退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『遠い過去』と災害に対するわれわれの頼りなさ」について

2019-07-31 02:30:18 | Weblog
『晴れ。午後に雷鳴も。

巽好幸「地震と噴火は必ず起こる」を読む。

本書に描かれている「日本列島の成り立ち」を知れば
われわれが住んでいる場所がそもそもいかに危険な場所かはわかる。

大陸から離れた上に東日本は反時計回りに
西日本は時計回りに移動した「遠い過去」を知っておこう。

ウェーゲナーの大陸移動説のミニチュア版がわが国を作ったのだということ。
かの寺田寅彦は観測もしないままその「事実」を想定したことも。

4つのプレートの上にあるのだから「災害」は必ず。
そんな場所に原発などあっていいはずがない。

自らの国土を守るためである一方
世界に放射能汚染の危機をもたらさないためにも。

30m以上の津波が襲ったり火山灰が列島の半分を覆ったりした過去を思えば
防波堤やおざなりな「災害対策」など無意味で。

要は。

われわれの記憶などせいぜい寿命が尽きるまでだけれど
「大災害」のタイムスパンはそれを遥かに超えるものであり。

「人類登場以前」には想像を絶する「災害」も起きていて。
地球の一部が削られて月が出来たんだもの。

そうした歴史を知っていれば「あまりにバカげたこと」は出来ないはずなのだが。
「われわれの愚かさ」をあらためて。

地球という星が「宇宙の中の存在」である以上
「過去と同じようなこと」が今すぐに起きても不思議はないわけで。

「観測者」が居ようと居まいとプレートテクトニクスによる作用は続き。
「ガイア」は人類と無関係にその「法則」を貫くのだろう。』で寝る。
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「好ましい『叩き台』とどこまでも『子ども』であるのかどうか」について

2019-07-30 01:12:56 | Weblog
晴れ。今日も暑い。

加藤典洋「敗戦後論」を今頃読む。

本書が出てもう20年以上になるけれど
残念ながらこの議論はどうやら今でも通用しそう。

戦争による自国民の死者への追悼と諸外国の死者への追悼をいかに両立させるのか。
その課題はいまだに解決されていない模様。

「『護憲派』は、原爆の死者を『清い』ものとし、
同じく『改憲派』は兵士として死んだ自国の死者を『英霊』とし、清くする。」

「侵略戦争を行った」という事実からすれば
原爆の死者も死んだ兵士もすでに「汚れている」のだと。

もちろん天皇も生き残った国民も同様に。
軍部や新聞のみを「悪玉」にするのは「間違っている」と。

大岡昇平も吉田満もいなくなって久しい現在
「戦争を引き起こした上に負けてしまう意味」を述べる者もなく。

「サンフランシスコ平和条約」を受け入れた過去がありながら
「過去の戦争」を肯定する者もあり。

そんなザマで政府同士でまとめたはずの「取り決め」を
一方的にないことにする韓国を非難できるのかどうか。

どっちもどっちではないのか。

著者の考えを受け入れるかどうかは別として
このような「叩き台」を作ってくれたことには感謝したいもの。

「『押し付けられた』憲法」をなしくずしに認めるよりは「選び直す」方がマシ。
「明確な決意」を示さないとどうにも。

「護憲」でも「改憲」でもなく「それ以前のお話」のような。
とはいえわれわれにそうした「覚悟」を決めるだけの「熟議」が出来るかは大いに疑問。

いつまでも「好き嫌い」でしか物事を判断できないのだとすれば
われわれは永遠に「子ども」であるしかないのだが。

「苦さ」を拒絶するだけならそうなるよりない。
「恥ずかしいこと」だと言っておく。

「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ
日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジスギタ(中略)

敗レテ目ザメル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ
俺タチハソノ先導ニナルノダ」

「戦艦大和ノ最期」に描かれた言葉を思い出そう。
大和の出陣が「自殺行為」だという話し合いの中で出た言葉よ。

彼らをそういう場所に追い詰めるのが戦争であることを知っておこう。
そしていたずらにそうしたものを「美化」する「愚かさ」についても。

「負けた事実」は本来われわれを「逞しくする」はずのもの。
それがどこまでも誤魔化されれば「ひよわな花」で終わるのみ。
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「わが国の男のショボさ」について

2019-07-29 02:00:26 | Weblog
晴れ。暑い。

斉藤章佳「男が痴漢になる理由」をそれと気付かず再読。

「痴漢」が「ストレス解消のための依存症」だという認識を再び。
もちろんそれで許されるわけもなく。

外国にこの種の行為がないことを覚えておこう。
再犯率が圧倒的に高く「治療」が必要。

「薬物依存」と同様に「止め続ける」のが重要だったり。
ただしそのための「公的プログラム」はあまり効果のあるものではなく。

加害者に被害者への「共感」がないのもポイント。
裁判における「謝罪」も「儀式」にすぎないと。

何より驚くのはかつての加害者たちがアンケートで「『生きがい』を失った」と答えている事実。
伺われるのは「相当な中毒性」だけれど。

加害者は「いかにもな人」でなく「ごく普通の真面目そうなサラリーマン」だとのこと。
もっとも彼らの「認知の歪み」はかなりのもので。

「満員電車」という環境の改善も大切である一方
「弱い者」を見つけて「思い通りにする」という男たちの脆弱さよ。

彼らが被害者の苦しみを本当に知る日が来ることを祈る。
同時に世間の「痴漢」に対する認識を改めたいもの。

園子温「獣でなぜ悪い」を読む。

吉高由里子、満島ひかりとの出会いや著者の育った環境にふむふむ。
わが国特有の「若いアイドル好み」に関する指摘に大いにうなずく。

女性に対して「もっと自由に」と思うのにも同感。
成瀬巳喜男「浮雲」(’55)に対する評価になるほどそういう見方もあるかと。

なぜ「成熟した女性」を好まないのかといえば「自分が未熟だから」。
おそらくこのひと言に尽きるのではないか。

レディー・ガガ、ビヨンセ、ジェニファー・ローレンスあるいはシガニー・ウィーバー。
わが国では渡辺直美を挙げているので「好み」はわかろうというもの。

「この国にはリアリズムが欠けている」や「自由=インテリジェンス」
あるいは「考えることを諦める人々」という「タイトルの付け方」がいい感じ。

中国の映画界の「現実」はわが国の「閉鎖ぶり」よりよっぽどスゴイのだとも。
シモーヌ・ヴェイユを持ち出したり「古典を読め」というのも実に真っ当。

先日「アンチポルノ」(’17)がGyaoにあったのに見逃したのが悔やまれる次第。

それにしても「わが国の男子のショボさ」ときたら。
「せめて犯罪に関わるな」と思うのみ。
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「歴史を『立体的』に捉えることあるいは従来とは異なるヴァンパイア映画」について

2019-07-28 01:46:59 | Weblog
雨。降ったり止んだり。

「司馬遷 史記の世界」読了。

そうか「年表」もいろいろあるのかと思った次第。
著者が「立体的」だという所以もそこに。

「人間が『歴史』を作るのだということ」をあらためて。
「数字でない評価」に司馬遷の気持ちを読み取る著者にふむふむ。

いやはや楽しませて頂きましたというのみ。
明日は「史記」を借りてくることにするか。

台風の影響はほぼなく。
今宵も早く帰宅して夕食後二階へ。

マイケル&ピーター・スピーリグ「デイブレーカー」(’08)を観る。

ヴァンパイアと人間の立場を入れ替えているのが面白い設定。
前者の「餌食」である後者が「絶滅危惧種」だなんていいじゃないの。

「死を恐れる人々」がヴァンパイアになった一方
主人公イーサン・ホークはそのことをむしろ悔やんでいて。

なぜか「エルヴィス好き」なウィレム・デフォーがいい感じ。
アメ車サンダーバードも登場。

自分に従わない娘を持つ血液供給企業の悪玉社長にサム・ニール。
父娘と同様に兄弟の葛藤もあり。

「ウロボロスの蛇」のようなラストが味わい深い。
銃撃戦で車に空いた穴から入る太陽光線に苦しむ姿もなかなか。

本作を撮ったオーストラリア出身の監督を知っておこう。
プリデスティネーション」(’14)よりこっちが面白いかも。

もちろんこちらの判断なので詳細はそれぞれにお確かめを。
いずれもそこそこ楽しめること請け合い。
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「『世界』を知るための『史記』と何ともいい感じな映画」について

2019-07-27 01:53:15 | Weblog
晴れ。夜になって降り出す。

青空の下で傘を持って出かけたのはいいけれど。

帰りの地下鉄で置き忘れバスに乗ったものの濡れるハメに。
何をやっておるのだか。

武田泰淳「司馬遷 史記の世界」を半分くらい読む。

「昔文庫で読んだ時にいったい何を読んでいたのか」と思うほど。
実に魅力的な「史記の解読」であることを確認する。

宇宙や方程式が出てくるあたりの描写もなかなか。
明日読み終わるのが楽しみ。

なるほど著者はこの処女作を超えられたのかどうかは微妙。
とはいえこの「視点」を持てることが凄いのだと言っておきたい。

こうなれば史記も読まざるを得ないか。
だっていろいろ確認したくなるんだもの。

スティーヴン・ソマーズ「オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主」(’13)を再見。

原作はディーン・R・クーンツ。
これまた昔にあれこれ読んだはず。

「死者の霊」と「ボダッハ」という惨劇に吸い寄せられる存在が見えてしまう青年が
自分が暮らす街に後者が大量に集まってきているのに気付きどうにかしようとするお話。

笑わせる部分もありながら怖がらせもし
はたまた泣かせたりもするのだから「藤山寛美」以上の出来かも。

恋人スモーキーの アディソン・ティムリンや
幼い妹ふたりを育てるヴァイオラのググ・バサ・ローが実にキュートなのもいい感じ。

主人公が頼りにする署長にウィレム・デフォー。
妻と楽しくやっているところへオッドから何度も電話が来るあたりの描写も好ましく。

これをわが国の俳優陣で演じたらどういうキャストがいいのだろうなどと。

主人公は池松壮亮で恋人には広瀬アリス。
ヴァイオラには高橋メアリージュンなどいかが。

とりあえず浮かんだ俳優を並べただけなのでよろしく。
それぞれに楽しんで頂ければ結構。

詳細は本作を観て確認の上で。

さて。

明日は台風次第で仕事が休みになる可能性もあり。
このところ「早起き」が続いて寝てしまうことが多いのでそれもまた楽しからずや。
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「ジャズマンの楽しさと外国人労働者の犠牲」について

2019-07-26 02:08:59 | Weblog
『晴れ。今日もついついバスに。

山下洋輔「猛老猫の逆襲」を読む。

久方ぶりの著者のエッセイ。
若い頃にあれこれ読んだもの。

相変わらずそのエネルギーは健在でうれしい限り。
そうかもう喜寿になるのね。

それにしても旅から旅への毎日の忙しさ。
国内はもちろん海外へも。

坂田明の「田中角栄のモノマネ」と「身近なものへの説教」にあらためて笑う。
あらためてこれを。

彼が「ま、このー」と言っただけで笑えるというスゴイ芸。
個人的に好きなフレーズは「共産党の世の中でこんなことが出来ますか」。

今の政治家に全く「演説の話芸」がないことを思うと同時に
その圧倒的な劣化を思うのみ。

その一方。

NHKスペシャル「夢をつかみにきたけれど ルポ・外国人労働者150万人時代」を観る。

100万円の借金を背負って母国を後にしたベトナムの若者の現実よ。
「金儲け」しか考えていない「語学学校」の現実を知り。

「技能実習生」という身分を捨てれば自動的に「違法滞在者」に。
それでも家族のことを考えれば違法であろうと働かざるを得ない現実があり。

やがて「賃金未払い」の悪徳業者につかまり。
「過労死」以上の労働をさせられた挙句に自殺や事故死に至る事実を知ろう。

「ゴミを拾うこと」で海外にふむふむと思わせる前に
「ゴミ扱い」される外国人たちの苦境をどうにかするのが先決のような。

やはり「人権=最低限の生活の維持」が忘れ去られている趣き。
そうした「環境」を共にする日本人との「連帯」がもっとあってもいいはず。』で寝る。
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「昔の慶応ボーイの清々しさとカワイルカあるいはふたつの『騒動』の背後にあるもの」について

2019-07-25 01:42:40 | Weblog
晴れ。35度と聞いて今季初めてバスに乗る。

昨日は知らぬ間にまた爆睡。

「小泉信三エッセイ集Ⅰ 善を行うに勇なれ」を読む。

「共産主義批判の常識」の著者のいかにもな「慶応ボーイぶり」よ。
同大学出身の水上瀧太郎「貝殻追放」を褒めているのにふむふむ。

ある種の「豊かさ」による清々しさとでも言えばいいのか。
何しろ大正初年に「欧州留学」だもの。

「疑いのない正直さ」は今ではむしろ「美徳」だろう。
現在の学生たちもこうした過去を知るべきか。

「貧すれば鈍す」が普通になった現在
著者のような生き方は相当に難しそう。

杉松治美・浦環・小島淳一共著「人と生きるカワイルカの生態に迫る」を読む。

内容が面白いかと言われると微妙。
「キャノン財団」に支援を受けた研究の報告書だと思えばいいか。

それにしても結構な時間と労力をかけている割りに「わかったこと」が少ない感じ。
だからこそ「志ある者」はこの道を進んでもいいという見方もできるけれど。

ちなみに中国のヨウスコウカワイルカはすでに「絶滅」してしまった模様。
こんな記事があったので参考までに。

それとは別に。

吉本の騒動について思うのは
そもそも「元マネージャーたち」に「企業経営」など可能なのかということ。

プロ野球における「名選手名監督ならず」に似たことが別な分野でも。
むしろ気になるのは「もうひとつ」の方。

経営者側に分が悪いのをいいことに「正義」を言い募る輩たちの多いこと。
その前に自分たちの「労働環境」を何とかしようという気はないのかと思うのみ。

「他人の土俵」で「ガス抜き」している場合なのだろうか。
「正義を語ること」の快感は大きいので余計に注意したいところだけれど。

京都アニメーションの悲惨な事件についても同様に。

「あぶない人」に誰も「手を付けなくなった」結果「純粋培養」されてしまい。
「妄想」と「現実」が絡み合って「事件を起こす者」が生まれる「仕組み」よ。

結局のところそうした人々への「ケアもしくはセーフティーネット」がないと
この種の事件は定期的に起きてしまうような。

各地に専門家の常駐する場所があって地域の協力の下で対処していかないとどうにも。
そして国や地方自治体は予算をきちんとつけないと。

いずれにせよ。

「義憤」や「悲惨」を語るばかりではどうしようもない。
もっとも「オリンピック騒動」でそんな考えはかき消されるのだろう。

常に「現在」しかない環境を生きるとどうしてもそうならざるを得ず。
そこに「学習能力はないのか」とあらためて思った次第。
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「病原体=人間であることと『下等遊民の暮らしぶり』」について

2019-07-23 02:26:22 | Weblog
雨。終日降ったり止んだり。

益田昭吾「病原体から見た人間」を再読する。

「常在性」とは「生物が環境の復元力を損なうことなく、安定して存在する性質」、
「病原性」とは「生物が環境の復元力を超えて増殖してしまう性質」だとのこと。

なるほどわれわれ人類は「病原性」を持つ生きもの。
地球に「寄生」するならもう少しおとなしくすべきか。

著者の文体は「時間と自己」の木村敏に似ていて繰り返される指摘はまるで「呪文」。
心が「絡めとられる」趣きに本書そのものが「粘菌」のようにも思えて。

この不思議な感覚を一度是非という感じ。
今回はこちらの都合のせいでじっくり付き合えなかったけれど。

いつもとは「異なる世界」が見えるはずなので是非。
「科学をまとった靄」に包まれてみるのも楽しからずや。

それとは別に。

今週はスケジュールを立てるのがヘタな上司のせいで「早起き週間」に。
もちろん「カタギ」の方々と比べればどうってこともなく。

以前の「朝から晩までパターン」と比べても同様。
収入を増やすことより激務を避けるスタイルに。

「季節労働」をやめてもう何年になるのだろう。
それが可能なのも母親に「寄生」しているせいだったり。

「物欲」はないのでどうにか成立している次第。

タバコ一箱とコーヒーで毎日770円。
ひと月分として30倍すれば2万3100円。

4ℓの焼酎が月に3本なら1800×3=5400円で合計は2万8500円。
4本になれば3万300円。

映画館へ行ったり飲み会があったりしなければそれで済む。
老舗バーへ行かなくなったせいもあってこんな感じ。

まるで「30年ローン」を抱えた夫のような。
ちなみに借金は0なのでよろしく。

「必要経費」がこれくらいなのだから「地味な暮らし」と言ってよかろう。
特に不満もなく。

これでどうにか貯金もできるというわけ。
まあ多少の「雑費」はあるにせよ大した金額にはならず。

本は図書館で映画はGyaoで音楽はyoutubeで済ませればこんな具合に。
昔の人々の苦労を思えばありがたい限り。

かくして「下等遊民の暮らし」は続く。
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「封殺される過去と『貧すれば鈍す』あるいは『物語の意味付け』」について

2019-07-22 02:58:30 | Weblog
くもり。歩くと暑い。

大澤真幸「サブカルの想像力は資本主義を超えるか」を読む。

「シン・ゴジラ」(’16)は「オタクが世界を救う」のだという解釈で
「砂の器」(’74)「飢餓海峡」(’65)「人間の証明」(’77)の「共通項」がなかなか。

「善意の人の訪れ」によって「過去」が暴かれ「現在」が脅かされると。
そのために主人公たちは等しく「殺人」を行うという「物語」。

「解放軍」としてのアメリカを「信じること」によって成り立つ現在が
「敗戦の事実」が浮き彫りになるのを怖れて「封殺」される仕組みと「同型」。

「手を汚した過去」を抱え「成功した者」は「過去」に脅える。
「敗戦」から「経済成長」に至った「わが国の姿」を思い出そうと。

結局「属国」にすぎない「独立」だった「事実」がある。

その他にもいろいろあるので著者の撒いた「タネ」に引っかかれば幸い。
その「努力」をきちんと評価したいところ。

マル激を観る。

今回は過去の参院選の「マニフェスト=公約」を振り返る回でゲストは木村草太。
現今の政治家たちに「価値感」がないことをあらためて。

「現在の維持」しかない「貧しさ」が続いている模様。
「政権維持のための政権」というのには嗤うよりなし。

経済的に逼迫している若者たちは「未来」を考える余裕もなく。
「貧すれば鈍す」のはどうしようもない。

「圧倒的な貧しさ」の中で「わずかな上昇」が評価されることも。
「アベノミクス」が「成功」だと捉えられたりもして。

有権者も含めて「ひたすら貧しい」だけなので話は盛り上がらず。
木村草太が伊勢崎賢治を「法律のわかならい人」だと言うのが印象に残る。

オースティン・チック「バッド・ガール」(’12)を観る。

「自分の都合(セックスの道具)」としてでしか女子と付き合えない男たちへの「復讐」。
とはいえ「虐待された過去を持つ女子の主人公への愛情」の在り様もいやはや。

前半に「動き」がないのがなんとも。
「ハゲた中年の妻子持ち」に惹かれる主人公が微妙でもあり。

「女子の男子への絶望」は大いにわかるものの。
男女を問わずもう少し「個人的に考えれば」と思うのみ。

「ループ」を思わせるラストの描写があるので
どうやら監督は「これが『現実』だ」と言いたいらしい。

「出会い」がよかったのか悪かったのかを判断する上で肝心なのは
そこで「終わり」だとするのかどうか。

「物語」は常に「書き換えること」が可能。
「過去」に留まって「意味付け」をしているだけではどうしようもなく。

とりあえず死ぬまでは続くのだから。
せめて「豊かなもの」にしたいもの。
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「息の長い感情の在り様といささか辟易することあるいは『地味な暮らし』」について

2019-07-21 02:42:54 | Weblog
くもり。蒸す。

「楚辞」読了。

「天問」を代表とするその長さと同じ感情の強さにいささか辟易する。
ここまでの「心情」を持つのは「西洋の息の長さ」に同じく。

おそらく屈原の作ではない「漁父」は
本書を読んだ「別人の感想」を付け加えたものではないか。

「批評のあり方」としては実に見事で(巻末にあるのもなかなか)
読者としても同意するよりない出来だと言っていい。

現代で言うならいわゆる「意識高い系の人々」に対する揶揄だと思ってもよさそう。
曰く「泥に塗れればいいじゃないか」と。

「正しさ」に安住するのはむしろ「害」かも。
「現実を見ないだけ」とも言えるわけで。

屈原の気持ちはわからないでもないけれど
もう少し控え目であってくれたら好ましいのにと思うのみ。

彼や三島由紀夫より西部邁の方がいいなあ。
「檄文」というのはやはり「ロマンチックのなせる業」だもの。

あるいは武田泰淳。
「司馬遷は生き恥さらした男である。」で始まる「司馬遷―史記の世界」を思い出し。

かつて文庫で持っていたものの引っ越しの際に行方不明に。
明日図書館で借りてくることにするか。

おそらく昔とは異なる感想が浮かぶはずで。
少なくともそれを「自分の成長の証し」だと確認するためにも。

さて。

老舗バーに行かなくなって早や7ヶ月。
新たな場所を探すのもめんどくさいままに。

いっそう「隠居」の度合いが深まった次第。
「自家中毒」にならないように注意しつつ。

たまにスマホでバーを探したりしてみるものの生来の「腰の重さ」が災いして。
それほど「魅力」を感じていないのやもしれず。

「地味な暮らし」が続く模様。
「友」と呼ばれるにふさわしい存在であるべく自分なりの「精進」は変わりなく。

お役に立てることがあったら幸い。
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