退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「受け止められない『現実』と痛い映画の背後にある『現実』あるいは怠惰」について

2017-10-31 02:59:27 | Weblog
晴れ。風強し。

NHK取材班「認知症・行方不明者1万人の衝撃」を読む。

「高齢化の現実」がここに。
そしておそらくはその「現実」に対応できない姿も。

「徘徊」に対しては家族だけでは無理という当然がある一方で
みんなでどうにかしようという「機運」があるのかどうか。

「認知症」そのものの理解と対応が
「他人に迷惑をかけない」という「原理」によって「遅れる」悲劇よ。

むしろこの「現実」をきっかけにして
「地域のつながり」が復活したらいいのにと思いつつ。

「底が抜けた」という表現に示されるのは
「新しい現実」を見つめられないわれわれのなす業。

良くも悪くも「タコ壺」で暮らしている事実を知っておこう。

「現実」を受け止める前に「現実」の認識を。
放っておいたら誰も手を付けないことがどうやらたくさんあるらしい。

映画「ソウ」のシリーズを続けて観る。

「痛いシーンの数々」に埋もれがちではあるけれど
結局「酷い現実」を訴える要素が大きそう。

「『正しさ』を元にしたテロ」のようなものだと思えばいいか。
「普段何気なく自分がしていること」の意味を問う一面もあり。

「世界の荒れ加減」がこのシリーズに表されているという解釈などいかが。
サンデルが持ち出す具体例の「ハード版」だと思うとふむふむ。

さて。

明日はできれば「ブレードランナー」の新作を観るつもり。
町山智浩が「宣伝」に乗っかってもいるので。

もちろん「事前情報」は確認しないまま。
いたずらな「予断」は必要ないから。

ただこっちの事情からすると上映時間が微妙。
この後どれくらい飲むのかによりそう。

てなわけでもうちょいと。
繰り返すが「生まれたながらの怠惰」ゆえ。
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至る所に顔を出す「貧しさ」について

2017-10-30 01:51:46 | Weblog
雨のちくもり。台風のせい。

図書館に出かけた時間が一番の降り。

帰りに雨は止みかけていたものの風でビニール傘が裏返る。
それが二度続いて二度ともどうにか元に戻す。

雨宮処凛「自己責任社会の歩き方」を読む。

「貧困の現状」についてふむふむ。
とはいえそのつながりでみんなとワイワイやっているのは楽しそう。

彼女が訴えているのは「生きづらさ」について。
今後も「報告」をときどき聞きたいとは思う。

この種の現実はおそらく東京オリンピック以降にさらに浮かび上がるだろう。
「イベント頼み」で世の中が動くのだとして「長続きしない」のは明らかなのに。

マル激を観る。

恒例の小林良彰を迎えて先の衆院選の「総括」。
安倍が「誰も反対しないこと」を掲げた上で選挙後に別のネタを行うパターンを確認。

第一次政権における「正攻法ゆえの失敗」がおそらくは「トラウマ」に。
ただその程度の「ワザ」に右往左往させられる人々とは。

20代30代が圧倒的に自民党支持なのは「損得」のためらしい。
就職については「売り手市場」だし都市部の正社員家族たちは潤っているのだと。

「短期的利益」しか見えない者たちには何を言ってもムダ。
だって「愚か」なんだもの。

「二大政党を目指す小選挙区制の破綻」がどうやらポイントのよう。
この制度では「民意」が反映されないことをあらためて。

公明党が希望の党や維新と変わりないと判断されていることも忘れずに。
それでいいんですか。

連日の「株価上昇」は「トリクルダウン=おこぼれ」がない以上あまり意味がなく。
「財政破綻の危機」を考えもしないで「イケイケ」気分なのか。

さて。

ここに至ってハッキリしたのは「階級の差」のような。
新聞TVその他が伝える「現実」はどうやら「特定の人々のみ」を対象にしていて。

「心の弱い総理」を助けるための「万歳三唱」(池上彰のインタビュー時)や
「出来レース」で記者クラブにしか質問させない「記者会見」のインチキに気付かぬまま。

「国難」はむしろわれわれの「どうしようもなさ」にある。
自分たちでどうにかする「精神」の圧倒的な欠如よ。

あまりの「貧しさ」に絶句するのみ。
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「『特撮』という技術と『好きに生きること』あるいは『公共の福祉』」について

2017-10-28 02:08:34 | Weblog
『晴れ。今日もおだやか。

「日本特撮技術大全」を読む。

知っている名前は円谷英二、中野昭慶、川北紘一くらいの「特撮知らず」。
「マイティ・ジャック」のオープニングは好き程度。

「いい絵」に賭ける情熱と努力にふむふむ。
とりわけ「CG以前」の工夫が素敵。

残念ながら詳細については十分に理解できる素地がなく。
ならなぜ読んだのか。

「新しい世界」を知りたかったから。
それはいつも同じ。』でまた寝る。

「疲れ」に関する認識と実態がズレている模様。

雨。一日中降る。

今宵も老舗バー。

客は自分以外に若者ふたりのみ。
しばしマスターが東京で観てきた「運慶展」のカタログに見入る。

その迫力とリアルさに圧倒される。
その他には芸能関係のゲイ、レズのお話など。

セクシャリティーはどのようにあっても自由だから
それぞれに出来れば楽しく過ごしていただければと思うのみ。

そこに「好き嫌い」がある「当然」も同様に。
繰り返すがそれぞれに楽しく。

ある種の「迫害」があるとその「仲間内」でさらに激しい「対立」が起こる事実よ。
このことに関しては「歴史」を振り返ればわかるはず。

要するに。

それぞれの「立場」はどのようにあってもいい。
その「在り様」について思いを致すことが重要。

問答無用の「正しさ」が常に「あやしい」ことを思い出しておこう。
そしてその事実は「分野」を問わない。

どうしたらみんなが楽しく生きられるのか。
おそらく「公共の福祉」という言葉の意味はそのあたりにあるはずなのだが。
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「美しい海岸とくすんだ人々あるいはただの『錯覚』」について

2017-10-27 02:11:34 | Weblog
快晴。風なくおだやか。

柴山知也・茅根創編「図説 日本の海岸」を見て読む。

「島国」であるわが国の周囲はすべて海。
プレートが集まっている場所でもあるせいでその姿はさまざまに。

放っておくと砂浜が消えることは初めて知った次第。
埋め立てによって海岸の様子が全く変わることも忘れずに。

寄せては返す波の浸食作用についてもあらためて。
膨大な時の流れがそこに重なることで思いがけない地形も誕生して。

普段こうした場所に接することが少ない都市住民は
その「美しさ」のために何らかのコストを払うべきだろう。

気になるのはサンゴの「盛衰」。
海水温の上昇によって各地で「白化」が続くのだろうか。

ダイビングには全く縁のない身としても
どうにか維持したいものだと思うのみ。

各地の海から「得られるもの」は想像以上に大きいはず。
その「ありがたさ」を身に沁みて感じたいもの。

さて。

山々の緑と空と海の青、そしてさまざまな生きものたちの色彩の美しさよ。
見ているだけでおだやかな気持ちになれるのはなぜだろう。

おそらくは自らも「生きもの」であるからだというのと同時に
こと自分に限っては「人々のくすみ具合」が気に入らないからだということだったり。

もちろん「容姿や各種の能力に恵まれた人々」がいてそれはそれで愉しいものの
それとは異なる「普通の人々」の中に魅力を感じられなくなって久しい。

「視点」に問題があるのかもと思いつつ
それだけではないはずだという思いも同様に。

どうにも「地盤沈下」している感じが否めないのだけれど。

いわゆる「感じのいい人」が減ってしまったような気がするのだが如何。
これも「中間層の没落」のせいか。

取り立てて目立つものは持っていないものの
「毎日をきちんと生きている人々」の群れが「懐かしい」といった「錯覚」など。

もっともかく言う自分は「おかしな人」ではあり
「いつの時代もこんなものだよ」と言われればそれまでの話ではある。
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「いまいちな本と映画あるいは『常識』にならない『倫理』」について

2017-10-25 02:07:59 | Weblog
『くもり。仕事帰りに降られる。

北里洋「深海、もうひとつの宇宙」を読む。

「深海調査の報告書」のような内容。
もっと深海生物について知りたかったのだけれど残念。

「予算獲得の結果」としてこういうものを書かされるのかどうか。
詳細は不明だとして確かなことがひとつ。

この内容ではあまり「後を追う者」が生まれない。
もちろんあらゆる方面での「苦労」があることはわかるとして。

著者のやっていることは素晴らしい。
ただしその「成果」が本書だとすると微妙。

繰り返すが重要なのは「センス・オブ・ワンダー」を感じさせること。
それが十分かというとかなり問題がありそう。

ダーレン・リン・バウズマン「ソウ3」(’06)を観る。

本シリーズで不思議なのはみんなが自動的にジグソウのシナリオに乗っかること。
無理矢理そうさせられた人物以外にもそういう「設定」を認めろということか。

ジグソウが「ゲームを始めた動機」が描かれたりするものの
「謎解き」の段階になると物語はほぼ「終わり」なのを忘れずに。

全体に「ツギハギだらけ」という印象は拭えず。
「残虐に見せるための残虐」もいささか虚しい。

ギリギリと締まる拷問道具はむしろリアルに描かれることで魅力を失うかも。
カットのつなぎに工夫はあるとはいえ評価は微妙にならざるを得ず。

「他人をテストすること」はその当人の「孤独」を炙り出すだけ。
そしてすべてを「コントロールすること」も同様に。

そもそも「謎」そのものが「解かれなければならないもの」であるのかどうか。
「根本的な疑問」のないまま進行する「物語」だと判断しておく。

むしろ「おとなしく死んで」と言いたくなる気分が濃厚。』でまた寝る。

晴れ。風の冷たさがちょうどいい。

今日は有給だけれど読書のために喫茶店をハシゴしたのみ。
帰りのオレンジとブルーの透明な空と黒い人影はまるで「影絵」。

船橋洋一編著「検証 日本の失われた20年」を読む。

どうやら基本は「昭和の影」。
かつての「成功体験」にすがる「ムラの人々」が見える。

あらためて3.11が「人災」であったことを確認できたのはよかった。
この「当然」をいつまでも「天災」だと思うのはむしろ愚かだと言っておく。

「人口問題」については当分どうしようもないので
その「現実」に向き合う政策が望ましいところ。

結局「『現在』に引きずられるだけの存在」が浮かび上がることに。
もちろんそれが本当に「現在の姿」なのかについての確証もないまま。

われわれはかくも愚かなのだからそれぞれの考えを持ち寄って検討したいもの。
「過去」に学ぶことが出来なければずっと「子ども」なだけ。

さらに言えば。

「常に間違える」という事実をもっと胸に刻みたい。
だからこそ「過去の検証」が大事になるわけで。

ただし。

間違えないための努力もなく「常に間違える」という事実を前提にすると
人は簡単に「堕落する」。

その種の「緊張感」を持ち合わせているかどうかが「まともな人の基準」。
こんな「常識」をわざわざ訴えなければならないわれわれの「レベル」よ。

根本的な「問題」はどうやらそこにありそう。
それを「倫理」と呼ぶのだとしてわが国の人々に要求するのは「酷なこと」なのだろうか。
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「圧倒的なしあわせと『捨石』になる覚悟」について

2017-10-24 02:04:04 | Weblog
晴れ。風が吹きやや寒さも。

山田宏一「ヒッチコック映画読本」を読む。

作品名と人名の索引があるだけでなくヒッチコックの年譜と作品番号まで。
至れり尽くせりだからあとは読者が具体的なシーンのあれこれを思い出すのみ。

イギリス時代のものもヴィデオで多少は観たものの全作とはいかず。
問答無用に愉しい作品の数々よ。

「目で見ること」に訴えるのは基本が「無声映画」にあるから。
「マクガフィン」と「レッド・ヘリング」の意味を覚えておこう。

詳細については本書まで。
「ヒッチコック全集」とか出たらいいのに。

本書のような作品に出会えるとただただ「しあわせ」。
「トリュフォー/ヒッチコック 映画術」や「ヒッチコックに進路を取れ」も忘れずに。

身近な若者に聞いてみたところ名前も知らなかった。
「ダメだなあ」と言ったきり言葉を継ぐ気になれず終わる。

数々の作品が結局は「マンハント=結婚相手をつかまえること」だというのをあらためて。
「上品なエロもしくは『美しい変態』あるいは上質なユーモア」を味わって頂きたいもの。

この種の「洗練や見事さ」をいったん知ってしまうと「ヘタなこと」は出来なくなる。
「文句なしにいいもの」にはそうした「教育的効果」がある。

さて。

今回の選挙で明らかになったのは小池や前原の「政治的センスのなさ」。
要は「なってはいけない人」が政治家になっている事実が浮き彫りに。

そしてそれらに付いていった人々も同様に。

この「人材払底ぶり」をむしろ「チャンス」と捉えるのがポジティブなはず。
「あの程度」でいいのなら「自分が天下を取ろう」と思うくらいがマシ。

とはいえそれ以上に「ダメな人材」が参加する危険もあるのは事実。
「世襲」といったような「うんこ」に任せていていいのか。

人口減少という「事実」を踏まえた上で
「階段を下りるシナリオ」を本気で訴えないとどうにも。

ジジババには「未来のための捨石」になる覚悟が必要だったり。
少なくとも「団塊の世代」にはその「責任」があると思いたいところ。
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「『老人』にはなれないことあるいは堂々と『異議』を唱えること」について

2017-10-23 01:05:22 | Weblog
雨。台風の影響は今のところさほどでもなく。

中野翠「ぐうたら上等」を読む。

そうか著者も71歳になるのか。
自分も同様に年をとっていることも忘れて。

基本は「相変わらず」。
どうやら「老人」にはなれないらしいことを確認する。

もちろんさまざまな「老化」があるのは確か。
ただし「やっていること」にあまり変化がないのも事実。

マル激を観る。

Nコメでは「最高裁判事の国民審査」の意味について。

総理大臣が最高裁長官を指名するもののそれで「終わり」ではなく
国民がその結果に対して「異議」を唱える余地があることを知ろう。

チェックのない場所ではすべてが「腐敗」する。
最後は「正しさの問題」が残ることをあらためて。

本編では角谷浩一をゲストに迎えて今回の選挙にまつわる騒動と今後について。

「松下政経塾」が結局は「二流の復活のため」でしかなかったことにふむふむ。
「ダメなヤツはどこまでいってもダメ」という「無慈悲な事実」よ。

それぞれの「振る舞い」をきちんと見ればその「人物」がわかる。
枝野も安倍がいる間はいいがその後はどうするのかという問いなど。

それにしても。

繰り返すがわが国の「政治の世界」にはあまりにも「センス」のない人間が多く。
どうやら「まともなブレーン」をそばに置く「知恵」もない模様。

それもこれも「人を見る力」があるかどうか。
「ベスト&ブライテスト」を揃えたアメリカがベトナムで失敗した過去は知っているものの。

出来ればその種の「眼力」を誰もが持ちたいところ。
そして堂々と異議を唱える力を。

「ポスト・トゥルース」などという言い草は
「バカ」を「バカのままでいい」と認めることにしかならず。

お前の欲しいものはその程度のものか。

平然とそう言い放つだけの「胆力」を備えるべく生きたいものではある。
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「同期することと戦う女あるいは強い母」について

2017-10-22 04:07:08 | Weblog
雨。夕方に止み深夜にふたたび。

蔵本由紀(よしき)「非線形科学 同期する世界」を読む。

振り子時計からホタルの明滅、橋の上の歩行あるいは拍手など。
あらゆるものが「同期」という一点で共通する。

電力供給網やホルモン分泌、信号機の制御にまで。
読みやすい文章と客観性から著者のすぐれた科学者ぶりが伝わってくる。

「単純なモデル」からいろいろなことがわかる意味に納得。
「いいもの」に触れるとちょっとだけ賢くなった気がする。

遠い昔。

眠っていた彼女の寝息をこちらの呼吸とシンクロさせようとしたことがあったか。
残念ながらそれは叶わずお別れして。

深夜ジェイムズ・キャメロン「エイリアン2」(’86)をTVで再見。

「戦う女」リプリーのシガニー・ウィーバーは「強い母」。
ニュートのために敢えて「敵地」へ戻る勇気よ。

「臆病」だったはずのハドソンやゴーマンの「最期」もなかなか。
後者には「あんたって本当にダメな人ね」というバスケスが付き合い。

そして「母vs母の対決」に。
身体を引き裂かれながらニュートを救うアンドロイド、ビショップもいて。

リプリーが結局「生身の力」で母エイリアンを宇宙空間に飛ばすことも覚えておこう。
「火事場の馬鹿力」はかくもスゴイのだという解釈でよろしく。

リドリー・スコット「エイリアン」(’79)と似ていて非なるラスト。
7年の時を経て続編が作られるのも今となっては珍しい。

さて。

今宵は仕事場の研修で老舗バーは欠席。
もうちょいと飲んで寝るはず。
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「リアルなゾンビ世界と病原菌、権力の暴力あるいはいささか歪んだ『死を忘れるな』」について

2017-10-20 01:58:56 | Weblog
雨。夕方になって止む。

暗い病院で半日取られる。

老人たちと少しイカれた人々を見る。
これはもはや「ゾンビの世界以上」のような。

トニー・ハート「恐怖の病原体図鑑」を見て読む。

世界には病原体がこんなにもあったのねという感じ。
ただしわれわれがその「最たる者」であるかもしれず。

ジョージ・クルーニー「スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜」(’11)を観る。

どこか「この男、凶暴につき」(’89)に似ているような。
「政治という暴力」がある種の「理想」を持った男を変える内容。

これを「シビア」と見るか「特定の世界のルール」だと見るのか。
やはりアメリカに「民主主義」などないことをあらためて。

「偶然というデタラメ」の中で人はさまざまな「感想」を抱く。
そこでは「悲劇」も「喜劇」も「悲喜劇」も毎日のように起きる。

モリーのエヴァン・レイチェル・ウッドにはもっと「反抗」してもらいたかった。
そうでなければ「女子」は浮かばれないはず。

もっともそれが「リアル」であることも確か。
どうやら本作の基本は「権力の維持とスキャンダルの効用」。

今は亡きフィリップ・シーモア・ホフマンよ。
彼もまた薬物に倒れた模様。

引き続き「ソウⅡ」(’05)を再見。

「メメント・モーリ=死を忘れるな」という格言を元に
末期ガンの患者「ジグソウ」が残酷な「ゲーム」を仕掛けるお話。

「痛い映像」がいっぱいでいやはや。
神経ガスにやられる「囚人たち」にわれわれの姿を見よう。

「ダメな大人たち」が悲惨な死を遂げる一方で「子ども=息子」は救われる。
この「意味」を忘れずに。

がしかし。

すべてを「思い通りにすること」がそんなに「楽しいこと」とは思われず。
せめて「フィクション」だけでもということなのか。
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「『常識』になってもらいたいことと『問題児』であること」について

2017-10-19 01:41:00 | Weblog
くもり。思ったより降らずじまい。

デイヴィッド・マクレイニー「思考のトラップ」を読む。

副題に「脳があなたをダマす48のやり方」。
科学書ではお馴染みのあれこれの紹介。

要は「わかりやすさ」が受けたのだと思われる。
元々はブログに書いたものだった模様。

この種のものにあまり接したことがない向きは是非。
本書に書かれている内容が「常識」になっていただきたいもの。

敢えて詳細については書かないのでお楽しみに。
ただしかなり分厚いので気になったところだけ読むのもアリか。

さて。

明日は有給なのだけれどこれがまた面倒臭いことに。
母親の首筋に出来た腫瘍の検査結果を聞くため早起きしなければならず。

おそらく大したことはないと思われるのものの。
たまには病院に行くのもいいかと思った次第。

というわけで普段よりも早めに就寝予定。

それもこれもいざ他人のこととなると俄然張り切る上の妹のせい。
実は自分が「問題児」であることには気付かないのがどうにも。

兄弟姉妹の「真ん中」はややこしい存在であることが少なからず。
「上を見て下を見る」とそういうことになるのか。

もっともそう言う自分も「問題児」ではある。
子ども時代に反抗期がなかったせいだろう。

結局「一生反抗期」になったのはいいのか悪いのか不明。
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