退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

4連休その2

2020-10-31 03:12:01 | Weblog
快晴。行く当てもないまま出かける。

監修・吉田巧 音声監修・岩下綠「鳴き声と羽根でわかる野鳥図鑑」を見て読む。

いろんな鳥がいることをあらためて。
道端で煙草を吸っている間にも鳴き声が聞こえて。

以前にスズメが自分を案内するかのように先へ先へと行く姿もあったり。
こういう「世界」も知っておかないと。

ふと四半世紀前にバイトしていた喫茶店に行こうと思い立ち。

結構道に迷いながら最後はグーグルマップに頼る始末。
店が健在であることを確認する。

マスターは相変わらず休みなく働いていて。
子育ても終わりアメリカの昔のものの収集に精を出していることを知る(奥さんには内緒)。

雑誌「Life」の第一次大戦前に出たものや
ジャニス・ジョップリンが死んだ半世紀前の新聞を見せてくれて。

「生きにくい世の中になったこと」を1時間くらい喋る。
「こういう趣味をわかる人がいなくて」とマスター。

それにしても本当に休みなしで働いていておまけに睡眠時間も短いのに「元気なこと」。
帰り際に「お元気で」と言ったら「それは元気でない人に言うことでしょ」などと。

「GO TO キャンペーン」とは無関係な「旅」をしたような。
ちなみに「煙草が吸える店」だと言っておく。

店の名は「アシュベリー」。
アイスコーヒーをご馳走になった「何とも楽しい時間」。

コレクションの数々を是非店に飾るように言っておいた。
この種のことに興味がある向きは是非。

MCG=マックG「ターミネーター4」(’09)をあらためてきちんと観る。

「人間をマネしたターミネーター」を作った結果がここに。
もっとも「部分的な勝利」ではあるのだけれど。

個人的にはムーン・ブラッドグッドのブレアが好き。
テーマの中心はサム・ワーシントンのマーカスの存在ではあるものの。

「人間だもの」という相田みつをの「SF版」だと思ってよさそう。
本作を「民主主義を維持するための戦い」に比べてみては如何。

引き続き鈴木清順「肉体の門」(’64)を観る。

野川由美子の「鼻」に「生命のたくましさ」を感じる。
石井富子の「若き日」にふむふむ。

河西都子はその後どうなったのか気になるところ。
松尾嘉代は「相変わらず」といった趣き。

町子の富永美沙子の何とも言えない「色気」よ。
彼女の「迷い」は今でもあることだろう。

玉川伊佐男の「彫り師」がなかなか。
主演の宍戸錠の「肉体美」たるや。

和田浩治と野呂圭介にはいささか「無理」があるような。
木村威夫の「色彩ぶり」はやはり素敵。

「特定の時代の特定の場所のルール」に対するのは「愛」と「成熟」。
むしろ現代に参考になる描写だと思われる。

「現実」が「愛」を否定するものだと知っておこう。
本作に関する「女子の感想」を聞いてみたいところ。
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4連休その1

2020-10-30 02:08:27 | Weblog
晴れ。風強し。

来月いっぱいでなくなる近所のシネコンへ。

外崎春雄「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」を観る。
途中までは何ということもなく観ていたのだけれど。

「少年たちの健気さ」が心に刺さり。
「真っ当さ」がここに極まれりといった趣き。

炭治郎の「卑怯者」という叫びよ。
「鬼」になればいつでも「リセットできる」ことを言ったもの。

煉獄杏寿郎は「鬼になること」をあくまで拒絶し。
ただしその奥義は相手を倒すには至らず。

「覚めたくない夢」から自ら何度も首を斬って死ぬことで「目覚める」炭治郎の姿。
「柱」だった父親に認められないまま「人間」に留まって死ぬ煉獄杏寿郎。

身体が震えそうになるのを抑え涙は大量の鼻水に。
ラストの「ダメ押し」のシーンでようやく「正気」に戻った次第。

「見たいものだけしか見ない」人々の現実に対する批判や
「理」を忘れた人々に対する「圧倒的な問いかけ」があるように思えるのだが如何。

いやはや。
年甲斐もなく束の間の「興奮」。

高橋秀実「損したくないニッポン人」を読む。

「経済」というものの「意味不明さ」についてのあれこれ。
大学時代に「人は合理的に動く」という前提に「アホか」と思い。

友達に頼まれたレポートにそう書いた記憶が甦る。
あれこれ調べても「経済の実態」はわからず。

少なくとも「理論」が「複雑な現実を自らの『理論』の範疇」に留めることを忘れずに。
「世界の複雑さ」は「理論の単純さ」を要求するという「仕組み」があることも。

スコット・マン「ファイナル・スコア」(’18)を観る。

俳優陣には「じゃがいものような無骨さ」しか感じられないけれど。
「物語」はよく出来ている。

メジャーな俳優は「007」のピアーズ・ブロスナンのみ。
サッカースタジアムの観客を「人質」にされる中で主人公は娘を助けようとして。

ジョン・フランケンハイマー「ブラック・サンデー」(’77)が思い出される。
原作のトマス・ハリスは「羊たちの沈黙」(’90)など。

本作のように「俳優の魅力」に寄りかからない「物語」はあるということで。
英国とロシアの関係に今さらながら「そういうものか」と思うのみ。
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「思いがけない『人物』との出会いあるいは意外に面白味に欠ける映画」について

2020-10-29 02:37:04 | Weblog
晴れ。好天が続く。

大瀧啓裕「翻訳家の蔵書」を読む。

ディックやラヴクラフトの作品で名前を知った著者がこれほどの「人物」だったとは。
いやはや恐れ入りましたといった趣き。

久生十蘭が翻訳されることを考慮して「母子像」の文体を変えたというのにふむふむ。
英語の造詣の深さに加えその他の各国語にも通じていて。

おまけにPCやネットもお手のものだから何とも。
小栗虫太郎「黒死館殺人事件」が「パロディ」だというのも著者ならではの見解。

「虚無への供物」の中井英夫と「文通」していたり。
とにかく「凄い人」だとしか言いようがない次第。

日夏耿之介も含めて辛うじて知っている部分を理解したのみ。
米英の作品については全くの「門外漢」。

なるほど英語を極めればこうした「世界」も可能になるのか。
もっと語学に真剣になっていればと思うものの「後悔先に立たず」とはこのこと。

鈴木清順「野獣の青春」(’63)を観る。

期待していたほどの面白さは感じられず全体にむしろテンポが緩いような。
物語は黒澤の「用心棒」(’61)に似て。

「ウルトラマンの隊長」小林昭二が「悪玉」を演じるとこうなるのか。
江角英明の「コメディ・リリーフぶり」が好ましく。

渡辺美佐子、香月美奈子、星ナオミの女優陣は魅力的。
金子信雄は「抑え気味」で信欣三のヤクザの親分がなかなか。

清水将夫はほぼ「カメオ」。
郷鍈治はいつも通りで個人的には上野山功一が懐かしく。

モノクロの映像にパートカラーで始まる一方。
美術に木村威夫がいないので映像の迫力がないかも。

「エースのジョー」宍戸錠は今年初めに彼岸へ。
長男を「開」と名付けたのは古典でその語が「女性の局所」を表すのだと知っての上かどうか。

かの俳優ならやりかねないことだとは思いつつ。
詳細はもちろん不明。
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「雑誌をめぐる『歴史』と趣き深いロマンポルノ」について

2020-10-28 02:21:49 | Weblog
晴れ。おだやか。

掛尾良夫「キネマ旬報物語」を読む。

そうして始まったのかということと同時に何とも複雑な「歴史」。
ひとつの雑誌に関わる人々の興亡よ。

何度も休刊しては復活し。
編集長や編集方針、寄稿者あるいは金主も変わり。

この「疾風怒濤ぶり」は味わい深く。
現在の姿は未確認だけれど。

個人的にはほんの一時期に買って読んだのみ。
たぶん遥か昔の大学時代のことだと思うが詳細は不明。

それとは別に。

アマゾンプライムからの本人確認のメールになぜかリンクがきちんとされていず。
何度やっても同じ結果に。

仕方なく久方ぶりにGyaoへ。
西村昭五郎「覗かれた情事」(’72)を観る。

エロ小説を書いている夫と「作品を絶対に読まない」と約束した妻。
作品を愛読している友人に唆されて読んだ結果はというお話。

照明・熊谷秀夫の技術を味わう。
光と影の交錯が素敵。

白川和子の下から見上げる時の表情の「うらめしさ」。
丹古母鬼馬二の「野生ぶり」が好ましい(刑務所で歯ブラシを削って局所に埋めた話も)。

「女子の性欲」が認められていなかった時代の作品。
その「解放の果て」は「唐突な終わり」を迎えて。

「私をあなたの小説の中に閉じ込めないで」という台詞が意味深。
つまり「男子の妄想」は「現実の女子の姿」を見ていないと。

ただしそうした展開を全て操っているのが「小説家の弟子」だったり。
その「限界」ゆえに主人公は死んで「別世界」へ。

「女子の生き難さ」を描いた作品。
なかなかに深い「ロマンポルノ」を是非。
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「『可愛がり=性虐待』であることあるいは国柄ゆえのヒット作」について

2020-10-27 02:40:26 | Weblog
晴れ。今日もいい天気。

信田さよ子「<性>なる家族」を読む。

母娘の関係について書いてきた著者が「性虐待」について書いたもの。
あらためて「性」には「権力=支配」が纏わるものなのだと納得。

それが「戦時」にはさらに明らかになり。
「平時」でもいろいろある模様。

「封印された記憶」がふとしたきっかけで甦って。
その後の人生に大きな影響を与えることについても。

「近親相姦」の「相」の字は「同意」を思わせるので「近親姦」と言うべきだと。
あらためて男女を問わず「大人たち」が「子ども」を意のままにする姿よ。

加害者がそうした行為を「可愛がり」だと思っていることも忘れずに。
この種の「認識の歪み」はどうにか正したいものではあるけれど。

「無前提の前提」について何も思わない人々が結構いて。
加害者をいたずらに「例外」とせずに自分たちの認識について考えたいもの。

パク・フンジョン「The Witch 魔女」(’18)を観る。

2時間あまりの作品の中で前半1時間にあまりにも「何も起きなさすぎ」。
冒頭で「物語の内容」はわかるので早くしてと言いたくなる趣き。

作り手が「どんでん返し」だと思っている描写も微妙。
アクションにも新味はなく。

敢えて言うなら本作は「第一部」なので続編次第か。
残念ながら女優たちにもあまり魅力を感じられず。

韓国では相当にヒットしたらしいけれど。
やはりここでも「観客の劣化」があるとしか思えない。

もっともかの国は「圧倒的に男性優位」であるゆえ。
「可愛くておとなしそうな女子」が「殺人マシン」になる設定がウケたのかも。
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「またまた寝落ちすること」について

2020-10-26 02:57:06 | Weblog
『晴れ。だったはず。

このところ「寝落ち」が続いたのは「鬼滅の刃」のせい。

これほどまでに人気が出る理由を知りたいと思ってのこと。
とりあえずアニメ全編を観終わる。

「努力することの真っ当さ」が基本にあると思ってよさそう。
現在において「誰も出来ていないこと」だからこそ尊ばれるのだろう。

いわゆる「ワンチャン」などというものは「妄想」であること。
そうした意味で「教育的効果」があれば幸いか。

「敵の過去」が描かれるあたりもなかなか。
ただの「悪」ではないのにふむふむ。

色川武大「映画放浪記」を再読。

あれこれ映画を観ていてよかったなと思う内容。
「共通項」さえあれば何事かを「交換」できることを確認する。

田山力哉「現代アメリカ映画の監督たち」を読む。

30年前の作品ゆえ「評価」に関しては微妙なところも。
ただし昔観た作品の監督に関して思い出させてくれる内容がありがたい。

案外作品と監督の名前が「一致していないもの」もあり。
「資料」として覚えていたいもの。

マル激を観る。

今回のテーマは「アメリカ大統領選挙」。
「選挙人の獲得数」が「一般の票数」と異なる現実よ。

ひとつだけ確かなのはかの国には「揺れ」があるのに我が国にはないこと。
「大統領選挙」のはずが「特定の州の結果に左右されること」も忘れずに。

意見の異なる者たちの「議論」がすでに不可能になっていたり。
なるほどこれも「ネットのなせる業」か。

橋本健二「新・日本の階級社会」を読む。

先週のマル激の内容の確認。
この「調査結果」をきちんと読み取れる読者はどれほどいるのだろう。

むしろある種の「占い」として自らを確認したい人々が多かったような。
売れたのはそういう理由だと思われるのだが如何。』でまた寝落ちする。

どうなっていることやら。
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「著者が覚えていて自分が覚えていないものが気になることあるいは女優たちの姿を確認する映画」について

2020-10-23 01:31:08 | Weblog
くもり。夜遅くになって少し降る。

金井美恵子「小説論 読まれなくなった小説のために」を再読。

オリジナルは33年前で文庫は12年前。
インタビューも含めて著者が「手の内を明かしている」のにふむふむ。

蓮實重彦「『ボヴァリー夫人』論」の「モデルの話」に
ちょいと「目配せのような『反論』」をしていたり。

ビクトル・エリセ「みつばちのささやき」(’73)「エル・スール」(’82)は観たはずだが
いずれも記憶がほぼ飛んでしまっているのが残念。

「マルメロの陽光」(’92)は未見だし。
まとめて観てみたいとは思うもののそれが現在可能であるかどうかは不明。

あれこれと刺激を受けてまたまた「観たい作品」が増えた感じ。
いやはや。

長谷部安春「俺にさわると危ないぜ」(’66)を観る。

監督のデビュー作は色彩にこだわった演出ぶりが「鈴木清順風」で。
外国人キャストに「吹替え」をしているのも気になるところ。

ふっくらした顔の松原智恵子を筆頭に
「ニンジャガールズ」の北あけみ、西尾三枝子らが「奇妙な武器」で戦う姿よ。

後者の沖縄出身の彼女たちはハイビスカスの花のブローチをしていて。
「隠された金塊」を取り戻すために死んでゆく。

当時の左卜全は「ハッキリ喋る」。
郷鍈治、高品格、二本柳寛、野呂圭介の姿も。

小林旭はむしろ彼女たちを「ガイドする存在」のような。
村川透監督松田優作主演の「蘇る金狼」(’79)と同じロケ地が登場したり。

戦地のベトナムでの「花火」が結構激しく。
主人公が「戦場カメラマン」であることも覚えておこう。

次に彼が行く場所がベイルートであることも。
「金粉ショー」も見られる本作は残念ながらあまり面白くない。
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「一匹狼の遊び人の認識の素敵さと昔の俳優あるいは昔の作曲家」について

2020-10-22 02:26:14 | Weblog
晴れ。今日もいい天気。

色川武大「私の旧約聖書」を久方ぶりに再読。

「あ、これが、もとっこなんだな」という記述を確認。
「戦後の焼け跡=もとっこ」ということでよろしく。

「旧約聖書」に関する読解と意見については敢えて書かない。
詳細は本書まで。

「一匹狼の遊び人」の認識ぶりをじっくり楽しみたいもの。
さらに知りたい向きには「うらおもて人生録」も。

阿佐田哲也ファンも是非。
本書はもっと多くの人に読まれるべきだと思うことしきり。

松田定次「十三の眼」(’47)を観る。

片岡千恵蔵の「多羅尾伴内シリーズ」の第2作。
残念ながら本作は面白くなく。

「七つの顔」のひとつである「金持ち紳士ぶり」と「片目」の斉藤達雄、
喜多川千鶴、由利みさを、奈良光枝、美奈川麗子の姿を楽しむのみ。

当時の警察がバイクにサイドカーを使っていたのを覚えておこう。
「砂糖を奪う」あたりが「時代」。

恩人である刑事の写真を部屋に飾ってあったり。
ダンスホールも今となっては珍しいだろう。

それとは別に。

NHK朝ドラの再放送を観ているせいか古関裕而の曲が気になり。
長崎の鐘」は転調するところが実にいい。

とんがり帽子」も。
「戦争孤児」を描いた菊田一夫のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」(’47)の主題歌。

君の名は」はその5年後。
「中井貴一の父」佐田啓二と若き日の岸惠子の姿も見られる次第。
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「『歴史』に対する思いがなせる業あるいは好ましいサイレント映画ふたつ」について

2020-10-21 03:20:01 | Weblog
快晴。日本晴れ。

大岡昇平「境港攘夷始末」をどうにか読む。

ドトールでまた眠気に襲われ。
仕事帰りの地下鉄でも同様に。

鷗外の歴史小説「堺事件」に対する「批評」だと思ってよさそう。
それにしてもこの「調査の徹底ぶり」には驚くのみ。

「人はいかに自分に都合よく過去を語るのか」についてあらためて。
「歴史」はそういうもんじゃねえぞという著者の思いはおそらく自らが参加した戦争にあり。

「戦友たち」を徒や疎かに描くことはすまいという決意。
おそらくその気持ちがここにはあるはず。

二川文太郎「雄呂血」(’25)を観る。

「善人が悪人に、悪人が善人だとされるのが世の常」だという物語。
若き日の阪妻の立ち回りの凄さを再確認する。

結局「世間」に負ける主人公の姿にふむふむ。
それは「ある種のインテリの姿」に似ていなくもなく。

「自らの『正しさ』」に固執するとそうなる趣き。
コツコツ地道に「仕事」をすればいいだけなのに。

「正義への拘り」がむしろ「不幸の源」だという描写を忘れずに。
所詮「正義」など「時代」によって変わるもの。

清水宏「港の日本娘」(’33)を観る。

ドラ、ヘンリー、あるいはシェリダン燿子という名前がいかにも当時の横浜。
井上雪子、江川宇礼雄、沢蘭子もしくは斎藤達雄の「モボモガぶり」よ。

砂子の及川道子のみが「和風」。
いったんヤクザな道に足を踏み入れた者がカタギにはなれない物語。

「仲良しな女子ふたり」がひとりの男を取り合う話でもあり。
かの監督がこんなオシャレな作品を撮っていたのを初めて知る。

雰囲気はほぼハリウッドだもの。
「子ども」が得意な人だと思っていたもののさにあらず。

ちなみに以上の二作はいずれもサイレントなのでよろしく。
「雄呂血」の役者を全部演じきった講談師の女子が誰なのか気になる次第。

思いのほか「いい出来」なのに驚いた次第。
「七色の声の持ち主」だと言っていい。
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「19年前つながりの本と映画」について

2020-10-20 02:07:45 | Weblog
雨のちくもり。午後に止む。

呉智英「ホントの話 誰も語らなかった現代社会学(全十八講)」を読む。

「論語 泰伯篇」の「民はこれに由らしむべし これを知らしむべからず」は
「民衆は政治に従わせることはできるが、その真実を知らせることはできない」という意味。

「民衆を服従させよ、真実を知らせるな」というのは「曲解」。
なるほど現代の「べし=義務」という解釈がもたらした結果か。

「べし」には本来「可能・意志・推量・義務・当然・命令・適当・予定」の用法があり。
「古典文法」に疎いと「誤解」も生まれるということ。

本書は19年前の作品だけれど
あらためて著者が「危険な思想家」であることを確認する。

「時代の罠」から逃れるとそういうことになる模様。
ただし「支那」を「中国」と呼ぶせいで起きる「誤解」を「文化破壊」だとはいささか大げさか。

「現在の前提を疑うべし」という指摘には納得。
著者が現在をどう観ているのかが気になるところではある。

今村昌平「にっぽん昆虫記」(’63)をようやく観る。

大正半ばに東北で生まれた女子の生涯を時代の出来事とともに描いた作品。
「頭の弱い父親」とほぼ「近親相姦」の関係に育ち。

結婚はしたがその家から逃げ出し。
その後に付き合った男に捨てられ東京へ。

米軍基地のハウスメイドの後に「信心の関係」で売春宿に勤めることに。
売春を「罪」だと言っていたはずの彼女はやがて女将になり代わり。

自分が女将を「告発」したのと同様に雇っていた女に告発され。
刑期を終えた彼女を待っていたのは「自分の娘を囲ったパトロン」だったり。

一度は「縁切り」されたパトロンが逃げ出した娘をどうしても取り返したいと言い。
その要求に応えるために「田舎」に戻るシーンで終わる。

どうしようもなく「性」に関わり翻弄される姿よ。
そのようにしか生きられなかった「過去」に思いを致したいもの。

左幸子、岸輝子、北林谷栄、佐々木すみ江、春川ますみ、吉村実子に炎加世子の女優陣。
北村和夫、河津清三郎、長門裕之、加藤武、露口茂、小沢昭一、殿山泰司の男優陣。

これまた今にして思えば何ともな「豪華キャスト」。
「老け役」になる前の北林谷栄の女将ぶりが印象に残る。

奇しくも主演の左幸子は「19年前」に彼岸へ。
彼女がベルリン国際映画祭で主演女優賞を獲得した作品。
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