退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「失敗は成功の母であるから活かさなければならないことあるいは『ひき算の大切さ』」について

2019-03-21 02:37:58 | Weblog
晴れときどきくもり。昼はコートどころか上着もいらないほど。

中尾政之「失敗百選 41の原因から未来の失敗を予測する」を読む。

さまざまな事故に関する「失敗の事実」を未来に活かそうという内容。
14年前の作品で続編も2冊ほどあったはず。

「機械の“失敗三兄弟”は、疲労、腐食、摩耗である」とのこと。
もちろんそこには「人的原因」も加わり。

そもそもこの種のことに興味を持ったのはかつて柳田邦男の作品を読んだせい。
「なぜ失敗の経験が活かされないのか」は誰しも疑問に思うところではないか。

ある分野の専門家にとっての「常識」が他の分野の専門家にはそうでなかったり。
あるいは「ベテラン」がいることによる「いい面と悪い面」など。

「工学的な説明」については「素人」なのでほほーと思うのみ。
タコマナローズ橋の崩壊」を参考までに。

さて。

一部の若者たちは異様なまでに「チキン=臆病」になっている。

「失敗は成功の母」ということわざも知らず。
「自信」を手に入れる方法を知らないためなのかどうかは不明のまま。

ある「ルール」を覚えて使いこなすだけのことに
なぜそんなにも「怖れ」を抱くのだろう。

「できるだけ労力を減らして実を取りたい」という「消費戦略」が原因のような。
「自信の基本」は職人同様に飽きるほど繰り返して無意識でも出来るようにすることだから。

おそらくあらゆる「技術の基本」はそこにあるのになぜかそれをせずに脅えるのみ。
傍から見ていると何とも「バカバカしいこと」にしか思えない。

「反復練習」さえあれば「怖れ」など生じないというのに。
要は「九九並み」にすればいいだけのことなのだが。

いたずらに「反復を嫌うこと」が自らを追い込んでいることに気付かない模様。
せめて「職人の自然な動きのすべて」がそこから来ていることを知らないとどうにも。

例えば哲学者ウィトゲンシュタインのレベルまで行けば
「1+1=2」が必ずしもそうではないことは「正しい」。

ただし「日常生活」ではそんな必要はなく。
「1+1=2であること」に習熟すればいいだけ。

だとすれば自らのいたずらな「消費戦略」を捨てること。
人生において肝心なのは案外「ひき算」であることを忘れないでいただきたい。
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「好ましい人物のあれこれと『世論』のいい加減さあるいは『ブラック部活』の現実」について

2019-03-20 02:07:43 | Weblog
晴れ。夕空がピンクに。

松元崇「大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清」を読む。

明治から昭和に至る「歴史」を確認しつつ
高橋是清の「経済政策」をたどる内容。

基本的には「間違っていない」ものの
2・26事件で殺されるに至ったのはどうやら「地方の自力更生」を説きすぎたため。

娘を売らざるを得ない農家の「現実」に対して
「正論」はいかにも「冷たく」映ったのだろう。

元々「正しいことを言いすぎるタイプ」だったのも災いしたか。
ただこの時代には「意見を異にする相手を尊重する気風」がまだ残っていた模様。

本書はいささか「細切れ」すぎるかも。
もう少し「流れ」を押さえた上での記述があると読みやすいのに。

「歴史」は「物語」なので
そのあたりに気を配っていただきたかった次第。

アメリカで「奴隷」になったり「芸者遊び」に夢中になったりした過去を持つ
「ダルマさん」については知っておきたいもの。

自らの「手元不如意=金欠」を理由に「官職」を断る「倫理」が素敵。
要はそこを突かれて自分を曲げる可能性を怖れたため。

その一方で「日露戦争の結果」が実は「敗戦に近いもの」であることも知らず
「日比谷焼き打ち事件」を起こしたりした「大衆」についても。

「世論」が実に「アテにならないもの」であるのは昔から。
その「噴き上がり」を事前にいかに抑えるかが肝要か。

「大衆」をそこまで追い詰めない「政策」はどうしても必要。
それをしない結果がおそらくは「今日の無差別テロの頻発」にもつながるはず。

それとは別に。

知り合いの若い男子から「ブラック部活の実態」を聞く。

春休みは毎日「一日練習」だとのこと。
「県外試合」を禁止されているにもかかわらずそれも行われ。

その場合朝5時に出発して帰りは夜の11時にもなり。
親たちがバスを運転していたりもするらしい。

その「酷さ」にクレームをつけた親のいる学年は参加せずという「謎」も。
いったいどうなっていることやら。

事態はほぼ「カルト宗教」のようで。
「少なくとも『監禁』だな」と言っておく。

いたずらな「長時間労働」に意味を見出す「素地」がここに。
他人より異様に時間をかければ「それなりの結果」が出る当然も考慮せず。

もちろんスポーツに熱中するのは結構。
ただし何事にも「限度」はある。

それだけのエネルギーを注いだ結果として「就職」にまでつながればまだしも。
何の「保証」もないままひたすらそこにだけ関わることの「結果」を考えたいもの。

ちなみに彼がやっているのはバスケット。
最近では「Bリーグ」も出来て盛り上がっているのはわかるけれど。

「プロ」はその見返りとしての「収入」を得られるがそこに至る人は限られていて。
おまけにバスケットは圧倒的に「体格」が物を言う「世界」。

稀にその「条件」を「超える者」が現れるとはいえ「本当に稀なこと」で。
そのあたりを顧問の体育教師はいったいどう考えているのだろう。

やはり「プロを目指す世界」と「運動を楽しむ世界」に分けないとどうにも。
その種のことを早急に行わないと「犠牲者」が出続けることは確か。
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「久方ぶりの『やらかし』と映画と英語のお勉強あるいはアパルトヘイト後の南アフリカとたくましい母の素敵さ」について

2019-03-19 01:32:08 | Weblog
『雨のち晴れ。風が冷たい。

仕事場の飲み会。

野郎のあれこれに付き合っていたら終電を逃してしまい。
久方ぶりにタクシーに乗る。

酔っぱらいなのでちょいと歩いた後。
もちろん飲み直す。

久方ぶりに「やらかした」次第。
もっともそれは「うれしいこと」があったせい。

若者たちはそれぞれに生き生きとしていて。
楽しく飲めてしあわせ。

「大菩薩峠」の新しい本を借りてきたものの
それが「都新聞版」とどのようにつながっているのかは不明なまま。

別の図書館には文庫版もあるけれど。
「つながり」を確認することに。

詳細を調べるのも面倒臭く次週にどの本を借りたらいいのかが問題。』で昨夜は爆睡。

自分以外のメンバーの大半は友人の車に迎えに来てもらった模様。
その他のふたりは「朝までコース」になったことをラインで知る。

まずは無事に帰宅できたようでめでたい。

晴れ。夜になると冷える。

「町山智浩のアメリカ流れ者」を読んだのは昨日飲み会に出かける前のこと。

タイトルはもちろん鈴木清順「東京流れ者」(’66)から。
渡哲也の主題歌はこちら

「そういうことだったのね」ということを教えてくれるのがありがたい内容。
TBSラジオ「たまむすび」の内容を編集したもの。

「リベンジ」が「自分のための復讐」で「アベンジ」が「他人のための復讐」。
英語の勉強にもなる次第。

今日は「トレバー・ノア 生まれたことが犯罪!?」を読む。

南アフリカで「アパルトヘイト」が終わる頃に6歳だった著者の生活ぶりのあれこれ。
ちなみに去年グラミー賞の司会をつとめた人物。

本当にいろんな「事実」がわかって面白い。
彼の母親の「たくましさ」も同様に。

「イエス様が最後の保険」だという彼女のキャラクターは何とも素敵。
彼女に起きた「奇跡」がなかなか。

「まともになった息子」には必ずこの種の母親がいることを忘れずに。

さて。

今宵も懲りずに飲む。
「家飲み」は帰る必要もなく眠くなったら寝ればいいだけなのがラク。
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「『終わり』とはほど遠い物語と微妙な映画とドラマあるいは『寒い環境が基本であること』」について

2019-03-17 02:52:32 | Weblog
晴れ。風が吹く。

中里介山「大菩薩峠 都新聞版 第九巻」を読む。

これで終わりかと思いきや何のことはない実は半分足らずで
この後に人気が出たらしい。

「無明の巻」以降も読まずばなるまい。
図書館で探すことにする一方「富士に立つ影」はその後になりそう。

明日仕事場の飲み会があるので今宵は老舗バーへ確認の電話もせず帰宅。

レン・ワイズマン「トータル・リコール」(’12)を観る。

ポール・バーホーヴェンが監督した1990年作品のリメイク。
ただしこれが面白いかと言われると。

シュワルツェネッガーがコリン・ファレルではいかにもな「格落ち」。
シャロン・ストーンはケイト・ベッキンセールへ。

なぜか前作に登場した「クアトー」は再現されず。
アクの強いマイケル・アイアンサイドの「リクター」も消えて。

これでは面白くなりようもなく。
ジェシカ・ビールの「悪妻ぶり」がかろうじて善戦するのみ。

ドラマ「アンダー・ザ・ドーム」を観る。

「ビッグ・ジム」の権力欲とその息子ジュニアのサイコぶりが物語を進めるのではどうにも。
「アメリカの暗部」を描いているのだと解釈すればいいのか。

今のところそれ以外にほぼ物語は動かず。
「ドームに関するSF部分」をもっと描いていただきたいもの。

いずれの作品も原作者のP・K・ディックが泣いてるぜという内容。
見栄えのしないこと夥しく。

それとは別に。

昨夜新しい店を調べてみるつもりだったのだが気が付いたら爆睡。
確かショパンの曲のあれこれを確認しているうちに。

この「無意識の活躍ぶり」を顧みれば新しい店を探す意欲はあまりないと判断すべきか。
さらに「ひきこもる」のかどうか。

あるいは単に「疲れ具合」を測れなくなくなりつつある「老人力」のせいという説も。
今後の展開や如何に。

現在の分析は「暖かくすると眠ってしまう」。
ならば「身体と環境次第」ということにもなるわけで。

「寒い場所で生きること」を基本としていることを納得する。
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「終わるのがもったいない物語とまだまだ続く物語あるいは新しい店を探してみること」について

2019-03-16 01:46:28 | Weblog
くもり。おだやか。

中里介山「大菩薩峠 都新聞版 第八巻」を読む。

いよいよ筆が乗ってきたのか物語の進み具合は実に快調。
いつものようにツルツルと飲み込むのみ。

ようやくシリーズを完読することになるのだけれど
何だか少しばかりもったいないような。

作者が横へ横へと滑らせてきた物語をどう回収するのかが気になるところ。
「アッという結末」よりは「なるほどそうきたか」というあたりがいいなあ。

今回ちょいと暴れた米友はどうなるのだろう。
いずれにせよ明日のお楽しみ。

ドラマ「フルーツ宅配便」を観る。

「グァバ」の飲みっぷりの何とも豪快なこと。
「あたし酔わないから大丈夫」と。

「セクハラオヤジ撃退法」に笑う一方
こういうタイプって突然死んじゃうんじゃないかといささかの心配など。

合コン女子が医者と聞いてやたらに迫るものの
「カンボジアなどアジアを転々としている」と聞いて急に醒めたり。

一転「人材派遣の会社です」と言った主人公に急接近。
デートの場で「デリヘル」だと明かした途端にその場を立ち去る現金さよ。

「シングルマザーの貧困」も知らぬまま。
とはいえ彼女の「貧困ぶり」も同時にあることは否定できず。

物語の都合上「わかりやすい『悪玉』であること」が優先された模様。
どちらも「解決が望まれる問題」ではある。

さて。

明日はいつもより仕事が早く終わるので
ついでに「新しいお店」を探そうかと思案中。

今度はバーはよして居酒屋にするかなどと思いつつ。
以前住んでいたワンルームの近所にあったような店があればいいのだけれど。

今宵はあまり魅力的な深夜番組もなさそうなので今から検索してみるか。
前回は思いがけず成功したものの今回の結果や如何に。

四の五の言わずまずはやってみることにする。
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「久方ぶりの爆睡と研究者の困難あるいはいい気な男の『反省』を描く映画と飲み会」について

2019-03-15 01:52:15 | Weblog
晴れ。風冷たく冷える。

昨日は久方ぶりに爆睡。

TVもPCもスマホも点けっぱなしで寝る。
いまだに「疲れ具合」がわからない模様。

徳田誠「植物をたくみに操る虫たち」を読む。

「研究者の苦労の実態」にふむふむ。
「虫こぶの複雑さ」についても。

まあ「好きなこと」をやっているんだから仕方ないだろう。
それで「飯が食える」のだからむしろありがたいと思うべきか。

クリント・イーストウッド「運び屋」を近所のシネコンで観る。

「好き勝手に暮らしていた男」の「反省記」だと思えばいい。
「仕事より家族を大切にしろ」と。

それにしてもこの老人(齢九十)は野郎にも若い女にも「モテすぎ」。
まあカッコいいから仕方がないけれど。

でもこの「ハッピーエンド」はいささか男に都合よすぎではないかと思う。
「男の愚かさ」をあらためてという趣き。

「ダイク(レズビアン)バイカー」との出会いや
黒人を「ニガー」と言ったら「ブラックピープルと言って」などという「多様性」も。

その後かつての同僚たちとの飲み会に。

「相変わらず」と言うよりないそれぞれのキャラクターを確認する。
みんなあまり飲まないので自分だけ「黒霧島のロック」を次々に頼む。

これでも控え目なつもり。
帰宅後「お礼のメール」を打って飲み直す。

食べた上で飲むと記憶がなくならない。
そうすればいいだけのことを「学ばない過去」があり。

じわじわと楽しい会でよかった。
「カタギの人々」には幸せになっていただきたいだけ。

そのうちのひとりは「筋肉モリモリ」になっていて。
ちょいと触れただけでその具合がわかるほど。

今回来るとは思っていなかったひとりも同様に「鍛えている」らしい。
「肉体改造」は「ある種の鎧」だと思ってくれれば。

そう言えば当時の同僚の女子が「先輩(モリモリ男)の腕だけ欲しい」と言っていたか。
「だけ」というところが肝心なわけで。

曰く「男のいたずらな複雑さ」は「寛容な女子によって回収される」仕組み。
それがそのままでいいのかと言ったら「圧倒的にNO」なのだけれど。

心ある女子にはそのあたりの「按配」をご承知いただきたい。
繰り返すが「野郎はダメ」なことを基本に。
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「魅力的な人ふたりと『妙な癖』」について

2019-03-13 02:13:43 | Weblog
晴れ。夜にちょいと降る。

佐野洋子「問題があります」を読む。

著者のエッセイは初めてのはずだけれど
相当にユニークな人物であることは確か。

これからもっと他の作品も読むつもり。
またひとつ楽しみが増えた感じでうれしい。

それにしてもそんなに「奇妙なうんこ」が出るものなのね。
一緒に観察しつつ突いたりする友人もなかなか。

自宅のトイレは和式に洋式のカバーをつけたものなので
「観察環境」としては恵まれているもののそこまでのブツにはお目にかかったことがない。

いやはや「妙な愉しみ」まで出来てしまった次第。
また「死んだ人とのお付き合い」が増えることにも。

釣り好きの若い男子に話す。

「君はしあわせだ。一生飽きることのないものを見つけたんだから。
 そんなものを見つけられる人は少ないぞ」

「『学校システム』をどうにかやり過ごせば待っているのは『天国』のみ。
 それまでしばしの我慢だな」と。

彼はいささか言動があやしいタイプではあるものの
こと釣りに関しては腕もなかなかで楽しくて仕方がないらしい。

何より「愛嬌」があるのがいいところ。
おそらくは「誰からも愛される存在」であるはず。

「立派な釣り師になれよ」と付け加えたら「うん」と答え。
「ただし人の顔を盗み見るのはやめなさい」と言ったら笑った後でまた盗み見た。

魚とばかり付き合っているせいか。
「死んだ人ばかり」と付き合っている自分もそんなものかもしれないけれど。

普段歩いている時には道行く人々の顔ばかり見ている。
一瞬チラっと見てはその顔を頭の中でなぞり。

思いのほか「瞬間の記憶力」があることを確認して。
とはいえそれが「記憶に残る」かといえばそうでもない。

「去る者は日々に疎し」の短い版のような。
とりわけ「覚えておきたい気持ち」があるわけでもなく。

「妙な癖」だと思えばいいか。
出来れば「味わい深い顔」に出会いたいものだとどこかでは思っている。
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「描写に勝る漢詩と『出世』にこだわる謎あるいは『間違ったベクトル』と被災者に寄り添わない『報道』」について

2019-03-12 02:10:57 | Weblog
晴れ。今日もやや風が吹く。

違う本を持って出かけたつもりが下定雅弘編訳「柳宗元詩選」を読むことに。

いつもとムードが違うので困ったなと思いつつ読み進めるうち
知らぬ間に漢詩の世界に没入する。

全体に難しい漢語が多くそのままでは読めず。
ついつい訳を先に読んでしまうことに。

「漁翁」の描写はまるで「泰西名画」の趣き。
「江雪」では「ズームの魅力」など。

「アフォリズム」としてはあまりこれといったものがない代わりに
「描写の妙」がいい感じ。

「陶淵明」を思いながらそれでも収まらない「都への気持ち」よ。
その揺れ具合がわずかな行間にあふれ。

いったんは都に戻るものの「夷狄の地」へ。
人生の終わりにようやく落ち着く心が。

「ほぼ隠居の身」として不思議なのは「都への情熱の源」。
「出世の道」を降りることはかくも難しいことなのかどうか。

それとは別に。

今の仕事場に来てからずっと続いていたイベントがどうやらなくなりそう。
上司は人の集まりの悪さを理由にしていたものの。

彼の「設定する日時」に実は問題がありそうな。
飲み会の場の選び方にも同じものを感じる。

どうやら「出来るだけ多くの人が集まること」を最優先にしていない模様。
ならば「人が集まらない」のも当然の事に過ぎず。

「間違ったベクトル」を基準にするとすべてがうまくいかなくなるいい実例。
経営者諸氏にも考えていただきたい問題。

「震災報道」を少しだけ見る。

「復興」がうまくいっている場所とそうでない場所の違いが一向に報じられず。
被災者でない者たちの「忘れないでいることの倫理」のみが優先され。

繰り返すが「誰のための報道」なのか。
もっと「被災地の現実」を伝えていただきたいもの。

そして「復興」を妨げるのは何なのかについても。
さらに「復興」を進めるにはどうしたらいいのかについても。

いまだに仮設住宅に住んでいる人々とその未来はどうなるのか。
どういった人々がそこに留まらざるを得ないのか。

彼らが「祈る映像」より「現実」をもっと。
その単純がなぜマスコミにはわからないのだろう。
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「自分の思い付かない『視点』をくれるものふたつ」について

2019-03-11 01:43:24 | Weblog
雨。終日降る。

北原みのり責任編集「日本のフェミニズム」を読む。

「フェミニズム」という言葉を聞いてどう反応するかはどうでもよく。
個人的には「自分の思い付かない視点」を教えてくれるのがありがたいだけ。

本書で一番印象に残ったのは作家笙野頼子の「視点」。
いわゆる「女子」に期待されることを何もしてこなかったのだと。

それが「ありのままの自分」につながり「幸せ」でもあると。
なるほどと思うことしきり。

「アナ雪」にそうした「文脈」があることを迂闊にも初めて知る。
そういう意味での「ありのまま」だったのね。

「売春」に関する理解や歴史と「セックスワーク論」との絡みにもふむふむ。
結局「自由意志」を量っているのは「男」なのが問題か。

マル激の先週分を観る(見忘れていた模様)。

ゲストはデービット・アトキンソン。
何かと「道」にしたがるわれわれの「悪い癖」を言いつつ。

かつてのわが国はすでに「国際連盟」の「常任理事国」でもある「先進国」だった。
だから敗戦以降に人口が増えれば「高度経済成長」も当然だと。

「勤勉」や「高い技術力」がそれをもたらしたというのは「神話」にすぎないという指摘。
「GDP=国内総生産」において結局影響が大きいのは「人口増」だとのこと。

これからわが国が迎えることになるのは「世界初の圧倒的な人口減」。
「生産年齢人口」が「GDP世界5位の国と同じくらい減る」のだから。

それに対する処方箋は「毎年最低賃金を5%上げること」。
「頭の固い経営者」もそうなれば「生産性を上げざるを得ない」ということらしい。

「ルールの変更」によって「淘汰」をしろと。
「自分の意見に圧倒的に反対した者」が「現状が変わる」と言うことが変わるという実例に笑う。

「ハロウィーン」が「海外のお盆」であるにもかかわらず
それを違和感なく受け入れてしまう「足し算」ができるのは「強味」だとも。

「原理原則」を重んじる西洋では「意見を変えた理由」の説明が必須。
ただわが国ではそれが何の説明もなく「自然に行われる」。

繰り返すが「自明であること」を疑うのが「知性」だとするなら
われわれの在り様はほぼ「野蛮人」だと言っていいだろう。

この「砲弾で脅すことのないやさしい『黒船』」をどう評価するのか。
「合理的であること」についてあらためて考えさせられた次第。
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「今宵も老舗バーが休みであることとその裏側あるいは『重い過去』ふたつの違い」について

2019-03-10 02:47:30 | Weblog
晴れ。仕事場で冷房をかけるほど。

今宵も老舗バーへ電話。

留守電の内容は相当前から変わっていないのでどうやら「入院」くらいのことかも。
たしかに「予兆」はあったけれど。

十数年勤めた若者に去られたのがポイントか。
初めて店に行った時が彼の「最後の仕事」の一回前だったはず。

敢えて詳細は確認せず。

本切れで古本屋で千住淳「社会脳とは何か」を買って読む。

いかにも丁寧な書き方がむしろ「魅力」を失わせている趣き。
何も知らない「他人」が何事かを感じるためにはやはり「刺激」が必要か。

著者の記述は親切でわかりやすいのだけれど。
この「矛盾」はいかにも微妙。

ゲイリー・マッケンドリー「キラー・エリート」(’11)を観る。

オリジナルを残念ながら観ていないので比較は出来ず。
今回はジェイソン・ステイサム、オーウェン・クライブ、ロバート・デ・ニーロ。

「暗殺者」としての過去がどこまでも追いかけてくる。
彼女と幸せに暮らしたいだけなのに。

「ハッピーエンド」ですかという内容。
「ハリウッド」なら仕方がないのだろう。

深夜「広瀬アリスが見つめた18歳の旅立ち」を観る。

中学時代に半年ほど「いじめ」に遭った女優の経験と震災の哀しみを重ねて。
母と弟と祖父母を亡くした経験がもたらす「表情の変化」よ。

父への負担を軽くすると同時に
自分が自分として生きて行くことを行動に移して。

人を否応なく別次元へ連れて行ってしまう「災害」。
「無常観」が生まれてくる「土壌」をあらためて。

このあたりを「基本」とすると人はもっとやさしくなれるのかどうか。
とりあえずこの種の「事実」は知っておいた方がいいことだけは確か。

「途方もない現実」を抱えきれない中
それでも「新たな現実」を切り開こうとする人々のことを忘れずに。
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