退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「メカ屋の明快な説明ぶりとさまざまに教えられた作家への感謝」について

2019-01-31 02:01:38 | Weblog
晴れ。また寒さは緩む。

高橋宏知「続・メカ屋さんのための脳科学入門」を読む。

今回もなぜか「続」。
とはいえ読んだ感じは「しっくり」。

数式もグラフも出てくるけれど全体にわかりやすい。
「なぜそうなるのか」が明確になっている印象。

メカニズムを明らかにしようとするとそうならざるを得ないのか。
記憶・学習・意識についてのあれこれが楽しめる内容。

もっともこの種のものに「すれっからし」な身としては
「あー、あのお話ね」ということも少なくなく。

その点で初めての読者は感想が異なるかもしれず。
わからないことはそのままに「淡いお付き合い」をすればいいかも。

話は変わって。

昼ごろ読んだ朝刊で橋本治が亡くなったことを知る。

案外あっさり「この日が来ちゃったか」と思った次第。
以前は「来たらどうしよう」という「不安」が強かったものの。

むしろ今まで以上にしっかりしなくっちゃという気持ちになる。
それがあれこれ教えてもらった者の「務め」のような。

学生時代に友人に勧められて読んだのが作家とのお付き合いの始まりで。
当初は「簡単な言葉遣いで複雑な事を書く人」だと思ったもの。

「頭がいい」というのはこういう人のことを言うのだなとも。
膨大な作品群のかなりの部分は読んだはずだけれど未読のものもあり。

これも「今後の愉しみ」にということで。
ただ「九十八歳になった私」を書いた著者の死はいささか早い。

できれば「貧乏への転換」をもう少し緩やかなものにして
「近所付き合い」にイラつくことなく長生きしてもらいたかったけれど。

とりあえずさまざまな作品に感謝するのみ。
「ありがとうございました」と言いたい。

今後も「生来怠惰な自分」なりに精進を続けることにする。

さて。

もうちょいとゴソゴソするか。
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「疎外された科学者と疎外された趣味を持つ女子あるいは男子への絶望を描いたCM」について

2019-01-30 02:55:08 | Weblog
晴れ。風が冷たい。

チャンドラ・ウィックラマシンゲ「宇宙を旅する生命」を読む。

副題に「フレッド・ホイルと歩んだ40年」。
やはり「疎外されると極端に走るんだなあ」と思うのみ。

監修の松井孝典によると「パンスペルミア説」はいいけれど
それ以外のものはかなり強引な模様。

ポパーの「反証可能性」を無視したもので「理論」とは呼べないと。
「アイデア」はいいのに「検証」がダメらしい。

どうやらここでも「自分に都合のいい見方」しかできない事実が。
もって「他山の石」とするよりない。

そもそも「科学史」を振り返れば何とも「嫉妬」の多いこと。
結局「人のすること」にあまり変わりはないということか。

深夜「トクサツガガガ」の再放送を観る。

主演の小柴風花を観たのはNHK朝ドラ「あさが来た」が初めて。
鼻っ柱の強そうな顔だなと思っていたのだけれど。

グラビアその他では異なる表情や雰囲気を見せていたよう。
ときどき仲里依紗に似ているところも感じられて。

見た風景が出てくるなと思いきやNHK名古屋製作。
「女子の特撮オタク」となるとまだこんな感じなのか。

松下由樹の母親のキャラクターはいかにも「昭和」。
彼女はおそらく「松田聖子ファン」なのではと推察される。

「無意識」に自分の好みを娘に押し付けるあたりがいかにも。
いわゆる「重い母」だと思っていい。

とりあえず小柴風花の「百面相」は楽しめそう。
「フィクションが現実に与える影響」についても同様に。

それとは別に。

知り合いの「ジャニオタ」の若い女子と「嵐の活動休止」について話す。
以前からこちらは「ヤンキーとホスト系はもう結構」と言っていて。

「面白くなってきたな」という皮肉に彼女は笑って応え。
「ジャニーズ・ジュニア」のために貯金がなくなりバイトを始めるとのこと。

そうした行動の早さも含めて「おっかけの情熱の源」が不明。
その背後には「男子への圧倒的な幻滅」があるのではないかと推測しつつ。

思えばおばちゃんたちの「韓流好き」もそうだったはず。
女子の思いに応えられる男子たちよ出でよ、などと。

CMで例えるならオープンハウスのそれ。
「リビングどーん、車庫バーン!」と叫ぶ長瀬智也に「あいつ、ない」という田中みな実の姿。

わが国の「男女の実態」はこれくらいだと思った方がいいかも。
もちろん年齢を問わないのでよろしく。
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「変化のために女性が重要であることあるいは『現場』できちんとした仕事をすることの困難さ」について

2019-01-29 02:48:06 | Weblog
くもりのち晴れ。小雨もパラつく。

秋山調子「女は『政治』に向かないの?」を読む。

著者は「朝日新聞政治担当編集委員」。
採り上げられている政治家たちの数が「七人」なのに注目。

野田聖子、小池百合子、山尾志桜里、辻本清美、中田智子、高井美穂、嘉田由紀子。
「男目線」ではない描かれ方にふむふむ。

「クオータ制」はもっと各分野に採り入れられるべきだろう。
この「当然」を阻むものには敏感でありたいもの。

ただでさえ「生産性が低い」のが「従来の働き方」。
ならば「メンバー交代」もしくは「変化」が必要。

何かというと「長時間ダラダラ作業する」のがなぜかわが国の「スタンダード」。
おそらくはマルチタスク能力のない「男のせい」だと思われる。

「充実した生活あっての仕事」でないとどうにも。
その「本来」を取り戻すためには女性の存在が大切。

「大して能のないオヤジたち」には退場していただこう。
「適材適所の意味」をあらためて。

身近な若者たちを見ていても男子より女子の方が好ましいことが多く。
「確実に仕事をこなせる」のは後者だもの。

さて。

「オヤジ」とは何か。
曰く女性に関して必ず「性」を絡める存在。

というよりその種の「価値」でしか相手を見ないと言ってもいいほど。
年齢とは無関係だったりもするのでご注意を。

もちろんそれが「楽しい関係」なら大いに結構。
おそらくそうでない場合が多いことが予想されるので。

それとは別に。

虐待による子どもの死と児童相談所の対応について。

アザが出来るほどの虐待をしていた父親が「大丈夫」だと判断されるのはなぜか。
「家族の絆」などという「妄想」が大いに働いている予感など。

あるいは人員不足ゆえの結果か。
もしくはこの種の出来事に関する知識不足のせいか。

「現場」がどうなっているのかの情報が少なすぎて判断に困る。
そこを伝えないマスコミには歯がゆいのみ。

あらゆる場所で「きちんとした仕事をすること」の困難が。
何度でもなぜなのかを考えよう。
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「ホラー映画の歴史の確認と『後世に委ねる気持ち』のなさあるいは男のエロの『限界』」について

2019-01-28 02:00:49 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

「映画の必修科目11 鳥肌ホラー映画100」を読む。

なるほど自分があれこれ観ていることを確認する。
もちろん未見の作品も同様に。

その内容が面白いかと言われると微妙。
「観たこと」とそれを楽しく伝えられるかは別の話。

トッド・ブラウニング「フリークス」(’32)を冒頭に持ってくるあたり
いかにも「若者らしい」と思わざるを得ず。

「魔人ドラキュラ」(’31)や「吸血鬼ノスフェラトゥ」(’22)の紹介もあり。
個人的には「悪魔の追跡」(’75)がなかったのが不満。

あれこれ言い出すとキリがないのでここまでに。
今後もこの世界を愉しむつもりではある。

マル激を観る。

今回は厚労省の統計に関する「インチキ」について。

そもそもわが国には「自分のしたことを後世の判断に委ねる習慣」がなく。
終戦時の「書類の焼却」を思えば明らかで。

なぜかこの件に関する役人の数の縮小も手伝って。
かの省の役人たちの行為は「違法」であることをあらためて。

「合理性=一定の条件で何事かをしてその結果から有効性を判断すること」は何処へ。
「参考資料」をもたらさないこの「伝統」を考えたいもの。

これも「劣化」の現実だと判断しておこう。

神代辰巳「一条さゆり 濡れた欲情」(’72)を観る。

1時間ちょいの長さに驚く。
キュートな伊佐山ひろ子がなぜ一条さゆりに嫉妬するのかも同様に。

「完成された物語と人格」に「飢えていた」のかも。
要は「どう生きたらいいのかわからない=あの人ズルい」ということか。

一条さゆりの魅力を堪能する。
この「エロさ」はかなり「母性」を思わせるような。

公開当時を思えばかなり「スキャンダラス」だったと思われる。
伊佐山ひろ子と白川和子の「レズプレイ」もあり。

「ストリップ」という形での「芸」は今どうなっているのだろう。
誰もが簡単に「リアルなエロ映像」を観られる時代に。

「性」に関する妄想の「新しい世界」を見せられた「衝撃」ゆえの評価かも。
要は「男は女をわかっていない」事実がここでも。

どこまでも「見たいものだけを見る」のだとすれば
やはり「深くて暗い河」は果てしない。
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「個人の思いとフザけたホラーあるいは今後の展開が楽しめるドラマとリアルなドラマの素晴らしさ」について

2019-01-27 03:06:11 | Weblog
晴れ。やや冷える。

「文選 詩篇(一)」読了。

最後の方にようやく「個人の思い」が現れる。
とりあえずこのシリーズを読み進める予定。

老舗バーのマスターからまたまたお休みのメール。

コンビニでちゃんぽんと麻婆豆腐を買って帰宅。
食後二階へ上がる。

アンディ・パーマー「ファンハウス」(’15)を観る。

トビー・フーパー「ファンハウス 惨劇の館」(’81)とは異なりかなりフザけた内容。
「フレディ」のロバート・イングランドがカメオ出演。

気になった女優がふたり。
チャスティ・バレステロスとキャンディス・デ・ヴィッサー。

本作で前者は「ヤリマン女」で後者は「口を縫う殺人鬼」。
ふたりの「対決」もあってそこは楽しい。

「週末の夜」にはふさわしい作品。
とりわけ飲みながら観るには。

ドラマ「アンダー・ザ・ドーム」の2話を観る。

ここでもスティーヴン・キングが。
プロデューサーにスピルバーグの名前も。

突然正体不明のドームに包まれた共同体で起きるあれこれ。
それぞれの「事情」がもつれる展開でこれからが「本番」の趣き。

さらに大坂なおみvsクビトバの試合を途中から観る。

第2セットで決定的なチャンスを逃しながら
第3セットでもミスをしつつ盛り返す大坂の姿を確認する。

彼女は「タフ」になった模様。
途中からミスをしても「無表情かつ無反応」になったのが印象的。

やはりサービスエース一本で取り返すことのできるパワーが大きい。
ストロークの強烈さは言うまでもなく。

相手の「素晴らしさ」を受け入れることで
自分の「素晴らしさ」を発揮できるレベルになったか。

第8ゲームのクビトバのイージーミスの大きさよ。
大坂のミスの多さも気になるけれどそれはむしろ「のびしろ」だろう。

「いいもの」に触れるといい加減なことはできなくなる。
そのことをあらためて。
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「漢語の世界に浸ることと好ましいマンガのドラマ化あるいは『物語』は終わるが『現実』は続くこと」について

2019-01-26 03:58:47 | Weblog
晴れ。寒さはそれほどでもなく。

「文選 詩篇(一)」を途中まで読む。

漢語の世界に身を浸すのみ。
こちらのアンテナのせいか今のところ心に残る詩はなく。

もっとも「王を称える詩」にあまり魅力を感じないせいかも。
できればそこに「人生」があった方が好ましい。

ドラマ「フルーツ宅配便」を観る。

ビッグコミック・オリジナルの鈴木良雄原作。
今日も久方ぶりの喫茶店で読んできたばかりなので興味をそそられて。

濱田岳、仲里依紗、前野智哉、徳永エリ、山下リオ、北原里英、
原扶貴子、荒川良々に松尾スズキ。

これまでのゲストに内山理名、成海璃子、うらじぬのなど。

監督は「孤狼の血」(’18)の白石和彌。
オープニング・テーマにEGO WRAPPIN'の「裸足の果実」。

デリヘル「フルーツ宅急便」を舞台に繰り広げられるドラマ。
テレビ東京プロデューサー濱谷晃一の「構想2年半」の結実や如何に。

原作の「ちょいとゆるい独特の絵の雰囲気」を出すのは難しいか。
今日観た第3話は「シングルマザー風俗嬢の悲哀」に頼りすぎていたかも。

これだけのメンバーを揃えたのだから今後の展開に期待したいところ。

深夜ニール・バーガー「ダイバージェント」(’14)をTVで観る。

「無欲」「平和」「高潔」「博学」「勇敢」の5部族に分かれる未来。
それぞれが怖れるのは「どこにも属さないダイバージェント」。

「権力を握りたい者たち」は陰謀を巡らし。
「派閥の忠誠テスト」も行われる中。

最後は「愛の力」か。
「正義」が行われその行方も知れず終わる。

この「カタルシス」は「物語の終わり」としてはいいけれど。
これが現実になるとまたさまざまな派閥が再び顔を出すことになり。

アフガニスタンでは実際にそれが起き今も混迷したまま。
「答え」のない現実にどこまで対処できるのかは微妙。

誰もが安楽に暮らしたいだけのわずかな望みが叶えられないのはなぜか。
こういう問題にこそ「集合知」を。

いたずらな「無知とコミュニケーションのなさ」が「敵」を作ることを忘れずに。
「どうしたらうまくいくのか」についてさまざまなアイデア競争をしたいもの。

「自分以外のもののせい」も「否定」もあまりに安易すぎる。
それゆえに誰もが「陥りやすい罠」であることを知っておこう。
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「群れの賢さと愚かさあるいは世界を知っていることの有無による賢さと愚かさ」について

2019-01-25 01:58:36 | Weblog
晴れ。冷たい風が強く吹く。

ピーター・ミラー「群れのルール」を読む。

個としての動きがあまり賢いものではないとしても
集団としての結果が賢いものであること(アリやミツバチやシロアリや鳥)。

その一方で集団としての動きがカスケードになって
途方もなく愚かな行動になってしまうことも(バッタや人)。

ますます複雑化する世界にアリの知恵を利用しようという試みにふむふむ。
電力供給や飛行テストのあり方などに。

フェロモンの濃さが「エサまでの最短距離」を確定するのが面白い。
人体におけるさまざまな化学反応によるコミュニケーションを思い出して。

「未来への計画」のないまま「現実に対応すること」も案外有効だったり。
シロアリの「複雑な構造を持つ塚」がその一例。

本書は8年余り前の作品なのでその後どうなったのかが楽しみ。
最近の作品を読んでみないと。

それとは別に。

深夜大坂なおみvsプリシュコバの試合を観る。

第3セット第2ゲームを確認したかっただけ。
ファーストサービスが入らない中でプリシュコバのミスが続いたのがポイント。

ただし山は第8ゲームにもあったことを確認。
むしろそちらが本当の「山場」だった。

あと一本エースが出ていればおそらくはプリシュコバの勝ちになった趣き。
一度断ち切られた流れは元に戻ることはなく。

ただこれだけミスをしながら勝てるというのは「出来の差」も感じさせて。
カメラが追い切れないほどのスイングの速さよ。

その一方で「タフな試合」を続けて結局「自滅」してしまう錦織。
「世界のトップ」までの「壁」をあらためて感じることに。

ランキングが下である相手をいかに簡単に負かすか。
「トップであるための条件」はいまだ彼には備わっていない模様。

「トップクラスであること」と「トップであること」の差は思ったより大きい。
「あと一歩」に見える距離が相当ある事実が浮き彫りに。

それにしても。

スポーツにおけるわが国の個人の素晴らしさとは対照的な官僚や企業のお粗末さよ。
「世界を知らないこと」がかくも大きな差を生むことを覚えておきたいもの。
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「遺伝子の旅より具体的なドラマあるいは淡泊な入浴スタイル」について

2019-01-24 02:21:32 | Weblog
晴れ。寒いようなあたたかいような。

スペンサー・ウェルズ「旅する遺伝子」を読む。

副題に「ジェノグラフィック・プロジェクトで人類の足跡をたどる」。
十年余り前の作品なのでこれが現在どうなっているのかは不明。

興味をそそられたかと言われるとやや微妙。
それぞれのグループの「移動ぶり」はわかるもののやや「茫漠」とした感じ。

これならNHK「ファミリーヒストリー」の方が具体的でいいかも。
あるいはドラマ「ルーツ」(’77)や映画「ゴッドファーザー」シリーズで十分。

あまりに「遠い昔のこと」だからではない。
そこに「ドラマがないから」だということでよろしく。

むしろ人々が「移動した『事実』」を生んだ環境の変化なら興味はあるのだが。
「ご縁」がなかったということに尽きる。

それとは別に。

自分の「入浴スタイル」についてちょいと。
年中ほぼシャワーのみで冬場の今も湯船につかるのは長くて2分。

寒いとは思いつつ身体を洗い終わってから。
なぜかそういうことに。

いわゆる「カラスの行水」だと思っていただいて結構。
最初は「半身浴」でその間に歯磨きしてから肩までつかる。

湯船を出て頭を洗い終了。
全体でおそらく二十分くらいのおきまりの行程。

だからからか温泉には全く興味なし。
「いい湯だな」などとは思わず粛々と一連の行動を済ますのみ。

かつてワンルームに住んでいた時も同様。
浴槽が横に広かったのでつかるときは寝そべる形になるだけ。

今は四角く狭いので「体操座り」。
両手でしばし湯を掻き続けて「ハイ、終わり」。

あれこれ「淡泊」な模様。
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「かつてのマンガ雑誌の熱気と自分の身体のわからなさ」について

2019-01-23 01:56:20 | Weblog
『晴れ。夜気が冷たい。

大野茂「サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年」を読む。

マンガそのものではなく雑誌のお話。
かつてマンガ全体が「有害図書扱い」されていた「過去」よ。

著者は65年生まれなのでリアルタイムで知る部分は少ないはず。
当時少年マガジン編集部にいた内田勝との出会いがきっかけであるらしい。

50年代後半から70年代前半にかけての「時代の熱気」は感じられる。
さまざまな漫画家たちにSF作家たちも絡んで。

手塚治虫、横山光輝、寺田ヒロオ、藤子不二雄、赤塚不二夫、水島新司、
ちばてつや、川崎のぼる、森田拳次、石森章太郎、谷岡ヤスジ、ジョージ秋山、

白土三平、さいとうたかを、水木しげる、つげ義春らに加え
福島正実、星新一、小松左京、筒井康隆、豊田有恒、眉村卓、平井和正、光瀬龍、半村良など。

「怪獣博士」大伴昌司に関する記述とともに当時の怪獣ブームも。
どこか「プロジェクトX」を思わせる内容。

ただし「聞き語り」ゆえかいささか「平坦な記述ぶり」がやや気になるところ。
もっと「熱を込めて」もよかったのではないか。』でまた寝る。

このところ家で飲む量が減ってきているというか
たいして飲んでないのに眠くなることが増えている。

これも「老人力」のなせる業か。

とはいえ場合によっては「だいぶ飲んだな」となることもあり。
自分の身体ながらよくわからない。

とりあえずその場その場にまかせるのみ。
こればかりは考えてもムダのような。
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「かのミュージシャンの映画好きあるいはもっと昔の作品を観るべきこと」について

2019-01-22 01:58:08 | Weblog
晴れ。おだやか。

細野晴臣「映画を聴きましょう」を読む。

知らぬ間にかのミュージシャンはキネマ旬報で連載を始め
読者賞も獲っていた模様。

今年で72になるというのが驚き。
相変わらず自分の年齢を忘れて。

本職である音楽もさることながらいやはやあれこれ観てらっしゃる。
巻末に「作品と人名リスト」が付いているのが好ましく。

洋画のみならず邦画も。
武満徹、黛敏郎、林光、芥川也寸志、真鍋理一郎ら作曲家の名前も懐かしく。

とりわけ黒澤明「用心棒」(’61)の佐藤勝によるマンボがお気に入りらしい。
川島雄三「洲崎パラダイス 赤信号」(’56)は音楽もいいことを初めて知る。

「悪魔のいけにえ」(’74)を映画館で観たもののあまりの恐怖に途中で出てしまい
「ホラー映画」が「トラウマ」になった過去もあり。

ただし「終わりから観る(!)」という荒業を使ってホラーに慣れたというのがなかなか。
こんな「独特な対処法」は著者でなければできない代物。

その一方で中川信夫「東海道四谷怪談」(’59)を観ていたりするのだから何とも。
西部劇やSF映画好きでもあったりもして。

初期ゴダール作品におけるミッシェル・ルグランの音楽を久方ぶりに思い出す。
市川昆「火の鳥」(’78)の音楽も確か彼だったはず。

読者層を考えてユーミンの「ひこうき雲」(’73)のベースを弾いていることを
「(笑)」付きで書いているのに笑う。

個人的には「銀河鉄道の夜」(’85)の音楽が印象に残っている。
冒頭の音だけは今でも思い出せるもの。

あれこれ言いだしたらキリがないのでこのあたりに。
そこそこ映画を観ていると実に楽しめる内容なので是非。

それにしても。

こういうお話ができる相手が身近にいるとありがたいのだが。
「隠居」しているせいかなかなか。

あらためてもっと昔の作品を観ないとと思うことしきり。
ちょいと時間があってもついつい「ジャンクっぽいもの」を観てしまいがち。

まあたまに「拾い物」もあるので悪くはないのだけれど。
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