何故に「佐渡の翼」と言うブログはこれだけ、様々なメデイアで騒がれるのだろうか?他のブログでは当たり障りの無い事しか言わないが、このブログでは本音を語っている。お店のよいしょだけではなく、批判もきちんとしている。話が面白いのでついつい覗いてしまう。貧乏人の金持ちに対するねたみそねみ羨望嫉妬があるから中傷したくなる衝動を抑えきれない連中がうようよいる。中傷は全てそれらの裏返しだろう。不正で痛い目にあったので他人の不正行為に対しては殊のほか厳しい。飲食店主が実名で挑んでも鎧袖一触、簡単に論破されたので、島民からは手ごわい相手だと思われ、まともに論戦を挑む人がいない。だから誰も何も言えずにいる。これだけ足繁く、しかも自腹を切って佐渡を訪ね、デジブックを作成し、知恵袋の解答もこなす。「これらをやろうとする人、やれる人、こんな人は今後二度と現れないだろう」、そう佐渡なびの管理人さんは言った。ファッションや小物のセレクトに関するセンスが良くて、しかもそれらがよく似合う体型。実際の年齢よりは10歳は若く見られている。その抜群のファッションセンスで女の子によくもてるが女難の相はなく独身生活を謳歌しているようだ。年収の2400万円を一人で使っている。さぞかし使い切れないだろう。職業は不詳だが、ITやマスコミ関連かもしれない。どこかの会社のオーナーなら少なくとも2~3の会社を所有しなければそれほどの高級取りにはなるまい。その文章能力の高さからジャーナリストだと言う人もいるし、国土交通省の官僚説も根強く残っている。法律論に詳しいのでお抱え弁護士がいて助言を受けているのかもしれない。9時~5時で残業無しに仕事を終えているらしいのに、これだけの高収入が得られる職業とは?朝が早く、午前4時頃から始動しているらしいが、そんな職業とは?記事に誤字脱字が極端に少なく、しかも教育経験があり、学会でdebateの修羅場を潜ってきたとの記述を読むと、どこかの学会に所属する現役教授かもしれない。
佐渡の翼が佐渡島民である可能性だって排除できない。訪ねるレストランは山手線内エリアの高級ホテルがほとんどゆえ、東京都民を装いながら週に一回上京しては食べ歩いている佐渡島民かもしれないからだ。佐渡の翼が佐渡島民だと言う証拠もそうでないと言う証拠もない。全てが謎のベールに包まれている。人々はこのブログの書き手がどんな人なのかと想像を巡らすのが好きだ。佐渡の翼に遭遇した人々は異口同音に、「ブログから受ける印象とは180度違うし、一度見たら絶対に忘れない顔」と言った。そうかもしれない、ネットで中傷していた人物を捕まえてみたら、意外に気弱で大人しい人間で、あんな激しい言葉で中傷する人とは到底思えなかったと言う事例が多いからだ。いつまでたっても、「上から目線」「パクリ」「我がまま批判」と書き込む連中が後を絶たないが、では下から目線ならば佐渡の人は言う事をきくのか?パクリは初めて科学論文を書く人の常道であるし、我がままを言わない人間なんているだろうか?そもそも、佐渡の飲食店巡りにしても佐渡島民の誰かにやらせ、その感想をただ文章に起こしているだけではないのか?相手は一人なのか複数なのか?そして島内のある組織と連携しているのでは?疑い出せばきりがない。「これだけの内容の記事を実名で書けば、営業ブログならかなりの売名、宣伝効果はある。なのに、あえてそれをせずに匿名を維持し続けているのだから、営業ブログではないのだろう。だが凄いと言えば凄い」そう言う人もいるし、「匿名ながら高名なるブログ」と持ち上げる人もいる。プライドが非常に高いので「三流」などとこきおろされると、途端に牙をむく。四十路色艶女のヌード写真のように、誰かが騒ぐとついつい覗きたくなる、そんな魔力を秘めたブログ記事を書ける人なのかもしれない。右肩上がりのアクセス数増加を見る限り、ちんぴらや、流行らない飲食店の店主などはさておき、佐渡観光に携わる本物のプロ達からは高い評価を受け続け、良くも悪くも佐渡を世界に発信するよすがとなるのがこのブログ、そう理解する人々が増え続けているゆえの現象かもしれない。
さて、筆者は最近、佐渡の知恵袋シリーズに解答する事が生き甲斐のようになってきている。職業柄毎日が社会的な問題解決の連続だが、それはあくまでも仕事の上の話で、解決したところで一難去ってまた一難の連続で達成感などはない。ところが知恵袋の問題解答は佐渡の魅力の奥深さを感じさせてくれるので、問題解決毎に爽やかな達成感を感じている。このような機会を与えてくれた佐渡なびの管理人さんには感謝感激雨あられである。佐渡なびの管理人さんと筆者は、佐渡観光振興に寄与すると言う共通の目標を持って突き進む一衣帯水の間柄である。今後ともよろしくご指導の程お願い申し上げる次第である。
以上は、様々な巷の噂話と佐渡の翼の心に浮かぶよしなしごとをそこはかとなく書き綴ったものである。