転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



地元の映画館では上映最終日の今日、なんとか間に合って
映画『タイピスト!』を観ることができた。
設定が面白そうだったのが、これを観たいと思った第一の理由だったが、
雑誌『ふらんす』9月号(白水社)でスクリプトの一部が紹介されていたので、
フランス語に浸れる映画という意味でも、この機会を逃したくなかったのだ。

タイピスト!(Populaire)(公式サイト)

映画冒頭によると『1958 France』……、今から50年以上前、というか、
ポゴレリチ(ダン・タイ・ソン、エル=バシャ、ルイサダ)の
生まれた年であるっ(^^)!!
その頃、女性の憧れの職業の筆頭は「秘書」だった。
田舎での結婚話を断って家を飛び出したローズ(デボラ・フランソワ)は、
都会の保険会社の秘書になろうと面接試験を受ける。
およそ有能とは言い難い彼女の、唯一にして最大の特技は
タイプライターを打つのが速いことで、
そこに目を付けた保険会社経営者のルイ(ロマン・デュリス)は、
彼女を自ら猛特訓して、タイプライター早打ち大会に出場させる。
地元の大会で優勝し、フランス大会を制し、やがて世界大会…。

物語の展開は、ローズとルイの恋の行方も含めて大半の部分が
観る者の期待通りになるのだが、だからこそとても良かった。
逸話のひとつひとつが楽しく愉快で、
波乱はあっても最後に全部が収まるべきところに収まり、
爽快感と幸福感にあふれた着地点で、
娯楽映画はこうでなくては!の理想型のような作品だと思った。
また、田舎娘が垢抜けた女性に成長する過程はまるで『麗しのサブリナ』、
鬼コーチとなった男性に磨き立てられてトップの地位を射止めるのは
『マイ・フェア・レディ』、
ヒロインの勝負ドレス(笑)はマリリン・モンローさながら、
……と既視感や懐かしさもあちこちにあった。
設定もファッションも、きっと、この映画のテイストはすべて、
1950年代の名画へのオマージュになっているのだろう。

もうひとつ、この映画は私にとって、タイプライターへの郷愁を
思い出させてくれるものでもあって、そこがまた予想以上に楽しめた。
私は映画に出てくるのとほとんど変わらないタイプライターを打っていた世代だ。
80年代半ばには電動タイプライターも既に世の中に出ていたが、
学生はお金が無かったので、そのようなものは買えなかった。
上級生になってからのペイパーやレポート、卒業論文などはどれも、
オリベッティの手動タイプライターを使って自分で打ったものだった。
私のいた下宿では当時、皆が同じ大学の英文科だったから、
夜になると、どの部屋からもタイプを打つ音が聞こえてくる、
というのはよくあったことだった。

だから、ローズがタイプライターを抱えている場面では、
その重さが私の両腕に懐かしく蘇ってきたし、
インクリボンを取り替えるメンテナンスの場面では、
その匂いや手触りを思い出した。
ヒロインが世界大会決勝で経験するアクシデントの、
『死にそうになって打っている最中にアームが絡む』、
というのだって、私自身、幾度も経験したことだ。
尤も、ローズの場合は技術が高くて打つのが速すぎたからだが
私のは単に、焦っていて打ち方がザツかったからに過ぎない(爆)。

私(たち)はローズのように速さを競う腕前にはほど遠く、
ただタイプが打てないと作文や論文の提出ができなかったから、
必要最小限のタイピング技術を大学で習っただけだったが、
それでも、タイプを覚える過程では、私達なりの小さな苦心や努力があった。
例えば、手動タイプライターはキーがかなり重いので、
薬指や小指はほかの指以上に鍛えないと打ちづらいのが普通で、
これらが自由になり綺麗な原稿を仕上げられるようになるまでには、
やはり、各自それなりに練習が必要だった。
その際に、子供の頃に習ったピアノで、
10本の指が均等に使えるように訓練されたという経験は、
当時の私には結構役に立ったという自覚があった。
だからローズが、タイプの技術に磨きをかけるため、
マリー(ベレニス・ベジョ)に弟子入りしてピアノを習うというアイディアも、
きちんと根拠のあることだと私は観ていて思った。
少なくとも『アタックNo.1』のシェレーニナが、レシーブの動きを鍛えるために
ボリショイサーカスに入って特訓を受けた、的な話ではなかったのである。
まあ、ローズは曲を弾かなくてもハノンをやれば良かったんですけどもね(笑)。

それにしても、ヒロインの装いより何より「50年代だ…」と感じたのは、
全編、何かというと皆がタバコ片手に行動していて、煙モウモウだったことだ。
ルイもその父親も、早打ち大会の観衆も、誰も彼もしょっちゅう喫煙していて、
ローズまでスターになってからタバコを覚える場面があった。
私は映画の喫煙場面を見て怒るほど潔癖ではないが、それでも、
「世の中、どこへ行っても、さぞかしケムたかっただろうなぁ」
という想像は、した。
1950年代というのは、煙草はまだ社会的に嫌悪されることがなく、
ひとつの、おしゃれな小道具だった時代だった(^_^;。

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・娘の高校時代のテストや模試を処分させた。
捨て損なった答案や問題用紙が娘の部屋には山ほどあり、
このほど、やっと本人が帰ってきたので、選り分けをさせることができた。
大半はゴミ箱行きになったが、センター入試その他、本番のときの問題用紙は
なんとなくまだ記念に取っておきたい気がするらしくて、
娘はそれらをゴミとは別によけて、封筒に入れていた。

・娘が服を買いたいというので、夕方からユニクロへ行った。
夏物がセールになっていて、ジャケット990円という特価品があり、
娘が喜んで選んだ(笑)。
実に良い買い物だった。

**************

歌手の藤圭子さんが亡くなったという報道で、きょうは驚いた。
私は世代的に藤圭子さんの活動をよく覚えているので、
まだ62歳というご年齢だし、俄には信じられない気がした。

それで改めて思い出していたのだが、71年に放映されたアニメの
『さすらいの太陽』は、確か藤圭子さんをモデルにした作品だった。
さすらいの太陽(Wikipedia)
芸能界をテーマにしたアニメはほかに無かったし、
毎週楽しみにして観ていた記憶がある。

その主題歌、というか番組のエンディングに使われていた歌は、
最近でも私の鼻歌(^_^;になることが時々あったのだが、
この機会にと思って検索してみたら、
『心のうた』というタイトルだったことがわかった。
さすらいの太陽 「心のうた」 堀江美都子(YouTube)
ちなみに、この歌は最初、ヒロイン峰のぞみ役の
藤山ジュンコさんご本人が歌われたものが使用されていたらしいのだが、
シーズンの中頃から、堀江美都子版になった。
私が記憶しているのも、歌詞内容からしてこちらのほうだと思う。

今でも覚えているのだが、物語の中で、歌手を目指す主人公・峰のぞみが、
師匠である作曲家の男性に命じられて、海女の修行をする場面があった。
海に潜ることで肺活量が豊かになり、歌の表現力も高まる、
というような説明がなされていたと思う(←曖昧)。
このヒロインは今から40年以上前に、既に「あまちゃん」だったのだ。
「じぇじぇじぇ!」と言ったかどうか知らないが…。

そういえば調べてみたら藤圭子さんも岩手の出身だと書いてあった。
『さすらいの太陽』という作品が、どの程度、
藤圭子さんご本人の実話に基づいていたのかはわからないが、
峰のぞみの歌の力は、幼かった私にとってさえも実に印象的だった。
とても古いアニメ作品ではあるが、機会があればもう一度、
観てみたいなと今日は思った。

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朝から期日前投票をしに中区役所に行って来た。
投票日の今月21日には、私は日比谷にいる予定だからだ(笑)。
期日前投票をしたのは今回が初めてだったのだが、
『持参するもの』の欄に『このはがき(とどいているとき)』
と書いてあって、ちょっと疑問に思った。
届いていない人は『このはがき』も見ていないので
( )内の注釈は意味がなさそうに思われたのだけれども
どういう状況を想定しているのだろうか(汗)。

それはともかくとして、1989年に不在者投票をしたときには、
記入後の投票用紙を封筒に入れて厳封したりして大仰な感じだったが、
きょうのは、普通の投票のときと同じように
用紙をそのまま投票箱に入れるだけで、開放的な雰囲気だった。
普段と違うのは、期日前投票をする理由について申告した宣誓書を
投票前に記入したことだけだが、これも簡単な内容だった。

**********

期日前投票の帰りに買い物をして、昼前に帰宅した。
昼食後、主人はスポーツクラブに行き、私は家事を片付けて、休息、
午後からは二人で『人造人間キカイダー』の録画を観た。
私ひとりだとテレビなど全然つけなかったので、
我が家ではきょう三日ぶりにテレビから音が出たわけだ(^_^;。

『キカイダー』の1972年7月8日の第1回と73年5月5日の最終回とが
CSでまとめて放映されたので、主人はそれを留守中に録画していた。
私も勿論、キカイダー放映当時に観ていた世代だが、
意外なことに主人は、「わし、あんまり観とらんのんよ」と言った。
なぜかというと、当時の放映が毎週土曜日8時からで、その時間帯に、
小学生だった主人は中学受験の学習塾に行っていたからだそうだ(^_^;。

今観ても『キカイダー』はさすがに、
あの『トリプル・ファイター』よりは殺陣のキレが良かったし、
使われている自動車類もスバルを黒く塗ったものでは無く、台数も多かった。
しかし、やはりデーモン同様、ダークも世界征服を企む巨大組織の割には、
ダムの作業員を痛めつけたり、空き地で小学生を誘拐したりして地道だし、
プロフェッサー・ギルも、「光明寺親子よ、ダークの恐ろしさを思い知れ」
などと、えらく個人的な動機で行動しているのだった。
何より、ジローがキカイダーに変身できず苦悩する件で、その解決が、
 光明寺博士「変身回路が外れていた!」
だったのにはかなりウケました(逃!)。
最終回でジローは光明寺博士一家と別れてひとりで旅に出るのだが、
しかしこれって、どうなんだろう、ジローは要するにマシンなわけで、
戦闘能力の高い自作機械を野放しにして外国に行っちゃう博士って、
イイんですかね?

しかし、そういう細かいツッコミは脇へ置いておくとして、
全体としては今観ても、なかなか娯楽性のあるドラマだと思った。
登場人物のキャラは立っているし、ジローは適度に野性味があって格好いいし
プロフェッサー・ギルの悪役ぶりは徹底的だし、主題歌は爽快だし。
それに何よりも、キカイダーであるジローの設定が、
良心回路が不完全なせいで善と悪の狭間で苦悩する、
という実に人間的なもので、しかもそのことへの彼自身の答えが、
「完全な存在になりたくない」という、とても深いものだったりして、
随分と考えさせられるテーマを持つ作品だったのだなと改めて知った。
この番組がハワイで大変熱く支持されているというのも、わかる気がした。
続編の『キカイダー01』も私は当時観ていた記憶が一応あるのだが、
もう内容はほとんど覚えていない。
機会があれば観てみたいかも、と思ったりした(^_^;。

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3D版はもう地元ではどこもやっていなかったが、
2D版を上映している映画館があったので、行って来た。
ようやく、観ることができた。

華麗なるギャツビー(公式サイト)

日本の、それもかなり田舎で育った私にしてみれば、
ジャズ・エイジもアメリカン・ドリームも遠い世界の話で、
自分のルーツをどこまで振り返っても接点など全くないのだが、
この小説は学生時代に強引に読まされたので、
原作の内容については、今もかなり記憶に残っていた。
それで、2013年に蘇ったギャツビーがどうなったかに興味を持ち、
今回の映画を観に行ったのだ。

ディカプリオがオジさんになっていた(爆)のに感心したが、
勿論、そういう年齢でないとギャツビーは演じられなかっただろう。
富も名声もある大人で、かつ、童顔の残るディカプリオの雰囲気は、
彼の演じるギャツビーの姿とぴったり重なるものだった。
彼は自分の幸福の象徴としてのデイジーを追い求め、
実際には愛するに値しないような女である彼女に、
最後には自分の命まで与えることになるのだが、
その愚かさこそが、ギャツビーの究極の魅力なのだと観ていて思った。

華麗なパーティーや豪奢な邸宅の、映像としての表現が、
この作品の大きな見どころであったと思うのだが、
私にとって最も印象に残ったのは、
ギャツビーがひとりで桟橋にたたずむ場面だった。
ギャツビーが豪邸を建てたのも、週末ごとに大規模なパーティを催したのも、
すべては、入り江の対岸に住むデイジーを迎え入れたいがためだった。
壮大なパーティーの、華やかなホストとして振る舞う一方で、
静かな夜には、ギャツビーはひとりになって邸宅の前の桟橋に出て、
愛しいデイジーの住む邸を遠く向こう岸に眺めて立ち尽くし、
前方の灯台から放たれる緑の灯に向かって手を伸ばすのだ。
Green light means "progress", in general, "You can go."
と、チャップマン先生が講義のときに仰ったのを私は覚えている。
前に進みなさい、諦めてはいけない、きっと幸福が手に入る、
……とギャツビーはずっと自分に対して確かめるような思いで
暮らして来たことが、絵としてとてもよく伝わった場面だった。

ときに、原作にある、葬儀にギャツビーの父親が登場する件を、
映画で割愛してしまったのはなぜだったのだろう。
ここで父親の明かす、少年時代のギャツビーの姿は、
彼のひたむきさと哀しさを強調するのにとても効果的だったのだが、
きょうの映画ではその場面は使われなかったのが、少し残念だった。
一方、宝塚歌劇のデイジーはギャツビーの墓に最後に花を手向けるが、
そういう中途半端なことをしに出てこなかった点については、
映画のデイジー(の自己愛)の徹底ぶりは良かったと思った。
原作のデイジーも、勿論、ギャツビーには花どころか、
お悔やみのひとつも寄越さない。
自分のすべてで愛した女性から、一顧だにされずに逝くことで、
彼の夢は、どこまでも夢として終わる、
……というのが虚像ギャツビーの終焉に最も相応しいと、私は思っている。

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朝、とりあえず雨は降っていなかったので、折りたたみ傘をバッグに入れただけで、
午前中、漢詩の会に行き、帰り道には買い物もして家に戻ってきたのだが、
私が昼食を終えた午後1時あたりから、途端に外が夕暮れみたいに暗くなった。
それから、パタパタと雨が勢いよく窓ガラスを叩く音がし始め、
居間の掃き出し窓からベランダ越しに見ていると、
あっという間に視界も効きにくいほどの激しい雨になった。
そういえば朝の予報で、西日本・北陸を中心に雷雨、
と言っていたのだった。間一髪だった(^_^;。

西日本で激しい雨(ウェザーマップ)
『日本海から東北南部に停滞する前線に向かって、南から暖かく湿った空気が流れ込み、西日本では大気の状態が非常に不安定になっている。』『このため、福岡県北九州市八幡西区では、3日午後1時までの1時間に73ミリの観測史上1位の非常に激しい雨を記録したほか、西日本の各地で50ミリ以上の雨を観測している。』『あす4日にかけて、西日本を中心に大気の非常に不安定な状態が続くため、気象庁では、急に降る激しい雨や落雷、竜巻などの激しい突風に注意を呼びかけている。』

さすがに梅雨だけあって、明日以降もあまり信頼できないようだ。
去年のこの時期も大雨で警報が出て、娘の学校が休校になったりしたが、
まだもうしばらくは、雨の被害に特に気をつけないといけないかもしれない。

***********

実はこのところ、映画『華麗なるギャツビー』を観に行きたいと
ずっと考えていたのだが、毎度のことながら忙しさにまぎれて、
なんだかんだと日が過ぎてしまい、このまま行くと私の計画は
悪天候のせいで果たせないまま終わりそうだ(^_^;。
もう、この近所での上映期間はあと僅かで終わってしまうのだ。

日頃、映画に対してあまり熱意のない私が、なぜ今『ギャツビー』かというと
これは30年前、私が大学2年生だったときに、
「英語講読AII」という科目の前期のテキストだった作品だからだ。
アメリカ人の先生による、現代国語の英語バージョンみたいな講義で、
教科書は『The Great Gatsby』のペイパーバックだった。
英語も満足に聴き取れないし、読んでも釈然としないことが多く、
あのときは半年間、本当に苦労した。
毎回、講義をウォークマンで録音して、下宿で聞き直してメモを取り、
途中で訳本が出ていることに気づいてそれも買い、
更に大学の図書館にあった1974年版映画のビデオも観た。
ロバート・レッドフォードとミア・ファーローのやつだ。
この授業を取っていなかった友人が、私を見て哀れをもよおしたらしく、
『村上春樹さんと「華麗なるギャツビー」をみる』という
新聞の切り抜きまでくれたりした(今もとってある)。
「ジョーダンはニックの話を冗談だと思ったのよね?」
というNちゃんの巧まざる駄洒落も忘れがたい(爆)。

……という可哀想な経験をしたために、不本意ながら私は、
ギャツビーにある程度、詳しいのである。
大学で読まされなかったら、自分からは決して手に取ることはなかっただろう、
という作品だったが、今となってみれば懐かしさもひとしおだ。
それで今回、映画化の話を聞いたときから、観てみたいなあと思っていたのだ。
しかし、どうだろう、このあとも警報が出るような天気だったら、
私は結局、今回のギャツビーは逃すかもしれない。
2000年にも映画化されていたそうだが、それは全く知らなかった。
ちなみに宝塚の『グレート・ギャツビー』も、
私が知っているのは1991年雪組版だけだ。
2008年月組版は、全然観ていない(汗)。

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昨日、映画『千年の愉楽』を観た。
私は日頃、映画に対しては、生舞台ほどの執着は無くて、
「良さそう」と思っても、結局大半のものを見逃しているのだが、
寺島しのぶが主演しているとあっては、外せなかった。
美しい男性が次々と登場する映画なのに、
私の目的は、とにもかくにも、しのぶちゃん(^_^;。
原作は中上健次の同名小説なのだが、私は読んだことがなかったし、
事前にはこの映画について、ほとんど何も調べていなかった。

物語では、産婆のオリュウ(寺島しのぶ)が自ら取り上げ、
その誕生から死までを見届けることになった、三人の男たち
(半蔵(高良健吾)、三好(高岡蒼佑)、達男(染谷将太))の、
鮮烈な生き様が、オムニバス形式で描かれていた。
皆、いずれ劣らぬ魅力ある美青年ぶりで、個性も際立っているのだが、
誰も彼もが、破滅的な人生を選び、若死にをするという点は同じだ。
この世で『親より先に彼らを抱いた』オリュウは、
静かな深い慈愛をもって、常に彼らを受けとめ、成長を見守り、
その散り際を予感しつつも、彼らの後ろ姿に、
お前はお前のまま、生きよ、生きよ、と手を合わせて祈る……。

しのぶちゃん扮するオリュウは、良い意味で、年齢不詳だった。
最初の半蔵は、「初めて取り上げた子」だという台詞が後であるので、
オリュウが最も若いときに出会った赤ん坊だったことがわかるが、
彼らが青年になり成人してからも、オリュウはあまり、変わらない。
彼らの母にも等しく、故郷の象徴のようにオリュウはいつもそこにいる。
と同時に、特に達男に対して、オリュウが最後に『女』の面を見せることで、
彼女の存在は作品の中で、得体の知れないほど大きなものになったと思う。

オリュウには夫(佐野史郎)がいるのだが、
この夫婦は、かつて、子を病と貧困のために2歳で亡くしてから、
夫は仏門に入り、オリュウは産婆になった、と台詞で語られている。
以来、オリュウは、この世に誕生する命を受けとめる仕事をし、
夫の礼如は、あの世に渡る命が幸せであるように奉仕してきたわけだ。
三好が人を殺めて夜中に転がり込んできたとき、オリュウは夫を振り返って、
あなたは見ないで下さい、と言い、礼如がそれに対して、
悪い夢だな、という意味の返答をして、淡々と布団に戻るところが、
私は特に、印象に残った。
礼如こそは達観の極みのような人だった。

ときに、よけいなことではあるのだが、
劇中、どの角度から見ても壮絶に美しい男である半蔵と達男の、
鎌や斧の使い方は、かなりもうひとつだった(爆)。
なにしろ私は現代の秘境で、あのテのものを日常的に眺めて育った。
祖母なんか80歳過ぎても、ナタで薪を割って風呂を焚いていたのだ。
それを思うと、半蔵たちの手つき腰つきは、都会の青年そのもので、
おいっ、それじゃ怪我するぞ、脚ヤるぞっ、
と私はハラハラした。

それと、半蔵が山でうかつに榊を切ってしまい、
仲間達が祟りを畏れ、酒をまいて柏手を打つ、という件があったが、
うちらの村だと、あれは考えられないと思った。
榊は確かに、うちの実家の裏手の山にも生えていたが、
場所はある程度決まっていて、皆が知っていたし、
周囲の植物と区別がつかないようなものではなかった。
村人がうっかり切って、祟りだなんだと大騒動、
ということは、うちらへんだと、無かった(爆爆)。

しかし、そういう現実味の無さというか、曖昧さが、
かえって、あの映画の独特の雰囲気に沿ったものになっていて、
良かったのかもしれない、とも、あとで思った。
この世とあの世をつなぐという、不如帰の鳴き声が、
花窟(はなのいわや)に響く光景と相まって、
この集落には、現実とどこかちぐはぐな空気のあるのが、
適度な危うさを醸し出していて、似合っていたのだろうと思う。

三好が誘惑する人妻の役で、月船さららが出ていた。
彼女は、元・宝塚の男役で、新人公演主演も幾度もしたので、
私は舞台での彼女は結構回数多く観たことになるのだが、
ここで出会うとは思わなかった。
さららんは美人なのだが、今回は役が役だけに、
全く綺麗につくっていなくて、
着ているものの傾向も、洗練にはほど遠かった。
概ね、この作品に登場する周辺の女性たちは、、
半蔵の若い妻(石橋杏奈)ひとりが可憐だったことを除けば、
皆、どこか疲れた感じや、くすんだ雰囲気があった。

この映画の空気を決定的なものにしているのは音楽で、
全編、三味線と歌に彩られているのが、非常に印象的だった。
音だけ聴くと、沖縄などの南方の島唄風に聞こえたのだが、
ロケ地は紀州の入り江の村で、言葉や背景には関西色があった。
映画の終わりに、『バンバイ(万歳)』の歌詞が全部出るのだが、
私はそれを読みながら聴いて、初めて腑に落ちたというか、
今まで観ていたのが何の話だったか、最後にようやくわかった。
彼らの住む『路地』とは、どういう場所だったのか、
男達を繋ぐ『中本の血』とは、何だったのか。
三味線に導かれて作品世界に入っていき、
それが閉じられるとき、また三味線と歌に謎解きをして貰った。

途中まで、まるで不協和音のように、戸惑う箇所が多く、
決して、後味が良いと言えるような作品ではなかったのに、
見終わった今、かなり、もう一度見たいという気持ちになっている。
寺島しのぶ本人と同様、幕が降りたあとからまた何かが募ってくる、
「後を引く」力のある映画だったなと思った。

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広島の年明けは、ちょっと映画が面白そうだ。

映画『ファースト・ポジション』公式サイト
バレエ・コンクール『ユース・アメリカ・グランプリ』に賭ける、
未来ある若いダンサーたちのドキュメントということで、
漫画『テレプシコーラ』を連想してしまうようなテーマだ。
東京では既に今月初めから公開されているのだが、地方は順次公開で、
広島は、サロンシネマのサイトを見たら、2月の公開予定作品の中に
『2月2日(土)より』と出ていた。

バレエに限らずコンクールものの多くは、
通り一遍のドラマとは比較にならないほど面白いものだから、
私はこの映画には非常に期待している。
……しかし、今年の私には、どうも公開時期が問題だ(汗)。
娘の入試が始まる前に行って来なければ、見る機会を逸してしまいそうだ。

これより先に、広島では来月公開予定のバレエ映画が、もう一本ある。
映画『バレエに生きる』公式サイト
振付師としてロマンティック・バレエの復活に尽力したピエール・ラコット、
その妻で、かつてのエトワールでもあったギレーヌ・テスマー、
常にバレエとともにあった二人の人生を追いながら、
オペラ座の過去60年にわたる貴重なバレエシーンを振り返る、
……というドキュメンタリーだそうだ。
2011年のフランス映画で、広島では1月19日(土)より、
こちらもサロンシネマで公開されることになっている。

ほかに、バレエとは関係がないが、同じサロンシネマでは、
眺めのいい部屋』(1月12日~)『アナザー・カントリー』(1月19日~)
などという、あまりにも懐かしい作品が、
このほどHDニューマスター版で上映されると書いてあり、そそられた。
どちらも私は、1980年代半ばの公開当時に観ている。
前者は私にとって、ダニエル・デイ・ルイスとの出会いの作品、
後者は、BL界の金字塔・古典的名作として忘れがたいものだ(爆)。
同じ思い出を共有する世代の方は、特にお見逃しなく。

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先日、「りぼん」の思い出を書いたら、熱く反応して下さった方が、
何人かいらっしゃった(ありがとうございます<(_ _)>!)。
やはり皆様それぞれに、どのような漫画を読んで育ったかには、
時代感覚や趣味や、家庭環境・交友関係が反映されており、
その途上では、『今日の私をつくってくれた』と言えるくらいの、
重要な作品に、大半の人がどこかで出会ってきたということだと思う。

「りぼん」以外にも、昔から漫画雑誌は様々あったので、
私自身、ほかにも忘れられない作品がまだたくさんあるのだが、
特に自分が小学生だった1970年代には、娯楽が少なく、
漫画そのものもなかなか買って貰えなかったから、
当時出会った作品については、今もひときわ強烈な印象が残っている。
友達から借りたり店頭で立ち読みしたりしたものが多く、
それらは自分のものにならないことが最初からわかっていたため、
記憶に刻みつけておく以外になく、それこそ一期一会の思いで、
必死に読んでいたのだろうと思う。

「週刊マーガレット」の池田理代子『ベルサイユのばら』(1972年)と
山本鈴美香『エースをねらえ!』(1973年)は、前回も書いた通り、
八百屋さん店頭での立ち読みで必死に追いかけていた二大連載で、
そのほか、「花とゆめ」の美内すずえ『ガラスの仮面』(1975年)も、
月に数回、町の医者にアレルギー治療のために通院していた小学生の頃、
そのバス停近くのスーパーに駆け込んで、大急ぎで立ち読みしていた(殴)
のが、今となっては忘れられない思い出となっている。
のちに自分の娘が当時の私の年齢を遥かに超えるようになっても、
まだ「ガラかめ」の連載が続いていようとは、
昭和50年代初頭には、全く想像したこともなかった(^_^;。

そのほかにも、あの頃、自分では買うことができずに、
立ち読みしたり、友人所有のものを見せて貰って、なんとか読み続けていた、
という事情のために、その後長い間忘れられなかった漫画がいくつもある。
例えば、1970年代に限定するならば、以下のような作品だ
(掲載年・掲載誌は雑誌連載初出時)。

里中満智子『あした輝く』(1972年)週刊少女フレンド
上原きみこ『天使のセレナーデ』(1972年)週刊少女コミック
山岸凉子『アラベスク第2部』(1974年)花とゆめ
竹宮恵子・増山のりえ『ヴィレンツ物語』(1974年)花とゆめ
大和和紀『はいからさんが通る』(1975年)週刊少女フレンド
萩尾望都『11人いる!』(1975年)別冊少女コミック
青池保子『イブの息子たち』(1975年)月刊プリンセス
いがらしゆみこ・水木杏子『キャンディ・キャンディ』(1975年)なかよし
青池保子『エロイカより愛をこめて』(1976年)別冊ビバプリンセス
有吉京子『SWAN』(1976年)週刊マーガレット
槇村さとる『愛のアランフェス』(1978年)別冊マーガレット
亜月 裕『伊賀野カバ丸』(1979年)別冊マーガレット

ひとつひとつについて、どの店で立ち読みしたのが馴れ初めだったとか、
どこそこに住んでいた友人○○さんから借りて毎号読んでいた、とか、
いつの連休のときにお父さんに買って貰った、等々、今も克明に覚えているし、
どういう友人たちとどの作品を話題にし、なんと言って笑っていたか、
どのギャグでふざけあっていたか、なども、ちゃんと記憶に残っている。
友人の家に遊びに行くと、どこの家にも大抵、我が家にない漫画があって、
ついつい読みふけってしまい、お母さんたちに、
「せっかく遊びに来とるのに、漫画読みよるんね。遊ばんのんね」
と呆れられたりしたことが幾度かあったが(汗)、
だってねぇ、友人とは学校でも毎日会えるけども、
漫画はその家に来たときでないと、読めなかったのだものね(^_^;。

こうした作品の多くは、18歳以降に一人暮らしを始めてから、
徐々に買い直したり集めたりしたので、今も手元に持っているものが多い。
50歳近くなった現在の私が読み返しても、面白いものもあるし、
「今ならコレは無いよな~(^_^;」
と思う場面を抱えているものもあるが、
それらも含めて、どれも大切な思い出であることには変わりはない。
その後は、私が老化したせいか、
それとも少女漫画の傾向自体が変わってしまったということなのか、
こうして一生手元に置きたいほどの作品に巡り会うことは、
もう、ほとんど無くなってしまったように思う。
皆無であるとは言わないけれども……。
もしかしたら、昔と違って、本屋と小遣いに不自由しなくなり、
私自身がハングリーでなくなったのが最大の理由かしらん。

そういえば、どうなんだろう、
娘の場合でも、少女時代に愛読した作品を、
やはり将来、こんなふうに思い返すようになるのだろうか。
私は自分がもっと漫画雑誌を買って欲しかったという記憶があったので、
娘が小さい頃、「読みたい雑誌があれば買ってあげよう」と言ったのだが、
小学生だった彼女は、なんと、すげなく「要らん」と返答した。
理由は、「読まん漫画まで載っとるから、無駄」。
嗚呼。
僥倖みたいに買って貰えた漫画雑誌を、折り目もつけないように扱い、
すみからすみまで繰り返し繰り返し読んだ私とは、なんという違いなのか!
そして彼女は、主人の買って来る「少年ジャンプ」「少年サンデー」で育ち、
たまに自分で選ぶものはと言えば、「月刊Gファンタジー」なのだった。

今、娘の本棚には、コミックスや文庫本で、
津山ちなみ『HIGH SCORE』(1995年)
杉本ペロ『ダイナマ伊藤』(1999年)
葉鳥ビスコ『桜蘭高校ホスト部』(2002年)
ぺんたぶ『腐女子彼女。』(2006年)
などが、並んでいる(^_^;。

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「どぞ」
と数日前、主人が貸してくれた本が、コレだった。
同期生  「りぼん」が生んだ漫画家三人が語る45年
(一条ゆかり・もりたじゅん・弓月光)

1967(昭和42)年に、集英社「第一回りぼん新人漫画賞」で
一条ゆかり・もりたじゅん・弓月光が、同時に入賞、デビューした。
この本では、その三人が、きょうまでの45年間、
それぞれ独自の道を歩み、印象的な作品を数多く生み出したことが、
ご本人の証言をもとに語られているのだが、
私自身、リアルタイムでこうした作品に触れた世代なので、
作家自身から明かされるデビューの経緯や、当時の逸話は、
初めて知ることも多く、大変興味深く読むことができた。

昭和40年代には私は小学生で、田舎で地味な暮らしをしていたので、
漫画雑誌もたまにしか買って貰っていなかった。
そもそも、私が中学校に入る頃までずっと、
うちの村には書店というものが存在していなくて、
電気屋さんのおじさんが、月に幾度か、バイクで村じゅうをまわり、
前回注文のあった雑誌や書籍を配達する、
という謎な(笑)仕組みになっていたのだった。
それで連休などに、両親と一緒に自家用車で町まで買い物に出たとき、
本屋に寄ると、巧い具合に漫画を買って貰えることがあって、私は、
「りぼん」か「なかよし」か、店頭で懸命に吟味して選んだものだった。
とは言っても、こうした雑誌は付録つきで、いつもヒモがかかっており、
中身を開いて立ち読みすることは無理だったから、
表紙に出ている作家名とタイトル、イラストを穴の空くほど見て、
どちらの雑誌が面白そうか、考えて選んでいたのだった。

そこで最初に出会ったのが弓月光『出発シンコー!』(1974年)で、
それまでの少女漫画で見たこともない下品な(笑)設定と、
テンポの良いギャグ、それに綺麗な絵とに、私は強烈に惹きつけられた。
主人公の久作くんのイボ痔が悪化して尻尾になった、
という仰天ものの話で、一体この物語はどう決着するのかと目が離せず、
自分が買って貰えなかった号は友達を頼って見せて貰った。
また、ヒロインの乙女ちゃんが本当に可愛くて気に入ってしまい、
自由帳に一生懸命真似をして描いたりもした。

その次に衝撃を受けたのは、一条ゆかり『デザイナー』(1974年)で
これは連載第二回目(りぼん74年3月号)を友人の家で読み、
あまりにハマってしまったので、5月の連休に親と出かけたとき、
頼み込んで「りぼん」を買って貰い、数ヶ月ぶりに続きを知り(笑)、
その次は夏休みに買い物に行ったときに、また数ヶ月ぶりに読み、
最後は、年末に母が町の美容室に行ったとき、ついていったら、
たまたま「りぼん」が置いてあったので、待ち時間に食らいついて読んだ。
この作品の結末は、小学生だった私には強烈過ぎ、
その日は結局、正月用のパーマが仕上がり華やいだ母と、
『デザイナー』に打ちのめされて廃人のようになった小学生の私、
という組み合わせで、家に帰った(爆)。
この『デザイナー』は、その十年後、大学生になってから、
りぼんマスコットコミックスを自分で買って、
初めて通して読むことができた。

この両名に較べると、もりたじゅんには私はやや接点が少なく、
同期なのになぜだろうと思っていたら、
もりた氏はデビューは「りぼん」だったけれども、
上記『出発シンコー!』『デザイナー』連載の時期には、
活躍の場が「週刊マーガレット」に移っていたことが、
今回『同期生』を読んでいてわかった。
「週刊マーガレット」は、『ベルサイユのばら』『エースをねらえ!』
の連載当時には、そろばん塾の帰りに八百屋さんで立ち読みしていたので、
72~73年頃ならば私はある程度馴染みだったのだが、その当時にはまだ、
もりた氏は「りぼん」の作家で、74年以降、私が「りぼん」に移行した時には、
今度はもりた氏は「週刊マーガレット」で活躍なさっており、
ちょうど、入れ違いになっていたのだった。
その後、80年代半ばになってから、私が下宿での一人暮らしを始めた頃、
近所のスーパーで、レディコミ黎明期の雑誌「YOU」を立ち読みするようになり、
そこでもりたじゅんと、久々の再会をするのだったが(汗)。

弓月氏は、その後もずっとコメディを主体として話題作を次々と描かれ、
『エリート狂走曲』(77年)には私も特に熱中した
(80年に高校生になってから、友人にコミックスを借りて読んだのだが)。
その後は青年誌で描かれることが増えて、
私は直接読む機会が減ってしまったのだが、
『甘い生活』(90年~)はそんな私でもちゃんと知っているので、
弓月氏の人気と影響力を、この本を読みながら、改めて感じた。

一条氏にも、『有閑倶楽部』(81年~)で再びハマり、
そのまま、テンションと人気が何年も何年も続くので、
息の長い作家さんだなという印象が、この時点で既にあったのだが、
21世紀になっても、新たに『プライド』の大ヒットがあり、
更にその『有閑倶楽部』がテレビドラマになり、うちの娘が観ていたりして、
このように長期間、少女漫画の第一線で活躍されているというのは、
大変なセンスとバイタリティの持ち主なのだなと、圧倒されたものだった。
「この作者は、おかーちゃんが小学校低学年の頃から大人気だったんだよ~」
と言ったら、娘が本気で驚いていた。
娘世代にとっても、一条ゆかりは流行作家の筆頭だったのだから。
かの『デザイナー』は、一条氏にとっても大きな転換点となった作品だと、
今回の本で知り、私はそのような作品と連載当時に出会えていたことを
改めてとても嬉しく思った。

もりた氏が引退なさっていたことは、この本で私は初めて知った。
夫君の本宮ひろ志氏のプロダクションでは、お仕事を継続されているが
「もりたじゅん」名義では、完全引退を表明なさっており、
この6年ほどはもう、作品は描かれていないとのことだった。
お話の内容に関しては、私自身は、もりた氏に共感するところが最も多く、
「りぼん」の「おとめちっく」路線が理解できなかったことや、
昨今の少女漫画に衰退を感じることなど、本当に同感だった。
また、もりた氏は、漫画家としてお忙しかった頃すでに、主婦であり母であり、
生活や育児に関する述懐も、私が日々持っている実感に通じるものがあった。

どの作家さんについても、この本で改めて話題に出されていたことで、
この機会に読み直してみたいと思った作品が、いろいろあったし、
一方では私がこれまで知らなかった作品もまだまだたくさんあり、
その中には新鮮な興味を感じたものもいくつもあった。
かつては、まったく同時にスタートした三人だったが、
その後45年の漫画家人生では、それぞれの道をみつけ、
ひとりひとり、目指したものを各自のかたちで実現して来られたわけで、
皆、ご自身のお仕事を果たし続けて、今日があるのだと思った。
その軌跡を、今になってこうして振り、
その時代の真っ直中に、自分もまた一緒にいて、
様々な漫画を通して、読者として同じ時間を共有していたのだと考えると、
実に実に、感慨深いことだった。

……それにしても、私の思い出はこうして見ると、
「立ち読みした」「借りて読んだ」が多過ぎる(^_^;。
それだけつましい暮らしだったし、小学生には何も自由にならなかったのだ。
その罪滅ぼしというわけではないが、大人になってからの私は、
大切だと思う漫画は、ちゃんと新品で買って、手元に置いている。
数々の、懐かしい昭和の作品も、愛蔵本や文庫本で探して買った。
そうした蔵書を、今や娘が読んで、更にお友達に貸し出したりしており、
漫画は読み継がれ、いつかまた「子供の頃、家にあった」とか、
「友達から借りて読んだ」等々と、思い出され、愛されるようになるものも、
この中にたくさんあるのではないかな、と思ったりした。

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天気が落ち着いているようだったので、朝から洗濯して掃除して、
それから支度をして家を出、舅姑のお墓に向かった。
途中の西広島バイパスの気温表示を見ると、27℃となっていたが、
墓所に着いてみると、山ではツクツクボウシがたくさん鳴いており、
相変わらず残暑の雰囲気だった。
ドライフラワーに成りはてたモノを生花と交換し、
お灯明をつけてお線香をあげて、お参りした。
きょうのように、お盆やお彼岸でない平日では、
私のほかに誰も来ていなかった。

さて、それで市街地に戻って来たら、ちょうど11時だったので、
この際だから、映画『ジェーン・エア』を観ることにした。
(なぜこの映画に目を留めることになったかの経緯は、こちら)。
こんな地味な映画を、平日の昼前から観る人は居るだろうか、
と考えた私は大いに誤っていて、行ってみたらかなり込んでいた。
『ジェーン・エア』という作品の位置づけに関して、
私は認識を改めなければならないかもしれない、と反省した(^_^;。

************

映画『ジェーン・エア』公式サイト

私の、遙かな記憶にあった通りの物語だった。
これまで私は映像化された『ジェーン・エア』を観たことはなかったが、
空の色も、お屋敷の暗さも、ジェーンの表情も、
ほとんど何もかもが、私のこれまでの想像とぴったり重なっていて、
原作の空気に対し忠実に、映画化された作品なのだろうという気がした。

同時に、観ながら私は、自分が中学生の頃にはあまり重視していなかった、
19世紀のイギリスと、そこに生きたジェーンの姿を、改めて感じた。
家庭教師としてのジェーンが、生徒のアデルに地球儀を見せながら、
大英帝国は海の向こうまで征服していると教える場面があるのだが、
そのように華々しい時代にあって、ジェーンはこの段階でなお、
狭く閉ざされた世界でしか、生きることを許されていなかった。
社会の中で、女性の居場所は極めて限られており、
ジェーンの境遇では、生涯、男性と触れ合う機会すらない、
ということも、大いにあり得たほどだった(と彼女は台詞で言っている)。

彼女の雇い主であるロチェスターは、初めて彼女の挨拶を受けた晩に、
『家庭教師には不幸な身の上の女が多い』という意味のことを言うのだが、
あの時代、職業を持って働く女性というのは、ほぼ例外なく、
父親や夫の庇護のもとに暮らすことのできなかった、
「不幸な」人ばかりだったというわけだ。
ジェーンは自立した女性であり、このあとのロチェスターの求愛に対しても、
魂と魂は対等であると、臆することなく述べていて、
時代背景を考えるならば、ジェーンが破格の存在だったことが伺える。
彼女は、「幸福な」女には決してできないことを、
自分の手で掴み取ろうとしていた、能動的で新しい女性像だったのだ。

そして、そのロチェスターの所有するソーンフィールド館は、
広大な敷地にそびえ立つ、由緒正しく荘厳な邸宅であったが、
そうした上流階級でさえも、現代の基準から言えば、
電気もガスもない、原始的で粗末な暮らししか出来なかった。
当時の人々はそれしか知らなかったのだから、
主観的には格別な不足感はなかっただろうとは思うが、
一方で、そうした環境の中で健康を損なわれることも多かったはずだ。

日が暮れれば誰もが蝋燭を灯し、燭台を片手に手探りで歩き、
風の吹き荒れる夜には、暖炉の炎で温まる以外には暖を取る方法がなく、
それはおよそ、心身ともに頑健でなければ耐えられない生活ぶりだった。
冷え冷えとした風景と、灰色の空、満たされることの少ない暮らし、
じっと耐えることでしか日々を過ごすすべもない年月、
こうした設定は、19世紀当時のイギリスでの、
ジェーンとロチェスターの前半生を象徴している。

そのような人生だからこそ、彼らがたったひとつ追い求めたのは、
人の温かさや、手のぬくもりだったということなのだろうと思う。
ジェーンは、自分の心を初めて温めてくれた男性として、
ロチェスターを深く愛し、最後に彼の元に戻ることを自ら選ぶのだし、
再会の日には既に変わり果て、盲目となっていたロチェスターもまた、
無言で触れて来た相手の手を握り、頬に触れるだけで、
それがジェーンの温かさだということを瞬時に理解するのだ。
彼らが互いに抱く愛情は、現代の私達が想像するよりももっと、
切実で純粋なものだったのではないか、という気がした。

************

……というわけで、私が、昔読んだ訳本の思い出をなぞるようにして
映像の世界を堪能し、時代の流れというものにも思いを巡らしているうちに、
やがて原作の記憶に近いタイミングで本編が終わり、
エンドロールが流れ始めた。
いや~、悪かないけど、しかしやっぱり重苦しい話だったよなぁ……、
と思いつつ、ふと視界の片隅で動くものがあったのでそのほうを見たら、
なんと、私の隣の女性が、静かに涙をぬぐっているのだった。
そして、外に出てみると、廊下には次の上映を待つ人達が、
既に大勢詰めかけており、切符売り場にも次々と人の列ができていた。
うむ。やはり、『ジェーン・エア』という作品の位置づけに関して、
私は大いに認識を改めなければならないようだ、
……と、再度、思った(^_^;。

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