退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「意味のない穴掘りと『ランボー祭り』」について

2020-04-30 01:19:52 | Weblog
晴れ。段の上に腰を下ろすと熱いほど。

先日切った庭の木の根っこを意味なく掘る。

ミミズを2匹発見。
こんなところにもいるのねといった趣き。

やはり根っこはしっかりしていて。
とてもじゃないが掘り出せない(スコップ1丁のせいもあるが)。

テッド・コッチェフ「ランボー」(’82)を久方ぶりに観る。

本作には「ベトナム帰還兵の哀しみ」と「アメリカの田舎町の狭隘」が。
「コクーン」(’85)では「優しい宇宙人」のブライアン・デネヒーの粗暴さよ。

シリーズで唯一スタローンが泣くシーンがあり。
ベトナム戦争終結から7年後の作品であることも覚えておこう。

原題「first blood」は「最初の血=最初に手を出した」という意味がある模様。
自分の腕を縫うマッチョなシーンはまともに見られず。

ジョージ・P・コストマス「ランボー 怒りの脱出」(’85)を観る。

前作での「騒動」のせいで「強制労働キャンプ」にいるランボーを
リチャード・クレンナのトラウトマン大佐が助けに来るのだが。

その条件はかつてランボーが逃げ出したベトナムの捕虜収容所に行き
戦争捕虜がいるかどうかを確認するための写真を撮ってくること。

ただしそれは議会と世論を納得させるための官僚の「工作」に過ぎず。
捕虜を見つけ出して助けた彼は土壇場で見放されることに。

ジュリア・ニクソンとの束の間の恋が描かれたりもする。
現実の彼女は「刑事スタスキー&ハッチ」のデヴィッド・ソウルと結婚。

本作では「痛みに耐えるマッチョ」は描かれず。

何より撮影がジャック・カーディフだったのに今さら気付いて驚く。
「黒水仙」(’47)「赤い靴」(’48)の色彩の美しさを思い出し。

捕虜収容所の爆破もすさまじく。
スタローンの弟フランクが主題歌を歌っている。

後の「エクスペンダブルズ」のタイトルは本作の「台詞」として登場。
シナリオライターとしてのスタローンの「息の長さ」を感じさせる。

ピーター・マクドナルド「ランボー3 怒りのアフガン」(’88)を観る。

ちなみにソ連のアフガン侵攻は79年から89年まで。
「好ましい存在」として描かれるムジャーヒディンには後にビン・ラディンも参加。

今回はトラウトマン大佐がアフガンでソ連に捕われ彼を助けに行く設定。
なぜか「痛みに耐えるシーン」が復活。

この当時はまだ「世界の警察官」であったアメリカの姿が。
とてもじゃないが現在のトランプを予想できず。

ソ連にとってのアフガンがアメリカにとってのベトナムだという台詞も。
本作の翌年に「冷戦」は終わり。

その後「ランボー 最後の戦場」(’08)「ランボー ラスト・ブラッド」(’19)も。
前者はミャンマーのカレン族、後者はメキシコの人身売買がテーマらしい。

観るかどうかは不明。
「カレン族」については同年のクリント・イ-スウトウッド「グラン・トリノ」より早い。

12年前の「アメリカの話題」だったのかどうかは不明だけれど。
「スタローンの嗅覚」は鋭いと言わざるを得ない。
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「いかにもイタリアンなアメコミ起源の変容ぶり」について

2020-04-29 02:00:53 | Weblog
仕事から帰宅後。

夕食の後になぜか眠くなる。

たいした労働もしていなのに。
「退屈」と「満腹」のなせる業だとしておこう。

ガブリエレ・サルヴァトレス「インビジブル・スクアッド」(’14)を観る。

イタリアのイジメられっ子が透明人間になって活躍するお話。
少年少女の恋心もあって。

主人公の少年が自らが「透明人間」になったことを知った後。
ポール・バーホーベン「インビジブル」(’00)と同じことをしたり。

イジメっ子とイジメられっ子の「協力」もあり。
なかなかに心温まる内容。

両親の秘密が次作につながる描写に無理もなく。
しかしここでロシアが登場ですかといった趣き。

もっともかの国にはかつて本気で「超能力者」を育てようとした過去があり。
敢えて言えば「子どもに好都合な設定」が多すぎるような。

ヴァレリア・ゴリーノのいかにもな「イタリア風」な母親もいいけれど
ステラのノア・ザッタの「鬼塚ちひろ顔」もなかなか。

それにしても「透明人間」を表すのに少年を全裸で歩かせるあたり。
イタリアーノというしかない趣き。

アメリカンコミックの「変容ぶり」にふむふむ。
「養子」などという「家族ネタ」が出て来るのもいかにも。

幼い妹の「しっかりぶり」も忘れずに。
イタリアの男子全員が「マザコン」だというのも大げさではないのがわかる次第。

母親を真似る妹も含めて「しっかりしなさい」と言われ続けるのだから。
マンマ・ミーア!
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「どうしても『第1作』を思い出してしまう作品と解釈しにくい奇妙な作品」について

2020-04-28 21:42:59 | Weblog
晴れ。今日は仕事。

昨夜はいつもの時間がサイトのメンテナンスで使えず。
今頃書くことに。

ブライアン・シンガー「X-MEN: アポカリプス」(’16)を観る。

「エン・サバ・ヌール=アポカリプス」という「最強のミュータント」が復活。
X-MENたちは世界を滅ぼそうとする彼とどう戦うのかというお話。

「遺跡」から始まるあたりは「エクソシスト」と同じ。
もっともこちらはカルト集団がそれを促すのだけれど。

まだメンバーがバラバラになっているのにふむふむ。
このシリーズの第1作が始まる前のことなので。

いろんなものが空に舞い上がる描写がまあ面白い。

プロフェッサーのジェームズ・マカヴォイは悪くなく。
ミスティークのジェニファー・ローレンスにはやや違和感を覚える。

マグニートーの「アウシュビッツ絡みの話」は
本作の背景にある「人種差別」を明確にするためか。

俳優としてのマイケル・ファスベンダーはいいとして
彼が「マグニートー」を演じるのもどうなのだろう。

第1作のメンバーがどうしても頭にあるのでついついそんなことを。

パトリック・スチュアート、イアン・マッケラン、ファムケ・ヤンセン、
レベッカ・ローミン・ステイモス、ハル・ベリー、アンナ・パキンだもの。

ウルヴァリンのヒュー・ジャックマンは「ウェポンX」としてカメオ出演。
どうやら「スター・ウォーズ」の真似をしたいようだがその結果や如何。

引き続きトム・ウッドラフ・Jr「デビルズ・シティ」(’15)を観る。

人間の不幸を「食料」にスラム街にあるアパートで暮らす悪魔たち。
「麻薬の売人」ヴァインは少女サラを救うのだがそこから何かが変わってというお話。

「STATUS QUO 現状維持」「TRANSMUTATION 変異」「SACRIFICE 犠牲」の三部構成。
第2部が一番長く「変異」した人間たちのせいで悪魔たちは飢えの苦しみを味わうことに。

「悪魔にあるまじき行動」はふたつ。
「人間を助けたこと」と「夢を見たこと」。

「犠牲」の結果明らかになったこととは。
「大本の悪魔」は自分の名を「未来」と呼べと言ったりする。

おそらくポイントはこのあたりに。
「人間と悪魔」あるいは「神と悪魔」という「区別」など無意味だと。

「現状維持」では何も変わらず「変異」によって「犠牲」は払われるものの。
そこにこそ「未来」があるのだといった解釈などいかが。

主人公ヴァインが「新たな未来の『読み手』」であるのも忘れずに。
何とも「奇妙なお話」なので不思議な雰囲気のみ味わうのもよかろう。
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「食べ物の流行と少女に癒される大人あるいはマジックを映画に持ち込んだ作品と怖くないホラー」について

2020-04-27 03:12:43 | Weblog
晴れ。暖かい。

上の妹夫婦と買い物に行く。
納豆が2つしか買えないことを確認する。

それを食べればコロナに感染しにくくなるといった「風評」のせいか。
ある程度の時間を生きていればそれが「流行」でしかないのはわかるはず。

トニー・スコット「マイ・ボディガード」(’04)を観る。

対テロ工作でさんざんに人を殺してきたデンゼル・ワシントンが
ある少女の護衛をすることで彼女と通じ酒浸りの人生が変わるというお話。

当時10歳のダコタ・ファニングの魅力が素晴らしい。
クリストファー・ウォーケン、レイチェル・ティコティンが脇を支え。

「流されて」(’74)が懐かしいジャンカルロ・ジャンニーニの姿を確認する一方
ミッキー・ロークはどこまでその姿を変えるのかと思った次第。

「誘拐」が「ビジネス」として成立するメキシコにふむふむ。
「通常の『倫理』」が通用しない世界を知っておこう。

ジョン・M・チュウ「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」(’16)を観る。

悪事を暴くマジシャン集団「フォー・ホースメン」のあれこれ。
ここでも前作を観ないままにパート2を。

わが国における「引田天功」のような父親を持つ存在が
仲間とのゴタゴタを経て大事なことを知るといったお話。

この設定は面白くないわけでもないが
リーダーであるマーク・ラファロが如何せん「地味すぎる」。

兄弟二役を演じるウディ・ハレルソンやモーガン・フリーマン。
マイケル・ケインや「ハリー・ポッター」ダニエル・ラドクリフもいるものの。

昔ながらのマジック店のツァイ・チンの魅力に免じて許すとするか。
ラストの「種明かし」が案外面白くない展開は微妙。

中田秀夫「クロユリ団地」(’13)を観る。

前田敦子のさまざまな表情を観られるのは楽しいけれど。
どうにも「コワくない」のが大問題。

キャストは結構豊かなだけに余計にそれが感じられる出来。
「篠崎」という老人が高橋昌也であることを後で確認する。

「リング」のシリーズや「仄暗い水の底から」(’02)は面白かったのに。
近年の「スマホを落としただけなのに」(’18)も全くダメ。

ただし興行成績は悪くない模様。
「観客の劣化」に合わせた作品が作れるのだと思うことにする。
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「久方ぶりに鎌を使うこととどうしても気になる俳優の過去と現在あるいは『ウイルスとのお付き合い』について

2020-04-26 01:58:21 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

上の妹夫婦とともに下の妹夫婦の家に車で行く。

畑とは言い難い庭に自生する蕗を刈る。
大昔に母親の田舎で稲刈りをした記憶がよみがえる。

久方ぶりに使った鎌の切れ味に納得。
稲と比べればいかにもラクで。

やたらにはしゃぐ雄犬「ジェニファー」が纏わりつき。
今回はどうにか「フレンチキス」を免れる。

ポール・バーホーベン「トータル・リコール」(’90)を再見。

そうかもう30年前になるのかと思うことしきり。
シャロン・ストーンはまだ32。

シュワちゃんは43。
それぞれに「盛りの時期」だったろう。

本物に似せて作った頭部による表現が今となっては懐かしい。
マイケル・アインアンサイドの魅力が何とも。

「過去の自分」がどうであろうと「現在の自分」が大事。
われわれが「自分」をどう規定するのかについてというのがポイント。

エリ・サジック「グラビティ 繰り返される宇宙」(’19)を観る。

ただただマイケル・アイアンサイドの健在ぶりを観たかっただけ。
とはいえ意外に面白い。

「ループの罠」にハマった人々がそこからどう脱け出すのか。
緊張感を保つ描写にふむふむ。

漱石に倣えば「二個のものがsame spaceをoccupyする訳には行かぬ」という次第。
そこで「異なる行動」を採ることが「未来」を変えることに。

マル激を観る。

今回はコロナウイルスに対する認識について。
長崎大学の山本太郎という名前を覚えておこう。

実は中世のペストの流行が「教会の権威」を失わせ「ルネサンス」を導いたのだと。
宗教が「災厄」に対して何の処置も出来なかったことが原因。

生物学的に考えればミトコンドリアもゴルジ体も「ウイルス」で。
その種のものとの「共存」こそがわれわれを「進化」させた模様。

「コロンブスのアメリカ大陸発見」も「ウイルスに対する耐性」がなした業。
「耐性」をもたないインカやアステカはスペイン人が持ち込んだ病気に勝てず。

バタバタと死んでいく人々に「神の啓示」を思うよりないままに。
要は「さまざまなウイルスに対する耐性」を持つ者の方が「強い」と。

その一方。

わが国は「絶対的な安心」を求める者たちが多く。
「現実」と「情報」の中で「自らの合理的な判断を下せる者たち」が少なく。

「お上」が下した「判断」とは異なる行動をする者をいたずらに非難し。
「自粛」をきちんとしていない者には「非国民」のレッテルを貼るお粗末ぶり。

それどころか「感染者たち」を差別する動きも。
橋の下で二十年暮らしていたホームレスの老人を野球部の仲間が殺したりもして。

今回のウイルスが浮き彫りにする「現実」に向き合いたいもの。
「長期戦(少なくとも2年)」になることは明らかで。

「従来とは違う暮らし方」をしつつ
そこで「失われるもの」について考えるくらいの「余裕」がないとどうにも。

安倍がダメなのはいいとして次に「強力なリーダーシップ」を求める前に。
肝心なのはわれわれがもっと賢くなること。

「宙ぶらりんを耐える体力」を身に付けないと。
もはや問答無用に「正しいこと」などどこにもないのだから。
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「かつてのアクションスターたちとそれをまとめるアイデアを生み出したスタローンの頭のよさ」について

2020-04-25 01:30:36 | Weblog
晴れときどきくもり。雨も降る。

サイモン・ウェスト「エクスペンダブルズ2」(’12)を観る。

「エクスペンダブルズ」(’10)を観ないままにまたこんなことを。
脚本にスタローンが加わっていることもあって内容はそこそこ。

ジェイソン・ステイサム、ドルフ・ラングレン、ジェット・リー、
ランディ・クートゥア、テリー・クルーズがオリジナルメンバー。

そこに「一匹狼」のチャック・ノリス(彼はまだ健在だったのね)、
ジャン・クロード・ヴァン・ダム、ブルース・ウィリス、シュワルツェネッガーが加わる。

アクションスター勢揃いといった趣き。
今回は「ハンガー・ゲーム」シリーズのリアム・ヘイワーズを中心に。

カリスマ・カーペンターやユー・ナンの女優陣は魅力的かと言われると微妙。
まあ「マッチョな男たちの物語」だから。

それぞれに「戦場の辛い思い出を語る」のがポイント。
「ランボー」(’82)の頃から変わりなく。

引き続きパトリック・ヒューズ「エクスペンダブルズ3 ワールドミッション」(’14)を。

メル・ギブソン、ウェズリー・スナイプスにハリソン・フォードが参加。
個人的には「ダイ・ハード」(’88)に出ていたロバート・ダヴィが懐かしい。

年齢を重ねたゆえの失敗でオリジナルメンバーを「引退」させて。
新たに若いメンバーを集め自分なりの「仕事」をするスタローン。

テリー・クルーズが撃たれて重傷を負ったための「復讐」。
物語は誰もが予想できる展開で「水戸黄門パターン」。

アントニオ・バンデラスがやたらに喋る男だったり。
「デスペラード」(’95)を思い出した次第(キャラクターは全く異なるけれど)。

爆発の規模が大きくアクションのあれこれにも納得。
それにしても主人公たちの敵は問答無用に死ぬこと夥しい。

ルナのロンダ・ラウジーは「北京オリンピック柔道の銅メダリスト」。
「格闘家」としてその筋では有名だとのこと。

いずれにせよ。

それぞれに「一時代を築いた俳優たち」がたくさん出て来るのだから。
当時を知る者としては「ふむふむ」と思わざるを得ず。

このパターンを思い付いたスタローンの「勝利」。
彼の「才能」について感じ入ることしきり。
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「『再見』かどうか定かでない作品とそのオリジナルあるいは『米国海軍の見本市』のような作品」について

2020-04-24 00:43:20 | Weblog
くもりときどき晴れ。今日もやや風が吹く。

テリー・ギリアム「12モンキーズ」(’95)を再見。

「再見」のはずがほぼ物語の内容を忘れていたので実は「初見」かも。
どうも記憶が定かではなく。

本作を観終わってすぐにクリス・マルケル「ラ・ジュテ」(’62)を観たところ。
ほぼ設定が同じだということがわかる。

もっともこちらは29分の作品でモノクロ写真の連続。
主人公と付き合う女がキルステン・ダンストによく似ていること。

「12モンキーズ」はそこに「ミステリー風味」と「ループ」を加えた模様。
ヒッチコックの「めまい」(’58)や「鳥」(’63)も映され。

「見知らぬ乗客」(’51)「北北西に進路を取れ」(’59)「サイコ」(’60)のタイトルも。
「24時間ヒッチコック祭り」を上映している映画館が登場。

とりわけ「めまい」同様にマデリーン・ストウは髪の色を変える。
ブルース・ウィリスもウィッグや付け髭など。

クリストファー・プラマーは「偉大な父」でブラッド・ピッドは「イカれた息子」。
デヴィッド・モースがこんなところに。

ドン・テイラー「ファイナル・カウントダウン」(’80)を観る。

基本はアメリカ海軍全面協力の上での「見本市」のような。
そこに「タイムトラベルのパラドックス」を強引にくっつけた感じ。

40年前の「特殊効果」はいかにもショボい。
とはいえカーク・ダグラス、マーティン・シーン、キャサリン・ロスに加え。

チャールズ・ダーニングの姿を久方ぶりに観られたのがうれしい。
オーウェンス中佐のジェームズ・ファレンティノはいささか微妙かも。

現代(当時)の原子力空母ニミッツが不思議な嵐に襲われて。
「真珠湾攻撃」前日の時代にタイムスリップするお話。

「オチの付け方」は悪くないものの如何せん「見本市」がメインだもの。
本作の6年後に大ヒットしたヨーロッパの同名曲を載せて「口直し」に。
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「ゴースト・バスターズ祭り」について

2020-04-23 02:12:13 | Weblog
晴れのちくもり。今日も引きこもり。

アイヴァン・ライトマン「ゴースト・バスターズ」(’84)を再見。

脚本がダン・エイクロイドとハロルド・ライミスであることをあらためて。
「エイリアン」(’79)から5年後のシガニー・ウィーバーの「セクシーさ」は健在。

受付のアニー・ポッツの語り口はシンディ・ルーパーのよう。
「スマイラー」や「マシュマロマン」あるいは「ズール」のキャラクターよ。

「門の神」と「鍵の神」が現実では相容れない関係なのもなかなか。
リック・モラニスはその後セミ・リタイアしているよう。

わが国の「狛犬」に似ていなくもない設定にふむふむ。
「御開帳」でラスボスが登場することもあり。

アイヴァン・ライトマン「ゴースト・バスターズ2」(’89)を観る。

「ゴースト退治」でNYを救った過去は忘れ去られ。
メンバーたちはそれぞれの現在を生きる中。

デイナの赤ん坊の乳母車が勝手に動く冒頭に始まり。
「スライムの川」が地下を流れている事実を知った彼らはという展開。

本作ではビル・マーレイとシガニー・ウィーバーの関係がメインだったり。
ピーター・マクニコルの「ゲイぶり」が色を添えて。

前作ではスペングラーと恋仲になったはずのジャニーンが
リック・モラニスと「いい関係」になるデタラメぶり。

ちょいと「NYへの愛情」が描かれているのを忘れずに。
「スライム」が「人間の感情に左右される存在」という描写も。

引き続きポール・フェイグ「ゴースト・バスターズ」(’16)を観る。

メンバーを女性に変えて描いた作品。
ケイト・マッキノンのキャラクターは立場を問わず「素敵」。

前半は「アメリカローカルなネタ」が喋りで描かれるので外国人の理解は微妙。
このあたりの「前提」についてはどうしようもなく。

「ゴースト」の「青い映像」がなかなか。
「マイティー・ソー」(’11)のクリス・ヘムズワースの「阿呆ぶり」よ。

要するに「顔と身体がいいカラッポな存在」を男女で「反転」させた描写。
「不動産業者」で出演している脚本のケイティ・ディボルドはそれがしたかった模様。

ローワン役のニール・ケイシーはどこかピーター・ローレに似ていて。
エリンとアビーの「対立」は「放蕩娘の帰還」をもたらすための「前提」。

途中から加わるパティが「街の歴史に詳しい」のも覚えておこう。
要は「NYという街に対する愛情」があるということ。

彼女たちが「どこまでも認められない存在であること」を忘れずに。
「プリンストン大の物理学者で」とゴーストに自分を紹介したエリンはスライムを浴び。

エンドロールにこんな「工夫」をするなら
もう少し本編に集中したらどうかという疑問もあるものの。

「オタクな女子」という存在はむしろ「魅力的であること」。
もっともそれは「オタクな男子」である自分ゆえかもしれない。
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「久方ぶりふたつとセンスのいい映画」について

2020-04-22 01:22:13 | Weblog
晴れ。おだやか。

久方ぶりに仕事に行く。

陸橋の隅に繁る草花の色が鮮やか。
先日まとまって降った雨のせいか。

リモート方式にやや戸惑う。
やがて慣れるだろうと思いつつ。

今月中にはあと二日のみ。
来月の予定は未定。

帰宅後これまた久方ぶりに「踊る!さんま御殿!!」を観る。

番組は今年で23年になる模様。
エイトブリッジの別府ちゃんを丁寧にいじっていたあたりに愛情が。

メンバーの新陳代謝がどうやら肝で。
そこにさんまの「回し」の技術が加われば面白くなる仕組み。

デヴィッド・ロバート・ミッチェル「イット・フォローズ」(’14)を観る。

左右にゆっくりと展開するカメラのパンが印象に残る。
映像は空気の冷たさと湿り気を伝えていて。

恋人とのセックスで「それ」を移されてしまったジェイ。
ゆっくり歩いてどこまでも追いかけてくる「それ」に脅えるのだがというお話。

追いつかれたら殺されることはわかっている一方。
「それ」の歩みは遅いのでいちおう逃げられる。

ただし「精神的なダメージ」が大きいのがポイント。
「いつ捕まるのか」という恐怖が去ることはなく。

「それ=死」でそれが「生=セックス」によって伝わるという皮肉。
登場するのは若者のみで大人の影が薄いのに注意。

どうやら元ネタは「リング」か。
ただしこの監督のセンスは悪くない。
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「いたずらに『過去』を思い出すこと」について

2020-04-21 02:42:58 | Weblog
雨のちくもり。のはず。

今日は映画も観ず。
ダラダラと過ごす。

久方ぶりに「昔の気分」を思い出す。
まだそういう部分が残っていた模様。

たまたま埃をかぶっていた若い女子の8年前の手紙を見つけて読む。
大したこともしていないのに感謝の気持ちが綴られていて。

彼女は実に素直で謙虚だった。
最後に言ったのは「君は本気で怒れるの?」。

素敵な先生になっていることだろう。
保育関係の仕事をしているはずで。

今はコロナ関係で大変やもしれず。
きっと彼女は大丈夫。

そう言えば。

昔喫茶店でバイトをしていて。
たまたま一緒になった若い彼女は確か左耳が聞こえず。

オヤジのセクハラに遭った話など聞きつつ。
あれこれ楽しく話した思い出など。

その後彼女は店を辞めて。
一度店に来た時にはメイクもバッチリでその違いに驚いたもの。

その時は大した会話もないままに。
おそらく20年以上前のことだと思われるが詳細は不明。

少なくとも彼女が自分の耳のことについて話してもいいと思われた相手だったか。
可愛いタイプだったけれど今頃どうしているのだろう。

なぜか「同年代の女子」との関係がないままに現在に至る。
辛うじて十数年前の彼女がギリギリか。

思えば「同年代の男子」についても同様。
「自分が子どもだから」と思えば納得しないわけではないとはいえ。

どうしてこんなことになってしまったのか。
「上書き」がないとこんなことになるのだと思っておこう。
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