退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「先入観の後と海賊映画ふたつ」について

2017-09-30 01:55:39 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

木村学「地質学の自然観」を読む。

「プレートテクトニクス」がわが国で「受け入れがたいもの」だったことを知る。
「弁証法」が「金科玉条」だったことも同様。

要は「先入観」によって「見たいものだけを見ること」が「よくある」こと。
もって「他山の石」とすべきか。

ただし人は「先入観」からしかモノを見られないのも事実。
そのあたりを「現実」とどう擦り合わせていくかがポイント。

この点についての基本は「謙虚であること」だろう。
「人格攻撃」を招くようなものでなく「真実」に到達するための議論を。

もっともわれわれの「品性」を省みると
それが可能であるかどうかはかなり疑わしい。

チャールズ・ラモント「凸凹海賊船」(’54)を観る。

途中で何度も画面が暗くなり音声のみの場面も少なくない版。
「アボット&コステロ」のコンビとは初お目見え。

ギャグが面白いかというと微妙。
コステロが船窓を開けた時だけ波をかぶるというギャグのオチは「古典的」。

その他にもあれこれあるけれど「現代の目」からすると今ひとつ。

チャールズ・ロートンが張り切っている姿にふむふむ。
助監督の名前に「ロバート・アルドリッチ」。

引き続きフランク・ボーゼージ「海賊バラクーダ」(’45)を観る。

ポール・ヘンリードとモーリン・オハラ、ウォルター・スレザックが中心。
「強気だけれどロマンチストでもある」モーリン・オハラよ。

脇役ではアン役のビニー・バーンズの「男前ぶり」と
デヴィッド・ニーヴンに似ているビラーのジョン・エメリーの「策士ぶり」。

個人的にはあらためてモーリン・オハラの魅力に気付いたかも。
まあ「趣味の問題」ではある。

どうやら一昨年に亡くなった模様。
95歳だったとのこと。

「わが谷は緑なりき」(’41)「海の征服者」(’42)そして本作、
「リオ・グランデの砦」(’50)「静かなる男」(’52)など。

これも「記憶の中のうたかた」。
周囲が「砂漠」だと「オアシス」を求める「仕組み」はいずこも同じ。
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「学問アンソロジーのつまらなさと微妙な番組あるいは三連休」について

2017-09-29 02:04:49 | Weblog
くもりのち晴れ。夜風が冷たい。

「新編 日本のフェミニズム12 男性学」を読む。

冒頭の橋本治「蓮と刀」からの「男の子リブのすすめ」が圧倒的。
三十五年たってもその「衝撃」は変わらず。

「そうそう、こういう文体だったよね」と思って懐かしい限り。
エッジの効いた文章がすがすがしい。

その後読み進んで行くにつれて徐々に「テンション」が落ちるような。
これならむしろ「単著」の方がマシだったかもなどと。

それにしてもこの種の「アンソロジー」で面白いものが少ないのはなぜだろう。
個々にもっと魅力的な文章を選ばないとどうにも。

深夜「超絶 凄ワザ!」の「奇跡のヴェネチアン・グラスに挑め!」の再放送を観る。

風が吹いただけで揺れ動くワイングラスの「再現」を目指した回。
らせん状のステムが印象的。

その結果は成功で目出度いものの
番組の演出としては最後にヴェネチアに作品を持って行ってもらいたかったところ。

ただしよく考えると。

「伝説の職人」を敢えて傷つけないための「配慮」か。
物理からすれば「当然可能なこと」ではあり。

そういえば地元ヴェネチアの職人もそのような態度で話してはいた。
だとするとこれは「素人騙しの番組」かもしれず。

「メディアリテラシー」を発揮したはずのこの結論や如何に。
「職人にとっての当然」を「覆い隠して」成立させたのだとしたら微妙。

さて。

明日から三連休。
とはいえいつものように過ごすのみ。

どうやら老舗バーへは行けそう。
マスターにDVDと「海賊特集」のヴィデオを返却するつもり。

それ以外に特に予定はなし。
「買い物」などを手伝いつつ終わりそうな予感。
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「魅力的な扇動者あるいは機械に操られること」について

2017-09-28 01:50:00 | Weblog
くもり。仕事帰りにちょいと降る。

蓮實重彦「映画時評 2012-2014」をおそらく再読。

個々のシーンを鮮明に覚える「技術」を身に付けた者は
実は誰もが「見ていないこと」を知ることになる。

著者による「視点」は一定の人々に受け継がれて久しく。
映画に関する知識の圧倒的な豊富さも手伝って。

映画を「愛人」としてしか扱ってこなかった者としてはいつも遠巻きに眺めるだけ。

あらためて「見ること」について考えさせられるのみ。
「à Chantal」という夫人への献辞はかつては愛称だったような。

雑誌「話の特集」で「シネマの扇動装置」を知り
「反=日本語論」「表層批評宣言」「物語批判序説」へ。

その後の著作にも結構目を通しているはずだけれど
今調べてみたら未読のものもある模様。

何より肝心の「『ボヴァリー夫人』論」を読んでいないし
ついこの前話題になった「伯爵夫人」も同様。

その文章の魅力を味わうのみで「中身」については覚束ないこと夥しく。
とりあえず「魅力的な扇動者」であることだけは間違いない。

それとは別に。

LINEを使って初めて「長い会話」をする。

キーボードが小さいので打ちにくいこと打ちにくいこと。
ついつい絵文字などを使うことに。

個人的にはもっと「言葉」を連ねたいもののそうもいかず。
「機械の形式」に表現が操られる「事実」を確認した次第。

「事情」により「通話」できなかったこともあり。
もちろんこれが若者ならどのようにでも対応できるのだろう。

いやはや。

「好奇心」はどこまでも旺盛である自信はあるのだとして
「身体」がついていくかどうか。

さらなる「老化」がどのように訪れるのかは「愉しみ」でなくもなく。
まあどうにかなるはず。
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「素人の感想と空海の眼力あるいは恐怖で力を得るキャラクター」について

2017-09-27 02:54:08 | Weblog
晴れ。日が暮れるのが早い。

聞き手・前田裕之「経済学の宇宙 岩井克人」をどうにか読む。

もちろん素人には彼の理論の素晴らしさはわからず。
昔「ヴェニスの商人の資本論」を読んでふむふむと思った程度。

あまり英語が得意でなかったことが大きいような。
宇沢弘文の後を追ったせいもあったのかどうか。

「天狗」と「弱気」の交錯ぶりが人としては興味深いところ。
「倫理」に敏感すぎる部分がアメリカで「成功」しなかった理由かも。

さまざまな「知性」との交歓に「そういうものなのね」という感じ。
「貨幣の自己循環論法理論=貨幣は貨幣として使われ続けるから貨幣」には納得。

「主流派」という「権力争い」から脱落したせいで
むしろ好きに研究が出来たというのだがそこをそのまま受け止めていいのか微妙。

「方丈記」を書いた鴨長明に似ているのやもしれず。
「諦観」は「『非主流派』特有のもの」だと思わなくもなく。

どこか「戦いすんで日が暮れて」という趣き。
「エッセンス」もわからぬままの「感想」を。

「ブラタモリ #84 高野山の町」の再放送を観る。

標高約800メートルの山地に平坦で水流豊かな土地を見つけた若き空海の「眼力」よ。
「御影堂」を守る「ドレンチャー」という「水の壁」にはビックリ。

高地ゆえの落雷による火災にしばしば見舞われつつ
「すべての建造物」が揃った「現在という『奇跡』」がなかなか。

そこに「物語」を見出す者は是非現地へ。
とりあえず外国人にとっては「素敵なテーマパーク」であることは事実だとして。

なぜかGyaoで「フレディvsジェイソン」(’03)を再見してしまう。

「13日の金曜日」も「エルム街の悪夢」も今となっては「古い」のだろう。
いずれもシリーズ化してそこそこ楽しめる作品群ではあるのだけれど。

前者は「低予算で大ヒットした殺人鬼もの」で
後者は「夢の中に引きずり込んで人を殺す」設定。

主人公のキャラクターが濃いのが特徴。
実は「いじめ」と「リンチ」が底流にあるのを忘れずに。

「寝た子を起こすな」という「小さな町の大人たちの『配慮』」とは裏腹に
「かつての惨劇」が蘇ることも同様。

「恐怖によって力を得る」フレディが
現在において「どんな存在」なのかと考えてみるのも一興。
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「かつての宗教と科学あるいは母親の回復の微妙さ」について

2017-09-26 02:29:54 | Weblog
快晴。おだやか。

アラン・カトラー「なぜ貝の化石が山頂に?」を読む。

「地球に歴史を与えた男 ニコラウス・ステノ」というのが副題。
一時はメディチ家の保護を受けながら最後は宗教に戻った科学者のお話。

当時は貝が山の中から生まれてくるというのが「常識」だったり。
「地層が堆積する」とか「山頂が元は海だった」というのは信じがたかった模様。

解剖学に長けたデンマーク生まれの若き科学者は
地層の重なりに医学を応用して「地質学の基礎」を築いたものの。

地球の歴史を聖書に従って解釈しないことの危険性を知りつつ。
最期は心身ともにボロボロだったとのこと。

「インチキ科学者」が幅を利かせるのは時代を問わないこともあらためて。
人格の面で問題がある人々が少なくなかったことも覚えておこう。

さて。

母親の状態がかなり回復する。

どうやらちょっと前に風呂場で頭を打ったのが原因で耳石がズレたのかも。
要は「バランスの基」がおかしくなってのクラクラ。

女子サッカーの澤も一時期同じ原因で苦しんだらしい。
彼女の場合はおそらくヘディングでの競り合いのせいだと思われるけれど。

まだ本調子ではないが「日にち薬」の効果を待つのみ。
身体そのものには何の問題もなかったことがわかってよかったとは当人の弁。

今週末は金土日と三連休。
一度は友人を飲みに誘おうと思ったのだが断りを入れてしまい。

何ともタイミングの悪い話で。
まあ都合さえ合えばよろしくということ。

老舗バーもしばらくご無沙汰だし。
借りていたDVDもどうにか消化したので返却しないと。
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「ゾンビあるいは異端児であること」について

2017-09-25 01:55:42 | Weblog
晴れ。おだやか。

藤田直哉「新世紀ゾンビ論」を読む。

副題に「ゾンビとは、あなたであり、わたしである」。
その視点にふむふむと思って借りてきた次第。

さまざまな引用には「そう来たか」。
もっともゲームに関しては全く経験がないのでわからず。

論理に切れ味はないが読みやすくなるほどという感じ。
「可能性の中心」を思わせるほどのインパクトがないのはやや残念。

母親の体調不良のせいでなぜか上の妹の旦那とふたりで墓参り。

墓の周囲の草取りをして水をかけ花を供える。
普段はちょいと離れた場所で煙草など吸いつつ待っていることが多いのだけれど。

線香が折れやすいものだとあらためて。
その旦那が「実践倫理宏正会」に参加していることをあらためて知る。

話のネタとして「倫風」という雑誌を出してきたのでわかった次第。
朝早く起きて出かけている話は知っていたものの。

いちおう目は通した結果特に感想はなく。
「悩み多き人」はこういうところに「救い」を求めるのかと思っただけ。

何と申しましょうか。

「思い通りにならないことの不全感の大きさ」ってそんなに重要なのね。
「なるわけないじゃん」と思う自分が特殊なのか。

とりあえず「『救い』などないこと」がむしろ「救い」だと思ってしまうから
一族の「異端児」にならざるを得ず。

つまり。

「家族」が「お付き合い」になる次第。
どこでも「ありふれた光景」だとは思いつつ。

「無前提の前提」に対しては「へぇ」と思うのみ。
そこへの「疑い」を持たない人については「社交」をすることに。

だから「めんどくさい」。
昔から変わりのないことで。

そういえば母親は祖父(自分の父親)を持ち出して
「初孫=自分」には期待していたのになどとのたまうことも。

嗚呼。

むしろ「期待」に応えない道を歩いて久しいというのに
どうやら「理解」はできない模様。
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「『意味』に重きを置かないことと飽きることあるいは母親の体調悪化と中途半端な読書」について

2017-09-24 01:53:07 | Weblog
『くもり。ときどき少し降る。

「バイオコスム」読了。

なぜこんなにも確率の低いこと(地球における人類の誕生)が現実になったのか。
そこに「意味」を見出さない方向でよろしく。

確率の高低はそれが現実になることそのものとは別の話。
いわゆる「奇跡」は起きる。

「正規分布」も「ロングテール」も「珍しさ」を否定してはいない。
それだけのこと。

繰り返すがあくまで「限りない試行錯誤」のなせる業。
もっともそれを生み出す「単純なコード」の存在には心惹かれる。

折しも「究極の量子コンピューター」の基本原理が開発されたニュースが。
もちろんだからといってそれが「全能」を可能にするわけではない。

われわれの脳が発見するパターンは今後人工知能を超えることはないのかも。
ただしそこから「学習」はできる。

「プロジェクト・ランウェイ シリーズ13」を観終わる。

早送りを効率的に使ってどうにか。
散発的に現れる「素晴らしさ」と安定感ふたつの交錯ぶりよ。』でまた寝る。

くもりのち晴れ。風が秋らしさを増す。

母親が体調を崩す。
頭がクラクラする模様。

上の妹夫婦が病院へ連れて行っての検査の結果は特に悪いところはなし。
念のため明日もう一度神経内科で検査するとのこと。

というわけで今宵も老舗バーは欠席。
久方ぶりにコンビニでパスタとサラダを買って早目の帰宅。

その後二階へ上がって飲みながらマル激を観る。

今回のゲストは都合5回目になるという鈴木邦男。
宮台節が炸裂して一部ではお馴染みの「邦男伝説」をたっぷり。

損得勘定を優先する「愛国者」の跳梁跋扈ぶりを糾弾する内容。
「内から湧き上がる感情」を土台とした「徳」を重視せよと。

「敵ながら天晴れ」もどこへやら
「卑怯」という感覚を失った人々の動きがむしろ国を危機にさらすことなど。

アクセル・ホネット「承認をめぐる闘争」を少しだけ読む。

ヘーゲルの初期の発想を見直す内容のようだが十分にはわからぬまま。
ウトウトしながらのせいもあるけれど。

とりあえずもう少し読み進めなければ何とも言えず。
明日以降の展開次第か。

さて。

もうちょいと飲んでゴソゴソして寝る予定。
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「HOWしかわからないこととセンスを競うこと」について

2017-09-22 02:06:39 | Weblog
晴れ。日差しはまだ熱い。

ジェイムズ・ガードナー「バイオコスム」を途中まで読む。

副題に「生物学と宇宙論の来たるべき融合」。
さまざまな理論のいいところをまとめた内容。

個人的には「目的論」にあまり意味を感じない。
われわれの想像を超える「試行錯誤」が行われた結果が現在だと思うのみ。

「宇宙=生命」というのには賛成。
人類は「進化から取り残されたガラパゴス的存在」くらいでいい。

残念ながらわれわれの想像力は多寡が知れたもののはず。
「奇岩」を見て「奇跡」だというのはその作用を知らないからで。

そもそも「意味を見つけたがる」のは何故かと言えば
「意味などないから」というのが「基本姿勢」でいいのではないか。

つまり。

「HOW」はわかるが「WHY」は永遠にわからないということ。
敢えて「なぜ?」と問うことに意味があるとは思えない。

繰り返すがおそらく「因果」はわれわれには捉えきれず。
もっとも将来の人工知能が何らかの「答え」を出すことはありうる。

ただしそれでも「何故なのか」はわからないだろう。
「鏡の中の鏡」はどこまでも続くだけ。

「プロジェクト・ランウェイ シリーズ13」を途中まで観る。

インド出身のデザイナーの評価が高いのは
おそらく「今まで見たことがない感覚」を評価するから。

ここまで集中して見るといささか飽きてくる。
番組の「形式」は同じだから。

「センスを競うこと」とそれを「審査すること」の微妙さよ。
「ダメなもの」だけがハッキリする残酷も。

観客としてはその模様を楽しむのみ。
この「世界」の忙しさにウンザリしつつ。
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「地質学と老人のニヒリズムあるいは見事なリアリティショー」について

2017-09-21 02:06:39 | Weblog
くもり。夕方にちょいと降る。

青木正博・目代邦康・澤田結基「地形がわかるフィールド図鑑」を読む。

こうしてみると日本は「山国」なのだということをあらためて。
まあ火山だらけということで。

その地形がどのように出来たかということがわかると面白い。
もっとも今のところそこまでの知識はあまりないまま。

「褶曲」によって地層が逆転することもあるのだから。
この「目からウロコ」はなかなかの味わい。

少なくとも「寿命」に限られた「時間意識」とは異なる意識が生まれることは確か。
この分野に関しては今後も徐々に深めていきたいもの。

リドリー・スコット「エイリアン コヴェナント」を観る。

「コヴェナント」とは「約束」「契約」の意で「約束の地」といった仄めかしなど。
「プロメテウス」(’12)もそうだったが神話の世界。

それを引用して「お前ら滅びろ」と人類に言っているような。
普段「大規模な焼畑農業するか」と言っている自分に近くなくもなく。

アンドロイドが鍵を握るあたりは「人工知能問題」と似ている。
われわれがあまりに愚かだという事実を思い出しておくとして。

バイロンの詩が出てくるのだけれどその妻シェリーは「フランケンシュタイン」の作者。
アンドロイドも含めて「怪物」を生み出したのは人類なわけで。

どうやら「もう手遅れ」だというのが監督の意図なのか。
ただ「具体的な脅かし方」はずいぶん「幼稚」な感じ。

「この意味はわからないだろう」と敢えてやっているのだとしたら
ずいぶん「投げやり」になっているように思えるのだが如何。

「手近な都合のよさ」が「悲劇」を招くという意味では
「現代文明に対する問いかけ」もあるようには思えるものの。

ワーグナーの音楽も意味深。
詳細はその筋の詳しい方におまかせする。

シリーズ化への布石も十分に感じられて。
「ニヒリズム」を抱えた老人は「元気」だということを確認する。

老舗バーのマスターに借りたDVDで「プロジェクト・ランウェイ シーズン12」の後半を観る。

「ランウェイ」というタイトルからわかるように
デザイナーの卵たちが特定の条件の中で「センス」を競い合う内容。

「豊かな才能を持った者」でも時に失敗することにふむふむ。
もちろんかなり「過酷な条件」がそれをもたらすことにもなり。

ギリギリに迫った中で感情を爆発させる姿もあって。
素人から見ても「出来の違い」は明確にわかる残酷さよ。

この「リアリティショー」は見ごたえがある。
それぞれのキャラクターが交じり合う結果も楽しく。

すべて終わった後「reunion=再会」という形で一回の番組を成立させる企画も見事。
まあ「『あいのり』のクリエイティブバージョン」だと思えばいい。

一度は対立してもその後に「和解」があるのがカタルシスを生みやすいはず。
「うまいことやりやがるな」と思うことしきり。
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「写真と音楽と明日の映画」について

2017-09-20 02:12:34 | Weblog
晴れ。少しだけ蒸し暑い。

ホンマタカシ「たのしい写真 よい子のための写真教室」を読む。

「写真の歴史」をちょいと勉強しつつ
「決定的瞬間」にも「均質空間」にも頼りきらない著者の見方にふむふむ。

個人的には写真と言えば「戦場カメラマン」をもっぱら。
それにアラーキーを少々。

写真家の名前はそこそこ知っているもののじっくり写真集を見たことはなく。
「断片的なお付き合い」という感じ。

同じ場所で同じ機材で同じアングルから撮っても「同じ写真」にはならないこと。
なるほどその「一回性」は「ライブ感覚」。

「photograph」が「photo=光」+「graph=書かれたもの」で
「写真」より「光画」と訳した方が原義に近いということを覚えておこう。

NHK「the covers」の田島貴男の回の再放送(3年前)を観る。

お馴染みの「接吻 kiss」から
沢田研二「勝手にしやがれ」と山口百恵「playback part2」をアレンジなしで。

後者が前者への「アンサーソング」だというのは迂闊にも初めて知る。
北大路欣也がバート・バカラック好きでカバーをしていて悪くないことも同様に。

この番組が「月一回」になってしまったのは以前にも書いたけれど
毎週それも地上波でやっていただきたい内容。

とりあえず再放送が地上波で流れるのはありがたいものの
何だかもったいないような。

この種の「良質」がもっと一般的にならないとどうにも。
素敵な音楽で耳を肥やしたいもの。

さて。

明日は先週に引き続き有給休暇。
敢えてスケジュールは上司の采配任せにしてある。

もちろん仕事の都合もあってのこと。
というかこちらにとりわけ予定がないのが実情か。

「エイリアン コヴェナント」でも観ようかと思案中。
あるいは「ダンケルク」。

たぶん前者になりそうだと思いながら
もうちょいと飲んで寝る。
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