退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「淡泊かつ簡潔であることの美しさあるいは『粋判官』の後を追う忙しさと自分のイヤらしさ」について

2019-03-23 02:09:43 | Weblog
晴れ。夜風は強く冷たく。

小川珠樹・都留春雄・入谷仙介選訳「王維詩集」を途中まで読む。

「官職への執着」がなく淡白なのがいい感じ。
とりわけ「網川集」における自然の簡潔な描写が素敵。

「徐中書に贈る 終南山を望む歌」の「悵塵事兮多違(塵事多く違うことを悵む)」
「世俗のことは多くままならずがっかりする」というのにふむふむ。

「張少将に酬ゆ」の冒頭「晩年唯好静 萬事不關心」の境地よ。
「酒を酌みて斐廸に与う」の「人情翻覆似波瀾」もなかなか。

明日読了する予定。
じっくり味わいたいもの。

本来は書棚に置いて事ある毎に読み返すのがいいのだとは知りつつ。
これも「老後の愉しみ」に。

若き日には「都会の仙人」などと称して
「霞の代わりに排気ガスを吸うのだ」などと嘯いていたこともあったか。

その割りにまだまだ「俗気」は消えていない模様。
いまだ修行中の身だということでよろしく。

もっとも成長しないこと夥しく「老成」とはほど遠いことになりそう。
楚狂接輿」には大いに共感するものの「ないものねだり」かも。

いつもの喫茶店で「週刊文春」を読む。

「小林信彦のコラム」で「橋本治」を採り上げているのに「やはり」。
山崎豊子に対する評価の一致を初めて知る。

不勉強にして彼女の作品はひとつも読んだことがなく。
これもいつか確認しておかなければなるまい。

「粋判官」であるふたりの作品はほぼ読んでいるはずだが
とりわけ多作な後者については未読のものも結構あり。

もちろん観てない映画もたっぷりで。

ただでさえ「移り気」な自分が「寿命」までにあれこれ確認できるのかどうかは不明。
次から次へと「やるべきこと」は増える一方で。

困ったことだと思いながらニンマリしている自分がイヤらしい。
石川五右衛門を気取って「世に愉しみの種は尽きまじ」などと言っておく。
コメント
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