退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「自転車で走ることとやっぱり『情報量』が多すぎる作家の作品あるいは『男子の妄想ぶり』を描いた作品」について

2021-11-30 03:06:09 | Weblog
晴れ。おだやか。

自転車で走る。
メガネの受け取り以外は適当に。

今までずっと黒縁でいたのでちょいと「色気」を出そうなどと。
果たしてどうなることやら。

橋本治「性のタブーのない日本」を読む。

「穴」としてのヴァギナと「余った部分」としてのペニスの交合。
「オッパイ」はむしろ「子どもが吸うもの」なので色気はなく。

これまた圧倒的な「情報量」に途中から付いていけなくなる。
明日は筋肉痛になるかも。

プレストン・スタージェス「殺人幻想曲」(’48)を観る。

レックス・ハリソンとリンダ・ダーネルの「幸せなはずの夫婦」よ。
妹のバーバラ・ローレンスとルディ・ヴァリーの夫婦もなかなか。

「男の嫉妬」のどうしようもなさを描いた作品だと思ってよさそう。
ロッシーニ、ワーグナー、チャイコフスキーの音楽なども。

後半のドタバタぶりの「異常さ」は何なのだろう。
どこか「病んでいる」趣き。

「嫉妬」の基本は「自分が好きな相手」を自分以上に楽しませる「他人」がいること。
学生時代の記憶が甦り。

ここまで疑いだしたらキリがないでしょうと思うことしきり。
それを「愛」だと呼んでいいのかどうか。

本作では女子が「受け入れる」のだけれど。
「現実」では「無理筋」だろうと思うのだが如何。

やはり「男目線」で描かれた内容。
「男子の厄介さ」をあらためて。
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「かの作家の『公共心』と『正しさ』に溺れるダメな政治家たちとわれわれあるいは『対等』な男女を描いた映画」について

2021-11-29 02:52:27 | Weblog
晴れときどきくもり。夕べの酒が残り。

「橋本治のかけこみ人生相談」を読む。

かつて「青空人生相談」というのをやったはずで。
なぜそれを再びという謎を知りたくて。

相談者たちの「愚かさ」を確認したかったのかと思うことしきり。
ここでも「民度」が問われる次第。

どうやらその「事実」を明らかにしたかった模様。
著者の「公共心」には恐れ入るのみ。

マル激を観る。

「民主党」系列の「松下政経塾」関連の政治家の「愚かさ」を知る。
自らの「正しさ」に居座って「政治」をしないのだからどうにも。

シンプルに言うなら「お子様」。
すでに「汚れた自分がいること」を認められないなら「政治家」になどなるな。

同時にそうした人々にいたずらに「賛同」する選挙民=われわれがいたりして。
マッカーサーが「正しかったこと」をあらためて。

どこまでも「現実」に向き合えない姿よ。
その行く末は「金と権力を持った者たちの好き勝手」だとして。

エルンスト・ルビッチ「青髭八人目の妻」(’38)を久方ぶりに再見。

ゲイリー・クーパーとクローデット・コルベール。
冒頭は「桃色の店」(’40)とほぼ同じ設定であることを思い出し。

何より好ましいのは恋人ふたりがここまで「戦うこと」だったり。
徹底的に「言い合う」姿はむしろ好ましく。

脚本にチャールズ・ブラケットとビリー・ワイルダー。
「チェコスロバキア」の文字の扱いは後者の感覚だと思われる。

デヴィッド・ニーヴンが「若造」なのだからいやはや。
公爵エドワード・E・ホートンの「貴族ぶり」もあり。

この「自由さ」が現代にないのは何故なのだろう。
その種の疑問はもっとあっていいはず。
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「言語の違いによる『世界』と楽しいイベントの帰り道の記憶がないこと」について

2021-11-28 06:56:36 | Weblog
晴れ。風強し。

片岡義男「日本語と英語 その違いを楽しむ」を再読。

「状態」を記述するのみの「日本語の世界」よ。
それとは別に「主語と動詞」がある英語の「論理的である姿」。

「東北大震災」の結果を指摘していることに今さらながら気付いた次第。
「『なる』と『する』の違いの大きさ」たるや。

「言語の在り様」によって「世界の認識」が変わる。
そのことを覚えておきたいもの。

仕事場で久方ぶりの「イベント」。

同僚の女子の妊娠を知る。
まずはめでたい限り。

普段は「厳しい顔」を見せている彼女がどこか「和やかな表情」に。
これだけは絶対「男子にはないもの」。

全体は「3つ」に分かれて会話していた模様。
終電に乗って帰ったものの。

乗り換えの駅で降りそこねて。
仕方なくタクシーを拾って帰宅することに。

何事かをやらかさずに帰宅できたのは「幸い」と思えばいいか。
相変わらず「ダメの人」であることを確認する。

というわけで。

今頃目覚めて書くことに。
帰宅時の記憶はないままに。

「今日だけは全部覚えておこう」と思ったにもかかわらず。
昔からこれだけは変わらず。

この「病気」はおそらく治らないのだろう。
なぜか「楽しい時間」を忘れ。

とりあえず「何もなければ」OK。
「観察者」がいてくれればありがたいのだけれど。
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「乾いた『笑い』が味わい深い小説と監督の『過去』とは無関係に素敵な映画」について

2021-11-27 02:19:32 | Weblog
晴れ。夜風が冷たい。

イヴリン・ウォー「愛されたもの」を読む。

トニー・リチャードソンの映画(’65)の原作と気付かないままに。
そういう「巡り合わせ」だったのだということで。

英国人気質が浮かび上がらせる「アメリカのキッチュさ」。
ハリウッドに殺されることになる英国人もいて。

バーローの「冷酷さ」とサナトジェナスの「純粋さ」よ。
そこに「ママズボーイ」のジョイボイも絡んで。

70年代のアメリカの「乾いた映画の雰囲気」の大本はここだったのね。
本作をリメイクしようと思う人々が出て来ることを期待したいもの。

エリア・カザン「ブルックリン横丁」(’45)を観る。

ジョニーのジェイムズ・ダンの明るさが何とも。
もっともアイリッシュらしく「アル中」で。

その娘フランシスのペギー・アン・ガーナーの「可愛さ」が何とも。
「貧困」に苦しむ妻ケイティーのドロシー・マクガイアはかつての「幸福」を忘れ。

彼女の姉シシーのジョーン・ブロンデルのキャラクターが好ましく。
ケイティーに惚れる警官マクシェインのロイド・ノーランの「控え目ぶり」も。

祖母ロメリーが「訛った英語」で話す「大事なこと」よ。
フランシーの弟ニーリーのテッド・ドナルドソンの「空腹ぶり」に笑い。

かの監督は確かに「赤狩りの時代」に「仲間を売った」けれど。
こんなに魅力ある作品を撮った監督であることも忘れずに。

人は「複雑な存在であること」。
アニー・ローリーの歌がいい感じ。
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「美しい生きものと『大昔の喜劇映画』」について

2021-11-26 02:06:34 | Weblog
晴れ。寒さは緩みおだやか。

並河洋・楚山勇「クラゲ・ガイドブック」を見て読む。

さまざまなクラゲの姿とそれに似た生きものの姿を確認する。
その美しさと不思議さをあらためて。

もっとも本書は21年前の作品。
その後に新種あるいはかの生きものの暮らしぶりに発見があったかも。

カツオノエボシの青い気泡体はまるで「プラスチック」。
もちろん猛毒があるのでご注意を。

どうしてこんな生きものたちが生まれたのかと思うことしきり。
途方もない年月を経て「自然」が生み出すものよ。

さらにはクラゲが「いいエサ」になっていることも。
この「至れり尽くせりぶり」が何とも素敵。

ノーマン・Z・マクロード「腰抜け二挺拳銃」(’48)を観る。

脚本にフランク・タシュリン、音楽ヴィクター・ヤング、色彩はナタリー・カルマス。
ボブ・ホープとジェーン・ラッセルが主演。

正直「現代の感覚」からすると怠く。
ボブ・ホープは「台詞の人」だから翻訳ではその面白さも減るとはいえ。

唯一ラストにはなるほどと思った次第。
主題歌「ボタンとリボン」はダイナ・ショアも歌い当時「バッテンボー」と。

ただし時代を思えばカラミティ・ジェーンが「主役」で。
西部劇では「伝説の存在」なので覚えておこう。

「繰り返し」がうまく使われている描写にふむふむ。
興味のある向きは「珍道中シリーズ」を是非。
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「すでに『横道』をする余裕もない現在と『アウトローの好ましさ』を描いた85分の映画」について

2021-11-25 01:46:45 | Weblog
晴れ。今日も雲が多い。

佐倉統「科学の横道」を読む。

対談相手は茂木健一郎、浦沢直樹、児玉幸子、吉松隆、堀江敏幸、牛場潤一、
黒田龍之助、元村有希子、小川眞士、三好春樹、嘉田由紀子に東浩紀。

10年前の作品だがこれまたあまり刺激はなく。
「人権感覚」同様にわが国には「科学する態度」がないことをあらためて。

「葬儀に誰も来なかった女性」についての三好春樹の発言がなかなか。
「30代の看護士の葬儀」では多くの人々が悲しんだが彼女は誰も悲しませなかったと。

残念ながら人々の「劣化」が進んだ結果「科学」どころではなくなった現在よ。
それでも「人を育てること」の重要さだけが残る。

本書でも登場するが「最良の教育」は「若き日に『人物』に出会うこと」。
もっともそれも「運次第」なので微妙なのだけれど。

ロイド・ベーコン「オクラホマ・キッド」(’39)を観る。

厳格な家族の元を「離れ」気楽な生活を送るキッドはそれでもそばにいて。
マコードの悪事を「自分流のやり方」で片付けるというお話。

ジェームズ・キャグニーは「アウトロー=法外の人」だが何とも気持ちのいい存在。
「西部劇」に登場する悪玉ハンフリー・ボガートが珍しく。

ジェーンのローズマリー・レインはキッドの兄ハーヴェイ・スティーヴンスと「いい仲」。
とはいえ彼女は徐々にキッドに惹かれていく。

「法」に従った挙句「縛り首」にされる父親にヒュー・サザーン。
「正義」を貫こうとするハードウィック裁判官にドナルド・クリスプ。

悪玉のひとりハンドリーにジョン・フォード作品でお馴染みのワード・ボンドなど。
この好ましい物語が何と85分という短さも素敵。
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「『他人のフンドシで相撲を取る』結果と『イノセンス=無邪気』が実は『罪』であったりすること」について

2021-11-24 02:45:29 | Weblog
晴れ。やや雲多し。今季初めてハーフコートを着る。

クレア・マリィ「『おネエことば』論」を読む。

残念ながら本書には「刺激」がなく。
著者があれこれ「調べたこと」はわかるものの。

「論」というにはあまりに「考」がないままに。
いわゆる「おネエ言葉」が「攻撃性を緩めるもの」であることだけがわかる。

どこまでも「本当のこと」が隠されるわが国特有の磁場ゆえ。
TVではとりわけ「攻撃性」は好まれず「笑い」をまぶす次第。

ある時期以降なぜ「おネエ」が好まれているのか。
その理由をちょいと考えてみると。

「KY」を怖れる「普通の人々」が「代弁者」として「おネエ」を選んだような。
「異形の者」である存在とは「利害関係」もないことだし。

その奥底にあるのは「自分は言えない・言いたくない」という思惑。
どこまでも「他人のフンドシで相撲を取る『普通の人々』の姿」よ。

ある種の「言論統制」の中での「ガス抜き」。
それがわかっているからこそマツコ・デラックスは「引退」を考えていて。

要はいかに「覚悟と責任」を持って生きている人々が少ないかということ。
自分だけ「安全地帯」に居るのではなるほど「社会が腐る」のも当然と言うよりなく。

押井守「イノセンス」(’04)を観る。

映像と物語がともに魅力のあるアニメーション。
西洋と中国の古典からの引用はどこかゴダールを思わせなくもなく。

草薙素子の描写はスパイク・ジョーンズ「her/世界にひとつだけの彼女」(’13)の先駆。
もっとも本作の彼女は「やさしい」のだけれど。

「暴力とセックス」の陰影もあり。
人間と人形のどこが違うのかという「問いかけ」が趣き深い。

「助けて」と繰り返す出荷検査部長の娘を責めるバトーの姿を覚えておこう。
「人形になりたくなかったんだもん」という彼女の言葉には「差別」が。

「イノセンス=無邪気」が引き起こす「結果」を忘れずに。
ラストでトグサが娘に贈るプレゼントが「青い目の人形」であるのも同様に。

ロドリーゴ「アランフェス協奏曲」がエンディング・テーマで。
Follow me」という歌詞で伊藤君子によって歌われている。

ジブリやドリームワークスも関わっていたり。
竹中直人の「声のよさ」を確認する(大塚明夫や山寺宏一は当然なのだとして)。
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「『ロスジェネ』のあれこれと描写が素敵な映画あるいは興味深いが微妙なところもある科学書」について

2021-11-23 02:15:01 | Weblog
雨。夜には止む。

昨日はまたまた寝落ち。

気付いたらそうなっているのだからどうしようもなく。
意識とは別に「疲れている」ということなのだろう。

雨宮処凛編著「ロスジェネのすべて 格差、貧困、『戦争論』」を読む。

「ロスジェネ」は「30代半ばから40代半ば」。
「かつての『普通の暮らし』」を奪われた人々で。

未来に「希望」を持てず結婚や出産からも遠ざけられ。
一度「レール」から外れたら元には戻れず。

対談相手は倉橋耕平、貴戸理恵、木下光生、松本哉。
「金に関係なく楽しく暮らす」松本哉の姿がなかなか。

ツイ・シウェイ「雪暴 白頭山の死闘」(’19)を観る。

金塊強盗に仲間を殺された刑事カンハオは恋人の医師スン・ヤンとの結婚をためらい。
猛吹雪の白頭山で犯人逮捕を目指すのだがというお話。

何より吹雪の描写がいい感じ。
強盗やグオ・サンたちの「人間関係」もなかなか。

全編にわたって重苦しい雰囲気が続くが本作はむしろそれが好ましいのかも。
敢えて言えば後半の「工夫」はいらないといったところ。

強盗の兄とカンハオが対決するシーンの風と雪の猛威よ。
ここだけでも観るに値すると思うことしきり。

松原隆彦「なぜか宇宙はちょうどいい」を読む。

副題に「この世界を創った奇跡のパラメータ22」。
要は「世界の誕生に絶妙に好都合な条件」について。

もちろん科学はHOWを問うのみ。
WHYは永遠にわからない謎。

詳細については敢えて書かないので本書まで。
ただし「『創造主』の存在」を匂わせるラストは微妙。

著者の「サービス精神の結果」だとは思うものの。
「神の実在」を信じる人々をいたずらに「刺激する」と思われるので。
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「『インチキ』が許される土壌と『いびつな世界』における奇跡あるいは『続編の呪い』」について

2021-11-21 02:35:06 | Weblog
晴れ。おだやか。

本切れで橋本治「父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない」を再読。

「バットマン・シリーズ」を観た後だと理解は深まるといったところ。
どこまでも「劣化」を続けるわが国の「現状」をフォローしていて。

要は「インチキ」がそれだと認められないことについての指摘に尽きる。
何故それが許されるのかを思いたいもの。

「李下に冠を正さず問題」はここでも。
世の中にいまだ跋扈している「昭和の残骸」が何とも。

「組織内部の事情」をそのままに発言する人々の「異常さ」。
「オヤジの無前提」を女子はどうするのだろう。

マル激を観る。

今回は大谷翔平の「奇跡」について。
類い稀な素質が傷つけられずに「開花」した現実よ。

ひたすらに「上を目指す」彼にとって「周囲からのあれこれ」はどうでもよく。
その彼にして「トミー・ジョン手術」を受けなければならない事実もあり。

日本人選手が「パワー」でかの国の選手たちを超え。
それにしてもわが国の「指導者たちのいびつさ」を思えば。

「育てる者の視点」より「育つ者の視点」をもっと。
「個々の長所を伸ばすこと」にいっそう重点を置かなければならないはず。

三池崇史「土竜の唄 香港狂想曲」(’16)を観る。

かの監督作品なので期待したのだが残念。
「失敗」と言わざるを得ない内容。

本田翼は「頑張っている」。
古田新太は「いつも通り」だとして。

瑛太の「正義」が弱く。
菜々緒はあまりに「イメージ通り」で。

結局は「男子の妄想」か。
「女子の視点」を入れるとおそらくは「何が面白いの」となり。

「続編」となるとかくも「つまらなくなる」のは「定石」。
その「理由」をじっくり考えたいもの。

さらにはそうした「事情」を承知の上で「続編」を作りたいもの。
「すでにある設定に乗ること」の意味をあらためて。
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「『ソ連』の過去と『男のバカバカしさ』が爽快な映画」について

2021-11-20 02:31:58 | Weblog
晴れ。おだやか。

松戸清裕「ソ連史」を読む。

奇しくもソ連崩壊から30年になることに読了後に気付く。
かの国のかつての「内情」のあれこれ。

レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ。
アンドロポフ、チェルネンコそしてゴルバチョフ。

エリツィンの後はプーチンが長期政権を維持して。
現在のロシアや如何に。

「計画経済」は「ノルマ」を至上のものとしたせいで「インチキ」がはびこり。
「まともに働かない方がいい」と国民に思わせた過去など。

何より「圧倒的に国民が貧しいまま」に。
軍事に金をかけすぎてつぶれたことを忘れずに。

豊富な石油資源ゆえにいたずらに外貨を稼ぎ。
そのせいで「最先端の技術」から遅れることになる皮肉など。

この「実験の結果」を十分に参考にしたいもの。
「資本主義の酷さ」が「社会主義」を生み出したことも覚えておこう。

三池崇史「土竜の唄 潜入捜査官REIJI」(’14)を観る。

「男のバカさの爽快ぶり」を描いていい感じ。
生田斗真の「ハッチャケぶり」は「新宿スワン」(’15)の綾野剛に受け継がれたのか。

今は亡き大杉漣、織本順吉、佐々木すみ江の姿も。
吹越満、遠藤憲一、皆川猿時の「トリオ」も好ましく。

仲里依紗、佐藤寛子、南明奈、 彩也子、尾崎ナナの女優陣の魅力もなかなか。
堤真一、山田孝之、斉木しげる、渡辺哲、伊吹吾郎、矢島健一に岩城滉一。

岡村隆史と上地雄輔が「飛び道具」で。
的場浩司、 有薗芳記、寺島進に加え小宮泰孝が珍しく。

キャストをきちんと活かしている監督の演出にふむふむ。
どうやらこのシリーズを追いかけることになりそう。
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