退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「愛」と「継続」について

2013-06-30 03:22:39 | Weblog
晴れ。案外湿気多し。

連日の飲み会の後で飲み直しつつ。
それぞれに特徴があってふむふむと思った次第。

喫煙者という「名目」の下に全体が見渡しやすい位置に陣取り
若者たちのあれこれを垣間見る。

結局は「愛されるキャラ」の持ち主であるかどうかなのか。
ついつい何事かを言いたくなる相手とそうでない相手がいることは確か。

よくも悪くも「気になる存在」であること。
「因果」と「縁」が交錯する場所にいられることは楽しい。

昨日は今村仁司編訳「清沢満之語録」を途中まで読む。

いわゆる「論理の徹底」という意味で実にまとも。
九鬼周造にどこか似ている雰囲気。

仏教の「真髄」がほぼ「科学」であることがよくわかる内容で
すっきりすんなり腑に落ちることが少なくない展開。

飲み会の前に西川美和「映画にまつわるXについて」を読む。

「ゆれる」「ディア・ドクター」の監督のいい意味での「粘着質」を確認する。
彼女は「レイジング・ブル」その他の主人公のような「道にはずれた者好き」らしい。

音響技師橋本文雄の本を読む気にさせられた。
前からどうしようかと思っていたのでこれで決着。

あれもこれも「この人なら」と思うのがきっかけ。
「環境としての人」の影響は大きい。

今後も「素敵な人たち」とご縁がありますように。
そういう人たちにとって「語るに足る存在」であるべく毎日が続く。
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「6月の終わり」について

2013-06-29 04:04:26 | Weblog
くもり。やや湿気あり。

中村元「仏典のことば」を読む。

「ブッダのことば」と間違えて借りてきたもの。
自分勝手に改題されたものだと思い込んでしまったため。

企業向けの講演のせいか内容がいささか「浅い」印象。
仏教の専門家も政治や社会を語ると「普通のお爺さん」かも。

八木雄二「古代哲学への招待」を読む。

プラトンはソクラテスの名前を借りて自らの考えを述べた模様。
パルメニデスの影響も大いにあるとのこと。

興味深いところもあるが後半はやや「まとめ」に入ったよう。
もっともこちらに古代哲学をあれこれ判断する「力」はないのも事実。

今後の読書傾向によってまた違った感想も生まれるだろう。
要はまだまだ「歯が立たない」。

さて。

珍しく明日明後日と続けて飲み会の予定。
いずれも仕事関係だというのが「交友の狭さ」を物語るといったところ。

とりあえず楽しく飲めればそれでいい。
今回はいつもよりいくぶん「引いた位置」にいるつもり。

とはいえアルコールの力がどう働くかによって事態は変わるので
事前の予定がどうなるのかは不明。

とりあえず「空きっ腹」は回避するつもりではある。
ついついめんどくさいとそうなってしまいがちなので。
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「命短し襷に長し」ということについて

2013-06-27 03:40:39 | Weblog
雨のちくもり。降りはそれほどでもなく。

橋爪大三郎「民主主義はやっぱり最高の政治制度である」を読む。

宗教の専門家である著者は
「神」のような「他者」にすがる態度より「自己責任」を望む模様。

「絶対権力の横暴」を押さえるためにできた「憲法」の意味を知り
「国民主権」の重要さをあらためて思い出そうということか。

「論理的に正しい」ことは重々わかるものの
われわれにそれほどの「知性」があるのかどうかは大いに疑わしい。

ただし「賢くなるしかない」というのは「事実」で
それが出来なければいずれ「滅びる」よりないだろう。

それぞれの文章がさほど長くないのがいいところ。
「論理的」であることを自覚すれば「冗長性」は免れる。

さて。

いわゆる「評論」と呼ばれる文章をそれなりに読んできた中で思うのは
ほとんどが「長すぎる」か「あいまいすぎる」ということに尽きる。

「論理」はそもそも簡潔なもののはずなのだが
「余計な回り道」や「意味不明」なものが案外多い。

もちろん「回り道」に「味」のあるタイプの文章もなくはないものの
大して面白くもなく「何事か」を感じさせない長文と付き合うのはめんどくさい。

もっともあらかじめ「決まったゴール」に向けて「データ」のみを並べるのもダメ。
「わかりやすさ」を何か勘違いしているように思われるので。

宮台真司、大澤真幸の次にいよいよ「大御所」の登場か。
一時期の東大社会学の「エッセンス」を味わおう。
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久方ぶりに「貧困」について

2013-06-26 02:48:51 | Weblog
晴れ。暑さはなく。

「プロファイリング・ビジネス」読了。

見田宗介は「南の貧困/北の貧困」において
それぞれの「二重の疎外」を指摘している。

前者は「無理矢理貨幣を必要とするシステムに組み込まれること」と
「そうしたシステムの中で圧倒的に貨幣を手に入れられないこと」。

要は「海も森も豊かな南の島」でのんびり暮らしていた人々が
妙に「頭のいい人々」によって「搾取」されるということ。

後者は「そもそも人間に必要なものをシステムは関知しないこと」と
「貨幣量を増やすことで手に入れられるもののみを次々と生み出すしかないこと」。

こちらは「貨幣量の多寡」以外に「幸せの基準」を持てなくなる「不幸」が
「自動的に更新される」しかないこと。

実にまっとうなこの指摘は高校の国語の教科書に載っていたりする。

がしかし。

残念なことにたいていの高校生はこのメッセージを読み取れない。
彼ら彼女らはなぜこれほどに読み取る力を失っているのだろう。

繰り返すが早期の英語教育などどうでもいい。
「母国語を奪われる」という「現実」に対処すべし。

わが国の「英語コンプレックス」はかくも大きいのか。

ひとつだけ確かなことは
それが何語であろうと必要であれば「翻訳される」という事実。

もちろん外国語に堪能であることそのものは「いいこと」。
ただしそれが「母国語」とリンクしていなければほぼ意味を失うはず。

あるいは「ふたつの言語」が微妙に「衝突」することで明らかになることもあり
それが「思いがけない現実」を垣間見せることも。

まずは「日本語」。
「優先順位」をまちがえるとたいていロクなことにならないから。
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「放置できないプレイ」について

2013-06-24 02:37:14 | Weblog
くもりのち晴れ。雨が降る予報だったのに。

昨日は「ダメな日」だったので何だか気分が低調。
そういう日ともお付き合いしなければならない。

ロバート・オハロー「プロファイリング・ビジネス」を読み始める。

アメリカ政府が大々的に国民の情報収集をしているという話題がある昨今
以前から「個人情報」を集めていた企業が政府に売り込んでいたというお話。

圧倒的な情報処理能力と「プライバシー」に無関心な国民との「出会い」が
この種の「産業」を生み出した模様。

もちろん当時のアメリカは9・11の直後だから
「プライバシーよりテロ対策」という雰囲気が濃厚で。

さて。

「疑い」はそれをし始めたらキリがないもので
「予防」も原理上「不可能」だから突き詰めればどこまでもエスカレートするもの。

そのことを押さえた上で考えれば「青天井」になることは必至。
なるほど「湯水」のように儲かるシステムだと言える。

個人的には「行き届いたサービス」などいらず
むしろその場で人が「ごく普通の対応」をしてくれればいいだけ。

それにしても。

以前からの「謎」なのだけれど
「豊かな収入あるいは財産」のある人間がさらに「儲けたい」のはなぜなのか。

それはおそらく彼ら彼女らほどの収入を持たない人々の「欲望」や
「当人のヒマつぶし」によって成り立っているのだろう。

「下等遊民」にはどうでもいいこととはいえ
それがこちらの「プライバシー」を利用したものだとするといささか憮然となる。

「おれのことなら放っといて」と歌ったのは小津作品その他で有名な中村伸郎。
そうも言っていられない「世の中」はただただ「めんどくさい」のだが如何。
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「魔と間」について

2013-06-23 03:52:07 | Weblog
晴れ。暑さはそれほどでもなく。

ジョルジュ・ミノワ「悪魔の文化史」を読む。

やはり印象に残るのは中世の魔女裁判の悲惨さ。
神のために悪魔が必要なのはわかるとはいえ。

それにつけても「集団ヒステリー」の怖ろしさときたら。
無残としか言いようのない「殺人」が続くのみ。

魔女を裁く「正義の快楽」に溺れる者もいれば
敢えて「魔女」になって他人の注目を集めたい者もいたり。

自らに課した「禁欲」が呼び寄せる「妄想」を元に
それらをすべて「魔女」のせいにする輩もいる。

とはいえこの「野蛮さ」は現代にもあちこちにあるように思われるので
「魔」に差されないようご用心ご用心。

全体としては細切れの記述が続くせいかいささか煩雑な印象。
「悪魔オタクの書」と思えばそれもうなずけるけれど。

さて。

「無理を通せば道理が引っ込む」のは時代を超えた「事実」。
いたずらに「正しいこと」に拘りすぎるのもよろしくなさそう。

「事と次第」によるのはもちろんだが
そこそこの「悪」と付き合うくらいがいいのかもしれない。

自らの「いい加減さ」を思えばそれも然りなどと
ちょいと「正当化」してみたりして。

「杓子定規」だけでは生きづらく
だらだらと「染まる」のもみっともないだけ。

その「間」あたりをとぼとぼと歩いていくあたりの「按配」が
難しいといえば難しいところか。
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「仏教と坐禅とクモ」について

2013-06-22 03:32:05 | Weblog
雨。激しくはないがずっと降る。

末木文美士「仏教vs.倫理」を読む。

いわゆる「理性」で対処できないものを扱ってきたのが仏教であり
その「先人の知恵」を生かしてもいいのではというのが著者のスタンス。

ある種の考えの下に立つと「世俗の倫理」はむしろ否定されたりする。
ただしその考えを誰もが貫けるわけではなく。

誰もが認める「正しさ」がない以上
やはりここでも疑いつつ進むしか道はなさそう。

横尾忠則「坐禅は心の安楽死 ぼくの坐禅修行記」を久方ぶりに再読。

40年近く前に著者が体験することになった坐禅についてのあれこれ。
相当に「あやしげ」ではあるものの「体験報告」としては面白い。

どういうわけか昔からこの人にはどこか惹かれるところがあって
「画家の日記」という分厚い本も読んだことがある。

基本的には「論理」を重んじるものの
その「いいかげんさ」を知るとついつい「感じること」にも魅力が生まれ。

「坐禅」するかどうかは別にして
とりあえず「ボーッとする時間」があった方がいいことだけは確か。

深夜「スパイダー・パニック」(’02)をTVで観る。

デヴィッド・アークエットが主演で
今ではすっかり大人になったスカーレット・ヨハンソンも出演。

産業廃棄物を捨てた池で育った虫をエサにして巨大化したクモたちが
小さな町で大暴れするというお話。

設定は「公害」が取沙汰された70年代のものだけれど
「笑い」のまぶし加減が心地よく大いに笑える出来。

クモたちは「グレムリン」(’84)のようでもあり
「アタッキング・キラートマト」(’78)のトマトのようでもある。

そもそも虫が巨大化するというのは「放射能X」(’54)の50年代テイスト。
CGのおかげで動きがスムーズなのがいいところ。

もっとも「クモ嫌い」の人々にとっては「悪夢」のような作品だろう。
繭に包まれながら生き延びるおばあちゃんがなかなか。

メーテレの作品選定に関わっている人の目は確か。
次回は「ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密」(’03)を再見することになりそう。
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「老爺心」について

2013-06-21 03:20:45 | Weblog
雨。こちらでは水不足を多少補う程度。

海老原嗣生「就職、絶望期 『若者かわいそう論の失敗』」を読む。

新卒一括採用が「悪」だというのは実は「デマ」だとのこと。
「超大手企業への就職」のみが取沙汰されるゆえの「見間違い」らしい。

この分野でも「わが国」という特殊な「磁場」は
いたずらに海外を「理想郷」として描く「歪み」をもたらしている模様。

それにしても「わが国」では
どうしてこうも「現実」が見えにくいのだろう。

少なくともマスメディアと権益を増やしたい官僚、
「さもしい民間」のトライアングルがその「原因」であることは確かなようで。

サッカーに代表されるように
やはり「世界」と直接触れ合わないことには「現実」が見えない。

その上で若者たちには「たくましさ」を望みたいところ。
敢えて言ってしまえば「騙された者の負け」だということを知ろう。

経験を重ねつつ「実力」をつけること。
大切なことは常に「単純」ではある。

いつまでたっても「間違え続ける」のが基本だと思っていい。
ただしそこから「学習」しないといささか「貧しい」ことになり。

「明日は少しましになれ」と歌ったのは中島みゆき。

自分に「都合のいい解釈」で「現実」を歪めていると
やがてどうしようもないという形で「現実」と向き合うことになる。

否が応でも「賢くなること」。

目先の「めんどくささ」にかまけているだけでは「お先真っ暗」かも。
もっとも「身銭」を切ってそのことがわかるのも「人生」だとは言える。
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「呪縛」について

2013-06-20 03:04:39 | Weblog
雨。ようやく梅雨らしくなる。

キャリル・マクブライド「毒になる母親」を読む。

自己愛の強すぎる母親の「呪縛」から逃れた著者による
具体的な「脱洗脳プログラム」。

「不幸の連鎖」を断ち切ろうとする姿は
「輪廻」を終わらせようとする「悟り」に似ているのかどうか。

それにしてもあれこれ出てくる「実例」は凄まじい。
とはいえ「どうにかなること」も少なくないことを忘れずに。

さて。

ある種の人々は「ひとつのこと」についての理解を求められても
なぜかついついそれとは違うことが気になって仕方がないらしい。

その結果「土台」となるべき「ひとつのこと」が
いつまでたってもあいまいなままに終わる。

たとえば九九を思い出そう。

「2×3=6」であることはたいていの人にとっては「自明」だが
それさえ「あやしく」なってしまう。

もちろんこれはあくまで「単純化」しているのであって
さまざまな分野における「土台」となる「知識」のことだと理解してほしい。

彼や彼女にはあらゆることが「だいたい」でしかわからない。
「なんとなく出来たりなんとなく出来なかったり」を繰り返す。

当人がその「原因」を突き詰めることも出来ないままなので
結局状態は何も変わらないままで終わる。

この「呪縛」の正体はいったい何なのだろう。

とりあえず推測するなら「家族」。
今のところそれ以外に思い付かないので詳細を知っている人がいたら教えていただきたい。
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「不信心」について

2013-06-19 03:27:59 | Weblog
晴れのちくもり。だったはず。

「オウム/なぜ宗教はテロリズムを生んだのか」読了。

暴れた信者を殺してしまいその現場にいた信者も同様に。
そこから「ポア」の「正当化」が始まった模様。

「尊師の説く教義」に実は「一貫性」がないものの
「空気を読むこと」の「競争」にそれぞれが走ったこともあり。

「宗教」とはおそらく自分以外の何者かに圧倒的に帰依することで
自分の不安を消す働きだと言ってもいいだろう。

それほどにわれわれは「脆い」のだけれど
その種の不安を抱えて生きることこそ「まとも」なのだと思いたいところ。

「自分の無能さ」を「全能の存在」に写し換えるのはいかにも「安易」で
個人的にはむしろ「卑怯」という言葉さえ浮かんだりする。

誰にも「正しさ」などわかりはしないのなら
「手探り」で進むよりないのではないか。

などと言えるのもとりあえず「暢気」に暮らせているからかもしれないけれど
やはり「信仰」には向いていない「体質」だと思うことにしておく。

「偶然」を「偶然以上の物語」にするのは好まない。
たとえそこに自分にとっての「意味」があるように思えたとしても。

もちろんそうする人々がいることはかまわない。
あくまで自分は違う選択をするだけのこと。

それではすまないのが「世の中」だとは知っているので
「好きにすれば」と嘯いたりもする。
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