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<リアル ボクシング ルポ> 成松大介、2等陸尉自衛官。リオ五輪にライト級で出場!122戦して、どのくらい強いかっちゅうと・・

2016-07-20 23:03:00 | ボクシング

 成松大介(写真左下)のことを知ったのは、最近のこと。

 

 信頼している、とあるプロボクサーがいる。彼は先月、再起戦に完勝し、今は再び、次戦に向けて練習を日々重ねているさなかの、いわば衝撃の出来事!

 彼はすでに、プロ23戦も経験、日本ランキング入りしていて、タイトルマッチにも挑み、惜敗した実力の人間だ。まだ、27歳の、伸びシロ一杯。

 そんな彼が、つい最近、スパーリングした相手に、”フルボッコされた”と言う。

 ええっ!フルボッコとは、フルに、全ラウンドにわたって、ボコボコにされたという意味

 そんなすごい選手が、プロにいるのかよ! ボコボコは、まま有るけれど、フルに完璧にやられたというのは、ついぞ聞いたことが無かった。ジムに取材に行って、彼のスパーリングをじっくり観戦していても、ソレはただの1度も無い。

 そんな強いボクサーって、いったい、相手は誰だったんですか?と聞いた。

 なんと、リオ五輪に出場する成松という選手とのこと。

 「うまくて、何より、対応力がピカイチでした!連戦連勝により、身に付いた強さでしょう」

 てえことは、アマチュア? 連戦連勝??

 あわてて、ざっと調べてみただけでも、104勝18敗。レフェリーストップも含め、KOは、32。

 ほえ~っ!

 産まれは、1989年12月14日、現・熊本市。熊本農業高校で頭角を現し、3年生の時、高校総体3位。国体で、優勝。東京農業大学に進み、以降、日本選手権6連覇。

   五輪といえば、4年前のロンドン。この時は、成松、国内敗退。村田諒太(りょうた)は、ミドル級で金メダル。清水聡(さとし)はバンタム級で銅メダルを獲得したことは、ボクシングファンならば、記憶の片隅に残っているはず。

 村田が金メダルを獲ったことにより、にわかに清水も脚光を浴びた。

 それも、ひどい、デタラメな判定で、あやうく敗退させられるところだったことまで、ボクシングフアンに知られるまでになった。

 バンタム級で出場した清水。

 勝ち上がっていくなかで、とんでもない事実が報道された。アゼルバイジャンの選手が、勝ちたい為に日本円に直して、6億8000万円ものワイロをジャッジやレフェリーに渡していたというのだ。

 にわかに信じられない高額。だが、ワイロの意識は無いが、受け取った事実は全員が認めた。

 清水は、なんと準々決勝でその選手と対戦。

 まあ、次から次へと信じられないジャッジとレフェリングが飛びだした。

 アゼルの選手。ラフで、大振りなパンチで、都合2度、清水はダウンしかけたが、すぐファイテイングポーズをとったから良かったものの、アゼルの選手がダウンしても、カウントも数えない。

 黙って、立ちあがってくるのをじっと、ゆっくり待ち続けるレフェリー。

 打ち込まれると、かぶっていたヘッドギアがずれたとの意思表示。でも、かぶり直しもせず、休む有り様。それも、何度も何度も・・・・・。

 そして出た判定は、清水の敗け。

 アタマにきた清水は、自分で試合後、すぐさま直訴。

 「この判定は、誰が見てもおかしい。疑惑だらけだ。明らかに自分が勝っていた。判定を、もう一度やり直して欲しい」と。

 そして・・・・判定は、くつがえった。清水は勝ち上がり、試合結果は銅ではあったが、勝って銀を手にしてもおかしくない小差であったように、今も記憶している。

 プロ向き。そう感じた。

 むしろ、金を手にした村田ではあるが、決勝戦は僅差。明らかに、村田がハッキリと獲ったラウンドは皆無のように見えた。何度も、再生して観たが・・・・。

 プロボクシングの選手やトレーナーは、村田の方がプロ向きだと、誰もが言った。そうかなあ・・・と、自分。

 あれから4年。

 2人とも、帰国後、プロ転向を否定していたのに、あららあ!?・・・・・・

 村田は、勤めていた大学職員としての退職金相当額を、プロのジム側と、フジテレビ局から提示されたとたん、コロッと転向、心変わり。

 節操や、かたくなな信念など、何も無い性格。

 名義上の所属ジムと、実質上のジム。そして、アメリカでの練習ジムまで与えられたのに、真剣に練習メニューに取り組んでいないサマが、結果になって露呈。

 勝って当然のラクな相手をマッチメイクの力量で与えられたのに、いずれも苦戦し、ワンパターンのコンビネーション。走り込みをしていないため、スタミナが無い。ボディ打たれて、うぐっ! ゼ~ゼ~ハ~ハ~の連続。

 世界どころか、日本のベルトさえどうかな?という、自堕落なタレントボクサー三昧生活。果ては昨年、「クールビズ」のモデルにまでなっての、さもしい荒稼ぎ。

 肝心の試合の視聴率も、知名度も、1試合ごとに、もっか下がり続けている。

 一方の、清水聡(さとし)。成松と同じ、自衛隊体育学校所属勤務。朝霞自衛隊基地の中にあり、いわば「仕事」は、ボクシングの練習。それに専念し、国家公務員に準じる給与がもらえる。

 良い環境と言えば、これほどない、恵まれた環境。

 だが・・・・・・そこを飛び出し、民間企業の「ミキハウス」に所属。会社の広告塔の一員となって、給与をもらって、ボクシングに専念。

 どうやら、銅以上のメダルを狙って、今度の「リオ五輪」にも連続出場を!と考えていた。

 そして、出場枠を狙って、階級をひとつ上げて、成松のいるライト級に挑戦。

 今年1月に開かれた「国内選考会」。互いに、見知った仲。勝負は、接戦に持ち込まれた。

  偶然のバッティングで、清水は前頭部を切り、損傷。

  成松は、右まゆ下を切った。

  まだ2ラウンドであったが、このラウンドで選考のための試合は中止。

試合は、両者負傷判定で引き分けみたいになり・・・・・。

 

 その後の選考会議で、成松がリオへの出場権が与えられ、清水は万が一、成松がケガなどで欠場せざるを得なくなった場合の「補欠」扱いに。

 その差は、「紙一重だった」という

 報道でそのとき目にしたのは、清水が五輪に出られなくなったということ。相手の名前などは、報じられないほどの小さく、短い扱い。

 だから、その時、へ~、清水より、このクラスで強いボクサーがいるんだ、と驚いたくらい。まさか、その勝者扱いされたのが、この成松大介だとは、知るよしも無かった。

 その後も、成松大介の「成」すら目にせず、耳にせず。

 むしろ、リオ五輪への道を閉ざされた、すでに30歳になった清水聡の行方に、マスコミの関心が向けられていた。

 7月5日。清水は、大橋ジム入りを表明。ここからプロの道を歩み始める。

 4年前と周囲の事情は、まるで違う。争奪戦も、熱い勧誘も聞いていない。支度金や契約金も、一時金も無いはず。

 ミキハウスのような潤沢な給与は今後、もらえない。夕方までアルバイトに明け暮れ、ゼロからのスタートになる。ただ、マッチメイク能力は抜群にあるジムなので、階段昇りは早いであろう。

 密室での選考会議の結果という疑問が残るが、五輪に出られないと決まってからの、苦渋の末の遅咲きの決断。成松の存在によって、決断させられた。

 にしても・・・・・プロボクシングでさえ、世間の認知度、浸透度が低いのに、ましてやアマチュア。このリオ五輪に、もうひとり、バンタム級で選ばれ、リオ五輪に行く選手がいたことは、この記事を打つにあたって、私でさえ初めて知った。

 本日、成松の所属している「自衛隊体育学校」の、「渉外広報班」に問い合わせた。

 ---結構、こまめにスポーツマンのドキュメンタリー番組はチェックしているつもりなんですが、成松選手を単独で追い続けた取材番組は、1本も観たこと無いんですが、有りましたか?

 「いえ。1本もありません」

 ---取材を手控えていらっしゃる?

 「いえいえ。申し込みが今まで1本も無いんですよ」

 そりゃあなあ・・・・・・・。誰も知らないのも、知られていないのも、無理はない。もっとも、4年前だって、メダルを2人が獲ったから大きく報じられたわけで、無冠だったら、だ~れも振りむかん!

 日本一になったからといって、アジア・オセアニア地区予選で3位以内を勝ち取らなければ、リオには出られない。

 3月末、成松は中国にわたり、60キログラム級決定戦に出場。ヘッドギアは無し。

 宿敵ともいえる、タイのオトコン・ダライに敗け、成松は4月2日。3位決定戦にまわった。

 相手は、中国のシャン・ジュン。

 動画映像を見ても、もはや完全アウエー。すざまじい相手への応援と、大歓声。

 それでも、大振りながら、大拳闘!

 見事、3-0の、正しいジャッジを得た。

 「やったあ! オリンピックだあ!!」

 そう、成松は、リング上で叫んでいた

 「実は・・・」と、試合後、告白。

 ひじ、手首、腰、清水との激闘で切った目尻など、満身創痍のケガだらけ。痛みだらけだったと言う。

 「この試合に負けたら、正直、引退するつもりで、臨みました。いや、プロに行く気はありません。アマチュアでの引退を覚悟してました」

  現在は、二等陸尉。二等陸曹と、位を低く書いてあったものも、ネット上に氾濫していたが、間違い。

 だが、例え、リオでメダルを獲っても、昇格、昇給無し。報奨金が出るわけでは無いそうな。

  メディアにまったくと言い切っていいほど取り上げられない、リオ五輪出場の「ボクシング選手」。

 彼はまだ独身、基地内の、寮暮らし。

 その両腕の筋肉の付き具合たるや、体操の内村航平並みだ。

 ちなみに、五輪に自衛隊体育学校から出場する選手は、9人もいるというのに、目下のトコロ、注目度ゼロ。

 先に、熊本市出身と書いた。

 4月14日、凱旋帰郷のつもりで訪ねたら、大地震に彼自身がみまわれた。続く16日の本震も体験。

 実家のフトンにくるまって寝るどころの騒ぎでなく、しばらく避難所と、車中生活の日々。

 両親と祖父に別れを告げて、帰京したという。

 リオに渡る前には、この7月28日。日本ボクシング連盟のワンマン会長が主導して、選手2人が東京で23日から31日まで合宿中にも関わらず、その合間をわざわざ割いて、遠方である広島のホテルで、会費なんと1万円をとっての「壮行会」が開かれるという。

  試合の皮切りだけは、すでに決まっている。

 日本時間、8月5日の開会式のあと、6日、成松にとっての1回戦のゴングが鳴る!

 なにかと不正と疑惑だらけのジャッジが横行する五輪ボクシング界。相手は、抽選により、現地で決まるそうな。

 メダルを獲らなきゃ、タダのヒトで帰国の運命。

 さあ、どうなるか!?

 少なくとも、成松大介という名前とこの顔だけは、記憶の片隅に残しておいてください。

 

 

 

 

 

 


怒れる故・愛川欣也の「遺志」を、堅く継いでくれる大橋巨泉!太田光のバカを、激論で凌駕した

2016-07-20 13:23:32 | 政治屋の、飽くなき犯罪

 <2015・4・19 掲載記事>

 愛川欣也が、自らの体をむしばみ始めた病と、老い始めた身体にムチ打って、発言していた心を知って戴きたく、書いた一文。

 予想以上の人に、読んでもらえたようです。

 その「遺志」を、大橋巨泉が、継いでくれるのではないか!?

 秘かに期待し、TBSラジオに、本日4月19日、午後4時前、周波数を合わせた。

 ガンと闘いながら、元気さを装いながらも、かの大橋巨泉。従来のキャラクターを前面に押し出しながら、約1時間。

 嬉々として、新宿御苑へ出かけ、他の1万5000人のなかの1人として、時の政権に「利用されている危険性」を痛感もせず、葉桜を見に行った、お馬鹿極まりない、太田光を、論破、凌駕していた。

 

 メディアへの圧力に関しても、巨泉、正論!

 大橋巨泉にまで、「桜を見る会」の招待状を、見境なく「有名人」に送りつける、「政権の仕掛けるメディア戦略」に、背筋が凍った。

 それにしても・・・・・このところの、太田光の勘違いと、思い上がりには、あきれ果てるしかない。

 新進直木賞女性作家に対して、自分も売れっ子作家の1人だよ!と言わん馬鹿りの発言と、控えめさ皆無の言動。

 日ごとに、あきれている。

 それにしても、ポロリと巨泉がもらした、衝撃の発言。

 「俺の命も、年内一杯だろうけど」の一言。

 キンキンに代わって、今の時代の危険性、おかしさを、言い放ち続けて欲しい。息、引き取るまで!

 巨泉自身に、インタビューしたことは、無い。

 が、かつて、TBSの旧局舎の「クイズダービー」の、出演者控え室に行き、取材約束をしていた回答者に取材を隅っこでやろうとしたら、

 「今、やるのかよ!」と、巨泉の大声!

 中止して、後日に変更するしかなかった、苦く、嫌な想い出がある。

 見事!と、言うほか無いほどに、現場を仕切っていた。

 「何かい? 俺さまに挨拶無しで、取材始めようって言うのかい!?」

 言外に、そ~ゆう厳しい目線。

 俺が天下の巨泉だあ! 文句、あるか!

 巷間マスコミでも報じられていたイメージ、そのまんま!

 今となっては、懐かしい想い出のひとつだ。

 太田光に、ひとこと、言っておきたい。

 つけ上がるのは、良い。他の芸NO人も、そうなりがちだから。

 ただ、安倍晋三が、「(番組に)出ても良いですよ」と言った裏側には、この、今、まだ人気があるらしい馬鹿を利用してやろう! という、危険性に満ちた、計算づくの言葉・・・・・であろうことに、気付いて欲しいのだが・・・・

 無理かなあ? このバカには・・・・・・

 

 


<リアル 芸能 ルポ>永六輔の死去、わずか5日後にか・・・・。大橋巨泉の、報道されていない、知られざるハナシ

2016-07-20 13:22:44 | ニュース

 大橋巨泉、82歳。

 やはり、あの世へ逝ってしまったのか・・・・・・・。

  本日も、再放送された「徹子の部屋」での、この容貌を見れば、存命はさほどこの先、長くはないな・・・・・と、想像させた。

 今月に入ってからは、さらに往年の面影も消え失せるほど、顔だけでなく、体全体がやせ細っていった。

 それにしても、よく訃報で、「後を追うように」という表現が、まるで常套句のように使われるが。この2人の場合ほど、それが当てはまるケースも、また無い。

 永六輔が7月7日。その死を公表したのが、4日後の11日。そして、大橋巨泉が亡くなったのが、翌日の12日。

 すべてを滞りなく済ませたのち、公表は本日、7月20日ではあったが・・・・・・。

 著名人の他界の公表は、今後もこのようにすべてが終わってひと段落過ぎてからというのが、今後は通例、常識化しそうだ。

 

 この8日過ぎてからというのは、所属事務所の担当者によれば、「喪主である、妻の寿々子さん(写真上)を始め、家族の意向でもあり、なによりご本人がそれを生前望まれていたようにうかがっています」とのこと。

 芸能界に、良くも悪くも大きな足跡をキッチリ残した人物だけに、このままひっそり、誰知ることも無く・・・・は許容されるわけもなく、「お別れの会」は、現時点では、8月末から9月頃を予定しているとのこと。

 ちなみに、この妻は、結婚する前は、多くのファンがいた人気アイドルであったことを知るひとは、少ないであろう。

 近年、その大橋巨泉の、真っ向勝負の、正論とも言うべき発言が気になり、爆笑問題の太田”思い上がり”光との激論などを記事化。多くの検索を戴いた。再録致しましたので、お読み戴ければ幸いです。

 ただの1度だが、見かけた際の言動、傲慢不遜さは、太田の記事で書いた通り。

 が、嫌われようが、まったく意に介さず。最期の最後まで、我が道を突っ走って消え去った。

 にしても、インターネット情報の、デタラメさ。

 所属事務所が、間違って記載されたまま。しょせん、そんなものとは想うが、それをオーケーオーケーと、確認もせず、書くやつが今後出てくるはずだ。

 他界した際、入院していた病院名は、所属事務所の担当者によれば「公表は、しません。公表すれば、今後、迷惑が掛かる可能性も考えられるので」とのこと。

 「千葉県ガンセンター」か、「井上病院」ではないか?と思われるが、確認はあえてしていない。

 妻の寿々子が、書面でしたためていたように、夫に、「永六輔さんの訃報は、ショックの大きさを考えて、伝えませんでした」とのこと。

 実際、担当者も、「本人はすでに寝たきり状態ではありましたが、耳ははっきり聞こえていました。ですが、その死をお知らせした後のショックや、そのことによる病状の悪化を万一考えますと、お伝えすることは控えました」と言う。

 老齢であったとはいえ、もし元気であったならば、自らも国会議員であった体験も踏まえ、今回の参院選挙、続く、今たけなわのお祭り騒ぎにも似た、バカバカしくも中身の無い都知事選挙戦について、どう感じているか、その舌鋒を一度聴いてみたかった。

 巨泉ならぬ、虚勢も時に張った巨星墜つ!

 そんな気がしてならない。