退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『貧すれば鈍す』ことのない世界と『笑うよりない世界』」について

2019-03-30 02:07:53 | Weblog
晴れ。今日から3連休。

川合康三訳注「白楽天詩選(上)」を少し読む。

有名な「長恨歌」の物語にしばし浸る。
「和漢朗詠集」にも採られた「送王十八歸山 寄題仙遊寺」も。

「林間煖酒燒紅葉(林間に酒を煖めて紅葉を燒き)
 石上題詩掃綠苔(石上に詩を題して綠苔を掃う)」

わが国ではこの一節がとりわけ有名らしい。
といっても今や「知る人ぞ知る」ことになっているはず。

もっともその「境地」に至るのはなかなか。
「恒産なくして恒心なし」であり「貧すれば鈍す」でもあるから。

何より白楽天は当時の「エリート」だもの。
「給料が余る」のはそれなりの収入を得ていればこそ。

スパイク・リー「ブラック・クランズマン」(’18)を近所のシネコンで観る。

「白人英語と黒人英語のバイリンガル」である主人公と仲間の潜入捜査官が
「二人一役」でKKK(クー・クラックス・クラン)を騙すという設定が面白い。

当然「正体がバレる危険」は常にあるので「サスペンス」が自動的に生じ。

D・W・グリフィス「國民の創生」(’15)に
映画における技術とは別の「評価」を下していることに注目。

心に響くのはKKKのデヴィッド・デュークが「健在」であり
南軍のリー将軍像の撤去にまつわる「シャーロッツビルの暴動」は2年前の出来事だということ。

要は映画で描かれている出来事は「かつての歴史」ではなく「現在」そのもの。
トランプの「微妙な『擁護』発言」も記憶に新しい。

この種の「愚かさ」はどうしたら解消されるのだろう。
「『敵』を見出してすべてをそのせいにする悪癖」はなくせるのだろうか。

「ホワイトパワー」を謳い上げる白人と「ブラックパワー」を謳い上げる黒人の「相似」よ。
だからこそ「潜入捜査官」という設定について考えたいもの。

「カタルシス」は「一時的なもの」なのでやはり「ロジック=論理」を重んじたいところ。
とはいえ「現在のわれわれ」にそれが可能なのかどうか。

本作は「騙す」という形で「笑い」をまぶしているけれど。
そうするしかないくらい「現実」が「バカげている」という訴えだと受け止めておく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする