くもりときどき晴れ。昨日は寝落ちしたかも。
伊藤清司「中国の神獣・悪鬼たち」を読む。
「山海経」はどういうものかと思って。
案外「パターン」が決まった叙述であまり面白味はない。
自分が属する「共同体の外」には「有象無象」がいっぱい。
当時の人々の「想像力の限界」がわかったり。
「自分という基準」を元にした「妖怪」のあれこれ。
現在でも「同じようなこと」があるということで。
大友啓史「プラチナデータ」(’13)を観る。
二宮が好きなのでついつい。
しかし9年前にこの「仕掛け」ですかといった趣き。
原作は読んでいないので比較は出来ず。
東野圭吾なので面白かろうとは思いつつ。
冒頭の「雨の降り方」が微妙。
「降らせている感」が満載で(傍で全然降ってないところがあるもの)。
「犯人」は早々にわかる一方その展開や如何にというところ。
「『上級国民』」の犯罪をうやむやにするというのが「現実」に近く。
それらをすべてアメリカに伝えるという描写も覚えておこう。
わが国の「属国ぶり」を何度でもあらためて。
「DNAがすべて」だという「科学者」がいたり。
「科学を単純化する者たち」の愚かさよ。
デヴィッド・スレイド「30デイズ・ナイト」(’07)を観る。
「閉じられた世界」にヴァンパイアの集団が。
冒頭の「村の人々」に関する描写が「長すぎる」。
圧倒的な力を持つ者たちにどう対抗するのか。
「米国のリベラル」が「トランプの血」を注入するしかないといった「解釈」などいかが。
そうした「犠牲」がないと人々は救われないということで。
ただし現実にそんな「役割」を引き受ける人物がいるかというと微妙。
ここでも「別れることになったふたり」が「再び結ばれる」展開。
「飽きたんですけど」という物語。
とにかく「自分たちではどうしようもない『影響』」を機会に。
「従来の関係の復活」を綴るお話はいい加減によした方がいい。
それが「不可能」だからこその「物語」。
「男子の幻想」は基本的に「無理筋」だという自覚を促したいもの。
伊藤清司「中国の神獣・悪鬼たち」を読む。
「山海経」はどういうものかと思って。
案外「パターン」が決まった叙述であまり面白味はない。
自分が属する「共同体の外」には「有象無象」がいっぱい。
当時の人々の「想像力の限界」がわかったり。
「自分という基準」を元にした「妖怪」のあれこれ。
現在でも「同じようなこと」があるということで。
大友啓史「プラチナデータ」(’13)を観る。
二宮が好きなのでついつい。
しかし9年前にこの「仕掛け」ですかといった趣き。
原作は読んでいないので比較は出来ず。
東野圭吾なので面白かろうとは思いつつ。
冒頭の「雨の降り方」が微妙。
「降らせている感」が満載で(傍で全然降ってないところがあるもの)。
「犯人」は早々にわかる一方その展開や如何にというところ。
「『上級国民』」の犯罪をうやむやにするというのが「現実」に近く。
それらをすべてアメリカに伝えるという描写も覚えておこう。
わが国の「属国ぶり」を何度でもあらためて。
「DNAがすべて」だという「科学者」がいたり。
「科学を単純化する者たち」の愚かさよ。
デヴィッド・スレイド「30デイズ・ナイト」(’07)を観る。
「閉じられた世界」にヴァンパイアの集団が。
冒頭の「村の人々」に関する描写が「長すぎる」。
圧倒的な力を持つ者たちにどう対抗するのか。
「米国のリベラル」が「トランプの血」を注入するしかないといった「解釈」などいかが。
そうした「犠牲」がないと人々は救われないということで。
ただし現実にそんな「役割」を引き受ける人物がいるかというと微妙。
ここでも「別れることになったふたり」が「再び結ばれる」展開。
「飽きたんですけど」という物語。
とにかく「自分たちではどうしようもない『影響』」を機会に。
「従来の関係の復活」を綴るお話はいい加減によした方がいい。
それが「不可能」だからこその「物語」。
「男子の幻想」は基本的に「無理筋」だという自覚を促したいもの。