佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

縁切り寺(佐渡市赤泊)(虚構新聞)  投稿者:佐渡の翼

2014年08月31日 03時42分53秒 | 佐渡ネタ虚構新聞

今時の婚活女子は、良縁を求めて、全国各地の縁結びにご利益のある神社やお寺にせっせと通う。だがその逆の、「縁切り」にご利益がある神社やお寺に足繁く通う女性たちもいる。京都・祇園にほど近い安井金毘羅宮は、縁切り縁結びにご利益があるとされるので有名だが、いつも縁切りのほうがクローズアップされがち。ここは、「悪縁を切り良縁を結ぶ祈願所」であり、悪縁は、男女関係以外に、病気、酒、タバコ、借金、ギャンブルなど何でもOK。東京にも、家庭内暴力に悩む女性が寺に駆け込み三年在寺すれば縁が切れると言う縁切り寺が幾つかある。しかるに佐渡には縁結びにご利益のある神社仏閣は多々あれど、縁切り専門寺がなかった。交通費にも事欠くような貧乏な人でも京都の清水寺にお参り出来るようにするため、清水寺の物真似を作った実績のある佐渡に、縁切り寺の物真似寺がないのはおかしいとの声に配慮した佐渡八十八箇所霊場協会は、真野の妙宣寺で総会を開催 した際、縁切り寺の候補寺として、赤泊の東光寺を推薦した。「東光寺に祀られている玄達狢に悪縁を断ち切る霊能があるから」が推薦理由だと言う。

計画では、京都の安井金毘羅宮同様、境内に“縁切り縁結び石”を設置し、そこへ願い事を書いた紙を貼り付けた後、茅野輪潜りのように直径1メートルほどの小さな狢穴をくぐると、その願い事がかなうというしかけにした。表から潜ると縁結びになり、裏から潜ると縁切り効果に繋がるとされる。

本堂内には祈願絵馬も奉納する予定で、早くも安井金毘羅宮内の絵馬同様、「長年の病気との縁が切れますように」「貧乏な生活から縁を切らせて下さい」や、「夫の不倫相手をこの世から消し去ってください」「彼の奥さんがいなくなりますように」「夫さえいなければ幸せです」など、男女間のトラブルをビッシリと書き込んだ絵馬が持ち込まれる騒ぎとなっている。中には「●●と●●を別れさせてください!」など、はっきり実名が書かれた絵馬も持ち込まれており、実名入り絵馬に関しては、奉納すべきかどうかを協会側が協議した上で採否を決定したいとしている。


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長崎グラバー園その4(夜の旧オルト邸)       投稿者:佐渡の翼

2014年08月30日 04時30分56秒 | EOS-1DXで撮影した国内・海外の夜景

リンガー邸を見終えた後の順路としては、その奥にあるオルト邸とスチイル記念学校を見学すべきなのだが、何せ暑さと空腹でどこかで昼飯を食わねばと言う思いが先に立ち、この二つは夜の部に回し、メインのグラバー邸を見学した後早々にグラバー園を去る事に決めた。グラバー園では7月18日から10月9日まで毎日午後9時半までの夜間開園を実施している(最終入園は閉園の20分前まで)。愛知県の犬山市にも明治時代の洋館を移築して展示した明治村なるテーマパークがあるが、ここの夜間開園は8月のお盆付近の2週間だけであり、しかもライトアップされるのはメインストリートだけとあって、ちょっとしょぼいのだ。明治村は山の中腹にあるため、日没後暗くなるのが早い上、点灯されていない場所は暗くて歩くのは怖いくらいだが、グラバー園は小高い丘の上にあり、長崎港の夜景を見ながら散策を楽しめると言う絶好のロケーションを誇っている。建物も外側だけのライトアップに留まらず、室内も全室点灯されているので幻想的な夜景撮影が楽しめる。夜間開園開始から二日目の夏のこの時期、そんな夜景撮影を楽しむ三脚持参のカメラ愛好家で一杯だろうと思っていたら、意外にも園内に人の姿はちらほらで、そのほとんどが観光客だったから三脚姿は皆無!無論EOS-1DXを持ち歩く人なども皆無であった。これだけの光量に恵まれ、しかも港明かりも加わるため、グラバー園はEOS-1DXの独壇場である。

オルト邸にはイギリス人ウィリアム・ジョン・オルトが1865(慶応元年)~1868(明治元年)の3年間住んでいた。石造円柱が並ぶベランダの中央に妻切屋根のポーチがあり軒高の堂々たる偉容を誇る幕末明治洋風建築である。設計はイギリス人で、建築を施工したのは大浦天主堂も手掛けた小山秀之進と言われている。オルトは開国とともに、いち早く長崎にわたりオルト商会を設立。長崎の女傑大浦慶と提携して、九州一円から茶を買い求めて輸出業を営み、緑茶貿易を通じて我が国のお茶を世界に広めた。この邸宅はメソジスト派の活水女学校の校舎や米国領事館として使われ、1903年(明治26年)からリンガー家の所有となり、フレデリック・リンガーの長男一家が太平洋戦争勃発時まで住んでいたため、リンガー(兄)邸とも言われている。この由緒ある邸宅は1943年(昭和18年)に川南工業に売却され、1970年(昭和45年)に長崎市が買い取った。

「長崎は本当に美しいところで、これ以上美しい所を私は知らない」、オルトの妻エリザベスは、後の回想録に長崎の印象をこう書き残しているが、この家から見える長崎港の夜景は筆舌に尽くしがたいほど美しく人々を魅了して止まない。

旧オルト邸の看板

夜の花壇

妻切屋根

噴水

イルミネーション

夜のベンチ

スチイル記念学校の方から見たオルト邸

木香バラ

国内最古で最大級

それをバックにした友人の記念撮影をする女性達

オルト邸を去る女性達

夜桜の頃はさぞかし綺麗だろうなあ~

もう一度ローアングルで


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長崎グラバー園その3(旧リンガー邸)       投稿者:佐渡の翼

2014年08月28日 05時32分52秒 | 国内旅行記

旧リンガー邸とは、グラバー商会に勤め、ホーム・リンガー商会を設立したフレデリック・リンガーの旧邸であり、国の重要文化財に指定されている。木骨石造、平屋建ベランダ付、寄棟造桟瓦葺の構造様式で、イギリス人フレデリック・リンガー一家が明治から昭和時代にかけて住んでいた。明治初期の居留地建築の代表的な姿がここに見てとれる。わが国には例の少ない石造りの洋風住宅で重厚な中に優美さが漂っているのが特色。中国茶の熟練検査官だったリンガーは慶応元年頃に長崎入りし、明治元年11月に、グラバー商会を退職してイギリス人E・Z・ホームと共同で大浦地区に「ホーム・リンガー商会」を設立した。その後、リンガーは製茶業を手始めに製粉、石油備蓄、発電などの事業を幅広く行い、明治、大正、昭和初期を通じウラジオストクなど海外各港との貿易事業、各国商社代理業務に携わった。居留地の英字新聞ナガサキプレスを刊行したり(昭和3年廃刊)、捕鯨業やわが国初のトロール漁業(グラバーの息子倉場富三郎と共同)、そして長崎市の上水道敷設などにも大いに尽力するなど長崎の殖産興業に力を注いだ(以上はグラバー園公式HPからの引用)。

つまりだ、リンガーさんは、今で言えば、伊藤園のお茶、日清製粉、エネオス、東京電力、三井物産、大洋漁業、東京都水道局などの生活インフラ事業や、お茶、粉、石油販売などを一手に手掛ける大実業家の金持ちだったのだ。そしてこの住宅前にはフリーメーソンの象徴たる三角定規とコンパスが描かれた石柱がある。フリーメーソンとは、16世紀後半から17世紀初頭に、判然としない起源から起きた友愛秘密結社の事で、英国スコットランドがその発祥と言われている。会員は世界中に散らばっており、米国の歴代大統領や著名な実業家も会員に名を連ねた事がある。日本への原爆投下時の大統領トルーマンやルーズベルトなども会員だった。フリーメーソンのシンボルの一つである、ピラミッドの頂上部に眼玉を描いた所謂プロビンスの眼は米国の1ドル札の裏面に描かれており、現在世界の政治や経済を動かしている人々の大半はフリーメーソンではないかと言われている。リンガーさんも又フリーメーソンの会員であったが、グラバー邸の旧主トーマス・ブレーク・グラバーの父親もフリーメーソンの会員だった。地元の観光ボランテイアの人が観光客の前で「長崎チャンポンを食べさせるチェーン店のリンガーハットとリンガーさんとは何の関係もありません」と説明し、笑いを誘っていた。

筆者はリンガー邸の内部を見学してみた。居間、応接間、オルガン、などを見たが、暖炉の部分は暗くEOS-1DXでなければこんなに綺麗に明るくは撮れないと思う。そして何故か扇子や着物なども展示されており、リンガーさんはかなりの日本通のようであった。

昼の歴史の泉

夜の歴史の泉

昼の歴史の泉

夜の歴史の泉

リンガー邸の表示

フリーメーソンの石柱

その案内看板

リンガー邸

居間

応接室

オルガン

暖炉

何故か扇子

そして着物

テラスと椅子

フリーメーソンの石柱を写真に撮る観光客のおじさん


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長崎グラバー園その2(旧ウォーカー邸)       投稿者:佐渡の翼

2014年08月26日 05時16分29秒 | 国内旅行記

グラバー園の入場料は610円である。筆者は昼と夜と二回入場したので1220円を支払った。切符売場の前にはミスト(霧)が降り注いでおり、売り場前からして早くも異国情緒たっぷりである。チケットを購入したら階段を登る。すると動く歩道が二か所に分けて設置されており、最初の歩道は、グラバー邸の屋根瓦と旧自由邸を右に見ながら、そして二つ目の歩道は旧長崎地裁長官舎を右に見ながら上昇して行った。動く歩道を降りると、「旧三菱第二ドックハウス」から見学しろとの案内看板が出ていたが、辿り着くまでにかなりの距離がありそうだったので、見学は夜の部とし、Uターンした後「レトロ写真館」になっている「旧長崎地裁長官舎」とウオーカー邸へ向かった。ウオーカー邸は、ウォーカー商会を設立したロバート・ネール・ウォーカーJrの旧邸で木造瓦葺平屋建で4つの部屋がある。もとは大浦天主堂のそばに建っていたのを移築したそうだ。

この家の主は、イギリス出身の船長ロバート・N・ウォーカーの次男、ロバート・ウォーカー・ジュニア。彼は、明治中期に建てられたと考えられるこの建物を大正4年に購入し、昭和32年に亡くなるまでここに住んでいた。その後、彼の妻シゲコ・メーベルが母屋の一部を市に寄贈し、昭和49年にグラバー園に移築された。ロバート・N・ウォーカーの兄、ウィルソンは明治元年に来日し、グラバー商会(後のホーム・リンガー商会)で船長を務めた。その後日本郵船会社に勤務した後、横浜でトーマス・B・グラバーと共にジャパン・ブルワリ・カンパニー(麒麟麦酒㈱の前身)を設立。筆頭株主であるとともに、同社の支配人も勤めている。明治27年、家族共々長崎へ移り住み、南山手10番地でクリフ・ハウス・ホテルの経営を行った。ロバート・N・ウォーカーは、明治7年に来日。明治9年に日本政府より甲種船長の免許を受け、三菱系列の会社と日本郵船に勤務した。退社後、一旦イギリスに帰国したが、明治28年に再び来日。明治31年に「R. N. ウォーカー商会」を設立し、海運業を中心とした貿易事業を幅広く展開して行った。また、明治37年には、「バンザイ清涼飲料工場」を開業、ジンジャーエールなどの大量生産に成功した。明治41年に次男であり、この家の主でもあるロバート・ジュニアに会社を譲り、カナダに移住した。

以上は、グラバー園公式HPからの引用文であるが、要するにウオーカー家一族は、清涼飲料水に「バンザイ」などと名付けるくらいの日本通だったし、キリンビールの設立にも関与していたわけだ。ウオーカー邸の内部は見学しそびれたが、歴史の泉前まで戻ると、異人さんのコスプレ衣装で園内を歩き回る観光客らしき女の子に遭遇。いいショットの写真が撮れた。佐渡の観光地で景色写真に偶然写りこむ観光客の姿はどれも凡庸で風景の一付属物にしか過ぎないが、グラバー園には思い出に残る被写体が沢山あった。

この階段を登るとチケット売り場に到達する

ミストが振り撒かれていた

グラバー園のマップ

管理棟とチケット売り場

この階段を登ると最初の動く歩道に至る

右手にグラバー邸の屋根が見える

動く歩道

旧自由亭

第二の動く歩道

旧長崎地裁長官舎

ウオーカー邸

をぐるりと周り

長崎港を見たら大型旅客船が停泊していた

歴史の泉前で見かけたコスプレ観光客



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ラブジャンクフードのママがAV女優に転身(虚構新聞)  発行:虚構新聞社

2014年08月25日 04時59分04秒 | 佐渡ネタ虚構新聞

佐渡の翼氏との愛人契約問題は、双方に瑕疵があるとし、弁護士用語で相互減殺となったため、ラブジャンクフードのママの手元には訴訟費用を差引いた500万円が残った。だがこの虎の子の500万円は老後資金に充てるため、駿河銀行ANA支店に預金された模様だ。佐渡の夜の商売はどこも不況と消費増税の影響のダブルパンチを受けて厳しさを増しており、ラブジャンクフードも例外ではなく年々客足が落ちていた。同スナックでは20代30代の若いホステスさんの島外への流出が続き、常勤ホステスの平均年齢が50歳を越えていたにも関わらず、ババクラ風営業への転換が遅れたため、慢性的な赤字状態が続いていた。そのため借金返済の重荷に耐えかねたラブジャンクフードのママは店の閉店を決意し、新たなパトロン探しを始めた。そしてヘアヌード写真集の出版で副収入の道を得ようと親友のそこらへん佐渡子さんに相談したところ、今年の7月から佐渡市の条例が改正され、40歳以上の女性がヘアヌード写真集を出版すると、佐渡市民税の5%アップ半年間の罰則が適用されると聞かされたためその計画を断念。

何とか新しいパトロンは見つかったものの、毎月の御手当はわずか20万と、年金暮らしとほとんど変わらないため、そこらへん佐渡子さんよりはスタイルに自信のあるママは、新たな副収入源としてAV女優になる事を決意。熟女シリーズなどの企画物への出演で、ギャラは一本30万ほどだが、出演回数は月に1回程度に抑えた。パトロンには内緒で始めた副業のためパトロンバレしないよう、佐渡市内の造園会社に対し、そこの事務員として働いているアリバイ作成を依頼した。そのため、毎朝午前8時半にマンションを出てネットカフェに向かい、そこでひがな一日を過ごした後、午後5時にマンションに帰宅する生活を送らざるを得ず、それが悩みの種だと漏らした。

AV女優は特別な演技力を必要としないため誰にでも出来る仕事であり、年々出演料の相場は下落している。「ギャラが20万を切るようになったらAV女優を止める潮時かも」と、ラブジャンクフードのママは溜息まじりに話した。猶、客足が落ちて青息吐息の畑野のスナック「花梨小凛」のママは、ラブジャンクフードのママよりも若いため、生活費稼ぎにヘアヌード写真撮影に意欲を示しているとの観測もあり、斜陽スナックの独身ママのヘアヌード写真集発刊やAV女優への転身現象の流れは今後も続くとみて、島内の好事家らは彼女らのスナック閉店後の身の振り方を注視している。


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長崎グラバー園その1     投稿者:佐渡の翼

2014年08月24日 02時54分33秒 | 国内旅行記

グラバー邸とは、「昭和32年に三菱重工業株式会社長崎造船所の創業100年祭の記念行事の一つとして、グラバー邸の建物、庭園を同社から寄贈され、その一部を改修して、昭和33年に市営の観光施設としてオープンした」ものである。原爆被爆から実に13年後の事だ。グラバー邸とは、麒麟麦酒(キリンビール)の前身である、ジャパン・ブルワリ・カンパニーをロバート・N・ウォーカーの兄、ウィルソンと共に設立した、トーマス・ブレーク・グラバーが住んでいた邸宅で、日本最古の洋風木造建築物である。要するに、ビール業界のシェアナンバーワンを誇る王者キリンビールと三菱重工業株式会社を初めとする三菱財閥ゆかりの地が長崎なのだ。市ではその後毎年施設の充実を図り、昭和40年度にリンガー邸、オルト邸、更に昭和45年度から5ヶ年計画で庭園の拡張、洋館4棟の移築、壁泉、動く歩道を設置して総面積も29.397㎡と拡大し、昭和49年に「グラバー園」と名称を改めた。このグラバー園は7年前からその運営は民間会社に委託され、夜間開園、園内の花々の充実、結婚式や集会、イベントなどでの利用にと集客を増やす努力が続けられている。

要するに、長崎観光は、国宝の大浦天主堂とその隣に位置するグラバー園、そして原爆投下の爆心地近くに立つ平和公園と平和祈念の像、浦上天主堂、などを巡れば要所は抑えたと言ってもよい。勿論長崎観光の名所はこれらだけではないが、じっくり廻ればこれだけで一日は暮れてしまう。最後に2012年に認定された新世界三大夜景(香港、モナコ、長崎)の一つに数えられる長崎の夜景を堪能するために、稲佐山展望台に登り夜景撮影をして仕上げとなる。「佐渡は一回行けばそれでもういいや」となるが、「長崎は何度でも訪ねたくなる」、そんな街である。今日からEOS-1DXで写した長崎の街の写真が延々と掲載され続ける。EOS-1DXはお料理撮影に関してはからっきし駄目だが、風景と夜景撮影及び高速連写の三つの高機能さに関してはその右に出る機種はない。その画質の素晴らしさは、ソニーα99もニコンD810も敵わないと思う。今回の旅で昼も夜もEOS-1DXで写してみてその思いを強くした。海外旅行でこのカメラを持ち歩くとかなり肩を痛める事になるが、そのリスクを背負ってでも持参したいカメラである。夜間撮影に関しては文句のつけようがなく、後日撮影した写真を見返すたびに「よく撮れているなあ~」と幸せな気分に浸れる。

さて、大浦天主堂の右手の道を登ると、旧ラテン神学校の建物が見えて来る。明治6年(1873年)に禁教令が解除され、各地に配流されていた浦上村の信徒達が大浦天主堂に戻って来たため神学校開設の必要性に迫られた。そこで大浦天主堂を建てたプチジャン神父が設計監督をドロ神父に命じて建てさせたのがこのラテン神学校である。木の骨組みと煉瓦造りと言う和洋折衷の珍しい建物である。内部は自由に見学でき入館は無料だ。その中に大浦天主堂の内部を描いたと思われる絵画があった。

左手のチケット売り場で拝観料300円を支払うと大浦天主堂の内部が見学出来る

キリスト教信者発見百周年記念碑

プチジャン神父の像

ローマ教皇ヨハネパウロ二世が大浦天主堂を訪ねた際の記念銅像

十字架に張り付けられた受難のキリスト像

こんな可愛いベンチがあった

これはタヌキ!

大浦カトリック教会

グラバー園に至る道

旧ラテン神学校

一部は煉瓦造りになっている

柱はコンクリート製だ

大浦天主堂の内部を描いた絵

グラバー園への入口

更にエスカレーターを登る

横浜の山手でも見かけたレトロな公衆電話ボックス

大浦カトリック教会とANAクラウンプラザホテル

真向いの小高い山が稲佐山


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加茂湖畔の牡蠣殻(佐渡市両津)    投稿者:佐渡の翼

2014年08月23日 05時08分33秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

フレンチの「清助」さんからの帰り道、加茂湖畔の牡蠣小屋周辺に大量の牡蠣殻が山のように積み上げられているのを見つけた。この大量の牡蠣殻はどのように処分されるのだろうか?処分方法は自治体に寄り異なるが、リサイクルやエコ、環境問題への意識が高い佐渡である、有効活用されているのであろう。牡蠣の殻はその成分のほとんどがカルシウムのため、燃やすことが可能だ。焼却設備が充実していない場合は、ガラスと同じ扱いになり、埋め立てられる。牡蠣の殻は、肥料としても使われるくらいなので、完全に土に返るため汚染の心配がない。牡蠣の殻は、凝固材がわりになるためコンニャクの材料として使われる他、化粧品のクリームやパックの原料としても使われる。最近は特に、このクリームや パックの原料として注目が集まっていると言う。牡蠣の殻の粉であれば「100%天然成分」であり安全この上ないからだ。

8月23日の日記:この4月に米国のオバマ大統領が国賓として来日した際、安部首相は7年連続ミシュラン★★★に輝いた「すきやばし次郎」で大統領をもてなした。オバマ氏に「次郎」さんが握った寿司の味が分かったかどうか疑問だが、この高級寿司屋は庶民の憧れの的だそうだ。30分で20貫の寿司を食べさせて3万円の世界だが、「すきやばし次郎」は庶民が行くお店ではない。同じ3万を払うのなら、別の高級料亭でゆっくり飲み食いした方が遥かに有益だからだ。「すきやばし次郎」は、儲けすぎたお金を使わねばならぬ人、節税対策で大金を短期間に消費せねばならぬ人、そして、短時間で美味い寿司を味わいたい外国から来たセレブなどが利用すべきお店なのだ。このお店、クレジット払いが不可のため、マ イル貯めを趣味とする筆者には不適なお店だが、味のほうはさすがに超一流と言ってよい

京都「美濃吉」の三色田楽。左から赤味噌、木の芽味噌、白味噌。


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京料理「福ろく寿」(新宿高島屋内)      投稿者:佐渡の翼

2014年08月22日 04時02分33秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記

7月最後の日曜日の27日は朝からうだるような暑さとなった。これから一ヶ月は東京砂漠での酷暑との戦いになる。長崎旅行から帰って来て1週間しか経過しておらず、その旅行記も纏まらないうちに早くも次の食べ歩き記事を書く羽目になった。この日の天気予報は「午前中は晴れて暑くなるものの、午後からは大気の状態が不安定になり、急な雷雨になる恐れあり」との事で、午後2時前には新宿を出なければならぬなと思いつつ、いつものように新宿高島屋へ向かった。高島屋の開店前に久し振りにルミネエストのスタバに行き、馴染みのおねーさんに向かってアイスコーヒーを注文した。アイスコーヒーにシロップを入れていたら、ガロの可愛い靴下を目ざとく見つけたおねーさんから「それってアイスキャンディーですかあ~」と言われた。筆者は「うん、夏らしく涼しくしようと思ってね」と答えたら、「うふ、可愛いですね。じゃあ次は西瓜とかとうもろこしとかあ~」と続けたので「西瓜柄の靴下は持っているが、とうもろこしはないな」と心の中で答えてあげた。筆者は季節ごとに季節に合わせた可愛い靴下で足元を飾るようにしているので、それが功を奏しているのだろう。高島屋のメンバーズサロンで駐車券を貰った後、二週間ぶりに伊勢丹メンズ館をチェックしてみた。クリアランスセールから11日が経過していたが、まだ赤札が張られたセール品が数多く残っていた。筆者は、マルコリアーニのピンクの靴下とミック・イタヤのカラフルな靴下を合計5枚(約1万円相当)購入した。

酷暑の夏の日のランチは冷房がほどよく効いた地下街経由で行けるレストランに限られるため、新宿なら百貨店内のレストランか京王プラザホテルに絞らざるを得ない。この日は食事後は惣菜を購入した後早々に新宿を出ないと雷雨に巻き込まれる可能性があったので、高島屋のレストラン街の14階へ行く事にした。そして、京料理のお店でヘルシーメニューが多い「福ろく寿」を訪ねてみた。土用の丑の日が近いとあって隣の鰻屋前には長蛇の列が出来ていたが、「福ろく寿」前には誰もいない。午前11時5分頃にお店にお邪魔したら、鉄板焼きメニューを注文したらしき中年カップルの先客がいただけ。筆者は窓際ではない中央部の4人掛け席へと案内された。そしてお野菜中心の京の膳(3035円)を注文した。まず、夏の京都の味覚である「鱧胡瓜」、そして胡麻豆腐、出し巻卵、笹麩、海老、賀茂茄子田楽を乗せたお盆が運ばれて来た。ヘルシーでなおかついいお味で本当に京らしいお料理ばかりである。次いで、昆布締めした鯛と湯葉、水菜とたぐり湯葉の椀物と続き、最後に京野菜(茄子、ピーマン、南瓜、小芋、蓮根、キャベツ、黒豆)のせいろ蒸し、これを特製胡麻たれに浸けて食す。お食事は白米と香の物。これでけっこうお腹一杯になった。最後のデザートは葛きりの黒蜜かけ!全てを平らげて久し振りに爽快な気分に浸れた。これだけ食べても意外に総カロリーは低いそうだ。ヘルシー志向の女性や中年男性客の多さはそのせいであろう。真夏の京料理もおつなものであった。

お店の看板

テーブルセッテイング

店内の様子

左側

右側

足元

向付

煮椀

お食事

野菜のせいろ蒸し

デザート


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長崎到着(大浦天主堂)    投稿者:佐渡の翼

2014年08月20日 05時00分24秒 | 国内旅行記

羽田からの実質的な飛行時間は1時間27分ほどであり、ANA661便は定刻5分前の10:05分に長崎空港に到着した。ボーデイングブリッジに機体が横付けされるや否や、後方のエコノミー席から、紙袋をぶら下げ、くたびれた黒スーツでノーネクタイ姿のビジネスマン風の男性が小走りに搭乗口前に駆けつけて来た。CPの重枝さんが扉を開けると、この男性は脱兎の如く到着ロビーへと急いだ。筆者はその男性の後に続いたが結果的にはそんなに急ぐ必要はなかった。空港からは長崎新地を経由して長崎駅前に行く高速バスが出ており、料金はタクシーの11,000円に比べ遥かに安い800円である。今夜の宿であるANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒルに事前に電話で問い合わせた時は、安い高速バスの利用を勧められていたので、このバスに乗った。するとバス乗り場に、あの脱兎まがいの黒スーツおじさんがいた。バスの出発時刻は10:20分なので、降機後ゆっくり歩いても充分に間に合う。そんなに急ぐのだったらタクシーで行けばいいだろうにと思ったが、余計なお世話であろう。バス車内はほどなくして満席となった。中華街のある長崎新地までの所要時間は35分。バスは5分ほど遅れて出発し、長崎新地に到着したのは午前11時丁度であった。ここから徒歩でもホテルまで行けたのだが、何せ見知らぬ土地である、近いにも関わらずたまたまバス乗り場前に待機していたタクシーに乗車してホテルへと向った。するとものの2分ほどでホテルに到着した。東京からならわずか3時間足らずで長崎市内に到達出来る。だが、もし佐渡から長崎へ行くとしたら、午前に佐渡汽船のジェットフォイルに乗り、新潟空港に到達したとしても新潟からは長崎への直行便はないので、大阪の伊丹経由となる。そのため長崎到着は夕刻頃になるので、ほぼ1日掛かりでの移動となる。ホテルスタッフのおねーさんにコンピューターと衣類が入ったUAのマリンバッグを預けた後に市内散策用のマップを貰った。そして路面電車の一日乗り放題券(500円)を購入した。時計を見たら午前11時15分、ホテル内レストランが開く11時半までマップを見ながらロビーで待つ事にした。午前11時半に2階のオールデイダイニングである「パヴエ」に行くと、休日ビュッフェが開催されており、生憎予約で満席ですと言われた。しょうがないので近くのグラバー園を見学していれば軽食が食べられる喫茶店くらいはあるだろうからそこで食べようと思い、炎天下の中、大浦天主堂とグラバー園を見学するため一旦ホテルの外へ出た。九州では梅雨が明けたらしく外はムットする暑さだ。

ホテルを出て左折すると登り坂になっており、その坂の両側には土産物屋が並んでいる。坂を登り切った突き当りに、国宝で、なおかつ日本最古のカトリック教会堂である大浦天主堂が見えた。 日本がまだ鎖国をしていた頃は、禁教令のためキリスト教を信仰することは許されなかった。だが、隠れキリシタンの名の如く、キリスト教徒である事を隠しつつ信仰に励む熱心な信者はいた。幕府は隠れキリシタンを炙りだすために、その疑いのある人物にキリストやマリア像が描かれた絵を踏ませた。信者でなければ平気で踏めるはずだから逡巡すれば直ちに首が飛ぶ。文字通りキリスト教信仰は命懸けだった。それ以来、「踏絵を踏む」とはその件に関与していない事の証明の意味で使われるようになった。しかしペリーの来航により、日本は開国し禁教令も緩和され、1864年にフランス人のプチジャン神父によって大浦天主堂が建てられた。大浦天主堂は、 かつて豊臣秀吉の命によって26名のカトリック信者が長崎で処刑され、殉教した26聖人へ捧げる教会として建てられたため、正式には 「日本二十六聖殉教者堂」と呼ばれている。そのため、大浦天主堂は処刑が行われた「西坂の丘」に向けて建てられている。昭和20年8月9日の原爆投下に寄り、天主堂の屋根、正門、ステンドグラスなどが吹っ飛んだが、7年後に国庫補助に寄り5年の歳月を費やして復元された。内部の写真撮影は禁止されているが、歴史が刻まれた場所なので、とても静かで神聖な雰囲気である。西洋の大聖堂に比べれば圧倒される迫力とは言い難いが、聖堂内にあるステンドグラスは100年前に作られた物もあり、その鮮やかな色彩と陰影コントラストに魅了されるはずだ。

この大浦天主堂へは観光客の訪問が絶えず、そのためしばしばミサの催行に支障が出たため、麓に新たに大浦カトリック教会を建て、ここで通常のミサを行うようになった。夜には大浦天主堂はライトアップされるが、大浦カトリック教会はライトアップされない。だが、大浦天主本堂の照明のお蔭で、筆者はEOS-1DXで楽々と夜の大浦カトリック教会の撮影に成功した。

長崎空港に到着

1階の到着ロビー

羽田ほど混んではいない

高速バスの切符売場

バス乗り場

ANAクラウンプラザホテルグラバーヒルに到着

生憎と二階の「パヴエ」は満席

大浦天主堂に至る道路の両側の土産物屋

昼の大浦天主堂

夜の大浦天主堂

昼の大浦カトリック教会

夜の大浦カトリック教会


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夫婦岩は性転換岩だった(佐渡市相川高瀬)(虚構新聞)  投稿者:佐渡の翼

2014年08月19日 05時13分53秒 | 佐渡ネタ虚構新聞

佐渡市高瀬にある名勝「夫婦岩」は、突起部分のある手前側が雄岩で、割れ目のある奥の岩が雌岩とされている。ところが、新潟大学海洋自然学部の調査チームが雄岩の突起部分と雌岩の割れ目部分の地質を詳しく調べた結果、突起部分に、くり抜き後貼り付けた跡があるのを確認した。更に人間のDNA鑑定に当たる、岩の出自を調べるためのMPAS鑑定を行ったところ、突起部分は雌岩とされる岩からくり抜かれた物である事が分かった。岩の貼り付け状態から、細工が施されたのは約100年前と見られている。突起部分の岩の根元にレントゲンを当てたところ、「吉岡石造」の名が読み取れたことから、真野の椿尾の石工達が船でこの地を訪れた際に、岩のくり抜きと貼り付け作業を行ったと見られている。この一連の作業に寄り、雄岩を雌岩に変え、雌岩を雄岩に変えたため、夫婦岩は性転換岩と認定された。

佐渡市は、夫婦岩を世界ジオパークに含めると共に、世界初の性転換岩としてギネスブックにも申請する方針。佐渡市世界遺産環境保全課の山中真一課長は、今後佐渡を訪れるニューハーフ達が大挙して夫婦岩前で記念撮影をすると見て、夫婦岩前の駐車場に急遽コンパクトデジタルカメラを固定するカメラ台を設置する事を決めた。


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飛行ログ     投稿者:佐渡の翼

2014年08月18日 04時54分46秒 | ANA国内線プレミアムクラス搭乗記

ANA661便は定刻より5分遅れの8時20分にプッシュバックを開始し、15分ほど滑走路上をタキシングした後に離陸を開始した。飛行機には乗り慣れている筆者でも離陸時はいつも緊張する。夏ならまだしも、冬場で向かい風が強い時などは風がカウンターパンチのように機体の腹部に当たると、機体が一瞬跳ね上がった後に降下する。波の荒い時にジェットフォイルに乗ると同様な現象に遭遇するが、このピッチング(上下動)は正直言って怖い!だから筆者は離陸時は窓外を見ずに、安定した水平飛行に移るまでの間、膝を抱いて緊急時の保護態勢を取り続ける事にしている。

水平飛行に移ると、朝食サービスが始まった。おしぼりはビニール袋に入った布製でとても衛生的。メニューはアゴダシ入のにゅうめんと枝豆ご飯。おかずは、かますの幽庵焼き、青海苔卵巻、ハムカツ、酢蓮根、はじかみで、煮物は、蛸、里芋揚げ煮、南瓜、海老、ミニおくら浸し、切り干し大根で、非常に美味しい!筆者はわずか数分でそれらを食べ終えた。すると、プレミアムクラス限定の岩手県産の干しぶどうを使用したクッキーが二個運ばれて来た。朝食のカロリーはわずかに383kcal程度なので、これも全て食べてしまった。食事が終わると、歯磨きのために前方にあるトイレを利用した。この飛行機には前方に一箇所と後方に二箇所のトイレが設置されており、エコノミー席の乗客達へは、後方のトイレを利用するようにとのアナウンスがあった。だが、後方の二箇所のトイレがいずれも使用中の際に、尿意がどうしても我慢できない人に対しては、カーテンで仕切られたプレミアムクラスを通って前方のトイレに行く事は許可された。だが、飛行中に前方のトイレを利用したエコノミークラスの客は一人だけであった。

ANAでは、電磁波を発する携帯電話は計器類に影響を及ぼす可能性があるため飛行中は一切使用禁止だが、それを発しない電子機器であるデジタルカメラやパソコンなどは、離陸前のドアが開いている状態の時や離陸後5分を経過すれば使用可能である。だが、JALと違い、離着陸時の電磁波を発しないデジタル機器の使用禁止は解除されないままであった。筆者は食事が終了すると、直ちに窓にカメラのレンズフードを押し当てながら窓外の雲の切れ間から覗く地上風景の撮影に取り掛かった。すると原田さんが「お客様、フライトログをご存知でしょうか?」と問いかけて来た。筆者が「知りません」と答えると、「フライトログとは離陸後の飛行機の高度及び通過した地点を経時的に記録した物でございます。よくお客様から現在の飛行地点を尋ねられる事がありますので、そうした際に私どもが記録したフライトログを差し上げておりますが、よろしければお書きしましょうか」と申し出てくれた。トップ画像は、原田さんが手書きで纏めたフライトログであり、クルー全員の名前も添えられている。当日は研修生が数人含まれていたそうだが、CAさんは全部で11人もいる。CAPはCaptainの略で機長を意味し、CPはCo-pilot、つまり副操縦士である。R1~4、L1~4は4区画に分けた右翼側と左翼側のサービス担当地区を意味するのであろう。この飛行ログとカメラの撮影時間を照らし合わせれば、撮影地点が特定されるので飛行機ブログを書く人や、飛行機フリークな人には重宝極まりない代物と言える。なお、この飛行ログはプレミアムクラス搭乗客ならどの便でもCAさんに依頼すれば貰えるし、エコノミークラスでもCAさんが多忙でなければ申し出には出来る限り応じてくれるそうである。

枝豆ご飯

アゴダシ入りにゅうめん

おしぼりは布製です!

プレミアムクラス限定のお菓子とジュース

尾張上空

大垣上空

前方のスクリーン部分には離着陸時に下界の風景が映し出される

水平飛行時のプレミアムクラス

キャンディーが出ると

降下開始

福岡空港が見えた

玄界灘とその海岸線


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新穂の大銀杏は清水寺からの電磁波の中継基地だった(佐渡市新穂)(虚構新聞)  投稿者:佐渡の翼

2014年08月17日 05時08分12秒 | 佐渡ネタ虚構新聞

舞台で有名な清水寺の本尊が向いている方向に金銀が埋もれていると言われているが、この本尊から、地球の磁力を受けた微弱な電磁波が出ている事が、新潟大学理学部の調査チームに寄り明らかにされた。電磁波のレベルは0.000001マイクロテスラと言う微弱さだが、銀を吸引する力があり、本尊から出た電磁波は新穂銀山の滝沢間歩まで届き、銀の採掘作業の労力緩和に役立っていた事が分かった。ところがこの電磁波は携帯電話の電波と同じく雪や雨風に弱いため、電磁波の中継基地として、電磁波を捕え易い銀杏の木を、銀山と清水寺の間に植える必要があった。銀杏の木は高いほど電波状態が良くなるため、当時の新穂銀山を統括していた「矢島京嶋の守」が、山師の新方穂三郎に命じ、相川の石名地区に自生していた銀杏の木を新穂まで運ばせ、清水寺前の民家の庭先に植えた。これが新穂の大銀杏の原型である。その後、銀山の採掘が隆盛を極めると電磁波のレベルは次第に高くなり、1テスラまで上昇した。これだけ磁力が高くなると、金属や釘などが吸い寄せられて危険なため、新穂の大銀杏は一時伐採され、その後、磁力の弱い品種に植え替えられた。これが現存する新穂の大銀杏である。

新穂のふるさと街おこしチャレンジ事業の代表発起人「山里雄志」さんは、「新穂銀山と大銀杏と清水寺の間にスマホのような電波現象があったとは驚きだ。新穂銀山の百枚間歩近くでスマホで通話すると、スマホに銀粉がくっついて来るのはこのせいだったのかとようやく合点した」と、納得した表情で語った。

電磁波と銀山の関係に詳しい、新潟大学理学部の根本寺次郎教授(携帯電話銀山関連論)は「今後は、ドコモの協力を得て新穂の大銀杏と新穂銀山の間に大規模な中継基地局を建設し、新穂銀山での詳しい発掘調査を行う必要がある」と、基地局整備の必要性に言及した。

清水寺の山門

http://www.digibook.net/d/f6148f5f905d0a25fe273f260233b70c/?viewerMode=fullWindow


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バール・フェリチータ(佐渡市佐和田)   投稿者:佐渡の翼

2014年08月16日 04時50分58秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記

イタリアではバール(bar)とは軽食喫茶店を指す。スペインでは「バル」と言い、喫茶店兼食堂兼居酒屋として利用されている。バールには食事にも重点をおいたリストランテ・バールから、コーヒー中心のカフェ・バール、 アイスクリーム中心のジェラテリア・バールなど様々なものがある。イタリアで単に「カフェ」というと、店ではなくコーヒーそのもの、一般的には「エスプレッソ」を指す。バールは基本的にカウンターで立ち飲みするスタイルの喫茶店であり、バリスタがエスプレッソやカプチーノなどを作って提供する。朝食時に利用したり仕事帰りなどに気軽に立ち寄って一杯飲んでいく。軽食(パニーノ)や夏場ならジェラートなどが用意されている店も多い。さらに公衆電話やトイレを備えているため休憩所にも利用される。筆者も今年の秋のイタリア旅行の折りには、休憩のために頻回にバールを利用する積もりだ。朝食から夜のお酒に至るまで気軽に利用出来るのが何よりだからだ。イタリアのバールでは、路線バス、市内電車、地下鉄の切符などを扱う所もある。さらにはトトカルチョなどのくじや煙草を売るタバッキや、他の商店を兼ねている店も多い。日本には1999年頃からイタリア系資本のセガフレード・ザネッティがバールのチェーン展開を行っている。

以上はウイキペデイアからの引用だが、佐渡にも今年の1月頃に佐和田にバールがオープンした。ホテル浦島東館の真向いに、以前トムキャットと言う喫茶店があったが、このお店が閉店し、そこを居抜きで借り上げてバールに変身させたのが「バール・フェリチータ」である。筆者は、今年の5月5日の午前11時頃にこのお店にお邪魔した。お店の外観を写真撮影していたら、首に青のストールを巻きジャケットを羽織った店主らしき男性が食材を入れた紙袋を抱えて店内へと入って行った。なかなかいけてる店主である。佐渡産、新潟産の食材だけを使用しつつ、チーズ、ワイン、オリーブなどの、島では調達しにくい特殊食材はイタリアからの輸入品を使用し、「佐渡島初のバールで気軽にイタリアンを楽しむ」をコンセプトにしている。ランチはパスタ(全品、サラダとフォカッチャ付き)とドルチェのみの営業だが、デイナーには前菜ビュッフェなどを展開し、本格イタリアンも楽しめる。店主はフェイスブックで情報発信をしているので、食材の入荷状況や定休日などはそちらを参考にするといいだろう。東京ではバールなどは珍しくも何ともないが、何でも屋に慣れた佐渡島民の目にはこの種のお店は新鮮に写るらしく、連日大盛況のようである。歓送迎会の二次会や飲み会などに気軽に利用出来る、洒落たバールとあって、このお店の開店により客足に影響が出るのは近隣にある「フイッツジェラード」であろう。

筆者は、両津沖で獲れた毛蟹のトマトクリームソース(1000円)を選んだ。捌いた毛蟹をオリーブオイルで良く炒めた後にトマトクリームソースで煮込む。そして茹で上げたパスタをトングでつまんでソースの中に入れて絡ませる。イタリアンはソースが命だから、これを上手く仕上げなければパスタの味はがらりと変わる。サラダを食べ終える頃にようやく注文した毛蟹パスタが運ばれて来た。外観はどこかで見たような記憶があった。そうだ、昨年の年末にホテルニューオータニのイタリアンレストラン「ベッラ・ビスタ」で食べたシチリア風毛蟹パスタにそっくりであった。筆者は、高級イタリアンを毎週のように食べ歩いているので、パスタの美味い不味いは一口食べただけで即座に判断出来る。バールフェリチータの毛蟹パスタのお味はニューオータニと同じ味で非常に美味しかった。毛蟹のダシとトマトクリームソースがぴったりと合い、ほどよく酸味の効いた濃厚でクリーミーな美味さである。筆者はこれまで、佐渡島のパスタの最高峰は両津のヘブンズキッチンだと公言して来たが、バールフェリチータはその上を行くレベルである。この店主はどこで修行したのだろうか?これで佐渡島民は美味しいイタリアンを食べるためにわざわざ新潟の高級ホテルへ行く必要がなくなったし、ここのパスタを目当てに新潟からお客が来島するかもしれない。店主さんは頻繁に新潟へ行き、食材を仕入れているそうだから、これからが楽しみなバールである。フレンチの清助、ラ・プラージュ、そしてこのバールフェリチータは、佐渡産食材の地産地消に拘る今時の新コンセプトの御三家と言えるだろう。

これが毛蟹のトマトクリームソース

こちらが、ホテルニューオータニの同様のパスタ

完食!
http://www.digibook.net/d/0814837f90db0825efe425a4ba20761e/?viewerMode=fullWindow


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これがANAのプレミアムクラスだ!   投稿者:佐渡の翼

2014年08月15日 05時42分13秒 | ANA国内線プレミアムクラス搭乗記

羽田発8:15分の長崎行ANA661便はボーイング777-200と言う機材を使用している。横2-3-2の配置のプレミアムクラス席が21席で、横3-4-3の配置のエコノミー席が384席ある。7月20日のこの便のプレミアムクラスには4人が予約しており、筆者は機首部分に当たる、右翼側の最前列の窓際席である1Kを指定しておいた。筆者の後方の座席である2Jと2Kには母娘が座った。だが、1Cを予約していた客は姿を現さず、結局この日の便のプレミアムクラスの乗客は3人だけと、ほぼ貸切状態であった。この便のプレミアムクラスには旅割り28などと言う割引切符は設定されていないので、50,890円也の正規運賃を支払って乗る客などは筆者くらいのもので、後方の母娘は株主優待割引で搭乗したのではないかと思った。飛行機の前方入口部分で乗客を迎えるのはチーフパーサー(CP)の役目で、筆者は、この日のCPである重枝さんに迎えられ機内に入った。プレミアムクラスの一列目の席と言うのは前方部分がスクリーンになっているため、足元に荷物を置けない決まりになっていたが、隣席が空席のためそこにカメラバッグを置かせてもらえた。例に寄って座席を撮影した後、席に座ろうとしたら、今日のプレミアムクラスの右翼側担当のCAさんが近づいて来て、「とっても可愛い靴下ですね」と声をかけた。筆者ではなくミッキーの靴下がもてたのだが、第一印象がいいと全てが上手く行く。シートは残念ながらパソコン用電源のない旧タイプで隣席との間の仕切りも無かった。一昔前のANAのスーパーシートをそのまま転用している感じである。担当のCAさんは「原田」さんと言い、画像のような絶世の美女!筆者が「写真を撮らせて頂いてもよろしいでしょうか?」と尋ねたら、「私のような者でよろしければどうぞ」とお答えになるほどの謙虚さである。こうした写真を撮る権利もエコノミー運賃との差額分である37,000円に含まれているのだ。その昔、ファーストクラスに搭乗したプロ野球選手が接客してくれたCAさんと親しくなり交際を重ねた後に結婚したとか、一部上場企業の社長さんが接客してくれたCAさんを気に入り「是非うちの息子の嫁に」と申し入れた話などは枚挙にいとまがない。だからCAさんは、今も昔も女性の憧れの花形職業であるかのように思われているが、CAには緊急時に乗客を安全に避難誘導させる責務があるし、重い荷物を荷物棚に収容するなどの力仕事も要求されるので、体力勝負である。昔は容姿端麗が採用の条件の一つだったらしいが、これだけ航空会社が林立した現在では、容姿よりも体力と健康さの方が重要視されている。

定刻になると「Cabin attendance, departure door hold」と言うアナウンスが流れた。チーフパーサーが搭乗口のドアを閉めロックをかけた後、ドアの四隅を手でなぞり、段差が無く隙間の無い事を確認する。もし隙間があればBMW同様「Door opens」と言う警告表示が出るはずだが、1ミリ程度の段差ではセンサーが感知しない恐れがあり、隙間を残したまま離陸すれば、機内与圧がその隙間から抜けてしまうため、機体は上空で外気圧に晒されぺしゃんこになってしまう。どんなに機体がハイテク化されたとしても最後に安全を担保出来るのは人間しかいないのである。

チーフパーサーの重枝さん

プレミアムクラスのシート

当日のプレミアムクラス席はがらがら

後方がエコノミー席

一番端っこにある51番ゲート

スリッパは持ち帰り可能

足元はこんなに広いっす

離陸するとエコノミー席との間はカーテンで仕切られる


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プレミアムチェックインから優先搭乗まで   投稿者:佐渡の翼

2014年08月14日 05時36分16秒 | ANA国内線プレミアムクラス搭乗記

ラウンジの一番奥で滑走路に面する窓際に、背もたれの高いニ脚の椅子と円形の椅子及びテーブルがセットになった言わば特等席が四席ほどあり、筆者は空いていた右から二番目の席に座った。右隣は家族連れで左隣には朝っぱなからビールを飲みながら持ち込んだサンドイッチを食べる中年夫婦がいた。いつもならとっくに朝食を済ませている時間帯だが、飛行機に搭乗すれば朝食が提供される予定だったので、マンダリンオレンジジュースを1杯飲むだけに留めておいた。PC用の電源を備えたビジネス席があり、そこには携帯電話の充電装置も置かれていた。プリンターやコピー機も揃っており、簡単な事務仕事なら充分にこなせる環境だ。更に雑誌や全国紙の朝刊も揃っており、嫌が上にも客をブルジョアジーの気分にさせてくれる。ラウンジ内を見学し、写真撮影をし(そんな事をしているのは筆者だけだったが)、トイレに入ったりしていたらあっと言う間に25分が過ぎた。ラウンジを出た後エスカレーターを下って2階に降り、右手にある自動ドアーを開けるとそこが保安検査を受けた搭乗客達が搭乗口に向う出発エリアになっている。この扉を出発エリア方向から見ると、何の表示もされていないため、そこが特別な客用のラウンジへと通じる秘密の入り口とは誰も気付けない仕組みになっていた。ラウンジから搭乗口である52番ゲートまではかなりの距離があったが、出発予定時刻である8時15分の30分前に搭乗口前の待合席に到着した。

10分ほど経過したところで、子供連れ、妊婦さん、身体障害者などに対する事前改札サービスが始まり、それが終了したらプラチナクラス以上のプレミアムメンバー及びSFC(Super Flyers Card)会員とプレミアムクラスの乗客の優先搭乗が開始となった。この優先搭乗のアナウンスが終わるや否や、その風体からしてどう見てもエコノミークラスの客としか思えない6人ほどの集団が左右二つあるゲートのうち、右側の搭乗ゲートに集まり優先搭乗をし始めた。搭乗前日のウエブチェックで、当日のプレミアムクラスの乗客は筆者を含め4人だけだったので、エコノミーからプレミアムクラスへグレードアップをした(搭乗日に空席があれば8000円の追加料金を支払う事に寄りグレードアップは可能)客かもしれないと思い、筆者は彼らを一瞥した後誰も並んでいない左側のゲートに向かい素早くゲートを抜けた。この日の長崎行のANA661便の入り口は前方と後方の二箇所に設置されていた。エコノミー席は横3-4-3の一列10席の配列で、右翼側の5席分(FGHJK)に指定された客達はプレミアムクラスの客達と同じ、前方入り口から搭乗し、左翼側の5席分 (ABCDE)に指定された客達はプレミアムクラスの座席を経由せずに後方入り口から搭乗する仕組みになっていた。後方入り口方向を見たら、優先搭乗のアナウンス後にいち早くゲート前に集まった客達の姿がそこにあった。どう贔屓目に見ても優先搭乗可能なfrequent flyerたるプレミアムメンバーとは思えない。つまり彼らはエコノミー客のくせに、優先搭乗のアナウンスの意味を理解せず、一般客の搭乗開始と思い込み我先にとゲートに駆けつけたのだった。その集団の中から一人の男性客が抜け出し、前方入り口の方へと向ったが、くたびれたポロシャツ姿に紙袋を一つぶら下げただけの格好のおじさんであり、機内で確認したら案の定プレミアムクラスの真後ろのエコノミー席のK席に座る乗客だった。ちなみに何故飛行機にはI席と言う物がないのかと言うと、数字の1と混同されるため間違いが生じやすいからである。

ラウンジの特等席

高級感溢れるラウンジ

豪華な椅子席

こちらはPC用電源を備えたビジネス席

皆さん携帯をチェックしながら休憩中

窓外には飛行機の翼が見える

ANAeチケットお客様控えと搭乗券

オレンジジュースを飲むだけに留めておいた

品のいい親子連れ

雑誌類と全国紙

ソフトドリンク

ここから出発エリアに出る

搭乗ゲートまではかなりの距離があるので動く歩道が設置されている

ソラシドエアー(スカイネットアジア)のCAさん達

ようやく52番ゲートに到着

搭乗予定の飛行機と同タイプの機体

エコノミー客の姿

プレミアムクラスとエコノミーの右翼席に座る乗客は左側の入口へ

と向かうが、その先には。。。


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