュレの軽いものと、栗のアイスのガトー仕立ての本格派の二種類が出された。後者には佐渡産の柿といちじくが添えられていた。筆者は、果物だけを食べて終了とした。コーヒーに付属したプチケーキは佐渡のスナックのおねーさん達に差し上げるためにラッピングしてもらった。このコース料理とグラスワインを含めた御代は10,080円!新潟でのデートコースに十分使える美味しいレストランであった。



オーベルジュ古町(新潟市古町)    投稿者:佐渡の翼

2010年03月21日 06時00分48秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記
昨年の11月21日の土曜日、筆者は、いつものように新潟着20:16分の上越新幹線のグリーン車からプラットフォームへと降り立った。やや早足でコンコースを駆け抜け、タクシーに乗り込むと運転手さんに「フレンチレストランのオーベルジュ古町までお願いします」と言った。すると運転手さんは、「そんな店は知らないなあ~」と言ったが、筆者が「ダイアパレス古町の一階にあるんだけどなあ~」と言うと、「ああ、あそこですか」と言いつつ、ようやく場所が分かったというような顔をし、5分ほどで「オーベルジュ古町」に到着した。筆者は事前に電話で「シェフのお任せスペシャリテイ(9450円)」というコース料理を予約しておいた。筆者が店の前にタクシーを横付けにしたら、お店のスタッフのおねーさんが、」お待ちしていましたと言わんばかりの勢いで、入り口のドアを開けて筆者を中へと招きいれた。おねーさんは、筆者のコートと荷物を預かると、「わざわざ遠くからお越し頂き有難うございます」と言いつつ、一番奥まった二人掛けの席へと筆者を案内した。店内はどちらかというとビストロっぽい雰囲気ではあったが、椅子やテーブルは高級そうな感じのものでしつらえてあった。先客は、何かのお祝い会かあるいは記念日の食事会らしき地元の名士集団、上司とその部下のOLらしき社内不倫の訳ありカップル風、中年のおばさん二人組み、男性3人女性2人の組み合わせの中年メタボ集団、そして眼鏡をかけた一見さえない感じのおじさん一人客であり、9割近い入りであった。筆者が席につくと、おねーさんはまず飲み物の注文伺いをした。筆者は「シャトートゥールシヴァドン」という長ったらしい名前のグラスワインを注文してみた。次いでおねーさんは、本日のコース料理の内容を順次説明し始めた。筆者は「ふむふむ」と頷きながら聞いていたが、ほとんどその内容を覚え切れなかった。

まず最初にアミューズブーシュ(おねーさんは付きだしと言った)として「生雲丹のサバイヨングラタン」が出た。ホワイトソースを使わずに、卵黄だけで仕上げた一品だ。雲丹のこくのある甘みを卵で閉じ込めてあり、実に美味しい(画像)。次のアミューズは、「秋鮭の燻製の上にずわい蟹を入れたタルタルソースをかけ、更にその上にキャビアを添えたもの」。秋鮭のスモーキーな香りと蟹の身が入ったタルタルソースがよく合い、そしてキャビアがアクセントになっているので極上の一品に仕上がっていた。オードブルの一品目は「オマール海老のグリル、クスクスのアメリケーヌソースとジェノバ風バジルソース」。オマール海老の火入れ加減は申し分なく、その表面には、かすかにほのからい何かが塗られていたように思えた。次のオードブルは、フォアグラのソテーの下にサトイモを敷き、キノコのソースをカプチーノ仕立てにしたもので覆ってあった。フォアグラの濃厚な味わいと芳醇な香りをきのこの軽いカプチーノ風ソースで中和したような塩梅であった。しかしいかんせん、筆者にはちとカロリーと量が多すぎた。半分近くを残してしまった。


相川ふれあいガイドその2     投稿者:佐渡の翼

2010年03月20日 06時00分39秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

次いで小澤さんは水替え無宿人の墓に筆者を連れていき、坑内の火災で亡くなった28名の無宿人の墓を指差した。金山の深堀が始まると湧出する水を汲み上げるために、大量の水替え人足が必要になり、全国各地から無宿人が佐渡へと運ばれてきた。その労働の過酷さのため、「水替え人足この世の地獄」と歌われたものだが、実際には、宿舎周辺の散歩程度は許されるくらいの自由はあり、後年は街へ繰り出すことも大目に見られたという。三度の食事が支給され、給料もきちんと支払われるなど、けっこうな好待遇だったという。それゆえ、年期いっぱい勤め上げた者は、出身地に戻ったり、そのまま佐渡に住み着いたりしたそうだ。その末裔が今でも佐渡にはいるのだろうか?

やがて筆者達は、京町通りへ出た。すると、ざくろを手にした「米街庵」の芸達者なおやじさんと出会った。デジブックの表紙の写真は、小澤さんとこのおやじさんが立ち話をしている様子を撮影したものだ。「米街庵」のおやじさんは、「相川には独自の芸能がたくさん残っているが誰もそれを紹介しようとしない」という趣旨の話をし一人で憤慨していた。小澤さんは、旧相川拘置所を指差し、「この建物は木造モルタル造りになっているが、これはあまりよくない事」だと言った。彼は木造モルタル造りの様々な欠点を指摘したがその内容は専門的で筆者にはよく分からなかった。この拘置所の屋根の一部は既にはがれ掛けており、その部分を青いビニールシートで覆ってあった。小澤さんはその光景を見ながら、「ああ~こりゃあ~そのうち自壊するだろうなあ~」と言った。「相川宵の舞」のイベント時には、この京町通りに何百という数の行燈が並べられ足下を照らすのだという。小澤さんはその作業を手伝わされたとも言った。小澤さんは最後に、「大勢の観光客を引き連れている時はできないのだが」と断りつつ、時鐘楼の扉の鍵を開け、内部を見学させてくれた。その後、寺町を巡り、妙宣寺の五重塔を建築した大工の墓がある法輪寺などを案内してくれた。

相川金山の第三駐車場へと戻る道すがら、小澤さんは左手の砂防ダムを見ながら、「ダムに砂が溜まっていないところを見ると砂防ダムの機能を果していないのではないか?」という素朴な疑問をぶつけてきた。そして「大水害に備えてのダムなのだから、ま、無駄なダムとは言えないかな」と自身を納得させていた。この小澤さんは、所謂旅のもんで、20年ほど前に福島から佐渡へ越してきて移り住んだ。そして相川、真野、宿根木の3箇所のガイドを掛け持ちしているのだという。宿根木の足立さんは地元出身の地元育ちだったが、真野と相川はいずれも旅のもんのボランテイアであった。地元出身のボランテイアガイドの数は少ないのだろうか?

駐車場に戻ると小澤さんは、自身の仕事は水道工事屋で日当はいいのだが不況の影響で仕事が減ってきていると嘆いた。休日にも関わらず筆者一人の案内のためにわざわざ出てきてくれたのだ、筆者は5千円札の入ったポチ袋を小澤さんにお礼として手渡し、懐かしい相川の街を後にした。



相川ふれあいガイドその1     投稿者:佐渡の翼

2010年03月19日 06時00分12秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

みぞれまじりの雨が降った昨年11月上旬のある寒い日、佐渡観光協会を通じて事前に予約した相川ふれあいガイドの方と相川金山の第三駐車場で待ち合わせた。午前9時半きっかりに到着したら、既にガイドさんは到着していた。そこには小澤さんというひょうきんそうなおじさんの姿があった。お互いに挨拶を交わした後、みぞれが降りそぼつ中、まず金山の貯鉱場へと向かった。そこには金鉱を運んだトロッコの残骸があった。この角度からこの建物を見るのは初めてだった。小澤さんは、この建物の麓を流れる川を指差しながら、昔はこの川の水は澄んでいて、鮎が生息していた。それゆえ、鮎川が訛って「あいかわ」になったという説と、二本の川が合流する、即ち川が合うから「あいかわ」となったという説とがあると、相川の地名の由来を説明してくれた。この駐車場から山側に向けて小道を進んでいくと「茶屋坂」という案内看板があった。この近辺にはその昔鉱山労働者が憩う茶屋などの飲食店が軒を連ねていたらしい。昭和初期の頃まではハモニカ横町と言って、ハモニカの形をした縦に細長い長屋やら、あらくれ鉱山労働者が住み込む合宿所のような家もこの辺にあったのだという。小川さんは、その合宿所の一つである「鈴木部屋」の名残を指差しながら、この合宿所には二階に賭博場もあったと言った。さすがは相川金山のお膝元だ、「飲む打つ買う」の全てが揃っていたらしい。

ところで買う方だが、相川にある所謂遊郭なるものは、今でいう入浴料が総額5万円以上の高級ソープランドに相当し、大店の若旦那、お役人、一攫千金を手にした山師などしか出入りできない高級遊郭だったそうだ。では一般の町人や低賃金で働く労働者達向けの遊郭、即ち入浴料が総額2~3万程度の大衆ソープランドに相当するものはどこにあったのかと言えば、沢根の船宿がそれに相当したのだそうだ。船宿には比較的低料金で男の無聊を慰める遊女がいて、かなりの賑わいだったそうだ。今ではその面影はどこにもないのだが。。。毎月二回の給料日になると、そうした相川の男たちは、赤ふんどし一丁になり、その上に肌が透けて見えるような薄い絹を纏った格好のまま、喜び勇んで青野峠を越えて、沢根の船宿へと急いだと言う。



牡蠣料理「かなわ」(東京銀座)     投稿者:メシュラン覆面調査員

2010年03月18日 06時00分37秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記
12月中旬のとある日、僕は牡蠣料理の名店、銀座「かなわ」にお邪魔した。交詢ビルの真向かいの第三岩月ビルの地下1階にこのお店があった。銀座「かなわ」は広島の牡蠣料理専門店である創業140年の老舗「かなわ」の東京店である。銀座「かなわ」では、瀬戸内海でも有数の清浄海域とされる広島県大黒神島深浦で獲れた牡蠣を毎日空輸して提供している。従って勿論生でも十分食べられるほどの牡蠣である。

僕は、午前11時45分頃にこのお店に到着した。一人のおばちゃんが店の前に立ち、看板を覗き込む客の呼び込みをやっていた。そんなことをするほどの必要もないほどの名店なのだが、この不景気のご時世、そうも言っていられないのだろう。僕はおばちゃんに案内されるままに階下へと降りていき、テーブル席を指定し、白い椅子に座った。40年ぶりに移転しリニューアルオープンしたこのお店の店内は赤と黒を基調としたモダンな内装で、6席のカウンター席以外に半個室形式の4人掛けのテーブル席が7卓ほどあった。先客は皆無!おばちゃんは、「お客さん、靴の色が綺麗!ま、白いコート!上着と言い、お客さんお洒落ですね」とひとしきりお追従を言った後、「今日のお勧めは、牡蠣尽くしコース2900円です」とメニューのビニール紙を見せながらそう言った。僕はそんなメニューには目もくれることなく、「あのね、焼き牡蠣、牡蠣の土手鍋、牡蠣飯の三つが食べたいの」と言った。するとおばちゃんは「ああ~、今日は寒いから、鍋がぴったりですね」と言いながら、「単品になると値段が少し変わりますけど、今ご用意しますね」と言いながら奥に下がった。僕にとってはこの際値段などはどうでもいい話だった。注文した牡蠣料理にありつけさえすればそれで良かったからだ。

7分ほどしたらまず、鍋用の簡易卓上コンロが運ばれてきた。おばちゃんは「野菜、きのこ、豆腐」などが入った味噌仕立ての鍋をコンロの上に置き、スイッチを入れた。そして「お野菜が煮立ってきたら、この牡蠣を鍋の中に入れて下さいね」と言いつつ、やや中ぶりの牡蠣を5-6個乗せた皿を横に置いた。そして「焼き牡蠣と牡蠣飯もご一緒にお持ちしましょうか?」と尋ねてきたので、「そのようにお願いします」と僕は答えた。ほどなくして焼き牡蠣が運ばれてきた。熱々の大振りの焼き牡蠣が2個皿の上に乗っている。その身はプリプリとしていて実に美味い!牡蠣殻の中に残された汁が又濃厚そのものでさながら牡蠣のスープだ。無論全てを飲み干した。レモンを絞ってちょっとかけると実にいい味になるんだなこれが。そうこうするうちに鍋が沸騰しだした。僕は少し火力を弱めてから鍋の中に牡蠣をどさどさっと一気に入れた。そしておばちゃんがどうぞと言って差し出した牡蠣飯をほおばりながら、ほどよく煮えた牡蠣鍋の中の野菜と牡蠣をつまみだし、ご飯と共にそれらを口の中に運んだ。美味しいなあ~。ああ~幸せえ~!美味そうに食べる僕の顔を見ながらおばちゃんは「牡蠣飯はお代わりできますからね」とうれしい事を言ってくれた。僕はお言葉に甘えて、牡蠣飯をお代わりした。結局気が付くと牡蠣料理三種を完食してしまっていた。30分ほどで食べ終えたが、この間お客は30代後半とおぼしき一人のおねーさんがカウンター席にいただけだった。お代は4610円。僕は支払い金額の内訳の仔細を確認する事無く、カードで支払いを済ませた後幸せな気分でこのお店を去った。

焼き牡蠣

牡蠣の土手鍋用の牡蠣。生食可能なくらいの鮮度だ

土手鍋

銀座「かなわ」の全景

三光亭(佐渡市佐和田)     投稿者:メシュラン覆面調査員

2010年03月17日 06時00分18秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記(ラーメン編)
11月初旬のとある日、僕は河原田本町の交差点にほど近い、三光亭さんにお邪魔した。この三光亭さん、以前は寿司割烹のお店だったが、現在では味のある老夫婦がラーメンやカツ丼を中心メニューに据えたこじんまりとした食堂に衣替えして営業を続けている。僕は午後12時丁度にお店にお邪魔した。店内のカウンター席には高齢者が5名ほどいてラーメンの出来上がりをいまや遅しと首を長くして待っていた。小上がりには4人掛けのテーブル席が二つほどあり、フロアに4人掛けのテーブル席が一つあった。僕はカウンター席に座っていたおばあさんの右隣に座り、ラーメン(400円)を注文した。僕の眼の前には寿司屋の名残である、寿司ネタを貯蔵する冷蔵ショーケースがあったが、現在では全く使用されてはいなかった。厨房ではおばさんが調理し、おじさんが運び役を勤めていた。5分ほどでラーメンができあがった。

スープはあっさりとした醤油味で美味しい。麺はストレート麺だ。しかしチャーシューは冷たくてちと固い。メンマも少々冷たいかなという感じだった。でも湯切はバッチリだったのでスープがうまく絡んでなかなかいける味に仕上がっていた。僕の評価は★。400円でこれだけのラーメンが味わえるのだから、けっこうCPは高いのではないだろうか。ラーメン系譜としては上海亭さんと同じであろう。老夫婦二人で頑張っている佐渡のラーメン屋さん。心から応援したくなります。このお店のカツ丼は中堀さん同様美味しいそうです。是非お試し下さい。

i8ロードスター動画1

i8ロードスター動画2

i8ロードスター動画その3

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