転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



私は高校一年生のときに、現代国語の授業で、
清岡卓行氏の『失われた両腕』(「手の変幻」より)という、
ミロのヴィーナスの持つ特殊な美についての評論を読んで、
大変に感銘を受け、今でも、折に触れて、
あの文章で書かれていたことを思い出すのだが
きょうも、鈴木晶氏の『ニジンスキー 神の道化』を読んでいて、
またしても、『失われた両腕』の記述をいくつも連想した。

その詳細については、また、ニジンスキーを読み終えたら書きたい、
と思っているのだが、清岡卓行といい、先日の漢詩への興味といい、
私が学校の、特に国語の授業や勉強から得たものは非常に大きく、
中年になっていっそう、その有り難みを痛感することが多くなった。
学校は有り難いところだった、教科書は素晴らしかった、
ということを、私は、声を大にして言いたいと思う。

そしてきょうはもうひとつ、発見をした。
今年度のNHKラジオ『まいにちフランス語』で、
2008年4月から9月までの前期講座を担当していらした、
清岡智比古先生は、なんと、この清岡卓行氏のご子息だったのだ。
そのようなことは考えもしないで、私はラジオの清岡先生のお話を
毎回、とても面白いと思い、楽しみにしていたものだった。
16歳の私に、ひとつの革命的な視点をもたらして下さった
(と、シロートのオバちゃんが言うのは大袈裟なんですが)、
清岡卓行氏と、こんなところで、再び繋がることになろうとは、
44歳のきょうまで、全く、予想だにしなかったことだった。

清岡卓行・公式サイト
清岡智比古先生のブログLA CLAIRIERE
手の変幻(清岡卓行)


追記(1月19日):お友達のNobuo Kasai様が、
ご自身のブログSENZA FINEで、
清岡智比古先生がそうだったとは!」という記事を書かれています。
清岡卓行氏の仏文学翻訳に関しても触れて下さっています。
ご関心がおありの方は、是非、ご覧下さい。

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