退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「世界各国の男子のダメさと第三作で『復活』を遂げたシリーズ映画」について

2022-08-31 03:10:07 | Weblog
くもりときどき晴れ一時雨。ややこしい天気。

編著・熱田敬子、金美珍、梁・永山聡子、張瑋容、曹暁彤。
「ハッシュタグだけじゃ始まらない」を読む。

副題に「東アジアのフェミニズム・ムーブメント」。
中国、韓国、台湾のそれについての紹介。

「紹介」だから仕方がないとはいえ。
もう少し細かいところまで伝えてもらいたかったもの。

それにしても「各国の男子」は「ダメな存在」らしい。
「自分の立ち位置」に疑問を抱くこともないままに「暴力」を奮い。

「各国共通のこと」なのでむしろ「なぜ男子がそうなるのか」を考えたいところ。
要はかくも男子が「子ども」であり続けられる理由を問わないと。

欧米も南米もオージーもアフリカもおそらくは「同じこと」があり。
その基本は「男子が圧倒的に『弱い存在』」だからということでよさそう。

さらにはそうした男子を育ててしまう家庭=過程もあり。
何より「男子であることの優位さ」を知らずにのほほんと育っているのがいやはや。

ピーター・ジャクソン「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」(’03)を観る。

どうやらこの三部作は本編だけを観れば十分かも。
ようやく「ドラマ」が動き出す内容。

ただし3時間以上という作品の長さが微妙。
それだけの時間を割ける環境がないとダメということで。

エオウィンのミランダ・オットーの姿にふむふむ。
まるで「純粋」を具現化したような(もっともやがて「魔女」になるのは伺える)。

一方でアルウェンのリヴ・タイラーも。
こちらは「透明感」を象徴的にといった趣き。

「王の物語」という意味では「清教徒革命」「名誉革命」を経た英国風。
サムのショーン・アスティンの姿がいかにも。

ジョン・ノーブルの「父王」とショーン・ビーンの「息子」が本当に似ていたり。
前者はドラマ「フリンジ」の「ビショップ博士」。

それにしても。
第二作で落ち込んだのを盛り返す監督の「力」にふむふむ。

どのように「立ち直った」のかが気になるところ。
同じ監督が「悪くない第三作」を撮るのはほぼ「奇跡」に近いので。
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「残念な本と映画」について

2022-08-30 02:58:21 | Weblog
くもりときどき晴れ。仕事帰りに少しだけパラつく。

佐倉統「科学とは何か」を読む。

著者の文章の展開は微妙。
科学について述べているのにそこに「論理」がないから。

少なくとももっとスムーズもしくは先鋭でないと。
いたずらに広がって印象が散漫に。

「論理だけではない」と言う前に「突き詰められた論理」がないと。
緊張感に欠けるだけになってしまいがち。

科学は「仮説とその確かめ」を繰り返すのみ。
「従来の仮説」が「トンデモ」になることも少なからず。

本書はブルーバックスなのだけれど。
若者たちに「わかりやすい」とは到底思えず。

「宗教」は「人間の無力さ」が「思い通り」を達成させるために生まれ。
「科学」は決して「万能」ではなくほぼ「民主制」に近いもので。

いずれ「歴史」を振り返るなら「知恵の集積」がないとどうにも。
残念ながらわが国ではいまだにそれが出来ず。

ピーター・ジャクソン「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」(’02)を観る。

物語の語られ方は「絵巻物」に似て。
いささか「中だるみ」な感じは否めず。

緊張がないから緩和もなく。
淡々と「物語」が綴られるだけ。

主人公たちが「決して死なないこと」がいたずらに浮き彫りに。
それで何なのといった趣き。

それにしても本作は盛り上がりがなく。
もっとワクワクさせてくれないと。

次はどうなると心躍らせるのが「物語」のはず。
それがこれではいやはや。
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「個人的には異様にありがたいシリーズの終わりと『豊かさ』を感じさせる映画」について

2022-08-29 02:12:20 | Weblog
晴れ。暑さはやや緩む。

小林信彦「日本橋に生まれて」を読む。

「本音を申せば」のシリーズが本作で終了。
「全23巻」は自動的に23年の時代を描き。

野坂昭如、山川方夫、渥美清、植木等、長部日出雄、大瀧詠一、井原高忠、江戸川乱歩、
柄本佑、笠原和夫、横溝正史、橋本治、内田裕也、大島渚、坂本九、タモリ、伊東四朗。

「数少ない読者へ」という見出しが「著者の意識」を思わせ。
「そう思わざるを得ない現実」があったということで。

「あとがき お手を拝借」がこれまた「絶唱」。
本当にいろんなことを教えて頂きありがとうございましたと言うよりなく。

どうして著者の作品を読み始めたのかはもう忘れてしまった。
全作を読んだつもりだがおそらく「読み落とし」もあるだろう。

「時代に関係ない『センス』」を学んだつもり。
それを著者のように伝えられないのが「残念な人」だということで。

こんな風に「濃密に生きられる人生」があるのだと思うことしきり。
とりわけ「現場を知っている」のが何より。

ピーター・ジャクソン「ロード・オブ・ザ・リング」(’01)を観る。

イアン・マッケランと「ドラキュラ」クリストファー・リーが物語のリアルを支え。
「エイリアン」(’79)のアッシュ役イアン・ホルムも同様に。

ヴィーゴ・モーテンセン、オーランド・ブルーム、ショーン・ビーン、
ヒューゴ・ウィーヴィング、リヴ・タイラー、ケイト・ブランシェットも。

これだけのメンバーに囲まれれば若きイライジャ・ウッドも輝く「当然」。
英国風の彼の友人たちの趣きもいかにも。

上空からの緩やかなパンのキャメラが繰り返され。
少なくとも本作は「物語の展開」がスムーズで。

原作トールキンの「指輪物語」は学生時代に読んだのだったか。
もっともその詳細はすでに「記憶の彼方」へ。

なるほど21年前の作品なのね。
エンヤ「may it be」など。

「指輪=権力」でそれは光の側であろうと闇の側であろうと「同じ魅力」を発し。
「自分の思い通りにしたい」という欲望の「貧しさ」をあらためて知っておこう。
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「コミュニケーションの不能とフィルター・バブルの害あるいは大して面白くない『青春映画』」について

2022-08-28 02:23:13 | Weblog
晴れときどきくもり。だったはず。

久方ぶりの本切れで橘玲「無理ゲー社会」を再読。

世界中の人々はすでに字を読めなくなっていて。
「コミュニケーション不能」な現実をあらためて。

「言語」が意味をなさなくなった時にどうなるのか。
おそらくいたずらに「敵対心」が湧くのだろう。

何より問題なのは「自分というフィルターのレベル」を知らないままに。
さまざまなことを判断していくこと。

「自分にとって都合のいい情報」のみに接触する「フィルター・バブル」の中で。
一定の人々は「テロ=暴力」に走ることが予想される。

すでに「会話」が不可能になっているのならば。
それ以外の「手段」でコミュニケーションが行われることになる「当然」。

互いの「文脈」が見えないのだからどうしようもなく。
「他者との好ましい関係」を確保したいもの。

少なくとも「孤立」はダメ。
そして「笑顔がある環境」をどうにか。

マル激を観る。

今回のゲストは小説家の島田雅彦。
彼の著書「パンとサーカス」を材料に現在のあれこれを。

池上遼一のマンガのような内容に「聖なる娼婦」を加えたらしいけれど。
ある程度の「知性」があれば「近未来」は予想できるのだとして。

「男子にはどうしようもないから女子にお願い」と解釈されても仕方がない内容。
「だったらもっと『環境』を整えろよ」と女子から怒られそう。

「男子のみの会話」としてはうなずけるものの。
「トランプに代表される『ロッカールーム』のそれ」に似ているのではないか。

とりわけ宮台真司の発言がダメ。
「フランス租界で育った母からの影響」って言われてもそんなものは普通にはないし。

だったらせめて「本物のエリートを育てる方策」をもっとといった趣き。
それが可能になるような「布陣」を用意してからでないと。

少なくともわが国で「世界的に通用する人々」を輩出しているのは「スポーツ」で。
その「人材育成方法」をもっと別の分野に応用しないのはなぜと思うことしきり。

ジョン・ワッツ「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」(’19)を観る。

「お子様向け」としか言いようがない内容。
敢えて言えば「幻影」を利用する「悪玉」の姿が「現在」を描いているか。

そもそもサム・ライミが撮ったシリーズの初めはすでに20年前。
どうして「青春映画」に変わったのかが知りたいところ。

残念ながら本作のゼンデイヤにはあまり魅力がなく。
サミュエル・L・ジャクソンやジェイク・ジレンホールも同様に。

「ヒーローが初心な高校生」というのがウケるのが「今どき」なのは承知の上で。
「笑いのセンス」も感じられず圧倒的につまらんと言っておく。
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「途轍もなく凄いのに疎外された人と案外意味深な解釈の出来る映画」について

2022-08-27 02:31:10 | Weblog
くもり。蒸し暑い。

橋本治「恋愛論 完全版」を読む。

本書のオリジナルを読んだのは30年以上前のはず。
父親の葬儀を手伝いに来てくれた読書会の友人たちに「恋愛論を」と頼んだはず。

もちろん自分がその時の読書会には参加出来なかったから。
当時の衝撃が甦る。

「誰が彼女を殺したか?」という有吉佐和子論もあり。
「理解されない人であるがゆえの理解されない人への理解」がほぼ「絶唱」。

「なんでそれがわかんないの?」ということに尽きる。
繰り返すが著者には「余計な事」に囚われず長生きして作品を書き続けてもらいたかった。

とはいえ「異様なまでの仕事ぶり」を思えばそれも「無理筋」か。
「エネルギー」が失われたところで「お迎え」が来ることに。

敢えてそれを「解放」だと思うことにしよう。
「もう他人の事を考えなくってもいいんだよ」ということで。

ニーサ・ハーディマン「SEA FEVER 深海の怪物」(’19)を観る。

「人嫌い」の若き女性生物学者と漁の結果に賭ける人々が「同床異夢」の船の中。
正体不明の生物に襲われた結果や如何にというお話。

冒頭の水中撮影が美しいのにふむふむ。
「ただのパニック映画」ではないことが示される次第。

「SEA FEVER=海への郷愁」という意味がある模様。
一方で「海の病気」というダブルミーニングもありそう。

「赤毛は不吉」という漁師たちの迷信も描かれ。
主人公が「未来」を夢に見る姿も忘れずに。

「怪物」の姿そのものはいつも通りのヴァギナタイプであまり新味はなく。
水を通して人間の体内に忍び込むのは「気持ち悪い」。

メアリー・セレステ号(かつては「マリー・セレステ号)」を思わせるところも。
もっともかの船は「無人」だったのだが。

ラストで自らの感染に気付いた主人公は海に潜る。
その姿はむしろ「自分の居場所」を見つけたような。

彼女が「故郷に帰る」ためのあれこれだとしたら。
その存在はまさに「災厄」だということにもなり。

エンディングに流れるDaughter「Shallows=浅瀬」の雰囲気がなかなか。
Jeff Buckley「Hallelujah=ハレルヤ」を穏やかにした趣き。
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「表情の凛々しさが素敵な鳥たちと各地にある『女子の矯正』とその被害を描いた映画」について

2022-08-26 02:38:41 | Weblog
くもりときどき雨。仕事場近辺では雷に加えて激しいスコールが二度。

真木広造「ワシタカ・ハヤブサ識別図鑑」を見て読む。

著者がこの種の鳥たちを本当に好きなんだなとわかる内容。
よくこんな写真を撮ったものだと思うことしきり。

中でもシロハヤブサが美しく。
チョウゲンボウの名前の由来が気になるところ。

それぞれに「何事かの意志を感じさせる表情」をしていて。
羽根を広げた姿も優雅で。

繰り返すがその存在を目にするだけで気分がよくなるのだからいやはや。
われわれ人間の「残念さ」をあらためて。

ダニシュカ・エスターハジー「レベル16 服従する少女たち」(’18)を観る。

「謎の寄宿舎」に暮らす少女たち。
「純潔」「従順」「忍耐」などの美徳が要求される中で。

それらに従った者には「裕福な家庭」への縁組みが与えられ。
その「夢」を目指して毎日を過ごすのだが。

かつて裏切られたソフィーと「レベル16」で再会するヴィヴィアン。
「規則を守る」後者に前者がそのカラクリの一部を話したところから始まる物語。

「謎解き」はあまり面白くないものの。
各地で「女子が否応なく強制される現実」だと思えば如何。

看守が部屋に来る設定はいかにも「性的虐待」を思わせ。
これまた「フェミニズム映画」だった模様。

ドラマ「リ・ジェネシス バイオ犯罪捜査班」のピーター・アウターブリッジが「医者」で。
映画では「ソウ6」(’09)や「CODE8/コード・エイト」(’19)など。

いかにもヴィヴィアンを守る態度を見せつつ。
決してそれが「本当」ではないあたりもDVに近いか。

「人身売買の酷さ」についても少々。
彼女たちの「若さ」が「商品」にされている描写も忘れずに。
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「翻訳家によって思い出す読書遍歴と透明な感じが好ましい『機械仕掛け』の映画」について

2022-08-25 02:39:41 | Weblog
くもり。夜はやや涼しい。

小谷野敦編著「翻訳家列伝101」を再読。

それと気付かず借りてきたのでもう一度。
かつて本屋に通っていた頃のことが思い出される。

仏露英独中に加え。
明治大正期や推理SF小説や児童文学その他まで。

おそらくは文庫本で見かけた名前があれこれ。
昔読んだ本も同様に。

なるほどこういうかたちで自らの「読書遍歴」を確認する作業もあるのか。
というよりそのように「利用」させてもらったのみ。

外国語に関しては「半可通」なので「翻訳」はありがたい。
もちろん原文と比較してどうのこうのと言うことは出来ず。

ただ日本語としての味わいはわかるつもり。
「エッセンス」に触れられればいいということで。

アレックス・ガーランド「エクス・マキナ」(’15)を再見。

最初に観た時は意識していなかったアリシア・ヴィキャンデルを確認するため。
本作がやはり好ましいことも同様に。

キョウコのソメヤ・ミズノは後に「ラ・ラ・ランド」(’17)に。
あるいは同じ監督の「アナイアレイション -全滅領域-」(’18)にも。

「全能」なネイサンと彼の「実験」に選ばれたケイレブ。
果たしてその行方や如何にというお話。

キャラクターの描写として謎なのはネイサンがやたらに酒を飲んでいること。
「人間とAIの間」でちょいとおかしくなっているのだという理解をしておく。

エヴァの「透明な身体」の描写がキレイ。
どうやって撮ったのか知りたいもの。

「すべてを把握しているつもり」の男と彼女に「恋してしまう」男。
そのどちらからも「自由になる」という意味では「フェミニズム」なところもあり。

全体に「透明感あふれる映像」が素敵。
タイトルはラテン語で「機械仕掛け」。
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「気圧がもたらす痛みあるいは痛みを超えた関係の凄味」について

2022-08-24 02:35:57 | Weblog
くもりときどき晴れ。蒸し暑い。

佐藤純「天気痛 つらい痛み・不安の原因と治療方法」を読む。

「気圧が与える影響の大きさ」と同時に。
われわれが「それぞれの感受性」を持った存在であることを知る。

「痛みが日常」になると身体に新たな「反応体制」が出来てしまう模様。
それがさらに痛みを生み出すことにもなり。

まずは「原因不明の痛みの理由」を知ること。
そしてそれらに「対応できる手段があり痛みが和らぐことがあること」も。

医療の東西を問わず。
効き目があるものは全部使ったらいいだけ。

個人的にはこの種の痛みとは無縁なのだけれど。
あれこれ知ってみたくて読んだ次第。

トム・フーパー「リリーのすべて」(’15)を観る。

「ようやく気付いた自分」がもたらすものとは。
世界初の性別適合手術を受けたリリー・エルベの物語。

アイナー=リリーのエディ・レッドメインの「女形」の素敵さと同時に。
妻ゲルダのアリシア・ヴィキャンデルの在り様たるや。

夫を失うことになるのを知りつつ結局は彼女を支えて。
夫の親友ハンスとの関係も微妙なままに。

リリーを描くことで画家として成功することになる「皮肉」など。
ラストでショールが空に舞うのにまかせるシーンがいい感じ。

こんなに濃密で複雑な関係を生きることが出来るんだと思うことしきり。
原題は「The Danish Girl」で「デンマークの少女」。

冒頭のデンマークの風景を描いたショットも好ましく。
リリーが医者たちから「病気」だとされ男たちふたりに殴られる姿も忘れずに。

自分が何者であろうとこの関係性にはある種の感動を覚えるはず。
そういう感受性がなければ「死んでいるも同然」だと言っておく。
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「死に関するあれこれと今ひとつな英米合作映画」について

2022-08-23 02:08:43 | Weblog
晴れ。暑さはそこそこ。

加藤博子・呉智英「死と向き合う言葉 先賢たちの死生観に学ぶ」を読む。

「ブックガイド」としても役に立つ内容。
「どういう自殺が好ましいか」といういささか「不穏なもの」も。

「追い込まれてする自殺」でなく「『覚悟』を決めた死」ならよかろう。
いずれ好きに生きて好きに死ねばいいだけ。

西部邁のそれは「弟子を巻き込んだ理由」が不明。
かの人にして「最後に『迷う』こと」もあるのか。

「悟り」はただの「没我体験」でいわゆる「本物」ではないらしい。
別に悟らなくってもいいじゃないと思うのだけれど。

個人的に印象に残っている死に方はヘレン・ミレン。
もちろん映画の中の話なのだが確かエクスタシーの最中に銃で撃たれたはず。

残念ながらタイトルは知らず。
昼間のTVでやっていたのをたまたまそのシーンだけ見たので。

自分の場合はどうするのかというと。
今のところ「寿命におまかせ」といった感じ。

まあ先のことはわからないから不明。
とりあえず今はそう思っているのみ。

ガイ・リッチー「コードネーム U.N.C.L.E.」(’15)を観る。

アクションに関する工夫はわかるけれど。
これまた物語の展開が何ともダレていて。

もっと軽快なカットが欲しいところ。
スプリット・スクリーンもどうにも。

TVドラマ「0011 ナポレオン・ソロ」のリメイクらしい。
ロバート・ヴォーンとデヴィッド・マッカラムに比べると主演男優二人はどうにも「弱い」。

ジャレッド・ハリスはまだしもヒュー・グラントは地味すぎて微妙。
「脇を支える」ほどのシナリオもなく。

ギャビーのアリシア・ヴィキャンデルが「唯一の救い」か。
「エクス・マキナ」(’14)や「トゥームレイダー ファースト・ミッション」(’18)で見かけ。

「ジェイソン・ボーン」(’16)もあったか。
残念ながら「リリーのすべて」(’15)は未見。

今度観てみることにする。
彼女はスウェーデンの人だとのこと。
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「何事もないことのありがたさと『天才』のあり余るパワーあるいは『男子のロマンチックの根深さ』」について

2022-08-22 02:38:42 | Weblog
晴れ。汗をかいたせいか蒸し暑く帰宅後に珍しくシャワー。

早起きして友人の墓参りに行く。

クインビーのマスターと会うのも2年ぶり。
互いに相変わらずで何より。

久方ぶりの出会いもあり。
いろいろ大変なことがある現状を知る。

自分が「相当に恵まれていること」をあらためて。
何だか「申し訳ない」。

マスターのお子に「お盆玉」など。
後で「お礼の電話」をもらう。

そうか彼も中3になったのか。
まだ小学生だと思っていたのでいやはや。

声が大人びていてふむふむ。
当然のことなのだけれど。

「南方熊楠珍事評論」読了。

「硬派=男子間の恋慕」もありつつ。
熊楠の「圧倒的な情熱のパワー」たるや。

「書かずにはいられない」といった趣き。
溢れるエネルギーをそのように処理しなければ「狂った」やもしれず。

杉田俊介「マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か」を読む。

著者の「真摯さ」は伺えるけれどあまり面白くない内容。
各方面の「チェック」はしているものの。

繰り返すが「職人の倫理」があればいいだけ。
要は「明日は少しマシになれ」。

もっとも「正しさ」から見た「自分のダメさ」を追及するだけではどうにも。
さまざまなコミュニケーションの中で「実験」と「省察」をするしかなさそう。

どうやら人は「差別をする存在」。
その程度をどうにか「受け入れられる」くらいに落とし込む手段が必要か。

とはいえわが国の現状を思えば。
一定の「ラディカルさ」がないとどうにもといった趣き。

デヴィッド・ゴードン・グリーン「グランド・ジョー」(’13)を観る。

「圧倒的な貧しさ」の中で生きざるを得ない人々の姿よ。
それでも「健全さ」はどうにか保たれているものの。

「アル中の父親の暴力」を受けるタイ・シェリダンがまだ若く。
彼を助ける主人公にニコラス・ケイジ。

ただし彼には「自殺願望」があり。
彼のことを案じる女子の「助言」を無視して彼女に去られるのを忘れずに。

アル中の父親の「行方」は現実と比べるとおそらく「甘い」。
いちおう彼が主人公に「お前は友だちか」と聞くのを覚えておこう。

残念ながら「男子のロマンチック」が優先されているような。
女子からすれば「厄介なだけ」という視点を忘れずに。

本作が「評価される」ということは自動的に「男子の優位」が浮き彫りになる次第。
「正しさ」に惑わされない「各地での実のあるお付き合い」をもっと。
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