退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

秋の3連休二日目について

2019-10-31 02:52:37 | Weblog
快晴。日本晴れ。

徳富蘇峰「将来の日本 吉田松陰」を読む。

英語の文献による前者の「平和主義」の顕揚と
日本語の文献による後者の「膨張主義」への変遷ぶりが面白い。

「書物によって知った現実」を描いたものと
「実物」を知って描いたものとの対比ぶりが鮮やかに。

著者は相当に英語を理解していたようだけれど
「世の勢いには逆らえない」という実にシンプルな「論理」の人だった模様。

「勢い=流行」だと思えばこの「変節」も了解できる次第。
こういう人物が実は一番「あぶない人」だったり。

「帝国主義=縄張り争い」だという「現実」を知った時に
一気に「わが国も」となるのだから。

「数々の引用」はあるがここには残念ながら「知性」がない。
敢えて言うなら漱石に似て「英文学に裏切られた気持ち」になったのかも。

ただしこの「漢文調」の内容はむしろ「空疎」。
本来の漢詩の素晴らしさをどこかへやってしまったような。

吉田松陰に対する異様なほどの肯定的な評価には正直「うんざり」。
どうやらこれも頼山陽に対する評価が「前例」のような。

「判官贔屓」もほどほどにしないと。
「異様なストイックぶり」に意味を見出すとどうなるかは「歴史」から明らか。

ナチョ・ビガロンド「ブラック・ハッカー」(’14)を観る。

主演のイライジャ・ウッドが本作に入れ込んだ気持ちがわかる内容。
「監視されている」分割映像がなかなかに緊迫感を生み出し。

後半に彼が唐突にフランス語を話すあたりから「おや?」と思ったのだけれど。
サーシャ・グレイはキレイな裸を見せるがかつてポルノの世界にもいた模様。

人気女優とのディナーがキャンセルされるブロガーから始まり。
彼にさまざまな指示をする存在が現れてというお話。

どこかバンクシーを思わせる在り様など。
敢えて詳細は述べないのでご確認を。

引き続き久保朝洋「富江vs富江」(’07)を観る。

「富江シリーズ」の行方を確認したくて。
菅野美穂が出た一作目(’99)を覚えていたので。
 
「あびる優」と「やしろ優」を混同してしまい最初はバタバタ。
八戸亮の何とも「微妙な顔」にふむふむ。

菅原大吉や長江英和が脇を固めようとしているものの。
松岡恵望子は多部未華子に似て。

面白いかと言われると何ともはや。
ただ「場末のスナック感」はあって案外悪くないとも感じる。
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秋の3連休の初日について

2019-10-29 02:11:42 | Weblog
『晴れ。昼夜ともにおだやか。

戸田守和「熱・統計力学」を読む。

「理系大学生向けの教科書」を敢えて。
数式にはまだ慣れないが少しだけその「魅力」を知った感じ。

ミクロの世界の動きを記述できる模様。
「量子力学」が入ってくるので「統計」も用いられる次第。

かの世界では「測定すること」が「世界」に影響を与え。
「位置と運動量」を量ることが出来ず「確率」を持ち込むしかなくなる。

そういえば先頃グーグルが量子コンピューターを開発したというニュースも。
「ブロックチェーン」が「解ける暗号」になったのかどうかは不明だけれど。』で寝る。

今日から3連休。

休みになると母親が必ず何か「仕事」の話をする。
要は「あれやってこれやって」。

やらないつもりはないのだけれどイラッとする。
何のための「休み」なのか。

「普段は何もしてないでしょう」と。
内心では「どうでもいいことはどうでもいいの」と思いつつ。

なるほどこうした「マイペースぶり」が
ひょっとしたら父親の寿命を縮めたのかもなどと。

いつも通り近所のシネコンへ映画を観に出かけたのだが。
「シネマイレージカード」を忘れタバコも同様に。

結構イラついていたらしい。
しばらくモヤモヤしたもののトッド・フィリップス「ジョーカー」を観た後で消える。

プロデューサーにブラッドリー・クーパーの名前が。
「テロリストが生まれ続ける現在の状況」がリアルに。

「『バットマン』の謎解き」としてもよく出来てはいるけれど。
もう30分短かったらもっと「傑作」になっただろうに。

襲いかかる「悲惨」に対する主人公の描写がややダレる趣き。
そして「ここでも拳銃か」といった思いも。

「階級の分断」に関しては全く正しく。
「病者を放置した結果を知れ」といった内容の台詞も心に残るものの。

これでは「復讐の連鎖」は終わらないような。
監督はどうやら「これが現実だ」という一点に集中した模様。

例えばクルド人について。

シリアから逃げてもトルコに攻撃され。
一度は裏切られたアメリカに再び協力した挙句また裏切られて。

容赦ない「前線」に立たされた上の現実よ。
「使い捨て」にされるくらいなら「お前たちを破壊してやる」と思っても当然で。

「圧倒的な暴力」の前では「拳銃による暴力」など取るに足りないのか。
シビアすぎる現実の前にうなだれるのみ。

しばし茫然。
帰宅後夕食と洗い物をすませて二階へ。

ディートリッヒ・ジョンストン
「ブラッドショット:ヴァンパイア・エージェント」(’13)を観る。

ヴァンパイアがCIAのエージェントになって秘密裏に犯罪者を殺す設定。
彼を執拗に追う刑事との仲がポイント。

「同じシーンの反復の効果」がよくわかっていていい感じ。
それなりに「笑い」もあって。

「グレイストーク」(’84)のクリストファー・ランバートが大統領とは。
CIAのヴァンパイア局長ランス・ヘンリクセンはやたらにタバコを吸い。

「ランプの魔人」風の敵が出てくるのもなかなか。
「聖戦=ジハード」の遂行を目指す一味のキャラクターもそれなりに。

アラブの女子たちがなぜ主人公に協力的なのかは不明だけれど。
「処女の血」などという今さらという「条件」もあったり。

よく出来たB級作品で楽しめる内容。

引き続き「NUMBERS 天才数学者の事件ファイル」のシーズン1第11話を観る。

今回は「セイバーメトリクス」を中心に。
被害者である野球に興味のない物理学者がなぜそんなものを残したのかという謎など。

個人と企業のどちらに「業績」があるのかという問題と同時に
「方程式」によって「チャンスを奪われる存在」について。

犯人が主人公に問いかけるのも忘れずに。
「君がやっていることは『正義』なのか」と。
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「わかりやすい言葉による疑問と『常識』を壊すアジビラあるいは『普通』が無視する他者」について

2019-10-28 01:37:41 | Weblog
晴れ。日差しがポカポカ。

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」を読む。

「文化が人びとや民族を作るわけではありません。
 人びとや民族が文化を作るのです。」

わかりやすい言葉で日常の疑問について語る姿はなかなか。
ナイジェリア人女性であることによるあれこれにふむふむ。

「わたしはよく、自分にとって自明のことは
 みんなにとっても自明だという思い違いをします。」

この実にシンプルな言葉を噛みしめたいもの。
もちろん自分も含めて。

引き続き栗原康「アナキズム 一丸となってバラバラに生きろ」を読む。

そもそも人はどう生きようが「自由」であること。
それを思い出させてくれる「アジビラ」だと思ってよさそう。

「正しさ」にこだわるだけでは「縮こまる」。
「デタラメ」の中で自分を湧き立たせる力を知れと。

「既成の常識」をすべてチャラに出来る「想像力」が見せる「世界」は
「人間の可能性を広げる」のだと。

「どうにもならない現実」にひきこもっている向きにはうってつけかも。
この「扇動」に乗っかるかどうかは読者次第。

敢えて「野蛮人」になるのも楽しからずや。

マル激を観る。

今回はアメリカのジャーナリズムについて。
「マルチチャンネル」が自動的に「孤立」を生み出すことも。

「見たいものしか見ない」結果は「事実」を共有させず。
「左向き」が基本だった「市場」に「右向き」という「空白=金鉱」が見つかった結果。

FOXテレビが圧倒的なシェアの伸びを見せる現実が生まれ。
トランプが大統領になり。

「文脈」からすればどう考えても「圧力」だと思われる「ウクライナ問題」が
「トランプ支持層」からすれば「ハッキリとは言っていない」という認定に。

それに比べてわが国の現実は。

「記者会見での質問と答え」がすべて決まっていて首相は台詞を読むだけ。
質問できる記者も同様で「記者クラブ」に加盟していなければその場にも居られず。

「トランプでさえその場で答えるのに」と神保哲生の怒りが爆発。
宮台真司はまたまた山岸俊男を引用して「わが国民の『公共心の無さ』」を指摘。

「所属集団の中でのポジション争い」にしか興味がないのだと。
ただしそれがなぜ「会社」とかになったりするのかは疑問だったり。

とりあえず。

「わが国の記者会見」が「儀式」でしかないことは知っておこう。
そこで「例外的な発言」をする望月衣塑子は「仲間」から「迫害」され。

「インチキ」が「日常」になっているといかにも「問題がない」ように見えること。
どうやらわが国の現実の方が酷いようで。

さて。

「『普通』に生きることの罪深さ」を感じていただければ幸い。
その「普通」がいかに他者を「無視」することで成り立っているのかを。
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「疑いのない『正しさ』と映画ふたつあるいは「わが国の発展途上国ぶり」について

2019-10-27 02:10:40 | Weblog
晴れときどきくもり。地下鉄で咳が出て困る。

「漢詩の名詩集」読了。

頼山陽の「盛り上がりぶり」を確認。
この人物はちょっと「病気」なのではないかと思うほど。

自らの信じるものに何の疑いもないまま。
「しあわせな人」ではあるのだろう。

下巻は明日図書館で借りる予定。
また読了まで2週間はかかるはず。

バリー・ソネンフェルド「メン・イン・ブラック2」(’02)を再見。

「90分以内」という「物語の経済」を覚えておこう。
17年前ゆえウィル・スミスもトミー・リー・ジョーンズも若く。

「悪玉」のララ・フリン・ボイルは案外セクシーでなく。
ロザリオ・ドーソンはまだ若すぎて「顔が出来ていない」。

いろんな「生き物」が出てくるのは映画だと楽しいのだけれど。
現実にそうなると厄介だったりもする。

引き続きアンソニー・ヒコックス「ヘルレイザー3」(’92)を観る。

シリーズも3作目になると「方向性」が変わるということで。
ジョーイのテリー・ファレルが頑張る物語に。

繰り返すが「魔導士のキャラクター」が面白いのにこれでは。
「SMチックな魅力」も消えて製作陣に何か「勘違い」があった模様。

「変態」が基本だったのにそれが「正義」になるのはどうにも。
「父娘の物語」を導入する「不自然さ」。

原題が「hell on earth」なのにどこに「地獄」があるのかといった趣き。
いけませんな、これは。

それとは別に。

大したこともしていないかつての総理の息子を
良くも悪くもいたずらに採り上げる意味はどこに。

このパターンはどう考えても「発展途上国のそれ」だろう。
残念ながら彼には父親同様に「実力」がないだけ。

21世紀にもなって「あの人の息子なら」という発想がまだ続くのか。
彼を「まともに知りもしない分野の大臣にする愚」はあるとはいえ。

例えば歌舞伎を受け継ぐ者の「苦悩」を思えば。
この「伝統」はいかにも下らないのみ。

「きちんとした仕事」が出来ない人物が跋扈して久しい。
それを「現実」にしてしまう我々のダメさたるや。

いい加減にしないと滅びるよと言いたくなるほど。
地球から見ればその方がいいのだとすれば「現状の放置」は案外「正しい」のか。
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「体力の衰えとちょっとした『お別れ』」について

2019-10-26 02:05:44 | Weblog
雨。結構降った後で夕方に止む。

数年ぶりに風邪を引いた模様。

薄い布団で寝ていて朝方に寒いと思った記憶はあるのだけれど。
その程度で風邪を引くとは何とも衰えたりと言うよりなく。

わずかな喉の痛みに始まりそこで収まるかと思いきや鼻水が出て。
咳も少々といった具合。

日常生活には特に不便はなく。
酒も煙草も止めるほどの症状ではない。

完治まで一週間といったところか。
このところ生姜を食べていなかったのがマズかったやも知れず。

「漢詩の名作集」を読み進めるものの。

下を向くとどうしても鼻水が出やすくなり。
今日は途中でよして明日の読了を目指すことに。

柳禹錫、太宰春台、大槻磐溪、林羅山らの作品など。
十分に味わう気分になれなかったのは残念至極。

他人に「弛んでおるな」と言うことの多い身としてはお恥ずかしい限り。
とりあえず年のせいにしておく。

若い女子の同僚に「風邪引くんですね」と言われる。
「一応ね」と答えるのみ。

いやはや。

そういえば別の女子は仕事場を去ることに。
今日が最後ということで「菓子折り」を持参。

「こんなのよかったのに」と言いつつ仕事終わりに包装紙を破って一個食べる。
小ぶりなレモンケーキのような。

「長い間お世話になりました」と丁寧なご挨拶も。
「早くバリバリ稼ぐようになってくれ」と答える。

まあしっかりしているので余計な心配など無用。
楽しく暮らせるように祈るだけ。
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「漢詩の名作集に登場する意外な人物たちあるいは『オリンピック』を代表とするイベントが消す『現実』」について

2019-10-25 02:12:39 | Weblog
雨。終日降る。

「漢詩の名作集」の続きを読む。

成島柳北が「那耶哥羅=ナイヤガラ」を漢詩にしているのに驚く。
蘇東坡、李白、王維、朱熹、陸游、杜牧らの作品もあり。

頼山陽、佐久間象山、室鳩巣、安積艮齊のそれも。
明日読了予定。

NHKスペシャル「東京ブラックホールⅡ」の再放送を観る。

過去のリアルな記録映像に「現在」をはめ込む映像にふむふむ。
オリンピックのために「犠牲」になったものの多さよ。

何より地方から集めた人々を「食い物」にして
その場限りのイベントのために「消費」した事実が印象に残る。

「オリンピックに金をかける前にもっと他の分野に」という意見が
実に「国民の半数以上」だった事実を忘れずに。

ただしいったんTVでオリンピックが放映されると
そうしたことが忘れ去られてしまったことも同様。

ひたすら「先進国ぶり」が演じられるために。

さて今回のオリンピックにはいったいどのような意味があるのだろう。
敢えて言うなら「崩壊寸前の社会を誤魔化すため」。

例えば原発事故によって増え続ける汚染水の処理がどうにもならないことや
地震・台風による災害にあえぐ「被災地の現実」を無視すること。

ラグビーのワールドカップを代表とする「イベント」を楽しめるのが
実は「限られた階層」である「現実」を「ないもの」にすること。

つまり。

相変わらず「現実に対する認識」がどうにも出来にくい国柄らしい。
「スポーツを楽しむ」以前に「苦しい生活」があることを。

そうした生活が「災害以前」に「普通にあったこと」も。
「TVの映像」はそうした「現実」を反映しなくなって久しい。

少なくとも前回のオリンピックには「先進国ぶり」という「大義名分」があった。
繰り返すが今回のそれに何かあるのかどうか。

かつて水俣の現状を描いた土本典昭が撮った東京の現実の中に
「都会を楽しむ暇もない」まま働いている地方出身の若い女子たちがいて。

「お蔵入り」になった映像を発見し教えてくれた番組のスタッフに感謝。
もっとも「彼女たちのその後」も気になるのだけれど。

「貧しさ」がまるで「穢れ」であるかのように消される事実よ。
その一点でいいから「そういうことがあるのだ」と覚えておきたいもの。
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「ネットのあれこれと知っておくべきことあるいは『アイリッシュゆえの法外の世界』」について

2019-10-24 02:15:41 | Weblog
晴れ。だったはず。

キャス・サンスティーン「♯リパブリック」を再読。

ジョージ・オーウェル「1984」
オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」を知っておこう。

本書のキーワードを挙げておく。

「エコーチェンバー=共鳴室=同じ意見の中のみで暮らすこと」
「インフォメーションコクーン=情報の繭=特定の情報以外知らないこと」

スパイク・ジョーンズ「her/世界でひとつの彼女」(’15)や
「集団分極化=同じ意見を持つ同士が熟議すると極端な方向に走ること」も。

その他にもいろいろあるのだけれど
とりあえず上述したものを知った上で議論したいもの。

「セレンディピティ=思いがけないものに出会うこと」の確保が重要だと著者は言う。
おっしゃる通りと思いつつそれが現実に可能なのかどうか。

もちろんインターネットはそうしたことを可能にするメディアではある。
ただしそこに好ましい出会いもあればそうでない出会いもあり。

「民主主義を腐らせるのは無関心」だとも。
これまたおっしゃる通りだが関心を持つどころではない現実があったり。

いちおう「悲観主義」を基本として
「現実が思わぬ姿を見せること」についての用意をしておくことにする。

ニール・ジョーダン「ブレイブワン」(’07)を観る。

「狼の血族」(’84)「モナリザ」(’86)「クライング・ゲーム」(’92)
「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」(’94)「マイケル・コリンズ」(’96)。

「ブッチャー・ボーイ」(’97)までは観ていたもののずいぶんご無沙汰していた監督の作品。
ジョディ・フォスターが「告発の行方」(’88)を思い出させるヒロインを。

結婚直前に彼を殺され自らも瀕死の重傷を負ったNYのラジオパーソナリティーのエリカは
不法に手に入れた銃で次々と「正義の執行」をすることになるのだがというお話。

またしても「法外の世界」が。
まあ12年前の作品ではあるのだけれど。

テレンス・ハワードの透き通った瞳が何とも。
メアリー・スティーンバージェンも久方ぶりで。

「アイリッシュ」ゆえの詩情と暴力。
そんなことを思った次第。

「羊たちの沈黙」(’91)を思い出させるラストの展開。
「思いもしなかった自分の誕生」は果たして好ましいのかどうか。

銃を使うことが人を変えてしまうこと。
イーネ・オロジャのザンビアで子どもに銃を持たせ親を撃たせる話もなかなか。

Ene Orojaをいちおうそう読んでおく。
彼女に関する情報を手に入れることが出来ず残念。
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「『文学』が無前提に『文学』であった頃あるいは『法外の世界』を生きた三人の映画」について

2019-10-23 02:47:03 | Weblog
晴れ。おだやか。

「個人全集月報集 安岡章太郎・吉行淳之介・庄野潤三」を読む。

「文学」が何の疑いもなく「文学」であった頃。
「第三の新人」と呼ばれた作家三人の全集の月報をまとめたもの。

なるほど「作家にまつわるエッセイ」として読める内容。
こういう「編集の仕方」があったのかと思った次第。

学生時代に文庫を集めたのは吉行淳之介。
安岡章太郎は「ガラスの靴」の圧倒的な新鮮さに驚いた記憶があり。

庄野潤三は「プールサイド小景」くらいしか読んでいない。
たしか新潮文庫に入っていたはずで。

いずれもおそらく今読めば異なる感想が。
そうするかどうかと言われると不明なまま。

このシリーズはもう二冊ほどあるようなのでそちらは確実に。
今となってはおそらく「マニア」ということになるのだろう。

ビリー・レイ「シークレット・アイズ」(’15)を観る。

レイのキウェテル・イジョフォーは「初顔合わせ」。
彼はナイジェリアのイボ族の両親の元に生まれた英国の有名な舞台俳優。

クレアのニコール・キッドマンとジェスのジュリア・ロバーツが加わって。
前者の相変わらずの魅力と後者の老けぶりにふむふむ。

物語は9・11がまだ記憶に新しい頃に始まり。
モスクのそばでテロ捜査班のジェスの娘が死体で発見されて。

娘を現場近くのケーキ屋に誘ったレイは罪悪感に苦しみ。
同僚バンピーのディーン・ノリスの協力を得て捜査を続けるのだが。

彼女をレイプして殺した犯人は「テロ絡みの情報屋」。
上司アルフレッド・モリーナはそのため事件を隠蔽する。

「何よりもテロ捜査が最優先だ」と。

そして13年後。

FBIを辞め個人的に捜査を続けたレイはようやく犯人を見つける。
そこにレイとクレアの恋も絡んでというお話。

過去と現在が交錯する描写。
それぞれの思いが微妙にすれ違うあたりがなかなか。

アメコミ、野球、競馬も出てきていかにもアメリカなあたりも納得。
何とも渋い味わいなので自分を「大人」だと思う向きは是非。

「法外の世界」とそこで交わる三人の関係を知っておこう。
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「素敵な『教養人』と『自由』を獲得していただきたい女子たちあるいは『笑って許して』ということ」について

2019-10-22 03:29:21 | Weblog
くもりのち雨。夜に一時激しく。

三村芳和「酸素のはなし」を読む。

物理・化学・生物・地学を網羅していることに加え
漢籍にも通じ登山経験が豊富な著者は実はお医者さん。

朝鮮戦争が勃発した1950年生まれの「教養人」の力よ。
若者には是非接して頂きたい内容。

個人的にはあれこれ思い出す一方
高校時代にもう少しきちんと理科全般を勉強しておけばと思った次第。

「センス・オブ・ワンダー」を知ったのはそのずいぶん後で。
そこそこ科学書は読んでいるものの「肝心なところ」の理解が微妙だったり。

とりあえず好奇心だけは涸れることがないので今後も愉しみは続きそう。
少しずつではあれ理解を深めていきたいもの。

テレビ東京系列で「ノンフェイクション」を観る。

3人の「男子地下アイドル」のうち一人だけが「フェイク」だという内容。
残りの二人は「本物」で彼らを追いかけるオタク女子たちも同様に。

それにしても彼女たちの壮絶な「追っかけぶり」には驚くのみ。
稼げる貨幣をすべて注ぎ込むのは「生きている感覚」を味わうためだと。

アイドルが「裏切ったら」殺すとのたまう女子も。
アルコール度数の高い酒を飲んでアイドルと接近しつつ道路で「マグロ」にもなり。

この「中毒ぶり」はドラッグのそれに近い印象。
アル中ニコ中活字中毒の身からしても「凄い」。

ここで考えたいのは「貨幣の役割」。

「貨幣量の多さ」がすべてを保障するらしい。
どうやら「男子地下アイドルの世界」はそうなっているようだけれど。

ホストに入れ上げる女子に似て。
なぜそういうことになっているのだろう。

いわゆる「愛情」が手に入れられないせいなのか。
ただしその「ゲーム」にもやがて「終わり」が来るはず。

おそらく彼女たちは「そんなことはわかっている」と言うのだろう。
そこで思い出したいのは。

自らの「現実に対する絶望」は「正しい」のかという疑問。
むしろ「現実」は「思いがけない姿」を見せるものでもあることを忘れずに。

少なくとも自分を含めて誰しもが「限られた視点」しか持っていないのは事実。
「お前はアホか」と笑える自分さえいれば。

「従来の自分のルール」を見直すことで「新しい世界」が拓けるやもしれず。
「こうでなければならない」と思うことの大半はたぶん「間違っている」。

彼女たちには「新たな自由」を獲得していただきたいもの。
それが出来るのが女子なんだから。

まあこれらがすべて「余計なお世話」だとしたらすまん。
笑って許して。
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「相変わらずの女子の生きにくさと『平易』すぎる宇宙の謎あるいは燃やされるアマゾン」について

2019-10-21 01:42:23 | Weblog
晴れ。おだやか。

浜田敬子「働く女子と罪悪感」を読む。

1968年生まれの著者は元「AERA」の編集長。
彼女の仕事への没頭ぶりはどうも「普通」ではなさそう。

「それ以外の方法を思い付かなかった」と言うのだけれど
子育てのために両親を故郷から東京へ呼び寄せたりするのだから。

「そのようにしか生きられなかった事実」は受け止めるものの
後に続く世代にとってはおそらく「不可解」だろう。

ただしそれもこれも結局は「昭和オヤジ」のせいだったり。
女子が子育てをしながら働く環境があまりに「貧しい」ゆえ。

限られた時間の中で最大限の能力を発揮し
仕事以外の時間を確保して暮らすという生活がかくも困難なのはなぜか。

そのことについてあらためて考えたいもの。
「わが国特有の仕事に対する考え方」が「諸悪の根源」のような。

「生産性が低い」という事実についても同様。
「それが現実だ」はやがて「非常識」になることを忘れずに。

引き続き平林久「宇宙の始まりはどこまで見えたか?」を読む。

あまりにスラスラ読めてしまって引っかかりがないのが気になる内容。
読者に立ち止まる暇を与えないような。

著者の親切がむしろ徒になっているような。
繰り返すが研究者として優れているのと「楽しさ」を伝えることは別の話。

マル激を観る。

今回のテーマは「アマゾンの熱帯雨林はなぜ燃えているのか」。
その開発に田中角栄が関わり現在も「投資」は続いている模様。

ブラジル南部の「大豆の生産」が「牛の放牧地」を押しやってアマゾンへ。
一度燃やしてしまえば「原生林」ではなくなり好きに使える事情もあり。

欧州各国はこの現実に対してきちんと対応している一方で
わが国はそうした現実さえ知らないのだと。

ステーキを食べて喜んだわが国の環境相が顰蹙を買ったのもそうしたわけで。
「世界の事情」に関して圧倒的に疎いわが国よ。

「環境破壊」は「年長世代による若い世代に対する搾取」。
今の利権に関わっている連中はやがていなくなるのだからどうでもいいらしい。

あまりの土壌の貧困に「有機農業」をせざるを得なくなっている事実も。
敢えて「文明」を拒絶した原住民の暮らしに学ぶものがあることなど。

人工衛星からアマゾンを燃やす火が明らかに見える写真が何とも。
2050年には耕作可能な土地が現在の10%になるという話が衝撃的。

要はあと「一世代」で人類は大変なことになる模様。
これは「SF映画の話」ではないのを覚えておこう。

もちろんそれが「杞憂」なら結構。
ただし「備え」は常にしておかないとどうにも。
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