退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ニューロンの発火する場所としない場所」について

2015-01-30 03:12:40 | Weblog
『晴れのちくもり。おだやか。

サム・キーン
「にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語」を読み始める。

「センス・オブ・ワンダー」を生み出そうとする姿勢と
淡々とした叙述がいい感じ。

「ノーベル賞」のみでなくその「周辺」で実は非常に意味があった研究なども。
「意味のある間違い」が生産的であることは覚えておきたい。

DNAが暗号でもあったりウイルスの特性を取り込むしたたかさを持っていたり。
コンピュータを先取りした存在であったというのが興味深い。

明日読み終わる予定だが楽しみ。
われわれがしぶとく生き延びるわけをちょいと覗いてみたい。

「遺伝」と「環境」のどちらかに「原因」を求めるのではなく。
両者のフィードバックが生物を育てるはず。』と書いて昨日は寝る。

雨のち晴れ。

「にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語」読了。

「思いがけないつながり」という意味で楽しく読める。
ある種の「偉人伝」といった部分もあり「科学」との「交配」がうまい。

この種の読み物がわが国でもできることを願う。
おそらくそうした書き手はいるはずなので。

さて。

「イスラム国」絡みのニュースで浮き彫りになったのは「TV情報の薄さ」。
それは「19才の殺人マニア」のニュースについても同様。

何も新しい情報がないにも関わらず
「『現場』の映像」や「関係者への取材」、「殺人マニアの過去」を適当に流すだけ。

「ニュース番組の時間」を埋めるだけの放送は全く無駄。
これらは「報道」ではない。

「いたずらなルーティンワーク」しかできないなら
何もしない方がむしろマシ。

その「当然」を関係各位には受け止めていただきたいもの。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「賢いものとそうでないもの」について

2015-01-29 03:46:29 | Weblog
『晴れ。夜になって冷たい風が吹く。

大澤真幸「近代日本のナショナリズム」再読。

途中まで読んで「以前に読んだことがある」と気付いた次第。
この「抽象的な『現実』」は理解されにくいだろう。

おそらくカギとなるのは「=(イコール)」という記号の果たす役割。
「同じメディアに接すること」が「知りもしないが同じ国民」という意識をもたらす。

たとえば「領土」が問題になると「日本」が立ち上がる仕組み。
それまでは誰もそんなことは思いもしないのに。

あるいは「相対的貧困」。
「彼もしくは彼女が豊かでなぜ自分は貧しいのか」と思う基本には「=」がある。

「遺伝子」や「環境」が異なるにも関わらず
いつのまにかわれわれは「同じ人間」になっている。

もちろんその種の考え方は「人権」を理解するには役立つものの
「同等の境遇」までは保証しないことを忘れさせて。

わが国には「人権」を必要とするような「過酷な歴史」はなく
比較的誰もが安穏のうちに暮らせた「短期的記憶」を持つ人々が各地にいて。』

と書いて昨日は寝る。

今日は晴れたが底冷え。

片田珠美「無差別殺人の精神分析」を再読。

怖ろしいことにこれも読み始めて以前に読んだとわかる。
だいぶボケが進んできた模様。

僭越ながらこの程度のことは「素人」でもわかる。
もっと新たな「発見」がないと。

深夜NHKで「NEXT WORLD」を観る。

五感を再現でき人工知能がさらに発達するなら
ある種の人々は本格的に「ひきこもり」になれる。

「死者」を「データ」によって甦らせるというのは
メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」をさらに「精密」にしたものか。

いわゆる「現実」は「どうでもいいもの」になりそうな勢い。
ただこれが実は「麻薬」だと思うと結構コワイ。

「進化した人工知能」からすればわれわれはいかにも「劣った動物」。
「矛盾に満ちた存在」はすぐに「消される」悪寒がしないのでもないのだが如何。

「論理」は「曖昧なもの」を排除するのだから当然か。
せめて「ダメだけど可愛い存在」くらいで許されればありがたいのだけれど。

むしろ人間が「害虫」として処理される方が
地球のためにはいいかもしれないということも思いつつ。

個人的には「そのようにしか生きられなかった人生の意味」を味わいたい。
「愚劣さ」あってこその「理想」は輝くはず。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「経済の衰退とともに浮上する政党」について

2015-01-27 02:57:10 | Weblog
くもりのち雨。夜にやや激しく。

大下英治「日本共産党の深層」を読む。

「調査報道」ができることと「代案」が出せるのがいいところ。
「ブラック企業」の登場によって久方ぶりの「躍進」を見せつつ。

内容は思っていたより薄くほぼ「紹介」のような感じ。
立花隆「日本共産党の研究」など忘れ去られているのがむしろプラスになっている模様。

民主党や日本維新の会その他が
結局は自民党と大して変わらない「事実」も手伝って。

「政権を取ること」はおそらく不可能だとして
連立内閣で大臣を出すくらいのことはあってもいいだろう。

とりあえず今が「旬」であることは確か。
わが国が「下り坂」を進むことも同様で一定の勢力は維持するはず。

本書で紹介された議員よりさらに若手たちが
どう「魅力」を発揮できるかが勝負かも。

基本は「オヤジ臭のなさ」。
個人献金のみで政治活動を行っているのも今となっては好ましい。

これもある意味「安倍政権のおかげ」。
「無能さ」というのも「ゲーム」を動かすネタになることをあらためて知る。

とりあえず「シングル・イッシュー(『ひとつの問題』=たとえば原発ゼロ)」で協力して
その後をどう展開するのかというあたり。

現在の公明党のような存在もしくはそれ以上になれるかどうか。
しばし「お手並み拝見」ということにしておく。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「パートナーといかさま」について

2015-01-26 02:27:00 | Weblog
晴れ。おだやか。

昨日はいつものクインビー。

コレクターさんとマスターが
映画「テンプテーションズ物語」で盛り上がる。

デヴィッド・ラフィンがどうやら「悪玉」。
クスリをやったり自分がいないとダメだと言ったり。

淡々と飲んで帰宅後
あれこれしているうちに爆睡した模様。

上野千鶴子「ニッポンが変わる、女が変える」を読む。

対談の相手は高村薫・瀬戸内寂聴・永井愛・国谷裕子・田中眞紀子・辛淑玉
浜矩子・加藤陽子・中西準子・林文子・澤地久枝・石牟礼道子。

3・11がまるでなかったことになっているような現在
「オヤジのダメさ」をあらためて思った次第。

「日常」の大部分を支えているが女子であることを思えば
彼女たちをまともに「パートナー」にしない意味はほぼ不明。

にもかかわらずわが国は相変わらずで。
LGBTの人々がいわゆる「中枢」にいることもなく。

「無能な上司がさらに無能な部下を雇う」という「負の連鎖」を知っていれば
それだけで人の「能力」はわかるのに。

どんな場所にいようと「能力の有無」は見ていればわかること。
その「単純」を基準にしたことがなかなか実行できない。

「お勉強」が出来ただけの人物をいたずらに評価するとそうなるのも当然。
実は誰もが知っていることなのに。

同様にいたずらに貨幣を多く持っている人々の「貧しさ」もあり。
もっともそれに群がる人々も「同じ穴のムジナ」。

「短期的な数字」のみで物事を測るとそうなるのは自明。
それが「経済」ならそんなものはいらないわけで。

なるほど「世はいかさま」だとあらためて思う。
どうせ「いかさま」なら楽しいホラでも吹いたらどうか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「豊かな老い」について

2015-01-24 02:59:52 | Weblog
晴れ。風が強い。

藤川桂介「時代が見えるプロファイル脚本術」を読む。

「宇宙戦艦ヤマト」「宇宙皇子」などで知られる
今年81歳の脚本家・小説家が若者向けに書いた本。

ある程度の「レベル」を知る者にとっての「当然」を
敢えて「解説」するに至ったのはやはり「コワイもの知らずの若者たち」のせいか。

この「懇切丁寧さ」にはただただ頭が下がるのみ。
著者の身近にはそれだけ「危機感」があったということなのだろう。

もっとも「いいもの」に触れてそれを感受できる力がありさえすれば
自分が「作品」を生み出す側に回った時に「プレッシャー」を感じないのはむしろ「異常」。

とはいえ「自分を基準としたもの」からしか情報を得ないと
そうしたことになる「当然」もある。

おそらく基本は「世界の複雑さ」に対する「われわれの無力」であるはず。
ジャンルを問わず真摯に「世界」に向き合いさえすれば。

自分の「限界」を知ればこそ
そこから飛び出してみたくなるというのが「本筋」。

そこに「自分」しかなければ自動的に「貧しさ」に甘んじるよりなく
その「貧しさ」にさえ気付きもしない結果に。

やたらに「神」などと言いたがる手合いはロクでもないだけ。
自分にできないことなど数えればキリがなく。

久方ぶりに中田英寿をTVで観る。

彼のほぼ意味不明な「ポジション」について金井美恵子がある時期盛んに言っていたけれど
90歳の染織家志村ふくみを紹介していたのはいいこと。

圧倒的な美しさをもつ糸が織りなす着物の素晴らしさは
国籍がどこであろうと誰にでもわかるし知っておくべき。

とりわけ色彩感覚に乏しいと思われる人々には是非。
いたずらに「刺激」だけを求めるのはひたすら「貨幣量」を競うのと同じ。

ため息をつくしかない「存在」があることを知ろう。
そしてそれを受け継ぐことが可能であるという「幸せ」についても。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「好きにすればいいこと」について

2015-01-23 02:12:19 | Weblog
雨。一日中そぼ降る。

米澤泉「『女子』の誕生」を読む。

「女子」という言い方はもちろん学校時代にはある。
ある程度年齢を重ねた女性に対してもそう言うようになったのは雑誌発信らしい。

それにしても著者の雑誌好きなこと。
「サイレント・マジョリティ」を代表しているのか。

とはいえ最近の若い女子はあまり雑誌を読まないようで
それはブログのせいだったりする模様。

要は雑誌というメディアを経由しなくても
自分が好きな「モデル女子」はもっと直接的に情報を発信しているということ。

男女を問わず「好ましい人物」のマネをするのはよくある話。
ただ過去はこんなに雑誌に影響されてきたのねというのが正直な感想。

その一方蜷川実花のようなタイプも出てきたと。
「男子の視線あるいは従来のルール」と関係なく自分の好きに生きるタイプ。

個人的には彼女の「クドい色彩」はあまり好みではない。
それが「百花繚乱」を象徴している部分は認めるけれど。

もちろんそれぞれが好きに生きられるのが一番で
ある意味「勝手に」すればいいと思うのみ。

「趣味の違い」について時には議論し時には認め合う。
そんな感じで暮らせたら楽しそう。

ファッションの趣味についてはマツコ・デラックスが案外悪くないと思う。
あれこれ工夫しにくい中で色と柄の選び方がいい。

少なくとも「目にはやさしい」はず。
「一点突破のドギつさ」より「調和」を好むのは「てんびん座」のせいだとしておく。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「賢い身体であること」について

2015-01-22 02:20:26 | Weblog
くもり。おだやか。

内田樹「日本の身体」を読む。

茶道家・能楽師・文楽人形遣い・漫画家・合気道家・治療者
女流義太夫・尺八奏者・雅楽演奏家・元大相撲力士・マタギ・スポーツ教育学者。

「日本人には日本人固有の身体観があり、それに基づく固有の身体技法がある」らしい。
その理論上の「当然」をきちんと裏付けようというのが狙い。

個人的には「二日酔い」を防ぐために飲んだ後で深呼吸を繰り返すくらい。
詳細は実感できないもののふむふむと思った次第。

現代人にはいわゆる「所作」ができないのだとすれば
この種の「身体技法」を試してみてもいいのではないか。

身のこなしがキレイなのは見ていて快い。
一瞬に押し寄せる「大量の情報」を集中力によって「体得」するというのも興味深い。

少なくともわれわれはもっと
自らの感覚器官をフルに使うべきだろうと思わせる内容。

そうでなくても「頭でっかち」になりがちなところがあるのだから
「心地よい動き」を知ることは悪くないはず。

おそらくそういうのを「賢い身体」と言うのだろう。
「癖」でしか身体を扱えないのは貧しいということで。

文字通りの「地に足をつけた生活」は
われわれができなくなって久しいもの。

いたずらに「貨幣獲得」にいそしむ前に
ちょいと「回り道」してみるのも楽しかろう。

普段とは異なる「空気」を味わうだけでも
従来とは「違った世界」が見える。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「業の深さと体力」について

2015-01-21 02:48:57 | Weblog
晴れ。風が吹く。

スコット・カーニー「レッド・マーケット 人体部品産業の真実」を読む。

骨・臓器・血液・子ども・卵子・髪など。
いずれもどうやら立派な「商品」になっている模様。

貧しい人々がそれらを「供給」するのは
豊かな人々の「需要」があるから。

「倫理による禁止あるいは不透明化」がむしろ
そうした「市場」をかえって盛り上げているという皮肉もあり。

人の欲望が貨幣でかなえられるということを突き詰めるとここまでくるということ。
ただし「絶対的貧困から抜け出したい」という欲望の切実さも忘れずに。

われわれの「業の深さ」というものをあらためて思わされる。
個人的には出来るだけシンプルに生きたいもの。

ところで。

わが国の国民が初めてイスラム国の人質となる。

おそらく彼らは「テロに屈しないために」犠牲となるだろう。
ひとりは覚悟もなくもうひとりは覚悟の上で。

憎むべきは「テロリスト」であって人質たちではない。
この「基本」がわが国では忘れられがちなので強調しておきたいところ。

遠回りに見えても結局は「テロリストを生む土壌」に働きかけるしかないはず。
「貧困」や「差別」や「孤独」にどう対処するのかということ。

それらを「放置すること」が実は自分たちの「安全」にとってよくないのだという「認識」を。
その種の「めんどくささ」と付き合うだけの体力がないと。

各々の「覚悟」が試されるのだと言っておく。
「情けは他人のためならず」という言葉を噛みしめよう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「意識」について

2015-01-20 03:02:54 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

郡司ペギー幸夫「群れは意識を持つ 個の自由と集団の秩序」を読む。

「群れ」を「神経細胞の群れ=脳」だとするのがミソ。
「バード・アンドロイド」をもじった「ボイド」から解析は始まる。

実際の生き物の群れをどうシミュレーションモデルで捉えられるか。
あれこれの試行錯誤の様子がなかなか。

思わぬところで「ダチョウ倶楽部」が登場したり。
彼らのおきまりのギャグが実は群れの動きを作り出すエッセンスだったりする。

「意識とは何なのか」をあらためて考えさせられた次第。
今後の研究に期待したいところ。

やや煩雑に思えた部分がなかったわけではないものの
久方ぶりに「知的刺激」を受けた感じ。

究極的には「プログラムは『自然』を造れるのか」ということか。
おそらくこの追究は永遠に続くのだろう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「忘れ去られる『当然』」について

2015-01-19 02:06:45 | Weblog
晴れ。冷えはそこそこ。

教育関係の本は読んだものの
これといって採り上げるほどのこともないかと思ったり。

教師という存在が「外部」から評価を受けるのを嫌がる存在だということを知る。
まあほぼ「意味不明」なわけだが。

相変わらず「お前だけはなるな」というタイプがなりたがる職業ではある。
もっともどの職業であろうと「向いてないかも」くらいが適当で。

職人を思えばどこにも「完成」や「終わり」はない。
その「当然」を思わない者は実は「なってはいけない」。

案外「ルール」はシンプルだったりする。

もっともそれを「当然」とするためには「上を向いて」いなければならず。
「下を向いて」あれよりはマシなどと思う「貧しさ」とは無縁でなければ。

とにかく「どうでもいい自分」を前に出す輩はめんどくさいのみ。
てめえの「恨みつらみ」を他人で晴らそうとするのは「ダメな母親」同様。

さて。

「こぎれいな街」には人が集まらず猥雑な風景に人は集まる。
この単純な事実はどれほど受け入れられているのだろう。

入り組んだ道の方がまっすぐな道より面白い。
たとえばそんな単純なことがいとも簡単に忘れ去られるのはなぜか。

その一方。

NHKスペシャルでは「耐震強化」を謳っていたが
映画「タワーリング・インフェルノ」でスティーヴ・マックイーンは言っていた。

「消防が対応できない高層ビルを建てるな」。

なぜその種の「当然」が普通のこととして行われないのだろう。
「建てなければ倒れることもない」というのは圧倒的に「正しいこと」なのに。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加