退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

久方ぶりの連休一日目について

2022-09-30 02:59:02 | Weblog
くもりときどき晴れ。昨日は寝落ちしたかも。

伊藤清司「中国の神獣・悪鬼たち」を読む。

「山海経」はどういうものかと思って。
案外「パターン」が決まった叙述であまり面白味はない。

自分が属する「共同体の外」には「有象無象」がいっぱい。
当時の人々の「想像力の限界」がわかったり。

「自分という基準」を元にした「妖怪」のあれこれ。
現在でも「同じようなこと」があるということで。

大友啓史「プラチナデータ」(’13)を観る。

二宮が好きなのでついつい。
しかし9年前にこの「仕掛け」ですかといった趣き。

原作は読んでいないので比較は出来ず。
東野圭吾なので面白かろうとは思いつつ。

冒頭の「雨の降り方」が微妙。
「降らせている感」が満載で(傍で全然降ってないところがあるもの)。

「犯人」は早々にわかる一方その展開や如何にというところ。
「『上級国民』」の犯罪をうやむやにするというのが「現実」に近く。

それらをすべてアメリカに伝えるという描写も覚えておこう。
わが国の「属国ぶり」を何度でもあらためて。

「DNAがすべて」だという「科学者」がいたり。
「科学を単純化する者たち」の愚かさよ。

デヴィッド・スレイド「30デイズ・ナイト」(’07)を観る。

「閉じられた世界」にヴァンパイアの集団が。
冒頭の「村の人々」に関する描写が「長すぎる」。

圧倒的な力を持つ者たちにどう対抗するのか。
「米国のリベラル」が「トランプの血」を注入するしかないといった「解釈」などいかが。

そうした「犠牲」がないと人々は救われないということで。
ただし現実にそんな「役割」を引き受ける人物がいるかというと微妙。

ここでも「別れることになったふたり」が「再び結ばれる」展開。
「飽きたんですけど」という物語。

とにかく「自分たちではどうしようもない『影響』」を機会に。
「従来の関係の復活」を綴るお話はいい加減によした方がいい。

それが「不可能」だからこその「物語」。
「男子の幻想」は基本的に「無理筋」だという自覚を促したいもの。
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「ネコ科の生きものたちと『オートポイエーシス』な世界を描いた映画」について

2022-09-29 02:24:04 | Weblog
くもりときどき晴れ。おだやか。

ルーク・ハンター 絵:プリシラ・パレット「野生ネコの教科書」を見て読む。

ネコ科は38種いて。
これまた順に書き並べてみよう。

ハイイロネコ、ヨーロッパヤマネコ、クロアシネコ、スナネコ、ジャングルキャット、
マヌルネコ、ベンガルヤマネコ、マレーヤマネコ、サビイロネコ、スナドリネコ。

マーブルドキャット、ベイキャット、アジアゴールデンキャット、サーバル、カラカル、
アフリカゴールデンキャット、ジョフロイキャット、タイガーキャット、サザンタイガーキャット。

マーゲイ、オセロット、コドコド、パンパスキャット、アンデスキャット、
ユーラシアオオヤマネコ、スペインオオヤマネコ、ボブキャット、カナダオオヤマネコ。

ジャガランディ、ピューマ、チーター、ユキヒョウ、スンダウンヒョウ、
ウンピョウ、トラ、ライオン、ヒョウ、ジャガー。

耳が鹿の角のようなスペインオオヤマネコ。
あるいは耳の先が触角のようなカナダオオヤマネコの姿がなかなか。

糞プロテオミクス分析」という手法で生態や進化を調べることが出来る模様。
そう言えばサッカー元日本代表の鈴木啓太はヒトで似たようなことをしていたか。

中村浩「糞尿博士・世界漫遊記」を昔読んだことを思い出したり。
そういえばクロレラはどうなっているのかと思ったり。

ユーグレナにも頑張っていただきたいもの。
会社紹介をしたいのではないので悪しからず。

アレックス・ガーランド「アナイアレイション 全滅領域」(’18)を観る。

タルコフスキー「惑星ソラリス」(’72)を思い出す内容。
もっとも本作のそれは「反射」するのみ。

同監督作品には「わたしを離さないで」(’10)や「エクス・マキナ」(’15)など。
「油膜」を映したような描写が工夫。

どうやら「オートポイエーシス」を具体的に描いてみた趣き。
あらゆるものが「細胞分裂」し変化する。

そこに「意志」はないがあるように見えたり。
ヒトにとっては「怖ろしいもの」になる仕組み。

それを調べに行く科学者たちがみんな女性。
ナタリー・ポートマンは生物学者、ジェニファー・ジェイソン・リーは心理学者。

テッサ・トンプソンは物理学者でツヴァ・ノヴォトニーは人類学者。
ジーナ・ロドリゲスだけが救急医療隊員で。

「奇妙なお花畑」がいささか「サイケな」感じ。
まずまず楽しめる内容か。
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「『ゾンビ』との共生を描いたコラムと失われた『倫理』あるいは何とも惜しい映画」について

2022-09-28 02:33:10 | Weblog
晴れときどきくもり。雨も少々。

ポール・クルーグマン「ゾンビとの論争」を読む。

副題に「経済学、政治、よりよい未来のための戦い」。
「ニューヨーク・タイムズ」のコラムをまとめたもの。

「ゾンビ」とは「客観的な事実もないままに何事かを信じる人々の群れ」。
それは経済学者についても政治家についてもあるいは庶民についても同様。

もちろん「信じたいものを信じる自由」はあるけれど。
そこに絶えず「信じるに足る理由はあるのか」というチェックがないと。

著者の主張は納得できるところも少なくない一方。
いささか「リベラル」に甘いところもあるような。

「この人は全面的に信じられる」ということなどないのがおそらくは「現実」。
誰もが「正しいこと」も「間違えること」もあるのみ。

仮に間違えたのなら素直に認めて自分の主張とは異なるものを受け入れればいいだけ。
もっともそうした「当然」が出来なくなって久しい。

そこに「倫理」はあるのか。
その「基本」を元に「右往左往する」くらいが「本当」ではないのか。

ピート・トラヴィス「バンテージ・ポイント」(’08)を観る。

「アメリカ大統領狙撃事件」について。
それをさまざまな角度から描くのがポイント。

デニス・クエイド、マシュー・フォックス、フォレスト・ウィテカー、ブルース・マクギル、
シガニー・ウィーヴァーにウィリアム・ハートのキャストも結構豪華で。

この中でおそらくミスキャストは残念ながらシガニー・ウィーヴァーかも。
演技の様子も含めて彼女に「TVディレクター」は似合わないし扱いが素っ気ないし。

とはいえ本作に描かれた「大統領暗殺計画」は実に見事。
脚本バリー・レヴィの力か。

カーチェイスの描写もなかなか。
一度描かれたシーンの意味が次に違ってくるのは黒澤明「羅生門」(’50)由来らしく。

ただし何度も「時刻の表示」が出て「ドラマのCM前」のような描写の繰り返しがあるのは微妙。
せっかく入念に考えられた物語であるだけに惜しい限り。
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「『付き合いぶり』のみを楽しんだ作品と『巨大組織』は人々を平気で犠牲にすること」について

2022-09-27 02:02:27 | Weblog
快晴。おだやか。

厚田雄春・蓮實重彦「小津安二郎物語」を読む。

小津映画のキャメラマンである前者を後者がインタビューした内容。
33年前に出たもの。

監督や著者たちの「付き合いぶり」が何とも楽しそうで。
俳優たちのあれこれについても同様。

もちろん「技術面」についての解説もたっぷり。
もっともそれを十分に味わえるほどの読者ではないと思われ。

ヴィム・ヴェンダース「東京画」(’85)も未見だし。
小津作品も戦前のものは観ていないので。

カリム・アーメル&オマール・ムリック「フライトリスク ~墜落事故の真相~」(’22)を観る。

2018年から2019年にかけて起きた2件のボーイング737MAX墜落事故のドキュメンタリー。
合併で変わった経営方針と経営者の「高額な給与」を守るために多くの人が死に。

ボーイングとFAA(連邦航空局)が「人材の交換」によって「仲間」になり。
内部通報者たちの訴えを無視する「劣化」が「日常」へと変わる。

遺族は裁判で補償金を勝ち取るものの。
肝心の航空機は「安全性の保証」もないままに運行を再開する始末。

そうした現実は圧倒的な資金力によるロビー活動によって可能に。
「何の罪もない人々が犠牲になろうが金儲け」という「ビジネス・アズ・ユージャル」。

とりわけ本件で悪質なのは1件目の後に「次が起きる確率が高い」のがわかっていたこと。
地元の航空会社が要求した「訓練」を「必要ない」と説得したこと。

おまけにその「説得」をしたパイロットたちを「悪玉」にする「トカゲの尻尾切り」も。
「巨大な組織」は生き延びるためなら何でもすることを確認しておこう。
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「圧倒的にダメな男たちと半世紀前にそれを思わせた映画」について

2022-09-26 02:56:55 | Weblog
晴れ。バス停で葉っぱが頭の上に落ちる。

アナスタシア・ミコバ&ヤン・アルトュス・ベルトラン
「話すことを選んだ女性たち 60人の社会・性・家・自立・暴力」を見て読む。

世界中に「ウンコな男たち」がいることをあらためて。
そうまでして「女たち」を縛らないと男は生きて行けないのか。

各地で「意味不明なルール」があることを知る。
いずれも男たちが作ったルールで。

「暴力あるいは武器」を使う者たちは「圧倒的に弱い存在であること」を忘れずに。
要は「道理」も説けず相手を理解する能力もなく。

「コミュニケーション能力の不足」を自覚しないとどうにも。
そしてなぜか「母親たち」がそうした「息子たち」を育ててしまうことについても。

バート・ケネディ「女ガンマン 皆殺しのメロディ」(’71)を観る。

原題は「ハニー・コールダー」なのをこれまた「ウンコな邦題」に。
「歴史」を知らないとそうなるのねといった趣き。

ラクウェル・ウェルチに人気があった頃の作品。
「従来の女性像」とは異なる「戦う存在」だということで。

アーネスト・ボーグナイン、ジャック・イーラム、ストローザー・マーティンよ。
これが「男」であるのはおそらく現在も変わらず。

主人公を助けるロバート・カルプがいるのを忘れずに。
「ドラキュラ」クリストファー・リーが「銃製造者」だったり。

スティーヴン・ボイドの在り様が謎。
もっとも彼は主人公を助けるのだけれど。

ギタリストのパコ・デ・ルシアが出ているのも覚えておこう。
アランフェス協奏曲」を載せておく。
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「深夜の『渚』めぐり」について

2022-09-25 04:01:05 | Weblog
どういうわけか興が乗り。

ワイルドワンズ「思い出の渚」ピンクレディ「渚のシンドバッド」。
小泉今日子「渚のハイカラ人魚」松田聖子「渚のバルコニー」。

パフィー「渚にまつわるエトセトラ」「渚のオールスターズ」。

あるいはNEWS「渚のお姉サマー」。
高中正義「渚モデラート」。

渚ゆうこ「京都の恋」「京都慕情」。
渚ようこ「かっこいいブーガルー」。

あるいはリチャード・クレイダーマン「渚のアデリーヌ」も。
最後に映画監督大島渚の名前も。

誰でも出来るゲームなのでいかが。
酔いのまぎれには楽しい作業。
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「自分という存在の小ささと『障害者』だけに必要ではない『人権』の意味と珍しく好ましい続編」について

2022-09-25 02:40:29 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

「酉陽雑俎4」読了。

後半はこれといって興味を惹かれるものがないままに終わる。
まだ一冊あることだし。

もちろん「自分というフィルターの限界」も手伝って。
出来るだけ「全方向」にアンテナを張っていたいと思うのみ。

「世界」にはまだまだ面白いものがたくさんあるから。
むしろ「自分という存在の小ささ」を思い知ることになるはず。

マル激を観る。

今回は「日本の障害者施策は世界基準とどこがずれているのか」。
「わが国の現実」が「世界」からチェックされることに。

21世紀になっても「人権の意味」が身に沁みないわれわれよ。
「そのままで誰もが同じように生きられる権利」とそれを果たすべき義務に鈍感で。

相変わらずの外務省の「インチキ翻訳ぶり」を確認したり。
貴様如きの「浅知恵」をどうしてそんなところに使うのか。

「統治権力」もしくは「社会」に対して。
「わたしがなぜみんなと同じように暮らせないのか」と訴えられるのが「人権」。

これはいわゆる「障害者」の話だけではない。
「意思決定システムのインチキ」がもたらす現実を変えるためには「健常者」も同じく。

「してあげる」という「上から目線」でなく。
「友だち」だったら「許せない」という「自然」をもたらすために。

各地でもっと「融合」を。
それを子どもの頃から出来る「環境」を整えたいもの。

ジェイソン・ライトマン「ゴーストバスターズ アフターライフ」(’21)を観る。

フィービーのマッケナ・グレイスに「惚れる」。
残念ながら身近にこの種の女子はいず。

オリジナルメンバーのビル・マーレイ、ダン・エイクロイド、ハロルド・ライミスも登場。
アーニー・ハドソンやアニー・ポッツに加えラストにはシガニー・ウィーバーもちょいと。

「母」キャリー・クーンや「先生」ポール・ラッドが微妙な一方。
「アジア系オカルトマニア少年」ローガン・キムがなかなか。

「マシュマロマン」は小さくなってのウヨウヨぶりが微笑ましく。
ゴーザと「狛犬たち」の描写は変わりなく。

たぶんオリジナルを知らなくても楽しめる内容。
リメイクを作るなら最低限このラインでと思うことしきり。

「アフターライフ」というタイトルを「バイオハザード」への「批評」だと思おう。
だってかの作品はつまらないもの。
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「元ネタを確認することと『ヨコハマ』満載の映画」について

2022-09-24 02:26:36 | Weblog
雨。夜になって止む。

「酉陽雑俎4」を途中まで読む。

「こぶとりじいさん」「シンデレラ」「夢応の鯉魚」の元ネタなどを確認する。
「交通」があれば「物語」は「世界共通」にもなり。

生きものたちの「保護色」についてすでに書いていたりもして。
いちおう唐の時代のこと。

遣隋使は607年で遣唐使は630年。
そして遣唐使廃止は894年。

その千年後には日清戦争。
こうした「歴史」も「交通」だということで。

いつも通り明日読了予定。
どう終わるのかが気になるところ。

門馬直人「イイネ!イイネ!イイネ!」(’17)を観る。

タイトルからわかるようにクレイジーケンバンドが主演で。
横山剣を支えるのは伊原剛志と中野英雄。

前半はさすがに素人演技ゆえややダレるものの後半になって盛り上がる趣き。
「三人の友情」とハリン、金子賢が交わる物語。

韓国と中国も同様に。
いかにも「ヨコハマ」らしく。

秋吉久美子のマダムがいい感じで菜々緒、小島陽菜はほぼカメオ。
ヤクザの親分に渡辺哲、野添義弘。

「悪徳警官」に駿河太郎、DJの山口智充はさすがの「芸達者ぶり」。
冒頭で死ぬ宮川大輔は役柄が似合い。

その他に阿部亮平、上松大輔、大鶴義丹、ジローラモなど。
二宮弘子の母親ぶりはさすがの貫録。

かの港町が「ワケありな人々」で満ちていることを覚えておこう。
生きる」がテーマ曲で何とも気持ちいいソウル。
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「楽しくしあわせになれる本と『ドラマと映画の違い』を表す映画」について

2022-09-23 02:09:54 | Weblog
くもり。少しだけ降る。

内田博「日本産鳥類の卵と巣」を見て読む。

「好きこそものの上手なれ」の好例が本書だと言っていいはず。
そのことを知るだけで何だかしあわせな気持ちになる。

「托卵」するのはカッコウだけではなく。
ホトトギスはチョコレート色の卵をウグイスに。

「種内托卵」というものまである模様。
さまざまな色と模様の卵たちを眺めているだけでも楽しく。

もっともそこには「生存競争」が。
巣の奪い合いの結果異なる鳥の卵が同じ巣にあったりもする。

托卵の結果生まれた雛が元々の鳥の卵を巣の外に落としたり。
先に生まれた雛がそれ以外のものを殺したりすることも。

羽住英一郎「太陽は動かない」(’21)を観る。

あまり期待せずに観たのだけれど。
結果は「案の定」というのみ。

ブルガリアを始めとする海外ロケもあるものの。
残念ながら物語にほとんど魅力がなく(それは冒頭からわかってしまう)。

ハン・ヒョジュとピョン・ヨハンも微妙。
少年時代と現在を重ねる描写も何だか。

とりわけ藤原竜也は蜷川幸雄の言葉を思い出すべきではないか。
「いつも同じでつまらない」と。

車で走っていたはずの彼がなぜか船に辿り着く「不自然さ」も。
監督は決定的に「映画を知らない」ことが明らかに。

詩織の南沙良は悪くなく。
奈々の八木アリサは本作では魅力を発揮しようがない役柄なのが残念。

アクションも見栄えがせず。
ビルから飛び降りるシーンの「安さ」も気になる次第。

オリジナルはドラマらしくそちらは未見なので比較は不可能。
原作も未読なので同様に。

結構な豪華キャストも生かされぬままに終わる。
残念と言うよりない。
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「かつて存在した雑誌と『雰囲気作り』が上手な映画」について

2022-09-22 03:46:00 | Weblog
晴れときどきくもり。おだやか。

橋本治・杉浦日向子・中沢新一・養老孟司・天野祐吉「大人の学校 卒業編」を読む。

かつて「広告批評」という雑誌があり。
天野祐吉と島森路子によって作られ。

面白い内容が少なくなかったのだが09年に休刊。
13年に島森、天野の順で彼岸へ。

杉浦日向子はそれより早く橋本治はそれより遅く同様に。
健在なのは中沢新一と養老孟司のみ。

それぞれに魅力的な人たちが集まった場所があったということ。
そして「広告」が今よりずっと刺激的であった時代を覚えておこう。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ「DUNE/デューン 砂の惑星」(’21)を観る。

「ブレードランナー 2049」(’17)よりはマシな出来か。
主演のティモシー・シャラメの「たたずまい」が悪くなく。

ガーニイのジョシュ・ブローリンが懐かしく。
ダンカンのジェイソン・モモアも好ましい。

ハルコネンの ステラン・スカルスガルドとスティルガーのハビエル・バルデムが脇を支え。
「母」レベッカ・ファーガソンと「教母」のシャーロット・ランプリングも同様に。

本作のチャニ、ゼンデイヤはグッド。
音楽ハンス・ジマーは一部で武満徹のような。

監督は「雰囲気」を描くことが得意なよう。
それだけで見せてしまう力量はわかるものの「物語」をもうちょいとといった趣き。

オリジナルはデヴィッド・リンチの84年の作品。
キャストは豪華だがあまり面白くなかったと記憶している。
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