退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

3連休その2

2017-06-30 01:58:23 | Weblog
くもりのち晴れ。出がけにパラつき深夜にも。

四方田犬彦編「ザ・グレーテスト・ヒッツ・オブ・平岡正明」を読む。

主な著作のキモを抜き取った内容。
編者は「喧嘩の流儀を見よ」と言うのだけれど。

本作は16年前に出ていて著者は8年前に鬼籍に。
「濃いキャラクターだなあ」というのが正直なところ。

「革命」を本気で考えるとここに至るのか。
「つまらんもの」をすべて「敵」だとする気風のよさよ。

敢えて「男根主義者」を気取る一方で「繊細な感覚」があちこちに感じられて。
「梁山泊の豪傑ぶり」を感じさせる存在として「最後の人」なのかもなどと。

もっとも著者の魅力を十全に受け取れたとはとても思えず。
小林信彦、橋本治、筒井康隆、山田風太郎、夢野久作などについてはどうにか。

印象に残ったのは「留置所で居合わせた清さんの話」。
こういう人と実際に会っていると「視界」は否応なく広がらざるを得ず。

「国家」を否定する人がその一方で「国家に救われている人」を見るということ。
かつての「国家」にはそれくらいの「懐の深さ」はあった模様。

「心意気」に関しては右も左も関係なく。
「あらゆる感情は正しい」という言葉は「現実を受け止めること」だと「翻訳」しておく。

それにつけても。

稲田防衛大臣の発言を問題にするのはいいとして。
なぜ彼女がその「地位」を獲得するに至ったのかを考える方がずっとマシ。

そもそも「安倍一派」が「うんこ」であることなど当初からわかっていたはず。
にもかかわらず彼らが「権力」を手にした事実があるのだから。

なぜそんなことが可能になったのか。
そこが「肝心なこと」で今後も起きるであろう「同様の問題」はむしろどうでもいい。

少なくとも彼らを「支える感情」があったのだということ。
いやおそらく現在もあるのだということ。

そのことをきちんと受け止めないとどうにも。
「無能の人」を「無能」だと言って満足するのではどうにもならず。

「リベラルの胡散臭さ」は「正しいこと」を言うだけで終わることだろう。
「現実の複雑さ」に対応する能力がないままに。

それも結局「カタルシスのなせる業」だとするならいわゆる「ウヨブタ」と大差なく。
「人を動かすもの」が何であるかあらためて考えた方がよさそう。
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3連休その1

2017-06-29 02:05:19 | Weblog
雨のちくもり。夕方には晴れる。

昨日はまた睡魔に襲われて寝る。

今日から3連休。
とはいえいつものように過ごす。

山田宏一「ヒッチコック映画読本」を読む。

「ヒッチコック トリュフォー 映画術」を買ったのはいつ頃だったか。
学生時代に追いかけた作品とその後ビデオやDVDで観た作品が蘇る。

それでも全作品を観ていないという怠惰。
著者の文章によって具体的なシーンをあれこれ思い出すことが出来て楽しい限り。

「映画は目で観るもの」ということをあらためて。
「マクガフィン」さえあれば心躍ることも。

もう一度と言わず何度でも観直したくなる作品の数々を是非。
グレース・ケリーの魅力についても同様に。

日本バイオロギング研究会編「バイオロギング 動物たちの不思議に迫る」を読む。

今から8年前に出たものなので現在はどうなっているのか気になるところ。
「バイオロギング」は「動物に関するビッグデータ」のことだと思って頂いて結構。

「観察」が不可能ならそれぞれの動物に「計器」をつけてデータを得ようと。
その工夫とそこから見出される「事実」にふむふむ。

このシリーズはもう一冊あるようなので次回に。
研究者たちが楽しそうなのもいい感じ。

丸善に行く。

「本音を申せばシリーズ」で唯一読んでいなかった作品の文庫が目に留まり
小林信彦「アイドル女優に乾杯!」を買って読む。

オリジナルのタイトルは「『あまちゃん』はなぜ面白かったか?」。
もう3年前になるのねといった趣き。

3.11の原発事故に関する政府の「不作為もしくはウソ」に関する記述が目立つ。
「オリンピック開催」への疑問もあり。

この「当然」が「多数派」にならなければ自ずと「映画の話」も増える仕組み。
「新進女優たち」への敏感さはさすがと言うべきか。

土屋太鳳、広瀬すずもチェックしたはず。
永野芽郁や評価されるのに時間がかかった川口春奈もきっと。

その一方で「アメリカのコメディアンの歴史」やヒッチコック、ケイリー・グラント、
あるいは「ガンガ・ディン」(’39)などの懐かしい作品に触れていて。

スティーヴ・マーティンの「ペテン師と詐欺師/だまされてリヴィエラ」(’88)。
これは非常に面白かった記憶があるのだけれど。

詳細に触れればキリがないのでここまでに。
繰り返すが著者の回復を祈るのみ。
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「バラバラであることと『適応の異常さ』あるいは小さく好ましくまとまること」について

2017-06-27 02:13:42 | Weblog
くもり。仕事帰りに少しだけパラつく。

原田誠一編集「適応障害」を読む。

うーむ、要は各人によって見解はバラバラだということか。
「素人」にはその事実がわかっただけに終わる。

本書の一部にもあったように
「異常」に適応することは「異常」であることが気になる次第。

例えば。

本来は国会以外で唯一首相の考えをただす場所であるはずの記者会見が
すべて「お膳立て」された「儀式」であることに「適応」すること。

自閉症の人々が無理矢理「集団生活」を強いられることになる「学校」。
そこに通うことが「当然」だとされるのに「適応」すること。

あるいは誤った判断をする上役に対して
「イエスマン」になりきり「適応」することなど。

「適応」する前に別の手段を採った方が好ましいことがたくさんある。
ただしそれが出来ないまま心身に「歪み」をきたす人々も少なくなく。

彼ら彼女らを「治療」して社会復帰させるのは
命を救ったはずの兵士が再び戦場に赴くといった類いの「矛盾」にも似て。

さて。

すでに世の中には「ゾンビ」が溢れているのだとしよう。
ジョージ・A・ロメロ「ゾンビ」(’78)のラストを思い出すなら。

主人公のひとりはいっそゾンビになってしまおうかと思うものの
それを振り切ってヘリに乗り込む。

その「意味」をあらためて考えてみてもいいかも。

人工知能がすでに人間を超えてしまったことも考え合わせると
われわれの作る「うんこ社会」に意味があるのかどうかも同様に。

その上で「未来」を構想しなければ自動的に「奴隷」になるのみ。
なぜかは不明だが「正解」を出す人工知能に従えばいいだけになり。

もっとも人工知能が人類を「地球における『害虫』」だと見なせば
あっという間にわれわれは「消える」ことになるやもしれず。

「人工知能の進化」と「われわれの劣化」の対照ぶりよ。

また。

震災と原発事故で「国土の一部」を失い
さらにはそこにあった「共同体」を破壊した経験をもつ意味とは。

それが全くなかったことのように振る舞えるのだとしたら
われわれの存在に意味があるとは思えないのだけれど。

すでに「家族」も「地域」も空洞化している現在
どうにか「新しい共同体」を作ることが重要か。

とりあえず「小さく好ましくまとまること」。
そうしたユニットが各地でもっと生まれなければどうにもならない模様。
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「限界を超えた無知もしくは無恥と人を見る目もしくは笑いのセンス」について

2017-06-26 02:43:30 | Weblog
雨のちくもり。ようやく少し梅雨らしく。

適菜収「安倍でもわかる政治思想入門」を読む。

首相の発言の「無知あるいは無恥ぶり」を具体的に描いた内容。
とりあえず彼が「平気でウソをつきそのことに何も感じない人間」だとわかる。

本書がベストセラーにならなければむしろ「われわれの恥」。
立場の如何を問わず「すべからく知るべし」だと言っておく。

マル激を観る。

Nコメでは首相の「本領」は官僚の作ったペーパーを読む以外の場面で表われることと
「記者会見」が「セレモニー」であることをあらためて。

事前に質問内容が通達されていてそれを記者たちが一字一句違わず話し
首相はここでも官僚作文を逐一めくりながら読むのみ。

それ以外の質問を畳み掛けると「意味不明な回答」しか得られない仕組み。
難民を扱った「世界会議」で外国人記者たちの「想定外の質問」に答えた姿を忘れずに。

「難民と移民の区別」さえ曖昧だったりするのだから。
さまざまな「客観的証拠」にも関わらず彼を一方的に擁護する輩のことも同様に。

「類は友を呼ぶ」という「法則」の容赦なさとでも言うべきか。

本編では「官房長官の権力」について。
「切れ者」に見えた菅官房長官もどうやら「疲労」のせいでおかしくなっている模様。

「怪文書」発言で首をかしげさせた挙句
「社会部の女性記者の追及」にタジタジにもなり。

ゲストの民進党枝野のセンスは悪くない。
ただし「党全体」としてはまだまだ微妙か。

「マスコミ対策」が不十分だとしたらそこもしっかりやればいい。
「信頼に足る人物」だと思わせる「接触と中身」が重要。

今回のキーワードはどうやら「人柄」。
残念ながらその程度のことを押さえないとダメらしい。

さて。

人は人をどう判断するのか。
「信頼」が実は「共犯関係になること」によって生まれたりもすることも。

「反面教師」は至るところにいるので
むしろその種の関係が作りやすい「環境」にいる「現実」よ。

重要なのは「笑いのセンス」だとしておこう。
それは少なくとも前川前文部事務次官の記者会見で笑った記者たちのそれとは違うはず。
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「素敵な作品」について

2017-06-25 04:15:58 | Weblog
深夜「蒲田行進曲」(’82)をTVで再見。

もう35年前になるのか。

風間杜夫と平田満がキレキレで松坂慶子が初々しい。
ここでも「妊娠問題」だったかと思った次第。

清川虹子の母親はすべてを飲み込んで。

「銀ちゃんってどんな顔してたっけ、女って薄情ね」
岡本麗の訳知り顔もなかなか。

千葉真一、真田広之、そして何より志穂美悦子のアクションぶりよ。
原田大二郎、萩原流行、汐路章、榎木兵衛、曽根晴美、蟹江敬三に高見知佳など。

石丸謙二郎、酒井敏也も。
「つか絡み」ということで。

若き日の風間杜夫は溝端淳平に似ている。
ボクサーのように精悍な平田満。

この「ややこしさ」に惹かれるのはそれが自分にないから。
ラストシーンには「映画作りの喜び」も。

何という「幸福な瞬間」。
松坂慶子の「純朴さ」が全体を支えているような。

赤ん坊の誕生は作品の誕生に重なり。
愛だね、愛。

監督深作欣二は「映画について知っていること」をすべてぶち込んだのだったか。
「現場」にいた人々は「本物」を知ったわけで。

この種の愛情から遠ざかって久しい現在。
本作を観て今の彼ら彼女らは何を思うのだろう。
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「閑古鳥と運に関する物語あるいは水」について

2017-06-25 01:49:46 | Weblog
くもり。深夜に降る。

今宵も老舗バーへ。

先週とはうって変って閑古鳥。
BSの石原裕次郎の特番など観つつマスターと映画についてあれこれ。

店を出ると降り出していたのでコンビニで傘を買って帰宅。
そこそこ飲んだもののあまり酔った感じはなく飲み直す。

萩本欽一「ダメなときほど運はたまる」を古本屋で買って読む。

「ギャンブラー」としての欽ちゃんの面目躍如といった内容。
独特の「運」に関する考えを知っておこう。

我慢しない人々が増えた現在ではさらに印象が強くなるかも。
何しろ「友だちは苦しい」と言った人だから。

ついでに阿佐田哲也の「うらおもて人生録」や「私の旧約聖書」を読むとさらに楽しいはず。
「ギリギリを見切った人」の経験を大切に。

これもまた「物語」。
それをどう読むのかということに尽きるのだけれど。

それとは別に。

今日からようやく梅雨らしくなる模様。
農作物を育てている人々にとっては「恵みの雨」だろう。

ダムの貯水率も気になるところでこれで回復してくれればと思うのみ。
やがて「水」が「タダ」でなくなる日も近いやもしれず。

少なくともトイレなどの水に関してはもっと「雨水利用」が「普通」にならないと。
やがては水を求めての「移住」などが起きる可能性もなくはなく。

「澱みに浮かぶうたかた」を勝手に思いながら
眠くなったら寝る予定。
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「美しい魚たちと人の死」について

2017-06-24 02:08:24 | Weblog
晴れ。まずまずおだやか。

「磯魚ワンダー図鑑」読了。

さまざまに美しい魚を紹介してもらってありがたい限り。
もっとも自分で飼育する根気はなさそう。

さて。

世界各地で毎日あらゆることが原因で人は死んでいる。
そこで。

「採り上げられる死」と「そうでない死」がある。
すべての人間にとって「死は平等」であるはずなのに「差」を生み出すのは「メディア」。

電車に飛び込んだ挙句ホームにいた人に「思わぬ迷惑」をかける死に方もあれば
小林麻央のような死に方もある。

テロで死ぬこともあれば誰かに殺されることもあり。
事故や病気も当然で「採り上げられる死」の中にも「差」が生まれ。

誰にとっても「身近な人の死」は悲しいこと。
それだけのことのはずなのに。

「以上も以下もない死」を死ぬこと。
どうやらそれが好ましいことだと思った次第。

山川草木鳥獣虫魚は常にそう。
果たして人にその「マネ」ができるかどうか。

少なくとも「過剰な意味付け」はしたくないしされたくもなく。
ただしそれをしたがるのが人間だったり。

われわれにとって未来はいつも不確かだからコントロールのしようもなく。
とりあえず「寿命」を信じるフリをしておく。
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「生き物の不思議さと魅力あるいは『危険な手段』」について

2017-06-23 02:23:12 | Weblog
くもり。おだやか。

荒俣宏「磯魚ワンダー図鑑」を半分くらい観て読む。

「観て読む」と言いつつ後者はおざなりに。
知っているものから知らないものまであれこれの魚たちよ。

ハコフグの可愛さやルリスズメダイの美しさ。
あるいは自分と同じくらいの魚を飲み込んで絶命するハナオコゼの壮絶など。

鳥獣虫魚いずれをとっても
「なぜこんな形や色をしているのか」という不思議さは尽きない。

山川草木についても同様に。
観ているだけで楽しくなるのだから何とも「ありがたい存在」ではある。

繰り返すが普段「煤けた人々」ばかり見ていると「目」によろしくない効果が。
むしろ「毒」だと言いたくなる存在も少なくなく。

本来はもっと「楽しそうな人々」を観たいところだけれどそうもいかず。
「家族に乾杯」の鶴瓶くらいにならないと難しそうで。

生来の無愛想も手伝ってなかなか。
まあ仕方ないことだとあきらめておく。

それはそれとして。

「安倍ちゃん仲間の醜態」がまたまた明らかになる。
「類は友を呼ぶ」という「原則」の徹底ぶりをあらためて。

その一方で。

どんな人にも「醜態」はおそらくあり
当人はおそらくそれが「公開される」とは夢にも思っていないだろう。

今回はそれが知らないうちに録音されていたという結果。
これって「まともな評価」なのか。

「政治家」として何をしたかではなく「人」としてが優先され。
それも「プライベートのひどさ」が知られたためで。

もちろん彼女の「異様さ」はわかるのだけれど
「一般人」についてこの種のことが意図的に行われたらどうなるのか。

つまり。

普段はとても穏やかな人がたまたま「激高したシーン」を撮ったとして
それが全国放送あるいはyoutubeで流されたとしたら。

繰り返すが今回の彼女がそうであると言っているのではない。
その種の「危険性」をどう考えるのかについて問いたいだけ。

要は「気にくわない他人」を
いとも簡単に「社会的に貶める手段」が「有効」だということ。

それって誰にでも使われていいものなのだろうか。
というより「あまりに危険な手段」だと思われるのだが如何。

「文脈」を省略して採り上げられるさまざまな「話題」などもあり。
われわれはこの種の「メディア・リテラシー」をもっと身に付ける必要があるような。

いやはや。
くれぐれも「指名手配」は避けたいものではある。
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「深夜の妄想あるいは手をかけること」について

2017-06-22 02:13:19 | Weblog
雨のちくもり。思ったほどは降らず。

河合雅雄・林良博編著「動物たちの反乱 増えすぎるシカ、人里へ出るクマ」を読む。

人がもっと山と関わっていた時代に
「里山」は人と動物との「入会地」だったというのにふむふむ。

人がいるときには動物は出て来ず人がいないときに出てくる関係。
それが「高度経済成長」以降に崩れた模様。

アニメ「あらいぐまラスカル」によるイメージ先行で増えたアライグマや
ヌートリアによる「被害」も少なくなく。

科学の力を使ってもまだまだ動物たちの行動を追い切れず。
思うような「ワイルドライフ・マネジメント=野生動物管理」ができないのだと。

もっとも人員不足も大いに手伝っているらしく
その仕事で「暮らしていける環境」が整わないせいだったり。

少なくとも他国と比べて圧倒的に森林が多いのだから
地元住民のみならず都市住民も積極的に関わるようにならないとどうにも。

「猟師の高齢化」についても気になるところ。
「技術や知識を受け継ぐこと」がここでも問題に。

料理を含めそれぞれの技術と知識を持った人々が集まって
ある種の「山岳ゲリラ」として「村」を作ってしまったらどうか。

「貨幣に頼りすぎない生活」を望む人々にはむしろ「うってつけ」。
「白樺派ふたたび」などと。

今ではアイデア次第でどうにかなりそうな気がしないでもないので
「志ある若者たち」はチャレンジしてみて頂きたいところ。

言い方を変えれば「国内移民」とでも。
かつての満州や南米と比べたら「リスク」は相当少ないと思うのだが如何。

「都市でしか生きられない人間の妄想」か。
あるいはある程度「可能性のあるもの」か。

さて。

「手をかけること」は何事においても重要。
なぜならそれだけで「愛情」が生まれるから。

その対象は何であろうとかまわない。
ただし具体的に「手をかけること」が必須。

とにかく「大切にしたいもの」にはそうしないと。
「荒廃」はそうした具体性を欠いたところからさまざまに生まれるものだから。
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「好ましい語りとなぜか脳内ループする曲」について

2017-06-21 02:18:12 | Weblog
晴れ。夜は案外涼しい。

平岡正明「芸能の秘蹟」を読む。

ジャズ、映画、落語、浪曲、新内、歌謡曲、そしてフラメンコなど。
血肉となった知識がライブ感満載で語られる見事さよ。

「語りの調子のよさ」がいかにも気持ちよく
町やライブハウスや寄席、人物たちの雰囲気も伝えつつ。

著者が鬼籍に入ってもうすぐ8年。
その素敵な「疾走感」は変わらずに残ったまま。

四方田犬彦の「ザ・グレイテスト・ヒッツ・オブ・平岡正明」も読むとするか。
遅ればせながらそういうことで。

知らないより知っている方がいいことはまだまだたくさんある。
とりあえず寿命まであれこれと。

さて。

今日の「なぜか頭の中でループする曲」は
セルジオ・メンデス&Brasil'66の「マシュ・ケ・ナダ」。

オリジナルはジョルジ・ベンのこちら
声が裏返るのと終わりがけのファルセットがちょっと違う。

小野リサピンク・マルティニ&由紀さおりバージョンなど。

NOSSAという女性グループや
セルジオ・メンデス feat.ブラック・アイド・ピ-ズもあったのでついでに。

少し前には自動車のCMにも使われ
だいぶ前には「今夜は最高」でゲストの宮本信子が歌ったことなども。

要は「歌い継がれる名曲」ということで。
いずれが好みかはそれぞれにおまかせ。

タイトルの意味はどうやら「オー・マイ・ガッド!」に近い模様。
「なぜそれが今日ループしたのか」は不明のままに。
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