退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「周囲を観察することの楽しさあるいは『残念な人』と『愛嬌の大切さ』」について

2019-03-04 02:30:21 | Weblog
くもりときどき雨。気温差の激しさを感じる。

内澤旬子「内澤旬子のこの人を見よ」を読む。

今頃「週刊文春」に「ストーカーとの七〇〇日戦争」を書いていた人だと知る。
連載をあまりきちんと読んでなかったので申し訳ないような。

本書は「どういうキャラクターに興味を持つのか」が気になって借りたもの。
個人的にも同じようなことはしているので。

このところはあまりめぐり逢わないけれど
ドトールで読書中についつい聞き耳を立ててしまうことはあり。

著者と違って「定点観測」しかしていないと「出会い」も少ないのだろう。
ネタになりそうな人物がいたらここに書くことは間違いないけれど。

予定より早く読み終わってしまったのでもう一冊別の本を読んだのだが
そちらは内容が微妙なので採り上げないことにする。

家に帰ると上の妹夫婦が来ていて。

「残念な叔母」にますます似つつある彼女は現在求職中。
休日になるとなぜか必ず「イベント」を求めるのが「悪い癖」で。

要もないのに買い物をしたがるのも同様に。
「暑さ寒さ」にやたら細かく逐一口に出すのが厄介。

自分ひとりでは遊べず夫や母親やこちらを巻き込もうとするのが常。

今のところ母親がどうにか「緩衝材」になっているものの
彼女がいなくなったらどうなるのだろうと思うことしきり。

おそらく「敬して遠ざかる」のが基本になるはず。
とても「寛容」にはなれそうもない自分がいることを確認した次第。

すべてを「自分の気分次第で動かそう」とするのはどうにも。
「好きにすれば」と思うのみ。

とはいえ。

「好きにしている自分」も同じようなものか。
「相手の都合」をあまり考えられないところも似ていなくはなく。

「なぜ自分をわかってくれないのか」という気持ちは
「なぜ相手をわかろうとしないか」ということにもなるわけで。

自分を尊重しつつ相手も尊重できるなどということはそもそも可能なのか。
「いい按配」が見つかれば幸いと言うよりなく。

肝心なのはやはり「愛嬌」かも。
「あの人ならしょうがない」と思わせられるキャラクターであることだろう。
コメント
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