退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「テクノロジーとM感覚の不思議」について

2017-03-31 02:03:11 | Weblog
くもりときどき晴れ。昼は暑い。

ミチオ・カク「フューチャー・マインド 心の未来を科学する」を読む。

相変わらず著者の文章は読みやすく
あまり科学の「マイナス面」を強調しないのでスイスイ進む。

いわゆる「好奇心をそそる書き方」が実にうまい。
「ネタ」の変え方もスムーズで。

「テレパシー」「念力」「思考と記憶のオーダーメイド」など
「素人の興味」をうまく引き出すタイトルの数々。

あるいは有名なSF映画・小説を使っての説明もわかりやすく。
基本姿勢は「肉体および精神のハンディキャップに苦しむ人々」に対する「処方箋」。

相当分厚いものの一気に読了。
もっとも後半はさすがに疲れて流したのだけれど。

少なくともこの種の情報に「疎い」向きには是非。
「現実はここまで来たか」という意味で「目からウロコ」なこと間違いなし。

敢えて詳細については述べず。
本書でご確認いただきたいところ。

さて。

スマホに将棋のアプリをダウンロードしたところ「詰将棋」にハマる。
もちろん「ヘボ」なので大して解けはしないのだが。

「正解」を見るたびに「自分のヘボさ」が確認できるのがなぜかうれしく。
「頭悪すぎ」などとつぶやきつつ何度も繰り返している次第。

1時間くらいはあっという間に過ぎるのが不思議。
ちょいと変わった「M感覚」ということでよろしく。

明日はまた有給。

というわけで眠くなったら寝る。
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「ふたつの『自由』」について

2017-03-30 02:36:36 | Weblog
晴れ。夜の冷えは緩む。

橳島(ぬでしま)次郎「生命の研究はどこまで自由か」を読む。

池内了、長谷川真理子、勝木元也、田川陽一との対談。
著者の意気込みにどうなることかと思ったものの「着地点」はしっかり。

敢えて「科学の中に『倫理』を探す」試みにふむふむ。
「目先の結果」に追われて研究が「小さなもの」になりがちな現実も。

研究者間の「健全な批判」が出来にくくなっているらしい。
その「資質」を育てるような「お付き合い」もないままに。

「真のエリート」を育てる話がここでも。
繰り返すがどんな分野であろうと「優秀な人材」は誰にでもわかるもの。

そうした彼ら彼女らが各地で「感染」を引き起こして
さらなる「人材」を育てるのが基本であることは確か。

「インチキの跳梁跋扈」をいい加減に野放しにするのはよさないと。
それらを評価する「基準の設定」をいち早くしたいもの。

これまた繰り返すが「数字による判断」は誰にでも出来るがゆえに「貧しい」。
「基礎研究」こそ大事な「世界」でそれが「基準」ではどうにもならない。

いずれにせよ「近視眼」があらゆるものを「貧しくする」。
「ゆとり」がなければ新しい「発見」が生まれる土壌などないはず。

「貨幣量」に余裕のある者たちは積極的に「パトロン」になろう。
「官僚による予算配分」を待つしかなければ「自由な研究」など望むべくもないから。

それとは別に。

「ドキュメント72hours 春の72時間祭り」で「香港チョンキンマンション」特別編を観る。

さまざまな事情を抱えたあらゆる国の人々が暮らしている「マンション」のあれこれ。
警備のため新たに400台以上のカメラが設置される中。

麻薬の売買など「あぶない部分」がありつつ
銅線を盗もうとしたホームレスを敢えて警察に引き渡さない「寛容さ」もあり。

収入の大半を故郷フィリピンに送る「家政婦」の姿など。
日々増している中国の「圧力」にもかかわらずここはかつての「九竜城」のような。

「国連の奴らはここを見に来ればいいんだ」と言い放つ男性にふむふむ。
「国籍や宗教に関わらず誰もが共存している現実を知れ」と。

彼ら彼女らの日々の生活はもちろん苦しい。
それでもどうにか暮らしていける「環境」がここにはある模様。
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「無意識あるいは活かすべき後悔」について

2017-03-28 02:03:42 | Weblog
『快晴。風強く夜には冷たく。

柄谷行人「憲法の無意識」を読む。

フロイトの「反復脅迫」を元に「圧倒的な贈与」によってそれをもたらすことで
「世界の平和」を達成しようという「知恵」。

そこにどれほどの「リアリティ」を感じられるかがポイント。
「押し付けられた憲法」をいつのまにか「わが物」とする「歴史」よ。

「無理矢理」の後の「選び取り」の方が「自発性」より強固なものになると。』でまた寝る。

晴れ。風は強いものの寒さは緩む。

石井光太責任編集「ノンフィクション新世紀」を読む。

主に学生時代に読んだあれこれの作品を思い出す。
柳田邦男、立花隆、猪瀬直樹、沢木耕太郎、田原総一郎、近藤紘一、吉岡忍、そして開高健など。

「ノンフィクション」に「目覚めた」きっかけが柳田邦男だったのは今となってはラッキーか。
航空事故、ゼロ戦、ガンなどに関する作品に夢中になったもの。

ロバート・キャパや沢田教一、一ノ瀬泰造など「戦場カメラマン」に興味を持ったり。
当時は文庫本でその種の作品が手に入りやすかったせいもある。

石牟礼道子、鎌田慧、本田勝一、松下竜一、斎藤茂男、吉田司、関川夏央、中野不二男ら。
カポーティ「冷血」やゲイ・タリーズ「汝の父を敬え」トム・ウルフ「ライト・スタッフ」も。

ただし今回思ったのはまだまだ未読で面白そうな作品がいっぱいあること。
本書を参考にまたいろいろ読んでみることにしようと思いつつもどうなることやら。

堀江邦夫「原発ジプシー」や広瀬隆「東京に原発を!」で一時期は「反原発」になったものの
いつのまにかそれらをうやむやにしてしまった過去にうなだれる。

「何とも頼りない自分」をあらためて再認識した次第。
その「後悔」を今後に活かしたいものではある。
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「いささかの疑問と楽しさ」について

2017-03-27 02:05:15 | Weblog
雨。終日そぼ降る。

仕事場の飲み会の前に図書館へ。

高橋源一郎「丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2」を読む。

「インテリげんちゃん」はどうやら何かに「目覚めた」模様。
言いたいことは重々わかるもののいささかの違和感もあり。

少なくとも自分はこうしたかたちで「完結」しないことを思う。
もっとも当人にとってはそれが「必然」だということに文句はなく。

「物語」はどこかで「完あるいは終」を「表示」しなければならないのか。

飲み会では若い男子が猛烈な勢いで語る。
そういう思いがあったのかと受け止める。

若い女子には「男子の妄想の厄介さ」について語る。
それぞれに楽しくやって頂ければOK。

二次会になってさらに激しく。
とりあえず彼の「いいところ」を褒めて。

どうやら彼はこっちの「チェック」を求めていたよう。
「何でもそつなくこなせる」彼の能力をさらに高めたいところ。

帰宅後いつものように飲み直す。

みんな「幸せであれ」と祈るのみ。
それはどのようなかたちであってもかまわず。

ちょいとはじけるつもりはなくもなかったものの
今宵はそういう展開にはならず。

もう少し飲んで気付いたら寝ているはず。
ある種の「病人」だということでよろしく。
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「幸運あるいはささやかな望み」について

2017-03-26 01:39:39 | Weblog
晴れ。夜遅くにパラパラ。

有給にもかかわらず上の妹に車であちこち連れ回される。

夕飯に寿司を食べてようやく家に戻りホッとしていたところ。
元同僚から飲みの誘いが来て出かける。

電車の連絡のよさに驚く。
二回ともホームに着いた途端に電車が来るという幸運。

ワインなど飲んでいた奴らは飲み切れずにボトルを抱えていたり。
今宵の仕事場周辺の飲み屋は結構混んでいた模様。

相変わらずメンドくさい野郎たちであることを確認。
あれこれ話して終電で帰宅。

久方ぶりにきちんと食べた上で飲んだので酒の回りが遅い。
ぼちぼち飲み直す。

大きなイオンの新刊本屋をちょいと見回ったのだけれど
心惹かれる本はほんの少しだけ。

小林信彦の文庫と橋本治の新書、半藤一利と佐藤優の新書くらい。
結局何も買わずに終わる。

「下等遊民」ゆえ著者たちにはご寛恕を。
いつものように図書館でお会いしましょうという次第。

というわけで今日は何も読まずに終わる。
明日は図書館へ行った後で仕事場の飲み会の予定。

いちおう「送別会」なので去る者の意向を大切にしたい。
彼ら彼女らが何を望むかはわからないものの。

「ヘンなおぢさん」としては「若き旅人」にエールを送るのみ。
少なくとも「つまらん人」になってほしくはなく。

それぞれの「素質」を十分に活かして人生を楽しくと。
忘れてもらいたくないのは「出世したら奢ってね」。
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「移りゆく存在あるいは敏感さと鈍感さ」について

2017-03-24 02:18:22 | Weblog
晴れ。おだやか。

ギャヴィン・プレイター・ピニー「『雲』の楽しみ方」を読む。

雲の種類の説明とともに神話や作品の引用もあって。
石川啄木「雲は天才である」とは違ってあくまで「リアル」に。

ただし本書では雲の写真がモノクロなのが何とも残念。
せめて裏表紙のカラー写真で我慢するよりないか。

雲を愛でる会」を載せておく。
「行く川の流れ」同様に雲も常に移りゆく存在。

とりあえずうつむいてばかりいないで
たまには空を見上げてみたらというおすすめだと思えばふむふむ。

それとは別に。

知り合いの若い女子は最近夜ふかしをしているらしいのだけれど。
その影響が翌日のお肌にてきめんに出るとのこと。

「その年でそうなのか」と感想を述べた後で。
わが身を振り返ると夜ふかしを続けてはや数十年。

「衰え」はあるとしてもあまり気にはならず。
もっとも女子の身体は男子と違って敏感なのでそういうものかもなどと。

たとえば「毎日メイクする人」はファンデーションの乗り具合の違いがわかる。
ならば「否応ない変化」を感じざるを得ないのか。

「いい具合」だったりするとうれしくもなるはずで。
なるほどそれに比べるとこちらの「圧倒的な鈍感さ」が見えてもくるというもの。

「自然」を生きる者と「観念」を生きる者の差よ。
両者がうまく結び付けば幸い。

いずれにせよ「他人のこと」はよく見える。
「自分のこと」はなかなか見えない。
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「『職人=プロであること』あるいは「プロになりようがない若者たち」について

2017-03-23 02:04:22 | Weblog
晴れ。風強し。

遠藤秀紀「人体 失敗の進化史」を読む。

われわれの身体がいかに「ありあわせのもの」から凸凹に造られたかというお話。
もっともそこには数千万年といった「単位」が普通にあったりする。

顎関節から耳の骨あるいは鰓から顎へ。
はたまた鰭にたまたま骨があったことから手足が出来たことなど。

その一方「短期間に『結果』を求める研究」がのさばる愚についての指摘も。
「資本主義」をいたずらにあちこちに当てはめてはいけないにもかかわらず。

本書が出たのは11年ほど前。
この「サムライ」は今どうしているのだろうと思ったら。

東大の総合研究博物館にいる模様。
2年前には「怒り新党」にも出演したようで道理でどこかで観た記憶が。

とりあえず「現場」で活躍しているようでまずは目出度い。
この種の「人材」を知ると「未来」に希望が持てる次第。

職種を問わず「プロとしての覚悟」を知るのもいいだろう。
「いつでもどこでも『力』を発揮できる」のがそれ。

このレベルを「常識」にしたいところ。
だって「当然のこと」だもの。

その一方。

身近な若者たちはすぐに「バグる」もしくは「フリーズする」。
まるでヘボなプログラムあるいはパソコンのように。

ついさっきまで出来ていたことが唐突に出来なくなったり
注意したばかりのミスを直後に繰り返したり。

後者は「脳内ひきこもり=相手の話す内容を聞いていない」せいだと理解するとして
前者はいったい何が原因なのか。

おそらく「十分にわかった上での行動」ではなく
たまたま「出来ていたのだ」というのは何となくわかるものの。

どうやら「同じ作業」を繰り返せない「体質」があるようで
彼ら彼女らには一様に「ルールもしくは順序」というものを重んじない特徴があることは確か。

当たり前の話だが「同じ作業」は「同じ手順」で繰り返されるからこそ
「半ば眠っていても」無意識の内にできるようになる。

その「単純」が「実行できない」らしい。
繰り返すがどうなっているのか。

まるで常に「一寸先が闇」であるかのよう。
もっとも突き詰めて考えればそれは「正しい」のだけれど。

「不安」に脅えながら一向に「安心」を求めず
「不確かさ」に対抗する「型=フォーム」も持たず。

むしろこれまで「積み上げたはず」のそれを一気に投げ出して「デタラメ」をしたり。
まるで「確かなもの」など何もないといった趣き。

「身の回りの世界」がそれだけ「不安」に満ちているのだろう。
だとすればそこで「安定志向」を非難する前に。

そうした「世界」を「現実」にしてしまった「大人たち」の責任を問う方が先かも。
「ホームベース」がないのに「冒険しろ」というのはただの「無茶ぶり」だと知ろう。
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「圧倒的な従属あるいは『明るい未来』」について

2017-03-22 02:54:01 | Weblog
雨のちくもりのち晴れ。夜に風がうなる。

半藤一利・竹内修司・保坂正康・松本健一「戦後日本の『独立』」を再読。

敗戦後あらゆる面で「アメリカの傘の下」にいた「過去」は今だに。
少なくとも吉田茂には「独立への意志」があったはずなのに。

その志を受け継ぐ者は残念ながら見当たらず。
まるで「パトロン」に頼って「店」を出しているだけのような。

「パラサイト・シングル」ならぬ「パラサイト国家」か。
もっとも実際の「パラサイト=寄生虫」は「宿主」を操るもの。

かつてブレジンスキーに「ひよわな花」だと言われたまま相変わらず。
とりあえず「文化面」では多少なりとも「魅力」はあったりするけれど。

現在が「従属の身」であっても「そうでない未来」を志向することはできる。
とはいえわが国では「人材の払底」が目立つこと久しく。

かつての「旧制高校」以上の「エリート育成機関」がないとどうにも。
そこで育つ者は「国民のために自らを顧みず働く者」という設定でよろしく。

少なくとも「我が身可愛さ」のためにそれ以外のものを犠牲にする輩ではどうしようもない。

それとは別に。

「超高齢化」を不安に思う人々に対してひと言。

今から30年もすれば「団塊世代」もいなくなる。
その「一世代」を切り抜ければ残るのは「少子化」のみ。

「小数精鋭」はむしろ好ましいのだとすれば「未来の人材を育てること」に腐心しよう。
もちろんそこに至るまでの数々の「悲劇」は避けがたいのだとして。

「明るい未来」を描くためにはその程度の「視野」がないとどうにも。
いたずらに沈み込むまえに敢えて言っておく。

あらゆる「資源」を「総動員」したいところ。
「いいものあるいは好ましい人々」はまだまだ各地に残っているはず。
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「新たな『宗教』としてのテクノロジー」について

2017-03-21 02:06:21 | Weblog
くもり。深夜になって雨。

海猫沢めろん「明日、機械がヒトになる ルポ最新科学」を読む。

人は機械と変わらず心もない。
仏教の認識とテクノロジーの結論が似ているのにふむふむ。

「自由意志」もなく「受動的」でしかなく。
われわれは単に「環境に反応するだけの存在」。

「SR=代替現実」「3Dプリンタ」「アンドロイド」「AI=人工知能」
「ヒューマンビッグデータ」「BMI=脳と機械をつなぐ」そして「幸福学」。

例えば「自らの『安泰』」を「天下りという『保障』」でしか求められない官僚は
むしろAIに取って代わられればいいのかも。

「従来通りという『過去』」による判断なら人工知能の方がよほど勝るはずだし。
そこで「人間にしかできないこと」とは何かという疑問が浮かび上がり。

「自分の好きなものしか見ない」という態度はすでに映画「マトリックス」のカプセルの中。
誰しも「神の視点」には立てない「事実」を知ることもないまま。

かつて宗教が果たしていた役割がテクノロジーによって代替されるのか。
ちょいと「留保」しつつもこの「現実」は面白い。

少なくともわれわれが見ているつもりの「現実」が
いかに「壊れやすいもの」であるかは知っておくべきかも。

とりあえずいろんな他人と会ってお話することが重要なよう。
それを「脳内の新たなニューロン発火」だと思えばよく。

さて。

「魅力的な微笑」がわれわれを和ませることを思えば実は「赤ん坊であること」が望ましい。
もっともそれを感知できずに「重荷」だと思って「排除する者たち」がいるのも事実。

その種のことをもたらすのが結局「彼ら彼女らが育った環境」であるならば
「人による環境汚染」をもっとどうにかしないと。

「圧倒的な不可知あるいは不幸」を前にすれば「生きていること」が「幸福」。
「昨日のわたしの『一貫性』」を維持するだけの毎日で十分なのだけれど。

もちろん「君子は豹変す」というのもOK。
少なくともあらゆるものに「開かれた存在」でありたいもの。
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「『途方もない現実』を知ること」について

2017-03-19 02:27:19 | Weblog
『くもり。おだやか。

今宵は仕事場の研修で老舗バーはお休み。

「浄瑠璃を読もう」読了。

「国姓爺合戦」「冥途の飛脚」「妹背山女庭訓」で終了。
それぞれの「あらすじ」は辛うじて知っているものの。

あまりに「前置き」が多すぎてついていくのにヒイヒイ。
というよりおそらく十分には理解できずに終わる。

もっとも理解できた分の「収穫」はあり。
今のところはそれでいいのだとしておく。

深夜「ブレーキ・ダウン」(’97)をTVで観る。

引っ越し途中の夫婦は車の故障で立ち往生。
来合わせたトレーラーに妻のみが乗って夫はレッカーの到着を待つもののというお話。

J・T・ウォルシュの不気味さはいい感じ。
「悪魔の追跡」(’75)に似ていると言えばいいだろう。

カート・ラッセルの必死さは伝わるけれど物語の展開は今ひとつ。
「悪魔の追跡」にはあった「悪魔崇拝」の代わりがないので。

ただしラストには「残酷で爽快なところ」もあり。
この「田舎の理不尽さ」が案外「アメリカの現実」だったりすることを覚えておこう。

それにしても奪おうとする金がわずか「9万ドル」だというのが哀しい。
まああれこれやった過去はあるようなので「総額」はそこそこのはず。

事情を何も知らない犯人の家族の姿も描かれる。
警察もグルだったりする「怖ろしさ」は伝わったけれどいかにも「B級作品」。

もっともシーンはあれこれカットされているはずなので断定はできない。
あるいはカットのおかげでそこそこ「観られる作品」になっている可能性もある。

さて。

明日はまた墓参りらしい。
それをこなして図書館と床屋に行ければいいのだが。

どうなるかはその場の展開次第。
めんどくさいが「仕方のないこと」だと思ってはいて。』と書いて昨日はまた寝る。

晴れ。だったはず。

墓参りと図書館と床屋をこなす。
途中の喫茶店も含めて今日は「待つ日」だった模様。

古市憲寿「古市くん、社会学を学び直しなさい!!」を読む。

小熊英二、佐藤俊樹、上野千鶴子、仁平典宏、宮台真司、大沢真幸、
山田昌弘、鈴木謙介、橋爪大三郎、吉川徹、本田由紀、開沼博というラインナップ。

「嫌がらせキャラ」という宮台真司の表現に笑う。
小熊英二の「リミッターをはずせ」や上野千鶴子の「消費されるな」という「忠告」も。

読者としては「そういう見方もあるのか」と思わせてもらえればいいだけ。
「派手」であろうと「地味」であろうと同様。

マル激を観る。

「介護保険」が相当ヤバイことになっているらしい。
いたずらに「支出」を抑えることを目指していて「誰のためのものなのか」があいまいに。

どうやら「現場」を全く知らない官僚が数字の上での「帳尻合わせ」をしていると。
そこには「生存権」も「生活」もなくその背後には「家事」に対する「蔑視」なども。

ここでも明らかなのは「現実を見たくない人々の増加」。
それはおそらく「子ども世代」にも亘っていて。

この種の「劣化」とそれによる「破綻」は今後さらに本格的に「現実」になるはず。
シリアはアレッポの「戦闘を伴う戦争」とは異なる種類の「戦時」はすでに始まっている。

それが「身近なもの」だと気付いた時にはすでに「手遅れ」だったり。
すでに「ありふれた貧困」をどうにかするために「知恵」を絞り対処したいもの。

それぞれの「現場」がもっとつながって
互いを勇気づけながら「戦う」しかないか。
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