退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

'22 GW1

2022-04-30 02:01:58 | Weblog
晴れ。久方ぶりに映画を観に出かける。

がしかし。
上映時間が変わっていて観られず仕舞いに。

仕方なく駅前をあれこれ歩くことに。
迷路のような地下街には案外人が多く。

偶然見つけたジュンク堂で本を買って。
セントラルパークの「いつもの店」で読むつもりが。

満員でどうしようもなく。
cafe de crieでようやく落ち着いた次第。

呉智英「バカに唾をかけろ」を読む。

その「理路」は了解するものの。
いささか「硬直」しているのではないかという思いが少々。

確かに著者が挙げる人々は「無知」だけれど。
それを「その通り」だと受け止める人々の数がどれほどあるのだろう。

すでに「劣化」は激しく。
実は「ほぼ意味不明な言説」になっているような。

おそらく自分も含めて「高齢者」のみが理解できる内容。
まだ「数は多い」から一定の「影響力」は持ちそうだとはいえ。

佐藤東弥「奥様は、取扱い注意」(’21)を観る。

やはりアクションが出来る綾瀬はるかは素敵。
西島秀俊も同様に。

TVドラマの映画化としては珍しく「マシな出来」。
ただしもう30分縮める「物語の経済」があればといったところ。

前半の「夫婦の描写」は悪くはないが長い。
それだけが残念。

要は「カタルシスまでの時間配分」がポイント。
「ビー玉の行方」も同様に。

「スタートレック ピカード シーズン1」を第5話まで観る。

これまた最初に「シーズン2」を観てしまう「てれんこ」。
以前に少し観ていたのをあらためて。

本作ではジュラティ博士のアリソン・ピルが案外「微妙」。
ダージあるいはソージのイサ・ブリオネスがどうやら「メイン」。

なるほど「シーズン2」に出て来たメンバーの「由来」が逆にわかる趣き。
相変わらず「妙な見方」をしてしまうことに。

なぜか「ズレてしまう自分」を確認する。
繰り返すが「残念な人」ということで。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「深海魚のあれこれと『男に都合のいい物語』」について

2022-04-29 02:27:52 | Weblog
くもりのち晴れ。GW前の仕事納め。

尼岡邦夫「深海魚ってどんな魚 驚きの形態から生態、利用」を見て読む。

9年前に出たものなので現在はおそらくもっといろんな種類が。
それにしても何とも「不細工な」魚たちよ。

生き延びた途方もない年月を思えば。
「自然のなせる業」の不思議を思うのみ。

彼らは生きている間も死ぬ時にも言葉を発しない。
それでいて十分に魅力的なのだから。

「人類」などという生きものの在り様をあらためて。
どうせ言葉を発することが出来るならせめて「まともなもの」を。

フリッツ・ラング「リリオム」(’34)を観る。

遊園地の回転木馬に客を誘うリリオムは「女たらし」で。
客のジュリーと戯れた結果嫉妬に燃える園主のマダムにクビにされ。

「変わり者」のジュリーはリリオムを愛し。
やがて結婚するものの働かない彼に暴力を奮われたりもし。

それでもジュリーに子どもが出来たことを喜ぶリリオムは。
金のために強盗を働くのだがといったお話。

いかにもな「場末の物語」に「神様」が加わるのがポイント。
「現世」と同じく「警察署」が登場するあたりがなかなか。

リリオムにシャルル・ボワイエ、ジュリーにマデリーン・オズレイ。
園主のマダムにフローレル、ジュリーを心配するマダムにマクシミリアン。

音楽にジャン・ルノワール、撮影にルドルフ・マテの名前など。
88年前の作品にはいささか「SFチック」な描写もあり。

ただし「殴られても痛くない」うんぬんのそれは何とも微妙。
いかにも「男に都合がいい」だけなので。

そう言えばノエル・ロクヴェールが警察官で出ていた模様。
かの俳優の独特のキャラクターを知っておいても悪くない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「今後の展開が楽しみな時代小説と今となっては意味不明なタイトルの快作」について

2022-04-28 02:29:50 | Weblog
くもり。上着なしだと夜はやや冷える。

白井喬二「富士に立つ影5 神曲篇」を読む。

本作もようやく半分。
兵之助とお園との「恋模様」が中心。

熊木伯典はまだしぶとく。
公太郎は相変わらずで。

前作は「ダレ場」だったのでいっそういい感じ。
今後の展開が楽しみなのみ。

フリッツ・ラング「真人間」(’38)を観る。

シルヴィア・シドニーのヘレンにジョージ・ラフトのジョー。
「訳ありな恋の行方」や如何にというお話。

デパートの社長ハリー・ケリーは妻に非難されつつ「前科者更生」のために彼らを従業員に。
ただしそこにバートン・マクレーンのミッキーが来て「仕事」を持ちかけ。

ヘレンの嘘に気付いたジョーはヤケになり仲間とともにそれを引き受けるのだが。
ギンピー、ウォーレン・ハイマーの「間抜けさと正直さ」が何とも好ましい。

現代で「真人間」という言葉の意味をすぐに了解する人がどれほどいるのだろう。
敢えてそれは書かないでおくことにする。

決して賢くはないが「真っ当」であること。
さらには「信頼できる仲間」がいること。

残念ながらいずれも失われて久しく。
製作総指揮にアドルフ・ズーカー、音楽にクルト・ワイル。

ミッキーが「親分」に嫌われた「結果」がやや「御都合主義」か。
「crime doesn't pay=犯罪は割りに合わない」がいささか行き過ぎな模様。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マル激のゲストの昔の作品を覗くことあるいはテンポは緩いが何とも魅力的なキャラクター満載の映画」について

2022-04-27 02:35:56 | Weblog
くもり。仕事帰りにやや激しい風雨。

沼野恭子「アヴァンギャルドな女たち」を読む。

19年前の作品。
著者が好きなロシアの女性作家たちについて。

残念ながらひとりも知らず。
「作家=男性」という「偏見」があったやも知れず。

かの地にも「実は女性がすべてを握っている」という考え方はあった模様。
たぶんそれは「間違っている」けれど。

機会があれば読んでみたいもの。
これまた「気分まかせの風まかせ」なのでどうなるのかは不明。

フリッツ・ラング「地獄への逆襲」(’40)を観る。

かの監督の作品としてはテンポが悪く。
おそらく「心ならずの『西部劇』」であったのではないかと推察する次第。

ヘンリー・フォンダは「お尋ね者」だがそれは訳あってのこと。
地道に農家として生きるつもりが弟を殺され復讐のために町へ戻る。

物語の描写は微妙だけれど俳優陣がなかなか。
「紅一点」に「記者になりたい」ジーン・ティアニー。

あるいは「大人になりたい」ジャッキー・クーパーの「健気さ」。
「少佐」ヘンリー・ハルあるいは「大佐」エドワード・マクウェイドの「南軍らしさ」。

「卑怯者」フォード兄弟の兄にジョン・キャラダイン。
「鉄道会社の悪玉」にドナルド・ミーク、そのいやらしい部下にエディー・コリンズ。

「ピンキー」アーネスト・ホイットマンは「台詞が徐々に歌になる」のが素敵。
「判事」ジョージ・バービアの「微妙な『客観性』」には笑い。

何とも魅力的なキャラクター揃いであることは確かで。
それだけで楽しめる内容。

ただしこの邦題は何ともはや。
原題「The Return of Frank James=フランク・ジェイムズの帰還」そのままでいいのに。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「『世代』という括りに関することあるいは『現在』が描かれた昔の映画」について

2022-04-26 02:52:54 | Weblog
晴れ。暑い。

酒井順子「駄目な世代」を読む。

個人的には常に「時空を超えているつもり」なので「世代」にはあまり興味なく。
たまたま同じ年に生まれた人々についてどうこう思うこともなく。

「生まれる時代」は自分では選べず。
その時期ゆえの「常識もしくは流行」に縛られるのは仕方がないことだろう。

ただし。
そうしたものに「流されないこと」も可能であることは知っておきたいもの。

そもそも「宇宙の歴史」からしたら「世代」など「ほんの一瞬の出来事」。
もっとも漱石が書いたように「時を同じうして生きている仕合せ」はあっていい。

「しあわせ=仕合せ=どういうわけかそうなってしまったこと」ぐらいが丁度いいのかも。
もちろんそれとは対照的な「悲劇」もあるのは承知の上で。

というわけで著者の作品としては微妙。
とりあえず「『バブル世代』という存在の説明」だと思っておくことにする。

フリッツ・ラング「激怒」(’36)を観る。

いかにも「温厚そうな」スペンサー・トレイシーがこんな役をやっていたとは。
監督の「渡米第一作」だとのこと。

「アメリカの歴史」には付き物の「リンチ」を巡る物語。
主人公は自分を守ってくれなかった「法」を使って復讐を企てる次第。

こうした「現実」はつい最近も「トランプの扇動」によって引き起こされ。
さらには彼がまだ「影響力」を保っていたりする始末。

いわゆる「炎上」もこの種のことだと思ってよく。
つくづくわれわれには「学習能力がないこと」をあらためて。

本作で描かれる政治家やマスコミあるいはよそ者の姿を忘れずに。
今こそ観られるべき作品だと声を大にして言っておきたい。

ついでにビリー・ワイルダー「地獄の英雄」(’51)もどうぞ。
あるいはロバート・ロッセン「オール・ザ・キングスメン」(’49)もいかが。’
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「『再生』はされたが残念な本と『過去』に囚われる男の愚かさを描いた映画」について

2022-04-25 02:56:50 | Weblog
くもり。シャツ一枚で平気。

色川武大「御家庭映画館」を見て読む。

どうやらこの本は「作り直されたもの」である模様。
「作品」としてではなく「具体的な本」として。

「全集もの」のカバーになっていて「落丁」もあり。
何とも勿体ないと思うのみ。

昔の映画でフィルムが切られているように。
本書も同様のことがなされたと思われる。

「名作」についてあれこれ述べられているので心ある者は「復活」を。
何よりかの著者が映画について真摯に語っているので。

個人的に観ていないのは「昔のディズニー作品」だと知る。
最近のそれは観る気がしないのでいいのだけれど。

フリッツ・ラング「緋色の街 スカーレット・ストリート」(’45)を観る。

前年の「飾窓の女」に続き主役はエドワード・G・ロビンソンとジョーン・ベネット。
ジョニーのダン・デュリエとミリーのマーガレット・キンゼイ(いい女ぶり)が脇を支え。

「堅実な出納係の男」が「美人だけれど蓮っ葉な若い女」にイカれるお話。
「孤独」を嫌ったゆえに「煩いだけの女」と結婚した結果。

「自動的に不幸になる結末」は自ずとわかる次第。
主人公に実は「絵の才能」があるだけに「余計に哀しい」。

ジャン・ルノワール「牝犬」(’31)のリメイクだとのこと。
なるほど道理でいささか展開が「古い」。

主人公の名前が「クリストファー・クロス」だったり。
音楽好きは「ほほー」と思うはず。

「自分には『欠けていた』と思うものへの執着」が人生を狂わせることに。
「過去」に囚われずに「未来」を生きろという考えもあるものの。

どうにもそうしがたい「われわれの姿」がここに。
もって「他山の石」としておきたいところ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ロシア絡み三つ」について

2022-04-24 02:24:45 | Weblog
くもり。おだやか。

中村逸郎「ロシアはどこに行くのか」を本切れで再読。

14年前の作品。
「ロシアの風土」を知っておきたい。

プーチンの「遣り口」は当時から変わらず。
「自分に反対する者は殺す」と。

どこまでも「賄賂」が必要となることについても同様に。
「農奴」という言葉をあらためて思い出した次第。

要はそうした「カルチャー」から抜け切れないのだということ。
わが国同様に「劣化」はどうしようもなく。

マル激を観る。

今回のゲストはロシア文学専門の沼野恭子。
「心あるロシア人たち」が残念ながら母国に居られない現実よ。

「プロパガンダ」に「洗脳」されるのは年長者が多く。
そうでない若者たちとの差は「デジタルディバイド」のせいだったり。

とりあえず「ロシア人」などという「抽象的な括り」で物事を判断しないように。
ソルジェニーツィンが晩年にプーチンと「重なったこと」も忘れずに。

「脅迫」がある中で自分はどう行動できるのかについても思いを致したいもの。
ウクライナとロシアが「交じり合っていたはず」が今回の「戦争」で分断されたり。

「独裁者に共通の末路」を指摘する宮台真司にふむふむ。
「現実」を知らないまま「孤立」するしかないのが何とも。

「グレイゾーン」を「共通認識」だとした上でさらには「グラデーション」があること。
その複雑さを理解できる「知性」を持っていたいもの。

セルゲイ・モクリツキー「ロシアン・スナイパー」(’15)を観る。

「父親に無視された娘」には学業優秀のみでなくスナイパーの素質があり。
軍にリクルートされて戦場へ。

ナチスドイツと戦う中で。
彼女を好きになる男性たちに「救われ」。

果てはエレノア・ルーズベルトに「女性らしさ」を思い出させられる次第。
第二次大戦当時アメリカとソ連は「同じ側にいた」のを忘れずに。

ロシアの監督が「英雄」をこんな風に描写するのねといった趣き。
マーシャのいかにもな「女性らしさ」が主人公とは対照的に描かれ。

本作を観れば「複雑さ」というものがわかるはず。
「無理矢理『男』にされた女子の姿」を確認しておこう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「いささか『ダレる』小説とドラマあるいは微妙な映画と頭の中で繰り返される音楽」について

2022-04-23 02:19:34 | Weblog
快晴。汗ばむ陽気ふたたび。

白井喬二「富士に立つ影4 新闘篇」を読む。

今回はややテンポが遅い模様。
公太郎と兵之助の「親とは異なるキャラクター」は魅力的ではあるけれど。

前者を常に邪魔する「影法師」の正体が明らかに。
もっとも「謎解き」ゆえそこにあまり面白味はなく。

ふたりの「築城術における対決」にはそれぞれの父親が顔を出し。
「因縁」には全く無頓着な公太郎の姿が印象に残る。

「スタートレック ピカード シーズン2」第8話を観る。

いささか物語が「取り散らかった」趣き。
ガイナンのイト・アゲイレに惹かれる。

彼女の姿を見ているだけで楽しい。
どういうわけかは不明のまま。

ドミトリー・チューリン「フロンティア」(’18)を観る。

開発業者の男はそれに反対する女と知り合う一方。
なぜか時空を超えて「第二次大戦の世界」へ。

一度は「現在」に戻るものの「時空の渦巻き」に襲われて何度も「過去」に戻り。
自らの「ルーツ」を知ることに。

「シックスセンス」(’99)のパターンを使った模様。
面白いかと言われると微妙。

それとは別に。

iri「摩天楼」がやたらに頭の中で繰り返される。
声の魅力と発音、ラップのテンポが素敵。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「何とも美しい蝶たちと『鞍馬天狗』」について

2022-04-22 02:59:52 | Weblog
くもりのち雨。夜遅くに止む。

海野和男「図鑑 世界で最も美しい蝶は何か」を見て読む。

ミイロタテハ、モルフォチョウ、トリバアネアゲハ、キシタアゲハにカラスアゲハ。
「美しい」という他ない蝶たちの姿よ。

赤青黄橙黄緑などそれぞれの鮮烈。
メタリックもあれば落ち着いたものもあり。

どうやらそれらの色彩は「毒がもたらすもの」らしい。
その事実はなかなかに味わい深い趣き。

詳細は検索していただきたい。
「圧倒的な貧しさ」の中での「一服の清涼剤」を存分に。

マキノ雅弘・松田定次「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻」(’38)を観る。

「アラカン」が見たくてついつい。
本作では瀬川路三郎の「隼の長七」が印象に残る。

婀娜な「暗闇のお兼」の原駒子、けなげな「お吉」の深水藤子の対照ぶりに加え。
「西郷吉之助」に志村喬、「沖田総司」に原健作、「秋元播磨守」に香川良介。

鞍馬天狗の子分「黒姫の吉兵衛」に団徳磨、「杉作」宗春太郎と「新吉」旗桃太郎が「可愛い」。
「近藤勇」の河部五郎あるいは「アラカンの付き人」嵐寿之助の姿も確認。

脚色に比佐芳武、キャメラにかの宮川一夫などスタッフも充実していて。
何より文字が「右から左に書かれる」時代のこと。

「嵐寛壽郎入社第一回作品」でもあり。
チャンバラがそれほど見られないのが残念ではあるけれど。

大曾根辰夫「鞍馬天狗 角兵衛獅子」(’51)を観直してみたくなった次第。
こちらは山田五十鈴、美空ひばり、月形龍之介、川田晴久、加藤嘉、三島雅夫、進藤英太郎など。

とりあえず「角兵衛獅子の歌」を載せておく。
ついでに「越後獅子の歌」も。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「素敵な作家のエッセイと素敵な監督の微妙な映画」について

2022-04-21 02:35:37 | Weblog
晴れ。おだやか。

山田風太郎「人間万事嘘ばっかり」を読む。

著者の「エッセイ集成」の第5巻だとのこと。
それぞれの「時代」が伺えて楽しい。

興味深いのは。

吉行淳之介は確か長崎の原爆で亡くなった友人たちを敢えて「犬死」と言い。
著者は同じ友人たちの死を「犬死ではどうにも」と思っているところ。

映画絡みで言えばアラカンや黒澤明の「姿三四郎」、
あるいは轟夕起子や高峰秀子、岡田嘉子について。

扇千景が自宅にCM撮影にも来たとのこと。
思いがけず「着替え」を覗いてしまうことにもなった模様。

「徹夜マージャン」が「健康にいい」というあたりもなかなか。
酒もタバコもやってほぼ傘寿まで生きたのだから「立派」。

何とも魅力的な作品の数々をまだ全部読んだわけではなく。
とりわけ「明治もの」に縁がなかったのでこれまた「宿題」が。

マキノ雅弘「次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り」(’55)を観る。

次郎長に河津清三郎、森の石松に森繁久彌、お美代に北原三枝、お時に利根はる恵。
黒駒勝蔵に三島雅夫、法印大五郎に田中春男、東三坊に清水元、助十に石黒達也など。

全体にテンポが緩くラスト近くにようやく盛り上がる展開。
いわゆる「次郎長一家」が出来上がるまでのお話。

残念ながら「次郎長三国志シリーズ」は未見。
「弥次喜多道中記」(’38)「鴛鴦歌合戦」(’39)は楽しんだものの。

「狂った果実」(’56)直前の北原三枝を監督が使ったのが気になるところ。
「彼女の在り様」がおそらくは本作最大の魅力のはず。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする