退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

ふたたび有給休暇2

2017-05-31 01:54:52 | Weblog
晴れ。また真夏日。

昨日珍しく丸善へ行き久方ぶりに買った新刊を読む。

神保哲生「PC遠隔操作事件」。
「マル激」でいつも「お世話」になっているのでたまには「お布施」をと。

旅客機に爆弾を仕掛けたというメールから始まる構成は見事。
「ハドソン川の奇跡」(’16)の主人公に感銘した著者らしく。

冒頭から10章まではまさに「サスペンス映画」の趣き。
「真犯人」がわかっているから「倒叙物」だと思えばいい。

最後の11章と12章に関しては「マル激」に接していれば「お馴染みの議論」。
もっともさまざまな問題点の指摘は的確なので初めての人はじっくりと。

ネットにおける「犯罪予告」について「放っておけばいい」という矢野さとるの指摘にふむふむ。
マスコミがいたずらに大きく採り上げることの「罪」についても同様。

この事件の犯人でなくとも「承認欲求=私を認めて」はどうやらかなり大きい。
インスタグラムの流行においてもそれは顕著で。

「自己承認の基本」が失われているらしいのだけれど
その原因は「かつての『普通』を求める親」と「そうは生きられない子ども」の対立のような。

「家庭」あるいは「学校」という「閉じられた空間」で
「行き場」を失ってしまう子どもたちが増えているのは確か。

「ネット環境」が「ごく普通」である若者たちとそうでない大人たちとの「断絶」も。
とりあえず捜査をする警察はそのことにきちんと「対応」できないと。

「自白に頼る警察」と「リークに頼るマスコミ」の姿はいかにも「時代遅れのオヤジ」。
いずれにおいても「近代化」はいつになったらなされるのだろう。

「犯人」の「特定分野に関する周到さとそうでない分野に関する鈍さ」も覚えておきたいもの。
「頭がいい・悪い」などという単純な「二項対立」ではとても把握できない「キャラクター」よ。

NHKスペシャル「変貌するPKO現場からの報告」を観るにつけても
「世界」は「複雑さ」を増している。

「現実」を無視して「情報操作」でどうにかコントロールしようというのは明らかな「間違い」。
むしろすべてを明らかにしてさまざまな人々の「知恵」を採り入れることが必要なはずなのに。

「人質司法」はいつまで続くのか。
そして「複雑な現実」を理解しないまま判断を下す裁判官の「愚」も。

「圧倒的に無力であること」を肝に銘じた上で
われわれはさまざまな「現実」に対応していくよりないのだが。
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ふたたび有給休暇1 

2017-05-30 02:07:15 | Weblog
晴れ。そこそこ暑い。

海堂尊「ほんとうの診断学 『死因不明社会』を許さない」を読む。

「AI=人工知能」と「Ai=死亡時画像診断」の違いを初めて知る。
冒頭から著者の「意気込み」にやや腰が引けたものの。

実際にほぼ行われていない「検死」に代わって
「死亡時画像診断」をするというアイデアはまさに「コロンブスの卵」か。

というよりなぜこの「当然」がいつまでもそうならなかったのかが不思議。
おまけに「非科学的な調査と報道」が行われて。

「官僚による歪み」が見事に表れた事例だと思ってよさそう。
せっかくそこそこ「能」があるならもっと「まともなこと」に使えよ。

児童虐待、医療過誤、遺族の納得、医学の進歩に役立つらしい。
こんなサイトがあるので興味のある向きは是非。

ただし。

著者はどうやら「科学的であること」にこだわりすぎた模様。
「素人」にもっとわかりやすい内容の冊子か何かがあると便利なのだけれど。

Gyaoで「それでもぼくはやってない」(’07)を再見。

「推定無罪の原則」がなぜ謳われたかと言えば
「権力の横暴」がそれ以上に怖ろしい「ヨーロッパの歴史」における「悲劇の共有」のため。

わかりやすい例で言えば「魔女狩り」など。
縛って川に放り投げられ「浮かんだら魔女」で「生きて引き上げられても魔女」。

要はいずれにせよ「殺される」ということ。
「疑われたらおしまい」という現実は「有罪率99.9%」のわが国の現在でも。

「自白偏重」の捜査手法は変わらず「人質司法」も同様。
「取り調べの可視化」も一部に過ぎずどこを見せるかは検察の「さじ加減」次第。

「一般人」が「被疑者」になった瞬間に「テロリスト扱い」もされる「共謀罪」に同じく。
21世紀になって「中世の再現」とは何ともはや。

さて。

奇しくもというか安倍首相の取材で有名な男性ジャーナリストを
フリージャーナリストの女性がレイプだと訴えたニュースが流れる。

森友、加計と似たような「忖度疑惑」が浮かんでいるのがまたまた微妙。
それにしても「首相周辺の人々」はどうにも「お行儀が悪い」。

わかりやすい「物語」としては相反するふたつの「解釈」がありうるものの
TVあるいはネット情報では「レイプ説」が濃厚。

とりあえず「『事件後』のメールの文章」で気になるのは
男性の「誘惑されたら抵抗できないでしょ」的な文面。

この種の「お前が悪い」もしくは「自分のせいではない」発言は
「レイピストの典型」だったりするので。

もちろん「事実」は不明なので「結論」は出せず。

少なくとも「仕事紹介」という「権力」が絡む関係に
いきなり「肉体関係」を持ち込むのはダメでしょうとは思う。
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「常識と例外あるいは残念なこと」について

2017-05-29 04:33:14 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

五百田達成「察しない男 説明しない女」を読む。

本書に書かれている内容が「基本」にならないと。
自分は横に置いて「相手を認めること」に尽きる。

ただし「現状確認」という面が強いので
さらに「未来」を目指そうと思う向きにはいささか不満が残るかも。

「仲良くする」ためにはこうしたことが必要。
もっとも「なぜ仲良くしなければならないのか」という疑問は残るか。

マル激を観る。

今話題の前川前文科省事務次官がゲストの回。
なるほど「サムライ」だということを確認した次第。

ある種の「オカルト」だと思って頂いて結構だけれど「好ましい人物」は「声がいい」。
不思議なのは神保・宮台のふたりがそれに当てはまらないこと。

いきなり「神話」が崩れるあたりが「いい加減」だったり。
つまりは「何事にも例外がある」ということ。

あまりに厳格に「法を守ること」は「自動機械」に過ぎず
むしろそもそも「守ろうとしていたこと」を失わせるものだという指摘は覚えておきたい。

深夜「シネマ狂想曲 名古屋映画館革命」を観る。

以前に主人公を扱った番組を観ていたので「衝撃」はなく。
支配人木全純治の「ぼくはA級映画が好きなのだけれど彼はC級が好きで」という発言に笑う。

学生時代には小津作品の特集を観に行ったりしたもの。
この地域においては今池の「シネマテーク」と並んで「大切な劇場」。

かつて駅前には「シルバー」「ゴールド」などといった映画館もあり
タルコフスキーなどを観たりしたはず。

「映画」に興味を持ってもらうためなら何でもするという坪井篤史は
「級の違い」はあれども「伝道師」としては淀川長治に近いかも。

「字幕版」と「吹替版」では徐々に後者が多くなりつつある「現状」を思えば
彼のしている「活動の重要さ」が偲ばれるところ。

このところ再び「映画」から遠ざかっている感じなので
これをきっかけにまた「波」が来るやもしれず。

繰り返すが「映画」には愛されていない。
「残念な人」として今後もほどほどに映画を観ることになるだろう。

さて。

明日からなぜか3連休。
いつも通り「ひまつぶし」に励むことになりそう。
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「ジンと現場あるいはヘタなものまね」について

2017-05-28 01:55:04 | Weblog
晴れ。暑さはなく。

2週間ぶりの老舗バー。

今宵は「オッサン密度」が高くお店としては望ましい展開。
忙しいので黙々と飲む。

マスターが新しいジンを紹介してくれるもののゴードンのまま。
特にこだわりはなく。

「漁業と震災」読了。

「現場」を知っている人の「報告」は好ましい。
自分の「限界」を知りつつあれこれ教えてくれるから。

明日からなぜか4連休。

「有給消化」のための結果。
詳細については上司におまかせしているのだけれど。

たまにはどこかへ出かけようかと毎度思ってはいるものの
具体的な行動にはならずじまい。

基本は「隠居」。
さまざまな漢詩を書いた人々に似て。

こう何と申しましょうか。

寺山修司風に言うと。

ぼくの存在がですね、「やくざ」であることの意味はどこにあるんだろう。
そういう思いに駆られるわけです。

「やくざ」とはそもそも何であるのか。
そして「やくざ」であり続けることによって何事かが生まれるのか。

そのあたりについてぼくは敏感でありたいと常々思っているわけです。

三上寛の「声色」を想像していただきたい。
マニアですまん。

さて。

もうちょいと飲んで寝る。
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「限られた情報あるいは意見の違いを超えること」について

2017-05-27 02:08:11 | Weblog
くもり。降ったり晴れたり。

濱田武士「漁業と震災」を途中まで読む。

「現場と地域」を優先した岩手県と
震災を機会として「地域外かつ上からの改革」を行なおうとした宮城県の対照。

これが現在はどうなっているのかを知りたいところ。

「零細漁業」が「国土保全」にもつながっていることを覚えておこう。
「下からの民主主義」として「漁協」があったりすることなども。

ただし著者とは異なる意見についてあまり知らないので
それが「妥当」なのかどうかの判断はできず。

とりあえずそう思いつつ明日読了予定。

さて。

菅官房長官の前川前文部事務次官に対する「人格否定」発言について。

相手の人格を貶めるという形でしか否定できないのは
ほぼ「お前のかあちゃんデベソ」に同じ。

前川という人の言っていることが正しいかどうかは全く別にしていい。
小学生並みの言い草でしかなく。

「あの人怪しいんですよ」という「噂話」を公共電波を使って流していいのか。
まして権力のある者がそうでない者に対してやっていいこととは思えず。

この「余裕のなさ」が生まれる背景を思えば「真実の隠蔽」だと思われても仕方あるまい。

さらに怖ろしいのはこうした「マイナス発言」をしても
自分たちの権力には揺るぎがないと思っていること。

そして案外それが「事実」だったりすること。

これは「独裁者」のすることだろう。
そしてそれを支えているのはわれわれだったりするのが一番怖ろしいのだけれど。

北朝鮮をバカにする資格など毛頭ない「現実」について
意見の違いを超えて「賛同」を求めたいもの。
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「科学と演劇あるいは政治における人材不足」について

2017-05-26 02:20:01 | Weblog
『くもり。仕事場近辺ではパラつく。

池内了「科学は、どこまで進化しているか」を読む。

「宇宙」「地球」「生物」「医学」「エネルギー」「物理」という項目。
「化学」が欠けているのがポイント。

あれこれ「科学本」を読んできた身としてはやや「欲求不満」な内容。
まあ新書なので仕方がないところ。

「原発」に対する危惧には大いに同意するものの
全体として「初心者に興味を持たせる内容」かというと微妙。

とりあえず各種のトピックはあれこれあるので
そこに食い付いてもらえればいいか。』でまた寝る。

くもりときどき雨。夕方になって晴れる。

トーマス・ズデンドルフ「現実を生きるサル 空想を語る人」を読む。

副題にある「人間と動物をへだてる、たった2つの違い」とは。

曰く「入れ子構造を持つシナリオを心のなかで生み出す際限のない能力」と
「シナリオを構築する他者の心とつながりたいという抜きがたい欲求」だとのこと。

ここでも「演劇か」と思った次第。
動物に対する実験の数々に対する評価の「控え目」な感じが好ましい。

ただし如何せん「長すぎる」ような。
もっと「簡潔」に述べられるのではないかと思いながら読了。

マル激を観る。

安倍政権がなぜかくも易々とかつては無理筋だった法案を通すのかについて。
基本は「金と権力」をどうにかしようとした「選挙制度改革」にあった模様。

「派閥による争い」のマイナスを「政権交代」で埋めようとしたものの
「政党交付金」を握る党が「公認権」も手伝って「何も言えない与党議員」を生み出し。

一方野党は「政権獲得時の失敗」を総括しないまま「地力」をつける努力をせず。
「受け皿」になりきれない勢力がどんな「キレイごと」を言っても無力だと。

有権者に関しては「好ましい未来」を夢見られた「オジサンたち」とは違い
若者たちは最初から「現状維持」が「ギリギリ」であることなど。

かつては「族議員」が官僚の思惑をチェックできていたのに今できなくなっているのは
それをしても「選挙に影響が少ないから」という「構造」もあり。

「地方議員」という「下部組織」がしっかりしている自民党とそうでない民進党では
お話にならないほど「地力」に差がある模様。

そこで浮かび上がるのが共産党の「調査能力」だったりするものの
ヨーロッパと違って「大転換」をするつもりはないときては。

もっともトランプやルペンの登場がないだけマシという「見方」もなくはなく。
いやはや何とも「希望」の持ちにくい時代ではある。

要は「役者不足」に尽きるのかも。
この分野にもっと「資本投下」はできないのだろうか。

見渡せばどの世界も人材不足の感は否めず。
やはり育てるしかないと思うのだが如何。
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「『理不尽』を解決するための宗教あるいは自己啓発」について

2017-05-24 02:00:30 | Weblog
『晴れ。夜に暑さはなく。

太田俊寛「現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇」を読む。

「霊性進化論」は「腐った現代」を立て直すための「思想」。
というより「腐った現代」への耐えられなさが生んだ「妄想」。

著者によるとその結果生まれるのは次の3つ。
1.霊的エリート主義の形成 2.被害妄想の昂進 3.偽史の膨張。

わかりやすく言うと「私は神の意志を知る者」であるにもかかわらず
それが伝わっていかないのは「邪魔をする者たち」がいるため。

そして「人類の誕生以前」から霊は存在し
別の惑星で文明を築いていたなどという「物語」が生まれたりするということ。

キリスト教に「進化論」が与えた影響の大きさを忘れずに。
もっとも結局それは採り入れられ形を変えて「霊性進化論」になったり。

何らかの「特異体験」や「不幸」が見出すのはこうした類い。
前者は「ドラッグ」後者は「思い込み」が支配することが多い。

とはいえ。

この種の「宗教」が消えることはない事実を思えば。
自分を襲う「理不尽」を「解決」する手段としては「お手頃」だということか。

それらを「ウイルス」だとすると「ウイルス駆除のアプリ」があればいいだけだが
如何せんわれわれは自分でそれを作り出せるかというと微妙。

「白黒つけたい人々」に「灰色」を説いてもなかなか。
なぜなら「白黒つけたい気持ち」に変わりはないから。

そもそもわれわれの脳は「世界」という複雑すぎる情報を単純化することが仕事でもあり。
どこまで行ってもそこから「逃れるすべ」はなさそう。』と書いて昨日も寝る。

晴れ。おだやか。

牧野智和「日常に侵入する自己啓発 生き方・手帳術・片づけ」を流し読む。

男子は「仕事ができること」女子は「自分らしさを求めること」が「前提」らしい。
もちろんそこに「知性」があれば「なぜそうなるのか」と考えるところなのだが。

「自分でコントロールできるもの」以外はすべて「ノイズ扱い」というのも何だか。
思わず「何様のつもり」と聞きたくなる当然。

いずれにせよどこかに「モデル」を見つけてそれに似せることを目的としているよう。
いったいどこが「自分探し」なのかと問いたくなるのもこれまた当然か。

「好きに生きていいという自由に溺れる人々」が
その不安を抑えるためにあるのがこうした「自己啓発もの」なのだろう。

その「裏返し」が「ルールを破る者たち」への「異様なバッシング」になるのも忘れずに。
誰がそんな「ルール」を決めたのかについて思いもせずに。

繰り返すがいたずらに他人事にかまう前に自分の好きにすればいいだけ。
そこそこ楽しく暮らしていたら「どうでもいいこと」になるから。

どんな環境にいても子どもたちは「遊び」を見つけるもの。
「かつての子どもたち」がそのことを忘れているのは残念と言うよりない。
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「対話の不可能性=民主制の危機あるいはゆとりのなさ」について

2017-05-22 01:56:15 | Weblog
快晴。真夏日。

昨日は仕事場の研修で老舗バーはお休み。

にもかかわらず疲れていたのかちょいと飲んだら寝てしまう。
このところの「大瀧詠一めぐり」のせいか。

内田樹「内田樹の生存戦略」を読む。

中身が「人生相談」だと知らずに借りてくる迂闊。
案の定あまり面白くないまま終わる。

マル激のNコメを観る。

「市民倫理」と「政治倫理」の違いについてふむふむ。
「非常時」というのが結局はキーポイント。

わが国のマスコミが伝える「アメリカ」がそのニュースソースゆえに
「ブルーステイト=民主党寄りの州」のものしかないとう指摘を覚えておきたいもの。

仮にトランプが「うんこ」だとしてもそれ以上の存在が出てくる危険についても。
すべてが「ポジショントーク」だと判断されれば「民主制の危機」であることなど。

「どちら側の人間」であるかという「レッテル貼り」のみでは「対話」が不可能になる。
それを宮台真司は「リベラルの罪」だと。

結局は「まともな会話」ができるかどうかという意味ですべてはコミュニケーションの問題。
「普通」を押し付ける「不平等」はNHKスペシャル「発達障害」を見ても同様に。

「少数派にとって暮らしやすい社会」はおそらく「多数派」にとってもそうだろう。
ここにきて「小は大を兼ねる」という通常とは違うことわざを作ってもいいかも。

どんな相手であろうときちんと話を聞くこと。
それが「隠されている『現実』」を知るための基本のような。

「判断を下す前の受容」。
その「当然」がなかなか「現実」にならないのだからいやはや。

われわれはなぜその種の「ゆとり」を失ってしまったのか。
「数字に表せないもの」をないがしろにしすぎたせいだと思うあたりが妥当かも。
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「選ぶのではない選ばれるのだということ」について

2017-05-20 02:15:20 | Weblog
快晴。29度まで上がる。

島崎今日子「安井かずみがいた時代」を読む。

安井かずみは1960年代半ばから70年代半ばくらいを中心に活躍した作詞家。
以下に代表的な作品を挙げておくと。

「若いってすばらしい」(’66)「恋のしずく」(’68)「ラブ・ラブ・ラブ」(’69)
「経験」(’70)「わたしの城下町」(’71)「赤い風船」(’73)「危険なふたり」(’73)

「草原の輝き」(’73)「古い日記」(’74)「危い土曜日」(’74)「激しい恋」(’74)
「追憶」(’74)「よろしく哀愁」(’74)そして「不思議なピーチパイ」(’80)など。

それぞれに所縁のある人々へインタビューするという形式が生きていて
プリズムのようにさまざまな姿が浮かび上がるのが興味深いところ。

後年「トノバン」加藤和彦との結婚生活に「引きこもる」ようになったのは若き日の反動か。
その内実は外見と違って複雑だった模様。

「センス」によって「遊び場」を与えられた人の一生の光と影を味わおう。
本作のポイントは一緒に遊び彼女を一番よく知っているはずの加賀まりこの発言がないこと。

「純情ババァになりました。」というエッセイを読むべきか。
興味のある向きは是非。

深夜NHKで「Mr.トルネード」藤田哲也を扱った番組を観る。

原爆投下後5日目に長崎を調査した経験が「ダウンバーストの発見」をもたらす「奇縁」。
当初アメリカの気象学会から徹底的に批判された学説はやがて証明されることになり。

自身の過去については一切語らず仲間内では「面白い話し手」であり続けたことなども。
晩年死を覚悟した彼に「病状報告」という「目的」しか与えられなかったと涙する仲間よ。

彼のおかげでかつて起きていた航空機事故は防がれるようになり
人々は今日も安心して飛行機を利用している。

さて。

ふたりとも「才能があるゆえの孤独」に晒されたことが偲ばれる次第。
結局は「選択肢を選ばされているにすぎない『個性』」との違いを十分に知っておきたいもの。
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「オスは無用の生存戦略あるいはささやかなマウンティングと自分」について

2017-05-19 02:16:11 | Weblog
快晴。上着を手に持って出かける。

蔭山大輔「消えるオス 昆虫の性をあやつる微生物の戦略」を読む。

バクテリアの一種であるボルバキアが
ある時は宿主をメス化しまたある時は別な形で操作する姿にふむふむ。

「オス殺し」のメリット3つは以下の通り。
1.エサ資源をメスが独占できる 2.近親交配の回避 3.共食いによる水平伝播。

宿主にとってすでに「なくてはならない存在」にまでなっていたり。
この「生存戦略のすさまじさ」には恐れ入るのみ。

その一方。

久方ぶりに会った既婚女子ふたりが過去を懐かしむ話が否応なく聞こえてきて。

かつて同棲していた彼に見切りをつけ部屋から出て行くように言ったところ
TVや洗濯機その他の家電が見事に持ち去られた話。

なかなか結婚を切り出さない彼に詰め寄りつつシビレを切らしていたら
実は彼が「サプライズ」を用意していてプロポーズされた話など。

前者はその「事件」の処理で現在の夫の「やさしさ」を知ったと言い
後者は手狭になった家の引っ越しについてさらに話し。

なるほどこれが「マウンティングの実態」かと納得する。
「いいじゃないの幸せならば」と思いつつそうではない「事実」に思い至った次第。

さてわが身を振り返ると。

数少ない「お付き合い」からは結局自分の「ヤクザ性」が浮き彫りになったのみ。
たぶんそういったものには向いていないのだと思うことしきり。

繰り返すが「自分の世話」で手いっぱいで相手の事を考える余裕もなく。
その点に関してはあまり「学習能力」がないはず。

もちろん後になってあれこれ反省はするもののすでに手遅れ。
おそらく「モグラたたき」になることは必至で。

当人は「できるだけ迷惑をかけたくない」と思っているものの
そうはいかなくなるのが目に見えているといった趣き。

まあ「身内」だけでどうにか。
「家族」は「本」を通じて勝手に作っているつもり。
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