佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

i8ロードスターPR動画

https://twitter.com/i/status/988688999794409472

ビストロ「兎於亀馳」(うおきち)(佐渡両津)    投稿者:佐渡の翼

2011年02月28日 06時48分52秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記

筆者は、「きらら」さんを出た後、本日の宿泊先であるホテル「吉田屋」さんの丁度真向かいにある、カフェ&ビストロ「兎於亀馳」(うおきち)さんを訪ねてみた。このお店は夜だけの営業で日曜が定休日、営業開始は午後7時からだ。ビストロというネーミングから察するに手っ取り早くフランス料理が食べられるお店なのかなと訝りながらお店に入ってみた。店内には5席ほどのカウンター席と5~6人の集団が食事できるくらいの三角と四角のテーブル席があったように記憶している。椅子の色はいずれも白で統一されている。店内のインテリアはモノトーンな感じであるが、肝心のフレンチのメニューなどはどこにも置かれてはいなかった。まあいい、食事をするために立ち寄ったわけではないのでと思いつつ、筆者は席に座るなり、ウイスキーの水割りを注文した。カウンターの内側には経営者のおばあさんがいた。そしてカウンター席には70代のおばあさんが焼酎の水割りを煽り、60代のおばさんが水だけを飲んでいた。先客は彼女ら二人だけ。両津で店を回れば回るほどママさんや客の年齢がどんどん高齢化していく。小船、きららとおばさん攻勢が続きいい加減うんざりしたところで、最後はばあさんかい。前夜のスナック「愛」でのピチピチギャルのお色気攻勢がかなり刺激的だったので、その落差がかなり激しかった。ピスタチオをつまみに水割りを一気に飲み干すや否や、筆者はお勘定をお願いした。ウイスキー1杯のお代は千円丁度。

 

筆者がバッグから、村上隆と言うイラストレーターとのコラボでルイヴイトン社が3年前に限定販売したパンダ柄のお財布を取り出すと、女将と思われるおばあさんがこれをめざとく見つけ、「まあ~可愛い、このパンダマーク、シールを貼ったんですかあ~?」と尋ねてきた。「いえ、シールじゃなくってえ~、最初っからこういう柄なんですよ」と筆者は頭(かぶり)を振り、財布のパンダ柄を見せながら答えた。そして使い込んだ私物のルイヴイトンのコイン入れを取り出して見せてくれた、客の焼酎煽りおばあさんに向かい、筆者は「ほら触ってご覧よ、シールを貼ったわけではない事が分かるでしょ」と言うと、ルイヴイトン焼酎おばあさんは「ほんとねえ~、変わってるう~、私こんなの初めて見ました」と感嘆の声を上げて年甲斐もなくはしゃいだように思えた。「幾つになっても遊び心を失わず、少年少女のような気持ちを持つ事が若さを保つ秘訣さ」と筆者は心の中で叫びながら、客層が高齢者中心らしきこのお店を後にした。  


スナック「きらら」   投稿者:佐渡の翼

2011年02月27日 04時25分56秒 | 佐渡のスナック・キャバクラ

小船を出た後、よせばいいのに、筆者は老・壮・青のホステスさんを揃えているというスナック「きらら」さんを訪ねてみた。店内には期待した壮・青のホステスさんなどはおらず、代わりに客席に座ってタバコをふかすピンクのスーツを着た60代とおぼしきおばさんホステスさんと、カウンターの内側に、厚化粧で誤魔化してはいるものの、胸元のたるみから50歳代後半とおぼしきおばさんホステスさんとがいた。先客は皆無!カウンター席に陣取ると上方から犬か猫が走り回る足音が聞こえてきた。タバコおばさんは「上の部屋で誰かが動物を飼っているのよ」と言った。非常に気になる音だ。乾き物をつまみに水割り2杯を飲んだらとっとと帰ろうと思っていたら後方で客が店に入ってくる気配がした。この客は「店の従業員名簿はありますか?」と尋ねた。この店をキャバクラか何かと勘違いして指名する女性でも探す目的なのかなと一瞬思った。カウンターのおばさんは「ママは10時にならないと来ませんし、従業員名簿を提出する件に関しては何も聞いておりませんので対応しかねます」と答えると、この奇妙な客は「じゃあ、又後で来ますから」と言い残して店を去った。筆者が振り返ってこの客達を見たらスーツ姿の男性二人組みで、小船を訪ねた際にいた男性達と同一人物だった。筆者は最初、彼らをカラオケか何かに関連した業者かなと思ったのだが、カウンターおばさんに聞いたら、右手のこぶしを額の上に当てた。そうなのだ、彼らはお店の営業が風営法に違反していないかどうかを捜査する公安関係の人間だったのだ。かつて風営法の許可を得てはいるものの、12時までの時間制限があるのを知らずに、12時を過ぎても客の横に付いて接客して摘発され、営業停止処分を受けたスナックが両津にあったと言う。水割り2杯を飲み終わりお代の2500円を支払ったところで、40代と思われるフイリピンホステスさんが出勤してきたが、いかんせん肥満していた。

 


三度目のスナック「小船」     投稿者:佐渡の翼

2011年02月26日 05時24分20秒 | 佐渡のスナック・キャバクラ

昨年の11月2日の夜、筆者は夕食を食べるお店を見つけるために夷の飲食店街を彷徨した。スナック「小船」の向かいに「タロー」の看板を見つけたので、再訪してみる事にした。筆者にはカウンター越しに見えるマスター氏の精悍な顔つきは更に鋭さを増したように思えた。変わったのはお運び担当がおねーさんからお兄ちゃんに代わった事くらいだ。筆者は、なめこのおろし合え、揚げ出し豆腐、鮭茶漬け、生ビールを注文した。先付けは大根の煮物。どれもいい味で美味しさに変化はなかった。生ビールは二口飲んだだけで、鮭茶漬けは2割ほどを残した。当方の適量を越えていたからだ。

 

タローを出た後、スナック「小船」の看板に灯りが灯っているのを確認し、小船の店内へ入ってみた。昨年の12月下旬に訪ねた際に接客してくれたのと同じ40~50代とおぼしきおばさんがいた。一年も経過すると歳月の流れが顔に滲み出てくるもので昨年とは受ける印象がだいぶ変わっていた。おばさんが冷蔵庫からタッパウエアに入ったおつまみを取り分けようとしたので、筆者は「それは要らないから代わりに乾き物を下さい」とおばさんの手を制した。おばさんはいつものように冷凍枝豆とおかきを皿に盛った。筆者が物凄い勢いで枝豆を食べ始めたのでおばさんは「夕食食べてこなかったんですか?」と筆者に尋ねた。筆者は「タローで食べて来たけれどもこれは別腹なので」と答えておいた。佐渡市民と書かれたオールドパーのボトルはキープ期間が一年と言うのは本当で、そっくりそのまま残っていた。おばさんは「お客さんが帰った後どんな人が来るかなと楽しみにしていたけど、佐渡市民と名乗る人など誰も来なかったわよ」と言った。

 

おばさんが「昨日の風は凄かったですね」と言ったので「図らずも風に飛ばされましたよ」と筆者が応じたら、おばさんは「私は飛ばされませんでした。お客さんは細いから。。羨ましい~!」と言った。そこから再びダイエットの話に移った。おばさんは自宅から通りを隔てた向こうにあるお店に行くのにも車を使うと言った。筆者がそのわけを尋ねたら、「車ならすっぴんで行こうがジャージを着ようが人目を気にしなくてすむから」だと答えた。う~ん、身なりを気にしなくなったらもう終わりである。おばさんは「店が終わってから帰宅後、つまみを食べながら晩酌をしてから寝るのだ」とも言った。寝る前に食べるのは太る最大の要因だ。加えて歩かないのだから益々太る。おばさんは少し太った事を認めた上で、「この一年、スタッフの顔ぶれにほとんど変化はなく、変わった事と言えば、フイリピン娘が二人入店したくらいだ」と言った。オールドパーの水割りを2杯飲み、お代の1250円を支払って三度目の小船を去った。


デイリー(佐渡佐和田))     投稿者:佐渡の翼

2011年02月25日 04時43分41秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記

昨年の11月2日、筆者は新潟交通河原田バスステーションの真向かいにある喫茶と食事のお店「デイリー」さんにお邪魔した。午前11時40分頃にお店に到着。店内には4人掛けのテーブル席が8卓と二人掛けのテーブル席が1卓あり、他には10席ほどのカウンター席があった。テーブルと椅子は黒で統一され、椅子の足はパイプ式だった。先客は皆無!入り口の所にお店のお勧め料理が写真付きで掲示されていた。一番人気が「焼きうどん」、次いで時計回りに、「鍋焼きうどん」、「ステーキ定食」、「うな丼」の順に並んでいた。そっかあ~、佐渡によくある「何でも屋」さんかなあ~。筆者は二人掛けの席に座り、このお店の名物である「焼きうどん(680円)」を注文した。14分ほど経過したところで待望の焼きうどんが出来上がった。うどんはきしめんのような太麺で、焼きうどんの底には薄い玉子焼きが敷かれていた。ちょっと胡椒の香りが強いかなという感じだが、まずまず美味しい!焼きそばのように、ソースか醤油で味付けしてくれれば更に美味しいと思った。それにしても量が多い!でもお野菜がたっぷり入っているので体にはいいかも。何せ一本調子の味なので、8割ほど食べたところで飽きが来てしまった。少し残してしまいましたが、残した理由は量が多くて食べ切れなかったからです、御免なさい。筆者が食べ終わる頃に女性の三人組が御来店。そのうちの一人が料理掲示板を見ながら「美味しそお~」とはしゃいだ声を上げた。三人とも、ベージュのパンツをお召しになり、トップスには島内の衣料品店で購入したとおぼしきありきたりの衣服を身に付けていた。

 

ま、佐渡の大食漢氏にとっては財布に優しい美味しいお店である事には間違いない。佐渡へ観光でお越しになられた観光客の皆様、是非バスを待つ合間のお食事にそして御休憩に、デイリーさんをせいぜい御利用下さいませ。

 


願誓寺(佐渡市椎泊)    投稿者:とある旅人

2011年02月24日 05時45分20秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

寺の話は正直言ってあまり面白いものではない。寺の開基だとかご本尊が何だとか言われても本尊が開帳され、それを見なければ感想もかけまい。住職でも居合わせていて面白い話を聞ければ何とか書く材料は手に入るのだが、それもかなわなければ寺や境内の外観だけを撮影してそれで終わりになる。だから、余程歴史に関係の深い寺でなければそれなりのコンテンツの深みが出てこないのでどうしても通り一辺の描写とならざるを得ない。

 

さてこの願誓寺は、以前にもこのブログで紹介した、寛永一揆の義民としてその名を馳せた本間七左衛門と緒方弥次右衛門の碑があるお寺として有名だ。本間は伊豆の三宅島へ流され、62歳で死亡。緒方は66歳で死罪となった。彼らは共に村の有力者で幕府の圧政に反旗を翻した名主である。村が生んだヒーローとして立て奉られ、毎年8月27日になると供養際が営まれる。このお寺は椎泊神社の右隣にあり、県道に面しているのですぐに分かる。鐘楼を兼ねた山門が印象的なお寺である。境内や本堂にはさしたる特徴はなく、義民碑の大きさだけがかなり目立つ寺という印象だった。


スナック「愛」のママ    投稿者:佐渡の翼

2011年02月23日 06時00分47秒 | 佐渡のスナック・キャバクラ

筆者はみちこさんとみなみさんにヘネシーを振舞ってあげた。みちこさんは「ヘネシーを飲むのは12~3年ぶりかしら」と言った。みなみさんは「お酒の香りがいいわ。す~っと入っていくね。やっぱり高い酒は違う」と言った。みなみさんは筆者が持参したクリケット社製の傘をめざとく見つけ、「その傘の、グリーン生地にピンクストライプと言うデザインが洒落てますね。柄の部分の革も同色の二色で合わせている。う~ん、傘の裏生地はどうなっていますか?」と聞いた。筆者が傘を開き裏生地も同様のストライプ柄になっているのを示すと、「う~んやっぱりねえ~」と感心した様子で漏らした。

 

みちこさんは「ママが10時になると店に出勤してくる。いっぺんママを見てもらわんと」と言い、みなみさんは「うん、ママは可愛いよ」と言った。そのママが9時40分頃に店に姿を現わした。見るとラブジャンキーズのママにそっくりな顔をしている。しかし見た目の年齢と体型が全く違っていたのですぐに別人だと分かった。ママの差配で筆者はレデイースのLサイズの「愛」のTシャツを手に入れる事ができた。ママと会話する機会はなかったが、ご尊顔を拝すればそれで充分である。筆者はここが潮時と判断し、お会計を御願いした。楽しかった2時間の宴のお代はTシャツ代も含めて25,300円。筆者は3万円をカウンターの上に置き、「お釣りはチップだから、ホステスさん達で分けなさい」と言い残した。筆者のニューヨーカーの水色のスプリングコートを見たホステスさんの誰かが「うわあ~高級そうなコート」と言ったが、これは5年前に3万かそこらで購入したもので、この5年の間、クリーニングに出したのは一回だけだ。春先に2~3回ほど着て終わりになるようなヘビロテさせない使用法ゆえ、新品同然で良質そうに見えたのであろう。

 

筆者にコートを着せる時にママさんが筆者の腰の辺りを見ながら「細いですねえ~、ウエストの幅、もっとあるかと思ったあ~」と言った。筆者はTシャツ越しにママさんの下腹を右手の手背で二~三度軽く叩いてからこのお店を去った。みなみさん、みちこさん、キャピキャピギャル、そしてママさんの4人が店の外に出て筆者の乗ったタクシーを見送ってくれた。再訪したにも関わらずスナック「愛」のスタッフ全員が当方を佐渡の翼と見破る事はなかった。珍しい事だが、そんなうぶな対応が実に心地よく響いたスナック「愛」さんだった。

 

 

 

 


スナック「愛」のみちこさんとみなみさん   投稿者:佐渡の翼

2011年02月22日 05時09分40秒 | 佐渡のスナック・キャバクラ

今時ピチピチギャルさんは、「私は今日はお手伝い」とおっしゃっていたが、みちこさんとみなみさんは正規の従業員とのことだ。ちーさんのお話ではみちこさんは両津のご出身とか。そこで筆者は「両津でお勧めのスナックはどこですか?」とそしらぬふりで尋ねてみた。するとみちこさんは「スナックポルシェ」の名を挙げた。すかさずちーさんが「のぎくはどうだ?」と言うと、みちこさんは「あそこはもっと年齢がいっている」と答えた。どちらも筆者にとっては未訪問のスナックだが、どうやら訪ねない方が無難のようだ。筆者が更に「若い子のいるスナックは?」と問うと、「スナック舞」と今度は的確に答えた。そしてみちこさんは「若い子のいるスナックなら佐和田ならラブジャンキーズね。それにキャバクラまであるんですよお~」と続けた。筆者がそしらぬふりで「え~、佐渡にキャバクラなんてあるんですかあ~」としらじらしく驚いたふりをして尋ねたら、「ええありますよ、筆者が夕食を食べた「かすけ」さんが面するのと同じ道路沿いにあります」と答えた。そして「でもあそこのキャストの何人かは県外から来ているみたいよ」と続けた。筆者は「じゃあ、この店を出たら早速そのキャバクラとやらへ行ってみよう」と心にも無い事を言っておいた。

 

ほどなくしてみなみさんが筆者の右隣に座り接客を始めた。筆者はこのブログでも既に述べたお洒落の極意について彼女に縷々講義をした。みなみさんは、「それが一番よね」「その通りよね」「全くおっしゃる通りよ」と一々頷き筆者の主張に全面的に同意した。みなみさんはかつて新潟で服飾専門学校に通っていたそうで、佐渡で洒落込む人が少ない理由を以下のように開陳してみせた。「佐渡ではお洒落をしていく所が無いのではなく、常にお洒落をしていると目立って浮いてしまい、どこの集落の誰だと言う話になり、島人はまるで不審者でも見るような目つきになるから、皆さん泣く泣くワントーン抑えた服装で街を歩くのだ」と彼女は言った。筆者達がファッションの話で大いに盛り上がっていると、ちーさんがまたまた割って入ってきて、「お二人さん仲が良さそうだから、お客さんのキープしたヘネシーのボトルにみなみと書いといたらどうだ」と提案した後、「俺も本当はヘネシーを飲みたいんだけどさ」と本音を漏らした。筆者は大きく頷き、「おじさあ~ん、やせ我慢したり意地を張ったりしないでヘネシーを飲みなよ」と言ったが、ちーさんは「いやけっこうです」と意地を張り続けた。


体型は隠せない(スナック愛)     投稿者:佐渡の翼

2011年02月21日 10時20分58秒 | 佐渡のスナック・キャバクラ

くだんのTシャツは黒色で背面にクロムハーツのような十字架と「Companion club AI」と読める変形文字が印刷されていた。筆者が「観光目的で三泊四日の日程で10月31日に初めて佐渡を訪ねた。カーフェリーの航送料金の土日祝日割引を利用して車で来ました」とみちこさんにぬけぬけと適当な事を言ったら、ちーさんは、この荒れた天気の中を佐渡くんだりまで観光に来るとは一体どういう酔狂なやつだと思ったのかどうか分からぬが、物珍しそうに筆者に話しかけてきた。ちーさんの「佐渡のどこが良かったですか?」の問いには「何と言っても綺麗な空気ですよ」と答えたら、ちーさんは小首を傾げながら「綺麗ねえ~」と言いながら、筆者が前日相川のホテル万長に宿泊したと告げたのを受けて「相川ではどこかへ飲みに行きましたか」と尋ねてきた。筆者が「居酒屋オルフェで食事して生ビールを飲んだだけです」と答えると、「ナイトスポットJ1というスナックがお勧めでいいお店です。だけど初めて佐渡観光に来た、事情の分からない人にとっては少し入りづらいお店かもしれないなあ~」と言った。佐渡に限らず、見知らぬ土地では一抹の不安を抱えながらスナックの扉を開けるのが常であろう。筆者はちーさんに向かい「そんな安い酒ばかり飲まずに良かったらこのヘネシーをお飲みになりませんか」と誘ったが、ちーさんは右手を振りながら「いやいやとんでもない。私は安い酒で充分です」と言い、当方の申し出を取り合えず断った。

 

午後8時近くになると、二人の若いギャルがご出勤になった。一人は19歳ギャルで、いま一人は「みなみ」さんという20代の可愛いギャルだった。二人とも「愛」の黒いTシャツを着ていた。19歳ギャルはメンズのSサイズを着用しそれがぴったりの体型で、みなみさんはレデイースのLサイズ(これでもぶかぶか)をお召しであった。みちこさんが、みなみさんと19歳ギャルに対し、「それぞれが着用しているTシャツを互いに交換して着用してごらん」と命じた。メンズのSサイズよりも小さいレデイースのLサイズを着用した19歳ギャルのウエスト部分を見たら横筋が二本入っていた。つまりこのサイズではパツパツなスタイルに見える体型であることを如実に物語っていた。みなみさんは「あの子の裸を見たけど細かったですよお~」と一応彼女を擁護したものの女性のウエストを見る目線に厳しい筆者の目は誤魔化せない。みなみさんにとってのメンズのSサイズは左右に5センチほどの余裕を作るくらいにだぶだぶであった。佐渡で肥満女性を多く見かけるのは、歩く習慣に欠けていることと過食が原因である事は再三このブログで指摘している。みなみさんもその通りだと相槌を打った。筆者は19歳ギャルにとってはパツパツのレデイースのLサイズのTシャツ(160というサイズだそうだ)を購入し、宿に戻ってから試着してみた。左右にまだ3センチほどの余裕があるではないか。19歳でウエストサイズが65センチを越えてるようではちと問題かと。。。いや、筆者の「あの強風で飛ばされませんでしたか?」の問いに、「私達は大丈夫でした」と答えたみちこさんに対し、「達って言わないでよ」と抗議し、「自分は風に飛ばされた」と主張した今時ピチピチギャルさんだってご油断目召さると危ないものだ。このギャルさん「帰りにコンビニに寄って、牛蒡のから揚げと鶏五目弁当を買い、それを寝る前に食べよう」などとおっしゃっていたからだ。


スナック「愛」再び      投稿者:佐渡の翼

2011年02月20日 03時34分45秒 | 佐渡のスナック・キャバクラ

筆者は午後7時55分頃に旅館「浦島」を出た後、スナックが建ち並ぶ通りを南東の方向に向けて歩き始めた。すると爆弾低気圧の通過に伴う折からの猛烈な強風に煽られた。スプリングコートを着用し、ショルダーバッグと傘を持ち、かなり重量が増えていたのにも関わらず強風に吹き飛ばされ、まるで牛若丸のように一瞬体が宙に浮いた。そして図らずも数歩後退してしまった。体がかなり軽量化していたのかあるいは風速が物凄かったのかどちらかだろう。その後、異なるスナックの一見細身に見えるホステスさん三人に「あの強風で飛ばされましたか?」と尋ねたら、全員、「いいえ、私は大丈夫でした」と答えたので彼女らの体重は48キロを越えている計算になる。そして逆風に逆らいつつ、やっとの思いでスナック「愛」に辿りついた。午後8時丁度、「愛」のネオンの灯りは灯っていた。勢い込んで扉を開けるとカウンターの内側には、30代後半から40代前半と思われる女性と茶色のダウンベストを羽織った今時の若いキャピキャピギャルとがいた。筆者にとっては1年8ヶ月ぶりの訪問である。前回訪問時に接客してくれた、さほど愛想のよろしくなさそうな女性スタッフはいなかった。今度は構ってもらいたかったのでボトルキープを御願いした。シーバスリーガルをオーダーしたが店には無いと言う。それならばとヘネシーを御願いしたら、「店には置いていないが酒屋に頼めば持ってきてくれる」とアラサー女性が言った。結局ヘネシーを注文し、ボトルが来るまでの間はリザーブの水割りを飲む事にした。

 

アラサー女性が、揚げた白身魚の煮びたしのようなつまみを出そうとしたので、筆者はそれを手で制しながら「それは要らないので代わりに乾き物を御願いします」と伝えた。やがて常連とおぼしき地元のあんちゃん様がやってきて、素早くボトル棚の中から自分のボトルを取り出し、それをカウンターの上に置いた。次いで、このあんちゃん様よりももっと常連らしきおじさんが来店し、カウンターの予約席に座った。この台風並の荒れ模様の中、わざわざ予約して来店するくらいだ、かなりお店側とは親密な間柄にあるのであろう。この後に来店した普通の常連さんであるおじさんに言わせると「週に二回通うのが四回になるとボトルの先端にリボンを飾り、超常連客であることを他の客に知らしめる特典が与えられる」そうで、キャピキャピギャルはそのボトルを恭しく捧げ持ち、この超常連客の前にそっと置いた。筆者の左隣に座ったおじさんは、アラサー女性から「ちーさん」と呼ばれていた。このちーさん、どこかで一杯ひっかけてきたらしく、キープした「JINRO」をちびちびやりながら、やや呂律の回らない口調でアラサー女性に話しかけていた。おじさんはアラサー女性を「みちこさん」と呼んでいた。ちーさんが「このお店では飲み放題の日があると聞いたが」とみちこさんに問うた。するとみちこさんは「第一及び第三火曜日がその日です。ただしボトル代がただになるだけでアイスとお水代は別途請求します。そして私が着用しているのと同じTシャツを着て来る事が条件よ。Tシャツは一枚2500円で販売しています」と用意周到に答えた。


旅館「浦島」再び      投稿者:佐渡の翼

2011年02月19日 04時28分49秒 | 佐渡のお宿評価

昨年の11月1日、筆者は佐和田にある旅館「浦島」さんに宿泊した。午後5時丁度に宿に到着した。筆者には3階の1室が用意されていた。廊下が曲がりくねっていて非常に分かりづらく、部屋を探すのに一苦労した。部屋に入った途端、天候が急変し、暴風雨となった。旅館の真向かいが越の松原なので、風が木々に当たり物凄い音に変る。そしてそれが更に増幅されて部屋の中に伝わってくるので、とてつもない騒音と化す。この浦島さん、横浜国大準教授北山恒氏設計によるものだそうだが、お料理に力を注ぐべく建築費用を安く抑えた造りになっているため、防音効果は造りのしっかりした万長さんや吉田屋にはかなわない。ま、その分宿泊代が安いのでいたしかたはないのだが。。。されど、この強風に見舞われると何だか建物全体が風に煽られているようで、心なしか部屋が揺れているように感じた。丁度軽い時化の時にカーフェリーの特等室にいる時のような揺れを感じたような気がして少し気分が悪くなった。とにかく嵐でも何でもいいから外に出よう。そう意を決して車に乗り込み、夕食を食べるために2年ぶりに「かすけ」さんに向かった。牡蠣を食べたかったが、生憎まだ時期が早いので提供できないとのお返事。魚介料理はもう飽きていたので、鍋焼きうどんを注文する事にした。だし汁はいい味がした。大きな海老の天麩羅が入っていたが、食べきれずに残してしまった。鍋焼きうどんだけでお腹一杯になったので、宿へ戻る事にした。

 

部屋に戻ると階下から鬼太鼓の音が聞こえてきた。フロントに電話をし、「鬼太鼓の音が聞こえるのですが、あれって一般の人が見てもいいの?」と尋ねたら、「「ああ、あれは外国特派員協会が独自に呼んだものですので、一般の方にはちょっと」とフロントのおねーさんが答えた。諦めて電話を切り歯を磨いていたら、フロントから電話がかかってきた。「幹事さんに聞いたらば観覧OKとのご返事だったので地下の会場までどうぞ」との事。大急ぎで地下へと向かった。会場内に入ると赤い面を付けた鬼が舞いの真っ最中だった。沢根地区の若者による舞である。何人かの外国人が盛んにデジ一で華麗な鬼の舞いを撮影していた。舞が終了すると観客と鬼太鼓のスタッフ達の間で質疑応答が始まった。鬼太鼓のルーツは能登の五番所太鼓と佐渡の能の舞が合体したもので、300年前に始まったとされているそうだ。赤い面が男鬼で黒い面が女鬼だ。筆者的には、両津の湊祭りの鬼太鼓が最もリズミカルで鬼太鼓らしい踊りのように思う。スナック「愛」から戻って、大浴場に行き、湯船の中でゆったりと足を伸ばした。快適なお風呂である。

 

翌朝の朝食は画像のとおりである。先回訪問時よりも簡素になったような気がするが、ご飯が特段に美味しかったのが印象的だった。仲居さんに煮付けた魚の種類を問うと、「秋刀魚」だと答えたが、その切り身の厚さを見れば秋刀魚のはずがない。多分「いなだ」であろう。一泊朝食のお代は8400円と格安だったが、一晩中風の音に悩まされ続けた旅館「浦島」の夜だった。

「かすけ」さんの鍋焼きうどん。


佐渡奉行所跡       投稿者:佐渡の翼

2011年02月18日 05時50分29秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

江戸時代の佐渡奉行所とは、行政、司法に関する諸仕事及び金・銀の精錬を行うのが主な任務であった。行政、司法、国会を三権と呼んでいるが、江戸時代ゆえ国会などと言う物はなく、行政・司法の二大国家権力が集中する役所が佐渡奉行所だった。この佐渡奉行所は金山発見の2年後の慶長8年(1603年)に建てられた。その後、焼失と再建を5回繰り返し、最後は相川中学校となった。そして平成6年に国の史跡に指定されたため保存整備事業が始まり、平成12年に奉行所の復元が完了し、役所部分だけではあるが、その全貌が明らかとなった。現在公開されている奉行所の内部には様々の用途に使用された部屋が整然と並んでいる。いずれも現在の官公庁と同じく無機質で、当たり障りのない部屋構成になっている。小学生が修学旅行にやってきて歴史のお勉強をするには大変貴重な教材だが、歴史にはさほど興味のない一般の旅行者には「なあ~んだ、ただだだっ広いだけじゃん」と思われるだけかもしれまい。受付のおねーさんは「内部は写真撮影が自由ですから、いっぱい写真を撮っていって下さいね」と言ったが、どの部屋も似たようなもので、歴史の古さや重味を感じさせるような雰囲気はない。昔の奉行所を復元した壮大な模型を見ているようで、感動を誘うような仕掛けなどはなかった。

 

それよりも筆者が面白いと思ったのは金・銀の精錬所である勝場(せりば)跡に建つガイダンス施設内の佐渡金山の歴史的な歩みを示したパネル展示であった。金山が発見された頃は、道遊の割戸の麓の濁り川の沢沿いに民家が建ち始め、やがて様々な職種の人が全国から相川の街へと流入し、最盛期には現在の佐渡の人口に匹敵するくらいの人々がこの街に住んだという。そして大火や災害などに見舞われ、更に鉱山の衰退と共に街は幾多の変貌をとげ、現在の相川の街並が形作られた。正に相川の栄枯盛衰を目の当たりにする思いで、非常に興味深い展示であった。


お好み焼きの「こうめ」(佐渡市佐和田)    投稿者:佐渡の翼

2011年02月17日 06時00分11秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記

昨年の11月1日、筆者は佐和田にあるお好み焼き屋、「こうめ」さんを訪ねてみた。訪問当日は「一日じゅう雨」との天気予報だったが予想に反し、午前中は抜けるような青空が広がった。突如としてそれこそ一瞬のうちに気候が豹変するのが佐渡の特徴なので油断はできないが、午後5時に爆弾低気圧の通過で暴風雨になるまでは実に気持ちのよい一日だった。午前中は相川の佐渡金山を見学した。道遊坑コースを選択し、道遊の割戸の真下まで行ってみた。めぼしい金の鉱脈はあらかた掘り尽くされ、割れ目の最下部に見える残ったわずかな山肌に既に金は無く、その向こうは幾つかの空洞になっていると言う。人間の「金(きん)」に対する貪欲さの成れの果てであろうか。

 

その後真野へ向かい、いつもの中川喜十郎商店で手洗い洗車をしてもらい、すがすがしい気持ちで佐和田へ戻り、「ろうきん」さんの交差点を左折した。既に他所へ移転したラーメンと餃子の名店「恵比寿」さんの真向かいの所を真っ直ぐ進むと左手に「あんとん」「ローズ」と並んでいて、その次が「こうめ」さんである。11時40分にお店に到着した。店内には先客が皆無!食べ終わってお店を出るまで誰一人として客は来なかった。店内にはお好み焼きの鉄板を敷いたテーブルがフロアと座敷席に幾つか置かれていて、ほどよい清潔さを保っていた。

 

お好み焼きのメニューを見たら、定番「海老・烏賊・貝柱」のミックス(850円)と言うやつが一番人気らしい。これ以外には「おば。。。。。、お姉さんたちに人気のヘルシータイプ」として、「あさり・ねぎ・えのき」と言う物もあった。筆者は一番人気の定番メニューを注文した。女将さんは筆者のいでたちをぐるりと眺め回した後、満面の笑顔で「そちらでお焼きになりますか?それともこちらで焼きましょうか?」と尋ねてきた。筆者は間髪を入れずに「そちらで焼いて頂けますか」とお願いした。焼きあがるまでに約20分間を要した。そしてミックスと言う名のお好み焼きの表面にはベーコンが3枚並んでいた。筆者は「ベーコンは要らないのではずしてから食べますね」と女将さんに断りを入れてから食べてみた。うん、美味い!ソースをかけるとカロリー過多になるのでソースなどは一切かけずに食べた。その何と言うか、海老、烏賊、貝柱の旨みとキャベツの甘さがミックスされてほどよい塩加減である。大変に美味しかった。筆者の評価は★★★。「こうめ」さんは、佐渡で唯一のお好み焼き・もんじゃ焼きの専門店で、他に競合する店舗が無いにも関わらず、しっかりとした味を守っている。このお店も又期待を裏切る事がないだろう。


佐渡金山       投稿者:佐渡の翼

2011年02月16日 06時00分24秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

ホテル万長をチェックアウトした後、筆者は佐渡金山へと向かった。11月1日の予報は午後から暴風雨との事だった。しかし午前中は青空が広がり絶好の行楽日和となった。佐渡金山の坑道内を見学できるように整備し、この観光施設を運営しているのは「ゴールデン佐渡」という会社である。坑道見学コースには古典的な「宗太夫坑」コースと道遊の割戸の直下まで行ける「道遊坑」コースとがあった。筆者は後者を選択した。道遊坑は近世になってから掘られた坑道で、トロッコのレールが敷かれたコンクリート製の坑道であった。宗太夫坑の方は、落盤を防ぐために木で作った枠で坑道内を補強しているが、この木材の使用量は凄まじかったそうだ。道遊の割戸の直下は大きな空間になっており、天井をもう少し掘っていけば地表にでられそうな感じがした。「道遊坑」を抜けると道遊の割戸の最下部を真近に見学できるエリアへと続く道に繋がっていた。案内看板には、そこまで歩いて7分ほどと書かれていた。突然の雨に降られては困ると思い駆け足で登ろうとしたら、落ち葉の掃除をしていたおじさんから「走ると息が上がるからゆっくり歩いて行きなさい」と言われた。おじさんの指示に従いゆっくり歩いていくとやがて高任神社に突き当たり、そこから更に登ると道遊の割戸の最下部が真近に見えた。こんな風になっているのかあ~。おじさんの話では既に金はあらかた掘りつくされ、残された山肌にはもう何もないのだそうだ。山頂部に金鉱脈が露出していた慶長年間の頃の相川の賑わいは、現在と比較するとそれこそ想像を絶するほどの羽振りのよさだったのだろう。それにしても最初に佐渡金山を発見した三人の山師達の嗅覚は実に鋭かったとしか言い様がない。


八百比丘尼(佐渡市羽茂大石)      投稿者:とある旅人

2011年02月15日 05時40分39秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット
 

人魚を食べたために800年も生きたと言う八百比丘尼伝説は全国に広まっているが、佐渡にもその伝説は残っている。日本人の平均寿命は男が78歳、女が80歳程度だろうか?「人間50年、下天のうちにくらぶればあ~」と謡った織田信長の戦国時代に比べれば遥かに長生きできる世の中になった。これはひとえに栄養状態が良くなった事と、医学の急速な発展のお陰であろう。

 

「その昔、羽茂の大石の浜で村人が酒盛りをしていたら見知らぬ男がやってきて仲間に入れてくれと頼んだ。すると村人がその男を歓待したので男は大いに喜び、「今度は私にご馳走させて下さい」と言い残し帰って行った。約束の日に集まった村人達は、男に目隠しをされてから、立派な建物の中に案内され、そこでご馳走を食べた。宴の途中、村人の一人が用を足した際何気なく料理場を覗くと、そこでは奇妙な動物が調理されていた。その村人がみんなにこの話をすると、彼らは急に気分が悪くなり帰りたいと言い出した。男はその料理を包んで土産に持たせ、また目隠しをして、村人達を大石の浜まで送ってくれた。村人たちは気味悪がり、その料理を海に捨てて帰ったが、ただ一人田屋家の爺さんだけが家に持ち帰り、翌日その家の娘がその料理を食べてしまった。その後、娘は800歳まで生きたので、あの肉は人魚の肉ではないかと言い伝えられた。娘は嫁に行ったが、夫、子供、孫が死んでもその若さは変わらなかった。その後、尼になり若狭に住んだが、故郷が恋しく佐渡に帰って来た。村人達は見知らぬ旅人を村に入れず、「ここで生まれた証拠を見せろ」と迫った。娘は子供の頃の記憶から斎慎人(みしあせびと)を葬った「ミシハセのクマ」へ案内した。村人がそこを掘ったところ人骨が現れたので、村人はようやく納得したという。その後、再び若狭へ帰り、1000年の命の内、200年を殿様に譲り、若狭国小浜の空印寺境内の洞窟で死んだと言い伝えられている。」

 

以上はあくまでも伝説である。本物の人間が800歳も生きられるわけがない。身内の人間が死亡しても死亡届けを提出せずに、その年金を騙し取る詐欺行為がまかりとおるこのご時世だ、戸籍上の800歳なら可能だろうが。。。

 

さて、その八百比丘尼伝説発祥の地、羽茂大石の田屋家を訪ねてみた。羽茂方向から両津方向に向けて県道を走行すると左手に「大石」のバス停が見えてくる。「佐渡の隠れた史跡」と言う本には、この付近に八百比丘尼の生家があると書かれているが、実際はもう少し両津寄りの「大石山田」と言うバス停の前にあった。八百比丘尼が佐渡で生まれた証拠として見せた「ミセハセのクマ」は、八百比丘尼の家から羽茂へ数100メーター戻った所にあった。それは大きな欅の木の麓にあるただの石の塊だった。

 


真禅寺(佐渡市畑野大久保)     投稿者:とある旅人

2011年02月14日 05時00分56秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット


真禅寺は文覚(もんがく)上人の開基と伝えられている。この文覚上人、波乱の生涯を終えたらしく、様々な罪を犯したかどで、伊豆配流、佐渡配流、対馬配流となり、そして最後は流れ流れて西の果て、九州の鎮西にまで行ってそこで死去したそうだ。本堂内の本尊脇には上人の位牌が祀られている。上人は、流罪となった正治元年から赦免となった建仁二年までの
39ヶ月、この寺に滞在した。寺の奥に鍋倉の滝があるが、案内が必要な上、かなり細い遊歩道を登らねばならなかったので滝の撮影は断念した。上人はこの滝にうたれて荒行を続け、草庵を結んで修行したそうで、近くの滝の側壁には文覚上人が彫ったとされる素朴な不動明王の石仏が祀られているとの事だ。附近の山中には四基の石積があり、経塚とも高弟の墓とも伝えられ、又、境内附近には上人ゆかりの足洗池や腰掛石などが残されているそうだ。寺号の文盛山(もんせいざん)の「文」、は文覚上人からとったと言う。

 

以下は、真禅寺のHPの説明文を引用改変し、分かりやすくまとめてみたものである。

「文覚上人は俗名を遠藤盛遠(えんどうもりとお)と言い、鳥羽天皇の皇女上西門院に仕える北面の武士だった。若かりし頃、架裟御前(けさのごぜん)と恋に落ちたが、彼女は同僚の源渡(みなもとのわたる)のもとへ嫁いでしまった。架裟と添い遂げようと思った盛遠は源渡を亡き者にするため、架裟に手引をさせた。ある夜、手引された盛遠が家に忍び込み、夜具の中に横たわる渡をめがけ、刀で突き刺した。ところが夜具をはいで見ると、そこには血だらけの架裟が横たわっていた。夫を死なせるに忍びないと思った架裟が身代わりになったのだと言う。愛する人を失い、また罪の深さを懺悔した盛遠は、発心し出家した。出家した文覚は那智の滝で荒修業をおこない、修業を終えた後、高雄の神護寺再興に尽力した。その後、源頼朝と運命的な出会いをするが、文覚上人80歳の頃、頼朝が急死すると、反幕府の実力者、源通親の陰謀により捕らえられ、佐渡へと流された。三年後に許されて京へ戻ったが、今度は後鳥羽上皇により謀反の意志があるとみなされ、対馬に流されることになった。そして九州の鎮西へ向かい、病気によりそこで逝去した。盛遠が十八歳で出家したことは事実だが、出家の理由が不明なことから、以上のような物語が作られたと思われる。」

 

上記の内容は、どうやら歴史的事実と言うよりも、後世の人間が作り上げた文覚上人の一生に関する物語りのようだが、齢80歳にして佐渡へ流されたのだから、相当にしたたかな人物だったのかもしれない。この文覚上人の女に対する欲望と、誤ってその女を殺した罪に対する懺悔から来る発心出家、その後の荒行の連続、そして病に倒れるまでの波乱万丈の一生の一過程にこの真禅寺が介在したのであろう。

 

私は晩秋のとある日、このお寺を訪ねてみた、まず慶宮寺へと至る道を更に北上すると広域農道へと続くT字路に出る。ここを左折してしばらく行くと道が二手に分かれている。左へ折れずにそのまま真っ直ぐ進むとやがて右手に真禅寺の案内看板が見えてくる。右手に豪華な赤い鳥居が異彩を放つ田遊び神事で有名な「白山神社」があり、左手に真禅寺の山門が見える。ここが文覚上人修行の地か、しみじみと眺めてみた。

 

参考資料:真禅寺のホームページ

 


i8ロードスター動画1

i8ロードスター動画2

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