転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



さきほど掃除していたら、掃除機が急にヘンになった。
それまで調子良く吸い込んでくれていたのに、
不意にフっと一瞬、通電しなくなり、次の瞬間に回復する、
ということを数回繰り返し、おかしいなと思って止めたら、異臭がしていた。
何かが内部でコゲかけているようなニオイで、ヤバそうな感じだった。
これ以上、無理して使っていて、火を噴いたりされては困る(汗)、
と思い、とりあえず掃除機を使うのは止め、
残りの部屋はフロアモップでどうにか一応掃除を済ませた。

この掃除機が我が家に来たのは、忘れもしない2000年4月の、確か4日だったと思う。
なぜ覚えているかというと、こいつを迎えたのは先代が行方不明になったからだった、
というちょっと特別な出来事があったせいだ。
それは神戸から今治に引越して来た日で、到着してトラックから荷物を出そうとしたら、
なんと、前日に神戸の官舎を出るとき最後に積んだ筈の掃除機が、消えていた。
いつも、出発の際、掃除機は荷物の積み込みの最終段階まで必要なもので、
かつ、転居先に着いたら、最初に使用することになるものなので、
我が家の場合、掃除機は必ず最後に積んで、最初に取り出す筈のものだった。
このときも、神戸を発つのに最後まで掃除機は使っていたから、そうなっている筈だった。
なのに今治に着いてみたら、掃除機はトラック内から忽然と居なくなっていたのだ。
積み込んだと思ったのがこちらの記憶違いだったのか、
途中のサービスエリアかどっかで、掃除機が脱走しやがったのか、真相は全くわからず、
とにかく、掃除機が今治に来なかった、ということだけがはっきりした。

引越業者さんには勿論、その場で尋ねたし、一緒に探して貰った。
トラックが空になっても掃除機は出てこず、神戸の事業所にも連絡し追跡して貰った。
神戸の官舎の人にも電話をしてみたが、現地にも何も残っていなかった。
そんなこんなで、どうしても出て来なかったので、最終的に業者さん側が謝罪し、
掃除機代金分を支払ってくれることになった。
それで、我々は今治に到着して最初の外出で電機屋さんに行った。
前に持っていたものとほぼ同等の掃除機を買い、
引越屋さんの提示した書類に必要事項を書き、品代の領収証を貼り付け、
指示された通りに、新しい掃除機の写真も撮影して添付した。
『転居しました』ポストカード作成より先に、掃除機をモデルに写真を撮ったのだ。
ほどなく、掃除機代金は我が家に送金されてきて、一件落着となった。

そのとき買ったのが、今朝まで元気だった掃除機というわけだ。
こいつの前の掃除機、つまり神戸から今治への途上で行方不明になったヤツが、
我が家の初代掃除機で、それは主人が独身時代から持っていたものだった。
コードの収納部分が早くからアホになっていて、せっかく引っ張り出しても、
すぐしゅるしゅると自分で勝手にコードをしまい込む癖のあるヤツで、
私は掃除のとき、めいっぱいコードを引き出し、根元を洗濯ばさみで留めて使っていた。
しかしそれ以外に悪いところは何もなかったので、
もしあいつが、あの日、しまなみ海道を渡り損ねなかったなら、
あれ以降も当分の間は、うちで働いていたに違いない。

そしてきょうヘンになった我が家の二代目掃除機は、
前述の事情でうちに来たあと、2000年からだから11年以上、私たちと苦楽をともにし、
今治から広島へ、広島でも官舎の旧棟から新棟へ、そしてこのマンションへ、
という具合に、やはり幾度もの転居を経験したヤツだった。
今治から来て、広島にトラックが到着したとき、
「ほんで、今度は掃除機は、ちゃんと、おるやろね!?」
と私たちは最初に話題にしたものだ。
ほとんど毎日、どの家もどの部屋も、このコが掃除してくれたんだなあ、
と思うと、いとおしさを感じる。しかし、そろそろ引退時期だということだろう。
どんな家電とだって、お別れの日は来るものだ。

という次第で、我が家はついに、三代目掃除機を迎えることになりそうだ。
明日の掃除はもう一度フロアモップで姑息になんとかして、
週末、某電機屋さんに行くことにするか。
確か主人が、結構ポイントが貯まっていると先日、言っていた筈だ。
それとも、昨日行かなかった舅宅に行って、あの家の掃除機をひとつ貰って来ようか。
なにしろ掃除魔の舅の趣味で、かの家には掃除機が何種類もあるのだ。
デカいパワフルなのもあるし、階段専用の小さいのもあるし、
晩年、体がシンドくなった舅が自分用に特別に選んで買った軽量のもある。
ここで買わずに済ませようという私は、あまりにもケチなのか、
いやしかし、あの家にある舅のコレクションをひとつずつ使いつぶして行くのが(爆)、
この際、じーちゃんへの供養であり、私の務めかもわからんな、
……などとしみじみ思った、初夏の朝であった。

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