快晴。日本晴れ。
徳富蘇峰「将来の日本 吉田松陰」を読む。
英語の文献による前者の「平和主義」の顕揚と
日本語の文献による後者の「膨張主義」への変遷ぶりが面白い。
「書物によって知った現実」を描いたものと
「実物」を知って描いたものとの対比ぶりが鮮やかに。
著者は相当に英語を理解していたようだけれど
「世の勢いには逆らえない」という実にシンプルな「論理」の人だった模様。
「勢い=流行」だと思えばこの「変節」も了解できる次第。
こういう人物が実は一番「あぶない人」だったり。
「帝国主義=縄張り争い」だという「現実」を知った時に
一気に「わが国も」となるのだから。
「数々の引用」はあるがここには残念ながら「知性」がない。
敢えて言うなら漱石に似て「英文学に裏切られた気持ち」になったのかも。
ただしこの「漢文調」の内容はむしろ「空疎」。
本来の漢詩の素晴らしさをどこかへやってしまったような。
吉田松陰に対する異様なほどの肯定的な評価には正直「うんざり」。
どうやらこれも頼山陽に対する評価が「前例」のような。
「判官贔屓」もほどほどにしないと。
「異様なストイックぶり」に意味を見出すとどうなるかは「歴史」から明らか。
ナチョ・ビガロンド「ブラック・ハッカー」(’14)を観る。
主演のイライジャ・ウッドが本作に入れ込んだ気持ちがわかる内容。
「監視されている」分割映像がなかなかに緊迫感を生み出し。
後半に彼が唐突にフランス語を話すあたりから「おや?」と思ったのだけれど。
サーシャ・グレイはキレイな裸を見せるがかつてポルノの世界にもいた模様。
人気女優とのディナーがキャンセルされるブロガーから始まり。
彼にさまざまな指示をする存在が現れてというお話。
どこかバンクシーを思わせる在り様など。
敢えて詳細は述べないのでご確認を。
引き続き久保朝洋「富江vs富江」(’07)を観る。
「富江シリーズ」の行方を確認したくて。
菅野美穂が出た一作目(’99)を覚えていたので。
「あびる優」と「やしろ優」を混同してしまい最初はバタバタ。
八戸亮の何とも「微妙な顔」にふむふむ。
菅原大吉や長江英和が脇を固めようとしているものの。
松岡恵望子は多部未華子に似て。
面白いかと言われると何ともはや。
ただ「場末のスナック感」はあって案外悪くないとも感じる。
徳富蘇峰「将来の日本 吉田松陰」を読む。
英語の文献による前者の「平和主義」の顕揚と
日本語の文献による後者の「膨張主義」への変遷ぶりが面白い。
「書物によって知った現実」を描いたものと
「実物」を知って描いたものとの対比ぶりが鮮やかに。
著者は相当に英語を理解していたようだけれど
「世の勢いには逆らえない」という実にシンプルな「論理」の人だった模様。
「勢い=流行」だと思えばこの「変節」も了解できる次第。
こういう人物が実は一番「あぶない人」だったり。
「帝国主義=縄張り争い」だという「現実」を知った時に
一気に「わが国も」となるのだから。
「数々の引用」はあるがここには残念ながら「知性」がない。
敢えて言うなら漱石に似て「英文学に裏切られた気持ち」になったのかも。
ただしこの「漢文調」の内容はむしろ「空疎」。
本来の漢詩の素晴らしさをどこかへやってしまったような。
吉田松陰に対する異様なほどの肯定的な評価には正直「うんざり」。
どうやらこれも頼山陽に対する評価が「前例」のような。
「判官贔屓」もほどほどにしないと。
「異様なストイックぶり」に意味を見出すとどうなるかは「歴史」から明らか。
ナチョ・ビガロンド「ブラック・ハッカー」(’14)を観る。
主演のイライジャ・ウッドが本作に入れ込んだ気持ちがわかる内容。
「監視されている」分割映像がなかなかに緊迫感を生み出し。
後半に彼が唐突にフランス語を話すあたりから「おや?」と思ったのだけれど。
サーシャ・グレイはキレイな裸を見せるがかつてポルノの世界にもいた模様。
人気女優とのディナーがキャンセルされるブロガーから始まり。
彼にさまざまな指示をする存在が現れてというお話。
どこかバンクシーを思わせる在り様など。
敢えて詳細は述べないのでご確認を。
引き続き久保朝洋「富江vs富江」(’07)を観る。
「富江シリーズ」の行方を確認したくて。
菅野美穂が出た一作目(’99)を覚えていたので。
「あびる優」と「やしろ優」を混同してしまい最初はバタバタ。
八戸亮の何とも「微妙な顔」にふむふむ。
菅原大吉や長江英和が脇を固めようとしているものの。
松岡恵望子は多部未華子に似て。
面白いかと言われると何ともはや。
ただ「場末のスナック感」はあって案外悪くないとも感じる。