退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『センス』が認められた人とこれだけ豪華キャストなら『成立』してしまう映画」について

2021-05-31 02:16:28 | Weblog
晴れときどきくもり。日差しは熱く。

中野翠「コラムニストになりたかった」を読む。

著者の「歴史」が伺える内容。
「センス」で「どうにかなった時代」があったということで。

もちろん当時の勢いはあった上でのこと。
こうした「スタイル」が「お洒落」だという時代の流れに「乗った」のかも。

もう少し橋本治の存在を採り上げてもらいたかった。
だって「ふたりの平成」は「お墨付き」だったのだから。

あれこれの「判断」はやがて認められて。
個人的には「小津ごのみ」が一番好ましい。

思えば「アグネス論争」も懐かしい限り。
なるほど夫による「展開」があったという「解釈」など。

著者の感覚で唯一「意味不明」なのは「ハンカチ王子」に関するそれ。
「たまには間違える」のだと了解しておく。

スティーヴン・ソダーバーグ「オーシャンズ13」(’07)を観る。

「ハワイ・ファイブ・オー」のスコット・カーンはこのシリーズの「常連」なのね。
ドン・チードルの姿を久方ぶりに確認する。

アル・パチーノにはアンディ・ガルシアが「セット」なのか。
「紅一点」にエレン・バーキン。

ヴァンサン・カッセルがちょいと顔を出したり。
ここでもエリオット・グールドが「脇を支えて」。

ジョージ・クルーニーやブラピ、マット・デイモンにケイシー・アフレックなど。
バーニー・マックの魅力も覚えておこう。

唯一不満なのはシャオポー・チン。
残念ながら何の魅力も感じられず。

これだけの「豪華キャスト」を思えば本作の出来は微妙。
もっともそれを「手際よくまとめた」監督の手腕は悪くないとはいえ。

「仲間の友情」を思い出すと同時に。
そうした存在がすでに「失われたもの」である「現実」を思うことしきり。
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「いたずらな読書と『愚かさ』に鈍感なわれわれ」について

2021-05-30 03:08:02 | Weblog
晴れときどきくもり。おだやか。

グラムシに関する本を読んだのだが内容が全く頭に入って来ず。

いちおう読了したものの何だか。
「簡単なまとめ」で理解しようというのがマズかった模様。

オリジナルを読んだら全然違うじゃないのというのはよくあることで。
とりあえず「文化的ヘゲモニー」の重要さを確認する。

マル激を観る。

今回のゲストは石破茂。
「自分が知らないこと」を怖れる感覚の真っ当さが明らかに。

コロナでは「死なないようにすること」が問題で。
いつまでたっても「医療体制」が整わないことへの疑問を忘れずに。

肝心なのは感染者数ではなく。
仮に感染したとしても「重症化」を避け「死なないこと」を確保すればいいだけ。

どういう年齢の人々が基礎疾患も含めてどのように亡くなったのか。
その種のデータが一向に出てこない「謎」など。

そうした「当たり前のこと」がなぜか置き去りにされたまま。
いたずらに感染者数が数え上げられる毎日が続く。

飲食店に異様な「負担」がかけられ。
「感染拡大」は「街中」で起きているというのに。

本来は「平時」に備えておくべきことがまるでなされず。
「医療崩壊」に至っても「平時の体制」を維持することしか出来ず。

どこにも「まともな統治」がない現実よ。
このままでは「緊急事態宣言」が繰り返されるのみ。

自殺者や生活保護を求める人々は増える一方で。
自分が「無事」ならば他人のことは「どうでもいい」われわれの姿も含めて。

かくも「無様」なままでいいのか。
「放置された愚かさ」がもたらすものの大きさを噛みしめたいもの。
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「江戸後期のドイツのブルジョワ家庭の没落あるいは『自分の思い通り』にはいかないパラレルワールド」について

2021-05-29 02:32:38 | Weblog
くもりのち晴れ。まだ夜はひんやりする。

トーマス・マン「ブッデンブローク家の人びと(上)」を読む。

今後未読の古典を読んで行こうと思って。
これまた相当なスピードで読み進められて面白い。

「没落するブルジョア家庭」を描いた作品。
どうやら娘のトーニが「問題な存在」だということが明らかになりつつ。

時代はわが国で言えば「江戸後期」。
「平等」が湧き上がる中で彼女の祖父も父も死んで行く次第。

父親の日記を読んで「家柄」に目覚めるトーニよ。
その「感性」こそが実は「厄介なもの」だったり。

「お嬢さま」のどうしようもなさがおそらく今後も描かれるはずで。
彼女の行方が何とも気になるところ。

アノ・サオル「ザ・ドア 交差する世界」(’09)を観る。

自らの浮気が原因で娘を死なせることになる主人公ダヴィッド。
絶望の果て蝶に誘われて見つけたドアの向こう側には「娘の生きている世界」がというお話。

冒頭の映像や音楽が好ましく。
「パラレルワールド」の描き方にふむふむ。

「ひとつの世界」には「ひとり」しか居られず。
その「矛盾」を解消するために「殺人」が行われるというのがポイント。

やがて「みんな」がドアを通り抜けて「別の世界にやってくる」のがなかなか。
もっともそれが「幸せ」につながらないのが皮肉なところ。

物事はそう都合よくはいかず。
「愚かな自分の思い通り」になどなりはしない「現実」を忘れずに。
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「スズメダイの多様性と描写が過激なだけな『ダメな映画』」について

2021-05-28 03:29:38 | Weblog
雨のちくもり。夕方には止み夜には晴れる。

写真・文 加藤昌一「スズメダイ」を見て読む。

スズメダイに限ってもこんなに多くの種類が。
クマノミもこの種の存在だということで。

クマノミは英語では「アネモネフィッシュ」という模様。
「オヤビッチャ」の語源の謎などもあり。

ルリスズメダイ属の色彩の強烈さよ。
ソラスズメダイ属も同様に。

本書ではそれぞれに美しい魚たちの群れを見られるのがグッド。
「ダイビングの門外漢」としてはありがたい限り。

ラース・フォン・トリアー「ハウス・ジャック・ビルド」(’18)を観る。

「シリアルキラーの世界」が描かれる内容。
泰西名画が次々と映し出され。

主役はマット・ディロンでブルーノ・ガンツにユマ・サーマンなど。
後半にはダンテ「神曲」を思わせる展開。

かの監督はどうやら「イッちゃった」かも。
いたずらに「過激な描写」があるだけで。

「奇跡の海」(’96)「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(’00)の頃が懐かしい。
「イディオッツ」(’98)は未見だがこの頃からそうだったらしい。

「男に生まれることが『犯罪者』なのか」と問うあたりがあやしく。
監督自身の在り様の「正当化」としか思えず。

いわゆる「カルト映画」だと思うくらいがよさそう。
「デンマークの頽廃ぶり」ということでよろしく。
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「連夜の寝落ちとあれこれ吐き出したこと」について

2021-05-27 02:15:02 | Weblog
くもり。夜は案外冷たく。

連夜の寝落ち。

またまた「身体」が疲れていた模様。
「老人力更新中」ということで。

柴山元彦「身近な美鉱物のふしぎ」を見て読む。

2mmほどの石を拡大してみるとそこには「美しい世界」が。
サファイア、孔雀石、ヒスイ、かんらん石、蛇紋石、緑閃石、砂金。

あるいは石英、メノウ、灰重石、オパール、鶏冠石、ガーネット、バラ輝石、
紅玉髄、琥珀、石墨、黒雲母、黒曜石、水晶、蛍石、碧玉など。

ちなみに「碧玉」は「ジャスパー」というらしい。
てっきり「女子の名前」だと思っていたのだがあにはからんや。

興津要「江戸小咄散歩」を読む。

かつて「古典落語」の多くを著者の作品で知ったのだったか。
「江戸時代の地口=駄洒落」の数々を。

本書は昭和六十年(1985)に出ていて36年前のもの。
「上野」に始まって「吉原」に終わる「散歩」。

今でもかつての名残りがあるのかどうかは不明だけれど。
大昔の「江戸っ子言葉」が味わい深い。

岩田規久男「日銀日記」を読む。

「リフレ派」の経済学者が日銀へ。
「五年間のデフレとの闘い」を記録したもの。

著者によれば「2014年4月1日」に消費税を5%から8%に上げたのがネックだったと。
それで一度はついた勢いがすっかり削がれたのだという。

黒田総裁の「どえらいリスク」発言も問題だったと。
野口悠紀雄とは意見が異なっていたよう。

当時の民主党議員たちの「レベルの低さ」にあきれた様子も描かれ。
その一方で「経済通」だった民主党議員たちが党の中心になれなかったことも。

ただ気になるのは。

「年金生活者が3割」だという「実態」を当初はどうやら踏まえていなかったこと。
「現状」に関する認識が違っていれば「正しい政策」も通用せず。

わが国の「『経済』の世界」は個人的には何とも「面妖」というよりなく。
「流行の理論」が採り上げられる一方で「決して『成功』しない」のだから。

このあたりを是非とも専門筋の人に説明していただきたい。
「リフレ・マインド」を盛り上げるだけなら「電通」の方が経済学者より「得意」だろうに。

結局のところ。
こと「経済」に関しては「誰がまともなのか」がわからないまま「現実に左右される」のみ。

春原政久「フランキー・ブーちゃんの殴り込み落下傘部隊」(’58)を観る。

「フランキー」はフランキー堺で「ブーちゃん」は市村俊幸。
小沢昭一は「海軍兵学校出身」なので軍曹役にはピッタリか。

若き日の内藤武敏の清々しい「将校ぶり」が素敵。
他には河野秋武、小川虎之助、柳谷寛、中原早苗、 美多川光子ら。

落下傘が舞い降りる映像は「空に浮かぶクラゲ」のようで。
戦闘シーンの迫力がなかなか。

「感電シーン」にはちょいとアニメーションも使われていたり。
「軍艦マーチ」や「軍隊小唄」も流れ。

前者は「昔のパチンコ屋」でお馴染み後者はドリフターズの「ほんとにほんとにご苦労さん」へ。
市村俊幸に関しては「月光価千金」がかつてあったのになくなっているのが残念。

代わりにエノケンのそれを。
あれこれ吐き出した次第。
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「調子の悪い日と好ましくない『遺伝』あるいは残念な『古代エジプトもの映画』」について

2021-05-24 02:36:46 | Weblog
快晴。暑い。

本は読んだのだけれど昨晩ちょいと調子に乗ったせいか内容が頭に入らず。

読了も出来ないまま終わったので再読決定。
明日は歯医者に行くので「早起き」するのがメンドくさい。

特に悪いところはなく「検診」ということで。
たぶん「掃除」で終わるはず。

「いつもと違うこと」をするのが「軽いストレス」に。
もっともその程度で済むものだからどうってことはなく。

母親が洗濯や布団を干したりするのに「熱中」する。
年齢を思えばそこそこにしておかないと「後遺症」が出るというのに。

いちおう少しは手伝ったものの。
「現実の体力を把握しない性質」はどうやら「遺伝」した模様。

チャック・ラッセル「スコーピオン・キング」(’02)を観る。

「ハムナプトラ」シリーズのスピンオフ作品だとのこと。
若き日のドウェイン・ジョンソン(『ザ・ロック』名義)を確認する。

「古代エジプトもの」は昔からよくある話。
どういう展開なのかと思って。

「預言者」のケリー・ヒューが「狂言回し」。
アービッドのグラント・ヘスロヴはコメディ・リリーフとしての機能が弱く。

「火薬」を調合するバーナード・ヒルの「博士」も同様に。
マイケル・クラーク・ダンカンもあまり魅力が感じられないまま。

「敵役」メムノンのスティーヴ・クラークは「持ち重り」せず。
「可愛い少年」が「救い」だが彼の名はわからず。

「砂嵐」もこれといった描写はないままに。
せっかくいろんな「部族もしくは民族」を出したのに印象に残らないのが残念。

「サソリの毒」もいたずらに登場するのみ。
「物語」というものがよくわかっていない人々による作品。
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「四半世紀前にすでに『劣化』が始まっていたことと進行中の『劣化』を確認すること」について

2021-05-23 03:38:19 | Weblog
くもりのち晴れ。雨は降らず。

小林信彦「<超>読書法」」を久方ぶりに読み返す。

前作「本は寝ころんで」のタイトルの「意味」を理解できない人への「怒り」に始まり。
「今の時代はすべて説明が必要なのですが」という一節にふむふむ。

何が言いたいかというと。
本作が書かれたおよそ四半世紀前にはすでに「文脈を読めない人々」がいたこと。

当時から「劣化」はすでに始まっていたのだと思うことしきり。
「もともと三流だったのが五流になっただけ、といってしまえば、それまでだし」と。

「政治批判」をすると「新聞社から『カット』を要求されること」も。
これまた当時からそうしたことがあったのだということなど。

あらためて本書が「歴史の記録」になっていることを思った次第。
「素人の言説が横行している」現実はさらに酷いことになり。

「村山政権」が誕生したり「阪神淡路大震災」や「地下鉄サリン事件」が起きた頃のこと。
すでに「世の中」は「とんでもないこと」になっていた「事実」を思い出そう。

もっともそうした「記録」も大事だが「本領」は小説や映画の「愉しみ」について。
繰り返すが「以前は何を読んでいたのか」と思わされる「内容の濃さ」に驚くのみ。

マル激を観る。

今回はすでに通ってしまった「デジタル改革関連法」の「デタラメぶり」について。
ゲストはお馴染み「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子。

「権力」が「管理」しやすいかたちへの「改悪」の酷さよ。
「思想信条」や「犯罪歴」「病歴」まで勝手に知られてしまい。

「商売人」には自分の嗜好に合わせて「商品」を勧められることになる一方。
「個人情報」に関しては仮にまちがった情報が出ても「訂正」も出来ず。

そもそも「個人情報保護法」が「改悪」されたという事実も知らないままに。
せめて「ダイジェスト版」だけでも観ておくべき内容。

「自己情報閲覧権」「自己情報制御権」が全く無視されている「現実」を知ろう。
「開示情報」が「閲覧」のみ許可されネットでダウンロードできない「バカバカしさ」も。

「隗より始めよ」に従うなら「政党助成交付金」や「資産公開」を先に。
「自分に都合の悪いこと」に関してはどこまでも「やらない」姿がここに。

本気で「舌を噛んで死にたくなる」現実よ。
「倫理観の欠片」もない人々に「操られる」のはいい加減にやめないとどうにも。
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「実に『教育的効果』のある長編小説とプロデューサーでもあるスタローンの『賢さ』」について

2021-05-22 02:52:22 | Weblog
雨のちくもり。湿気はそれほどでもなく。

プルースト「失われた時を求めて 14 見出された時Ⅱ」を読む。

何とも長いけれど異様なスピードで読めてしまう小説を読了。
ラストは「老い」がテーマ。

意識は若いが肉体は衰える。
その事実が描かれて。

主人公がようやく「表現」を見つけて終わる。
そしてそれが本作である「円環構造」も。

人名地名作品名まである索引など。
あれこれ教えてくれてありがとうといった趣き。

ライアン・クーグラー「クリード チャンプを継ぐ男」(’15)を観る。

「ロッキー」シリーズの番外編だと思えばよさそう。
アポロの息子アドニスが「ボクシングに目覚める」。

彼を助けるのが「伝説のボクサー」ロッキーで。
ビアンカとの関係もいい感じ。

133分が「長い」と思えない内容。
マイケル・B・ジョーダンとテッサ・トンプソンはいずれも好ましく。

アドニスが勝てないのは「ロッキー」と同様に。
「本物のボクシング」の描写ぶりよ。

プロデューサーにはスタローンの名前が。
「勘所」を押さえた展開にふむふむ。

堪能させて頂きましたといったところ。
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「敢えてする『世代論』の意味と『反則だらけの描写』満載のあまり面白くない映画」について

2021-05-21 02:18:29 | Weblog
雨のちくもり。深夜にまた降る。

坪内祐三「昭和の子供だ君たちも」を読む。

著者は敢えて「世代論」を。
例えば昭和ヒトケタ世代の数年の違いが実は「大きな違い」だと。

あるいは学園紛争世代のそれについても同様に。
「同時代を生きること」が可能だった時代について細かく。

「当時を知らない者」としてはふむふむ。
それにしても「固有名詞」の多いこと。

「時代背景」を知ることの重要さが描かれている模様。
あれこれ「歴史」を教えてもらったようでありがたい限り。

ただし著者は去年の1月に彼岸へ。
「平成」については「『あとに来た人』たちの仕事だ」と言い残して。

ジョエル・シュマッカー「ブレイクアウト」(’11)を観る。

ニコール・キッドマンが観たかっただけ。
本作の彼女には残念ながらあまり魅力が感じられず。

「描写」としては「反則だらけ」の物語。
「実は違う」という「後付け」ばかりなので。

あまり意味のない「繰り返し」が使われていたり。
いくら撃たれても死なないニコラス・ケイジの姿も微妙。

これでラストに「家族愛」を見せられてもどうにもといった趣き。
曰く「つまらん」。
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「シカの害と対抗策としてのオオカミあるいは『古き良きアメリカ』を描いた映画」について

2021-05-20 03:28:34 | Weblog
雨のちくもり。昨日より湿気はなく。

丸山直樹編著「オオカミが日本を救う!」を読む。

著者が「素人の疑問」に答える姿はまるで「髪を振り乱している」よう。
「赤ずきん」以来のオオカミに対する偏見もあり。

とりあえず増えすぎたシカが山や森をダメにすることは重々伝わった次第。
いたずらにあれこれと金をかける前にオオカミを放てと。

海外で成功している例も紹介され。
なぜそれを「現実」に行えないのかと。

「悲痛なまでの叫び」の結果は現在どうなっているのだろう。
ちなみに本書は7年前の作品。

マイケル・アプテッド「歌え!ロレッタ愛のために」(’80)をようやく観る。

シシー・スペイセクがこんなに「歌える人」だったとはいやはや。
その「事実」を今頃になって知った「不勉強ぶり」よ。

若き日のトミー・リー・ジョーンズの姿を確認しておこう。
41年前のことだけれど。

原題は「coal miner's daughter」で「炭坑夫の娘」。
田舎娘の才能を「見出した」男がいて。

ラジオ局への地道な働きかけが効を奏し。
やがて彼女は「カントリーの女王」に。

もっとも「ビジネス」に犯され一時は歌えなくなったり。
マネージャーを務めた夫のムーニーがいろいろ悩みつつ彼女を助ける姿が素敵。

パッツィ・クラインを演じるビヴァリー・ダンジェロの歌と姿も好ましく。
「古き良きアメリカの姿」がここに。

原作はロレッタ・リーの自伝。
固有名詞は伝えたので実際の歌はyoutubeで。
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