退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「出来ればということ」について

2011-09-30 02:14:53 | Weblog
晴れ。出がけには上着を手に持って。

「コーラン(下)」読了。

上中下という三巻だけれど
書かれた時代はそれとは逆になっていて最後はむしろ詩のよう。

何物かに憑りつかれた存在だというのが当時の詩人に対する評価だったらしく
なるほどマホメットもそう思われて仕方がないだろうことはわかる内容。

時代は日本でいえば遣唐使より少し後くらいで
当初はユダヤ教徒とも仲が悪くなかったあたりが興味深い。

預言が降りてきた時には恐ろしくて妻にすがったりした彼が
やがて政治的手腕を発揮して「世界三大宗教」のひとつを創り上げる「成長物語」としても読めると。

もちろんこれらはあくまで「翻訳」を読んでの感想。
アラビア語のコーラン詠唱そのものはもっと「荘厳」な雰囲気がある。

女の赤ん坊が生まれると殺してしまったりした「歴史」があったとはいえ
今日知ったニュースによればサウジでは強引に車を運転した女子を鞭打ちの刑にしないことにしたとのこと。

そもそも女子は車を運転してはいけない存在だという「ルール」があったよう。
アラブ世界以外では考えにくいことだがそうしたイスラム教も「男女平等」を無視できなくなったのか。

もっとも「王様」を代表とする「偉い人々」はみんな欧米に留学しているので
「影響」を受けた彼らがそうするのもある意味当然のことと言ってしまえばそれまで。

女子を「抑圧する」男子にはむしろ
「女子への恐怖」がその根底にあるように思われるのだが如何。

肌を見せるのを禁止したのも
いったん見てしまったら「誘惑」に勝てないからだと解釈するのが「自然」のような。

いっそ「誘惑」されてしまえば
何のことはない「普通の女子の姿」がわかったりして。

対象が何であれそれを「閉じ込める」のはどうやらよろしくない。
たとえば「プロテスタントの禁欲」が現在の「資本制」を生み出してしまったように。

さらには「男女」という「枠組み」だけでなく
それぞれの「好み」に合ったさまざまな「楽しみ」があっていいという「原則」を「常識」にしたい。

「地獄に堕ちるぞ」と言われて平気でいられるのが
「現代の健全もしくは知性の標準」になればなぁ。

個人的にはやはり「宗教」に支えられた「健全」は「過去のもの」にしたい気持ちに変わりはなく。
それが「現実」となるかどうかは相当あやしいことだけはわかっているつもりのままで。
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「信頼すべきもの」について

2011-09-29 02:12:32 | Weblog
晴れ。昼までグズグズ。

「コーラン(中)」読了。
引き続き「コーラン(下)」を読む。

一貫して「不信心な人々」を責めているのが興味深い。
「苦しい時(だけ)の神頼み」についても繰り返し出てくる。

振り込め詐欺の被害が相変わらずある模様。
それにしてもこれだけあちこちで話題になっているのにまだ騙されるのか。

その「事実」からすると
やはり「啓蒙」というものはほぼ不可能だとわかる。

騙す側は手練手管を尽くしているのだろうけれど。
もっともそれなりの額を振り込めてしまう「豊かさ」があるからこその話なのも忘れずに。

そこでちょいと考えると。

目的もなくある程度の貨幣を貯めてしまうことが
むしろ「不幸」を呼び寄せることにもなるという「視点」もあっていいだろう。

「無い袖は振れない」現状があればそもそも狙われることもないわけで。
ちなみにイスラム教は「利息=金が金を生むこと」を本来は否定している。

キリスト教も元々はそうだったはず。
仏教がそのあたりについて何か述べているのかどうかは不勉強にて不明。

「信仰」が「ある種の飛躍」を通じて「信じてしまうこと」であるなら
「貨幣」も「ある種の飛躍」を通じて「信頼されてしまうこと」は同じだったり。

最近ではヨーロッパの「経済不安」なども出てきている模様。
それぞれの貨幣が持っていた「信頼」が失われ「世界経済」は破綻するかもしれないと言われたりしている。

がしかし。

われわれが必要としているのは
実は「信頼できる人」なのかもしれない。

その「単純さ」を思うと
いたずらな「貨幣の移動」などほとんどどうでもいい気分になったりもする。
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「何様でもないこと」について

2011-09-27 02:53:57 | Weblog
くもり。朝にはちょいと降ったよう。

読みかけだった「野坂昭如エッセイ・コレクション2」ようやく読了。

解説の宮台真司によると著者の「臆病者という視点」は
「そういうお前は何者かという問いかけ」だと。

たとえば「国益」なるものを優先すべきだという「お前」は
実はたいてい「現役」を退いた「老人」だったりすること。

あるいはそれが仮に「若者」であるとしたら
卑小な自意識を「国家」に乗せてみただけの存在にすぎないということ。

いずれも自らは「関係ない場所」に居ながら
いたずらに他人もしくは自分を「煽る」だけ。

もちろんかく言う自分もただのオッサンで
できるだけ「気楽に生きたい」という代物。

同じ呷(あお)るなら酒でよかろう。
ひとりで悦に入っていればいいもの。

川北隆雄「財界の正体」を読む。

なるほどそれなりの「歴史」と「変遷」があったことはわかるけれども
著者はむしろ「財界」とかが好きなのではないかと誤解されやすい記述。

批判したいものを詳細に描こうとする際に
陥りがちな「罠」にもう少し敏感であってもらいたかった。

オリックスの宮内が小泉元首相との関係をバックに
「お手盛り」で自分の利益を手にした「あくどさ」だけは十分に伝わったものの。

「勲章」にこだわる人がいるのも驚く。
「国家」よりそばにいる他人に褒めてもらえる仕事をすればいいじゃないかと思うのだが。

そもそもただホメられても恥じ入るのが「普通の感覚」だと思いたい。
少なくとも個人的には「誉められたい人」に誉められたいとしか思わないので。

何よりこうして暮らせているだけでありがたい。
それだけで十分に幸せだもの。
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「視線を満足させるもの」について

2011-09-26 01:40:52 | Weblog
くもり。ぐだぐだする。

昨夜は「飲み疲れ」のせいで寝てしまう。
すぐにでなく一歩置いてからくるのが年齢ゆえ。

「石川三千花の勝手にオスカー」を読む。

97年から11年までのオスカー会場での
主に女優の「変遷」についてのあれこれ。

時間とお金をかけてもどうにもならないものはならない模様。
整形は当然で世界の各ブランドが宣伝のために女優にドレスを着せる「ショー」。

やたらシースルーにしたり胸を強調するのは「定番」みたい。
ファッションに興味のない輩としては「そういうものか」と思うばかり。

個人的には「偉丈夫」アンジェリカ・ヒューストンを見てみたいところ。
あの貫禄はそこいらの男には出せないもの。

基本的に好ましいと思える姿は少ない。
むしろ笑えるくらいの「出来」の方が興味をそそる。

動いている姿でなくスチール(写真)なので
余計にそう思えるのかもしれないけれど。

そもそもアカデミー賞にそれほどの「信憑性」はなく
こういう楽しみ方の方が「本当」だという点で著者には共感する。

男優陣では目を整形したロバート・レッドフォードや
「植毛」したトラヴォルタ、ニコラス・ケイジ、ウィリアム・ハートも登場。

性別を問わずいわゆる「自己満足の世界」は
どうやら他人に指摘されるまでその「実態」がわからないのか。

要は「自分に似合うものを身につけること」の難しさだけれど
「ガールズ・トーク」の楽しさを味わいたい向きには是非。

「女優の変遷」を知ってしまえば
そんじょそこらの「キレイ」には反応しなくなると思うのだが如何。

だから「カワイイ」が好まれるのかと思えば納得。
「キレイ」ほど厳しい基準はなく誰にでも「平等」なあたりがミソ。

「味わいのある顔や姿」があればやたらに着飾る必要はないものの
「スター=星」は輝かなければならないのが「お仕事」。

贅を尽くした「美しさ」というものを
敢えて「はかなさ」で捉えてみればそこに「無常」がある。
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「音楽と宗教」について

2011-09-24 02:24:34 | Weblog
晴れ。スーツで出かけると電車内ではまだ暑い。

「コーラン(中)」を読み続ける。

何度も何度も同じ言葉や話が出てくるので
身体に「調子」が出来てついつい読んでしまう。

読経の声は押しつぶすような発声のせいで
ホーミーのように倍音が聞こえることがある。

一方コーランのそれはいかにも「オリエンタル」な音楽のようで
どこからか香の匂いが漂ってきそうな雰囲気。

少しだけ哀愁を感じさせながら「悠揚迫らざる」という言葉が似合う。
身体の中をらせん状にゆっくり降りていく感じ。

それにしても洋の東西を問わず
宗教には「地獄に落ちる」話が必ず出てくる。

人を説得するためにはある程度の「脅し」が必要だということらしい。
それがある程度人を「まとも」にするならば仕方のないことか。

個人的には「宗教」はむしろ「過去のもの」だと考えたいのだけれど
どうやらそうもいかない模様。

わが国の首相は国連で「原発の安全性を世界最高水準に高める」と言ったとか。
「原発教」の力はまだまだ衰えていない。

ちゃちで短期的な発想を元にしたものとしか思えず
どうしてもっと「まともなブレーン」をそばに置かないのかあるいは置けないのだろう。

もちろん人ひとりの考えられることなどたかが知れている。
だからこそ「いろんな情報源」を自分のそばに用意しておくことが大切なはず。

せめてもう少しましな「宗教」を信じて
少しでも人々のためになることをしてくれないものか。
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「いまだに経済政策については鎖国であること」について

2011-09-23 01:54:35 | Weblog
晴れ。一気に秋の涼しさ。

「コーラン」の合間に岩田規久男「デフレと超円高」を読む。

「予想実質金利」とは「名目金利(銀行窓口などに書かれている金利)-予想インフレ率」。
要は「実際にどれくらい儲かるのか」という「基準」になるもの。

「日米予想実質金利差」とは「日本(円)の予想実質金利-米国(ドル)の予想実質金利」のことで
この計算の結果が大きいということは「円の方が儲かる」という「当然」。

だから「日米予想実質金利差が拡大すると、円高・ドル安になる」。
実際の動きにも合致するこの結論はむしろ「誰にでもわかる話」のはずなのだが。

心ある政治家はただちに日銀法を改正して
「インフレ・ターゲット政策」を速やかに実行に移すべし。

仮にケータイは「ガラパゴス」であってもいいとして
世界が連動する経済においても同じことでは困る。

そもそも他のどんな政策も景気にいい影響を与えていないのだから
なぜ「インフレ・ターゲット」だけが採用されないのかわからない。

スポーツの世界では誰にでも「世界レベル」がわかるのに
経済だけが意味不明な輩たちに「占領」されているのはどう考えてもおかしなこと。

財務省やその「広報機関」である日本経済新聞、
そして日銀はいったい何が目的なのか。

いわゆる「既得権益」を維持したいだけならさっさと退場していただきたい。
「貨幣の量」でしか「幸福」を感じられない「貧しさ」は如何ともしがたい「時代錯誤」。

もちろんこちらは「細かい内容」について聞かれたら
間違いなくしどろもどろになる「素人」ではある。

がしかし。

「信頼できる情報源」さえ確保していればいわゆる「筋のいい判断」は出来る。
それは本来「不勉強な政治家」が最低限持っていなければならないもので。

わが国にはそうした種類の「貧困」がはびこって久しい。
そろそろ誰もがその「事実」に気付いてもいい頃だろう。
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「台風と買い物と軟派」について

2011-09-22 01:50:00 | Weblog
くもり。台風は通り過ぎる。

場所によっては相当な被害も出たようだけれど
とりあえずわが家の近辺では何事もなく終わる。

自転車に乗ってちょいと離れたカインズというショッピングセンターに買い物に行く。
久方ぶりに乗ると気持ちがいい。

酒も含めてなんだかんだで三千円くらいになる。
これでは主婦はできまいとあらためて思う。

5枚切りの食パンが70円というのに驚く。
賞味期限が明日までというのがポイントのよう。

酒・もやし・オクラ・刺身・芙蓉蟹・カキフライにキノコ類を少々。
肉類がないのが特徴か。

結局おコメは食べずに終わる。
買って来たものを全部食べたわけではないものの身体のサイズは成人式以来変わらず。

肉体労働はしていないので
炭水化物によってエネルギーを補充する必要はあまりない。

元々一日二食ではあるし
食べることにはあまり興味がない体質。

もっともたまに本当においしいものを食べたくなる時はある。
それが「本当においしい」かどうかは不明のままで。

とりあえず雨露をしのげて食べるものを食べて
適当に酒が飲めて本が読めてDVDが観られれば幸せ。

エルンスト・ルビッチ「私が殺した男」(’32)を観る。

舞台は第一次大戦が終わった後。
自分が殺したドイツ兵が忘れられないフランス人は思い切って彼の実家を訪ねるのだが、というお話。

設定からしてどう「オチ」をつけるのかが気になる物語。
今となっては「ドリュー・バリモアの祖父」というしかないライオネル・バリモアがドイツ兵の父親。

死んだ彼のフィアンセ、ナンシー・キャロルはいかにもキュート。
母親ルイーズ・カーターの「夫の操縦ぶり」がいかにもで微笑ましい。

この監督にしては珍しい「マジメな」内容。
えてしていわゆる「マジメな人」は肝心なところで「不真面目」だったりすることを忘れずに。

「戦争」の反対語が「愛」なのだということ。
突き詰めれば大島渚「愛のコリーダ」にまで至る中身を簡潔に描いた作品。

たとえば「軟派」がなぜ「軟派」になったのか。
それは「硬派のウソ」に耐えられなかったからだろう。

そのあたりをきちんと「了解」しておかないと
「人の複雑さ=単純さ」はわからない。
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「ありがたいこと」について

2011-09-21 01:31:26 | Weblog
雨のちくもり。深夜に風が鳴く。

何となく予感はありながら仕事に出かけたら
ドトールで読書中にお休みのメールが届く。

仕方なくあちこちをブラブラした後でソウルバーへ。
さすがに客は一組のみ。

マスターからお子の話をあれこれ聞かせてもらい
地下鉄のある時間に帰宅。

最寄の駅からとりあえず雨もない中を「深夜の散歩」。
人も車もいない道を歩くのは清々しい。

明日も仕事はあるかどうか不明。
午前中に決定されるらしいけれど。

幼い頃の台風と言えば
二階に上がってろうそくを灯した部屋で様子をうかがったもの。

ガラス戸のガラスが割れたりするだけで
それなりに「サスペンス」はあった。

もちろん実際に被害のある場所に住んでいる人々にとってはたいへんなこと。
もう「田舎暮らし」は「危険なこと」になりつつあるのかも。

焼酎を飲み直しながらTVでPリーグを観る。

4連覇中で圧倒的な強さを持つ松永が一回戦で負ける。
ボウリングの難しさが見えたような気分になる。

大学時代に軽く遊ぶつもりで入った「ボウリング同好会」が
まじめにボウリングする場所だったので肩透かしをくらったことを思い出して。

あれこれありながら
「平穏無事」に暮らせていることに感謝するのみ。

「ありがとう」とは「有難いこと」を言うのだとつくづく思うのは
野坂昭如の「エッセイ・コレクション2」で「空襲の凄まじさ」を知ったから。
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バカバカしいけれど実在する「貧しさ」について

2011-09-20 02:59:01 | Weblog
くもり一時雨。深夜にまた降り始める。

「コーラン(上)」読了。

ここまでの「調子」は変わらず。
繰り返し同じ話が出てくるのでついつい覚えてしまう仕組みなのか。

慌しい引っ越しからようやくひと月が過ぎて
どうやら「生活パターン」が落ち着いてきた感じ。

元々あれやこれやの欲はない方なので
日常は「変わりない」のが楽でいい。

某N市の花火大会で復興支援として上げるはずだった福島の花火が
わずかなクレームのメールによって差し替えられることになったらしい。

市あるいは実行委員会のクレーム対応能力の無さと
原発から遠く離れた場所でいたずらに神経過敏になる人々の「貧しさ」にウンザリする。

「まともな神経」があればそもそも
福島ではいろんな事情で放射能を甘受せざるをえない人々がいることを考えるだろう。

子どもたちの内部被爆も現実のものになっているし
「住み慣れた環境」から否応なく切り離される「残酷さ」にも思い当たろうというもの。

また放射能の濃度は場所によってさまざまなので
「福島」という形でひとくくりにされて判断される「生産者の無念」もあるはず。

そうしたことを一切抜きにして
まるで「バイキン」のように放射能を拒否するだけの「村人たち」は残念というよりない。

またほんの一部のクレームに対して
毅然とした態度で対処できない「臆病」もなんだか。

「きちんとした仕事」ができないと
いたずらに相手に従うしかないことも知っておこう。

世界に褒められた「暴動」の起きない裏側には
そうした「村」のどうしようもなさがあることを世界に伝え返さないと「現状」は「わからない」。
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文句はあるが「センス」はさすがということについて

2011-09-19 02:22:41 | Weblog
晴れときどきくもり。最近天気予報がよくハズれる。

エルンスト・ルビッチ「天使」(’37)をようやく観る。

ディートリッヒは脚線美を見せず顔の演技のみ。
歩く姿はむしろオヤジのようにたくましい。

「duchess=ダッチェス」は「公爵夫人」のはずなのに
なぜか字幕には「王妃」とあったのが不思議。

メルヴィン・ダグラスはいかにもな好男子。
仕事熱心なハーバート・マーシャルは「いい人」。

忙しいイギリス外交官の夫に「放置」されそれを受け入れていたはずの妻が
ちょいと寂しくなってパリでアヴァンチュールをするのだが、というお話。

花を買っている間に姿を消したディートリッヒを探すメルヴィン・ダグラスの動きを
花売りのおばさんの目の動きだけで表現する描写が印象的。

ただし本作以降の「青髭八人目の妻」や「ニノチカ」その他を知っている身としては
物足りなさを感じざるをえない。

ここには「ハーレクイン・ロマンス」はあっても「笑い」が少ない。
おそらく監督の意向とは関係ない力が働いたのだと思いたいところ。

あるいは「こういうのが道徳的にいいんでせう」とばかりに
見かけが「貞淑」でないディートリッヒを使って敢えて「平凡な物語」にしてみたのか。

それとも「プレイボーイ」だったはずの監督が
むしろこういうおなごが好ましいのだと描いてみせたのか。

詳細は不明なのでマニアの方は実物をご覧になって評価してください。
「英国の執事」のいかにもな雰囲気はよくわかるけれど。

ようやく見つけた若い結婚相手に
「ルンバを習い始めた理由を言わなければ別れる」というあたり。

この「感覚」はおそらく現代人とは程遠いもので
もっとわかりやすいのがお好みな向きには冒頭のタクシー運転手に注目していただこう。

少なくとも監督の「センスの質」はわかるはず。
「おしゃれ」とは本来このくらい洗練されていないといけません。
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