退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「好ましい芸人と『ガラスの向こうから覗く人であること』」について

2019-08-31 02:37:38 | Weblog
雨ときどきくもり。一時は晴れる。

本切れで玉袋筋太郎「粋な男たち」を古本屋で買って読む。

著者の芸名は「シロマティ」「蟻の門渡哲也」を排して選ばれたものらしい。
ちなみに「蟻の門渡り」とは「陰部と肛門の間」の名称。

雀荘をやっていたストレートな両親が始めたゲイ御用達のスナックを恥じ
高校時代は父親と没交渉だった模様。

そこへ「天命」のようにやってきたのが「ビートたけしのオールナイトニッポン」。
それ以来「たけし原理主義」は続いているとのこと。

それにしても。

「略奪愛」やら「謹慎処分」やら次々と「ドラマ」が襲い掛かってくるもの。
さらには「父親の自殺」や「母親の認知症」もあり。

師匠譲りの身体を張った「暴露ぶり」よ。
「波瀾万丈」を束の間味わった次第。

ところで肝心の「粋」はどこへなどと野暮なことを言っちゃあいけない。
詳細は本書まで。

この手の話にはちゃんと「お布施」をしないと。
もっとも税別定価880円のところを100円で済ませた奴の言うことじゃないか。

フッフ。

浅草キッド」「たかをくくろうか」を載せておく。
そういえば昔「みんなゴミだった」というたけしの本を買ったはず。

個人的にはこうした「ロマンチックな生き方」は出来ない。
せいぜい他人の話を伺う程度で。

繰り返すが「物語」が襲ってきたらむしろ「身をかわす」。
「いろんなものを見送るタイプ」だと思って頂いて結構。

それが可能な環境にいるだけなのやもしれず。
ガラスの向こうから覗くのが楽しいだけ。

いわゆる「身体感覚」を失っているのだとしたら「ほぼゾンビ」かも。
やはり「残念な人」なのだろう。

今後もゆらゆら暮らすはず。
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「ゴヤの版画と黄表紙あるいは好ましい駄洒落と『豆腐が食べたお話』」について

2019-08-30 02:08:18 | Weblog
晴れ。夜にはスコールも。

ゴヤ「ロス・カプリチョス」を観て読む。

副題に「寓意に満ちた幻想版画の世界」。
ゴヤって版画もやってたのねということで。

着衣のマハ」「裸のマハ」あるいは「わが子を啖うサトゥルヌス」が有名。
「色彩のない世界」での「別の顔」を楽しんだ次第。

基本は当時の世相に関する批判だと思ってよさそう。
「カプリチョス」は気まぐれ、戯れ、奇想などを意味する模様。

修道士に対する批判が多いのにふむふむ。
「遣り手婆=娼婦と客をつなぐ存在」もそこそこに登場。

本書が出版されたのは1803年でわが国で言えば江戸後期。
「黄表紙」を思い出せばいいかも。

恋川春町、朋誠堂喜三二あるいは山東京伝。
昔「文学史」で習った名前を思い出す。

ちなみに「喜三二」は「気散じ」で「気晴らし」のこと。
「二葉亭四迷」というペンネームが「くたばってしまえ」だったりするセンスに同じ。

漱石は英文学専門なので
「Do you see the boy?」を「ずうずうしいぜ、おい」としたり。

映画評論家の双葉十三郎は「Who done it?」を「風谷逸人」というペンネームに。
「Who done it?」は「誰の仕業か」で推理小説由来の言葉。

いっそ駄洒落ならこれくらいでないと。
いずれもよく知られたエピソード(本当か)。

それとは別に。

知り合いの兄の弟は「豆腐を食べた」を「豆腐が食べた」などとのたまう。
「おどろおどろしい豆腐の姿」が浮かんだ次第。

「香ばしい大豆の香りに包まれながら食べられる自分」を想像する。
案外悪くなさそうな。

高野豆腐相手だといささか窮屈な趣きもあり。
やはりここでは「絹漉し」を選びたいもの。

いや木綿の爽やかな肌触りも捨てがたい。
胡桃豆腐の香りも同じく。

何の話だったっけ。

「カプリチョス」に戻れば「恋愛成就のため絞首刑にされた死体から歯を抜く」のが印象的。
迷信深い若い娘が顔をそむけながら。

いやはや。

「ヨーロッパの野蛮さ」をあらためて。
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「観ていない『観察映画』の素敵さと『一人前』になるための痛みあるいは僅かなやさしさ」について

2019-08-29 02:04:14 | Weblog
くもりときどき雨。降ったり止んだり。

想田和弘「演劇vs映画」を読む。

「観察映画」ってそういうことなのねと今さら。
何より監督の作品を一本も観ていないという不勉強。

平田オリザというキャラクターにふむふむ。
初めて「相当な人物」だと知る。

面白いのは「ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー」に関する話。
なぜか著作権がワーナーにありそれで結構儲けているとのこと。

もっともそれゆえに「音を抜くこと」が「音を入れること」になる発見も。
「映画になる・ならない」という判断も興味深く。

Gyaoで済ませている場合ではないかもと思った次第。
と言いつつまたまた。

石井克人「スマグラー お前の未来を運べ」(’11)を観る。

役者を目指していたフリーター妻夫木聡が「一人前になる」お話。
マンガ「殺し屋1」を思わせる「拷問と痛み」をもたらすのは高島政宏。

長瀬正敏はこんな「男前」も出来るのか。
安藤政信の「殺人マシーンぶり」は「蜘蛛男」並みの動きが楽しい。

親分島田洋八(!)の妻である満島ひかりの8年前の姿はいい感じ。
「鮫肌男と桃尻女」(’99)が懐かしくキャストの重なりもあり。

かつて「戦争映画」でもっぱら使われていた中国語が
今では「裏社会」絡みで使われることが少なくないことをあらためて。

「強烈な一撃」を喰らった人間が「透明な液体」を吐き出す描写が印象的。
「野獣死すべし」(’80)の松田優作も二回ばかり登場する。

superfly「愛をくらえ」もなかなか。
編曲は蔦屋好位置で「愛をくらえ= I won't cry」と聞こえる歌詞もミソ。

「生まれ変わるための痛み」は相当に激しい。
とはいえそこに「意味」があるのだという強烈なメッセージよ。

そして「僅かなやさしさ」に感謝する描写を覚えておきたい。
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「流体力学入門と『自らの欲望に忠実な人』を見る楽しさあるいは残念な作品」について

2019-08-28 02:45:16 | Weblog
くもりのち雨。スコールも何度か。

山口浩樹「道具としての流体力学」を読む。

「流体」をどのように数式化しているのかに興味があったので。
ただしその詳細は理解しないまま。

それでも何となくイメージだけは掴めた感じでよかった。
観測による現実と擦り合わせるところも。

単純なモデルを使って徐々に複雑化していく趣き。
次から次へと「繰り込む」計算によって成立している模様。

数式と記号の意味に慣れないと「本当の理解」は難しそう。
やがてそこまでに至るのかどうかというと心許ない。

これまたもっとじっくり付き合う必要がありそう。
「老後の愉しみ」は増える一方。

帰宅していつものように遅い夕飯の後。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」で内科医・天野惠子の存在を垣間見る。

「慢性疲労症候群」という女性特有の病気に挑む姿にふむふむ。
「自分の欲望に忠実な人」は見ていて楽しい。

「百歳まで現役でいるつもり」だという言葉も頼もしい限り。
是非それを現実のものとして頂きたいもの。

マリナ・ドゥ・ヴァン「ダブルフェイス 秘めた女」(’09)を観る。

「ラ・ブーム」(’80)が懐かしいソフィー・マルソーは公開時43歳。
「ドラキュラ」(’92)のモニカ・ベルッチは45歳。

物語のテンポが遅すぎて作品としてはどうにも。
内容のせいか「女盛り」のはずのふたりの女優も今ひとつ。

何とも勿体ないと言うべきか。
それぞれの「魅力」をもっと味わいたかったもの。

「描写ばかりで面白くない」と言われるソフィー・マルソーの小説の出来が
そのまま本作に当てはまるのがむしろ「皮肉」。

「謎解き」の結末も微妙で。
脚本も書いている監督の演出ぶりには疑問が残るのみ。

せっかくの素材を活かしきれない憾みあり。
少なくとも作品の長さを90分前後と決めて「演出の経済」を考えてもらいたかった。
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「地球内部の謎に惹かれる興味と『外の世界が白く見えること』」について

2019-08-27 01:58:36 | Weblog
晴れ。暑さは緩む。

巽好幸「なぜ地球だけに陸と海があるのか」を読む。

正直よくわからないところも少なくないが面白い。
「安山岩」の「安山」って「アンデス」のことだったのね。

地球が「水惑星」であり続けられたのは
太陽からの距離が適切で大気を保存できる程度の質量があったせい。

そして水があるおかげで「プレートテクトニクス」が作動できるのだとも。
「大陸が生まれるのが海」だというのにも驚きつつ。

できれば素人にもう少しわかりやすい内容の本があれば。
今のところ図書館では見つかっていない。

あるいはこちらがもっとじっくり付き合うべきなのかも。
昨夜の酒が残っている状態だったこともあり。

久方ぶりに外の世界が白く見える。
原因は不明だがしばらくするといつも元に戻る。

たぶん疲れていたのだろう。
以前にも同様なことが二度ほど。

一番初めは高校の頃だったか。

テスト勉強で徹夜した翌日に持久走があり。
走り終えた後でそうなったはず(この時は黄色気味)。

次は昔の彼女と「なばなの里」に行った時。
前夜にちょいと「運動」してランチでビールを飲んだ後。

花々を見ているうちに急に周囲が白く見え始めて。
「外が白く見える」と言ったら心配して車まで運ばれた。

「意識」は疲れを感じないまま「身体」に出るタイプらしい。
もちろん「身体に従う」のは言うまでもなく。

ちょいと検索してみたのだが詳細がわかるほどの情報に出会わず。
ある種の「貧血」なのだと思っているのだけれど。

まあどうってことはなく。
「身体が発する信号」だと思えばそれにうなずくのみ。
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「残念な事三つ」について

2019-08-26 02:07:46 | Weblog
晴れ。まだまだ暑い。

図書館で「史記(下)」を借りるつもりだったのに。

書架のその辺りの本がごそっとないのを見る。
来週には借りられるといいなと思うのみ。

小川たまか「『ほとんどない』ことにされている側から見た社会の話を」を読む。

「レイプあるいは痴漢」に関する世の中の鈍感さよ。
とりわけ前者が若者たちに「プレイの一種」だと思われているのに驚く。

どうやら誰もがエロ動画を見られる環境の中では
「ジャンルのひとつ」だと思われている現実がある模様。

さて。

「バッシング」と「セカンドレイプ」を受けてまで
被害者が実名と顔を晒して訴える「利益」がどこにあるのか。

著者の最近の記事があったので載せておく。

「恐らくですが、最初は伊藤さんは妊娠の心配をしていた。
酔って吐いて、性行為は覚えているが妊娠を懸念していたのではないか。

その後、結果的に私が(TBSのワシントン支局長を)解任され、
(就職のあっせんができなくなるなど)いろいろな私怨の中で、

話がエスカレートされたのでは。彼女の心が変遷したと考えている」という被告。

この弁明はほぼ意味不明。
そんなことのためにあらゆる「マイナス」を引き受けるわけもなく。

むしろこの発言は「自らがそういうことをする存在であること」を
暗に認めているように思えるのだが如何。

「浮気する人が他人より余計に相手の浮気の心配をする」事実を思い出そう。
要は「語るに落ちる」ということなのだが。

「お前がオレの気を引いた」という加害者の「認知」の不自然をあらためて。
「裁判」に持ち込めば相手も引っ込むだろうという「予断」もありそうで。

この種の「オヤジ」には退場して頂いて結構。
貴様ごときが「生き延びる」意味などない。

矢部宏治「知ってはいけない」を引き続き読む。

副題に「隠された日本支配の構造」。
わが国がとうの昔から「属国」である事実を明らかに。

なるほどそういうことだったのかと思った次第。
全部「密約」じゃん。

本書の「解釈」が「正しい」かどうかは申し訳ないがどうでもよろしい。
こういう「解釈」があるという「視点」こそが重要。

いわゆる「愛国の徒たち」はどう反応するのだろう。
自国民を「反日」などと言っているヒマがあるのかどうか。

「叩き台」としては最適かも。
少なくともここからあれこれ議論を始めないとどうにも。

とりあえずそれくらいの「インパクト」がある内容。
詳細は本書まで。

朝鮮戦争による米軍特需は後の「高度経済成長」を可能にして。
結局は「食えればいい」ということだとすると。

われわれにそもそも「倫理」などあるのかどうか。
どんな「美しい物語」もその前には「うんこ」やもしれず。

「圧倒的に貧しい過去と現在」を受け入れられるのかどうか。
どうやらそのあたりの「器量」が問われているように思うのだが如何。
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「玄人の芸と素人のイジメあるいは『自由な空間』と現在に通ずる『貧困』」について

2019-08-25 02:27:14 | Weblog
『晴れ。夜にポツポツ。

斎藤環「承認をめぐる病」を読む。

「人を笑わせるテクニック」があるのはいいこと。
ただしそれが特定の人々だけを「材料」にするのは悪いこと。

学校という限られた環境の中で
いたずらにそうしたことが評価されるのは何故か。

やはり「メディアの中でもてはやされる人々」の影響が大きいような。
その結果「技術のない人々」がするそれは「いじめ」につながり。

互いにもっと相手のことを知らないとどうにも。
それぞれに「ジャングルな事情」を抱えていることを。

結局は本来さまざまに開かれているはずのコミュニケーションが
「特定の形」で維持される仕組みが問題のような。

「バリバラ 2.4時間テレビ 愛の不自由、」を観る。

「24時間テレビ」に対する「アンチテーゼ」なタイトル。
今どきのテレビでこんな「自由な空間」が確保できていることが素敵。

障害の有無に関わらず「相手を知るこの難しさ」をあらためて。
とりあえず「正解」はないから「自分ルール」に囚われず「やってみなはれ」。

「具体的なお付き合い」からしか始まらない。
それがうまく行こうが行くまいが。

少なくとも「相手を支配する」ような関係は望ましくないのは確か。
「気持ちいいこと」や「気持ち悪いこと」の共有も大事で。

「セックス=合体」という固定観念も忘れた方がいいかも。
「気持ちいいかたち」はむしろ他にもあるのだということで。

「それでええがな」という関西弁がいかにも似合う内容。
ここでも「知ることの重要性」が浮かび上がるのみ。

ヴィットリオ・デ・シーカ「ウンベルトD」(’51)を観る。

「年金の少なさ」に追い詰められる主人公は現代につながるはず。
「二人の兵隊の恋人」を持って妊娠してしまう若いマリアとの「交流」もありつつ。

雑種犬フライクの演技がなかなか。
かつての知り合いに借金を断られ「物乞い」にもなりきれない主人公よ。

「貧困の現実」を描く「ネオ・レアリズモ」などたまにはいかが。
少なくともわが国のテレビにはこの種の「現実」が描かれることは少なく。

「現在貧困に苦しむ人々の姿」が「芸能ネタ」に隠されていたりするのだから。
「有名人」がどうなろうと関係ないというのに。

「鶴瓶の家族に乾杯」などという番組は
「幸せな家族」がすでに「失われたもの」であるからこそ珍重されるもの。』でまた寝る。
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「鉱石への興味によって広がる世界と『参考資料』になる残念な作品」について

2019-08-24 02:49:58 | Weblog
くもりときどき雨。だったか。

島崎英彦「鉱石の生い立ち」を読む。

「金属鉱床」に興味を持つと世界中の場所が身近なものになる模様。
地球や日本列島の歴史についても同様に。

「カンラン岩」の「カンラン=橄欖」は「オリーブ」のことだったと今頃気付く。
何でもカタカナ表記にするせいだとしておこう。

「鉱床の生成の仕方」をちょいと齧ると
さまざまな作用によるそれぞれの鉱物の離合集散具合も気になったり。

今まで見たことのない「用語群」に触れるのも楽しく。
「貫入岩体」「灰鉄柘榴石」「含金白金脈」「苦鉄質岩」など。

スカルン」というスウェーデン語が「普通」なのにもふむふむ。
この分野についてもっと知りたくなった次第。

エリオット・レスター「ブリッツ」(’11)を観る。

「Blitz=ブリッツ」はドイツ語で「稲妻」なので派手なアクションを期待していたら
あにはからんや「地味で後味のよくない」作品。

かつて自分を逮捕した警官たちを殺すサイコな犯人を
法で裁けないならオレが裁くといった類いの内容。

「暴力刑事」にジェイソン・ステイサム(ただし激しいのはほぼ「ヴィデオ」の中だけ)。
冒頭からしばらくの間「物語」が動かないというスローテンポ。

「同僚」や「情報屋」「女性警官」のエピソードがうまく絡まず。
サイコな犯人の「激しい殺人描写」だけでは「カタルシス」を生むには足りず。

結局のところ「人間関係」が十分に描けていないのが問題のよう。
もちろん描いてないわけではないがそこには「あたたかさ」がなく。

例えば。

妻を失った同僚の悲しみが
主人公との酒とスーパーで酒を買い込む姿だけではどうにも。

「本当に妻を愛していた」と感じさせる描写が全くないんだもの。
それがあってこそ理不尽に殺される姿に心が動くはずなのに。

おまけに主人公との「過去のあれこれ」もないと来ては。
「『書割り』の悲しみ」でしかないゆえの「当然の結果」か。

「典型的な『残念な作品』」なので「参考資料」としてはグッド。
「好ましい物語」を考える上で。
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「特定の『環境』を生きて死んだ人々の記録あるいは『妄想』による物語の種」について

2019-08-23 02:34:10 | Weblog
晴れ。蒸し暑い。

「史記(中)」読了。

やはり「列伝」は面白い。
それぞれの「環境」の中での人物の「盛衰」が味わえるから。

「あなたはもう十分活躍したんだから私にその地位を譲りなさい。
それ以上同じ場所にいたら周囲の反感を買うだけですよ」という説得の妙。

世界各地の「権力者たち」に伝えたいもの。
言い分を聞き入れてくれる者もあればそうでない者もあり。

「敵」になっても「味方」になっても
念には念を入れてその実際を確認するのにふむふむ。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉の意味をあらためて。
要は「引き際」が肝心ということで。

もちろん「当時の中国」という限定された場所での「権力ゲーム」ではあるけれど
現代でも大いに参考になるのは確か。

そしてそれを可能にしているのが「史記」という「記録」であることも。
敢えて「外交官の必読書」だと言っておく。

今度の日曜にはいよいよ(下)を借りてくることに。
繰り返すがどんな終わり方をするのかが何とも楽しみ。

珍しく電車の中で好ましい女子を見る。

ところがそこへ「うんこの臭いを漂わせる老人」が乗ってきて。
風下にいた乗客は席を立ち。

電車が駅に近づくにつれて「逆方向の風」がこちらにも臭いを運び。
彼女も思わずそっちの方向を見たりして。

一駅で降りてくれたのが不幸中の幸い。
顔は見えなかったがひょっとして「徘徊」だったのかと後にして思った次第。

その後彼女はあれこれゴソゴソして。
降りる際にこちらを振り返った。

どうやら「忘れ物」がなかったかどうかの確認だった模様。
その「忘れ物」がこちらだということはあるはずもなく。

久方ぶりの「妄想」をしばし楽しむ。
まだそんな気分になることがあるのかと驚くのみ。

いやはや。

なかなか枯れ切らないものではある。
もっとも敢えて「枯らしていない」部分もなくはないのだと言っておく。

とはいえ「物語」は見送ることにする姿勢は変わらず。
これまで通り淡々と暮らすだけ。

そうした「物語」の数々が過去にあったのは事実だとして。
それを具体的に記すかどうかは別の話。
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「いよいよ楽しくなってきた書物とどうにも重い『復讐劇』」について

2019-08-22 02:27:48 | Weblog
くもりときどき晴れ。雷鳴や雨も。

「史記(中)」をまた読む。

「仲尼弟子列伝」から「春申君列伝」の途中まで。
「口説の徒」に関するあれこれが興味深い。

彼らは結局のところ「安泰」を求めるように見えてそうではないと。
なるほどと言うよりなく。

「高潔の士」であることが自動的にいいわけでもなく。
「戦国の世を生きることの難しさ」をあらためて。

どうやら明日読了出来そう。
(下)でどう終わるのかが今から楽しみではある。

アトム・エゴヤン「手紙は憶えている」(’15)を観る。

妻ルースが一週間前に死んだことも忘れるほどのゼブは九十歳。
同じ施設にいる友人マックスの手紙を頼りに自分の家族を殺した元ナチを探すのだが。

「認知症」を患っている主人公が
友人の手紙だけを頼りに「最後の仕事」をしようとする姿が何とも。

ゼブのクリストファー・プラマーは今年九十になる模様。
マックスのマーティン・ランドーは2年前に彼岸へ。

元ナチのルディ・コランダーは4人いて(誰が「本物」かわからず)
最初に登場するブルーノ・ガンツは今年の初めに旅立った模様。

ゼブの息子ヘンリー・ツェニーとナチの息子ディーン・ノリスが脇を固めて。
ふたりともどこかで観たことがある顔。

ちなみに主人公の名前は「グッドマン=いい人」だったり。
「ゼブ」という名前が「狼」だということも忘れずに。

彼が弾くピアノの作曲者にも注目。
原題は「remember」という何とも重い「復讐劇」を是非。
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