「リストランテ ホンダ」でクリスマスランチコースを堪能した後、一日置いただけで、またぞろクリスマスランチコースである。食べ過ぎのように思えるかもしれないが、普段がキリギリスの食事である、エネルギーの補給量としては至適な量である。アミューズは、白茄子のムース(コリアンダーの香草入り)、鮪のマリネオレンジ風味、自家製ソーセージのペーストにリンゴのピューレを乗せてライスペーパーで巻いて揚げた物(要するに春巻き!)である。どれも手が込んでいて実に美味しい!ナイフやフォークは、使用しなくてもお料理が出るたびに新品と取り替えてくれる。さすがは銀座の高級フレンチレストランだ。これが安っぽいレストランなら、皿から取り出した使用済みのナイフやフォークをテーブルの上に置いたりするものなのだが。。二品目は、「オマール海老のムーステリーヌ」である。つなぎに卵とホタテを使用してしっとりとした食感に仕立ててある。付け合せは、胡瓜、セロリ、ホースラデイッシュをヴァニラ風味のソースで和えた物!このムース、やや塩気が強かったが、まずまずのお味だ。三品目は、「季節野菜のコンポジション」。サツマイモでは最上等と言われる種子島産のあんのう芋があった。食材はかなりいい物を使用しているようだ。真ん中のポテトのピューレは、エスプーマを使用して空気を含ませたもので、ガーリック味が効かせてあった。これにお野菜を漬けながら食すと、野菜の旨みが口一杯に広がり、甘味とにんにくの香りが渾然一体となる感じである。周囲の赤い物は、スペイン産の赤ピーマンにガーリックとオリーブオイルを混ぜて作製したピューレだそうだ。この皿が出てくるまでに10分ほどを要したので、かなり手間隙がかかっていそうだった。四品目は、「真鱈のポアレ」である。やはり旬の鱈は脂がよく乗っていて美味しい!付け合せはアンディーブとホウレン草で柚子風味のソースがかかっていた。鱈は小さめなので、胃袋にはまだメインが入る余裕があった。メインは牛頬肉の煮込みで、フォンドボーと白ワインで煮込んであった。お肉の表面には酸味の効いたケッパーとセルフイーユとエシャロットが乗せられており、これがいい具合にお肉の旨みを引き立てていた。付け合せは、胡桃とクレソンのガレットである。銀座の老舗「レカン」の流れを汲むだけあって、このお店のお料理はいずれも繊細かつ精緻な味わいに仕立て上げてある。デザートは、苺とカスタードクリーム(画像)。苺で作製したサンタが可愛くて、何だか食べるのが勿体ないくらいだ!紅茶に付属の小菓子は、ピスタチオのマカロン、ショコラ、苺のゼリーである。これらも完食して、今年のクリスマスランチの連ちゃんは終了した。サービス料込みのお代は7392円。毎月メニューは変わるそうで、ウエイター氏の「お楽しみ頂けましたでしょうか?」の問いに、「勿論です」と満面の笑顔で答えた筆者だった。
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銀座の老舗フレンチレストラン「レカン」が、新しい業態として、1階がカジュアルレストランで2階が本格派レストランと言う二つの顔を持つお店を昨年の9月にオープンさせた。店名は「ルシャスリオン」で、場所は銀座ベルビア館の丁度南側にあたる。昨年の12月25日のクリスマス、筆者は予め予約した上で、このお店を訪ねてみた。クリスマスともなると銀座は華やいだ雰囲気で包まれる、クリスマスプレゼントや家庭で食べるオードブルなどを買い求める客で百貨店はどこも混雑していたが、それらは筆者には一切関係がない。自身の趣味に合わない物を送られても処分に困るだけなので、そうした事は不要だと相手方に伝えてあるし、そもそも欲しい物は自分で選ぶ主義だ。そしてクリスマスディナーを都心のホテルで食べる習慣などはこの方20年来、皆無だ。佐渡ではこの時期、正月用品やクリスマスプレゼントを買い求める車で、ムサシ、コメリ、パワーズフジミなどの駐車場へ向かうバイパス道路が渋滞するが、筆者はそれらとも無縁だ。ここ数年、クリスマスは都心で過ごし、年末は佐渡で過ごすのが定例化したし、年始は、都心のホテルで食事するのが恒例になったからだ。毎年、年末の佐渡のお天気は大荒れが続いていたが、今年はクリスマス寒波の襲来が長引き、年末は穏やかな天候になりそうである。フイッツジェラード、こさど、平原と、昨年はほぼ3ヶ月毎に面倒な問題が襲ってきたが、それらも一段落したため久しぶりにのんびりした気分で銀座へと出向いてみた。
午前11時半丁度にお店に到着したら、先客は40代前半とおぼしき女性二人組みだけだった。店内は四人掛けのテーブルが2卓ある以外は全て二人掛け席で完璧にカップル客御用達のお店のようであった。店内は「リストランテ ホンダ」よりは広かったが、「ベージュアランデュカス」ほどの広さは無かった。蝶ネクタイを締め、上下黒のスーツを身に纏った、ウエイターのおじさんとウエイトレスがいて、そのうち一人は常に入り口付近に立ち、客席のコース料理の進み具合を監視していた。ウエイター氏の「お飲み物は?」の問いかけには間髪を入れずに「タップウオーター」と答えた。この文言、無駄な出費を避けるためにはもってこいで、これを教えてくれた「ベージュアランデュカス」のお兄さんには感謝せねばなるまい。やがてもう一人のおじさんウエイター氏が現れた。うん?どこかで見たことがある顔だなと思ったら、上野駅構内のアトレにある「ブラッスリーレカン」の支配人氏であった。そうか、このお店のオープンに合わせてこちらへ移動になったのか。そう思いながら筆者は、クリスマスランチコース(6720円)を注文した。
佐渡の四季さんが新しいカメラをお買いになったと、昨年12月21日のブログに記していた。四季さんは東京出張の折には東京の夜景を撮影するのがお好きなようで、レインボウブリッジやお台場の夜景写真を何枚かブログにアップされていた。筆者はそうした場所へは昼間にしか訪ねないので、筆者の目には夜景の写真は実に新鮮に写る。四季さんが東京スカイツリーへ行きたいと言ったら、誰かが「東京スカイツリーは上野にある」とコメントしていたが、それは間違い。正しくは、東武伊勢崎線の業平橋駅の近くである。上野駅よりも浅草駅の方がスカイツリーには近いので、浅草寺とツリーを同じアングルに納めたければ、浅草へ行って撮影するのがベストかと思う。筆者のデジ一はキャノンのEOS Kiss X3で、2009年の5月に購入した初級者向けカメラである。デジブックに掲載される写真は全てこのカメラで撮影している。このカメラにも様々な機能が付いているが、普段使用するのは、連写と接写機能だけ。カメラは画像が残せさえすれば良いと言う主義なので、パノラマ撮影だとか魚眼レンズだとか、何々効果などと言った説明は猫に小判、馬の耳に念仏、豚に真珠、の類である。その気になれば、カメラ一台に50万でも100万でも支出できるが、とてもじゃないが使いこなせまい。
いつものようにロイヤルホストへ朝食を食べに行った。すると筆者の前方の席に若い女の子二人組みが座っていて、フェイスブックに関する会話を交わしていた。女の子の一人が「友達になると言う所のボタンを押すと、相手の電話番号まで出てきてさあ~、そしてその番号のボタンを押すと、今度は「電話しますか?」みたいなメッセージが出てきてえ~、私、凄いなあ~と思って」と言った。筆者は電話番号まで公開してまで友達を増やさなくてもと思ったが、ま、人様々だろう。こさどや平原などの問題児が盛んにフェイスブックで友達の輪を広げようとしているが、そんなのに登録して変なのに付きまとわれてはかなわない!筆者にはただでさえ、友達が多いのに、これ以上友達を増やしてどうするのかね。だから筆者にはフェイスブックなどの大人のおもちゃは不要である。
今日も東京は乾燥した冬晴れだ、書斎の窓からは、ホームセンター、スーパー、そして家電量販店の「こじま」の看板がよく見える。そしてその向こうには富士山がよく見えた。今日はクリスマスだが、多くの日本人は仏教を信仰するゆえ(それが証拠に元日にはお寺や神社に多数の老若男女が参拝するであろう)、キリスト教徒のお祭りなどは関係ないはずだ。だが、日本人ほど宗教に無節操な国民はいないので、誰もが浮かれてクリスマスパーテイーなどと言って騒いでいる。さて、今日はバナリパで買ったパープルのニット着用で銀座へ昼飯でも食べに行ってくるとするか。そう思い、地下鉄で銀座へと向かったら、車内でi-phoneを操作するおやじがいた。さりげなく盗み見したら、「うなぎ」と言う文字を入力してヤフーで検索していた。馬鹿だなあ~、うなぎ何て食う店は、宮川本店か野田岩に決まっているだろうがよお~。所詮、i-phoneを始めとしたスマートフォンは貧乏人が使うツールにしか過ぎまい。
銀座のルシャスリオンでランチを食べた後、北青山へ向かい、いつもの美容室へ行った。筆者お気に入りの美人スタイリストは今年の1月から1年間ニューヨークへカット技術を学ぶために留学するとの事で、留学経験のある筆者は、米国生活のノウハウを何度か彼女に教えてあげていた。彼女はそれらを克明にメモしており、彼の地での生活に役立てると言った。彼女は「これで会うのは最後だから」と、筆者の職業をしきりに知りたがった。彼女は「〇〇さんはお金持ってるから伊勢丹の社長!」と言った。伊勢丹の社長と間違われて光栄だが、間違われた社長は大迷惑だろう。次いで彼女は「大学教授ですか?」と問うた。今時年収2400万の大学教授などいるはずも無かろう。筆者が時々キャバクラに行くと言う話をしたら、「筆者がキャバクラに行くと、キャスト達は説教されそうですね」とこの美人理容師さんは喝破した。確かにそうだ、佐渡の翼に教義を説かれ、彼女達は「佐渡の翼教」の信者になっていくからだ。お店を出るとき、彼女と握手をしたら「フェイスブックとかおやりになるんですか?」と尋ねてきた。どうやら彼女は筆者と友達になり、フェイスブックを恋愛ツールとして使用したがっているようだった。ひょっとしたら彼女の片思いの恋心かもしれぬ。フェイスブックもこういう場面では役に立つなと思ったが、やっぱり大人のおもちゃだよ。
バナナリパブリックで購入したパープルニットとユナイテッドベネトーンのマフラー
昨年の12月23日、伊勢丹からの帰り道、午後5時半頃だろうか、バス通りにはなっているものの、歩道幅が50センチ足らずしかない、狭い道を走行中の出来事だった。夜はとっぷりと暮れていて、前照灯を点灯していても前方視界が確保しにくく、更に、歩道上に所々電柱が立っており、それを避けるために、歩行者が車道上を歩行せざるを得ないような場所で怪談話が起こった。筆者は前方左手に荷台に荷物を乗せて走行する一台の自転車を視認した。筆者は車道を走っていた自転車を避け、それと充分な距離を保ちながら法定速度を守りつつ、かつ対向車に注意しながらゆっくりと追い抜いた。筆者は数年前、制限速度40キロの公道を60キロで走行したため、交通違反反則切符を切られた経験があった。読者の中の何人かも同様の経験がおありかと思う。この痛い経験以後は、超安全運転に徹していた。その日は夜間でしかも強風が吹いていたので、いつも以上に慎重に運転していた。筆者がこの自転車を追い抜いてから数秒走行したところで、左のドアミラーが何の前触れもなく突然自然にバタンと閉じた。が何の衝撃も感じなかったし、ドアミラーを電動で元に戻し正常に作動するのを確認したのでおかしいなと思いながらも一旦その場を通り過ぎた。この自転車に乗っていたおじさんは、筆者の車が近づいた時、後方を振り返り、自転車を歩道寄りに寄せる回避行動を見せた。それゆえ、自転車の荷台部分が車道寄りに振れて、それがドアミラーをかすったために、安全装置が作動してドアミラーが自動的に閉じたのかと思い、ドアミラーを点検してみたが、ドアミラーは無傷で何の損傷もない。塗装部分は全く綺麗で自転車と接触した痕跡などはどこにも無かった!念のためと思い、徒歩で現場に戻ってみたが、当然ながら自転車が転倒したような事故の痕跡などはどこにも見当たらなかった。じゃあ、何故、ドアミラーが自動的に閉じたのか?BMWだ、強風で閉じるほどのやわなドアミラーなどを装着している訳はないし、強風で飛ばされた空中を漂う固形物がドアミラーに激突したのならかなりの衝撃音を感じるはずだし、何より、ドアミラーが損傷してしかるべきである。真夏の夜ならぬ、真冬の夜の怪談であった。
筆者は、自転車などと言う俗っぽく危険な乗り物には乗らない主義だ。もっぱら移動手段は、車、公共交通機関、徒歩のいずれかである。ま、物損や人身事故を起こしたわけではないので、一安心したが、それにしても夜間に狭い道の路側帯を走行する自転車は危険である。一歩間違えば、歩行者に怪我をさせたり、車の一部を壊したりして賠償責任を負いかねないからだ。自転車は車と違い、ナンバープレートを付けていないので、逃げられたら最後特定は不可能である。自転車と接触事故を起こしたら、その場で呼び止め、警察に通報して事故証明をもらう。そして、お互いに過失があったとしても、互いの損傷部分に関する賠償責任を負わねばならない。自転車なんてたとえ傷付いたところで運転可能ならば、ほっときゃあいいし、修理不可能なくらいの損傷ならば捨てて新しい物を買えばそれですむし、大体自転車なんてそれほど高額じゃない。だが、高級外車のドアミラーを破損させれば修理代は10万以上かかる。もし、BMWに乗っていた人が本物のやくざだったら、法外な修理代金を請求されかねまい。それゆえ自転車保険には加入しておいた方がいいし(月額100円プランからある)、後ろから高級外車が近づいてきたら、自転車走行を止め、外車をやり過ごすのが賢明だろう。
電車の中吊り広告を見ていたら、「モノ」と言う雑誌の広告が目に入り、そこに「長財布を持つ人は金が貯まる」と言う文言があるのに気づいた。筆者は折りたたみの財布しかもたないが金は貯まる一方だ。だが、金は貯める物ではなく使う物である。逆説的だが、「金と言う物は使わなければ貯まらない!」のさ。
さて、昨年の12月18日、筆者は予め予約した上で、六本木ヒルズ内にある、ホテルグランドハイアット東京の4階にある、鉄板焼きのお店「けやき坂」を訪ねてみた。午前11時半の開店と同時にお店にお邪魔した。20席ほどのカウンター席がL字型に並んでおり、その内側には、新鮮なお野菜が、まるで市場のようにdisplayされていた。そして食材の仕込みなどをする場所も全てオープンになっていた。先客は皆無で、筆者が一番乗りである。ウエイターに先導され、端っこから三番目のカウンター席へと案内された。目の前には鉄板が敷かれており、コックさんが目の前で材料を焼き、焼き立てを食べさせてくれる趣向だ。ランチコースは四種類ほどあったが、和牛を使用したコースは7900円と10000円のニコースのみで、筆者は分量が少なめの7900円コースを注文した。ほどなくして、焼き手が現れた。彼は一礼した後、漬けにした鮪の赤身に胡麻を巻いた物を鉄板の上に置いた。この焼き手のお兄さん、盛んに筆者に話しかけてくる。そのたびに筆者はいつもの営業用のスマイルで返答してあげた。焼き方に言わせると、このお店は、和風とフレンチテイストを合体させたようなスタイルだそうだ。店内にはクリスマスが近いとあってアヴエマリアなどのクリスマスソングが流れていた。だが、ウエイトレスが「ランチCコース、オーダー入ります」と言うと、ネクタイスーツ姿のウエイター氏が「へい、へい」と言って、いちいち合いの手を入れるのが何だか居酒屋チックで都心の高級ホテルには似つかわしくなかった。鮪ステーキは表面から7ミリほどまで火が通り、中はレア状態であり、実に美味しかった。マスタードとマヨネーズで仕立てたソースで和えたアボガドが付け合せだ。次なる皿は、長崎産の脂の乗った甘鯛のソテー、これにサフラン風味のお野菜と蕪を磨り潰して泡状にした「かぶら蒸し」とが添えられていた。なるほど、今度はフレンチである。だけど、この焼き手職人さん、一見若そうだが、その絶妙な火入れ加減は相当修行を積んだに違いない。焼き手と言うよりも、フレンチのシェフのようである。三番目の皿は、国産和牛のテンダーロイン120grmをミデイアムレアーの焼き加減で焼いたステーキ(画像)である。付け合せの野菜で青い色をした物は、北海道産のクイーンじゃがいもだそうだ。ソースには、西京味噌をベースにした物と、チリソースの二種類が用意された。交互にお肉に付けて食べてみたら、チリソースがぴったしの相性のようであった。最後は、長ネギのポタージュスープとガーリックライス。休日のランチには炭水化物を取らないのが筆者の掟だが、本日はこの掟を破って、ガーリックライスを完食した。漬物はセロリと大根の昆布漬けで、これがまた美味しくてどうしようもなかった。デザートは、後方にあるテラス風の別室に移動して食べる方式で、表参道の「うかい亭」と同じスタイルだったが、多分、うかい亭がこのお店の真似をしたのだと思う。デザートは「お店の自家製のチョコアイスとりんごのコンポート」である。どうして高級ホテルで食べるデザートと言うのはこんなにも美味しいのだろうか?見ると足下にはほっぺたがたくさん落ちていた。サービス料込みのお代は8690円!大満足の「けやき坂」だった。
筆者の毎日は難問解決の連続である。従って、そうしたトラブルシューティングのノウハウは、佐渡の知恵袋解答シリーズの答案作製の際にもいかんなく発揮される。思わず胸をなでおろすような経験はしばしばだし、裁判沙汰もしょっちゅうである。毎日が修羅場の連続だ。だから打たれ強くなるし、少々の事では動じなくなった。この記事がアップされるのは2月の中旬頃だろうが、東京ではクリスマスまであと約1週間となった。ルミネの靴下専門店「タビオ」で、恒例のクリスマスバージョンの靴下(画像)を購入した。それを履いてデニーズに行ったら、店内にいた、見知らぬ20代の女の子から「あ!可愛い靴下」と言われてしまった。女の子は可愛い物が大好き!筆者もそうだよ。バンズのグリーンのスニーカーはたったの6500円だが、発色がいいので非常に気に入っている。
今朝は最低気温が2度まで冷え込んだが、デロンギを一晩中点けっぱなしで就寝しているので、早朝起床のつらさはない。今冬は、ガスファンヒーターを使用せずに、ハロゲンストーブだけで何とか凌げている。どうやらレギンスの防寒作用が効を奏しているようである。毎週土曜日は近くのデニーズで朝食を食べる。いつも「納豆目玉焼き定食」を注文しているが、ベーコンをソーセージに変更してもらっている。デニーズのアメリカンコーヒーはロイヤルホストよりも美味しいと以前記事に書いたが、確かにそのとおりである。このデニーズは個人タクシーの運転手さんの溜まり場になっているようで、午前6時頃ともなると、数名の運転手さんがテーブルで飲食しながら警察の違反取り締まりなどの情報交換に余念がない。中にはアイフォーンを使いこなすドライバーもいて、これでリアルタイムに首都高の渋滞情報が把握できるのだそうだ。
今日のお昼は、職場の食堂で食べた。献立は「松風焼き、ポテトサラダ、すまし汁、ご飯7割」。明日は、六本木ヒルズにあるホテルグランドハイアット東京内の鉄板焼き日本料理店「けやき坂」へ行く予定であり、とても楽しみにしている。
稲鯨の権現清水は、既にけんぱさんによって解答が導かれていたが、その隣の集落である橘の権現清水の発見には相当手古摺っているようである。問題を解いてみて、これは難問の部類に属すると感じた。何故なら、橘の権現清水はほぼ消滅しかかっており、そこには30センチほどの高さの祠しか残されていなかったからだ。まずは橘集落の橘画廊付近に行ってみた。すると、たまたまおじさんが通りかかったので場所を尋ねてみた。おじさんは前方に見える一軒家を指指しながら「あの辺りに清水があったが今はあるかどうか分からんよ」と答えた。ホテル岬へと向かう道の真向かいにこの家へと向かう道があった。この一本道をひたすら北上したら、くだんの家の前に辿りついた。家と言うよりも納屋のようであり、無人である。どこにも清水らしきものはなかったので、おかしいなあ~と思いながら更に徒歩で北上してみた。すると左手に灌漑用水としての溜池があった。池があればどこかに清水だってあるはずと思いながら、付近を見渡すと一人の人影が見えた。これぞ天の助けとばかりに、このおじさんを捕まえて場所を問うてみた。おじさんは「あの納屋の向こう側に林があるでしょ。あの辺りに確か子供の頃に清水があったように記憶しているが」と、やや自信なさそうに答えた。物は試しとばかりに、田んぼを横切り、林の方に向かってみた。すると、左手の草木が濡れており、チロチロと言うかすかな水音が聞こえてきた。ふと見上げたら、小さな祠のような物が見えた。そしてその麓には確かに清水が湧き出ている。本当に勢いの弱い可愛らしい清水である。写真を撮り終えて車に戻ると、あのおじさんが待ち構えていた。当方が撮影した祠の写真を見せると、「これこれ、これに間違いない」と言い、「私はねえ~、ここ30年間、あの権現には行っていないんですよお~、それに心臓を悪くしているのでご案内もできなくて申し訳ありません。でも発見できてよかったですね。これでいい年の瀬が迎えられそうです」と自分の事のように喜んでくれた。そして「この辺りは昨年まで朱鷺が住むくらい綺麗な場所でした。昔はここから二見の台地まで道が通っていたんですよ」と続けた。昨年の12月31日にこの場所を訪ねたが、いい年の瀬の思い出になった。
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今日もオークラのカメリアコーナーへ朝食ブッフェ(3150円)を食べに行った。午前6時半丁度に到着したら、またぞろ、どこぞのツアー客で混雑していた。筆者は、またかと舌打ちしながら、真っすぐパンコーナーへと向かった。お気に入りのプチデニッシュがすぐ無くなる事を前回の傲慢ツアー客連中と出くわした時に学習していたからだ。案の定、これらは残り少なくなっていたので速攻でゲット。次いで、オムレツを取り、ハッシュドポテト、サラダ、ソーセージと、矢継ぎ早におばさんの肩越しから手を伸ばしてそれらを皿に盛った。二皿目は、いつものようにフルーツ。「朝の果物は金」だからだ。これでお腹一杯になった。いつものキャッシャーのおねーさんに伊勢丹Iカードを提示して支払いを済ませ、車に戻った。気象庁前の皇居のお堀沿いに歩道があるが、ここで早朝ジョギングに汗を流す人が絶えない。彼らは雨が降ろうが槍が降ろうが走る事を止めない。御苦労な事だが、健康のためにやっているのだろう。だけど排気ガスまみれの中のジョギングはいかがなものかと思わずにはいられない。
寺巡りと言う物は、ブログのネタとしては実に面白くも何ともない。佐渡の寺の境内はどこもゆったりとした空気と時間だけが流れているが、都会の寺は、鎌倉の長谷寺のように商売上手な坊さんがいて、境内に洒落たカフェなどをしつらえて参拝客を迎えている。無論拝観料を取って入山させているのだから、完全にテーマパーク化している。佐渡では拝観料を取るお寺は根本寺くらいのものだから、島内の寺巡りは格好の暇つぶしにはなる。なるがあ~、山門、本堂、境内の地蔵などを写真に撮ればそれで終わりである。開基は、宗派は、伝説は、と書き並べてもさほど面白くはない。やっぱ、食べ物ネタとスナックネタの方が面白いよなあ~。ところで「佐渡の四季」さんのブログには佐和田の海岸の写真が頻繁に登場する。ブログ運営者は相川在住でその職場は佐和田なのだろうか?「いしかわ」さんと言う諏訪町にある、穴場的な蕎麦の名店をご存知なくらいだから多分そうなのだろうと個人的には思っている。そして、佐渡の知恵袋に出題される「公園シリーズ」に短期間に全問解答すると言う離れ技を演じた、佐渡の公園のエキスパートたるNo31さんは、平日に探索活動を行っていらっしゃるようで、寺院跡地にも詳しいようですので、多分お寺の住職さんかあるいは佐渡市役所の職員さんではないかと推察いたしております。
ホテルオークラのクリスマスツリー
この林を意外にも国道の近くで発見した。勿論、発見できたのは地元の人の案内があったからである。まずどこで尋ねようかと色々思案を巡らせてみた。まず金井の六差路交差点を「かにっこ」がある方向へ向けて進んでみた。すると「かにっこ」の入り口には木の板が嵌め込まれており、残念ながら閉鎖されていた。「かにっこ」は佐渡の翼と言うブログが、蟹専門店として推奨しているお店であった。あのブログが褒め上げると店が潰れると言う事例が続いている。佐和田の「侍」しかり、「潤采」しかり、羽茂の「ボアール妹背」(現在はイタリアンレストランに変身)しかりである。まるで褒め殺しのようだ。
話は横道にそれたが、この道を真っ直ぐ進むとやがて坂になり、坂を登りきると道が二手に分かれているが、そこを右折してみた。しばらく行ってから何となく左折してみた。雪道をそろりそろりと進むと右手に立派そうなおうちが見えた。観光客だと名乗ると真剣に話を聞いてくれそうなおうちは大体外見で判断している。このおうちに飛び込んでみたら、書道の先生のおうちのようであった。先生ならば、何でも知ってるだろうし、親切に教えてもらえそうだと思いながら玄関を開けてみた。するとおじさんが現れたので、飯田新兵衛のもちのき林の場所を尋ねてみた。おじさんは「ああ、あの木ねえ~、ちょっと説明しにくい場所にあるので地図を描いてあげよう」と言った。そしておじさんの地図を頼りに進む事にした。中興神社を右手に見る場所に到達したら、真っ直ぐ国道方向に向けて行くと、お寺さんが二つほどあり(世尊院と西蓮寺)、そこを過ぎると変形の四差路に出る、ここの角が飯田新兵衛家で、そこを回り込むとくだんの木があるとの事だった。現場に到達したら、コーポ安曇野と言う佐渡建材寮の真向かいで、青山香齋葬儀場の斜め左方向にその木があった。ここから国道へは目と鼻の先の距離である。こんな所に巨木があるとは実に意外だった。案内看板もあったので飯田新兵衛のもちのき林に間違いはなかった。林には大木を途中でカットしたような物もあった。それにしても国道から至近距離の場所にこんな巨木があるなんて、佐渡と言う島は実に不思議な島である。
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高級レストランや高級キャバクラなどの話は佐渡島民はもう飽き飽きしているだろう。と言うよりもそれらは佐渡にはないし、そもそもそうした物には縁がない人がほとんどなので読んでもつまらなくなるだけでしかなかろう。ババアしかいない飲み屋は佐渡には掃いて捨てるほどある。キャバネタよりもババアスナックの話の方が遥かに面白かろうて。そう思い、若キャバを出た後、筆者は都内某所のババクラに入ってみた。お店の入口には「パブクラブ」とだけ書いてあり、「当店はキャバクラではありません」との但し書きがあった。何だか両津の「瀬里奈」のようである。お店に入ると、44歳のママさんと30代後半のおねーさんとがいた。聞いたらば、女性スタッフはこの二人だけだと言う。おばねーさんは先客のおじさんの接客中だったため、ママさんがお相手をしてくれた。ババネーサンを相手に酒を飲むのは佐和田の「まつはま」以来だなと思いつつ、ウイスキーの水割りを注文した。ママさんは問わず語りに、「近くにキャバクラができちゃったので、うちは年内一杯をめどに、店内ではなくて人員をリニューアルする事にしたのよ」と言った。それまでは20代の子もいたそうだが、ママと一緒に並んで接客すると「おまえら、親子か?」と言われそうなので、せめて姉妹くらいの年齢差にしようと言う事で、30代、40代でスタッフを固める事にしたそうだ。そして、「キャバクラならば1時間で5~6千円ですが、うちはゆっくり飲んでもらいたいので、90分で5千円の料金設定にして、棲み分けているのよ」と続けた。このママさん、黒のスーツに身を包み、一見細身に見えたが、ウエストは67センチだと言った。ラブジャンキーズのママさんの「あたし達のウエストは60越えてませんから」と言う発言、ありゃ絶対嘘だ!よく性風俗のHPに公称ウエスト58センチなどと記載されているが、あれも嘘っぱち!そんな細い女は鶏ガラで、むしろ病的な痩せ!健康体の若い女性のウエストの適正サイズは60から65の間であろう。そしてママさんは筆者を見ながら「あたしより三つ四つ上の年齢かしらねえ~」とつぶやいた。
筆者は、その日、ユニクロの白クレリックシャツにユニクロのレディースサイズのカーキのボーイフレンドチノパンツを穿いていた。だが、羽織り物はサイドスロープのピンクのカーディガンであった。ママさんは「上下ユニクロならば、そのカーディガンもユニクロ製で980円でしょう」と値踏みした。このママさん、人はどうだか知らないが、物を見る目は全くなかった。実はこのカーデイガン、二万円もしたのだ。お値段がお高い理由は、このカーデイガンが、ピリングと呼ばれる所謂毛玉を作る現象が全く生じない特殊生地で出来ている事と、洗濯機でウオッシャブルと言う二点である。筆者は、このカーディガンが気に入っており、色違いでグリーンとブルーも持っている。ママさんは、カーディガンの表面を何度も手でさすりながら、「ほんとだ、毛玉ができない!」と驚いたような声を上げた。そして「その色、赤ですか?」と尋ねた。筆者が首を振りながら「暗い所で見ると赤に見えるけど、実はピンクなんだよ」と答えたら、携帯電話機を取り出し、そのライト機能でカーディガンを照らしながらまじまじと観察し直し、「あ、ほんとにピンクだあ~」と叫んだ。ママさんは更に、筆者が履いていたアルベローラ(スペインブランド)のフエルト生地製の可愛いデッキシューズを目ざとく見つけ、「それってえ~、12000円くらいですかねえ~」と言った。やはり物を見る目がない、この靴の値段はたったの4500円だ。そしてママさんは筆者に靴を脱ぐように命じた後、素早く靴を左手で掴み、その靴の中にスッースッーと自らの右手を二三度入れたり出したりして、「わあ~柔らかいですねえ~」とはしゃいだような声を上げた。普通う~、クラブで客の靴を脱がせて、その中に手を入れる女っているかあ~?このママさん、足フェチなのかあ~?何だか自身の性器を触られたような妙な気分だった。すると常連おじさん4人組が入店して来たので、ママさんは彼らのテーブルセッテイングのために一旦席をはずした。ママさんが戻ってきたところで、筆者がお会計をと言い五千円を差し出したら、ママさんは「会話が中途半端になったので千円おまけしておきますね」と申し訳なさそうに申し出たが、筆者はそれを断り、トゥモロウランドのガンパッチ付きのグリーンのステンカラーコートを羽織って外へ出た、ママさんは筆者を見送りながら「あ、その上着、グレーに見えたけど、グリーンなんですね」と言い、最後まで物を見る目は無かったが、人を見る目はあった。
一体どうやって、けんぱさんがこの木が羽茂の草刈神社境内にある事を見抜いたのか知る由もないが、取り合えず草刈神社を訪ねてみた。どっしりとした茅葺屋根が印象的な能舞台で有名な神社であるが、くだんの樹木の案内看板は拝殿の右横にあった。初回訪問時には気にも留めなかった看板だが、こういう形で改めて問いかけられると、じっくりと見入ってしまう。連理とは、「樹木の幹や枝が一緒になっている様を形容する言葉」である、男女の仲睦まじさのたとえにも用いられるそうだから、この神社は夫婦和合、縁結びの神様なのかもしれない。この木はサカキで、暖性地帯に生える木であり、佐渡には自生しない。地上から3メートルほどの所で左の幹から伸びた枝が右の幹を貫いている。と言うことは、左が雄木で右が雌木の関係、夫婦岩ならぬ夫婦木とでも形容したくなる樹体である。サカキとは神事で使用される植物ゆえ、神社の境内に移設されたのであろうか?このような形の樹木を目の当たりにしたのは初めての経験だった。
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昨日は日曜日、ロイホでいつもの朝食を食べ、ガソリン給油後伊勢丹駐車場へ。いつものように丸井の2階のスタバに行ったら、珍しく満席のご盛況!仕方なく、携帯片手にノートに何やら記入しながら、お仕事だか、お勉強だか分からない作業をしていたおねーさんの向かいの席に相席の許可を得て座った。筆者がそのおねーさんのノートの文字をじいっ~と見つめていたら、おねーさんは上目使いで「やりにくいなあ~、もお~」とでも言いたげな表情を見せた。筆者は、心の中で「こんな所で、しかも日曜日にだよ、勉強だか仕事だか知らないけど、そんな事しなくてもいいだろう、自宅でやれよ」と思い切りつぶやきながら、慌てて新聞に目を移した。これが美人だったら「お仕事大変そうですね」とか何とか言ってナンパする誘惑に駆られる所だったが、スタバで一人で座っている女は例外なくブスである。ブスはいらんよ。それから太目の女も生理的に受け付けません。
中央線に乗って東京駅へと向かったら、車内でカップルがいちゃついていた。女が、「エリクソン」と言うソニー製のアンドロイドスマホを操りながら、「お昼を食べに行きたいんだけど、行く場所をまず見つけなくっちゃ」とタッチパネルに指を滑らせてぐるなびの飲食店検索を始めた。筆者は心の中で「馬鹿だなあ~、そんなので検索して出てくるお店はレベルの低い店ばかりさ、多分金持ってないんだろうな、この連中は」と思った。デートでランチを食べに行く場所くらい事前にリサーチしておくべきだ、行き当たりばったりほど経済的なロスが多いものはないと言うのに。。。スマホは携帯電話が進化した物ではなく、パソコンが小型化した物。画面が小さいとか入力しづらいなどの欠点はあるものの、常に持ち歩けると言う機動性が武器であり、利点だ。しかし、筆者は、常時リアルタイムで情報チェックを迫られる営業職では無いので、そんな物は不要さ!
さて、そんな馬鹿っプルは置いといて、筆者は銀座経由で新宿に戻り、高島屋のトゥモロウランドへ行った。そこでいつもの店員さんにご挨拶した後、三越アルコットへ移動し、バナナリパブリックを覗いてみたら、もう前倒しでセールを始めていた。この三越アルコット、今年の3月末で閉館となり、跡地には家電量販店が入居する予定らしい。そのせいと、節電による店内の暗さが加わり店内テナントはどこも火が消えたような寂しさで、気のせいか客足も少ないように感じられた。そんな中、このバナリパだけが賑わっていたのはセールのせいだった。1ヶ月前には、Sサイズが在庫切れと言われた、いい色目のパープルのブイネックニットが30%オフで売られていた。最後の一枚だったので、勿論、速攻で購入した。「安い買い物をしたな」といい気分になり家路についた。
佐渡の智恵袋解答シリーズは佐渡の翼の独壇場かと思われたが、昨年12月頃から、「けんぱの日記」さんがこのシリーズに御参戦になった。ご退職後、再就職が決まるまでの暇つぶしにと、在住地の相川の未解決問題を始めとしてその幾つかにご解答になった。さすがは地元の人である、探すのも速ければ、場所を的確に言い当てるのも速いし、グー地図での場所特定も的を射ている。やはりこの解答シリーズは地元の人々にご参加頂くのが最善にして最速の方法かと感じ入った次第である。そして率先垂範してやり続ければ必ず追随する人は出てくる、そう確信した次第でもある。
さて、この津村節子文学碑は、既に「けんぱ」さんによって正解が導かれているが、改めてこの地を訪ねてみた。「けんぱ」さんに先を越されたため探し出す楽しみは減ったが、検証作業も又楽しいものだ。佐渡金山第5駐車場に大切山坑があり、その手前に大立公園がある。この公園内に津村節子文学碑があった。文学碑は二つあり、それらには、昭和四十年に講談社から出版された佐渡鉱山を題材にした、水替無宿の青年と遊女の愛を描いた長編小説『海鳴』の一節と取材時の作者の所感が刻まれている。一つには、「慶長六年に三浦治兵衛ら三人の山師に発見された鉱脈は、鮎川の渓谷をさかのぼり、鬱蒼とした茂みをぬけたところに、燦然と、その露頭を現していた」と言う小説の一節が刻まれていた。山師と言うのは「試験で山をかける」と言う言葉があるように、ばくち打ちのようなものだ。のるかそるかの大勝負に出て、一発逆転を狙う勝負師の事だ。当たれば一攫千金だが、はずれれば、奈落の底に突き落とされる。佐渡金山を発見した三浦治兵衛らは、その独特の嗅覚で、濁り川の上流に金脈が存在する事を嗅ぎ取っていたのだろう。鶴子銀山の鉱脈が途絶えると、彼らはその北方に必ず金脈があると信じ、相川に辿り着いたのだ。大した執念であるし、鉱山学の基礎知識なども乏しい時代によくぞこれだけの鉱脈を発見したものである。そしてその掘削技術は現代の最先端技術に比較すれば驚くほど幼稚で拙かった。だから、あれだけの悲哀の歴史と掘削技術の蓄積伝承が形成されたのだ。
もう一つの石碑には、「望郷の念に駆られながら、若い命を相川に埋めた無宿人たちの、かすかな声が、石や草の蔭から、聞こえてくるような気がする」とした取材時の所感が節子直筆の文字で刻まれていた。現代に置き換えれば、その日暮らしの日雇い人夫とソープランドのソープ嬢との悲恋話、道ならぬ恋物語である。左手前方を見上げたら、雪を被った道遊の割戸が真近に迫って来た、物凄い迫力である。過酷な鉱山労働に耐えかねて、若いみそらで世を去った無宿人たちの無念で悲痛な叫びが切々と伝わって来る。この地こそが佐渡の原点である。様々な階層の、様々な職種の人々が織り成す歴史絵巻、それが金山華やかなりし頃の相川の街そのものだ。佐渡金銀山へは、幸田露伴や与謝野鉄幹・晶子など多くの文人が訪れており、それらの文学碑はそこかしこにある。是非とも歴史文学散策のために相川の地を訪ねて頂きたいと思う。
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筆者が最近ほぼ毎日チェックしている島内関連ブログは、相川の大工町在住の方が管理運営する「けんぱの日記」と、同じく相川在住の方の手になるプロカメラマン顔負けの写真ブログ「佐渡の四季+α」である。いずれも佐渡の智恵袋解答シリーズの答案作製の際にお手を煩わせたり、参考にさせて頂いた方達のブログである。これらを読むと、移り行く佐渡の四季と相川の寺町事情が本当によく分かる。文章の面白みや視点の捉え方、分析力に於いては当ブログの比ではないと思っているが、ご一読頂ければ幸いである。このお二人、片や子連れで、片やプロカメラマン風、金山隆盛期には10万人以上が住んだと言われる相川だが、今や8千人足らずしか住まない一寒村、どこかで顔を合わせているのかもしれない。
昨日は、仕事が終了後、久しぶりにキャバクラへ行ってみた。と言っても、いつもの六本木の高級キャバクラではなく、佐渡の「パレス」と同等の時給額で働くキャスト達がいる都内某所の場末キャバクラである。一時間で5万も支払う六本木もいいが、たまにはラーメンでも食べる感覚で、こんな安っぽい田舎キャバクラで遊ぶのもいいかなと。そう思いつつ、最初の20分が2千円と言うキャバクラへ潜入してみた。キャストは全員20代のピチピチギャルばかりのキャバクラであり、この上の階には「熟女専科」と言うババクラが併設されていて、幅広い年代層の客達に対応していたのはさすがは都会の田舎であった。午後8時頃に客引きのおにいさんに案内されて店内に入った。入り口近くに、透けたカーテンで仕切られたキャストの待機場所があり、ここで、まるで動物園の檻の中の可愛い動物を見るかのような感覚で好みのキャストを品定めし、その場内指名ができるシステムのようであった。先客が二組ほどいて、キャバ嬢達と無邪気に戯れていた。筆者はボーイに先導されて、二人掛けのボックス席に座った。ほどなくして最初のキャストがご登場!まだ学生だという、下腹がやや出っ張り加減の(画像のような感じ)、ころころしたギャルである。盛んにしつこく筆者の連絡先を教えろと迫ってきたので断るのに苦労した。10分経過したところで2番目のキャストにスイッチ。多分頃合を見計らってドリンクをおねだりしろと教育されているのであろう、キャストが代わるたびに彼女らは例外なくドリンクのおねだりを始めた。そしてドリンク代は500円均一の前金制である!いちいち前金と言うのも煩わしいが、明朗会計と言う点に於いてはこのシステムが最善だろう。2番目のギャルは、胸元を深くVの字にカットし、胸の谷間を強調した赤いセクシードレスでご登場!なかなかいけたギャルだが、知性の方はどうだか分からぬ。盛んに筆者に向かって「お洒落ですねえ~、小物選びのセンスがいいですねえ~、アパレル関係なんですかあ~?」とお追従を並べた。後でHPで調べてみたら、前職は、佐渡のパレスに在籍していた桜田ミリア同様パチンコ屋の店員だった。20分が経過したところで、ボーイがやってきて跪きながら「延長料金は40分5000円でございますがいかがいたしましょう?」と問うた。筆者が二つ返事で頷くと、三番目のキャストが現れた。今度はやや出っ歯気味のキャストで、20代後半だと言うが、どうみても30代前半である。毎晩、ジュースで割った酎ハイを飲まされるので太るのが悩みだと彼女が漏らしたので、それをきっかけにダイエットの講義が始まり、それで20分が終了した。4番目は吐く息がタバコ臭い、今時ギャルである。服飾専門学校に通っていると言っていたが、そのくせ、「コンサバ系」とか、「セレクトショップの路面店」の意味が分かっていなかったので、どういう専門学校なのであろうか?4人のキャスト全員が名刺をくれ、そのうちの二人が、名刺の裏面に携帯のメルアドを記入していた。筆者が「客からメールが来た時の対応」を問うたらば、「無視せずに返信するが、話の続きはお店でね、と言うパターンで終始するのだ」と答えた。これで残りの20分が終了し、きっかり一時間でお開きとなった。つまみにミックスナッツ盛り合わせ(1000円)を注文したので、総計は1万円である。せっかく会話が盛り上がったところでキャストが代わるので所謂中折れ状態の連続であり、不完全燃焼のままお店を出た。ちなみにババクラの平均年齢は30代後半だそうだ。キャバクラの世界では女は30を過ぎるとはやババアの部類に入り、中でもクソババアと呼ばれる女どもは、お店を辞めて、自分の店を持ちたがるのだそうだ。
「佐渡国は700年代に成立し、一時越後国に編入されたが、天平勝宝四年(752)に分離独立し元に復した。国府は国仲平野の国府川流域に置かれたが、現在その位置を特定するのは難しい。ただ、1975年真野町竹田で農地の整備作業の際に発掘された下国府(しもこう)遺跡では、二棟の掘立柱(ほったてばしら・地面に穴を掘り、そこに柱を立てた)の建物と多くの須恵器、土器が出土し、佐渡国府に関連する官衙又は官舎跡ではないかと推定され、翌年に国の史跡に指定された」。従って、発掘時期はそれほど古くはない。「掘立柱建物跡には、木の植え込みがある。東西34m、南北36mの四角形の遺構は、二重の堀に囲まれている」と物の本には解説されているが、実際に現場を訪ねてみたら、堀は二重ではなく一重でしかなかった。何をもって二重と言うのだろうか?「この遺跡の所在地は、17世紀末の元禄検地帳に「下国府」の名で記されていること、そして南に佐渡国分寺があることなどから、佐渡国府に関係する建物の一つと考えられている」以上が歴史的解釈である。私は、冬のとある日に、この史跡を訪ねてみた。県道の南線に面しており、大佐渡山脈を背景にして建つ遺構だが、木の植込みとそれを取り囲む堤のような物があるだけの殺風景な場所である。歴史に興味のない人にはこの遺構の価値などは分かるまい。
一方、下国府遺跡の近くには檀風城跡がある。現在では北越佐渡工場の敷地になっている。「雑太(さわた)元城」とも呼ばれており、本間氏惣領である雑太本間氏の初期居館跡とされている。正中の変で佐渡に流された日野資朝を預かることになった本間山城入道という人物はこの館に居を構えていたとされており、資朝の歌から檀風城の名で呼ばれるようになった。その歌とは、「秋たけし檀(まゆみ)の梢(こずえ)吹く風に沢田(雑太・さわた)の里は紅葉しにけり」というものだ。城跡には、「日野贈二位公旧跡」と書かれた石碑があるとの事だったがそれはついぞ見つけられなかった。
ネットで検索したら、佐渡には雑田城と呼ばれる城跡が二つある事が分かった。一つは阿仏坊妙宣寺のある台地上にあり、もう1つは下国府遺跡の近くにある。どちらかが、古い時代の雑田城(日野資朝が幽閉されて殺害され、熊若丸がその復讐を果たしたという「太平記」に出てくる南北朝時代の城)で、もう一方が戦国期の城ではないかと思われている。「現状ではその構造から、県道沿いの檀風城の碑が建っている所が雑田元城で、妙宣寺のある所が戦国期の城ではないかとされているが、妙宣寺の建立が古い時代であったことや、妙宣寺の境内に日野資朝の墓地があることなどから、両者の関係は正反対ではないかという考え方もあり、今の所歴史学者の間でも結論は出ていない」そうだ。